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自分から進んで新しい事に挑戦するとかすごい苦手なんで、言われた事をただただやり続ける方がずっと楽でいい。
美空ひばりさんが、愛燦燦で、人は可愛い、かわいいものですねって言ってたの、私もそう思います。かわいいの集合体が社会であって欲しいという気持ち❤
先生の仰る「仕方がない」に繋がりますね。すべてはただたまたまそうであるだけということだと私も思います。
様々な事を客観視して行くことが重要なんだと思いました。
益田先生の、ゆるい感じがとっても心地良いです😊いつもありがとうございます🙏心が疲れた時に見ると、客観的に考えられて、気持ちが楽になります。自己啓発や強いメッセージ性のある物だと、なんだか逆に疲れる気がするので、益田先生の動画に出会えてほんとに良かったです😂宿題の、人間社会とは…初めて考えましたが、私は、自分の役割を考えながら協力し合って作り上げていくところかな〜と考えました〜
宿題について…今思うことはやっぱり人間も社会も変わってしまうものなんだなぁと思いますね。仕事をして本当にそう思います。今の職場のリーダーの人は本当に優しい人であるので優しい良い人が集まってきます。もしリーダーが変わったら違う環境になってしまうでしょう。人が変わる、無常無我に出会うってこういうことですかね。まだどのあたりが美しいのかわからないんですけど…思わず涙が出てしまうのは、それが一年以内であっても過去と今の周りの人との関係の違いですね。私は身の回りの過去や記憶を人一倍憶えている人間で、変化をとても強く感じます。美しい過去を思い出して、もう終わったことなんだ、戻らないものなんだと涙を流してしまいます。悲しくも儚くもあり美しい、こういうことですかね。どうしてこんなに憶えているのかわからないんですけど、その時を全力で生きたり感じだからなんですかね…?
私は経済合理性のあることが全然できないんです。ASDです。学生の頃は成績もまあまあ良く、そこそこの大学にも行けたのになんで、とずっと落ち込んできました。周利槃特調べてみました。淡々と与えられたことをする美しさ、自分を肯定する材料と思いました。無常無我の概念を知ることでも楽になりそうです。
人間とは、社会とは何かはテーマが大きすぎて何ともいえないんですが、ドクターが仏教とか、仕方がないについてお話するのは、精神疾患を持ちながらの辛い日常をどう考えたら生きぬけるかを説明してくれているのだと感じています。エビデンスだけでは、補えない部分だと思います。
Dr.の周利槃特の話を聴いて、天才バカボンのレレレのおじさんをイメージしてました。さっきwebで調べたらそのようで、さらに彼は掃除が好きだったのですね。好きなことかあ。
益田先生のこのトピックに関する動画を観るたびに、自分とは、世界とはを考えています。私のイメージの中では、自分は地球という生命体の中の一細胞みたいなものというイメージです。自我があってそれを中心に世界があると考えると苦しい人も多いと思いますが、自分が細胞とか歯車みたいなものだと捉えると、病むこともあるし正常に働くこともある。そんな状態で世界は何とか動いている。大事なのは自分の担うべき役割を自分で理解納得して、それを淡々とやっていくことを受け入れるのが、人生なのかな?そして死ぬ時は新陳代謝として、また新しい細胞が生まれて死んだ自分は無になっていく。このような考えがぐるぐるまわっていて、家族の死など経て自分の中でも何か見え始めている気がします。益田先生の動画は答え合わせのような部分もあり、安心できます😌
益田先生がおっしゃる「無常無我」や「心は脳である」ことって、すっと納得できるようになるまで結構時間かかるんじゃないかなと思います。私は20代後半に「そういうことなんだ、そんなもんか」と思えるようになりましたが、それまでは「人生」や「世界・社会」をすごくドラマチックに捉えてしまい、「こんな社会はおかしい、たった一度の人生でこんなことができないのはおかしい」という風に現実を受け入れられませんでした。「益田先生は無常無我とか何を言ってるんだ?本当に精神科の話?なんで今仏教の話?😑」という風になる方がいたとすれば、どうすればそんな方に根底のところを伝えられるのか興味があります。
たまに挟まる「うん」が自分の言ってることを確認してる様子がよく出ててかわいい。
ベースで仏教知ってると益田先生のお話は分かる。希死念慮もあったりするけれどこう言う動画のお陰で冷静になれる。
無常無我がわかるには時間の経過、苦悩、体験など経ないと理解できない。わかっていても机上で。胸にストン入ってこない。苦悩は苦しいけれど、ある時突然わかるとそうなのかと謎解きの様に胸に入る。そのために苦悩があったのかと。精神医学にはこのことなくして語れないのではと思う。対象療法のみでは救われないが。痛みがある時はともかくこの痛みを取り除いてとの思いも救われる。先生がこの分野で語られることに、高度に発展するテクノロジーの時代にとても大切に思う。
実生活や身近に苦しんでいる人をどう救うかに取り組まれている先生の動画は、実践的で良いなと思います。日本の文化が資本主義やグローバル化の中で、生活も苦しかったり、人間関係や個人の精神衛生もあまり好ましくなくなってきていると感じるので、私も実生活で改善をしたいです。
無常無我世の中の常識などは過ぎ去っていく自分の言葉が未来にずっと残っていくと思ってないという言葉から今を大切にしようと思いました。今に目を向けることを大切に、というのはよく言われていますが初めてその意味を理解できた気がします。この今をただただ生きていくそれが人というものなんだとなんとなく思いました。未来のことや、仕事をしていない自分に囚われていましたが生きてるこの時間をどう見るかをもう少し考えてみようと思います。
【宿題】人間・社会とはどのようなものか全ての人間は幸せに生きる権利があります。その為にあらゆる差別を無くす努力をすべきです。自分は尊い存在で他者も同じであるとの思想を社会の根底に置くのが理想ではあります。なんか思想が強めでしたね。私は、ニューロダイバーシティ社会の実現が一番だと思います。
宿題:人間とはどういうものなのか幸せになりたいもの社会とはどういうものなのか人間同士が比べたり競う場所自分がどれだけ幸せか確認する場所絶対に間違ってると思うけど今の自分からはこんな感じに見えてる
お釈迦さまのように、生まれつき才能に恵まれ、環境にも恵まれ、努力するという才能までも恵まれて悟りを得て、それを自分だけのために使わずに(悟りを得た後に満足して自殺しようとした所、友人に諭されて悟りを伝える人生を選んだと言われている)、他人のために一生涯使えた人は奇跡と言えるし、とても尊いです。「掃除だけをした」お弟子さんは、才能も環境も恵まれていないのに、掃除という人のためになるくだらないことを毎日続けて、人を恨んだり怨んだりせず、他人の邪魔をせず、自分の不運を嘆いて他人に訴えては負の感情を押し付けたりせず、やけになって人生を後ろ向きに過ごしたり、無敵の人になって他人や自分の命を殺めたりせずにいられたのが、大きな奇跡だと思います。最初はそうではなかったとしても、やっぱりお弟子さんも最終的には悟ったと言えると思います。
禅の世界ですね
こんばんわ。人間とは社会とは…。これは、その時その時入れ替わります。人間(自分と近しい周りの人間)より社会の方が暖かい時。社会が厳しくて辛くて、やっぱり人間(自分や近しい人)の方が優しい。本当にこう感じる時があります。それは、人肌の様な暖かさや優しさと相反するPC的な冷たさや作業。その時々、心にかかる事で違います。
