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日本史上最もカッコ良い親子。
真田親子、楠木親子素晴らしいです。敬服いたします。
冷静な戦運び、決死の戦法、配下を労り弟と刺し違える潔い最期…「あの父にしてこの子息あり」。なんてかっこいいんだ…🔥
受験日本史じゃこの辺全然やらなかったけど、この動画で面白さを知りました。今では戦国時代や源平合戦に負けず劣らず好きになってきたので、受験終わったら太平記読んでみます。ありがとうございます。
正行の和歌は名歌ですよねそれと並んで足利義輝の句も印象的で好きになりましたその後の楠木氏のことは謎が多いですね
宝塚の桜嵐記というお芝居を見てから来ました。正行が主人公で弁内侍との悲恋の物語でこの動画の内容とほぼ同時代です。世界史選択だったのと、関西の地理が全くわからないので物語もわかりにくいところがあったのですがスッキリしました。ありがとうございます。
google earthを使った編集がいいですね。当時の川や池は手でやってるのだろうけどすごい大変かと思いますがその分クオリティが高くてわかりやすい!
私は楠一族の中では大楠公の三男・楠木正儀が好きですねえ。裏切者と言われながらも大業をなした大政治家だと思います。
私の名前もこの人から頂きましたが、親父さんより影が薄くて諸葛孔明の後の姜維見たいで切なかったのですが、これを見てからは誇りに思います。
楠正成と長男は忠義で有名だが、彼らの討死ににより楠を継いだ次男三男も極めて有能。三男は、武勇知略に長け、北朝の細川を討ち取ったがその息子が敵討ちを狙うどころか逆にファンになりリクルートをかけてきたという異能の持ち主。さらに、南北朝を渡り歩き生き残ったという意味でも実に有能。
南朝軍が一時京都を占領した際、佐々木道誉の屋敷を宿所としたのが正儀さんですが、道誉さんは 屋敷に食事や生活用品などを美しく整えて去っていました。道誉さんの心意気を 見事! と感じた正儀さんは、屋敷を荒らさず、退却時には元に戻し 御礼の品まで置いて去ったそうです。 乱世のさなか、グっとくる話ですね
@@カネゴンの娘 そうそう、3男さんです、失礼しました。
さすが正成公のご子息父親譲りの智将であられる
今日たまたま瓢箪山駅ってとこで降りたんやけど、楠木正行の墓跡があって感動した
滅びの美学を地で行った親子!日本史上永遠のヒ一ロ一だと思います。
何回やっても何回やっても足利が倒せない…
6:30帝の、無理すんなって言葉がしみる。でもこの優しさが返って死に急がせたような気がする。絶対に打ち破れとか追い込むような言い方してたら、もっと粘っこい戦い方に正行は切り替えたかもね。あまりにも臣下にやる気を出させる主君もいかんのかもしれん。
後村上帝の本心だろうと思うなでも、まだ若い帝は 親代わりと言える北畠親房に直接 反対意見は言えない帰って来い と言うのが 精一杯だったんだろうと思う
有名な清のヌルハチとかフランスのナポレオンも軍勢を動かす時に、状況をよく見極めて軍団を一纏めにして、各個撃破戦略が上手かったし楠木正行はまさに父親並みの名将。その上この時代に残党狩りしないで、溺れてる敵でも助けて人道優先とか素晴らしい。
新田義貞に足を引っ張られていたかな
殺戮大好きの結城宗広とは真逆の人間性ですね。
父親の影響で朱子学に殉じた。「七たび生まれ変わって朝敵を討つ」というように輪廻転生の世界に生きていたようなので死ぬのは今ほど怖くなかったはず。
楠木親子の天皇への忠誠心が…歴史って歴史を学ぶのしかないのでしょうが歴史で生きた人達の生き様をきちんと学ぶべきところが多いと感じました。
5:46 高階系図という資料では高師泰が兄で園太曆という資料では弟だそうです
ほんと後醍醐天皇は人間性はアレだけど、部下には物凄い恵まれてた。
天皇じゃなかったら誰もついてこないだろうね
後醍醐天皇の死後全部北朝に捏造されたって話もありますがね。武烈天皇もそうだといわれていますし、、、
@@いいいん 勝てば官軍負ければ賊軍
藤井寺合戦の場所の周辺、古墳が沢山あって面白い
91年大河ドラマ「太平記」ではすらっと終わった展開ですがドラマはあったのですね。そんな太平記再放送も3月1周目が最終回でしょうか。なんやただの偶然でしょうが昨年4月から始まった太平記の再放送期間中=コロナ禍の真っただ中な気がする。なんともスピリッチャルなドラマでした。
現代の子供👦にも教える教育です😆🎵🎵
まずは自分の子供に教えよう
03:53 山名時氏は足利一門ではなく新田一門の武将ではないかと思います。
ワイ四條畷市民、歓喜
飯盛山🏔の正行のでっかい像会いに行きましたか?
