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漢字で「文字」というものは「漢字」のことですね。中国語の文献には、倭人は「漢字」を持たず縄(キープ)などで記録していた、という意味のことが書いてある。つまり、話し言葉だけでなく記録するという概念はあった、と記録されているわけですね。
最後でみんな仲良くなって良かった。
相変わらず内容も構成もおもしろい
縄文土器に描かれる模様が文字に相当するという説があり、パターンを解析をしている研究者もいますね。
資料の引用も丁寧だし、お互いの言い分をそれぞれ紹介しそれを踏まえた上で擦り合わせていて、それでいてキャラクターの会話は親しみが持ちやすくとても面白くて素晴らしいです!👏参考になります
思ったより、ちゃんと調べてあってビックリwww24:15からだけでも観てほしい
バラバラすぎて不便だから漢字に統一したのかな
独自の文字があったかどうかはわからんが、縄文時代には既に大陸と交易をしており、漢字の存在は当然知っていたと考えるほうが自然。文字が無くてあれだけ高度な文明を築けるはずがない。ある事を前提に例えば発掘された土器とかを再度目を凝らして確認したら意外と簡単に発見されるかも。
少なくとも飛鳥時代の後になるまで「ん」の発音が無かったのに入っちゃってるのが致命的なんだよなあ…。それはともかく文字がなくても図や絵でコミュニケーションは取れるよね。でもそれらは文字とはみなされない。世界中の古代の遺物には文字のようだけど厳密には文字ではないものも多いのだ。興味のある人はProto-Writing(原文字)で調べてみよう。
ちなみに数ある神代文字の中でも北海道異体文字はホンモノであると考えてます。縄文人の遺伝子を色濃く受け継いだ交易の民であるアイヌは縄の結び目や木に刻みを入れることで商売の勘定をしていたようですが一部のグループは文字のようなものを使ってたとしてもおかしくないと思うので。
神代文字が確認できるのは文章で、50音に対応しているのは神代文字を分析した結果で、「あいうえお、かきくけこ・・・」と残っている訳ではない。日本のアチコチに古代文字があるのは事実。持統が書物を集めて焼かなければもっともっと神代文字の書物があったと考える。
神代文字が漢字のプロトタイプだったりしてw
神代文字が彫られた土器や土偶が出てきたらうれしいんだがまだないねw
銅鏡や銅鐸にはこの動画で紹介されているような文字が書かれています。
縄文尺や交易に関しては紐の結び方で情報を伝えてたという従来の説で説明出来そう。文字が無かったとされてる他の古代文明もかなり高度な事をやってるから、文字が無くても発展できたのか、実は文字があったのか、どちらにしても面白いな。
ハングルはモンゴルのパスパ文字が原型だよ。縄文時代文字縄文土器画像でみたら、文字っぽいものが有るんだよね。あくまでみたいだけど夢は広がる。
自分は結縄・キープ・縄文字が発展させた状態が日本にはあったのではないかという説が気になってます木や石や紙にかくのではなく縄の結び目で文字を表すってやつです縄文人がなぜ縄目模様を土器につけてたのか芸術性や機能性からというのが一般的ですがもしかして縄で作った文字を土器を作る工程の粘土に押し当てて印刷のようなことをしようとしたのが始まりなんじゃないかという妄想ですまったく根拠とかないですけどどちらにせよ1万年以上続いた文明が何も言葉をのこそうと思わなかったとは自分は思いませんね(´・ω・`)
神代文字やペトログラフも見つかってるけど深堀しないの何故何故?
しゃべり言葉に対応した文字は無かったと思う数も縄を結んだ数を記録していたらしいから設計的な事はクリア出来そうとはいえ簡易的な印的なものから派生した記号が全く無かったとはちょっと想像できない
あったと思った方が夢やロマンがあるねぇ(*˘︶˘*).。.:*♡あってもなくても、何かしら答えが出るまであったと信じとこう(^-^)
笑いの沸点が低いので神代文字の専門家の方が登場したところで涙が…😂
ヤバそうな専門家ですよね。
そもそも言霊とか古代からある神道に通じるものだし、和歌とか五七五で韻を踏んで歌を詠む文化があったり、同音異義語を使って、ふたつの意味を持たせたり、そういう文化が漢字と共に突然できたというのもなあ。やっぱり何らかあったとするのが自然だよ。
24:15 金錯銘鉄剣に書いてあるのは漢字でしょ 今でも使われてる漢字すら混ざってるこれを神代文字の流れで出すのは悪意あるミスリードでは?
縄文時代には、黒曜石で代表されるような様々な特産物に対して部落間の交易が存在したといことは明らかなので、その際に言語が全く同じとも考えにくく文字様の共通認識の「記号のようなもの」は存在していて当然だと思います。大陸文化の「漢字」を見て、言語をそのまま「音(おん)」で代替え表現することを思いつき文字の元として「漢字」を利用することになったのではないかと考えます。同類の言語を使用する社会が大きくならなければ、その言語を音で表示する「文字」の存在理由はなく、同類言語を持った社会が大きくなって必然的に表音の「文字」が求められ生成されたのではないかと思います。
私も同意見です。三内丸山遺跡は出土物から広範囲の地域と交易していたのは明らかですが、舟で来る人たちは、あの有名な太柱の建築物を目印にしていたに違いないのです。また来る前には地面に横3縦4の線を引いて、これが三内丸山遺跡だと。これは文字といってもいいような気がします。
50音図に基いているものはまずアウト。数が有って調べられるものを見れば万葉仮名からひらがな・カタカナの表音システムが抽出され、漢字仮名交じりという表音文字と表意文字が混在する日本独自の文字文化が生まれたとみて良いかと。ただそれ以前に文字が無かったかというと動画にもあったとおり所有・交換・貸借のような関係は記録が無ければ困るはず(とは背理法ですが)、とすれば1.埋蔵物として残り難い媒体を使っていた、2.言霊は神の領域にあり、それ故嘘をつくひとがいなかった。日本人としては2番の説も捨てがたいところではある。
全く同感
気持ちはわからんではないが、じゃあ最初の50音はどうしてうまれた?という話なんだが
@@アバ-w3h 様五十音表は契沖という国学者が悉曇学に基いて日本語の音節構造を示そうとしたもので、実際にある濁音・拗音などは省いています。音素自体が昔から継承されているならそこは同じ形に整理できて当然かと思います。
😊😊😊 😊😊😊😊😊😊😊😊 😊😊 😊 😊😊😊😊😊😊😊
😊😊😊😊😊
支配王朝が変わっただけならば文字の継承はあったと思いますが、離れた土地で別々の王朝が存在してそれぞれの文字ができたのだとしたらそれとは別の王朝が新しく生まれてその王朝ではまだ文字はなくということであったり、「うちで作った文字はないよ(過去によその王朝が作った文字ならあるけどね)」という話だったのかもしれないですねとはいえ、実際に文字があったのならば今後の発掘や過去の発掘品の見直しで発見されると今まで解明されていなかったことが解明されていくかもしれないので、それはそれで楽しみですね逆に過去に文字がなかったのだとしたら、文字なしでどうやってやり取りしていたのか気になりますねその工夫が例えばボイジャーなどのような未来や遥か遠方に人類がいた痕跡を残す際に使えるかもしれないので、それもまた解明できたらいいですよねまぁ、単純に、王朝や集落によって文字があったりなかったりしたのでは?という気もしますが