はじめまして。お寺の近くに住んでいます。私の家族は全員天国に行ってしまいました。出来うる限り、医師、福祉、制度の助けを借りて生きています。ずっと墓守のように暮らして行きたいと思って居ましたが、一人になって「やはり何かしなければ」と仕事に就いてしまいました。そして現在、何とか仕事に行くだけは踏ん張って居ますが、部屋は散らかり放題で、おつむも散らかり放題です。年齢も老年に差し掛かり、病歴ももう長いので、症状が身体に出る事が多くなりました。主治医には今すぐ仕事を辞めなさいと言われています。生活する上でも、食事は買って来られます。洗濯は洗濯機がします。掃除や片付けは誰にも代わって貰い難く、一番難しいと思います。周梨槃特さまのお墓には"茗荷が生えた"と言うお話がありました。茗荷を沢山食べると、物忘れが多くなると言う話や"名を荷う"というお話が好きです。私ももっと茗荷を食べて、もっと物忘れが酷くなれば、ちょうど良く生活が出来るのかもと、考えています。仕事は自分のささやかな居場所でもあるので、なかなか決断が出来ませんが、辞めたら茗荷料理を模索してみます。
最先端…いいですね。みんなで新しい景色を見ましょうよ😄私も元々、先生を知る前から1人でそのつもりでやってますので😊
茗荷さんの話ですね!庭の茗荷が取れると、先生の茗荷さんの話を思い出します。仕事ができなくなって自分を責めるしんどい時期が続いたけど、家庭に入り、家の仕事をもくもくとしながら病気が良くなってきたのは、こういうことなのかな、と今は思います。
人間とは社会とは、難しいなと思います。人間が社会を作り出しましたが、そう考えると人間にとって社会は自分たちの都合の良いように変えていけるものだと感じます。(国によって法律が違うことが良い例だと思います、その国に都合の良い社会だということだと思うので)無常無我とありましたが、無常無我になりきれない、正解が分からない状態のまま保っておくことが苦手な人間の弱さの結晶がAIのように感じます。(CHATGPDなど)無我無常の状態になりたいです。
シュリハンドクは、「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら掃除をし続けたことで、お釈迦様の弟子の中で1番初めに悟りを開きます。それは、お釈迦様の教えに雑念を交えることがなかったからです。シュリハンドク以外の弟子は、お釈迦様の教えに雑念を交えました。こんなことをして何になるのだろう、この修行は何のために行うのだろうと考えることがあった為、なかなか悟りを開けなかったのです。
無常無我、色即是空、AI、IT、、やれることをたんたんと。クリティカルヒット神回でした😭
難しい宿題ですね。社会が何なのかはよくわかりませんが、人間って"定義できない何者か"だとおもっています。人間って人間のことを考え続けていく生き物だと思うので、その定義づけできない余白があるからこそ何かを知ろうとするのだと思います。最近思ったのですが、子供って虫の事をよく知らないから昆虫とかを平気で触れると思うんですけど、成長していって知識がつくと触らなくなりますよね。それって、知識の欠如で片づけるにはもったいなさ過ぎて、無知だから感じられる豊かさや感覚って確かにあって、知識を以って理解しようとすると逆に閉ざされてしまう感覚だと思うんです。私もなかなか大人になりきれないのでそういう感覚を僅かに持っていて、それが子供のころに感じていた豊かさなんだろうなと思っています。現代の日本語には「その感覚」を指す語彙がないのも、こういう社会や時代に生きているからなのでしょうね。
私も鬱になって、益田先生の動画で勉強して、良くなり色んな本やユウチューブでさらに、色んな事を、調べ仏教思想の自分なんて無い思想に辿りつき凄く生きやすくなりました。今さらに勉強してます。
SNS見てると色々な思いを引き起こされる感じで淡々とやりにくいんですよね。思考の焦点をスイートスポットに持っていって、それを維持するのが一番いいんだろうなと思います日々の行動を時間管理という形で計画出来るのが理想ですが、これは難しいんですよね。
ただ生活に徹して生きる。食べて、寝て起きたら生活する。仏教知識や精神世界は生活に根付いてる
「人間」とは「生産」なしに生きることができない存在である。「社会」とは「生産」活動するさい、重要なツールである。
ほう、なかなか良いですね🙆
@@sola3breeze917 ありがとうございます😊
人間は煩悩を持ちふらふら人生に迷うか弱い存在であると同時に、知恵を結集し科学技術を発展させてゆく無限の力も持つ不可思議な生き物だと思います。日本は東アジアの端っこに位置しており独自の哲学や思想や宗教を持ち、それらが広く社会全体に浸透しています。欧米文化とは違った軸を歴史的に発展させています。人は生まれ育った場所でそれぞれ大きく異っており、いろいろな社会文化体系内で生きていると言えます。
人は社会と全く繋がりは断てないし、だからエンタメ感覚で美とかキャッチーなところから広くアプローチしていくということですね〜、誰にも知られなければ素晴らしい書物もただの紙って思うのでよくわかります。苦痛が深い人は各々さらに堅い勉強をするのは自由ってことで私がお門違いでしたし、マスメロして下さる意味もわかりました🐰クリニックのお誕生日回いい雰囲気でした☺️おめでとうございます🎂
益田先生、こんばんは。私は、「人間」というものは、幾つもの、種類の分け方が、可能なのだと思っています。例えば、「人間」を、「良い人」と、「悪い人」とに、分ける事も可能だと思います。そして、私は、更に、この「人間」は、「良い人」だけど、「怠け者」だとか、逆に、この「人間」は、「悪い人」だけど、「働き者」だとか、というように、「良い人」が、他の、幾つもの「特徴」も、併せ持つことが、可能だと思っています。私は、その、幾つもの「特徴」を、複雑に、併せ持った、歪な「人間」たちで、形成されたコミュニティーが「社会」だと思っています。その理由で、「社会」は、とても、複雑で、多様で、問題があるものに、仕上がっているのではないかと思います。よろしくお願いします。
宿題については、難しいですよ😅でも、ただ言える事と言えば社会は資本主義社会が多く、精神疾患の人達にとっては生きづらい世の中なのかなって感じますし、人とは努力して上に上り詰めた人もいれば、他の人を踏み台または貶して出世していくものだと思っています😢なんか、世知辛い世の中です😢
起こる出来事に臨場感持ちすぎてたかもなぁと思っています。深く捉えすぎというか…そこまで解釈広げずに、起こった事実を見て、何をやるべきか把握し淡々と対処してたら生きるのが楽だったかも😂 事実見るの忘れちゃって感情ばかりが先行するから、ネガティブな解釈をしがちなんですよね。これも脳の癖だとは思うのですが。
漠然と自分は変わらないものという思い込みがあります。でも5年前の自分と今の自分では、社会経験や学びを通して世界の見え方がとても変わったと思います。なので少しずつ無常無我を理解できるようにしたいと思います。宿題人とは前頭葉が発達した動物。言語を駆使する。群れの動物。
【宿題】人間とは自然の中のほんの一部 社会とは多くの人にとって営みやすい集団のこと?【感想】周利槃特(しゅりはんどく)のお話、心が軽くなりました。社会不適合で、尖った才能もないです私ですが、淡々とできることをする…究極 それしかないですものね(正直な気持ちを言うと、私もこの競争社会で勝ってみたかった。 負けることしかなかったから周利槃特(しゅりはんどく)の存在に心が救われてしまう…そんな自分も正直情けないと感じてしまっています)
淡々とやる事を邪魔する人がいるから難しいよね。こういう時に人が煩わしいと感じる。一人で何も出来ない人なんだろうか?
