Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
『直江状』のことはざっくりとしか知らなかったので、詳しく知れて嬉しいです❣ありがとうございます❣
造詣が深い。😊小和田先生と真逆の考え!武士道さんスゲー、私は武士道さんに一票。
会津征伐や関ケ原の戦いにおいて直江兼続や石田三成が西軍の首謀者とされたのは、本来の首謀者である上杉家や毛利家にとっても後の主家である徳川に歯向かったという汚名を転嫁できて都合が良かったからと考えるとものすごく納得できます。
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます😊
直江状って言えば、あの良い声の朗読を思い出すなあ❤ユーチューブで何回も聴きました。今回の解説だけは通説通りであってほしいです。
ライブ直行!通知来た😁
やっぱり妻夫木さんの直江兼続が😍👍かっこいい
いつも詳しく🎉ありがとうございます🎉
上杉家内部でさえも後年、「すでに断絶してる直江家のせいにしよう!」という流れがあったのかもしれないのですね。それを現代人がヒロイックに「兼続かっけぇー!」と美化して受け取りたい人たちがいると。ドラマだとたとえ家康が主人公で兼続は脇役の一人に過ぎないとしてもそう描いたほうが見栄えがするんですよね・・・
細川俊之さんが万端その様に仕ろう、森繁久弥さんが万千代〜三条小鍛冶、三船敏郎さんが北に狼煙が上がったか。この流れが絵になる。
解説、ありがとうございました。まあ直江状がガチだとしたら、何故毛利の安国寺恵瓊は処刑されたのに、景勝を惑わせたと理由をつけ家康へあからさまに楯突いた兼続が処刑されなかったのか疑問がありますよね。結局、「敵に塩を送る」のエピソード同様に謙信からの「上杉=義に篤い」のイメージからの創作っぽいところもありますね。更に言わせて頂ければ、「徳川主観」と言われますが幕末から明治期にかけて徳川が悪くされていた時期があった訳で。徳川に抗わった三成・吉継・兼続・そして真田信繁が過剰に祀り上げられたと観てもよいと思います。
なかなか興味深くて、面白い考察ですね。まさか会津では、兼続が奸臣として記されていたとは!歴史は本当に研究し続けると、色々と新しいものが分かって来て、面白いですね!
真田丸のアフレコ付き直江状は面白かったな笑我らが戦道具を集めているとのことなれど、上方武士が茶器などをお集めになるように、我ら田舎武士は鉄砲や弓矢を集めるだけ。そのようなことにこだわるのは天下を預かる御方らしからぬ御了見。逆心はないと申し上げたにも関わらず、逆臣無ければ上洛出来るはずだとは…フンッ!(鼻で笑う)赤子の理屈でまったく話にもなり申さぬ。家康様に御分別がついた頃には、上洛出来ると存ずる!どこぞの誰かのように、太閤殿下の御遺言に背き、起請文も破り、秀頼公をないがしろにしたりは致しませぬ。さようなことをして天下をとっても悪人と呼ばれるのは必定!末代までの恥と相成りますゆえ!
であるなら、直江状があってもなくても開戦。武力に於いても、伊達や最上に普通に苦戦してるのに秀康軍と戦っても必敗してると思います。しかも、兼続のせいにする上杉家臣って恥以外には、無い。その後、領土が削減されたのに鷹山公が改革するまで華美な生活。武力や何にしてもに於いても上杉家は謙信までだと思っている。
堀尾、生駒、中村は「中老」の三人だと聞いたことがありますが、「中老」の制度が当時あったか、なかったかの論議があるようですが、仮にあったとすれば、特に疑問はないようにも感じますが。
「直江状」があったとされる慶長5年の時点で、家康は正二位内大臣で関八州255万石のうえ清華家の家格、一方の兼継は従五位下山城守で米沢6万石。兼続も大名のいち家臣としては最高レベルの出世ですが、家康と比べると天と地ほどの差がある。少なくとも公式の外交の場では礼儀や面子を重んじる武家社会で、遥か格上の家康にそんな無礼な書状を出すなんてありえないですね。百歩譲って大大名である景勝自身が送るのならまだしも。
糸くず、全く気にならないので、是非買いたいです!11月に台北に行くので、まずは店舗で試したいです❤
直江兼続は凄い教養人だから巷間流布している不躾な手紙は書かないでしょうね、最も古い写し本が真実に近いのかと。
うぽつです!全部茶々殿のせいにすれば丸く治まる気がします……
それで治まったのでは三成こそが困りますよ‥家康が大坂城を留守にしてもらわなければならないのですからね。
景勝にとっては「堀直政か秀治かわからんけど誰が謀反の疑いありとか言ってるんだ!そいつ突き出さないと出頭せーへんわ!」で家康にとっては「前田利長みたいに圧かけてそれで戦無く終われるのが理想」というすれ違いなのがなんとも ただでさえ上杉は最上・伊達と領土問題無いし爆弾抱えてるし(会津は伊達の旧領&庄内問題がある)
直江状の話は、知ってます、大河ドラマてんじじん観てました。
徳川軍が上杉征伐から小山で反転し、西上した際に、上杉と三成軍で挟み撃ちにしなかった。直江と三成は懇意にしていたというから、上杉が追随しなかったのが不思議だ。
伊達が家康からの書状に踊らされ南下して上杉領をうかがうように軍を進めてきたので追撃することができなかったのです。関ヶ原の戦いが長引き西軍東軍の勝敗がはっきりわからないようであれば伊達と交渉して西軍に味方するように調略もできたのでしょうが‥あまりにもあっさりと決着がついたのでその機会も訪れなかったのです。
直江状を手紙の手本に…「人の怒らせ方講座」みたいなものだったんだろうか…?