わかりやすい解説ありがとうございます。
トテモ聞きやすい速度デス発音モ綺麗にナッテマスネ
正行は良き肉親を持った良き忠義者の父=正成それを支える母父親の良き片腕=叔父=正季育った家庭環境が良かったからこそ正行は良き武将になった
事実は四条畷では死んでませんが…。片目を傷つけられながら僅かな郎党と富士山の麓まで逃れています。その後病死しています。一門は夫々四散したとも言われています。現在、新潟辺り迄逃げ落ちた正行一門の子孫も居ます。
本当ですよ。四条畷から郎党一門に周りを囲われる様にして忍野八海に落ち延びています。其処では凡そ三十数騎の一門が付き従っておられた様です。暫く忍野八海にて養生を兼ねて三々五々集い来た一門と共に体勢を立て直し、其の後に虚無僧に扮して京へと向かった様です。残念乍ら途上にて、ある寺に匿われ乍ら、この世での命を終えられています。結核とも言われますが肺癌であった様です。多分何処の歴史書にも出てないとは思いますけど…。
常陸の瓜連に居た楠木正家が 関東の戦で敗れて 西に逃げて 富士の近くへ辿り着いた、と言う説もあるようですな正成の孫の正勝が 怪我の為に戦えなくなって 新潟や出羽に行き寺を建てた、と言う説もあり、菊水紋の寺が 実際にありますね
そのへんの情報を詳しく知りたいです。よくご存知ですね。素晴らしい。希望の持てるお話。ありがとうございます。
四条畷神社には2度お参りさせていただきました、楠木正行のお墓の大きさに驚いたしだいです。感動しました✨
学生時代に見た国語の資料集で、正行が矢面に立ち、矢の雨が降る中走る名画を見たことがあります。彼は優れた武将故、幕府軍に恐れられたらしいですね。何よりあの親子は、武骨者という言葉を具現化した人柄だったとか。まぁ、だからこその最期だった気がしますよね……( ̄▽ ̄;)
山名氏は足利一門ということになっていますが、血縁的には新田一族ですね。ですが、山名氏は古くから足利氏に従っていたようです。
9:28 左 河内国 野田城二代目城主 野田四郎正氏 真ん中の人は誰だろう?
尊氏はそんなに甘い男ではない。遺族が見たいと思うならば、さらし首はしないだろう。醜くなった首を見て若い正行に厭戦気分を持つように仕向けたのだろうが、母御はそれと知り諌めて尊氏を討てと諭したのではないか。と思う。
楠木正行も北畠顕家も若死にしすぎ。死に急ぎというか、覚悟が、肝が据わり過ぎてるんだろうか・・
楠木正成の三男、楠木正儀は兄たちとは異なる生き方を選びましたね。個人的には南朝の名臣だと思います。
正行はともかく、正成や北畠顕家、新田義貞等、初期の南朝の有力武将は後醍醐天皇に殺されたようなものですよ。基本的に武士は例え自分の配下であっても、ただの駒としか見てないので、平気で無理な戦いをさせてしまうくせに、その忠義に報いる事もないんです。貴族や天皇家が第一の南朝が衰えたのも当然の事です。
@@perrun9848 無い。
@@菊力 何が「無い」のかな?ちなみに僕も正儀については父に匹敵、あるいは超える名将だと思っています。
私も正儀は名将と思ってますお父ちゃんの遺志をしっかり継いでますよね正成も「自分が使者として交渉に行く」と進言して 交渉権を望みましたが、蹴られました交渉するなら その政権の代表として それなりの身分か政治的権限が必須ですが、後醍醐天皇はそれを拒否します、政治に口を出すな という訳ですねお父ちゃんとしては 朝臣の身分と領地は 出来たら子供に継がせたい、なので 敢えて命令に従って湊川へ行ったんだと思います命を落としたとしても "忠臣"になれますからね正行が朝廷に出仕したのは 資料上では 後醍醐帝崩御の翌年です、政治的状況を見極めてから 出仕を決断したんだと思いますでも 北畠親房の権限が強く 戦さを強いられたので、お父ちゃんと同じ道を選んで "忠臣"になったんですよここで朝廷も軍事力の激減に気づいて 親子二代 で"忠誠をつくした" 楠木家に交渉権を与え、やっと楠木家が政治に参加できた という事だと思いますもし正儀の和平交渉が成功していたら、楠木家は朝臣として ずっと続いていたかもしれませんね
渡辺橋は京阪中之島線の駅にあります。
山名氏は新田氏庶流ですね😃
最近の説だと新田氏自体が足利一門
師直相手に命のやり取り•••この時点で正気の沙汰とは思えません。😱💦
楠木正成と正行親子を主人公にした大河ドラマをぜひやってもらいたいですね。左翼色のNHKでは無理ですかね?