漢字の大元となった甲骨文字 倭人が使っていた と中国の記録にある 倭人と言う定義が難しいが さてどうでしょう
現在高1の、中学歴史の教科書にワカタケルの剣が載ってました。現在高3の、小学校低学年国語の教科書には、漢字を中国から教わったと載ってました。こどもがややこしいと思わずにワクワクとした気持ちで変化に向き合ってくれると嬉しいとおもっております😊
集落内で通用する数や簡単な一般名詞を表す記号はあったと思うが文章を作れる程の文字があったかは疑問ある程度広範囲に共有・使用されてないと情報の伝達、保存の手段たる文字とは言えないと思うし、そうであればもっと遺物が残っているはずだ仮にある神社の神官だけが使う文字があったとしても、その神社内の記号に過ぎず文字とは言えない三内丸山遺跡程度なら図面と数字だけで作れるだろう
歴史って権力者が作りますからね。本当の歴史が知りたい
「殷の甲骨文字の元祖かもしれない」という説に一理あるのは、殷は商王朝の後期の名称だが、甲骨文字は殷の時代に(発展過程なく)突然登場した。殷は鬼方や人方などの周辺種族を征伐して殷の方国としたので、周辺国の持っていた文字を便利そうなので使い始めたとみられる。
文字の起源は個数表記や呪術的な記号が元なんだから、古墳や古代遺物に記号があれば「文字」と言えるんじゃない?
解らんけど今も日本食や日本の文化を欧米人に誉められるの大好きな人達は一定数いるしマスコミが実際の評価以上に報道すると喜んで信じる、そういった「うちの国は大国にも引けを取らないぜ」みたいな島国根性は昔からあった様な気がする
日本だけでなく、何処の国の人も、自分の国の何かを褒められればうれしいでしょうだから、コンテストやオリンピックをするのだと思いますズルやねつ造までして褒められたいのは、恥ずかしいと思いますが…
神代を「じんだい」と音読みで読むのは、日本初の文字が漢字という説を後押しする様な気がして嫌悪感がある。「かみよ」と大和よみすべき。
かみよふみ
日本語が五十音になったのはごく最近(米国戦敗戦後)でそれまで仮名の異字体、異音はたくさんあった。それが五十音で対応しているなら眉唾物だ。
まあ50音図に当てはまる時点で、ほとんどの自称神代文字は偽物だろうね。古代の発音はかなり解明されてるから。一方、倭国には文字がなかった、だが倭国とはどこだったか?説と組み合わせると、現代日本の地理で倭国以外の場所もあっただろうし、極めつけはやはり古事記の冒頭部分かなと。稗田阿礼は一体「何を音読した」のかってのが、何かしらの文字はあったと考えるべきところ
コメント欄にもあるけどペトログリフの文字の年代や(これは海洋民族がほった?)確かに土器には彫られてないの(暮らしてる人は別なの?)日高み国このことなぞが多すぎて頭のなかぐちゃぐちゃ世界中の神話と似てる神話 五十いすず のシュメールと同じ時系列ももっと知りたいことばかり
なかなか素敵な話で僕もうれしく感じますが古さとか起源とか後から言い出すとあの国みたいになっちゃうので文字は無かった事でいいですwwそんなもん無くとも僕が育った日本は誇らしい国です
先に根拠もなく起源だと言い張ればあの国みたいで情けないですけど、先に根拠があってその根拠から導き出された結果に起源になればいいのじゃないですか?
象形文字はあったはず。中国は漢字=文字と言う感覚だから
神代文字の多さには驚く。一人や二人が作ったのではないのは明らか。文字の多さについての言及がない。なぜ?
文字にあたる尺貫を示す記号もなく口伝だけで、青森のやつとか、あんなでかい建造物を造ったり、集落の運営ができるものなのかね。しかも縄文時代は寿命が短かったと言うし。なんかあるだろって思うけどね。
日本語ってひらがなカタカナ漢字に漢字の音読み訓読みと‥基本‥言葉と耳の伝達で即効性的に考えたら日本言語は即効性無い‥ってのは平和だったんだろう‥縄文的な人々は何となく‥北海道と沖縄的な‥ガラパゴス言われやすい日本だが‥人種分類的にガチで特殊なんやろね
それなら書物残しといてほしかった…
縄を結ぶなり何なりで情報を伝える習慣があったのなら、いざ縄が無い時に間に合わせでそこらの岩に似たような形を刻んでおくという行為は自然と発生すると思うんだがどうだろう?
新聞勧誘員も記号使ってるもんね、、。
日本の村落の田舎に行けば往くほど因習村じゃないけどよくわからない独自の文化や秘密が残ってたりするので口語伝承や他社にはわからない図形暗号で権力者に知識の独占があっただろうことは想像に難くない。なので文章として誰にでもわかるようには残さないので必要な知識は文字文章じゃなくて魔法陣みたいな図形一文字で口伝と照らし合わさないとわからない存在だったのかなぁと。江戸以降に古代文字が増えたのは識字率が増えて過去の人も暗号図みたいなのじゃなくて読めば誰でもわかる文章があったはず。それは文字でなければ残せないだろうという考えから来たんじゃないかなと。実際、古代集落単位で一族専業なら一族だけ解ればいいので文章化する必要ないので文字は不要になる。
おもろいやんけワレw
カタカムナは字それ自体のデザインの是非は置いとくとして、なんでよりにもよって渦巻き状に書いていくなんて尖りまくったシステムにしたんだろうね・・・
まあ原日本民族はアルタイの地で韓民族と一旦別れ、南方経由に日本にやってきた(韓民族は北経由)ので、中国平原の南方には恐らくいたと思われる。だから長江や広東・厦門あたりも経由して台湾にわたって日本を目指したんじゃないだろうか。ただ台湾で対馬海流を渡れず、一部以外は沖縄に到達できずに対馬・済州や朝鮮半島にたどり着いたのだろう。だから、中国平原にいたときに神代文字に出会っていたというのは割とあるかもしれない(ついでに言うと稲作も拾ってきたのだろう)。これが縄文時代の中期ぐらいまでに起こったのではないだろうか。また、日本にアルタイ系民族の中で女系の概念があるのは、台湾やその時九州にいたポリネシア系の民族の混血の影響と考えられる。そして沖縄経由の原日本民族はポリネシア・アイヌと混血し、対馬経由ではポリネシアのみとの混血だったのかもしれない。
古代出雲神社の設計図が見つかれば全て解決するのにねまあ見つからないでしょうが
古代日本にも文字はありました。学校の歴史の時間に教えている事は嘘です。
まあ。神代文字は江戸時代に暇な国学者が作ったものですからね?上古日本語はそもそも母音が、7つありますからね。メチャクチャ最近出来たのですね。
ずっとおもててんけど縄文時代の土器にも文字に見えるのいっぱいあるんよな言語化法則のまだ見つからない記号というレベルなら世界では数万年前から発見されているし縄文の渦巻きが記号で意味を持っていたらもう言語やん
太古の文字は岩を彫った物しか残ってないからね もっといろんなことを知りたいな
古代の音韻論が正しいとして、それと矛盾する時点で、完全にアウトなのでは?