宿題とは少しズレてるかもしれないけど、自分の実体験を話すと高校生のときにあんなに好きだった女性がいて、振られて何年も引きずってたのに、数年経った今の自分はその人を全く好きではなくて新しい好きな女性を想ってるのがまさに無常無我なのかなと改めて思いました。でも当時も今もこの女性に振られたら他に好きな人はできないと考えてるのは昔も今も一緒だと思いました😅
宿題:人間=この得体の知れない大宇宙の小さな地球で、生きる生物の1種社会=その集団で生存を確保する習性のある生物(人間)が自分たちに都合の良いよう構成した集団(ごく単純でちょっとシニカルに聞こえてすみません。)おやすみなさい。
宿題、難しいです。人間とは、自分のが経験してきたことをベースに物事を考えたり決めたりしている。だから同じ話を聞いても、感じることや響くところがそれぞれ違ってくる。自分と同じような価値観や考え方の人と群れたがる。だけど、近づきすぎると細かい価値観の違いや嫉妬などが起こり、問題が起きやすい。社会とは、マジョリティの人たちが過ごしやすいように作られがち。マイノリティの人たちは、声をあげりやことさえ難しい。文化は言語によって作られるというのは、なんとなく分かります。まわりに合わせて、その中で自分がどうしたら一番過ごしやすいかを考えて物事を決めるので、自由意思はない、ということなのでしょうか。最適解を決めさせられてるというか。なんか、悲しいですね。思わされてるってことですよね。すごく難しくて、頭こんがらがってきました🙀💦
ふと、何度かお会いしたことのある、べてるの家の川村先生を思い出しました。雰囲気がちょっと似てるのかな…
咳を診ていただいている動画も拝見しました。やっぱりお医者さんも診てもらうときは患者さんなんですね。私は暑くなると咳が出るので、服装をマメに調整してます。面倒なんですけどアレルギー科では「なんでもない」と言われちゃったので、自分でコントロールしています😅薬が効きますように。お大事にしてください🍀
掃除のアルバイトをしているとき、周梨槃特について知りました。周梨槃特を愛し尊敬する人や社会では病気があってもこじれにくいだろうな
「それって科学なの?」とか言ってくる人って医学系じゃなくても居るんですよ…!(言われたことある)社会学系でいったら実践科学系にあたるかと思いますが(あれは大学でやることなのか?!とか教養乏しい人に言われたりする…)、益田先生がされてるのはまさしく臨床というか、逆に、医学系だと臨床があるので、むしろ臨床のない医学なんて意味ないというか、中心なのでしょうから、よい(認知された価値が存在する)なと思います。
「社会(時代)は、変わっても人の営みは変わらない」を思い出す動画でした。人の悩みも苦しみも悲しみも、時代を越えて国を越えて共通するものだと思います。私がもろもろの疾患で苦しんでいた時、その有り様は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のカンダタの世界観も思い出します。地獄は、この世にあるのだと私は思っています。「生まれてきて良かった」と思うことはこれまでなかったのだけど、益田先生と同じ時代に生まれて良かったとは思えます。
【宿題】まず、両方に共通するものは変化し続ける存在であるということ。その上で私は人間とは変化や成長を受け入れる存在であると思います。また、誰も完璧な人はいない。互いの弱さや強さを受け入れ支え合いながら生きていくものだと感じます。次に、社会とは変化と適応であると感じます。その変化を助け合いの中で支える場だと考えます。私は今、成長することは儚く美しいものであると感じています。前まで興味なかったのに。感動です。これはきっと無常無我に近づいていると思いたいです。また、周梨槃特素晴らしいです。
人間とは何か、社会とは何か難しいですね。社会とは何か、僕には馴染めないものとしか答えが出ません。自分の生き方やり方が決まっていますので他人と合わせるということが出来ないですね。逆に「こっちに合わせてくれよ」となりますので、社会に出て仕事をしても人間関係でトラブルが多いと感じました。
無常無我っていうのは別の側面から見れば、私は死なないし私は永遠不滅ってことなんだけどね
私はずっと初心者として5年くらい掃除ばかりしてきた。だから全くスキルは育たないし、それを必要としてくれる人がいるが仕方ないと思っていた。周りは申し訳なさそうにしたり、それは良くないとか言う人はいるけど、よくわからない😅それで、食っていけるならそれでも別に良いのでは?と思ってしまう。
「倫理のキホンが2時間で全部頭に入る」という本を、散歩しながら聞き流していたとき、フロイトが提唱する無意識の重要性について知りました。無意識の存在がどれほど大きいかを考えているうちに、心が台風の目のようなイメージで捉えられるようになってきました。嵐を避けるためには、その中心と共に移動しなければならず、嵐の中に手を突っ込んでも思い通りにすることはできません。けれども、目には見えない高気圧や低気圧、前線の関係が理解できると、進路をある程度予測できるようになるのです。周りを見渡してみると、熱帯低気圧の状態に甘んじている人や、自分の嵐がいかに強大であるかを見せびらかそうとしている人がいます。でも、どんな嵐もいずれは消えてなくなるものだと考え、そんなことを思いながら少し微笑んでしまうのです。