なかなか正行も名将やね
楠木正成の首をみた時はくやしかったやろーな。細川顕氏はウルトラセブンことダン
細川顕氏さん❗️「逃げ上手」の作品では、彼はめっちゃ太ったオッチャンに描かれています。😂💦んで師直に「それだけ太っていて何が細川だ、笑わせる」「太っとい太い細川くぅん〜」てイジられてました。😂名前と体型が矛盾してるの大笑いしました。🤣💦
殺した首をその子に届ける、、、尊氏は鬼畜よのぉ、、
なんと情け深いことよ。
尊氏は楠木正成の事は評価していたから正成の首級はキチンと返還したんだと思う。ただ義貞の首は都をら引き回した上で首が腐るまで晒し首の恥辱を与えた様です。
新田義貞に足を引っ張られたね
新田 凡人過ぎ
この辺りの日本史の授業は、サラッと終わってしまって全然面白くない。忠臣が増えたら困るのだろうか❓
足利尊氏を 悪者デ終わらせたいからですね
what
私が止めを刺した
首(こうべ)では? それにしてもこの日本、国会議員を先頭に金に卑しい輩が殖えました。
日本史上最もカッコ良い親子。
真田親子、楠木親子素晴らしいです。敬服いたします。
冷静な戦運び、決死の戦法、配下を労り弟と刺し違える潔い最期…
「あの父にしてこの子息あり」。
なんてかっこいいんだ…🔥
受験日本史じゃこの辺全然やらなかったけど、この動画で面白さを知りました。
今では戦国時代や源平合戦に負けず劣らず好きになってきたので、受験終わったら太平記読んでみます。
ありがとうございます。
正行の和歌は名歌ですよね
それと並んで足利義輝の句も印象的で好きになりました
その後の楠木氏のことは謎が多いですね
宝塚の桜嵐記というお芝居を見てから来ました。正行が主人公で弁内侍との悲恋の物語でこの動画の内容とほぼ同時代です。世界史選択だったのと、関西の地理が全くわからないので物語もわかりにくいところがあったのですがスッキリしました。ありがとうございます。
google earthを使った編集がいいですね。当時の川や池は手でやってるのだろうけどすごい大変かと思いますがその分クオリティが高くてわかりやすい!
私は楠一族の中では大楠公の三男・楠木正儀が好きですねえ。裏切者と言われながらも大業をなした大政治家だと思います。
私の名前もこの人から頂きましたが、親父さんより影が薄くて諸葛孔明の後の姜維見たいで切なかったのですが、これを見てからは誇りに思います。
楠正成と長男は忠義で有名だが、彼らの討死ににより楠を継いだ次男三男も極めて有能。三男は、武勇知略に長け、北朝の細川を討ち取ったがその息子が敵討ちを狙うどころか逆にファンになりリクルートをかけてきたという異能の持ち主。さらに、南北朝を渡り歩き生き残ったという意味でも実に有能。
南朝軍が一時京都を占領した際、佐々木道誉の屋敷を宿所としたのが正儀さんですが、道誉さんは 屋敷に食事や生活用品などを美しく整えて去っていました。
道誉さんの心意気を 見事! と感じた正儀さんは、屋敷を荒らさず、退却時には元に戻し 御礼の品まで置いて去ったそうです。 乱世のさなか、グっとくる話ですね
@@カネゴンの娘 そうそう、3男さんです、失礼しました。
さすが正成公のご子息
父親譲りの智将であられる
今日たまたま瓢箪山駅ってとこで降りたんやけど、楠木正行の墓跡があって感動した
滅びの美学を地で行った親子!
