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0:51一般人が「助役さん」って声掛けるのすごいね。
いくら高性能な気動車が導入されても…鳥取の鉄道員は今も優しい。
何度見てもいい時代。
忙しさとは無縁の世界ですね。心にゆとりがあった時代なんだと思いますが、平成の東京育ちからするとうらやましいです。
すごくすごい。なんかすごいいい光景ですよ。ほんのちょっと昔はこんなんだったんですね
これぐらいのユルさがちょうどよかった。首都圏では押し込んでた頃だろうけど、あれはあれで速達サービスの一種だし。サービスも適材適所。一律に「駆け込み乗車は云々」で済ませる今は何かが変。
貴重な動画をありがとうございました
山陰の客車列車も、今は大変貴重な映像ですね。ホームにいる中学生も、今は良きお父さんになっていることでしょう。
何度見てもいいビデオですね。時間がゆっくり流れてます。
そうそう。昔は開けっぱだったな。開けっぱのドアの手摺りに掴まって余部鉄橋を渡った時のことを覚えてるよ。最後尾車両の開けっぱの連結部分から後ろに流れて行くレールをぼーっと眺めてたのも良い想い出。
こう言うシーンこそ、最高のサービス心に感じます。車掌さん、駅員さんありがとう😊おかあさん、乗れて良かったね😊
輸送こそがサービスであった国鉄の雰囲気がよく伺われます。綺麗な列車や笑顔の駅員よりも、「乗れる」事が最大のサービスだと思います。
駅員さん、車掌さんイライラもない感じで優しいし汽笛の音にうるっときます🥲✨
失われた日常を思い出しております。遅れた人は、荷物を持ったお年寄りの方…。線区によっては次の列車が2時間後とかだったりするのもあって、特に地方ではこうした光景はよく見ましたし、私も子どもの頃こうして乗せてもらったのを、今でも覚えています。すでに発車している列車に「飛び乗る」のも、旧型客車だから出来た事ですね。当時は、転落などの事故は「自己責任」とされていた。今では全て事業者の責任とされる時代になり、ホームドアの時代。失った物は、二度と戻らないのですから…。
中央西線の古虎渓だったか定光寺だったかで、2人組の男の子が上り線と下り線のホームを間違えてて、その子のために待っててあげていた光景を見たことがあります。それにしても、この動画には何か昭和の時代の優しさを感じますねぇ・・・って自分は平成生まれですが・・・
いい時代だったよね‥
高架と旧客ミスマッチいいね
「汽車」の言葉がぴったりの情景ですね。貴重な日常の一コマ、ありがとうございます。
今は特急でも2両編成ですね昔本当賑やか良かったな(泣)
まだ昭和の国鉄時代。出雲大社に行く際にかなり寄り道。米子駅までこの旧型客車に乗車。車内はガラガラの状態。夕日に照らされる大山を見ながら米子まで乗車。のんびりとした時間を過ごしました。なんて言う贅沢な時間だと今更ながら思っています。
優しい職員さんですね
+sasurai_issi Train 国鉄の人だって暖かい人いるんです。それを世間は目の敵にしましたからね。
車掌さん、山城新伍さんかと思ったわ
この頃高校生、鳥取駅に通学で乗り降りしてました。旧型客車、懐かしくて涙出そうです
旧客全廃まであと一週間ほどの映像ですねこのスハフ42は35系の高窓ドアが付いてますね懐かしい映像ありがとうございました
自分も通学時仙台駅で1度でなく何回かやってしまいました。当時遅れそうなとき出札の駅員さんがホームにブザーでしらせてくらました。それでも運悪く出発してしまったときはおそらくホームの駅員さんが出発信号を赤にして止めてくれました。当時旧客だけでなく455系やキハ58系も普通列車でしたので、ドアも開けてくれました。今の仙台駅では考えられないのでは?
昭和58年、北海道は今は無き相生線の美幌発北見相生行、その日の最終列車。汽笛一声キハは走り始めましたがガクンと急停車。女子高生が「ごめんなさーーい」と走ってきました。今でも地方では、終列車なら待ってくれるのかな?
