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この荊州失陥に関して「関羽」の性格的問題を取り上げる感想がやはり多くなるところですが、果たしてそれが最たる問題点であったのか、どうしてそうなってしまったのかなどなど、以下の動画で考察しております! 是非合わせてご視聴いただけると幸いです!(*'ω'*)【三国志】「関羽」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】ua-cam.com/video/PUtUNaWSdPo/v-deo.htmlsi=1jqspfIk032x-ql8
周囲に睨み利かすには関羽必要ながら龐統戦死もあり外交面に強い孔明を荊州から呼び出す事になったのは大きなダメージになったのかなと夷陵は大敗でなくほぼ全滅と言える負けなのが痛い人材不足が、ずっと尾を引くことに
何故か死なない劉邦家臣団、絶妙なタイミングで死んでいく劉備家臣団。この差がなあ。
天運というか運命というか、それを感じずにはいられない。
老衰の黄忠や自分がしくじって死んだ関羽、張飛はしょうがないが、馬超は早死にし過ぎ。
ここで黄権、馬良を失ったのが痛過ぎた…
本当にそれ
黄権は魏に降り、馬良は戦死、その他勇将も戦死する結果に。
シャマカも
@@猫のダヤン異民族の人か。あいつ演技だけのやつかと思ってたけどそんなに重要な人物だっけ
@@user-MidoYoko_Midorimushi4545 正史『三国志』では、呉書陸遜伝にしか記述が見られない。蜀漢に味方した中国周辺民族の王[1]。章武2年(222年)、劉備に随従し呉討伐に参加している。しかし、陸遜の火攻めのため蜀軍は大敗し、沙摩柯も斬首された(夷陵の戦い)。
戦況が膠着状態になり、攻める側の蜀軍が様々な不安要素から不利に傾いてきて尚蜀軍の戦術に戦略的撤退の選択肢が無かったのは、大将である劉備が前線に居続けた事からも伺える益州・漢中攻略戦における龐統、法正といった「軍師」の不在がモロに響いたのではないかと思う。彼らは感情に逸る劉備を上手くコントロール出来ていたが、今回の軍中で最も信頼していたであろう黄権でさえ無理であったことから、他に出来る人物が誰もいなかったであろうことは想像に易い。あとは劉備が長らく「勝ち戦」に慣れ切ってしまったのも、彼が備えていた戦の勘を鈍らせたのかも?
黄権軍に南郡太守史郃、荊州治中従事龐林が居る所を見ると、黄権軍こそが江陵攻略の切り札でその後の南郡の行政も任せる予定だったんでしょうねこの軍は六月の陸遜の反攻から、三ヶ月以上経って魏に降伏しており呉側からも捕捉されていないようですし、後数ヶ月違えば戦の勝敗が変わった可能性も十分にあったのではないかと思います
ですね。本当にギリギリのところだったんだなぁと思います。
黄忠が好きだったから、ついにこの時が来てしまったんだなぁ感がすごかった。
横山三国志のここらへんの話はホントにツラい
更新お疲れ様でした最近チャンネル登録しましたうーん、やっぱり蜀漢は実質ここで滅んでますよね…他の動画で言ってたように関羽が変われなかったのこそが一番のポイントでしょうか…劉備たちの顔を立てる程度の対応出来てれば違ったのかな…
でもそれが出来る関羽は関羽じゃない、みたいな厄介オタクな自分もいる…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ですねwそれが出来ないから関羽ですそして関羽を好き嫌いを分ける部分ですよねw
@@すえぞー-o1e驕りがない関羽は完璧超人過ぎるから、それぐらいの欠点は仕方ないかもしれない…
劉備が経験豊富だったがゆえに、これまでの戦法は研究され尽くされていたんでしょう。陸遜は劉備が呉班をおとりに出したとき、完全に見抜いてますね。
ですね。誘き出してから、間道を進んで裏手に回るのは定軍山の戦いでも見た得意技って感じもしますし🤔
確か三国無双でこのステージを劉備側やると開始後即シュゼンか呂蒙を叩き斬って爆弾兵二人を叩き斬らないと燃えちまうんでしたっけ?