動画ありがとうございますいつも拝見しています。03:13 よく仰る「無常無我」についてですがこれ自体は現実認識としては確かに理解できます。しかしながらこの「無常無我」そのものが美しいという価値観を訴えることはとても危険ではないでしょうか。なぜならそれは移ろいゆく(無常な)現実に対して無批判にただただ追従したりずるずるべったりになり、結果的にニヒリズムと言われるような非常に刹那的な生き方や態度(今さえよければ良い等)に結びつく可能性があります。これではどう頑張ったところで一瞬一瞬の快楽と引き換えに慢性的な虚しさを抱えを続けることになる。
人間 生物学的な「ヒト」社会「ヒト」が生きやすいように最適化された仕組み。風土や時代に応じて変化する。
シュリハンドクの生き方から見ると悟りってノーベル賞みたいな優れた者に贈られる名誉ではなく実力の100%を発揮した者への栄誉なのかなと思います。 余談ですが親を憎むのを止める方法という書籍がほしいので重版したら買います。
個々の能力の有無に囚われないで生活をすることの難しさを知ることが出来ました。これは精神医学とかけ離れていたことですが、精神を守る為に必要な学びだとも思います。能力発揮と、精神医学は繋がっているようで、全くの別物だと感じてしまいました。
自分の価値観を無視してエビデンスを優先する生き方は違うなとは思う
人間は、概念で生きていると思う。これなくしては生きていけないと思う。無常無我も一つの概念。私はこれ、好きだけど。
向き不向きがあって、孤独感で寂しくならない人が向いていそうですね
にほんじんを1くくりにはできないですよ生まれついての プロテスタントも言う人もいる仏教とはまったく縁が無い無常無我なんてわけわからない感覚が通じない違う文化圏の人だ神に愛を捧げることで全てがすくわれる神にまかせておいて気楽に楽しくいきる死後は天国へ
人間 属する社会によって形作られるもの社会 文化と歴史の上に存在する機関
平家物語の序文を思いました 今は学校で学ばないのでしょう?暗記してクラス全員で声を出して学びました🙆昭和の子供です🍀
掃き掃除だけやっていて周りからはお前は楽でいいよな…とか言われたりしただろうな…
人間とは自然科学的な生物の概念(肉体)に人文学的な概念(社会)をインストールしたもので生物は食物連鎖などによって原子が絶えず移動し、社会は経済活動などによって物やお金が絶えず移動する肉体は自然科学的には大きな宇宙の一部であり、感情や経済活動も大きな社会の一部でしかないそう言うのが無常無我って事なんだろうって思ってる
日本人として、諦観も曖昧さも、和の文化は確かにしっくりきますし、いいと思いますが、なにか大きな波に飲まれる感じが嫌です。ワタシは、欧米の文化や生活や考え方に惹かれますが、それは、現実逃避です。差別への戦いや、生き方の多様化が日本より進んでいる人々に憧れています。どこにいても、大多数の仲間にはなれないので、架空の西洋を心に持ってます。イマジナリーワールドでしょうか。さびし〜。(でも仕方ない、とは思っております)
自分は話に出て来た人を掃き掃除以外の事も出来るようにチャレンジや勉強させてあげたほうが良かったと思います料理の材料を切ってもらったり茶碗洗いをしてもらったり別の事もさせた方が人生がまだまともだと思ってます(掃き掃除だけでは可哀想です)ベッドメイキングや洗濯物をたたむでもいいです 花を摘んで集めてくるでもいいですほんとは彼の出来ることを他にも探す事も同じ寺にいる周りの人の優しさだったんじゃないかと思ってます精神疾患や認知症の患者さんたちも彩りのある人生の中で治療していった方が、療養中はつらいだけ、と思わなくなると思います😶病気の中でもひとときの幸せがあるという事が治療にもつながると思います
仏教でも日本の前のインドなのでまた風習が違うかもしれないが、インド人は川で沐浴したり断食したりひたすら逆立ちをして悟りをもとめるような人たちもいてたまにテレビにでるあと仏教以前のインドはカースト制度もあるので、特定の動作を続ける人がいる。掃除しかできないのか他の能力もあるのか分からないが、古代インドではカースト制度もあり特定の動作を続けることが奨励された(コピー取りをひたすらやっているがその幸せとはなんだろうか?みたいに)当時は身分社会であるから自由に職業も選べない日本と欧米であるが、欧米はキリスト教で石像建築で棺おけを作って土葬。古代ローマの遺跡が溶け込んでいるまちもある日本は木造建築で土葬。死んだら灰になるという文化。建物もいつかは朽ち果てはかない。永遠には続かないイメージ宗教に関しては仏教神道入り交じってキリスト教も受け入れたりする。原理主義ぽくはならない。明治や昭和の戦争時期は原理主義ぽくなるけど、戦後においては宗教的には寛容で正月もクリスマスも深い信仰心なく祝ったりする日本人は死んだら灰になるが、家族制度みたいなのは大事にしてきた。葬式仏教といわれるが先祖の供養は大事である(それも近年崩れつつある)伊勢神宮も20年毎に遷宮をする。なので永遠ではないはかない文化が日本にあるのではないか?