ここで直江状とかタイムリーですね!
タイムリーというか大河ドラマに合わせた方が再生数取れるんだからそりゃこのタイミングでしょ
いつも楽しみにしてます。一番乗りゲット
上毛野一族の最古参の一族だった直江家だったけど徳川家からしたら義を重んじて言うことを聞かない問題児的な存在だったから一定の評価をして米沢に移封だと思う。上杉軍団の最強部隊で上田五十騎(上田家)=嵯峨源氏から派生の橘の支流って氏族がいてね没落する前の秀吉(醍醐源氏)の家系とは親戚で上田家に秀吉(醍醐源氏)の家系から嫁をもらって派生したのが真田家で昔の氏族は関係がめんどくさいんだよねww
いにしえの2ちゃんみたいなもんやね。現代訳でみたらめっちゃ正論でへりくだって煽った感あるな。審議不明でも普段から嫌味込めてたのはあるやろね!家康は戦乱終わらせのすごいわ!
細川俊之が万端その様に仕ろう、森繁久弥が万千代、三条小鍛冶、三船敏郎が北に狼煙が上がったか。この流れが絵になる。
戦前。西笑「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」家康「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」直政「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」兼続「おーんw」戦後上杉家中&徳川のみなさん「直江からの手紙利用しちゃおwそれで手打ちにしよーやw」兼続「おーんww」
正に勝者の歴史ですね
直江兼続は樋口家の人間‥ 誇り笑
そう言えば前徳川展で直江状の写し見た事ある笑
何が真実でも直江兼続がカッコいいのも真実です。
そもそもNHKの大河ドラマの選定基準が曖昧だったり史実ではなく通説に逆らうものや不明な部分を物語として創作できる脚本家が作っていると思う。ただ昨今歴史研究が進んで史観が変わり過去作品が否定されてしまう風潮にある気がするけど当時のことを本当に知る術はないから仕方ないのではあとは個人の好みに左右される
ドラマですし創作は大いに結構なんですが、単純に面白くなかったらアレですよね笑あとは当時の倫理観とかつじつまがちゃんと合ってるかとか…ともかく面白ければOKだと思います笑
うちの会社も後世の歴史家には評価されるかもな → 実際、本当に厳しい(障害者であって厳しい私が子持ち家庭を支えるも認められない現実) ← なんか違くね?
私が書かせた
まさに弁明状だけど何度も上洛せいって書状来てて言いがかりの内容が、城作ってるだろ?道路整備なんで?武器集めなんで?そもそもなんで上洛しないの?って事に対して正論論破しちゃったから狸がイラッとしたのは今も昔もきっかけにはなりそうではある
先程送ったコメントはきにしないでください。
もし、直江状が存在か嘘だったら大河ドラマでやった天地人は嘘の物語になってしまう…さすがに偽物ないんじゃないかな😅
真偽はともかく詰問の書に対しての返信はあったと思います。その返書に対しての行動が上杉征伐の理由になったと思います。直江状が存在したとして西笑承兌に対しての書とそれとは挑発を含めた含めないの違いはあったと思います。
2コメ
『直江状』のことはざっくりとしか知らなかったので、詳しく知れて嬉しいです❣
ありがとうございます❣
造詣が深い。😊
小和田先生と真逆の考え!