有名なトンデモと偽書ですね。言葉が通じない相手との交易は、商品をお互いに並べる沈黙交易だったろうね。
かいけつゾロリの宇宙語は多分ヲシテ文字を参考にしてる
阿比留草文字は梵字にそっくりじゃない?
ずんだミステリー最高
古代に使われてた文字なら宮内庁とかならわかるんじゃないんですかね?伊勢神宮に奉納されてた文があるなら神社庁とか…。
そんなに日本の歴史に夢見ちゃ駄目だよ。
しかし、「変な権力を持った学者たち」が、変な権力 を行使するんだよなあ・・・邪魔だなあ・・・(あと宮内庁とやら)。
文字がないのに判子がいるか?もらうか?
神代文字!HUNTER✕HUNTER の文字形態と同じだ!Σ(゚Д゚)(笑)
江戸時代300年あったからたくさん見つかったという考え方じゃダメなのかな
もっと前からだよ。藤原子孫だ。
1000✋
日本に文字がなかったら「訓読み」があることが不自然になってしまうんだよなぁ。同じ漢字文化圏で文字がなかった朝鮮語には訓読みが無いし。「あったもの」に対して後に伝わった漢字に当てはめたと考えるほうがしっくりくる。
神代文字って学術的に証明されて無いと聞いたけどどうなん?江戸時代頃に創作で作られたという説も聞いた事があるし何が本当か分からん
考古学には嘘から出た誠が意外に多そう
そもそも聖徳太子、頼朝公、将門公が伊勢神宮に奉納している時点で神代からの尊貴な文字という認識が当時からあった。これが決定打ではないかな。
世界に先駆けて磨製石器や土器、漆、釣針なんかを作ってるくらいだから、文字があっても不思議じゃないと思うんだよね
長岡青洲の麻酔、水呑み鳥、クオーツ時計、青色発光ダイオード、世界に先駆けた発明なら、いくらでも出てきそう!
世界初の竈、火を使った調理後は日本でしたっけ?
地震予知
一部特殊な立場の人たちが、記録と伝達の為に特定の記号(縄を結ったような記号)を、(木に刻んで)使っていた。というのなら一つの説として成り立ちますね。ちなみに「記録と伝達の為の記号」を称して「文字」というのですが。また、マヤ・アステカの上位文字も一部特権階級のみが使えた文字ですが、古代文字のひとつとして認定されていますね。
山形県中川代遺跡の刻文有孔石斧についての学術的な議論を求める。また、伊勢神宮資料館の神代文字の公表を求める。
神代文字が、どれも50音図に、適当な形を当てはめただけという正統言語学者の反論がありましたが、そもそも、その50音図が、一体どうやって形成された(というより発明された)のかが、いろんな説はあっても、まだ、分かっていないようです。世界中のどの言語にも類を見ないであろう、この整理された発音表にこそ、日本語の起源の謎を知る手掛かりがあるのではないでしょうか。ずんだもんさんに、ぜひ調べてもらいたいです。
あいうえおの母音性に驚く。50(48)文字の表のすごさを外人に説明してあげると、面白いことになるだろう。韓国語を少し習ったとき、14くらいの母音を聞いたが、覚えずらく、何が母音だと不信感を覚えた。50音表は言語発音界の大傑作、大発見だと思う。
文字があったと考える方が色々と説明が付く事が多いのは間違いない。
そして逆に 文字が無いと色々と説明が付かない事が多いのも間違いない。
逆に文字があったと考えることで説明がつかなくなることの方が多いのも間違いない
近い将来。吉野ケ里か、箸墓か、それとも別の場所でもいいけど。お墓の副葬品として親魏倭王の金印が発見されて。そしてこのお墓の人が、日本名は姫巫女なんだけど魏では卑弥呼なんて漢字で書かれてるんだけど、偉大な女王様だった!なんて。漢字と神代文字の両方で書かれてる竹簡なんかが一緒に発見されたら。歴史のミステリーが一気に解決するのにね。
それを恐れて、宮内庁とやらは意地でも発掘許可を出したくないんだろうと。
確かに6世紀の仏教公伝以前にも3世紀の邪馬台国時代やあの河内平野の大規模な巨大前方後円墳造営とか設計文字が無ければ不可能。何らかの文字があったはずだね。
神代文字の発見が江戸時代以降であること、五十音に対応していること、はある程度説明がつきます。まず発見の理由は、江戸時代が永く安定していて学問する機会が増えた為、研究する分野が拡がった為と考えられます。つまり漢字以前の文字について研究する余裕が出来た為だと思います。次に五十音に対応している理由は、五十音を元にして解読した為だと考えられます。そして、神代文字の存在が否定されている為に詳細が表に出ていないとも考えられます。やはり縄文時代の長さ、縄文人の活動範囲の広さ、技術力の高さから考えると文字が無いのは不自然だと思います。
私も似たことを思ってます室町、戦国時代は文学の研究なんかしてる場合じゃなかったのでしょう奈良平安時代は大和朝廷に都合の悪い伝承を知られたくないので文字を漢字から五十音にあてたひらがなに統一したのではないかな?ちょうど韓国が漢字をすててしまって過去の都合の悪い事実を隠そうとしてるのと似てるのでは?
