昭和のSLダイジェスト版【第三部】
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- Опубліковано 16 гру 2024
- 昭和40年代、SLブームの中、全国で活躍していた現役最後の蒸気機関車の記録から、貴重な8mm映像とステレオ音声を、デジタル編集してダイジェスト版としてお届けします。
① 函館本線 渡島尾大野⇒七飯 仁山経由 C623牽引 急行「ニセコ1号」
昭和40年代、函館本線は七飯駅から急勾配がある仁山駅経由の従来線と、七飯駅から大沼駅まで途中駅がなく勾配の緩和された藤城線に分かれて運行されていました。
上りの優等列車は大沼駅から仁山経由で急勾配を下り七飯駅で合流します。
小樽から函館に向かうC6215号牽引上り急行「ニセコ1号」は、藤城線の高架橋の下をくぐり七飯駅を通過していきます。
② 函館本線 大沼駅 D52235牽引 貨物列車
函館本線大沼駅を見渡せる小高い丘から、苫小牧方面から五稜郭操車場に向かうD52235が牽引する貨物列車を撮影しました。
後ろに見える山は駒ケ岳です。
③ 花輪線 八幡平⇒湯瀬 68678牽引 貨物列車
花輪線は、東北本線盛岡と奥羽本線大館を結ぶローカル線です。
奥羽山脈を横切る花輪線には、龍ヶ森をサミットに7kmにわたって33.3パーミルの急勾配がありました。
68678が牽引する貨物列車は、荷物が少なく貨車1両を牽き、米代川の橋梁を越え龍ヶ森に向かいます。
④ 米坂線 手ノ子⇒宇津峠 9600牽引 下り貨物列車
やはり山形の冬は雪深く、この日も朝から雪が降り続きました。
この時代の撮影はもっぱら歩きで、カメラに三脚を持ち、手ノ子駅から約2km宇津峠に向け進んだ、小高い丘からの撮影です。
風もなく気温も低く、煙もブラスト音も最高です。
9600は25/1000の胸突く勾配を加速をつけてよじ登ってきます。
⑤ 米坂線 羽前沼沢⇒宇津峠 9600牽引 上り米沢行 普通列車
米坂線最大の難所、宇津峠のサミットは手ノ子駅と羽前沼沢駅9.2Kmの中間、海抜363m地点にあり、宇津トンネルに向け両側から連続25‰の勾配続きます。
羽前沼沢駅を発車した9600牽引、米沢行普通列車は、激しい雪の中、猛烈な煙を吐いて宇津峠の急こう配をよじ登ってきます。
撮影ポイントを通過後、汽笛を響かせ宇津トンネルに消えていきます。
⑥ 小海線 清里⇒野辺山 C56牽引 貨物列車
山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ小海線は、
八ヶ岳東麓の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地までを走る高原鉄道です。
清里駅は標高が1275mと全国で2番目に高い駅として知られていました。
その昔には女性誌などでとりあげられ、ファンシーショップなどが出来、
観光地としても有名になりました。
C56が牽く貨物列車は、清里から国鉄最高地点標高1345mの野辺山駅に向かいます。
⑦ 飯山線 蓮⇒替佐 C56102牽引 貨物列車
飯山線は、長野県の豊野駅から新潟県の越後川口駅を結ぶ路線で、
長野県内は千曲川に、新潟県内では名を変え千曲川に沿って
日本有数の豪雪地域を通る路線です。
ここではSLファンの撮影地ポイント、蓮と替佐間の千曲川沿いを
トラ塗り警戒色のC56102が貨車を牽引して軽快に走ってきます。
⑧ 七尾線 和倉駅 C56123牽引 貨物列車
七尾線は北陸線の津幡駅から能登半島の北部、輪島までを結ぶ路線でした。
1991年に和倉温泉駅以南が電化され、非電化区間の和倉温泉駅~輪島駅間はのと鉄道に移管され、2001年に乗客減少の著しい穴水駅~輪島駅間が廃止されました。
現在は七尾~和倉温泉~穴水を第三セクターのと鉄道として運行されています。
昭和40年代、まだ七尾線が非電化で終点和倉まで線路が在った時代。
赤いナンバープレートで人気があったC56が昭和49年まで、貨物列車を牽いていました。
ここでは雨の中を和倉駅を出発して、穴水に向かう貨物列車を撮影しています。
