GOTOH FILM『鉄路の詩 -別府鉄道- 』昭和56年('81)作品
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- Опубліковано 13 лют 2020
- 昭和56年2月制作
完成した年月だと思われます。
撮影、制作には2年の歳月をかけています。
昭和56年2月19日
第14回姫路市映像芸術コンテスト 金賞
昭和56年12月12日
第9回 日本映像コンテスト
8ミリ一般 社会・自然部門 優秀賞作品
新聞に掲載された父のコメントです。
「新幹線の走る時代、ノロノロと走る別府鉄道に郷愁のようなものを感じ、2年の歳月をかけ"田舎鉄道の四季"といったものに仕上げました。60年の歴史を持つ車両、それをこよなく愛す地域の人々…。ロマンと詩情を乗せて走る鉄道を追いかけました」神戸新聞 昭和56('81).2.20掲載
毎日新聞にも同日掲載されました。
「題材が単調なだけに、昔の良さを表現するのに工夫がいった。これからも忘れられた文化を発掘していきたい」読売新聞 昭和56('81).3.7掲載
この映画は鉄道に興味がある人もない人も見入ってしまう。この別府鉄道の小さな列車にものすごく愛着心が湧いてくる。映画ではあちこち望遠が施されていて、列車が走ってる前を人が横切る、自転車が渡る、ゆっくりゆっくり揺れながら近づいてくる列車に危険な表情はなく、そこに住んでる人々と一緒にこの街で暮らしている。そんな列車の物語です。
この映画について覚えていることは
やはり入賞して新聞に映画のワンシーンの別府鉄道の写真が大きく取り上げられていたことと、映画に登場するベレー帽で美味しそうに一服しているおじさんは父の映像のお仲間で、この映画の元になるシナリオを制作した、父が所属していた8ミリ映画のサークル、姫路映像集団の代表でもあった松浦信之さんです。さりげなく映画に関わる人物を入れるのは父らしいなと思いました。
現在は播磨町郷土資料館に保管され乗ることも可能だそうです。そして廃線跡は遊歩道になっていて周辺の建物も随分と世代交代している様子です。検索するとその風景の写真等見ることができ、なにか寂しい気持ちにもなりました。父がこの映画を制作しながら通い続けたであろう鉄路がこんなにも変わっていくのはどこかで予想はしていたのかもしれません。最後のいつまでも...というナレーションは願いだったのかな?最近はそんな気がしています。でも、人々の気持ちの中で別府鉄道は今も走り続けているのは間違いないのだと、この映画を沢山の方に見ていただき、お言葉を頂く中でその様にも感じました。
(*˘︶˘*).。.:*♡
優子(2021.4.24追記)
Twitter / yousuzuki8
#8ミリ映画 #別府鉄道 #ローカル線
山陽電車の珍しい旧型車が映ってますね
線路を歩いたり、電車が近くまで来てるのに自転車が通ったり、時間潰しで運転手と話したりのんびりした時代だったんだな
親父の実家が土山だったので子供の頃に見ました。山陽電車や国鉄しか見た事が無かった小学生には1両だけで走る電車が不思議に見えました。
コメントありがとうございます😊
私の家族も国鉄、山陽電車を利用するくらいで私は見たことがないのです。この映画のシナリオを制作した父の仲間が近く住んでいたこともあり、撮影に通ったと思われます。当時の別府鉄道の様子、想像通りだったんですね😌
べっぷ じゃなく べふ と読むんですね。初めて知りました😅
九州はべっぷって言いますもんね。
これでより印象に残して貰えたら嬉しいです笑。
ジャスコの近くにおっきな狸の人形があるうどん屋に入った記憶があったんだけどやっと出会えた
拝見させていただきました。
とても優しい気持ちになる作品をありがとうございます。
ご覧頂き、父も生きていたら物凄く喜んでいると想像できます。とても嬉しいお言葉父に代わり感謝申し上げます。
この時代を知る一人としてとても懐かしく心地よい映像で素晴らしい作品ですね。
今の世の中みたいに便利ではなかったけれど、人と人との触れ合いや温かさがあってとてもいい時代でした。
貴重な映像をありがとうございました。
ご覧頂きありがとうございます😊
そのお言葉、父も大変喜びながら、本当に仰る通りでいい時代でしたね。とお答えしていると思います😌
地元民ですが、生まれた頃には廃止されており辛うじて面影だけ残る廃線跡でした。今では綺麗に舗装されていますが、高砂線も含め播磨地域には南北の鉄路がありませんので今でも残っていればなぁと考えた次第です。
貴重な動画をありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます😊
別府鉄道が現役だった頃とは風景が随分と変わりましたね😌廃線になった理由がそこにあるのかもしれませんが…今でこそ鉄道があれば皆さん利用されているのかもしれませんね☺️
こんな長閑な鉄道があったんだなぁ・・・。今だったら考えられないよ。早く来た乗客の人が運転士とのんびり会話してるなんてさ。でも、こんな長閑な時代が羨ましくすらあるよ。
それにしても、1:04の落差がすごい。高架上を猛スピードで走っていく新幹線と、その下をトコトコと走っていく単行の気動車。いい光景だ。
ホントに長閑で心地よい時間が流れてますね。線路を歩く子ども達の姿も長閑で羨ましく思います☺️
感動しました!(;_:)涙が出てしまうほどに。兵庫県西部にこんな古い車両のローカル私鉄があったなんて、今どきの若い鉄道ファンにも伝えてあげたいですね。ありがとうございました。
感動のコメントありがとうございます。鉄道ファンの方にも父の映画を見て頂けるとは大変嬉しいです。現在この車両達は地元の博物館にて保管されているそうです。ぜひ現役時代の別府鉄道を若い方にも知って貰いたいですね。もう動くことはない車両も喜んでいるような気がします。(*˘︶˘*).。.:*♡
貴重な映像をありがとうございました。いつも別府鉄道の廃線跡をジョギングしていますが、次走るときは当時のことを思い浮かべながら走ります!