武士道さんスゲー、私は武士道さんに一票。
会津征伐や関ケ原の戦いにおいて直江兼続や石田三成が西軍の首謀者とされたのは、本来の首謀者である上杉家や毛利家にとっても後の主家である徳川に歯向かったという汚名を転嫁できて都合が良かったからと考えるとものすごく納得できます。
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます😊
直江状って言えば、あの良い声の朗読を思い出すなあ❤ユーチューブで何回も聴きました。今回の解説だけは通説通りであってほしいです。
ライブ直行!通知来た😁
やっぱり妻夫木さんの直江兼続が😍👍かっこいい
いつも詳しく🎉ありがとうございます🎉
上杉家内部でさえも後年、
「すでに断絶してる直江家のせいにしよう!」
という流れがあったのかもしれないのですね。
それを現代人がヒロイックに
「兼続かっけぇー!」
と美化して受け取りたい人たちがいると。
ドラマだとたとえ家康が主人公で
兼続は脇役の一人に過ぎないとしても
そう描いたほうが見栄えがするんですよね・・・
細川俊之さんが万端その様に仕ろう、森繁久弥さんが万千代〜三条小鍛冶、三船敏郎さんが北に狼煙が上がったか。この流れが絵になる。
解説、ありがとうございました。
まあ直江状がガチだとしたら、何故毛利の安国寺恵瓊は処刑されたのに、景勝を惑わせたと理由をつけ家康へあからさまに楯突いた兼続が処刑されなかったのか疑問がありますよね。結局、「敵に塩を送る」のエピソード同様に謙信からの「上杉=義に篤い」のイメージからの創作っぽいところもありますね。
更に言わせて頂ければ、「徳川主観」と言われますが幕末から明治期にかけて徳川が悪くされていた時期があった訳で。徳川に抗わった三成・吉継・兼続・そして真田信繁が過剰に祀り上げられたと観てもよいと思います。
なかなか興味深くて、面白い考察ですね。まさか会津では、兼続が奸臣として記されていたとは!
歴史は本当に研究し続けると、色々と新しいものが分かって来て、面白いですね!
真田丸のアフレコ付き直江状は面白かったな笑
我らが戦道具を集めているとのことなれど、上方武士が茶器などをお集めになるように、我ら田舎武士は鉄砲や弓矢を集めるだけ。
そのようなことにこだわるのは天下を預かる御方らしからぬ御了見。
逆心はないと申し上げたにも関わらず、逆臣無ければ上洛出来るはずだとは…フンッ!(鼻で笑う)
赤子の理屈でまったく話にもなり申さぬ。家康様に御分別がついた頃には、上洛出来ると存ずる!
どこぞの誰かのように、太閤殿下の御遺言に背き、起請文も破り、秀頼公をないがしろにしたりは致しませぬ。さようなことをして天下をとっても悪人と呼ばれるのは必定!
末代までの恥と相成りますゆえ!
であるなら、直江状があってもなくても開戦。武力に於いても、伊達や最上に普通に苦戦してるのに秀康軍と戦っても必敗してると思います。しかも、兼続のせいにする上杉家臣って恥以外には、無い。その後、領土が削減されたのに鷹山公が改革するまで華美な生活。武力や何にしてもに於いても上杉家は謙信までだと思っている。
堀尾、生駒、中村は「中老」の三人だと聞いたことがありますが、「中老」の制度が当時あったか、なかったかの論議があるようですが、仮にあったとすれば、特に疑問はないようにも感じますが。
「直江状」があったとされる慶長5年の時点で、家康は正二位内大臣で関八州255万石のうえ清華家の家格、一方の兼継は従五位下山城守で米沢6万石。兼続も大名のいち家臣としては最高レベルの出世ですが、家康と比べると天と地ほどの差がある。少なくとも公式の外交の場では礼儀や面子を重んじる武家社会で、遥か格上の家康にそんな無礼な書状を出すなんてありえないですね。百歩譲って大大名である景勝自身が送るのならまだしも。
糸くず、全く気にならないので、是非買いたいです!11月に台北に行くので、まずは店舗で試したいです❤
直江兼続は凄い教養人だから巷間流布している不躾な手紙は書かないでしょうね、最も古い写し本が真実に近いのかと。
うぽつです!全部茶々殿のせいにすれば丸く治まる気がします……
それで治まったのでは三成こそが困りますよ‥
家康が大坂城を留守にしてもらわなければならないのですからね。
景勝にとっては「堀直政か秀治かわからんけど誰が謀反の疑いありとか言ってるんだ!そいつ突き出さないと出頭せーへんわ!」で家康にとっては「前田利長みたいに圧かけてそれで戦無く終われるのが理想」というすれ違いなのがなんとも ただでさえ上杉は最上・伊達と領土問題無いし爆弾抱えてるし(会津は伊達の旧領&庄内問題がある)
直江状の話は、知ってます、大河ドラマてんじじん観てました。
徳川軍が上杉征伐から小山で反転し、
西上した際に、上杉と三成軍で挟み撃ちに
しなかった。
直江と三成は懇意にしていたというから、
上杉が追随しなかったのが不思議だ。
伊達が家康からの書状に踊らされ南下して上杉領をうかがうように軍を進めてきたので追撃することができなかったのです。
関ヶ原の戦いが長引き西軍東軍の勝敗がはっきりわからないようであれば伊達と交渉して西軍に味方するように調略もできたのでしょうが‥
あまりにもあっさりと決着がついたのでその機会も訪れなかったのです。
直江状を手紙の手本に…「人の怒らせ方講座」みたいなものだったんだろうか…?