もう30年前の高校時代、山陰本線の京都近郊某駅での話。客車列車に乗り遅れそうになったので、走って跨線橋を渡ろうとしたら、向かいのホームから「こっちや!はよこんかい!!」と助役氏の大声が。なんと友人と二人、そのまま線路におりて隣のホームに渡り列車に飛び乗りました。当時はホームも低かったとは言え、今では考えられませんが本当の話です。この映像を見ていると、なんだか旧客特有の、車内の匂いまで思い出します。
似たようなお話です。もう40年以上前の東北本線、雀宮駅での出来事。上野発一ノ関行きの客レが発車した直後、若い女性二人が「ああ、いっちゃった!」と叫んでホームに飛び込んできました。駅員は列車を止めず、「今なら間に合う、走って、ほら!早く!・・・はい、乗って!」と女性を走らせ、走り出した列車に二人を乗せ、女性が無事乗り込むところを確認するとその後、最後尾のすれ違う車掌と目で合図し、OKね、みたいな感じで挨拶し、平然と駅舎に戻っていきました。阿吽の呼吸というと大げさですが、大雑把が許されるいい時代だったと思います。
@@青柳正史 さん ご返信いただいたおかげで再び懐かしい映像を見る事が出来ました。そして雀宮駅での出来事、自分は降り立ったこともないのに、その光景が列車や駅員さんの姿とともに目に浮かぶようです。客車列車に乗って、開けっ放しのドアから浴びる風は本当に気持ちがよかったです。良い時代でしたね。
逆に飛び降りた話ですが、完全に止まる前に飛び降りたら、見事にホームに転がりました。助役氏に怒られましたが、飛び降りるときは、進行方向に向かって飛び降りなきゃだめでしょと、変な怒られ方しました。
@@324re51 さん自分は怖くて飛び降りたことはありませんが、福知山線の尼崎で派手に転倒した男性を見たことがあります。でも慣れた人は止まる前に器用に降りていましたね。特に大阪駅などは、何人もばらばらと客車から飛び降りていました。
出発指示が車掌ではなく駅側が出しているのが興味深い。
この頃に戻りたい。今じゃ客車列車なんか無くなり旅情をあまり感じられないコスト重視の合理化された車両が大半を占めようとしている。この頃は普通に客車のドアが全開でも当たり前という時代、今だったら少し開いていただけで大問題やインシデントと大々的に報道そして批判の嵐。穏やかに済ますことが出来なくなった時代は堅苦しくなったと感じる。長文すみません。
私も2年ほどまえに加古川駅で姫神線で乗り遅れそうになったお客さんのために再停止した列車を見ました。ワンマンなのに気の配りようが東海道線とは違うサービスに驚きました。
こういったルーズさもいい所ありますよね
出発の汽笛吹鳴が懐かしいです。国鉄だった頃、信号の度に汽笛が鳴るのが好きでした。昔は閉塞信号が少なかったのか、ほぼ毎日家の近くに特急が停車して時間調整していました。あの時代の車両が最高です。
心あったまる光景
秋の夕暮れ前の雰囲気からみて豊岡発米子行鳥取駅16時42分発の529レですかね?帽子のおっちゃんに「福知山行どれ」と聞かれて指し示した列車は和田山で福知山行普通列車に連絡する鳥取17時05分発姫路行の急行但馬4号かな?
いやぁー、この汽笛が風情が合っていいですわね!一人で夜行列車に乗ったあの日が懐かしいですわ。クライマックスの花嫁じゃないけど。
旧型客車も、ワイヤレスでないマイクも、すべてが時代を感じさせますね。客車列車の無線を使った出発合図は現在は車掌さんがやっていますが、この頃は駅員さんが出発合図をしていたんですね。
駅員の出発合図は大きな駅だけです。
「米子行きですね?有難うございます、すみません」「どちらまでです?」「青谷!」「はいはい」待ってあげた上に、誤乗まで確認してくれるとは・・・
最初の車掌さんの『乗せてあげ下さい』もいいですね😊
国鉄はサービスが悪かったなんて言うけど、こういうサービスは今のJRにはないと思う。
融通がきいていましたね
昔、友達とお菓子やジュースを持って行って地元の国鉄の駅によく行きました。駅員さんや駅長さんも優しくてよく中で話をしたりしていました。だから国鉄=サービスが悪いとゆうイメージはなかったです。逆にJRの駅員さんの方が冷たいなと思う時があります。
旧型客車のドア開け放し、最後尾開放がたまらない😂
車掌さんや駅員さん優しいなあと旧客かっけーなw
なんか和みますよね今じゃダイヤがキツキツで一旦停まるなんてことできませんよねいい映像だと思いますグットです
地方なら今でもやっているのでは?多分
この光景は、今では見られませんね。
車内の女の子がピースしている!ビデオカメラが珍しかった頃。いい時代だなあ
彼女達も今はお母さんですねそれにしても多分1970年前後大阪万博前後生まれ筈なのに日常的に乗れてうらやましい彼女たちの時間軸では恐らく旧型客車思い出=キャンディキャンディやベストテンとかそういう時間軸なんでしょう♪ああ青春よいつまでも♪のドカベンのedではないけれど青春旧客よいつまでもですね
+Candy Candyこの動画を見ながらBGMにはドカベンエンディングテーマああ青春よいつまでもおよび元祖天才バカボンのedテーマ元祖天才バカボンの春のMIX本当泣きそうになります(涙)
おととしの夏、秋田駅でも同じような光景を見ましたさすがに2時間に1本の頻度ではこうした光景は今でもみられるでしょう
鳥取駅の近代的な駅舎が当時からある意味不思議であった。
列車が動いているのにドアが開きっぱなしですね。現在じゃありえない光景ですね〜今でもドアを手動で乗客が開け閉めする列車はありますが、昔のように走行中にドアを開けたりする事なんて出来ませんよね・・・。貴重な映像をありがとうございます。
この時代、山陰線余部鉄橋を通過中にデッキでドアを開けて下を見てたら車掌さんに注意された。
貴重な映像ありがとうございます!!のんびりとしていて良いですね!!