三内丸山遺跡を見ると、文字がなかったって言う方がおかしいんだよなぁ😅やっぱ。
15:50 漢字の方が優れてたから、今まで使われてた文字を捨てた感。
神代文字とかはともかく、漢字を取り入れるということを政策とするような組織が何らかの文字特に数字を文字として利用せずに成立出来たのか?という疑問はある。
音声で発話するコトバ(言語)と、書き文字とは別の体系だとは思うけど。文字がなくてはしゃべりにくいと思う。熱闘かかって「あちちっ」と言うときでも「あ」の字と「ち」の字は脳内で並んでる。書き文字がないのと、しゃべれないと思う。
超古代文明のギョベクリ・テペ遺跡にも文字が残ってないのが不思議
ちなみにカタカムナは大嘘。
ワタルの創界文字に似てるな…
カタカナム 龍体文字
たいぎー?😢
ミクロネシアでは数千km離れた島に行く航海方法を歌として伝たえると言う。複雑な情報も文字以外の手段で伝えられそう。アイヌのユーカラなんかも有るよね。神代文字は漢字を押し付ける中央権力に反発した秘密結社が使った文字の気がするし、漢字伝来後の代物の気が・・・
書記言語に限っていえば、農業で人口を養う文明は言語を持つのでは。説なのかな。当方が読んだ本によると、農業によって富(穀物)の保存が可能になり、同時に書紀言語が発明され、貸し借りの記録と貧富がもたらされる。メソポタミア文明の楔形文字の文書にも貸し借りの記録が残っているそうな。その理屈で推測すると、古代日本では稲作が伝わった紀元前10世紀以降に、元の日本語(ひらがな)が発明され、大陸から導入された漢字によって一部が漢字に置換可能になったということかと。現在の中国語の単語(漢字列)について、日本語のそれとほぼ同じ意味の場合もあるし、全然違う意味に思う場合もあることも合点がいく。
むしろ縄文時代には、いわゆる「文字」は無かったんじゃないの?逆に「これこれこういう定義のものを文字として文明の定義にする」っていう枠組みや長い歴史の価値観があるからこそ、それをなんとか作り出そう的な話になった気がするな情報の記録、伝達ということであれば、記録にあるとおり縄の結び目や木への刻みなどで実用足りえたのでは?口述や儀式などで伝達されてきたんだと思うけど?
文字を"かく"と言うのは、例えば粘土板みたいなものに釘のようなもので、引っ掻く様を連想させます。中国の様に筆と硯で墨を用いて描写するなら、むしろ"塗る"に近い言葉になったのではと考え、漢字以外の表記t去を考えるのも一興かも
今の日本の在り方をみれば、文字や文化の歴史も見えて来る気がします。世界中から色んな宗教や文化を取り入れて、改良したりいいとこどりして発展させる。それが日本。縄文時代から性格は変わらないんじゃないでしょうか?他国から文字を輸入してても良い使い方が出来てるなら良いと思う。神代文字もネタとして江戸時代の人が作ったならそれはそれで面白い。
おすすめで見ていたが面白い。現代日本でも日本語があるのにやたら英語を使いたがる。サラリーマンとか言う和製英語も何年も前に作られた。最近では英語、フランス語イタリア語など沢山使われるそんな現象もあったのかな?と思ったら面白い。
雨をアメ、と発音をするのは、日本と南米のパラグアイだけ。アメンは古代オリエントの神の名前。
世界の文明の原型なんてお隣りの国みたいな主張にならない程度で研究を進めて欲しいものです
甲骨文字が出土してるのは話しに出て来なかったな。
面白かったです。500年代に使われていたとされる隅田鏡の金石文が漢字のため、漢字から日本語は産まれたのかなと しかも現代人が読める漢字です。平安時代の仏具の漢字を博物館で見ても現代人でも読める漢字です。 神代文字は漢字ベースで誰かが作った創作かなと オシテ文字の研究者という人と話した事ありましたが大○教の方でした 信仰宗教が歴史を利用する時はまずは文字から利用したのだと思います
自分は日本のある時代より前のことがすっぽり抜けて知られてないという状況はおかしいと常々思っていました。特に東日本の歴史について殆ど世に出てないのが不思議です。隠されているんじゃないか?と。神代文字とかかっこいい名称ですね。東京の真ん中あたり、西23区とでも多摩東とでもいいましょうか、あの辺って神代とか深大寺とか音が似てる地名が多いですよね。あの辺は古代日本の中心的地域でしょうね。カンで言っててすみませんです💦
確か紫式部の時代(平安時代)「安」→「あ」「阿」→「ア」のように平仮名と片仮名が作られています。つまり「あいうえお表」みたいな物がないと当てはめる事が出来ないです。ですので漢字が伝来する以前に「あいうえお表」みたいな物があったと思いますね。
それはない。五十音表は、明らかに梵語の音韻を理解する為の悉曇学に影響されているから。五十音順のあの並びは悉曇学無しに成立しない。悉曇学が日本に伝わったのは奈良時代の可能性があるが、本格的に関心が持たれたのは平安時代。五十音表が現れるのも平安時代から。11世紀末期の明覚の著作の「反音作法」に早期の五十音表がある。ちなみに明覚は日本の悉曇学の祖と言われている。専門家らが互いに批判的に議論し検証しあって証拠を積み重ねてきた学術研究の成果を無視・軽視するな。もし異論があるなら従来の学説の内容をきちんと学んで理解し、証拠に基づいて反証しなよ。
例えばカタカナ。何故平仮名で1音1音が表現できるのに、それとは別にカタカナを作る必要があったのか。それもヘブライ語の文字にそっくりな。それはカタカナは元々(漢字伝来以前から)日本に住むユダヤ人(秦人)の間で使われていて、それとは別に漢字が伝わり、それを変化して平仮名が使われるようになったが、ユダヤ人の間ではカタカナが引き続き使われ、平仮名とカタカナの両方が使われるようになったのではないだろうか。
wikipediaの片仮名の項を見てみると元の漢字の切り取り方に無理ありすぎだろうって文字がいっぱいありますよ
隋書倭国伝に、「無文字」 とあるのは、彼らにとっては中国の漢字が表意文字なので、表音文字の倭文字は文字と呼べるシロモノでは無かったのではないでしょうか。しかし、わざわざ、「唯、木を刻み縄を結ぶ」と書いているのは、「野蛮な文字っぽいものを使っている、未開人」と言いたいわけですね。要するに、中華思想満開ですが、「倭国に文字が有る」という意味なのでしょう。
神代文字は日本からアメリカからペルまで発見されてます。日本の古代文明は文字あり発展していたと言ってる考古学者います。
漢字で「文字」というものは「漢字」のことですね。中国語の文献には、倭人は「漢字」を持たず縄(キープ)などで記録していた、という意味のことが書いてある。つまり、話し言葉だけでなく記録するという概念はあった、と記録されているわけですね。
最後でみんな仲良くなって良かった。
相変わらず内容も構成もおもしろい
縄文土器に描かれる模様が文字に相当するという説があり、パターンを解析をしている研究者もいますね。