日本史上永遠のヒ一ロ一だと思います。
何回やっても何回やっても足利が倒せない…
6:30
帝の、無理すんなって言葉がしみる。
でもこの優しさが返って死に急がせたような気がする。
絶対に打ち破れとか追い込むような言い方してたら、もっと粘っこい戦い方に正行は切り替えたかもね。
あまりにも臣下にやる気を出させる主君もいかんのかもしれん。
後村上帝の本心だろうと思うな
でも、まだ若い帝は 親代わりと言える北畠親房に直接 反対意見は言えない
帰って来い と言うのが 精一杯だったんだろうと思う
有名な清のヌルハチとかフランスのナポレオンも軍勢を動かす時に、状況をよく見極めて
軍団を一纏めにして、各個撃破戦略が上手かったし楠木正行はまさに父親並みの名将。
その上この時代に残党狩りしないで、溺れてる敵でも助けて人道優先とか素晴らしい。
新田義貞に足を引っ張られていたかな
殺戮大好きの結城宗広とは真逆の人間性ですね。
父親の影響で朱子学に殉じた。
「七たび生まれ変わって朝敵を討つ」
というように輪廻転生の世界に生きていたようなので
死ぬのは今ほど怖くなかったはず。
楠木親子の天皇への忠誠心が…
歴史って歴史を学ぶのしかないのでしょうが
歴史で生きた人達の生き様をきちんと学ぶべきところが多いと感じました。
5:46 高階系図という資料では高師泰が兄で園太曆という資料では弟だそうです
ほんと後醍醐天皇は人間性はアレだけど、部下には物凄い恵まれてた。
天皇じゃなかったら誰もついてこないだろうね
後醍醐天皇の死後全部北朝に捏造されたって話もありますがね。武烈天皇もそうだといわれていますし、、、
@@いいいん
勝てば官軍
負ければ賊軍
藤井寺合戦の場所の周辺、古墳が沢山あって面白い
91年大河ドラマ「太平記」ではすらっと終わった展開ですがドラマはあったのですね。そんな太平記再放送も3月1周目が最終回でしょうか。なんやただの偶然でしょうが昨年4月から始まった太平記の再放送期間中=コロナ禍の真っただ中な気がする。なんともスピリッチャルなドラマでした。
現代の子供👦にも教える教育です😆🎵🎵
まずは自分の子供に教えよう
03:53 山名時氏は足利一門ではなく新田一門の武将ではないかと思います。
ワイ四條畷市民、歓喜
飯盛山🏔の正行のでっかい像
会いに行きましたか?
わかりやすい解説ありがとうございます。
トテモ聞きやすい
速度デス
発音モ綺麗にナッテマスネ
正行は良き肉親を持った
良き忠義者の父=正成
それを支える母
父親の良き片腕=叔父=正季
育った家庭環境が
良かったからこそ
正行は良き武将になった
事実は四条畷では死んでませんが…。片目を傷つけられながら僅かな郎党と富士山の麓まで逃れています。その後病死しています。一門は夫々四散したとも言われています。現在、新潟辺り迄逃げ落ちた正行一門の子孫も居ます。
本当ですよ。四条畷から郎党一門に周りを囲われる様にして忍野八海に落ち延びています。其処では凡そ三十数騎の一門が付き従っておられた様です。
暫く忍野八海にて養生を兼ねて三々五々集い来た一門と共に体勢を立て直し、其の後に虚無僧に扮して京へと向かった様です。残念乍ら途上にて、ある寺に匿われ乍ら、この世での命を終えられています。結核とも言われますが肺癌であった様です。
多分何処の歴史書にも出てないとは思いますけど…。
常陸の瓜連に居た楠木正家が 関東の戦で敗れて 西に逃げて 富士の近くへ辿り着いた、と言う説もあるようですな
正成の孫の正勝が 怪我の為に戦えなくなって 新潟や出羽に行き寺を建てた、と言う説もあり、菊水紋の寺が 実際にありますね
そのへんの情報を詳しく知りたいです。よくご存知ですね。素晴らしい。希望の持てるお話。ありがとうございます。
四条畷神社には2度お参りさせていただきました、楠木正行のお墓の大きさに驚いたしだいです。感動しました✨
学生時代に見た国語の資料集で、正行が矢面に立ち、矢の雨が降る中走る名画を見たことがあります。
彼は優れた武将故、幕府軍に恐れられたらしいですね。何よりあの親子は、武骨者という言葉を具現化した人柄だったとか。
まぁ、だからこその最期だった気がしますよね……( ̄▽ ̄;)
山名氏は足利一門ということになっていますが、血縁的には新田一族ですね。
ですが、山名氏は古くから足利氏に従っていたようです。
9:28 左 河内国 野田城二代目城主 野田四郎正氏
真ん中の人は誰だろう?