いつも楽しく拝見しています^ ^正にトラウマ(´;ω;`)ただ「創作か?」と疑いたくなるほど劇的な展開が繰り返されるから、1,000年以上読み継がれているんだろうなぁ、と思いました(T ^ T)
これが創作だったら作者はきっと凄く性格が悪いんだろう(ぇ
陸遜は呂蒙の下で荊州侵攻の策を練っていた時点で荊州侵攻後に起こるであろう劉備の逆襲に対する対抗策もすでにある程度考えていたはず。また、呂蒙の命は長くないことは近くにいれば察することができたでしょうし呂蒙抜きでどう守るかについても考えてあったのではないかと。そのあたりを踏まえて孫権は陸遜を抜擢したのでしょう。呂蒙の荊州侵攻プランの継承者として。逆に劉備陣営は夷陵からの荊州侵攻プランなんてろくに考えてなかったはず。というかそれを考えておくことができるような慎重さがあるなら荊州失陥など起こらない。結果的には両大将の準備の差が夷陵の戦いの結果に表れた格好になった、と。余談ですが、荊州の帰属次第で力関係の2位と3位が入れ替わりかねないことを考えると劉備はイケイケどんどんでやりすぎましたね。冷静に考えればいかに圧倒的首位にある魏に対抗するためとはいえ呉が3位に転落することをよしとするわけがないことくらいわかりそうなものでしょうに。劉備陣営首脳陣は諸葛亮も含めて呉を、そして孫権を甘くみていたのでしょう。漢朝復興の大義と勢いで押し切れば孫呉などどうにでもなるだろう、と。
たられば、が過ぎますが最初に龐統が死んだのが痛かったと思います。それがなければ諸葛亮は荊州にいたのかもしれませんし、益州に行くにしても呉との外交に比重を置けたと思いますし。関羽がああいう人なのはそれもまた関羽の魅力だと思うのでまあしょうがないかな。あとは、法政と張飛がいたらなあ。
関羽のやらかしがなかったら荊州を失わず夷陵の戦いも起きず諸葛亮の北伐プランが破綻することもなかった。定軍山の夏侯淵のように挑発に乗ってくる相手なら対処しやすいが挑発に乗らず守りを固められたらどうしようもない。後の五丈原の戦いで司馬懿は焦る諸葛亮の挑発に乗らず守りを固めたことで粘り勝つことができた。
魏は圧倒的、物量に物言わせてたからね
関羽のやらかしというか、陸遜のハッスルで三国志が終了諸葛亮・魯粛が命を懸けて作り上げた天下三分の計が失われた魏を倒す術が無くなったと気づけない孫権荊州が戻ってきたと喜ぶ。魏晋から食われる未来しか無いのだが、皇帝となったことでニヨニヨしていたのだろうか。二宮の乱が呉の分岐点じゃないココが分岐点晩年、孫権はうすうす解っていたから陸遜冷遇したのだろ 実際は孫権のやらかし
国家間での領土の貸し借りはトラブルにしかならんな
劉備が約束破りまくってるとはいえ魯粛の言う通り、荊州北部を劉備がとってないと、魏とやり合うの無理なんだよなー。結局領土保全を最優先にしたんだろう。劉備みたいに漢王朝の復興とか言う大義名分みたいなのもないから、魏とやり合う意味もないし、天下を狙う意味もないしね。
自分は演義の後に正史を読み、呉軍の強さに感嘆しました。蜀軍はこの戦いで、将来ある多くの将兵を失ったことが、北伐にもかなり影響したのではないかと思ってます。演義の影響がありますけど、人材面での層の厚さは、呉軍の方が上ではないかと思ってます。この戦いの指揮をとった陸遜、そして全てを任せきった孫権は大変素晴らしいですね。劉備が下手をこいた訳でなく、孫権軍が強すぎた。そんな感じがします。😮
孫権軍は基本的に防衛戦は負けなしですしね。でも攻勢に転じるとどうも上手くいかない。遼来来。
