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宋と遼の対立、遼と手を組んだ高麗。それにより他へ目を向けざるを得なくなった女真族。情勢がとてもわかりやすかったです。ありがとうございます。
望月の歌に関する倉本氏の説、興味深いです。ただ驕り高ぶっていた道長の心境を表しているのではなく、最高の夜に重臣団との結束の深さと3つの后の座に登った娘達への感謝と喜びを表現しているというのは、新解釈でした。しかしそれでも、この歌の裏に多くの破れていった者達や犠牲になった娘達の思いをどうしても私は感じ取ってしまいますが。刀伊の入寇では、隆家は恩賞を全く受けていないそうです。京の公卿らにとっては、大宰府は所詮遠い地であり、自分達の日常には関わりのない事例と感じられたのだと思います。こういう政治的感覚の鈍さ、人任せにして恥じない姿勢は、明らかに貴族政治の凋落の兆しであり、以降武士が名実ともに政治を行っていくようになるのも自然の成り行きと感じられます。
優先配信、ありがとうございます😄周明、予告で再登場しましたね~❤❤
お返事が遅くなって申し訳ないです!!周明楽しみですね〜!!
動画ありがとうございます。刀伊の入寇はなんとなくしか理解していなかったので、詳しく教えて頂き嬉しいです。都で全く現場を感じられてない貴族の様子が想像できます。やっぱりブレない実資は流石です。歴史で学んだ道長より、かなり漂白されてホワイトな三郎道長の『望月の歌』どんな風に描かれるか楽しみです。
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです!やはり当時の貴族にとっては都だけが「世界」なんですよね。その点、実資は現実的な感覚の持ち主だったのだと関心してしまいます。
それでもあの詩がピークで、ここからが摂関政治終焉の始まりに見えました。刀伊の入寇ですが、対馬と壱岐は元寇でもほぼ同じルートで悲劇に見舞われました。まさに歴史は繰り返されたのです。異なるのは刀伊の入寇後の朝廷の対応が政権のダメージには(多分)ならなかったのに引き替え、元寇の方が幕府への不信感につながったことでしょう。
実際道長以上に権力を握った貴族は後にも先にもいない訳だから、確かにあの瞬間が望月の世だよな。
刀伊の入寇での隆家の活躍は思っていた以上でしたが、当時の人達には評価されなかったコトが残念です。実資のような考え方は当時としては斬新だったのですね
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです!当時の武士の台頭を考えると、公任や行成の意見もわからないではないですけど、実資だけが本当に意味で危機意識をもっていたのでしょうね。
こんばんは🌕望月の歌は、よかったです。
メンバー先行動画配信有難うございます。前回の限定ライブ配信での望月の歌の解説と本日の解説とで様々な方の解釈に触れることができ実際どのように描かれるのか楽しみです。大抵の方が道長がこの歌を詠むにあたり思い出したのではと言われている紫式部の和歌でなく、初めて臣下で摂政をすることになった道長の5代前になるのでしょうか、藤原良房が娘が天皇の母となり天皇と共に永遠に続く栄華を悦びの歌として読んだ和歌も紹介してくださって、紫式部一色の道長とは違う父、一家の長としての円満を喜ぶ姿が想像できてとても良かったです。刀伊の入寇についてもメンバー限定ライブでの解説と本日の先行動画で刀伊の入寇の持つ重大な意味も理解できましたし、刀伊の入寇が起きた後、道長の時代の高麗という国と民間レベルで親交ができていたことを説明してくださって、いつの時代も一人一人の民間同士では戦いだけでなく協力的な親交外交もできること、心に留まるものでした。ドラマではどこまで描かれるのか楽しみです。
メンバー先行動画で先に背景を押さえながらドラマを見させて頂けました。最後に月をじっと眺めながら望月の歌を詠む姿にやはり先生が提示して頂いた藤原良房の先例を思い返しました。藤原北家(他氏を排斥しながら邪魔な身内も排斥し、天皇の皇統と結びつきながら繁栄を継続していかないとならない苦悩の家柄)の定めの上に良房を超える満ちた月を得たことを振り返ったのかもしれないなと。小右記に出ている元鎮の菊の歌と白居易について語り、返歌をせず公卿と望月の歌を唱和したようですが、この歌を実資が持ち出されている背景がまだ見つけられていません。元鎮が白居易の親友であり努力で職位を得ていることに尊敬していたことはわかるのですが、実資も道長のブラックさはもちろんあってもブラックだけでは登り詰められない今日の時を敬う気持ちで返歌できないという気持ちを表されたということでしょうか。
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです。>小右記に出ている元鎮の菊の歌と白居易について語り、返歌をせず公卿と望月の歌を唱和したようですが、この歌を実資が持ち出されている背景がまだ見つけられていません。僕の確認不足であれば、申し訳ないのですが、手元にある小右記の該当箇所には、元鎮の菊の歌と白居易について語ったという記述はないので、あれはドラマのオリジナルなのではと思います。