資料の引用も丁寧だし、お互いの言い分をそれぞれ紹介しそれを踏まえた上で擦り合わせていて、それでいてキャラクターの会話は親しみが持ちやすくとても面白くて素晴らしいです!👏参考になります
思ったより、ちゃんと調べてあってビックリwww
24:15からだけでも観てほしい
バラバラすぎて不便だから漢字に統一したのかな
独自の文字があったかどうかはわからんが、縄文時代には既に大陸と交易をしており、漢字の存在は当然知っていたと考えるほうが自然。文字が無くてあれだけ高度な文明を築けるはずがない。ある事を前提に例えば発掘された土器とかを再度目を凝らして確認したら意外と簡単に発見されるかも。
少なくとも飛鳥時代の後になるまで「ん」の発音が無かったのに入っちゃってるのが致命的なんだよなあ…。
それはともかく文字がなくても図や絵でコミュニケーションは取れるよね。
でもそれらは文字とはみなされない。
世界中の古代の遺物には文字のようだけど厳密には文字ではないものも多いのだ。
興味のある人はProto-Writing(原文字)で調べてみよう。
ちなみに数ある神代文字の中でも北海道異体文字はホンモノであると考えてます。
縄文人の遺伝子を色濃く受け継いだ交易の民であるアイヌは縄の結び目や木に刻みを入れることで商売の勘定をしていたようですが一部のグループは文字のようなものを使ってたとしてもおかしくないと思うので。
神代文字が確認できるのは文章で、50音に対応しているのは神代文字を分析した結果で、「あいうえお、かきくけこ・・・」と残っている訳ではない。日本のアチコチに古代文字があるのは事実。持統が書物を集めて焼かなければもっともっと神代文字の書物があったと考える。
神代文字が漢字のプロトタイプだったりしてw
神代文字が彫られた土器や土偶が出てきたらうれしいんだがまだないねw
銅鏡や銅鐸にはこの動画で紹介されているような文字が書かれています。
縄文尺や交易に関しては紐の結び方で情報を伝えてたという従来の説で説明出来そう。文字が無かったとされてる他の古代文明もかなり高度な事をやってるから、文字が無くても発展できたのか、実は文字があったのか、どちらにしても面白いな。
ハングルはモンゴルのパスパ文字が原型だよ。
縄文時代文字
縄文土器画像でみたら、文字っぽいものが有るんだよね。あくまでみたいだけど夢は広がる。
自分は結縄・キープ・縄文字が発展させた状態が日本にはあったのではないかという説が気になってます
木や石や紙にかくのではなく縄の結び目で文字を表すってやつです
縄文人がなぜ縄目模様を土器につけてたのか芸術性や機能性からというのが一般的ですが
もしかして縄で作った文字を土器を作る工程の粘土に押し当てて印刷のようなことをしようとしたのが始まりなんじゃないかという妄想です
まったく根拠とかないですけどどちらにせよ1万年以上続いた文明が何も言葉をのこそうと思わなかったとは自分は思いませんね(´・ω・`)
神代文字やペトログラフも見つかってるけど深堀しないの何故何故?
しゃべり言葉に対応した文字は無かったと思う
数も縄を結んだ数を記録していたらしいから設計的な事はクリア出来そう
とはいえ簡易的な印的なものから派生した記号が全く無かったとはちょっと想像できない
あったと思った方が夢やロマンがあるねぇ(*˘︶˘*).。.:*♡
あってもなくても、何かしら答えが出るまであったと信じとこう(^-^)
笑いの沸点が低いので神代文字の専門家の方が登場したところで涙が…😂
ヤバそうな専門家ですよね。
そもそも言霊とか古代からある神道に通じるものだし、和歌とか五七五で韻を踏んで歌を詠む文化があったり、同音異義語を使って、ふたつの意味を持たせたり、そういう文化が漢字と共に突然できたというのもなあ。やっぱり何らかあったとするのが自然だよ。
24:15
金錯銘鉄剣に書いてあるのは漢字でしょ 今でも使われてる漢字すら混ざってる
これを神代文字の流れで出すのは悪意あるミスリードでは?
縄文時代には、黒曜石で代表されるような様々な特産物に対して部落間の交易が存在したといことは明らかなので、その際に言語が全く同じとも考えにくく文字様の共通認識の「記号のようなもの」は存在していて当然だと思います。
大陸文化の「漢字」を見て、言語をそのまま「音(おん)」で代替え表現することを思いつき文字の元として「漢字」を利用することになったのではないかと考えます。
同類の言語を使用する社会が大きくならなければ、その言語を音で表示する「文字」の存在理由はなく、同類言語を持った社会が大きくなって必然的に表音の「文字」が求められ生成されたのではないかと思います。
私も同意見です。三内丸山遺跡は出土物から広範囲の地域と交易していたのは明らかですが、舟で来る人たちは、あの有名な太柱の建築物を目印にしていたに違いないのです。また来る前には地面に横3縦4の線を引いて、これが三内丸山遺跡だと。
これは文字といってもいいような気がします。
50音図に基いているものはまずアウト。数が有って調べられるものを見れば万葉仮名からひらがな・カタカナの表音システムが抽出され、漢字仮名交じりという表音文字と表意文字が混在する日本独自の文字文化が生まれたとみて良いかと。ただそれ以前に文字が無かったかというと動画にもあったとおり所有・交換・貸借のような関係は記録が無ければ困るはず(とは背理法ですが)、とすれば1.埋蔵物として残り難い媒体を使っていた、2.言霊は神の領域にあり、それ故嘘をつくひとがいなかった。日本人としては2番の説も捨てがたいところではある。
全く同感
気持ちはわからんではないが、じゃあ最初の50音はどうしてうまれた?という話なんだが
@@アバ-w3h 様
五十音表は契沖という国学者が悉曇学に基いて日本語の音節構造を示そうとしたもので、実際にある濁音・拗音などは省いています。音素自体が昔から継承されているならそこは同じ形に整理できて当然かと思います。
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支配王朝が変わっただけならば文字の継承はあったと思いますが、離れた土地で別々の王朝が存在してそれぞれの文字ができたのだとしたらそれとは別の王朝が新しく生まれてその王朝ではまだ文字はなくということであったり、「うちで作った文字はないよ(過去によその王朝が作った文字ならあるけどね)」という話だったのかもしれないですね
とはいえ、実際に文字があったのならば今後の発掘や過去の発掘品の見直しで発見されると今まで解明されていなかったことが解明されていくかもしれないので、それはそれで楽しみですね
逆に過去に文字がなかったのだとしたら、文字なしでどうやってやり取りしていたのか気になりますね
その工夫が例えばボイジャーなどのような未来や遥か遠方に人類がいた痕跡を残す際に使えるかもしれないので、それもまた解明できたらいいですよね
まぁ、単純に、王朝や集落によって文字があったりなかったりしたのでは?という気もしますが