アベ鳥取堂の砂丘そば、中学生のころ、駅のホームでよく食べてました。懐かしいなぁ
この時代が一番良かったですね。
貴重で懐かしい映像を公開してくださり、ありがとうございます。私はてっきり車掌氏が機関士に出発の無線交信を行うと思っていましたが、駅員の方が行うのですね~。
客車列車の時代は鳥取駅のような主要駅では主に運転扱いの助役が出発合図を出して発車してましたね。それ以外の小さい駅は車掌さんが無線機で機関車乗務の運転士さんに出発合図を送っていました。
123列車機関士さんこちら車掌です~123列車機関士123列車発車願います~123列車発車~ ピーーーー今にして思えば、のんびりしたやり取りですよね
こういう寛容さは大事だよ失ってしまったな…
翌月のダイヤ改正で旧客定期は和田岬線除いて全部なくなったあと福知山線電化でこの頃まで残ってた大阪発出雲市行普通客車(12系)列車もなくなった
1:53~1:57女の子ピースサイン、1986年昭和61年ということは団塊Jr.でも旧型客車が日常風景なのか?う~ん、何ともうらやましい。2:23~の最後尾の女の子もgood。
国鉄末期時代の映像 おじさんが駅員に「助役さん」と言っていたが この駅員は制帽が赤帽なので助役じゃなく 運転主任(助役の下の職位) 助役は赤帽に金帯が一本 ちなみに駅長は金帯が二本 列車に乗務している車掌は乗客専務の腕章をはめているので専務車掌である JRになって腕章をはめる事もなくなり 専務車掌の職位もなくなってしまった この映像は大変懐かしく 貴重な映像だと思う!
車掌の腕章をよく見ると、「車掌長」!!
確かによく見たら車掌長の腕章していますね。失礼しました。車掌長は優等列車(急行、特急)の乗務ばかりするのかと思ってましたが、普通列車の乗務もしていたんですね。
JR化されて最初の1年間(1987年度)も腕章をはめていました。(まだ国鉄制服だったため)
懐かしいなぁ。友人と京都ー出雲市をスハ43や茶色のオハ35・スハ42で何度か乗りとおした。駅で寝て、翌日更に益田まで乗った事もあった。山陰本線は最後まで汽車の時代が残った路線だった。最新の特急でなく、旧型客車に揺られてのんびり旅したいなぁ。
2003年8月頃に餘部駅から列車に乗ったら、乗り遅れた人のためにもう一度停車したことがありました。山陰地方の鉄道員さんは今も昔も皆親切なのかもしれません。
旧型車両なので、扉が手動なの対応出来たのではないかと思うのですがやっぱり当時は情のある時代だったと、しみじみ感じました。
とても懐かしい動画です。機関車のころから山陰線は乗っていました。トンネルはいったら窓しめての時代です。子供の時は連結部分が下に落ちそうで怖かった。父が駅弁買いに停車中に列車から降りた時は発車ベル鳴っても戻って来ないのでドキドキしたものです。
車両や行き交う人々にはとても時代を感じるけど、駅舎が今と殆ど変わってなくて驚きました。助役が使っている放送用のマイクなんかも、現在は使用されていませんが、まだ残ってます。
いい❤汽笛の音ですね~。懐かしか~😊
旅情に人情味、いいですね!
32年後の今日、記念カキコ。秋の匂い感じてます。
素敵です。私もこの旧型客車に乗ってみたいものです。懐かしい。現在でも臨時運転すれば、たくさんのお客さんが乗ると思います。はい、とてもいい光景ですよ。
1986年‼︎そんなに大昔じゃないな。
懐かしい光景ですな。機関車牽引列車では普通から特急までよく見る光景でしたが、気動車や電車ばかりでワンマン運転が増えた昨今では、田舎での乗り遅れも増えたように思います。
723大阪発米子行き普通列車最後の最後なれの果てですね723大阪発米子行き普通列車大阪から東浜まで乗ったので17時20分頃東浜発だったので723列車間違いない思います懐かし動画有難うございます
そうみたいです。
懐かしい雰囲気が一杯ですね
ローカル線だけではなくて、新幹線でも一旦列車を止めて乗り遅れのお客を乗せてた事があったなぁ…小郡(現新山口)駅で、今は亡き”0系”でしたが。
以前Twitterで新幹線に乗り遅れた客に罵倒罵声浴びせる画像?がありましたがそこまでいうほどの事なのかと思いましたね。何時間も遅れる訳じゃなかろうに。完全定刻運行じゃなきゃ気が済まないんでしょうかねぇ
ローカル線らしいね今は手動ドアもなくなりましたからね ついに高崎の旧型客車も自動ドアになったそうだし古い映像なのにきれいですね
+nakaken1013 高崎の旧客、ドアはかなり無理やりなんですよ。なんか電磁石とバネとか・・・
高崎の旧客は開けるのは手動だったのでもちろん手で開けました‼️
何度見てもいい時代特急まつかぜ急行だいせん等大阪京都直通あり旧型客車京都福知山迄あった時代