和倉駅は昭和55年から和倉温泉駅に改称しています。
⑨ 七尾線 能登中島⇒西岸 C56123牽引 貨物列車
能登中島駅は全国有数の生カキの生産地で、また「無名塾」が合宿に来ている演劇の町としても知られています。
近年は能登演劇堂も完成し、無名塾のロングラン公演も催されているます。
毎年9月20日に行われる、お熊甲祭りは奇祭として有名です。
また、この能登中島駅構内には、全国に2両しかない郵便車オユ10が留置されています。
C56123牽引の貨物列車は、能登中島までの平坦な路線から、この先、西岸への上り25%の勾配に向け、猛烈な勢いで驀進します。
⑩ 越美北線 計石⇒牛ヶ原 8620牽引 貨物列車
越美北線には昭和57年まで南福井-越前大野間に貨物列車の運転がありました。
昭和48年までは8620によるSLが貨物を牽引、それ以降はDLが牽引しました。
越美北線の貨物輸送の主力は中竜鉱山で産出される、亜鉛鉱石や農産物・木材などの貨物輸送でした。
走行距離が短いのでC11などの小型のタンク機関車で良いのですが、亜鉛鉱石が重いため、急勾配を登ることが出来ず、又、福井機関区のD51だと、大野と美山の花山トンネルは、断面積が小さいためD51が使用出来なかったので、福井機関区の8620型蒸気機関車が走ることになりました。
ここでは、越美北線で最も急な25%勾配がある計石から花山峠(花山トンネル)を目指し、空の貨車を牽いてやってきます。
⑪ 小浜線 東舞鶴⇒松尾寺 本務機C58365~後補機C1251 貨物列車
小浜線の東舞鶴駅~松尾寺駅間は、線内で一番駅間距離が長く6.1km離れています。
また松尾寺駅の先に県境の峠があり、東舞鶴駅から峠までは連続のぼり勾配が続きます。
ここでは西舞鶴から敦賀に向かうC58牽引貨物列車と、松尾寺から日本板硝子舞鶴工場専用線に入る貨物列車を、C12が後補機となって後押しをします。
松尾寺からは前寄りの貨物を、先頭のC58が牽引して敦賀まで参ります。
後寄りの貨物は、日本板硝子舞鶴工場専用線にC12がバック運転で入ります。
⑫ 播但線 長谷⇒生野 C5793牽引 貨物列車
播但線は、生野の峠を越える1000分の25の急勾配があり、この区間の貨物列車には補機が付く列車もありました。
昭和43年頃からは、福知山機関区に配属されたDD54ディゼル機関車が、播但線の無煙化促進で配属されました。
最初は主に新井駅~寺前駅間の補機使用に入り、C57牽引貨物列車の前補機に附く機会が増えていきました。
ここでは、補機が付かないC57牽引の下り貨物列車を長谷駅⇒生野駅間で撮影しました。
この付近は国道から離れていますので、車の騒音もなく、鳥がさえずる中を、C5793のブラスト音が周りに響き渡ります。
⑬ 播但線 新井⇒生野 C57137牽引 貨物列車
播但線、新井駅~生野駅間の円山地区より新井駅側に移動して撮影しました。
既に新井⇒生野の勾配区間には、DD54ディゼル機関車が貨物列車の前補機に附く機会が増えていました。
この日はラッキーにも補機がなく、C57単機牽引でした。
しかし、貨物の牽引定数が多いのか、かなりの低速で、1000分の25の勾配を登ってきました。
生野峠には隧道もあり、集煙装置を付けたC57も配属されていました。
播但線も昭和47年には無縁化され、DD54ディゼル機関車にバトンタッチしましたが、DD54は故障が多く、その後1~2年でDD51に配置転換され、DD54は廃車になってしまいました。
⑭ 和歌山線 五条駅 C58221牽引 和歌山市行き普通列車
和歌山線は、奈良県の王寺駅と、和歌山県の和歌山市駅 85.5Kmを結ぶ地方鉄道路線で、奈良県側の王寺駅~五条駅と、和歌山県側の五条駅~和歌山市駅で、運転形態が分かれていました。
和歌山線には、主にC58による旅客輸送と貨物輸送がありました。
一部はC57の運用や、五条駅には、和歌山機関区のC11が在籍、和歌山線の支線、川端貨物線の貨物運用と、五条駅~吉野口駅間の勾配区間に、補機運用に使われていました。
昭和47年に旅客列車が、昭和48年には貨物列車が無煙化され、昭和55年には王寺駅~五条駅間が、昭和59年には五条駅~和歌山市駅間が電化され、