漢字の大元となった甲骨文字 倭人が使っていた と中国の記録にある 倭人と言う定義が難しいが さてどうでしょう
現在高1の、中学歴史の教科書にワカタケルの剣が載ってました。現在高3の、小学校低学年国語の教科書には、漢字を中国から教わったと載ってました。こどもがややこしいと思わずにワクワクとした気持ちで変化に向き合ってくれると嬉しいとおもっております😊
集落内で通用する数や簡単な一般名詞を表す記号はあったと思うが文章を作れる程の文字があったかは疑問
ある程度広範囲に共有・使用されてないと情報の伝達、保存の手段たる文字とは言えないと思うし、そうであればもっと遺物が残っているはずだ
仮にある神社の神官だけが使う文字があったとしても、その神社内の記号に過ぎず文字とは言えない
三内丸山遺跡程度なら図面と数字だけで作れるだろう
歴史って権力者が作りますからね。本当の歴史が知りたい
「殷の甲骨文字の元祖かもしれない」という説に一理あるのは、殷は商王朝の後期の名称だが、甲骨文字は殷の時代に(発展過程なく)突然登場した。殷は鬼方や人方などの周辺種族を征伐して殷の方国としたので、周辺国の持っていた文字を便利そうなので使い始めたとみられる。
文字の起源は個数表記や呪術的な記号が元なんだから、古墳や古代遺物に記号があれば「文字」と言えるんじゃない?
解らんけど今も日本食や日本の文化を欧米人に誉められるの大好きな人達は一定数いるしマスコミが実際の評価以上に報道すると喜んで信じる、そういった「うちの国は大国にも引けを取らないぜ」みたいな島国根性は昔からあった様な気がする
日本だけでなく、何処の国の人も、自分の国の何かを褒められればうれしいでしょう
だから、コンテストやオリンピックをするのだと思います
ズルやねつ造までして褒められたいのは、恥ずかしいと思いますが…
神代を「じんだい」と音読みで読むのは、日本初の文字が漢字という説を後押しする様な気がして嫌悪感がある。
「かみよ」と大和よみすべき。
かみよふみ
日本語が五十音になったのはごく最近(米国戦敗戦後)でそれまで仮名の異字体、異音はたくさんあった。
それが五十音で対応しているなら眉唾物だ。
まあ50音図に当てはまる時点で、ほとんどの自称神代文字は偽物だろうね。古代の発音はかなり解明されてるから。
一方、倭国には文字がなかった、だが倭国とはどこだったか?説と組み合わせると、現代日本の地理で倭国以外の場所もあっただろうし、極めつけはやはり古事記の冒頭部分かなと。
稗田阿礼は一体「何を音読した」のかってのが、何かしらの文字はあったと考えるべきところ
コメント欄にもあるけど
ペトログリフの文字の年代や(これは海洋民族がほった?)
確かに土器には彫られてないの(暮らしてる人は別なの?)
日高み国このこと
なぞが多すぎて頭のなかぐちゃぐちゃ
世界中の神話と似てる神話 五十いすず のシュメールと同じ
時系列ももっと知りたいことばかり
なかなか素敵な話で僕もうれしく感じますが
古さとか起源とか後から言い出すとあの国みたいになっちゃうので文字は無かった事でいいですww
そんなもん無くとも僕が育った日本は誇らしい国です
先に根拠もなく起源だと言い張ればあの国みたいで情けないですけど、先に根拠があってその根拠から導き出された結果に起源になればいいのじゃないですか?
象形文字はあったはず。中国は漢字=文字と言う感覚だから
神代文字の多さには驚く。
一人や二人が作ったのではないのは明らか。
文字の多さについての言及がない。
なぜ?
文字にあたる尺貫を示す記号もなく口伝だけで、青森のやつとか、あんなでかい建造物を造ったり、集落の運営ができるものなのかね。しかも縄文時代は寿命が短かったと言うし。なんかあるだろって思うけどね。
日本語ってひらがなカタカナ漢字に漢字の音読み訓読みと‥
基本‥言葉と耳の伝達で即効性的に考えたら日本言語は即効性無い‥ってのは平和だったんだろう‥
縄文的な人々は何となく‥北海道と沖縄的な‥
ガラパゴス言われやすい日本だが‥人種分類的にガチで特殊なんやろね
それなら書物残しといてほしかった…
縄を結ぶなり何なりで情報を伝える習慣があったのなら、いざ縄が無い時に間に合わせでそこらの岩に似たような形を刻んでおくという行為は自然と発生すると思うんだがどうだろう?
新聞勧誘員も記号使ってるもんね、、。
日本の村落の田舎に行けば往くほど因習村じゃないけどよくわからない独自の文化や秘密が残ってたりするので口語伝承や他社にはわからない図形暗号で権力者に知識の独占があっただろうことは想像に難くない。なので文章として誰にでもわかるようには残さないので必要な知識は文字文章じゃなくて魔法陣みたいな図形一文字で口伝と照らし合わさないとわからない存在だったのかなぁと。江戸以降に古代文字が増えたのは識字率が増えて過去の人も暗号図みたいなのじゃなくて読めば誰でもわかる文章があったはず。それは文字でなければ残せないだろうという考えから来たんじゃないかなと。実際、古代集落単位で一族専業なら一族だけ解ればいいので文章化する必要ないので文字は不要になる。
おもろいやんけワレw
カタカムナは字それ自体のデザインの是非は置いとくとして、
なんでよりにもよって渦巻き状に書いていくなんて尖りまくったシステムにしたんだろうね・・・
まあ原日本民族はアルタイの地で韓民族と一旦別れ、南方経由に日本にやってきた(韓民族は北経由)ので、中国平原の南方には恐らくいたと思われる。
だから長江や広東・厦門あたりも経由して台湾にわたって日本を目指したんじゃないだろうか。
ただ台湾で対馬海流を渡れず、一部以外は沖縄に到達できずに対馬・済州や朝鮮半島にたどり着いたのだろう。
だから、中国平原にいたときに神代文字に出会っていたというのは割とあるかもしれない(ついでに言うと稲作も拾ってきたのだろう)。
これが縄文時代の中期ぐらいまでに起こったのではないだろうか。
また、日本にアルタイ系民族の中で女系の概念があるのは、台湾やその時九州にいたポリネシア系の民族の混血の影響と考えられる。
そして沖縄経由の原日本民族はポリネシア・アイヌと混血し、対馬経由ではポリネシアのみとの混血だったのかもしれない。
古代出雲神社の設計図が見つかれば全て解決するのにね
まあ見つからないでしょうが
古代日本にも文字はありました。学校の歴史の時間に教えている事は嘘です。
まあ。神代文字は江戸時代に暇な国学者が作ったものですからね?上古日本語はそもそも母音が、7つありますからね。メチャクチャ最近出来たのですね。
ずっとおもててんけど縄文時代の土器にも文字に見えるのいっぱいあるんよな
言語化法則のまだ見つからない記号というレベルなら世界では数万年前から発見されているし
縄文の渦巻きが記号で意味を持っていたらもう言語やん
太古の文字は岩を彫った物しか残ってないからね もっといろんなことを知りたいな
古代の音韻論が正しいとして、それと矛盾する時点で、完全にアウトなのでは?