機関士さんへの無線通告は車掌さんではなくて、駅員さんがされてますね~
今の時代は、乗り遅れた人を罵倒して、無視したJR職員を称賛する時代です。昔は心にゆとりがあってよかったです。
罵倒する人は何がそんなに気に入らないのでしょうかね?以前Twitterでも新幹線乗り遅れた客に罵倒罵声浴びせている動画なありました
確かに心にゆとりはなくなったとは思いますが、合理化合理化で現場から権限を奪い、所定の取り扱いでなければ始末書書けと言う社員殺しの会社になってしまったのもあって(勿論それだけが理由ではない)人間味の薄れた鉄道になってしまったんでしょうね。
機関士の運転士の(もうぉ~出るよ)とばかりの汽笛がいい😂
小さい時松江駅へよく汽車を見に行ってたホームに売店があるのが懐かしい
常磐線は昭和57年11月のダイヤ改正で上野発仙台行きの長距離客車普通(鉄道郵便車連結)が下り2本廃止となりました。気温熱いときは天井の扇風機か、窓を開けてしのいでました。水戸駅、平駅で結構な時間停車するので、ホームの立ち食いそばを食べたりとか、現在のような時間にピリピリしている雰囲気なんて考えられません。水戸駅の立ち食いそばは、ネギは自分でトングを使い入れ放題。なにもかも時代背景が違うにしろ良い時代でしたね。
国鉄時代は駅員さんも融通がきいていた。JRは融通がきかず金を取ることしか考えていない。
そりゃ営利企業だし当たり前よあと乗客も五月蠅いのが増えすぎ
あまり大々的には言えないですが、昨年大沼で普通列車に乗り遅れて、動き出したキハ40を赤旗で止めて乗せてくれたことがあった、、、ありがたかったです(気を付けます)
汽車ぽっぽの古き良き時代ですね。現在のワンマン気動車では無理でしょうね。ただ時代の違いはありますから何とも言えないですね。
本数が少ない地方ならではの「機転の利いた」対応ですね。最後尾が開けっ放しなど、今では考えられないくらい危なかっかしいところもあります。
これがサラリーマンとかだったら果敢に走り出したレに飛び乗るんでしょうね。今ではそんなこともできなくなってさびしいです。
昔の列車は融通が利きましたね。
まったり出来て良い時代。これなら車内で爆睡出来そう🤭
涙が出ますね。
1986年にこんな旧型客車が走っていたのか。関東の田舎だけど、実際走ってるのを見たことあるのは、大井川鉄道のSLでだけだ。
実は首都圏でも、1982年まで常磐線の列車で旧型客車が上野まで来ていたことがありましたよ。
なんか、懐かしくて泣けてきます(T-T)
今だったら「後の列車をご利用ください」って言いますね。このころも都心部ではそんな親切な感じだったのでしょうか。
そんな事ないです。
この旧型客車も1986年11月改正で50系化されてJR化後に引き継がれましたね。(1992年頃まで)
車掌弁はこういう時に使うのか。ドアにものが挟まっているのを確認したときや、動きだした時に異常を感じた時などに車掌がいる部屋のレバーを引く。路面電車では、車掌が異常を発見したら、電鈴やブザーを連打するのは、「これは危険!直ちに停車せよ!」の合図。
古き良き時代ですね。今のJRは、サービスを勘違いしている所がある。
JRになる半年前までこういう光景が見れたんですね。国鉄はサービスが悪かったって言うけど、それは一部分だけで、たとえ言葉はぶっきらぼうでも待ってくれたりする思いやりのあるやさしい人がほとんどだったんじゃないかな?と思います。JRになってもう約四半世紀。このころと比べれば車両も駅も格段に綺麗になったけど、反面、民営化で事務的になってしまった感も否めないと思います。
日曜だったこの日、上りの福知山行に乗ってこの駅を通りました。当時、動き出してから拾うシーンはたくさん見かけましたね。ドラマ「ふてほど」の1986年はこういう一面もあったわけだ。
福知山行の列車はどれか?と2度も訪ねてくる帽子のおっちゃんにもウケる
sasinuki てか鳥取から福知山まで各駅で行けたんですね。今は鳥取からは浜坂か城崎温泉までなので
今の時代だと1:12なんか、「旗で案内したと」か、そういうことまでクレームにするお客が増えてます。「発車しまーす」と伸ばしたとか、そんなことよりももっと大切なことあると思います。
そうだこの当時はまだDD51やDE10が牽引する旧客の定期列車があったんだ。今じゃ客車を普通列車に使うとかありえないね
このほかに50系や12系近郊改造車も存在していました。(JR化後も継承)
小学生だった頃、祖父母と一緒に米子から出雲市まで同じ旧客に乗ったのを思い出しました。途中駅で通過待ちで、電車になったばかりの やくもに颯爽と抜かれた記憶はいまでもよく覚えています。
