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国鉄型気動車の今がよく分かります。移動距離長そう😊。
とにかく頑丈に作ったのが、いまだに生きながられている一番の理由と言えます。
電化後加古川から転属して来たキハ40は城端線の越中山田の坂が単独で上がれなくてキハ531000番台代走していましたね
こんにちは。国鉄末期から民営化直後にかけて登場した新型気動車に比べてキハ40系列は装備が過剰なわりにエンジンが非力で冷房が無く構造がワンマン運転に適していないと鉄道雑誌で酷評されておりましたが令和の現在でもその頑丈さと冗長性のおかげで生き残れたのですね。
余裕を持ったムダの少ない堅実な設計をしているのも長持ちの一因だと思いますよ。加速時に大きな力がいるだけで、定速走行に移ると高出力などほとんどいりませんから。
キハ40は強いエンジンを付けても車体が重くて非力でしたが、JR九州は考え、より強いコマツ製エンジンを取り付けたキハ140・147に改造しました。今ではこれが九州ヨンマルの主力です。
ボデーが丈夫なのと、大きかったので、改造し易かったのですね。
私が20代の頃,JR西はキハ17,20,40系が混在しており新車のキハ40系はユッタリした座席など好印象が残っている.
我が地元山陰線が忘れられてしまってます😭山陰線では今でも国鉄色のキハ40系が現役バリバリでたくさん走ってます。境線では鬼太郎列車を始め今でもほとんどキハ40系です。
ほぼ同時期に開発されて内装もそっくりな50系客車が1990年代に入ると一気に淘汰が進んだのとは対照的ですね。
でも、PDCになったやつも居ますよねw
あちらは時代が客車列車の衰退期だったけれど、さりとて乗客にいつまでも我慢を強いらせる状態ではないと判断した結果なので、仕方がないですね。
西日本得意の魔改造キハ41も触れて欲しい。
JR北では、2025年内にH100形DECMOに置き換えて、観光列車化改造されたものを除き全廃とのことです。
寿命に関しては今後の補修部品次第ですね。サービス面の陳腐化というのもついて回りますが。あと技術が確立されてくれば、場合によっては中古の電車部品を使って簡易PHEV車に延命改造する、なんてこともでてくるかもしれませんね。改造車が多いというのは、一時期のキハ65が性能のバランスが良くて改造タネ車として引く手あまた(結果タネ車が枯渇してしまいましたが)だったのと同じ現象かな?
お疲れ様ですJR西日本は北陸、近畿北部、中国地方でまだまだ大活躍してますね…裏を返せばJR東海みたいに新型車両へ置き換える気がこのJR西日本は無いような気がしてならないです
キハ40系は羽越本線で何度も見かけましたし、乗りました。一番の思い出は村上駅での架線トラブルで新潟行きの特急いなほがストップした時、後続で走ってきたキハ40系3両編成の新津行きに乗り換えたら乗車率100%を越える混雑に遭遇したことですね。
私の場合は2013年頃で宇都宮駅でキハ40型のタラコ色と烏山色のキハ40型列車を撮影したかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
JR東海では残念ながら過去の車両となってしまいました。家族旅行で高山本線で高山⇒下呂間をボックスシートに座って車窓を楽しみ、ディーゼルエンジン音を聞きながら移動したのはいい思い出です。地元エリア(三重)ではロングシートの気動車となり、非常に残念です。まあ通学利用の皆様はロングのほうがいいのでしょうが…
まだまだキハ40型気動車は廃車するなら例えば小湊鉄道と渡瀬渓谷鉄道に譲渡をしたほうがいいかもしれかなたぶん😮😮😮😮😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
その前身のキハ10と22が恐ろしすぎるほど紙装甲だったから頑丈に作られたんですよね
暖地向け番台でも雪かき用のスノープラウや強力な暖房装置を標準で装備してたり、全国転配を゙意識した設計のように思う。長崎線系ではずっと後に製造されたキハ200系を゙追い出したのも笑える(称賛)
ヨンマルことキハ40系列は土地柄に応じた確りした造りと更新(カミンズ社のエンジンに換装など)が為されたからこそ生き存えたんだなと私は肯きました。2024.9.23
そういえば、キハ40 764を改造したキハ12 23というのもありましたね。色々と難しいこともあったんだろうけども、なかなかいい雰囲気に仕上がっていました。
ぽっぽ屋の車両でしょうか?幾寅駅にカットボディが保存されおります
あれ不細工過ぎて好きじゃないいい雰囲気?そう感じる人もいるんだね
城端氷見線も゙残っています
芸備線の広島近郊区間でも活躍しています。案外輸送力があるから使い勝手がいいんでしょう。
九州の40,47は、ほぼ原型を保っていて、タイフォンが暖地仕様のスリットタイプだったのが新鮮だった。
箱が頑丈。エンジン、内装サービス設備更新すれば10年は使える。事実、観光列車への魔改造種車に選ばれている。
石北にはもう居ないんだが…
キハ40系もこれから順次廃止され最終製造後50年の2032までには全廃すると予想します。今のうちに乗っておこうと思います。
山陰本線や境線でも現役ですよね!