有名なトンデモと偽書ですね。言葉が通じない相手との交易は、商品をお互いに並べる沈黙交易だったろうね。
かいけつゾロリの宇宙語は多分ヲシテ文字を参考にしてる
阿比留草文字は梵字にそっくりじゃない?
ずんだミステリー最高
古代に使われてた文字なら宮内庁とかならわかるんじゃないんですかね?
伊勢神宮に奉納されてた文があるなら神社庁とか…。
そんなに日本の歴史に夢見ちゃ駄目だよ。
しかし、「変な権力を持った学者たち」が、変な権力 を行使するんだよなあ・・・邪魔だなあ・・・(あと宮内庁とやら)。
文字がないのに判子がいるか?もらうか?
神代文字!HUNTER✕HUNTER の文字形態と同じだ!Σ(゚Д゚)(笑)
江戸時代300年あったからたくさん見つかったという考え方じゃダメなのかな
もっと前からだよ。藤原子孫だ。
1000✋
日本に文字がなかったら「訓読み」があることが不自然になってしまうんだよなぁ。
同じ漢字文化圏で文字がなかった朝鮮語には訓読みが無いし。
「あったもの」に対して後に伝わった漢字に当てはめたと考えるほうがしっくりくる。
神代文字って学術的に証明されて無いと聞いたけどどうなん?
江戸時代頃に創作で作られたという説も聞いた事があるし何が本当か分からん
考古学には嘘から出た誠が意外に多そう
そもそも聖徳太子、頼朝公、将門公が伊勢神宮に奉納している時点で神代からの尊貴な文字という認識が当時からあった。
これが決定打ではないかな。
世界に先駆けて磨製石器や土器、漆、釣針なんかを作ってるくらいだから、文字があっても不思議じゃないと思うんだよね
長岡青洲の麻酔、水呑み鳥、クオーツ時計、青色発光ダイオード、世界に先駆けた発明なら、いくらでも出てきそう!
世界初の竈、火を使った調理後は日本でしたっけ?
地震予知
一部特殊な立場の人たちが、記録と伝達の為に特定の記号(縄を結ったような記号)を、(木に刻んで)使っていた。というのなら一つの説として成り立ちますね。
ちなみに「記録と伝達の為の記号」を称して「文字」というのですが。
また、マヤ・アステカの上位文字も一部特権階級のみが使えた文字ですが、古代文字のひとつとして認定されていますね。
山形県中川代遺跡の刻文有孔石斧についての学術的な議論を求める。また、伊勢神宮資料館の神代文字の公表を求める。
神代文字が、どれも50音図に、適当な形を当てはめただけという正統言語学者の反論がありましたが、そもそも、その50音図が、一体どうやって形成された(というより発明された)のかが、いろんな説はあっても、まだ、分かっていないようです。世界中のどの言語にも類を見ないであろう、この整理された発音表にこそ、日本語の起源の謎を知る手掛かりがあるのではないでしょうか。ずんだもんさんに、ぜひ調べてもらいたいです。
あいうえおの母音性に驚く。50(48)文字の表のすごさを外人に説明してあげると、面白いことになるだろう。韓国語を少し習ったとき、14くらいの母音を聞いたが、覚えずらく、何が母音だと不信感を覚えた。50音表は言語発音界の大傑作、大発見だと思う。
文字があったと考える方が色々と説明が付く事が多いのは間違いない。
そして逆に 文字が無いと色々と説明が付かない事が多いのも間違いない。
逆に文字があったと考えることで説明がつかなくなることの方が多いのも間違いない
近い将来。吉野ケ里か、箸墓か、それとも別の場所でもいいけど。お墓の副葬品として親魏倭王の金印が発見されて。そしてこのお墓の人が、日本名は姫巫女なんだけど魏では卑弥呼なんて漢字で書かれてるんだけど、偉大な女王様だった!なんて。漢字と神代文字の両方で書かれてる竹簡なんかが一緒に発見されたら。歴史のミステリーが一気に解決するのにね。
それを恐れて、宮内庁とやらは意地でも発掘許可を出したくないんだろうと。
確かに6世紀の仏教公伝以前にも3世紀の邪馬台国時代やあの河内平野の大規模な巨大前方後円墳造営とか
設計文字が無ければ不可能。何らかの文字があったはずだね。
神代文字の発見が江戸時代以降であること、五十音に対応していること、はある程度説明がつきます。
まず発見の理由は、江戸時代が永く安定していて学問する機会が増えた為、研究する分野が拡がった為と考えられます。つまり漢字以前の文字について研究する余裕が出来た為だと思います。
次に五十音に対応している理由は、五十音を元にして解読した為だと考えられます。
そして、神代文字の存在が否定されている為に詳細が表に出ていないとも考えられます。
やはり縄文時代の長さ、縄文人の活動範囲の広さ、技術力の高さから考えると文字が無いのは不自然だと思います。
私も似たことを思ってます
室町、戦国時代は文学の研究なんかしてる場合じゃなかったのでしょう
奈良平安時代は大和朝廷に都合の悪い伝承を知られたくないので
文字を漢字から五十音にあてた
ひらがなに統一したのではないかな?
ちょうど韓国が漢字をすててしまって過去の都合の悪い事実を隠そうとしてるのと似てるのでは?