最近Xで「自己肯定感は低いけどプライドは高い女はダメ」のような投稿をよく見て、まさに自分のことだと思います。こういう矛盾ってどうしたらいいんですかね。あと、こういうタイプは一体何から始めるべきですかね😢
自己啓発の「今の自分を変えていく方法」とか、今の自分を否定されるんならそういうのいらない。
いつも配信ありがとうございます。宿題📔「無情無我」の中で、私はこの世のいのちが終わっても、何もなくなるとは思ってないです。それなら、葬儀や法事をする意味がない。この世のいのちが亡くなっても、他界していると思ってます。なので、両親も他界してますが、どうしたらいい?と写真に話しかけます。子どもは笑いますが、夢に現れます。誰かと話していて、その答えをくれます。それが両親ではなかったとしても、誰かが助けてくれていると感謝してます。益田DrのUA-camは、10年後には残ってるのではないかと思ってます。少しお疲れ気味と他の動画でお話しされてましたので、本日もゆっくりお休み下さいませ🍀ありがとうございました。
自分から進んで新しい事に挑戦するとかすごい苦手なんで、言われた事をただただやり続ける方がずっと楽でいい。
美空ひばりさんが、愛燦燦で、人は可愛い、かわいいものですねって言ってたの、私もそう思います。かわいいの集合体が社会であって欲しいという気持ち❤
先生の仰る「仕方がない」に繋がりますね。
すべてはただたまたまそうであるだけということだと私も思います。
様々な事を客観視して行くことが重要なんだと思いました。
益田先生の、ゆるい感じがとっても心地良いです😊いつもありがとうございます🙏心が疲れた時に見ると、客観的に考えられて、気持ちが楽になります。自己啓発や強いメッセージ性のある物だと、なんだか逆に疲れる気がするので、益田先生の動画に出会えてほんとに良かったです😂
宿題の、人間社会とは…初めて考えましたが、私は、自分の役割を考えながら協力し合って作り上げていくところかな〜と考えました〜
宿題について…今思うことはやっぱり人間も社会も変わってしまうものなんだなぁと思いますね。
仕事をして本当にそう思います。
今の職場のリーダーの人は本当に優しい人であるので優しい良い人が集まってきます。もしリーダーが変わったら違う環境になってしまうでしょう。
人が変わる、無常無我に出会うってこういうことですかね。
まだどのあたりが美しいのかわからないんですけど…
思わず涙が出てしまうのは、それが一年以内であっても過去と今の周りの人との関係の違いですね。
私は身の回りの過去や記憶を人一倍憶えている人間で、変化をとても強く感じます。
美しい過去を思い出して、もう終わったことなんだ、戻らないものなんだと涙を流してしまいます。
悲しくも儚くもあり美しい、こういうことですかね。
どうしてこんなに憶えているのかわからないんですけど、その時を全力で生きたり感じだからなんですかね…?
私は経済合理性のあることが全然できないんです。
ASDです。
学生の頃は成績もまあまあ良く、そこそこの大学にも行けたのになんで、とずっと落ち込んできました。
周利槃特調べてみました。
淡々と与えられたことをする美しさ、自分を肯定する材料と思いました。
無常無我の概念を知ることでも楽になりそうです。
人間とは、社会とは何かはテーマが大きすぎて何ともいえないんですが、ドクターが仏教とか、仕方がないについてお話するのは、精神疾患を持ちながらの辛い日常をどう考えたら生きぬけるかを説明してくれているのだと感じています。エビデンスだけでは、補えない部分だと思います。
Dr.の周利槃特の話を聴いて、天才バカボンのレレレのおじさんをイメージしてました。さっきwebで調べたらそのようで、さらに彼は掃除が好きだったのですね。好きなことかあ。
益田先生のこのトピックに関する動画を観るたびに、自分とは、世界とはを考えています。私のイメージの中では、自分は地球という生命体の中の一細胞みたいなものというイメージです。自我があってそれを中心に世界があると考えると苦しい人も多いと思いますが、自分が細胞とか歯車みたいなものだと捉えると、病むこともあるし正常に働くこともある。そんな状態で世界は何とか動いている。大事なのは自分の担うべき役割を自分で理解納得して、それを淡々とやっていくことを受け入れるのが、人生なのかな?そして死ぬ時は新陳代謝として、また新しい細胞が生まれて死んだ自分は無になっていく。このような考えがぐるぐるまわっていて、家族の死など経て自分の中でも何か見え始めている気がします。益田先生の動画は答え合わせのような部分もあり、安心できます😌
益田先生がおっしゃる「無常無我」や「心は脳である」ことって、すっと納得できるようになるまで結構時間かかるんじゃないかなと思います。私は20代後半に「そういうことなんだ、そんなもんか」と思えるようになりましたが、それまでは「人生」や「世界・社会」をすごくドラマチックに捉えてしまい、「こんな社会はおかしい、たった一度の人生でこんなことができないのはおかしい」という風に現実を受け入れられませんでした。「益田先生は無常無我とか何を言ってるんだ?本当に精神科の話?なんで今仏教の話?😑」という風になる方がいたとすれば、どうすればそんな方に根底のところを伝えられるのか興味があります。
たまに挟まる「うん」が自分の言ってることを確認してる様子がよく出ててかわいい。
ベースで仏教知ってると益田先生のお話は分かる。希死念慮もあったりするけれどこう言う動画のお陰で冷静になれる。
無常無我がわかるには時間の経過、苦悩、体験など経ないと理解できない。わかっていても机上で。胸にストン入ってこない。苦悩は苦しいけれど、ある時突然わかるとそうなのかと謎解きの様に胸に入る。そのために苦悩があったのかと。
精神医学にはこのことなくして語れないのではと思う。対象療法のみでは救われないが。痛みがある時はともかくこの痛みを取り除いてとの思いも救われる。先生がこの分野で語られることに、高度に発展するテクノロジーの時代にとても大切に思う。
実生活や身近に苦しんでいる人をどう救うかに取り組まれている先生の動画は、実践的で良いなと思います。
日本の文化が資本主義やグローバル化の中で、生活も苦しかったり、人間関係や個人の精神衛生もあまり好ましくなくなってきていると感じるので、私も実生活で改善をしたいです。
無常無我
世の中の常識などは過ぎ去っていく
自分の言葉が未来にずっと残っていくと思ってない
という言葉から今を大切にしようと思いました。
今に目を向けることを大切に、というのはよく言われていますが初めてその意味を理解できた気がします。
この今をただただ生きていくそれが人というものなんだとなんとなく思いました。
未来のことや、仕事をしていない自分に囚われていましたが生きてるこの時間をどう見るかをもう少し考えてみようと思います。
【宿題】人間・社会とはどのようなものか
全ての人間は幸せに生きる権利があります。その為にあらゆる差別を無くす努力をすべきです。自分は尊い存在で他者も同じであるとの思想を社会の根底に置くのが理想ではあります。なんか思想が強めでしたね。私は、ニューロダイバーシティ社会の実現が一番だと思います。
宿題:人間とはどういうものなのか
幸せになりたいもの
社会とはどういうものなのか
人間同士が比べたり競う場所
自分がどれだけ幸せか確認する場所
絶対に間違ってると思うけど
今の自分からはこんな感じに見えてる
お釈迦さまのように、生まれつき才能に恵まれ、環境にも恵まれ、努力するという才能までも恵まれて悟りを得て、それを自分だけのために使わずに(悟りを得た後に満足して自殺しようとした所、友人に諭されて悟りを伝える人生を選んだと言われている)、他人のために一生涯使えた人は奇跡と言えるし、とても尊いです。「掃除だけをした」お弟子さんは、才能も環境も恵まれていないのに、掃除という人のためになるくだらないことを毎日続けて、人を恨んだり怨んだりせず、他人の邪魔をせず、自分の不運を嘆いて他人に訴えては負の感情を押し付けたりせず、やけになって人生を後ろ向きに過ごしたり、無敵の人になって他人や自分の命を殺めたりせずにいられたのが、大きな奇跡だと思います。最初はそうではなかったとしても、やっぱりお弟子さんも最終的には悟ったと言えると思います。