尊氏はそんなに甘い男ではない。
遺族が見たいと思うならば、さらし首はしないだろう。
醜くなった首を見て若い正行に厭戦気分を持つように仕向けたのだろうが、母御はそれと知り諌めて尊氏を討てと諭したのではないか。と思う。
楠木正行も北畠顕家も若死にしすぎ。
死に急ぎというか、覚悟が、肝が据わり過ぎてるんだろうか・・
楠木正成の三男、楠木正儀は兄たちとは異なる生き方を選びましたね。
個人的には南朝の名臣だと思います。
正行はともかく、正成や北畠顕家、新田義貞等、初期の南朝の有力武将は後醍醐天皇に殺されたようなものですよ。
基本的に武士は例え自分の配下であっても、ただの駒としか見てないので、平気で無理な戦いをさせてしまうくせに、その忠義に報いる事もないんです。
貴族や天皇家が第一の南朝が衰えたのも当然の事です。
@@perrun9848
無い。
@@菊力
何が「無い」のかな?
ちなみに僕も正儀については父に匹敵、あるいは超える名将だと思っています。
私も正儀は名将と思ってます
お父ちゃんの遺志をしっかり継いでますよね
正成も「自分が使者として交渉に行く」と進言して 交渉権を望みましたが、蹴られました
交渉するなら その政権の代表として それなりの身分か政治的権限が必須ですが、後醍醐天皇はそれを拒否します、政治に口を出すな という訳ですね
お父ちゃんとしては 朝臣の身分と領地は 出来たら子供に継がせたい、なので 敢えて命令に従って湊川へ行ったんだと思います
命を落としたとしても "忠臣"になれますからね
正行が朝廷に出仕したのは 資料上では 後醍醐帝崩御の翌年です、政治的状況を見極めてから 出仕を決断したんだと思います
でも 北畠親房の権限が強く 戦さを強いられたので、お父ちゃんと同じ道を選んで "忠臣"になったんですよ
ここで朝廷も軍事力の激減に気づいて 親子二代 で"忠誠をつくした" 楠木家に交渉権を与え、やっと楠木家が政治に参加できた という事だと思います
もし正儀の和平交渉が成功していたら、楠木家は朝臣として ずっと続いていたかもしれませんね
渡辺橋は京阪中之島線の駅にあります。
山名氏は新田氏庶流ですね😃
最近の説だと新田氏自体が足利一門
師直相手に命のやり取り•••この時点で正気の沙汰とは思えません。😱💦
楠木正成と正行親子を主人公にした
大河ドラマをぜひやってもらいたいですね。
左翼色のNHKでは無理ですかね?
なかなか正行も名将やね
楠木正成の首をみた時はくやしかったやろーな。細川顕氏はウルトラセブンことダン
細川顕氏さん❗️
「逃げ上手」の作品では、彼はめっちゃ太ったオッチャンに描かれています。😂💦
んで師直に「それだけ太っていて何が細川だ、笑わせる」
「太っとい太い細川くぅん〜」
てイジられてました。😂
名前と体型が矛盾してるの大笑いしました。🤣💦
殺した首をその子に届ける、、、
尊氏は鬼畜よのぉ、、
なんと情け深いことよ。
尊氏は楠木正成の事は評価していたから正成の首級はキチンと返還したんだと思う。ただ義貞の首は都をら引き回した上で首が腐るまで晒し首の恥辱を与えた様です。
新田義貞に足を引っ張られたね
新田 凡人過ぎ
この辺りの日本史の授業は、サラッと終わってしまって全然面白くない。
忠臣が増えたら困るのだろうか❓
足利尊氏を 悪者デ
終わらせたいからですね
what
私が止めを刺した
首(こうべ)では? それにしてもこの日本、国会議員を先頭に金に卑しい輩が殖えました。