三内丸山遺跡を見ると、文字がなかったって言う方がおかしいんだよなぁ😅やっぱ。
15:50 漢字の方が優れてたから、今まで使われてた文字を捨てた感。
神代文字とかはともかく、漢字を取り入れるということを政策とするような組織が何らかの文字特に数字を文字として利用せずに成立出来たのか?という疑問はある。
音声で発話するコトバ(言語)と、書き文字とは別の体系だとは思うけど。文字がなくてはしゃべりにくいと思う。熱闘かかって「あちちっ」と言うときでも「あ」の字と「ち」の字は脳内で並んでる。
書き文字がないのと、しゃべれないと思う。
超古代文明のギョベクリ・テペ遺跡にも文字が残ってないのが不思議
ちなみにカタカムナは大嘘。
ワタルの創界文字に似てるな…
カタカナム 龍体文字
たいぎー?😢
ミクロネシアでは数千km離れた島に行く航海方法を歌として伝たえると言う。複雑な情報も文字以外の手段で伝えられそう。アイヌのユーカラなんかも有るよね。神代文字は漢字を押し付ける中央権力に反発した秘密結社が使った文字の気がするし、漢字伝来後の代物の気が・・・
書記言語に限っていえば、農業で人口を養う文明は言語を持つのでは。説なのかな。当方が読んだ本によると、農業によって富(穀物)の保存が可能になり、同時に書紀言語が発明され、貸し借りの記録と貧富がもたらされる。メソポタミア文明の楔形文字の文書にも貸し借りの記録が残っているそうな。その理屈で推測すると、古代日本では稲作が伝わった紀元前10世紀以降に、元の日本語(ひらがな)が発明され、大陸から導入された漢字によって一部が漢字に置換可能になったということかと。現在の中国語の単語(漢字列)について、日本語のそれとほぼ同じ意味の場合もあるし、全然違う意味に思う場合もあることも合点がいく。
むしろ縄文時代には、いわゆる「文字」は無かったんじゃないの?
逆に「これこれこういう定義のものを文字として文明の定義にする」っていう枠組みや長い歴史の価値観があるからこそ、それをなんとか作り出そう的な話になった気がするな
情報の記録、伝達ということであれば、記録にあるとおり縄の結び目や木への刻みなどで実用足りえたのでは?
口述や儀式などで伝達されてきたんだと思うけど?
文字を"かく"と言うのは、例えば粘土板みたいなものに釘のようなもので、引っ掻く様を連想させます。中国の様に筆と硯で墨を用いて描写するなら、むしろ"塗る"に近い言葉になったのではと考え、漢字以外の表記t去を考えるのも一興かも
今の日本の在り方をみれば、文字や文化の歴史も見えて来る気がします。世界中から色んな宗教や文化を取り入れて、改良したりいいとこどりして発展させる。それが日本。
縄文時代から性格は変わらないんじゃないでしょうか?
他国から文字を輸入してても良い使い方が出来てるなら良いと思う。
神代文字もネタとして江戸時代の人が作ったならそれはそれで面白い。
おすすめで見ていたが面白い。現代日本でも日本語があるのにやたら英語を使いたがる。サラリーマンとか言う和製英語も何年も前に作られた。
最近では英語、フランス語イタリア語など沢山使われるそんな現象もあったのかな?と思ったら面白い。
雨をアメ、と発音をするのは、日本と南米のパラグアイだけ。アメンは古代オリエントの神の名前。
世界の文明の原型なんてお隣りの国みたいな主張にならない程度で研究を進めて欲しいものです
甲骨文字が出土してるのは話しに出て来なかったな。
面白かったです。500年代に使われていたとされる隅田鏡の金石文が漢字のため、漢字から日本語は産まれたのかなと しかも現代人が読める漢字です。平安時代の仏具の漢字を博物館で見ても現代人でも読める漢字です。
神代文字は漢字ベースで誰かが作った創作かなと オシテ文字の研究者という人と話した事ありましたが大○教の方でした 信仰宗教が歴史を利用する時はまずは文字から利用したのだと思います
自分は日本のある時代より前のことがすっぽり抜けて知られてないという状況はおかしいと常々思っていました。特に東日本の歴史について殆ど世に出てないのが不思議です。隠されているんじゃないか?と。神代文字とかかっこいい名称ですね。東京の真ん中あたり、西23区とでも多摩東とでもいいましょうか、あの辺って神代とか深大寺とか音が似てる地名が多いですよね。あの辺は古代日本の中心的地域でしょうね。カンで言っててすみませんです💦
確か紫式部の時代(平安時代)「安」→「あ」「阿」→「ア」のように平仮名と片仮名が作られています。つまり「あいうえお表」みたいな物がないと当てはめる事が出来ないです。ですので漢字が伝来する以前に「あいうえお表」みたいな物があったと思いますね。
それはない。五十音表は、明らかに梵語の音韻を理解する為の悉曇学に影響されているから。五十音順のあの並びは悉曇学無しに成立しない。
悉曇学が日本に伝わったのは奈良時代の可能性があるが、本格的に関心が持たれたのは平安時代。
五十音表が現れるのも平安時代から。
11世紀末期の明覚の著作の「反音作法」に早期の五十音表がある。ちなみに明覚は日本の悉曇学の祖と言われている。
専門家らが互いに批判的に議論し検証しあって証拠を積み重ねてきた学術研究の成果を無視・軽視するな。
もし異論があるなら従来の学説の内容をきちんと学んで理解し、証拠に基づいて反証しなよ。
例えばカタカナ。何故平仮名で1音1音が表現できるのに、それとは別にカタカナを作る必要があったのか。それもヘブライ語の文字にそっくりな。それはカタカナは元々(漢字伝来以前から)日本に住むユダヤ人(秦人)の間で使われていて、それとは別に漢字が伝わり、それを変化して平仮名が使われるようになったが、ユダヤ人の間ではカタカナが引き続き使われ、平仮名とカタカナの両方が使われるようになったのではないだろうか。
wikipediaの片仮名の項を見てみると元の漢字の切り取り方に無理ありすぎだろうって文字がいっぱいありますよ
隋書倭国伝に、「無文字」 とあるのは、彼らにとっては中国の漢字が表意文字なので、表音文字の倭文字は文字と呼べるシロモノでは無かったのではないでしょうか。
しかし、わざわざ、「唯、木を刻み縄を結ぶ」と書いているのは、「野蛮な文字っぽいものを使っている、未開人」と言いたいわけですね。
要するに、中華思想満開ですが、「倭国に文字が有る」という意味なのでしょう。
神代文字は日本からアメリカからペルまで発見されてます。日本の古代文明は文字あり発展していたと言ってる考古学者います。