@@KOUMEI_NO_WANADAある意味、演義で孫策が死ぬ直前に弟を評した通りの史実。まあ、後付けで後世の人が書いた創作なんだが。
この戦いでは劉備は兵法では初歩的なミスを犯し逆に陣を長くさせて林に誘い込んだ陸遜の用兵は流石ですね一躍名を上げた陸遜ですが晩年が可哀想すぎます😢
まぁ、陸遜もちょっと他人の気持ちわからないタイプの人だったから、晩年のあれは下手に騒動を大きくさせちゃった感が否めない(;'∀')
あれだけの実績と家柄があって、周瑜や諸葛瑾と違って性格について何も触れられてないってのはそういうことですよね(笑)
劉備は撤退を拒否し、同時に地上部隊も夷道を突破する能力がなく、水軍は荊門、虎牙一段の長江江口を突破することができなかった。有利な防御地形を占領した呉軍と野戦したかったが、呉軍は避戦を選んだ。こうして双方は数カ月の歳月を費やし、梅雨に入ると劉備軍の「連営数百里」が始まり、数万人の蜀軍が、秭帰から夷陵までの200里の平原に分散配置された。戦線全体は非常に長く引っ張られているが、兵力の密度や守備は非常に貧弱である。避暑や後方勤務の負担軽減のために、草木が茂る地帯を自ら選んだことも…。
@@shou-sho 上に立つ人間はそんなものかも知れませんね
正論神拳では疑心暗鬼渦巻く政争には対抗できなかったんでしょうね
関羽以外に荊州を任せられる大将はいなかったでしょう!張飛はもっと問題ありますし。やはり補佐する人材である、龐統もしくは方正が早逝したのが痛かった。どちらかが健在なら諸葛亮が荊州で内政と人士との繋がりを保ち、兄の諸葛瑾と連携して同盟維持できたかもしれのに。一気に有力な人材が消えてしまったのが1番の理由でしょう。
張飛が死んでなければ戦いの趨勢も変わっていた可能性ありそうですね。
劉備と張飛の寿命を縮めた戦いでもありますが、仮に関羽が敗北はしても脱出に成功、又は孫権が関羽を捕まえた後敢えて逃し関羽や関平が蜀に逃げ込めたらどうなったでしょうか?関羽の仇討ちという劉備と張飛の平常心を失わせる理由が無くなり荊州奪還をするか否かが論点になり、少なくとも焦って孫権と戦う必要はなくなります。上手くいけば孟達、劉封と上庸もそのままで夷陵で失われた精鋭部隊と武将もそのままとなるので、孫権と再度同盟したとすれば北伐もかなり楽になったのではないでしょうか。
なんというか、三国鼎立とその首脳のジレンマが極限に煮詰まった果ての惨劇って感じ。国家の面子、実際の国益、国民の感情、望郷の念、悲願、恩讐、現代の戦争や領土問題にも大いに通じる。
呂蒙は仮病の時には陸遜を推挙していたのに本気で病気になった時は朱然を後任に推したんですねw夷陵の戦いでこれほどの損害を受けなかったら、孔明の北伐はどれほど楽になったことか…!
苦労人の呂蒙には陸遜の末路が見えていたのだろう
最悪のタイミングで呉が蜀相手に100点のムーブをしてしまう悲劇
兵士を失ったのも勿論痛いけどそれを率いる将校も失ったのが蜀の滅亡を決定つけたと思う
ゲームとかだと劉備が怒って突っ込んできたとこを陸遜が少し準備時間耐えてから火計であっさり撃退!って感じだったけどなるほどそこに至るまでが色々ありすぎたんだなぁ。張飛が生きていれば、もしくは趙雲が付いていたら火計を使わせないか火計の被害を抑えるくらいはあったのかなぁ。天命とはこういうものかって感じがする展開だなーと思いますた。最初の圧倒的2連勝が無かったらもう少し慎重に進軍してたかもしれないし結果的に深い溝の奥まで進ませる形になったのと劉備がイケるぜモードで前に出てたのが呉の勝機に繋がったのかな?もしかしたら劉備自身周りの仲間たちの死や体調とかから死期を悟っていて最後に大切な人達の仇を取ろうと仲間共々必死だったのかもしれないけど。有名な戦いでも解説を聞くとなるほどそんなことがって発見がいっぱいで面白いなぁw