禅の世界ですね
こんばんわ。
人間とは社会とは…。
これは、その時その時入れ替わります。人間(自分と近しい周りの人間)より社会の方が暖かい時。社会が厳しくて辛くて、やっぱり人間(自分や近しい人)の方が優しい。本当にこう感じる時があります。
それは、人肌の様な暖かさや優しさと相反するPC的な冷たさや作業。
その時々、心にかかる事で違います。
はじめまして。
お寺の近くに住んでいます。
私の家族は全員天国に行ってしまいました。
出来うる限り、医師、福祉、制度の助けを借りて生きています。
ずっと墓守のように暮らして行きたいと思って居ましたが、一人になって「やはり何かしなければ」と仕事に就いてしまいました。
そして現在、何とか仕事に行くだけは踏ん張って居ますが、部屋は散らかり放題で、おつむも散らかり放題です。
年齢も老年に差し掛かり、病歴ももう長いので、症状が身体に出る事が多くなりました。主治医には今すぐ仕事を辞めなさいと言われています。
生活する上でも、
食事は買って来られます。
洗濯は洗濯機がします。
掃除や片付けは誰にも代わって貰い難く、一番難しいと思います。
周梨槃特さまのお墓には"茗荷が生えた"と言うお話がありました。茗荷を沢山食べると、物忘れが多くなると言う話や"名を荷う"というお話が好きです。
私ももっと茗荷を食べて、もっと物忘れが酷くなれば、ちょうど良く生活が出来るのかもと、考えています。
仕事は自分のささやかな居場所でもあるので、なかなか決断が出来ませんが、辞めたら茗荷料理を模索してみます。
最先端…いいですね。
みんなで新しい景色を見ましょうよ😄
私も元々、先生を知る前から1人でそのつもりでやってますので😊
茗荷さんの話ですね!庭の茗荷が取れると、先生の茗荷さんの話を思い出します。
仕事ができなくなって自分を責めるしんどい時期が続いたけど、家庭に入り、家の仕事をもくもくとしながら病気が良くなってきたのは、こういうことなのかな、と今は思います。
人間とは社会とは、難しいなと思います。
人間が社会を作り出しましたが、そう考えると人間にとって社会は自分たちの都合の良いように変えていけるものだと感じます。(国によって法律が違うことが良い例だと思います、その国に都合の良い社会だということだと思うので)
無常無我とありましたが、無常無我になりきれない、正解が分からない状態のまま保っておくことが苦手な人間の弱さの結晶がAIのように感じます。(CHATGPDなど)
無我無常の状態になりたいです。
シュリハンドクは、「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら掃除をし続けたことで、お釈迦様の弟子の中で1番初めに悟りを開きます。
それは、お釈迦様の教えに雑念を交えることがなかったからです。
シュリハンドク以外の弟子は、お釈迦様の教えに雑念を交えました。こんなことをして何になるのだろう、この修行は何のために行うのだろうと考えることがあった為、なかなか悟りを開けなかったのです。
無常無我、色即是空、AI、IT、、やれることをたんたんと。
クリティカルヒット神回でした😭
難しい宿題ですね。社会が何なのかはよくわかりませんが、人間って"定義できない何者か"だとおもっています。人間って人間のことを考え続けていく生き物だと思うので、その定義づけできない余白があるからこそ何かを知ろうとするのだと思います。最近思ったのですが、子供って虫の事をよく知らないから昆虫とかを平気で触れると思うんですけど、成長していって知識がつくと触らなくなりますよね。それって、知識の欠如で片づけるにはもったいなさ過ぎて、無知だから感じられる豊かさや感覚って確かにあって、知識を以って理解しようとすると逆に閉ざされてしまう感覚だと思うんです。私もなかなか大人になりきれないのでそういう感覚を僅かに持っていて、それが子供のころに感じていた豊かさなんだろうなと思っています。現代の日本語には「その感覚」を指す語彙がないのも、こういう社会や時代に生きているからなのでしょうね。
私も鬱になって、益田先生の動画で勉強して、良くなり色んな本やユウチューブでさらに、色んな事を、調べ仏教思想の自分なんて無い思想に辿りつき凄く生きやすくなりました。今さらに勉強してます。
SNS見てると色々な思いを引き起こされる感じで淡々とやりにくいんですよね。
思考の焦点をスイートスポットに持っていって、それを維持するのが一番いいんだろうなと思います
日々の行動を時間管理という形で計画出来るのが理想ですが、これは難しいんですよね。
ただ生活に徹して生きる。食べて、寝て起きたら生活する。仏教知識や精神世界は生活に根付いてる
「人間」とは「生産」なしに生きることができない存在である。
「社会」とは「生産」活動するさい、重要なツールである。
ほう、なかなか良いですね🙆
@@sola3breeze917 ありがとうございます😊
人間は煩悩を持ちふらふら人生に迷うか弱い存在であると同時に、知恵を結集し科学技術を発展させてゆく無限の力も持つ不可思議な生き物だと思います。日本は東アジアの端っこに位置しており独自の哲学や思想や宗教を持ち、それらが広く社会全体に浸透しています。欧米文化とは違った軸を歴史的に発展させています。人は生まれ育った場所でそれぞれ大きく異っており、いろいろな社会文化体系内で生きていると言えます。
人は社会と全く繋がりは断てないし、だからエンタメ感覚で美とかキャッチーなところから広くアプローチしていくということですね〜、誰にも知られなければ素晴らしい書物もただの紙って思うのでよくわかります。苦痛が深い人は各々さらに堅い勉強をするのは自由ってことで私がお門違いでしたし、マスメロして下さる意味もわかりました🐰クリニックのお誕生日回いい雰囲気でした☺️おめでとうございます🎂
益田先生、こんばんは。
私は、「人間」というものは、幾つもの、種類の分け方が、可能なのだと思っています。
例えば、「人間」を、「良い人」と、「悪い人」とに、分ける事も可能だと思います。
そして、私は、更に、この「人間」は、「良い人」だけど、「怠け者」だとか、逆に、この「人間」は、「悪い人」だけど、「働き者」だとか、というように、「良い人」が、他の、幾つもの「特徴」も、併せ持つことが、可能だと思っています。
私は、その、幾つもの「特徴」を、複雑に、併せ持った、歪な「人間」たちで、形成されたコミュニティーが「社会」だと思っています。
その理由で、「社会」は、とても、複雑で、多様で、問題があるものに、仕上がっているのではないかと思います。
よろしくお願いします。
宿題については、難しいですよ😅
でも、ただ言える事と言えば社会は資本主義社会が多く、精神疾患の人達にとっては生きづらい世の中なのかなって感じますし、人とは努力して上に上り詰めた人もいれば、他の人を踏み台または貶して出世していくものだと思っています😢
なんか、世知辛い世の中です😢
起こる出来事に臨場感持ちすぎてたかもなぁと思っています。深く捉えすぎというか…そこまで解釈広げずに、起こった事実を見て、何をやるべきか把握し淡々と対処してたら生きるのが楽だったかも😂 事実見るの忘れちゃって感情ばかりが先行するから、ネガティブな解釈をしがちなんですよね。これも脳の癖だとは思うのですが。
漠然と自分は変わらないものという思い込みがあります。でも5年前の自分と今の自分では、社会経験や学びを通して世界の見え方がとても変わったと思います。なので少しずつ無常無我を理解できるようにしたいと思います。
宿題
人とは前頭葉が発達した動物。言語を駆使する。群れの動物。
【宿題】人間とは自然の中のほんの一部 社会とは多くの人にとって営みやすい集団のこと?