地元民です。現役どころではありません…山陰線では(コロナ禍での減便でだいぶ少なくなりましたが)まだまだ主力…境線に至ってはまだほとんどがキハ40系ですよ。
東京駅から一番近いのは小湊鐵道(五井)かな?
キハ40には負けるけど、群馬や山梨・長野では国鉄211系が今でも主力ですよ。
中国地方では115系が今でも主力です。
14:18 あれ、津山線は?岡山はまだ残ってなかったっけ。
キハ40 柴犬論
キサ40サバイバーすぎ鉄道ビジネスカジュアル最高
キハ40系の昭和52年の登場時、急行形並みの拡幅車体で寒冷地仕様車は空気ばね装備なので、乗り心地はとても優れていた。しかし、この車両が抱える多くの矛盾が露呈するまでにはそう時間はかからなかった。極寒冷地仕様車などは、重量が40tほどもあり、220PSのエンジンでは、置き換えられるキハ20よりも重量当たりの馬力が下がるので、新車導入の意味がない。地方路線の閑散線区で普通列車に使うのに、変速機は急行向けの中速重視である。急行向けなら両運転台はいらない。また、この変速機は長大編成向きだが、長大編成で用いるのなら、両運転台車はいらないし、そもそも閑散線区のローカル線に長大編成は不要である。山の中では利用者も少ないから両運転台車で単行運転をしたいが、1軸駆動で非力のため、空転を起こしやすく単行運転ができない。北海道、東北地方の豪雪地帯でも利用客が少ないので単行運転をしたいが、1軸駆動では積雪で空転するので、両運転台なのに重連運転にせざるを得ない。新製車両として導入したばかりなので、廃車にすることもできず、使い勝手の悪い車両を、その後も長期にわたり使い続けざるを得ない。お荷物的側面が出てきてしまっていた。結局JR化後は多くの車両で新型のエンジンに載せ替えをせざるを得なかった。それでも抜本的な性能改善にはつながらなかった。重量が重すぎたからである。この厄介な車両をその後も使い続ける羽目になった。寒冷地仕様車等で100番台、500番台は空気ばね台車を用いていたので、2軸駆動化改造をしやすかったが、JR北海道の400番台(450PS)2両(1:50の映像は400番台の緑ドア車)と、JR九州の3500,4500番台(300PS)各2両づつが改造されただけで終わった。山岳線区や、豪雪地帯にはことごとく向かない車輛であった。あまりにも40系が低性能で酷かったために、このへんで少しはマトモな車両を造ろうということになり、昭和58年に造られた車両がキハ37(11:20)である。一見何の変哲もない車両だが、キハ40の反省点を踏まえ、気動車としては初めて、直噴式の機関を搭載した画期的な車両である。それまでは、夜間アイドリングと言って、一晩中エンジンをかけっぱなしにしていることが行われていた。この直噴式のエンジンはそれを廃した。この段階で縦型の13L 6気筒 210PSの機関だったが、過給機の改善、中間冷却器追加、4弁式化などにより、現在使用されているエンジンへと大きく成長していった。
ありがとうございます。
国鉄型気動車の今がよく分かります。移動距離長そう😊。
とにかく頑丈に作ったのが、いまだに生きながられている一番の理由と言えます。
電化後加古川から転属して来たキハ40は城端線の越中山田の坂が単独で上がれなくてキハ531000番台代走していましたね
こんにちは。国鉄末期から民営化直後にかけて登場した新型気動車に比べてキハ40系列は装備が過剰なわりにエンジンが非力で冷房が無く構造がワンマン運転に適していないと
鉄道雑誌で酷評されておりましたが令和の現在でもその頑丈さと冗長性のおかげで生き残れたのですね。
余裕を持ったムダの少ない堅実な設計をしているのも長持ちの一因だと思いますよ。
加速時に大きな力がいるだけで、定速走行に移ると高出力などほとんどいりませんから。
キハ40は強いエンジンを付けても車体が重くて非力でしたが、JR九州は考え、より強いコマツ製エンジンを取り付けたキハ140・147に改造しました。今ではこれが九州ヨンマルの主力です。
ボデーが丈夫なのと、大きかったので、改造し易かったのですね。
私が20代の頃,JR西はキハ17,20,40系が混在しており新車のキハ40系はユッタリした座席など好印象が残っている.