張飛の死は間違いなくデカかったと思います。それ故に張飛の死は、呉の暗殺だったんじゃないかとさえ思えてくるぅ…🐎
龐統、法正の方が劉備と折り合いがよく、諸葛亮と関羽がうまくやっていたようですね。龐統、法正が居たならと思わせる話でもある。荊州を任せられるのが関羽のみ…関羽の統治は威信が行き渡っており、弱点の外交も諸葛亮がいれば、ですかな
関羽を宥められるのって劉備と諸葛亮くらいでしたからね。でも二人とも益州に居ないといけないとなると、やっぱり関羽の欠陥は浮き彫りになってしまったのかなぁと。
あの(曹操とかに目をつけられたりとかの危険を回避するためひたすら地味で通してきた)劉備がド派手に負けたあげくショックで死んだというのは当時の人々にも驚きであったろうね…しかし陸遜とかいうそれ誰やねんレベルの人物が突如時代に躍り出た戦いともいえますな(^^)
この戦いで蜀漢の次世代を担うはずだった人材も大量に失っており、蜀漢を叩き潰した戦いと言える。
やはり関羽を荊州に任命したのがなぁ
でも関羽以外に任せられる人もいないしなぁ🫠
@@KOUMEI_NO_WANADA 関羽以外にあり得たとしたら孔明、つまり龐統がしかも黄忠、魏延しか連れて行ってない状況で蜀を攻略できたか?って話になる。まあ無理でしょ。兵力劉障側の方がむしろ多いんだし。要は当時の状況で、名目上漢王朝から直接官職をもらっている関羽より明示的に地位が上なのは、左将軍である劉備しかいない。孔明ならまだ関羽も納得せざるを得ないというだけ。孔明が援軍に行くとなったら代官は地位的に関羽しかない。能力的には趙雲辺りだが、いかんせん地位が低い
張飛が参戦できていたらどうなっていたでしょうかね。病死じゃなく十分参戦できる状態だったようだから惜しすぎる。雑兵レベルの人の生き死になら大勢に影響は無いでしょうが、張飛ほどの人の死は大いに影響したと思いますし。
戦意は高揚したかも知れないが、知略では陸遜の相手ではないので、結果は大差ない。戦死者の列に張飛も加わるだけ。
戦役後の諸葛亮の気持ちを思うとやるせない。
通知がきたけど、蜀贔屓の俺はすぐ見ることが出来なかった。。。
気持ちは凄く分かる🌵
蜀の問題はみんな知る所なんで一々触れないけど、呉はなんでニ正面作戦やったのか全く理解出来ないんですよね…魏が静かならまだわかるけど、ちょっかい出されてるのに何処にそんな余裕あったんだろうか?どんな馬鹿でも蜀と潰し合うのは魏が利する事はわかりそうなもんだが…
呂蒙は長江の上流域である荊州を取れば、独力で国土防衛が可能と考えて、孫権はその通りに動き、事実防衛に成功しています。とはいえ余裕がないのは確かにそうですし、これで孫呉は天下への道を自ら絶ち、滅亡を遅らせるだけとなったのも事実。理解はできても、腑に落ちない話ではありますよね🤔
友よ!まだ良い仕事をしてくれましたよ!劉備だけではなく黄権までの人物像を描いて説明してくれました!1つ言いたい事は"火計",孫子兵法書でこれはかける側にも危ない1手だと説明します.環境と風など色んな外部要素を把握しないと間違えて自軍にもダメージになります.ほとんどの火計は成立できなく敵に無傷でしたが.ここで陸遜はいかにも良い将,経験と計算も長ける方が分かりました.