@ お忙しいのに返答有難うございます。NHKの「光る君へ」のホームページで毎回の小右記や引用されている権記など日記での記載を掲載しているページがあります。そこでの44回の「ちなみに小右記では」の記載で実資が日記の寛仁2年10月16条と紹介されていて元鎮の菊の歌について記していることが紹介されていました。最近このホームページでドラマで引用している日記の箇所を抜粋し紹介されているのを知りました。私は歳をとっているからかもしれませんが人の人生、ましてや家という縛りが現代では考えられないほど重圧がある中ただまひろだけを考えて月を眺めていたとは思えないのです。まひろを思った昔の自分と志を成し遂げようと走ってきた自分に必ずしも良い行いにはならないこともあってもこの満月を作り出したのも自分の月日なのだと振り返り眺めているように見えました。そうでないと大河なのにただの恋愛物語で終わるのは虚しいですよね。様々な方、色々な年代の方がこの歴史をアレンジしたドラマを見て歴史から深いものを感じ取れる、考えられるのが大河なんだと思いますし。いつも細部にまでご配慮頂き恐縮しています。ご自分の時間も大切にして頂きたいと切に願っております。ご自愛ください。この件については自分なりに納得しました。☺️
望月にはそんな意味があったのか…おっさん共の酒の回し飲み汚え…とか思っちゃった俺は心が汚れてた
望月の歌は、道長自身の人生が満足した感想を言っているのでは⁉️と思いました🤔今夜は、三后は自分の娘たちがなり、公卿全員が集まり重鎮のメンバーで杯(さかづき)を取り交わすことが出来て、色々と苦労してきたけれど、私の人生は大変満足している。偉人、有名人の中に時折、自分の人生は満足した、とか、自分の人生に悔いなし、などを言ってる人がいるけど、望月の歌もその類いでは⁉️と思いました。
藤原蔵規は菊池氏の祖とされ藤原隆家の孫とされてる。
相手側の〜国家として、私的な海賊としての違いはありますが〜まるで刀伊の入寇は元寇の予行演習のようですね😅壱岐対馬の惨状・現地武士の果敢な行動・朝廷の過度な形式主義、前例踏襲…刀伊の入寇で実体験をした九州の武士たちには、ずっーと記憶として伝承されたのでは❓
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです。おっしゃるとおり、元寇でも刀伊の入寇で活躍した武士の子孫も戦っているみたいですからね。何かしらの伝承はあったでしょうし、危機意識はあったとおもいますよ。
宋と遼の対立、遼と手を組んだ高麗。それにより他へ目を向けざるを得なくなった女真族。情勢がとてもわかりやすかったです。ありがとうございます。
望月の歌に関する倉本氏の説、興味深いです。ただ驕り高ぶっていた道長の心境を表しているのではなく、最高の夜に重臣団との結束の深さと3つの后の座に登った娘達への感謝と喜びを表現しているというのは、新解釈でした。しかしそれでも、この歌の裏に多くの破れていった者達や犠牲になった娘達の思いをどうしても私は感じ取ってしまいますが。
刀伊の入寇では、隆家は恩賞を全く受けていないそうです。京の公卿らにとっては、大宰府は所詮遠い地であり、自分達の日常には関わりのない事例と感じられたのだと思います。こういう政治的感覚の鈍さ、人任せにして恥じない姿勢は、明らかに貴族政治の凋落の兆しであり、以降武士が名実ともに政治を行っていくようになるのも自然の成り行きと感じられます。
優先配信、ありがとうございます😄
周明、予告で再登場しましたね~❤❤
お返事が遅くなって申し訳ないです!!
周明楽しみですね〜!!
動画ありがとうございます。
刀伊の入寇はなんとなくしか理解していなかったので、
詳しく教えて頂き嬉しいです。
都で全く現場を感じられてない貴族の様子が想像できます。
やっぱりブレない実資は流石です。
歴史で学んだ道長より、かなり漂白されてホワイトな三郎道長の
『望月の歌』どんな風に描かれるか楽しみです。
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです!
やはり当時の貴族にとっては都だけが「世界」なんですよね。
その点、実資は現実的な感覚の持ち主だったのだと関心してしまいます。
それでもあの詩がピークで、ここからが摂関政治終焉の始まりに見えました。刀伊の入寇ですが、対馬と壱岐は元寇でもほぼ同じルートで悲劇に見舞われました。まさに歴史は繰り返されたのです。異なるのは刀伊の入寇後の朝廷の対応が政権のダメージには(多分)ならなかったのに引き替え、元寇の方が幕府への不信感につながったことでしょう。
実際道長以上に権力を握った貴族は後にも先にもいない訳だから、確かにあの瞬間が望月の世だよな。
刀伊の入寇での隆家の活躍は思っていた以上でしたが、当時の人達には評価されなかったコトが残念です。
実資のような考え方は当時としては斬新だったのですね
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです!