【感想】
周利槃特(しゅりはんどく)のお話、心が軽くなりました。社会不適合で、尖った才能もないです私ですが、淡々とできることをする…究極 それしかないですものね(正直な気持ちを言うと、私もこの競争社会で勝ってみたかった。 負けることしかなかったから周利槃特(しゅりはんどく)の存在に心が救われてしまう…そんな自分も正直情けないと感じてしまっています)
淡々とやる事を邪魔する人がいるから難しいよね。こういう時に人が煩わしいと感じる。一人で何も出来ない人なんだろうか?
宿題とは少しズレてるかもしれないけど、自分の実体験を話すと高校生のときにあんなに好きだった女性がいて、振られて何年も引きずってたのに、数年経った今の自分はその人を全く好きではなくて新しい好きな女性を想ってるのがまさに無常無我なのかなと改めて思いました。でも当時も今もこの女性に振られたら他に好きな人はできないと考えてるのは昔も今も一緒だと思いました😅
宿題:人間=この得体の知れない大宇宙の小さな地球で、生きる生物の1種
社会=その集団で生存を確保する習性のある生物(人間)が自分たちに都合の良いよう構成した集団
(ごく単純でちょっとシニカルに聞こえてすみません。)
おやすみなさい。
宿題、難しいです。
人間とは、自分のが経験してきたことをベースに物事を考えたり決めたりしている。だから同じ話を聞いても、感じることや響くところがそれぞれ違ってくる。
自分と同じような価値観や考え方の人と群れたがる。だけど、近づきすぎると細かい価値観の違いや嫉妬などが起こり、問題が起きやすい。
社会とは、マジョリティの人たちが過ごしやすいように作られがち。マイノリティの人たちは、声をあげりやことさえ難しい。
文化は言語によって作られるというのは、なんとなく分かります。まわりに合わせて、その中で自分がどうしたら一番過ごしやすいかを考えて物事を決めるので、自由意思はない、ということなのでしょうか。最適解を決めさせられてるというか。なんか、悲しいですね。思わされてるってことですよね。
すごく難しくて、頭こんがらがってきました🙀💦
ふと、何度かお会いしたことのある、べてるの家の川村先生を思い出しました。雰囲気がちょっと似てるのかな…
咳を診ていただいている動画も拝見しました。やっぱりお医者さんも診てもらうときは患者さんなんですね。
私は暑くなると咳が出るので、服装をマメに調整してます。面倒なんですけどアレルギー科では「なんでもない」と言われちゃったので、自分でコントロールしています😅
薬が効きますように。お大事にしてください🍀
掃除のアルバイトをしているとき、周梨槃特について知りました。周梨槃特を愛し尊敬する人や社会では病気があってもこじれにくいだろうな
「それって科学なの?」とか言ってくる人って医学系じゃなくても居るんですよ…!(言われたことある)
社会学系でいったら実践科学系にあたるかと思いますが(あれは大学でやることなのか?!とか教養乏しい人に言われたりする…)、
益田先生がされてるのはまさしく臨床というか、
逆に、医学系だと臨床があるので、むしろ臨床のない医学なんて意味ないというか、中心なのでしょうから、よい(認知された価値が存在する)なと思います。
「社会(時代)は、変わっても人の営みは変わらない」
を思い出す動画でした。
人の悩みも苦しみも悲しみも、時代を越えて国を越えて共通するものだと思います。
私がもろもろの疾患で苦しんでいた時、その有り様は
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のカンダタの世界観も思い出します。
地獄は、この世にあるのだと私は思っています。
「生まれてきて良かった」と思うことはこれまでなかったのだけど、益田先生と同じ時代に生まれて良かったとは思えます。
【宿題】
まず、両方に共通するものは変化し続ける存在であるということ。
その上で私は人間とは変化や成長を受け入れる存在であると思います。また、誰も完璧な人はいない。互いの弱さや強さを受け入れ支え合いながら生きていくものだと感じます。
次に、社会とは変化と適応であると感じます。
その変化を助け合いの中で支える場だと考えます。
私は今、成長することは儚く美しいものであると感じています。前まで興味なかったのに。感動です。
これはきっと無常無我に近づいていると思いたいです。
また、周梨槃特素晴らしいです。
人間とは何か、社会とは何か難しいですね。社会とは何か、僕には馴染めないものとしか答えが出ません。自分の生き方やり方が決まっていますので他人と合わせるということが出来ないですね。逆に「こっちに合わせてくれよ」となりますので、社会に出て仕事をしても人間関係でトラブルが多いと感じました。
無常無我っていうのは別の側面から見れば、私は死なないし私は永遠不滅ってことなんだけどね
私はずっと初心者として5年くらい掃除ばかりしてきた。だから全くスキルは育たないし、それを必要としてくれる人がいるが仕方ないと思っていた。
周りは申し訳なさそうにしたり、それは良くないとか言う人はいるけど、よくわからない😅
それで、食っていけるならそれでも別に良いのでは?と思ってしまう。
「倫理のキホンが2時間で全部頭に入る」という本を、散歩しながら聞き流していたとき、
フロイトが提唱する無意識の重要性について知りました。
無意識の存在がどれほど大きいかを考えているうちに、
心が台風の目のようなイメージで捉えられるようになってきました。
嵐を避けるためには、その中心と共に移動しなければならず、
嵐の中に手を突っ込んでも思い通りにすることはできません。
けれども、目には見えない高気圧や低気圧、前線の関係が理解できると、
進路をある程度予測できるようになるのです。
周りを見渡してみると、
熱帯低気圧の状態に甘んじている人や、
自分の嵐がいかに強大であるかを見せびらかそうとしている人がいます。
でも、どんな嵐もいずれは消えてなくなるものだと考え、
そんなことを思いながら少し微笑んでしまうのです。
動画ありがとうございますいつも拝見しています。