我が地元山陰線が忘れられてしまってます😭
山陰線では今でも国鉄色のキハ40系が現役バリバリでたくさん走ってます。
境線では鬼太郎列車を始め今でもほとんどキハ40系です。
ほぼ同時期に開発されて内装もそっくりな50系客車が1990年代に入ると一気に淘汰が進んだのとは対照的ですね。
でも、PDCになったやつも居ますよねw
あちらは時代が客車列車の衰退期だったけれど、さりとて乗客にいつまでも我慢を強いらせる状態ではないと判断した結果なので、仕方がないですね。
西日本得意の魔改造キハ41も触れて欲しい。
JR北では、2025年内にH100形DECMOに置き換えて、観光列車化改造されたものを除き全廃とのことです。
寿命に関しては今後の補修部品次第ですね。サービス面の陳腐化というのもついて回りますが。
あと技術が確立されてくれば、場合によっては中古の電車部品を使って簡易PHEV車に延命改造する、なんてこともでてくるかもしれませんね。
改造車が多いというのは、一時期のキハ65が性能のバランスが良くて改造タネ車として引く手あまた(結果タネ車が枯渇してしまいましたが)だったのと同じ現象かな?
お疲れ様です
JR西日本は北陸、近畿北部、中国地方でまだまだ大活躍してますね…
裏を返せばJR東海みたいに新型車両へ置き換える気がこのJR西日本は無いような気がしてならないです
キハ40系は羽越本線で何度も見かけましたし、乗りました。一番の思い出は村上駅での架線トラブルで新潟行きの特急いなほがストップした時、後続で走ってきたキハ40系3両編成の新津行きに乗り換えたら乗車率100%を越える混雑に遭遇したことですね。
私の場合は2013年頃で宇都宮駅でキハ40型のタラコ色と烏山色のキハ40型列車を撮影したかな😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
JR東海では残念ながら過去の車両となってしまいました。
家族旅行で高山本線で高山⇒下呂間をボックスシートに座って車窓を楽しみ、ディーゼルエンジン音を聞きながら移動したのはいい思い出です。
地元エリア(三重)ではロングシートの気動車となり、非常に残念です。まあ通学利用の皆様はロングのほうがいいのでしょうが…
まだまだキハ40型気動車は廃車するなら例えば小湊鉄道と渡瀬渓谷鉄道に譲渡をしたほうがいいかもしれかなたぶん😮😮😮😮😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
その前身のキハ10と22が恐ろしすぎるほど紙装甲だったから頑丈に作られたんですよね
暖地向け番台でも雪かき用のスノープラウや強力な暖房装置を標準で装備してたり、全国転配を゙意識した設計のように思う。
長崎線系ではずっと後に製造されたキハ200系を゙追い出したのも笑える(称賛)
ヨンマルことキハ40系列は土地柄に応じた確りした造りと更新(カミンズ社のエンジンに換装など)が為されたからこそ生き存えたんだなと私は肯きました。
2024.9.23
そういえば、キハ40 764を改造したキハ12 23というのもありましたね。色々と難しいこともあったんだろうけども、なかなかいい雰囲気に仕上がっていました。
ぽっぽ屋の車両でしょうか?