当時の武士の台頭を考えると、公任や行成の意見もわからないではないですけど、実資だけが本当に意味で危機意識をもっていたのでしょうね。
こんばんは🌕
望月の歌は、よかったです。
メンバー先行動画配信有難うございます。前回の限定ライブ配信での望月の歌の解説と本日の解説とで様々な方の解釈に触れることができ実際どのように描かれるのか楽しみです。大抵の方が道長がこの歌を詠むにあたり思い出したのではと言われている紫式部の和歌でなく、初めて臣下で摂政をすることになった道長の5代前になるのでしょうか、藤原良房が娘が天皇の母となり天皇と共に永遠に続く栄華を悦びの歌として読んだ和歌も紹介してくださって、紫式部一色の道長とは違う父、一家の長としての円満を喜ぶ姿が想像できてとても良かったです。刀伊の入寇についてもメンバー限定ライブでの解説と本日の先行動画で刀伊の入寇の持つ重大な意味も理解できましたし、刀伊の入寇が起きた後、道長の時代の高麗という国と民間レベルで親交ができていたことを説明してくださって、いつの時代も一人一人の民間同士では戦いだけでなく協力的な親交外交もできること、心に留まるものでした。ドラマではどこまで描かれるのか楽しみです。
メンバー先行動画で先に背景を押さえながらドラマを見させて頂けました。最後に月をじっと眺めながら望月の歌を詠む姿にやはり先生が提示して頂いた藤原良房の先例を思い返しました。藤原北家(他氏を排斥しながら邪魔な身内も排斥し、天皇の皇統と結びつきながら繁栄を継続していかないとならない苦悩の家柄)の定めの上に良房を超える満ちた月を得たことを振り返ったのかもしれないなと。小右記に出ている元鎮の菊の歌と白居易について語り、返歌をせず公卿と望月の歌を唱和したようですが、この歌を実資が持ち出されている背景がまだ見つけられていません。元鎮が白居易の親友であり努力で職位を得ていることに尊敬していたことはわかるのですが、実資も道長のブラックさはもちろんあってもブラックだけでは登り詰められない今日の時を敬う気持ちで返歌できないという気持ちを表されたということでしょうか。
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです。
>小右記に出ている元鎮の菊の歌と白居易について語り、返歌をせず公卿と望月の歌を唱和したようですが、この歌を実資が持ち出されている背景がまだ見つけられていません。
僕の確認不足であれば、申し訳ないのですが、手元にある小右記の該当箇所には、元鎮の菊の歌と白居易について語ったという記述はないので、あれはドラマのオリジナルなのではと思います。
@ お忙しいのに返答有難うございます。NHKの「光る君へ」のホームページで毎回の小右記や引用されている権記など日記での記載を掲載しているページがあります。そこでの44回の「ちなみに小右記では」の記載で実資が日記の寛仁2年10月16条と紹介されていて元鎮の菊の歌について記していることが紹介されていました。最近このホームページでドラマで引用している日記の箇所を抜粋し紹介されているのを知りました。私は歳をとっているからかもしれませんが人の人生、ましてや家という縛りが現代では考えられないほど重圧がある中ただまひろだけを考えて月を眺めていたとは思えないのです。まひろを思った昔の自分と志を成し遂げようと走ってきた自分に必ずしも良い行いにはならないこともあってもこの満月を作り出したのも自分の月日なのだと振り返り眺めているように見えました。そうでないと大河なのにただの恋愛物語で終わるのは虚しいですよね。様々な方、色々な年代の方がこの歴史をアレンジしたドラマを見て歴史から深いものを感じ取れる、考えられるのが大河なんだと思いますし。いつも細部にまでご配慮頂き恐縮しています。ご自分の時間も大切にして頂きたいと切に願っております。ご自愛ください。この件については自分なりに納得しました。☺️
望月にはそんな意味があったのか…
おっさん共の酒の回し飲み汚え…とか思っちゃった俺は心が汚れてた
望月の歌は、道長自身の人生が満足した感想を言っているのでは⁉️と思いました🤔
今夜は、三后は自分の娘たちがなり、公卿全員が集まり重鎮のメンバーで杯(さかづき)を取り交わすことが出来て、色々と苦労してきたけれど、私の人生は大変満足している。
偉人、有名人の中に時折、自分の人生は満足した、とか、自分の人生に悔いなし、などを言ってる人がいるけど、望月の歌もその類いでは⁉️と思いました。
藤原蔵規は菊池氏の祖とされ藤原隆家の孫とされてる。
相手側の〜国家として、私的な海賊としての違いはありますが〜まるで刀伊の入寇は元寇の予行演習のようですね😅壱岐対馬の惨状・現地武士の果敢な行動・朝廷の過度な形式主義、前例踏襲…刀伊の入寇で実体験をした九州の武士たちには、ずっーと記憶として伝承されたのでは❓
お返事が遅くなってしまい申し訳ないです。
おっしゃるとおり、元寇でも刀伊の入寇で活躍した武士の子孫も戦っているみたいですからね。何かしらの伝承はあったでしょうし、危機意識はあったとおもいますよ。