現在は電車による旅客輸送が行われています。
まだC58が和歌山線を走っていた時代は、客車を7両か8両の長大編成で、通勤客を和歌山市内に輸送していました。
⑮ 和歌山線 北字智⇒吉野口 C58牽引 普通列車
和歌山線の五条駅~北字智~吉野口間には、標高が203mの通称「重坂(へさか)峠」があり、両方向から20‰の勾配が続きます。
中でも、五条駅側の北宇智駅には、スイッチバックの設備がありました。
五条駅からの上り列車は、北宇智駅が勾配の途中駅にあり、駅に進入する前にスイッチバックの行き止まり線に停車。
ホームのある引き上げ線に、バックで推進運転して停車します。
停車後は平坦な引き上げ線より、吉野口駅を目指して再出発します。
⑯ 高砂線 加古川駅~野口駅 C11199牽引 貨物列車
国鉄高砂線は、山陽本線加古川駅から、高砂市の高砂駅まで8.0Kmを結んでいたローカル線で。
旅客輸送は、日中は2時間に1本、通勤時間帯は1時間に1本、気動車で運転されていました。
沿線には、国鉄高砂工場があり、貨物列車に加えて工場入出場のための回送列車もありましたが、昭和59年12月1日に全線が廃止になりました。
映像では、高砂線の貨物輸送を、C11が牽引していた時代の作品です。
⑰ 伯備線 生山駅⇒上石見駅 C58296牽引 上り旅客列車
伯備線は、D51が旅客列車や貨物列車を牽引していましたが、新見機関区には、芸備線と姫新線の運用に就くC58が在籍、伯備線の一部の旅客列車にもC58が運用に就きました。
C58は、亜幹線用としてコンパクトで力強く美しい機関車として、人気があり、当時の四国では主力機関車になっていました。
ここでは、午後に走るC58牽引伯備線上り普通列車をご覧ください。
トンネルから出てきて橋梁を渡りますが、その右側が紅葉時の景勝地、石霞渓になります。
⑱ 筑豊本線 折尾駅⇒中間駅 49654牽引 下り貨物列車
筑豊本線の無煙化は意外と遅く、昭和49年までSLが活躍していましした。特に筑豊線にはD50、D51、D60、8620、9600、C11、C55、C57など、多くのSLが在籍していました。
特に折尾駅~中間駅間の4線区間は、SLが牽く旅客列車や貨物列車に、石炭専用列車など、次から次にやってきます。
⑲ 筑豊本線 筑前内野駅 C5752牽引 下り旅客列車
筑前内野駅は、福岡県飯塚市南部に位置し、筑豊本線の難所、冷水峠に近く標高の高い立地です。
撮影当時は、相対式ホーム2面2線で列車交換も可能で、当駅始発の列車も運行されていました。
現在は単式ホーム1面1線になっています。
筑豊本線の旅客列車と言えば、スポーク動輪で人気のあった、C55が知られていましたが、ここではボックス動輪のC57が牽引する、下り原田行き旅客列車です。
⑳ 田川線 内田信号所⇒油須原駅 9600牽引 石灰石専用列車
田川線内田信号所~油須原駅間には、有名な撮影地ポイかとがあります。
油須原駅より約2Km、内田信号所方面に向かうと、田川線が大きくカーブをして、油須原駅に向け築堤が続きます。
画面がワイドになってくると、画面左側に、田川線と合流するように掘割が見られます。
これは国鉄時代に、漆生線漆生駅と田川線の油須原駅を、短絡線で結ぶ計画で、工事が始まりました油須原線跡地です。
その後は、周辺の路線が廃線となり、工事を中断、未成線となりました。
現在はその跡地を利用し、毎年9日間前後、赤駅から1.7Km区間に、赤村トロッコ油須原線が運行されています。
後藤寺駅より、石灰石を満載したホッパーを牽引、9600単機が夕陽をバックに油須原駅に登ってきます。
12:28 この少し前に汽笛が鳴っているはずなのに聞こえないと思ったら音がかすれて壊れているみたいですね
珍しい…
素晴らしい。😂
高砂線は、大都市近郊なのにあんなに列車本数少なかったのですね。
0:50辺り、踏切通過した所からやおら煙を吐き出すのが、「いる」って解っててやってた感じが笑える
一番印象に残るのは伯備線布原信号場のSL3重連です。
昔の貴重なフィルムですね!私も福岡県の各路線を八ミリフィルム(当時は音声無しカメラでした😅)で撮っていたのですが・・家を建て替えてから何処にいったのか😢