2:23~昔の国鉄の客車って連結部分が開放されてましたよね。子どもの時に「怖ッ」と思った記憶が蘇ります・・・(笑)。
Great videos
527列車福知山発米子行き鳥取16時43分着48分発思われます(1985年3月交通公社時刻表より
古き良き時代ですね
鳥取駅のホームにキオスクが当時はありましたが、今はありません。
当時高かったろうカメラとテープ、よくぞ撮影し保存していてくれた!当時はこれが日常だから、まさか数十年後に違う価値観から懐かしがられるとは思わないだろうからこういった光景は撮らないだろうに…。
八高線も、国鉄時代はこんな感じでした。
こうゆうの見ると今の時代って冷たいよなって思ってしまう便利で楽だけどこの時代の方が楽しそう
車掌氏、国労の組合員ですね。バッチ付けてるのがわかります
0:51
一般人が「助役さん」って声掛けるのすごいね。
いくら高性能な気動車が導入されても…鳥取の鉄道員は今も優しい。
何度見てもいい時代。
忙しさとは無縁の世界ですね。心にゆとりがあった時代なんだと思いますが、平成の東京育ちからするとうらやましいです。
すごくすごい。なんかすごいいい光景ですよ。ほんのちょっと昔はこんなんだったんですね
これぐらいのユルさがちょうどよかった。
首都圏では押し込んでた頃だろうけど、あれはあれで速達サービスの一種だし。
サービスも適材適所。
一律に「駆け込み乗車は云々」で済ませる今は何かが変。
貴重な動画をありがとうございました
山陰の客車列車も、今は大変貴重な映像ですね。ホームにいる中学生も、今は良きお父さんになっていることでしょう。
何度見てもいいビデオですね。時間がゆっくり流れてます。
そうそう。昔は開けっぱだったな。開けっぱのドアの手摺りに掴まって余部鉄橋を渡った時のことを覚えてるよ。最後尾車両の開けっぱの連結部分から後ろに流れて行くレールをぼーっと眺めてたのも良い想い出。
こう言うシーンこそ、最高のサービス心に感じます。車掌さん、駅員さんありがとう😊おかあさん、乗れて良かったね😊
輸送こそがサービスであった国鉄の雰囲気がよく伺われます。
綺麗な列車や笑顔の駅員よりも、「乗れる」事が最大のサービスだと思います。
駅員さん、車掌さんイライラもない感じで優しいし汽笛の音にうるっときます🥲✨
失われた日常を思い出しております。
遅れた人は、荷物を持ったお年寄りの方…。
線区によっては次の列車が2時間後とかだったりするのも
あって、特に地方ではこうした光景はよく見ましたし、
私も子どもの頃こうして乗せてもらったのを、今でも覚えています。
すでに発車している列車に「飛び乗る」のも、旧型客車だから
出来た事ですね。
当時は、転落などの事故は「自己責任」とされていた。
今では全て事業者の責任とされる時代になり、ホームドアの時代。
失った物は、二度と戻らないのですから…。
中央西線の古虎渓だったか定光寺だったかで、2人組の男の子が上り線と下り線のホームを間違えてて、その子のために待っててあげていた光景を見たことがあります。
それにしても、この動画には何か昭和の時代の優しさを感じますねぇ・・・
って自分は平成生まれですが・・・
いい時代だったよね‥
高架と旧客ミスマッチいいね
「汽車」の言葉がぴったりの情景ですね。貴重な日常の一コマ、ありがとうございます。
今は特急でも2両編成ですね昔本当賑やか良かったな(泣)
まだ昭和の国鉄時代。出雲大社に行く際にかなり寄り道。米子駅までこの旧型客車に乗車。車内はガラガラの状態。夕日に照らされる大山を見ながら米子まで乗車。のんびりとした時間を過ごしました。なんて言う贅沢な時間だと今更ながら思っています。
優しい職員さんですね
+sasurai_issi Train
国鉄の人だって暖かい人いるんです。それを世間は
目の敵にしましたからね。
車掌さん、山城新伍さんかと思ったわ
この頃高校生、鳥取駅に通学で乗り降りしてました。旧型客車、懐かしくて涙出そうです
旧客全廃まであと一週間ほどの映像ですね
このスハフ42は35系の高窓ドアが付いてますね
懐かしい映像ありがとうございました
自分も通学時仙台駅で1度でなく何回かやってしまいました。当時遅れそうなとき出札の駅員さんがホームにブザーでしらせてくらました。それでも運悪く出発してしまったときはおそらくホームの駅員さんが出発信号を赤にして止めてくれました。当時旧客だけでなく455系やキハ58系も普通列車でしたので、ドアも開けてくれました。今の仙台駅では考えられないのでは?
昭和58年、北海道は今は無き相生線の美幌発北見相生行、その日の最終列車。汽笛一声キハは走り始めましたがガクンと急停車。女子高生が「ごめんなさーーい」と走ってきました。今でも地方では、終列車なら待ってくれるのかな?