幾寅駅にカットボディが保存されおります
あれ不細工過ぎて好きじゃない
いい雰囲気?そう感じる人もいるんだね
城端氷見線も゙残っています
芸備線の広島近郊区間でも活躍しています。案外輸送力があるから使い勝手がいいんでしょう。
九州の40,47は、ほぼ原型を保っていて、タイフォンが暖地仕様のスリットタイプだったのが新鮮だった。
箱が頑丈。エンジン、内装サービス設備更新すれば10年は使える。
事実、観光列車への魔改造種車に選ばれている。
石北にはもう居ないんだが…
キハ40系もこれから順次廃止され最終製造後50年の2032までには全廃すると予想します。
今のうちに乗っておこうと思います。
山陰本線や境線でも現役ですよね!
地元民です。
現役どころではありません…山陰線では(コロナ禍での減便でだいぶ少なくなりましたが)まだまだ主力…境線に至ってはまだほとんどがキハ40系ですよ。
東京駅から一番近いのは小湊鐵道(五井)かな?
キハ40には負けるけど、群馬や山梨・長野では国鉄211系が今でも主力ですよ。
中国地方では115系が今でも主力です。
14:18 あれ、津山線は?岡山はまだ残ってなかったっけ。
キハ40 柴犬論
キサ40サバイバーすぎ
鉄道ビジネスカジュアル最高
キハ40系の昭和52年の登場時、急行形並みの拡幅車体で寒冷地仕様車は空気ばね装備なので、乗り心地はとても優れていた。しかし、この車両が抱える多くの矛盾が露呈するまでにはそう時間はかからなかった。
極寒冷地仕様車などは、重量が40tほどもあり、220PSのエンジンでは、置き換えられるキハ20よりも重量当たりの馬力が下がるので、新車導入の意味がない。
地方路線の閑散線区で普通列車に使うのに、変速機は急行向けの中速重視である。急行向けなら両運転台はいらない。
また、この変速機は長大編成向きだが、長大編成で用いるのなら、両運転台車はいらないし、そもそも閑散線区のローカル線に長大編成は不要である。
山の中では利用者も少ないから両運転台車で単行運転をしたいが、1軸駆動で非力のため、空転を起こしやすく単行運転ができない。
北海道、東北地方の豪雪地帯でも利用客が少ないので単行運転をしたいが、1軸駆動では積雪で空転するので、両運転台なのに重連運転にせざるを得ない。
新製車両として導入したばかりなので、廃車にすることもできず、使い勝手の悪い車両を、その後も長期にわたり使い続けざるを得ない。お荷物的側面が出てきてしまっていた。
結局JR化後は多くの車両で新型のエンジンに載せ替えをせざるを得なかった。それでも抜本的な性能改善にはつながらなかった。重量が重すぎたからである。この厄介な車両をその後も使い続ける羽目になった。
寒冷地仕様車等で100番台、500番台は空気ばね台車を用いていたので、2軸駆動化改造をしやすかったが、JR北海道の400番台(450PS)2両(1:50の映像は400番台の緑ドア車)と、JR九州の3500,4500番台(300PS)各2両づつが改造されただけで終わった。山岳線区や、豪雪地帯にはことごとく向かない車輛であった。
あまりにも40系が低性能で酷かったために、このへんで少しはマトモな車両を造ろうということになり、昭和58年に造られた車両がキハ37(11:20)である。
一見何の変哲もない車両だが、キハ40の反省点を踏まえ、気動車としては初めて、直噴式の機関を搭載した画期的な車両である。
それまでは、夜間アイドリングと言って、一晩中エンジンをかけっぱなしにしていることが行われていた。この直噴式のエンジンはそれを廃した。
この段階で縦型の13L 6気筒 210PSの機関だったが、過給機の改善、中間冷却器追加、4弁式化などにより、現在使用されているエンジンへと大きく成長していった。
ありがとうございます。