ここで直江状とかタイムリーですね!
タイムリーというか大河ドラマに合わせた方が再生数取れるんだからそりゃこのタイミングでしょ
いつも楽しみにしてます。一番乗りゲット
上毛野一族の最古参の一族だった直江家だったけど徳川家からしたら
義を重んじて言うことを聞かない問題児的な存在だったから一定の評価を
して米沢に移封だと思う。上杉軍団の最強部隊で上田五十騎(上田家)=嵯峨源氏から派生の橘の支流
って氏族がいてね没落する前の秀吉(醍醐源氏)の家系とは親戚で上田家に秀吉(醍醐源氏)の家系から嫁をもらって
派生したのが真田家で昔の氏族は関係がめんどくさいんだよねww
いにしえの2ちゃんみたいなもんやね。現代訳でみたらめっちゃ正論でへりくだって煽った感あるな。審議不明でも普段から嫌味込めてたのはあるやろね!家康は戦乱終わらせのすごいわ!
細川俊之が万端その様に仕ろう、森繁久弥が万千代、三条小鍛冶、三船敏郎が北に狼煙が上がったか。この流れが絵になる。
戦前。
西笑「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」
家康「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」
直政「あっ直江から手紙来た…利用しちゃおw」
兼続「おーんw」
戦後
上杉家中&徳川のみなさん「直江からの手紙利用しちゃおwそれで手打ちにしよーやw」
兼続「おーんww」
正に勝者の歴史ですね
直江兼続は樋口家の人間‥ 誇り笑
そう言えば前徳川展で直江状の写し見た事ある笑
何が真実でも直江兼続がカッコいいのも真実です。
そもそもNHKの大河ドラマの選定基準が曖昧だったり史実ではなく通説に逆らうものや不明な部分を物語として創作できる脚本家が作っていると思う。ただ昨今歴史研究が進んで史観が変わり過去作品が否定されてしまう風潮にある気がするけど当時のことを本当に知る術はないから仕方ないのでは
あとは個人の好みに左右される
ドラマですし創作は大いに結構なんですが、
単純に面白くなかったらアレですよね笑
あとは当時の倫理観とかつじつまがちゃんと合ってるかとか…
ともかく面白ければOKだと思います笑
うちの会社も後世の歴史家には評価されるかもな → 実際、本当に厳しい(障害者であって厳しい私が子持ち家庭を支えるも認められない現実) ← なんか違くね?
私が書かせた
まさに弁明状だけど何度も上洛せいって書状来てて言いがかりの内容が、城作ってるだろ?道路整備なんで?武器集めなんで?そもそもなんで上洛しないの?って事に対して正論論破しちゃったから狸がイラッとしたのは今も昔もきっかけにはなりそうではある
先程送ったコメントはきにしないでください。
もし、直江状が存在か嘘だったら大河ドラマでやった天地人は嘘の物語になってしまう…さすがに偽物ないんじゃないかな😅
真偽はともかく詰問の書に対しての返信はあったと思います。
その返書に対しての行動が上杉征伐の理由になったと思います。
直江状が存在したとして西笑承兌に対しての書とそれとは挑発を含めた含めないの違いはあったと思います。
2コメ