もう30年前の高校時代、山陰本線の京都近郊某駅での話。
客車列車に乗り遅れそうになったので、走って跨線橋を渡ろうとしたら、向かいのホームから「こっちや!はよこんかい!!」と助役氏の大声が。
なんと友人と二人、そのまま線路におりて隣のホームに渡り列車に飛び乗りました。
当時はホームも低かったとは言え、今では考えられませんが本当の話です。
この映像を見ていると、なんだか旧客特有の、車内の匂いまで思い出します。
似たようなお話です。もう40年以上前の東北本線、雀宮駅での出来事。上野発一ノ関行きの客レが発車した直後、若い女性二人が「ああ、いっちゃった!」と叫んでホームに飛び込んできました。駅員は列車を止めず、「今なら間に合う、走って、ほら!早く!・・・はい、乗って!」と女性を走らせ、走り出した列車に二人を乗せ、女性が無事乗り込むところを確認するとその後、最後尾のすれ違う車掌と目で合図し、OKね、みたいな感じで挨拶し、平然と駅舎に戻っていきました。阿吽の呼吸というと大げさですが、大雑把が許されるいい時代だったと思います。
@@青柳正史 さん ご返信いただいたおかげで再び懐かしい映像を見る事が出来ました。そして雀宮駅での出来事、自分は降り立ったこともないのに、その光景が列車や駅員さんの姿とともに目に浮かぶようです。客車列車に乗って、開けっ放しのドアから浴びる風は本当に気持ちがよかったです。良い時代でしたね。
逆に飛び降りた話ですが、完全に止まる前に飛び降りたら、見事にホームに転がりました。助役氏に怒られましたが、飛び降りるときは、進行方向に向かって飛び降りなきゃだめでしょと、変な怒られ方しました。
@@324re51 さん
自分は怖くて飛び降りたことはありませんが、福知山線の尼崎で派手に転倒した男性を見たことがあります。でも慣れた人は止まる前に器用に降りていましたね。特に大阪駅などは、何人もばらばらと客車から飛び降りていました。
出発指示が車掌ではなく駅側が出しているのが興味深い。
この頃に戻りたい。今じゃ客車列車なんか無くなり旅情をあまり感じられないコスト重視の合理化された車両が大半を占めようとしている。この頃は普通に客車のドアが全開でも当たり前という時代、今だったら少し開いていただけで大問題やインシデントと大々的に報道そして批判の嵐。穏やかに済ますことが出来なくなった時代は堅苦しくなったと感じる。長文すみません。
私も2年ほどまえに加古川駅で姫神線で乗り遅れそうになったお客さんのために再停止した列車を見ました。ワンマンなのに気の配りようが東海道線とは違うサービスに驚きました。
こういったルーズさもいい所ありますよね
出発の汽笛吹鳴が懐かしいです。
国鉄だった頃、信号の度に汽笛が鳴るのが好きでした。
昔は閉塞信号が少なかったのか、ほぼ毎日家の近くに特急が停車して時間調整していました。
あの時代の車両が最高です。
心あったまる光景
秋の夕暮れ前の雰囲気からみて豊岡発米子行鳥取駅16時42分発の529レですかね?帽子のおっちゃんに「福知山行どれ」と聞かれて指し示した列車は和田山で福知山行普通列車に連絡する鳥取17時05分発姫路行の急行但馬4号かな?
いやぁー、この汽笛が風情が合っていいですわね!
一人で夜行列車に乗ったあの日が懐かしいですわ。
クライマックスの花嫁じゃないけど。
旧型客車も、ワイヤレスでないマイクも、すべてが時代を感じさせますね。
客車列車の無線を使った出発合図は現在は車掌さんがやっていますが、この頃は駅員さんが出発合図をしていたんですね。
駅員の出発合図は大きな駅だけです。
「米子行きですね?有難うございます、すみません」
「どちらまでです?」
「青谷!」
「はいはい」
待ってあげた上に、誤乗まで確認してくれるとは・・・
最初の車掌さんの『乗せてあげ下さい』もいいですね😊
国鉄はサービスが悪かったなんて言うけど、こういうサービスは今のJRにはないと思う。
融通がきいていましたね
昔、友達とお菓子やジュースを持って行って地元の国鉄の駅によく行きました。
駅員さんや駅長さんも優しくてよく中で話をしたりしていました。
だから国鉄=サービスが悪いとゆうイメージはなかったです。
逆にJRの駅員さんの方が冷たいなと思う時があります。
旧型客車のドア開け放し、最後尾開放がたまらない😂
車掌さんや駅員さん優しいな
あと旧客かっけーなw
なんか和みますよね
今じゃダイヤがキツキツで
一旦停まるなんてことできませんよね
いい映像だと思いますグットです
地方なら今でもやっているのでは?多分
この光景は、今では見られませんね。
車内の女の子がピースしている!ビデオカメラが珍しかった頃。いい時代だなあ
彼女達も今はお母さんですねそれにしても多分1970年前後大阪万博前後生まれ筈なのに日常的に乗れてうらやましい彼女たちの時間軸では恐らく旧型客車思い出=キャンディキャンディやベストテンとかそういう時間軸なんでしょう♪ああ青春よいつまでも♪のドカベンのedではないけれど青春旧客よいつまでもですね
+Candy Candy
この動画を見ながらBGMにはドカベンエンディングテーマああ青春よいつまでもおよび元祖天才バカボンのedテーマ元祖天才バカボンの春のMIX本当泣きそうになります(涙)
おととしの夏、秋田駅でも同じような光景を見ました
さすがに2時間に1本の頻度ではこうした光景は今でもみられるでしょう
鳥取駅の近代的な駅舎が当時からある意味不思議であった。
列車が動いているのにドアが開きっぱなしですね。現在じゃありえない光景ですね〜
今でもドアを手動で乗客が開け閉めする列車はありますが、昔のように走行中にドアを開けたりする事なんて出来ませんよね・・・。貴重な映像をありがとうございます。
この時代、山陰線余部鉄橋を通過中にデッキでドアを開けて下を見てたら車掌さんに注意された。
貴重な映像ありがとうございます!!
のんびりとしていて
良いですね!!