陸遜を侮ったのが原因かな。たしか曹丕に劉備は兵法を知らないって言わたからなあ。
その頃の曹丕くんは、未来の自分のことをまだ知らない…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ブーメランですね。ww。
曹丕も兵法には自信あったんやろねなお実戦…
別に劉備も上手く揺さぶり掛けてて勝てる要素はいっぱいだったんやけど陸遜がそれを越す名将でしたね
あの胆力は本当に化け物
この戦いしか記述が無い人達は何とも言えないからやはり黄権を失う事になったのが蜀には痛かったかな法正は亡くなり潘濬は皮肉にも敵に回ったら存在の大きさが身に染みるでこの段階では黄権の存在は大きかっただろうから一番の痛手だったかも
私見ながら魯粛の夭折が、三国のバランスが崩壊した一番の遠因のように思っています。また、このタイミングでないと関羽を討ち取るのは難しかったのかも、と見ていて思いました。仇討ち以外に、ライバルや“弟たち”の死で自分の存命の間にできること、と焦ってしまったところもあったかな。呉に火を持たせたらアカンわ。。。
でも荊州侵攻の機運は孫権政権下でかなり盛り上がってましたし、魯粛がいてもその勢いを抑えられたかどうかがちょっと怪しいところではあります…🤔
劉備は三国志演義の主人公やね🤔
法正がいたらどれぐらいの被害で済んだのかな。結果はどうであれこの頃の劉備を抑えられるのは法正でも無理難題な気がする。
孔明がいくら言っても、承諾しなかった蜀攻略を龐統の献策であっさりOK しているので、そうでもないんでは?むしろ、役目的にも皇帝を守る役目の趙雲を連れていかなかった(行けなかった?)のが最大の失敗だろう。長坂坡や街亭の時の活躍をみても、撤退戦で被害を減らす才能は趙雲がダントツ。連れていかなかったということは劉備が負けた時のことをまるで考えてなかったということ。
@@真田安房守-r4p 趙雲の実力も撤退も重要であると身に持って知っている劉備が暴走してますし、その劉備が全指揮権持ってますからね。この戦は暴走する劉備が止められず綻びがでて、そこを粘り強い陸遜が突いて最悪の結果が出たと思います。
劉備の身柄を赤壁の戦い直前に抑えていれば、天下のことは簡単だった。なんて、呉では考える勢力も多かったろうと推察。
しかし、曹操でも抑えきれなかった男であり、声望もやたら高いから殺すのも憚られるという。ほんとに厄介(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA まったくです(苦笑)。
@@KOUMEI_NO_WANADA アニメの三国志で関羽死亡後に魏と呉から、劉備達には負けないが、大損害出るから、関羽の首。たらい回しにされました。
もしかしたら荊州勢の突き上げもあったんかな万規模の人間が家族や家を取られたわけだし
劉備以外に関羽をコントロール出来る人物がいなかったのが大きすぎた気がします。自分はやはり、龐統の戦死がターニングポイントになったのかなと思います。戦死しなければ諸葛亮を呼び出すこともなく、荊州に留めておくことも出来たと思うからです。諸葛亮が関羽と上手くやれたかはわかりませんが、劉備亡き後の蜀を立て直した手腕を考えると、関羽も無下に扱うことは出来なかったと思います。
益州で新政権を構築する必要があるため、荊州人士筆頭官僚の諸葛亮は絶対に現地にいかないといけません。なので龐統が死ななくても、関羽が荊州を領有するのはほぼ決定事項なんです。代わりに龐統が荊州に入って関羽を補佐するパターンはあるかもですが、果たして関羽が龐統とうまくやれるかどうか…(苦笑)
なるほど、確かに新政権作りの視点が欠けてましたね。申し訳ありませんでした💦とにかく、他の人も書いてましたが、関羽がもう少し上手くやれてればと思いますが、それが関羽らしいところかなとも思います。
朱然をいつも未然って読んでた。
三國無双で劉備がキレているイメージしかない
一番乗り。これを言ったらお終いだが、関羽に荊州を任せなければならなかった時点でどのみち同盟の破綻は必至だった。それでもこの戦いの後、北伐を敢行するまで持ち直したのだから、諸葛亮がいかに偉大だったか思い知らされる。
でも関羽以外に任せられるだけの「格」のある人物もいないし、うーん、詰みかこれ?(ぇ
魏延じゃだめだったかな?出身地だし、代わりに関羽を漢中に移すとか。あと、荊州義陽郡が手中にあれば、鄧艾を得られたかも。
@@saburiryu28goその魏延こそ格が足りないのかと。関羽は董督荊州事として荊南の劉備領を統括し、更に襄陽太守として荊北を攻略し此方も治める義務と権力があります。魏延は漢中1郡の太守となるだけで周りに驚かれるくらいです。正直この状況で関羽と魏延の役割を入れ替えたら、関羽本人は勿論、多くの諸将が反発しそうです。ゲームでは再現しづらい人事の複雑さですね。
@@saburiryu28go 荊州出身の魏延に荊州を任せるのって後漢的にギリギリ危ない感じしますけどどうなんでしょう?