03:13 よく仰る「無常無我」についてですがこれ自体は現実認識としては確かに理解できます。
しかしながらこの「無常無我」そのものが美しいという価値観を訴えることはとても危険ではないでしょうか。
なぜならそれは移ろいゆく(無常な)現実に対して無批判にただただ追従したりずるずるべったりになり、
結果的にニヒリズムと言われるような非常に刹那的な生き方や態度(今さえよければ良い等)に結びつく可能性があります。
これではどう頑張ったところで一瞬一瞬の快楽と引き換えに慢性的な虚しさを抱えを続けることになる。
人間 生物学的な「ヒト」
社会「ヒト」が生きやすいように最適化された仕組み。風土や時代に応じて変化する。
シュリハンドクの生き方から見ると悟りってノーベル賞みたいな優れた者に贈られる名誉ではなく実力の100%を発揮した者への栄誉なのかなと思います。 余談ですが親を憎むのを止める方法という書籍がほしいので重版したら買います。
個々の能力の有無に囚われないで生活をすることの難しさを知ることが出来ました。
これは精神医学とかけ離れていたことですが、精神を守る為に必要な学びだとも思います。
能力発揮と、精神医学は繋がっているようで、全くの別物だと感じてしまいました。
自分の価値観を無視してエビデンスを優先する生き方は違うなとは思う
人間は、概念で生きていると思う。これなくしては生きていけないと思う。無常無我も一つの概念。私はこれ、好きだけど。
向き不向きがあって、孤独感で寂しくならない人が向いていそうですね
にほんじんを1くくりにはできないですよ
生まれついての プロテスタントも言う人もいる
仏教とはまったく縁が無い
無常無我なんてわけわからない
感覚が通じない
違う文化圏の人だ
神に愛を捧げることで全てがすくわれる
神にまかせておいて
気楽に楽しくいきる死後は天国へ
人間 属する社会によって形作られるもの
社会 文化と歴史の上に存在する機関
平家物語の序文を思いました 今は学校で学ばないのでしょう?暗記してクラス全員で声を出して学びました🙆昭和の子供です🍀
掃き掃除だけやっていて周りからはお前は楽でいいよな…とか言われたりしただろうな…
人間とは自然科学的な生物の概念(肉体)に人文学的な概念(社会)をインストールしたもので
生物は食物連鎖などによって原子が絶えず移動し、社会は経済活動などによって物やお金が絶えず移動する
肉体は自然科学的には大きな宇宙の一部であり、感情や経済活動も大きな社会の一部でしかない
そう言うのが無常無我って事なんだろうって思ってる
日本人として、諦観も曖昧さも、和の文化は確かにしっくりきますし、いいと思いますが、なにか大きな波に飲まれる感じが嫌です。
ワタシは、欧米の文化や生活や考え方に惹かれますが、それは、現実逃避です。差別への戦いや、生き方の多様化が日本より進んでいる人々に憧れています。どこにいても、大多数の仲間にはなれないので、架空の西洋を心に持ってます。イマジナリーワールドでしょうか。さびし〜。(でも仕方ない、とは思っております)
自分は話に出て来た人を掃き掃除以外の事も出来るようにチャレンジや勉強させてあげたほうが良かったと思います
料理の材料を切ってもらったり茶碗洗いをしてもらったり別の事もさせた方が人生がまだまともだと思ってます(掃き掃除だけでは可哀想です)
ベッドメイキングや洗濯物をたたむでもいいです 花を摘んで集めてくるでもいいです
ほんとは彼の出来ることを他にも探す事も同じ寺にいる周りの人の優しさだったんじゃないかと思ってます
精神疾患や認知症の患者さんたちも彩りのある人生の中で治療していった方が、
療養中はつらいだけ、と思わなくなると思います😶
病気の中でもひとときの幸せがあるという事が治療にもつながると思います
仏教でも日本の前のインドなのでまた風習が違うかもしれないが、インド人は川で沐浴したり断食したりひたすら逆立ちをして悟りをもとめるような人たちもいてたまにテレビにでる
あと仏教以前のインドはカースト制度もあるので、特定の動作を続ける人がいる。掃除しかできないのか他の能力もあるのか分からないが、古代インドではカースト制度もあり特定の動作を続けることが奨励された
(コピー取りをひたすらやっているがその幸せとはなんだろうか?みたいに)当時は身分社会であるから自由に職業も選べない
日本と欧米であるが、欧米はキリスト教で石像建築で棺おけを作って土葬。古代ローマの遺跡が溶け込んでいるまちもある
日本は木造建築で土葬。死んだら灰になるという文化。建物もいつかは朽ち果てはかない。永遠には続かないイメージ
宗教に関しては仏教神道入り交じってキリスト教も受け入れたりする。
原理主義ぽくはならない。
明治や昭和の戦争時期は原理主義ぽくなるけど、戦後においては宗教的には寛容で正月もクリスマスも深い信仰心なく祝ったりする
日本人は死んだら灰になるが、家族制度みたいなのは大事にしてきた。葬式仏教といわれるが先祖の供養は大事である(それも近年崩れつつある)
伊勢神宮も20年毎に遷宮をする。なので永遠ではないはかない文化が日本にあるのではないか?
最近Xで「自己肯定感は低いけどプライドは高い女はダメ」のような投稿をよく見て、まさに自分のことだと思います。
こういう矛盾ってどうしたらいいんですかね。
あと、こういうタイプは一体何から始めるべきですかね😢
自己啓発の「今の自分を変えていく方法」とか、今の自分を否定されるんならそういうのいらない。
いつも配信ありがとうございます。
宿題📔
「無情無我」の中で、私はこの世のいのちが終わっても、何もなくなるとは思ってないです。それなら、葬儀や法事をする意味がない。この世のいのちが亡くなっても、他界していると思ってます。なので、両親も他界してますが、どうしたらいい?と写真に話しかけます。子どもは笑いますが、夢に現れます。誰かと話していて、その答えをくれます。それが両親ではなかったとしても、誰かが助けてくれていると感謝してます。
益田DrのUA-camは、10年後には残ってるのではないかと思ってます。少しお疲れ気味と他の動画でお話しされてましたので、本日もゆっくりお休み下さいませ🍀ありがとうございました。