こちらこそありがとうございます!!
素敵なジョギングのコースですね😍
当時の風景の中で是非😌👍✨
本当、感動しました! 子どもの頃何回も乗りに連れて行ってもらい、先日も廃線跡を歩きました。鉄道マニアでない視点で捉えた視点や人の雰囲気、望遠で捉えた工業地帯の煙突と車両のギャップ。映像もBGMもナレーションも最高!車両を保存している播磨郷土資料館の人も見てほしい。いゃー最高でした!ありがとうございました。
ありがとうございます!!
現役の別府鉄道に乗車された事がある方にも見て頂き感激致しました😆
父が伝えたい所を細かく気付いて下さり感謝です。
私は恥ずかしながら1度も訪れたことがないので、次回帰省した際には播磨郷土資料館や廃線跡を歩き、父の足跡を探しに行きたいと思います☺️
私は廃線時も小学生でしたので作品の10:00頃から映っている子供たちと同学年くらいかと思います。当時、私は隣の播磨町に住んでおり別府鉄道に乗車したのは数回くらいしか無いのですが、記憶に残る母との思い出の風景や町の感じなど作品に映る全てのものを懐かしく拝見させていただきました。本当にありがとうございました。
コメントありがとうございます。
そうなんですね‼️思い出と重ね合わせて頂き撮影した父もとても嬉しいと思います。あの登場する子ども達も、うぎ太郎さんと同じように別府鉄道の思い出が今もなお、生きているんでしょうね☺️
9:26~ 私が写っているかと思いました。当時9才か10才で、中学上がった時廃線になったはず。
ホントですか⁉️見つけてくださり大変嬉しいです。今年の11月27日(日)に姫路キャスパホールにて上映される予定です。ご都合よろしければお越し下さいね☺️
先頭の4つ窓が特徴的な別府鉄道の存在自体は鉄道図書で知っていましたが、動画は初めてです。ありがとうございました。
この動画の5年ほど前までは、野口線のDCも土山線の客車と同じ 濃緑/クリーム の車体色でした。
藤原製作所前駅のホームが、汽車一両分にも満たない 短い鉄板製のホームでした。
映像には無い土山線の客車には、両端のオープンデッキから乗り降りする車両があり、とんでもなく遅い速度なのに 迫力満点でしたね。
この時代になると8ミリ映画も少なくなってきていましたね。そんな時代に鉄道映画へのアマチュアの制作意欲は結構高かったようで。
コメントありがとうございます。そうですね、父の映像の集まりも昔から比べると小規模になって来た頃でもありました。鉄道に対する皆様の熱意はこの映画をアップして知り、改めて別府鉄道や1円電車の魅力を知る機会となりました☺️。
別府鉄道は廃線になりましたが親会社の多木化学さんは盛業中。消費者としてはバカマツタケ(何というネーミングだ(汗))の完全栽培化に期待しています。
時代の流れは、刹那的!あの懐かしい風景さえも変えてしまう。戻りたいって言うセリフは今じゃ無理なんだろうか?