アベ鳥取堂の砂丘そば、中学生のころ、駅のホームでよく食べてました。懐かしいなぁ
この時代が一番良かったですね。
貴重で懐かしい映像を公開してくださり、ありがとうございます。私はてっきり車掌氏が機関士に出発の無線交信を行うと思っていましたが、駅員の方が行うのですね~。
客車列車の時代は鳥取駅のような主要駅では主に運転扱いの助役が出発合図を出して発車してましたね。それ以外の小さい駅は車掌さんが無線機で機関車乗務の運転士さんに出発合図を送っていました。
123列車機関士さんこちら車掌です~
123列車機関士
123列車発車願います~
123列車発車~ ピーーーー
今にして思えば、のんびりしたやり取りですよね
こういう寛容さは大事だよ
失ってしまったな…
翌月のダイヤ改正で旧客定期は和田岬線除いて全部なくなった
あと福知山線電化でこの頃まで残ってた大阪発出雲市行普通客車(12系)列車もなくなった
1:53~1:57女の子ピースサイン、1986年昭和61年ということは団塊Jr.でも旧型客車が日常風景なのか
?う~ん、何ともうらやましい。
2:23~の最後尾の女の子もgood。
国鉄末期時代の映像 おじさんが駅員に「助役さん」と言っていたが この駅員は制帽が赤帽なので助役じゃなく 運転主任(助役の下の職位) 助役は赤帽に金帯が一本 ちなみに駅長は金帯が二本 列車に乗務している車掌は乗客専務の腕章をはめているので専務車掌である JRになって腕章をはめる事もなくなり 専務車掌の職位もなくなってしまった この映像は大変懐かしく 貴重な映像だと思う!
車掌の腕章をよく見ると、「車掌長」!!
確かによく見たら車掌長の腕章していますね。失礼しました。車掌長は優等列車(急行、特急)の乗務ばかりするのかと思ってましたが、普通列車の乗務もしていたんですね。
JR化されて最初の1年間(1987年度)も腕章をはめていました。(まだ国鉄制服だったため)
懐かしいなぁ。友人と京都ー出雲市をスハ43や茶色のオハ35・スハ42で何度か乗りとおした。駅で寝て、翌日更に益田まで乗った事もあった。山陰本線は最後まで汽車の時代が残った路線だった。最新の特急でなく、旧型客車に揺られてのんびり旅したいなぁ。
2003年8月頃に餘部駅から列車に乗ったら、乗り遅れた人のためにもう一度停車したことがありました。山陰地方の鉄道員さんは今も昔も皆親切なのかもしれません。
旧型車両なので、扉が手動なの対応出来たのではないかと思うのですがやっぱり当時は情のある時代だったと、しみじみ感じました。
とても懐かしい動画です。機関車のころから山陰線は乗っていました。トンネルはいったら窓しめての時代です。子供の時は連結部分が下に落ちそうで怖かった。父が駅弁買いに停車中に列車から降りた時は発車ベル鳴っても戻って来ないのでドキドキしたものです。
車両や行き交う人々にはとても時代を感じるけど、駅舎が今と殆ど変わってなくて驚きました。助役が使っている放送用のマイクなんかも、現在は使用されていませんが、まだ残ってます。
いい❤汽笛の音ですね~。懐かしか~😊
旅情に人情味、いいですね!
32年後の今日、記念カキコ。秋の匂い感じてます。
素敵です。私もこの旧型客車に乗ってみたいものです。懐かしい。現在でも臨時運転すれば、たくさんのお客さんが乗ると思います。はい、とてもいい光景ですよ。
1986年‼︎
そんなに大昔じゃないな。
懐かしい光景ですな。
機関車牽引列車では普通から特急までよく見る光景でしたが、気動車や電車ばかりでワンマン運転が増えた昨今では、田舎での乗り遅れも増えたように思います。
723大阪発米子行き普通列車最後の最後なれの果てですね723大阪発米子行き普通列車大阪から東浜まで乗ったので17時20分頃東浜発だったので723列車間違いない思います懐かし動画有難うございます
そうみたいです。
懐かしい雰囲気が一杯ですね
ローカル線だけではなくて、新幹線でも一旦列車を止めて乗り遅れのお客を乗せてた事があったなぁ…小郡(現新山口)駅で、今は亡き”0系”でしたが。
以前Twitterで新幹線に乗り遅れた客に罵倒罵声浴びせる画像?がありましたがそこまでいうほどの事なのかと思いましたね。何時間も遅れる訳じゃなかろうに。完全定刻運行じゃなきゃ気が済まないんでしょうかねぇ
ローカル線らしいね
今は手動ドアもなくなりましたからね ついに高崎の旧型客車も自動ドアになったそうだし
古い映像なのにきれいですね
+nakaken1013 高崎の旧客、ドアはかなり無理やりなんですよ。なんか電磁石とバネとか・・・
高崎の旧客は開けるのは手動だったのでもちろん手で開けました‼️
何度見てもいい時代特急まつかぜ急行だいせん等大阪京都直通あり旧型客車京都福知山迄あった時代
機関士さんへの無線通告は車掌さんではなくて、駅員さんがされてますね~
今の時代は、乗り遅れた人を罵倒して、無視したJR職員を称賛する時代です。昔は心にゆとりがあってよかったです。
罵倒する人は何がそんなに気に入らないのでしょうかね?以前Twitterでも新幹線乗り遅れた客に罵倒罵声浴びせている動画なありました