この戦いがなければ、後の魏との戦いでもかなり有利に戦えたはず。北に魏という大敵がいるのに、呉と戦ったら例え勝ったとしてもダメージも大きい。
夷陵の戦いでは関興や張苞が大活躍したイメージがあるが、逆恨みせずにその戦力を魏に当てていたら運命は変わったかな。張飛の敵討ちして終わりでいいかもと思ってしまう。
確か正史における関興は諸葛亮幕下の文官で、張苞は張飛より先に亡くなってたはず…(笑)
そうでしたか、張苞は天地を喰らうというRPGゲームでは外せず関興同様能力高めになっていますが、関索なら、使えるのかなとは思います。
@@kyonchannel6333関索に至っては架空の人物。子供の代になったら、張飛の息子が侍従で文官筆頭的役目、孔明の息子がむしろ武官として出世した歴史の皮肉
好きな戦いは定軍山の戦い。嫌いな戦いは夷陵の戦い。単なる劉備オタの僕は動画が上がっているのは知っていたけど中々観る気になれなかったから気持ちはよーく分かります!でも観て良かった
陸遜抜擢の理由について、自分も「政治」に注目すべきだと考えています。戦略立案にしても目前の劉備だけでなく魏との関係も考慮しないといけないし、状況次第で劉備と和睦交渉もしないといけないでしょうし、そういう政治レベルの状況に対応できる能力を孫権に買われたのだと思います。劉備はどこまでを目標にしていたのでしょうか?まさか本気で孫権の首をとれるとは思ってなかったでしょうし。個人的には、①魏の軍事的圧力を利用して荊州の割譲を迫る、もしくは②夷道で陸遜軍を撃破して、その勢いで江陵を短期間で落とすといった所だと考えています。つまりい和睦にしろ決戦にしろ夷道で何らかの決着をつけない限り、劉備は先に進めなかったのではないでしょうか。
政治的に考えれば、荊州奪還が最終的な目標になるかと。黄権や多くの官僚を連れてきたのも、関羽のあとの統治を任せようと考えていたのかも。夷道さえ抜ければ広範囲に動けるので、江陵を包囲しつつ各地の反乱勢力などを糾合・占領していくみたいな、益州平定に似た動きを取ったのかもなぁ、みたいな。
龐統が生きてたら関羽とよろしくやれてたかなあ??
それはわかりませんが、龐統は呉の有力者達と交流も深いので外交を任せるには最適な人材だったとは思います。
劉備の北伐が見たかった😅
正直魏を倒す気がない呉が荊州を占有しても宝の持ち腐れすぎるよなぁ。それなら魏を倒す気がある蜀が占有していた方が良かったと思う。
そもそも南部の人を見下してた関羽が中原出身の魯粛とは外交をやれてたけど南部生まれかつ寒門出身の呂蒙とはどう考えてもうまくいくわけがない。
まぁ、うまくやるかどうか以前に、呂蒙は荊州獲る気満々ですし、どうやっても衝突は避けられなかったのかなぁと。両者ともうまくやろうとすらしていないという😇
@@KOUMEI_NO_WANADA ドラマスリーキングダムで張飛。孔明関係でジァイアンみたいな事を言い、劉備に怒られ。関羽も孫権からの使者を、ボコボコにして、呆れる展開でした。噓が混じっているでしょうが、この2人の夜郎自大ぶりは、人間的にこの程度の者達だったのでしょう。
三国志演義被害者の会の人物をもっともっとあげてください!