かつて野口駅は日本一わびしい国鉄・私鉄乗換ターミナルと言われていましたが、逆にこういうのんびりした時間の流れが貴重ですね。更に当時でも貴重だった土山線の古典的二軸客車は元・神中鉄道の車両で相模鉄道に里帰りして保存されていますね。
ここに映っている子供も50歳位になるんですね。
コメントありがとうございます😊
子どもの頃、この線路を歩いていた方、また映っているのが自分かもしれないとコメントを頂きました。私も同じ年代です。
思い出を映像として届けることが出来て嬉しかったです。
この風景、紀州鉄道にそっくりだ。
あそこは鉄道会社という面子を守るためだけにやっているから、いくら赤字でも本業の不動産が儲かる限り存続している。逆に言うと鉄道会社という面子が守れるだけの最低限の投資しかしないので昔の趣がよく残っている。
コメントをありがとうございます。近くまで行ったことがありますが、そのような鉄道が今も存在するのは初めて知りました😌
はじめまして☺️
平成の初頭、加古川に住んでいた時があり別府鉄道の廃線跡探訪をしたのが懐かしいです。同鉄道の現役時代が観られて感謝です☺️
はじめまして!!ご覧頂きありがとうございます☺️廃線跡行かれたんですね!!加古川と言えば、この映画は加古川の父の映像仲間がシナリオを作成した事が最近分かりました。
この別府鉄道は末期です。別府鉄道もei miya様に現役時代の姿を見て貰えて嬉しかったことだと思います😌
@@yousuzuki2467
こんにちは😃
私の故郷、埼玉県にもかつて非電化ローカル線が走っていました。廃止時期も別府鉄道とほとんど変わらず・・・東武熊谷線といいます、よろしければご覧下さい☺️
ua-cam.com/video/TiOVzgWkbAE/v-deo.html
熊谷線は廃止前に乗りに行きました😌
拝見させて頂きました。
ジワッ😢と来るものがありますね...別府鉄道も含め時代的に鉄道が活躍していたのでしょうか。時の流れでその役目を終えた後も現役の姿を映像に残されていて、魅力ある鉄道なんですね。いつか廃線跡を訪ねられたらと思います。
@@yousuzuki2467
こんばんは😃🌃観ていただき有り難うございます☺️
別府鉄道のやり取りをしていたら、久し振りに播州に行きたくなりました。
こんばんは😃🌃
ua-cam.com/video/sGdumUMEIP8/v-deo.html
先程、この動画を観てしみじみ懐かしさに浸ってました😅
別府鉄道の線路を歩いていると本当にいろいろなものが落ちていました。晴れた春の日に沿線の野原のヒバリの声を聞きながらノンビリと線路を歩いたことを懐かしく思い出しました。
コメントありがとうございます!!そうなんですね😆
実家から近くはないのですが、
父は頻繁に足を運んで撮影に通っていたと思います。
線路を歩く...現代ではタブーな行為ですが、何かその時代のゆとりを感じられますね😌
昨日散歩中偶然ヒバリの鳴き声が聞こえてきました...いいですね☺️
まるで軽便鉄道!
実は西武鉄道なぞ
秩父セメントのために有る
13:22 いつまでも走り続けてほしかったよ…😢
雰囲気が上武鉄道みたいですが、そちらより活気がありますね。。
懐かしい思い出、ありがとう。画像は、キレイなのに字幕の漢字を凄く間違えている、全く残念😢
ご視聴ありがとうございます😊懐かしくご覧頂きとても嬉しく父も思っていると思います。
字幕は自動的に音声を拾って間違いも多いようですね🥲修正がこちらで出来るかどうか試してみたいと思います😌
かっこいい
「いつまでも走り続けることでしょう」と締めくくった3年後に廃止になってしまったのは、悲しいです。もう姿を消して39年。月日が経つのは早いですね。
コメントありがとうございます☺️
私も同じように思いました。制作にあたって長い期間をかけて父は仲間と撮影してきました。最初に作られたシナリオから鉄道の状況は変化してきたかもしれません。言葉と裏腹に音楽は少し寂しい感じなので、これは父の願いだったのかなと今ではそう思います。私は現役時代のこのミニ列車を知らないのですが、UA-camで沢山の方に見ていただき、40年近く経っても皆様の心の中にまだ別府鉄道は、やはり走り続けているんだと思いました😌
13:30 国道250号線の陸橋からの映像でしょうか。
線路の両側に広がっていた畑も、今はもう全て宅地になってしまいました。
左に見える工場も、今はパチンコ屋ですね。
スタンドバイミ!和製
郷愁溢れる素晴らしい作品ですね
コメントありがとうございます。そのお言葉、父も喜んでいると思います☺️
4:25肥料王。。。11:31危ないんだけどなんかいいですね。
私もこのシーンなんかいいなぁって思います😌
まあ、当時の加古川から、別府へは神姫バスが一時間に2本走ってたから。必然的にそっちに流れてるよな。そもそも自転車利用者が多い地域だからわざわざお金出して日中加古川に向かう利用者も少ないし。そのバスも今ほとんどなくなったってのも時代なのかも
正にローカル線
まあ
道路状況がよくなれば
乗客は減る!