確かに心にゆとりはなくなったとは思いますが、合理化合理化で現場から権限を奪い、所定の取り扱いでなければ始末書書けと言う社員殺しの会社になってしまったのもあって(勿論それだけが理由ではない)人間味の薄れた鉄道になってしまったんでしょうね。
機関士の運転士の(もうぉ~出るよ)とばかりの汽笛がいい😂
小さい時松江駅へよく汽車を見に行ってた
ホームに売店があるのが懐かしい
常磐線は昭和57年11月のダイヤ改正で上野発仙台行きの長距離客車普通(鉄道郵便車連結)が下り2本廃止となりました。気温熱いときは天井の扇風機か、窓を開けてしのいでました。水戸駅、平駅で結構な時間停車するので、ホームの立ち食いそばを食べたりとか、現在のような時間にピリピリしている雰囲気なんて考えられません。
水戸駅の立ち食いそばは、ネギは自分でトングを使い入れ放題。なにもかも時代背景が違うにしろ良い時代でしたね。
国鉄時代は駅員さんも融通がきいていた。
JRは融通がきかず金を取ることしか考えていない。
そりゃ営利企業だし当たり前よ
あと乗客も五月蠅いのが増えすぎ
あまり大々的には言えないですが、昨年大沼で普通列車に乗り遅れて、動き出したキハ40を赤旗で止めて乗せてくれたことがあった、、、ありがたかったです(気を付けます)
汽車ぽっぽの古き良き時代ですね。現在のワンマン気動車では無理でしょうね。ただ時代の違いはありますから何とも言えないですね。
本数が少ない地方ならではの「機転の利いた」対応ですね。最後尾が開けっ放しなど、今では考えられないくらい危なかっかしいところもあります。
これがサラリーマンとかだったら果敢に走り出したレに飛び乗るんでしょうね。
今ではそんなこともできなくなってさびしいです。
昔の列車は融通が利きましたね。
まったり出来て良い時代。これなら車内で爆睡出来そう🤭
涙が出ますね。
1986年にこんな旧型客車が走っていたのか。関東の田舎だけど、実際走ってるのを見たことあるのは、大井川鉄道のSLでだけだ。
実は首都圏でも、1982年まで常磐線の列車で旧型客車が上野まで来ていたことがありましたよ。
なんか、懐かしくて泣けてきます(T-T)
今だったら「後の列車をご利用ください」って言いますね。
このころも都心部ではそんな親切な感じだったのでしょうか。
そんな事ないです。
この旧型客車も1986年11月改正で50系化されてJR化後に引き継がれましたね。(1992年頃まで)
車掌弁はこういう時に使うのか。
ドアにものが挟まっているのを確認したときや、動きだした時に異常を感じた時などに車掌がいる部屋のレバーを引く。
路面電車では、車掌が異常を発見したら、電鈴やブザーを連打するのは、「これは危険!直ちに停車せよ!」の合図。
古き良き時代ですね。
今のJRは、サービスを勘違いしている所がある。
JRになる半年前までこういう光景が見れたんですね。
国鉄はサービスが悪かったって言うけど、それは一部分だけで、たとえ言葉はぶっきらぼうでも待ってくれたりする思いやりのあるやさしい人がほとんどだったんじゃないかな?と思います。
JRになってもう約四半世紀。このころと比べれば車両も駅も格段に綺麗になったけど、反面、民営化で事務的になってしまった感も否めないと思います。
日曜だったこの日、上りの福知山行に乗ってこの駅を通りました。当時、動き出してから拾うシーンはたくさん見かけましたね。ドラマ「ふてほど」の1986年はこういう一面もあったわけだ。
福知山行の列車はどれか?と2度も訪ねてくる帽子のおっちゃんにもウケる
sasinuki てか鳥取から福知山まで各駅で行けたんですね。
今は鳥取からは浜坂か城崎温泉までなので
今の時代だと1:12なんか、「旗で案内したと」か、そういうことまでクレームにするお客が増えてます。「発車しまーす」と伸ばしたとか、そんなことよりももっと大切なことあると思います。
そうだこの当時はまだDD51やDE10が牽引する旧客の定期列車があったんだ。今じゃ客車を普通列車に使うとかありえないね
このほかに50系や12系近郊改造車も存在していました。(JR化後も継承)
小学生だった頃、祖父母と一緒に米子から出雲市まで同じ旧客に乗ったのを思い出しました。途中駅で通過待ちで、電車になったばかりの やくもに颯爽と抜かれた記憶はいまでもよく覚えています。
2:23~昔の国鉄の客車って連結部分が開放されてましたよね。子どもの時に「怖ッ」と思った記憶が蘇ります・・・(笑)。
Great videos
527列車福知山発米子行き鳥取16時43分着48分発思われます(1985年3月交通公社時刻表より
古き良き時代ですね
鳥取駅のホームにキオスクが当時はありましたが、今はありません。
当時高かったろうカメラとテープ、よくぞ撮影し保存していてくれた!
当時はこれが日常だから、まさか数十年後に違う価値観から懐かしがられるとは思わないだろうからこういった光景は撮らないだろうに…。
八高線も、国鉄時代はこんな感じでした。
こうゆうの見ると
今の時代って冷たいよな
って思ってしまう
便利で楽だけどこの時代の方が楽しそう
車掌氏、国労の組合員ですね。
バッチ付けてるのがわかります