この夷陵の戦いは三国の思惑が複雑に絡み合っていて、個人的に三国志の戦役で一番考察しがいがあります。劉曄伝(傅子)にこの頃の曹丕の考えが書かれていますが、どうも曹丕は孫権の降伏を受け入れて劉備の背後(恐らく漢中)を攻めたかったようですが、困難だと諌められて自重しています。この頃の曹丕は禅譲直後ということもあって非常に体面を気にしており、この時点では漢を継承したと自称する劉備に敵意を向けている感じです。そんな曹丕にとって劉備が江陵を落とすのはむしろ好都合なのではないでしょうか。劉備の布陣を評価したのもこの戦いを注視していたからでしょうし。仮に劉備が夷道を突破して江陵の包囲に成功しても魏軍が江陵に向かえば撤退せざるを得ませんし、また江陵を手に入れたとしても孫権と和解できなければ魏と呉の双方に狙われる事になり、北伐どころか荊州の維持すら覚束なくなります。そして江陵が魏国の手に渡るという蜀漢と呉の双方にとって最悪の結末の可能性も・・。そう考えるとやはり夷陵の戦いはすべきではなかったと言わざるを得ないですね。
しかし劉備にとってはそれを考慮してもなお攻めないと行けないわけで。そういう人間だからこその劉備です。感情的に考えれば孫権陣営の行動もわからなくはないですが、割譲だけで抑えておくべきだったのではとどうしても思ってしまうというのもある🌵
@@KOUMEI_NO_WANADA この最悪の結末を避けるために考えたのが先のコメントの「魏の軍事的圧力を利用して荊州の割譲を迫る」です。夷陵の戦いの最中に孫権が外交に失敗して魏が呉に攻めるという滅茶苦茶都合のいい想定ですが、江陵を手に入れるだけでなく孫権との同盟を復活させて北伐が可能な体勢を作る所まで視野に入れると、自分にはこれしか方法が思いつかなかったです。
陸遜の攻撃がもう少し遅かったら荊州での反乱祭りはさらに悪化したでしょうからね。勝負は紙一重です。江陵が無いと魏の攻撃軸が漢中からしかない、生きているうちに魏を打倒したかったら江陵は絶対に必要だった。
実際、荊州陥落時に呉に降伏した習珍は劉備の侵攻に呼応して挙兵した。これを鎮圧したのは同じく荊州陥落時に呉に降伏した潘濬だった。
皮肉にも、というやつですね。
そもそも関羽に荊州を任せ、その任せられた人が本拠地を留守にする時点で詰んでる。
劉備負けたから、ボロクソ言われますけど。蜀漢には、荊州出身者もいますから。それに重要拠点ですから。闘い自体は、否定できない。しかしながら、劉備は、何が目的だったでしょう。演義とかは、関羽の敵討ちじゃー。孫権殺すという感じですけど。趙雲達の意見を聞かなくなったのは、依怙地になったのでしょう。陸遜も、勝てたから、大賞賛されましたが。味方からの重圧凄かったでしょう。冷たいですが、劉備大敗北で亡くなるのは、負けるべくして負けたという感じです。袁紹のカントの戦い。曹操の赤壁の戦い。のような冴えない采配でした。長文失礼しました。
張飛とかいう殺されても同情の余地が全くない奴
乱世を生きるというのは、そういうことなのよ
@@KOUMEI_NO_WANADA 主君に部下に殺されて知ってたって思われるやつは中々いないと思いますw
「劉備」生まれ変わって「坂本龍馬」 孫権→西郷隆盛 曹操→大久保利通
正史の話じゃ無いよね。三国志演義もたくさんあって、話ぐちゃぐちゃになってるような・・・
た、例えばどのあたりでしょうか…?(´;ω;`)
関羽は正史ですら神格化されてるっぽいから……実は本当に怪しい武将筆頭なんだよね……義兄弟って話すら創作で劉備に一番近いナンバー2気取りの子分って言うのが実態らしい。尚、実力も逸話も後生に作られたらしい。曹操が欲しがったってのも本当かどうか……顔良、ブンシュウ切った話も実はあやしくや…なんせ関羽登場すると事細かく説明があり神掛かる個人的活躍、天の加護などまともな判断できない資料ばかりで今や神だから調べようもないとか。実際関羽が無能でも歴史進行上なんの問題ないらしい…
この荊州失陥に関して「関羽」の性格的問題を取り上げる感想がやはり多くなるところですが、果たしてそれが最たる問題点であったのか、どうしてそうなってしまったのかなどなど、以下の動画で考察しております! 是非合わせてご視聴いただけると幸いです!(*'ω'*)
【三国志】「関羽」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
ua-cam.com/video/PUtUNaWSdPo/v-deo.htmlsi=1jqspfIk032x-ql8
周囲に睨み利かすには関羽必要ながら龐統戦死もあり外交面に強い孔明を荊州から呼び出す事になったのは大きなダメージになったのかなと
夷陵は大敗でなくほぼ全滅と言える負けなのが痛い
人材不足が、ずっと尾を引くことに
何故か死なない劉邦家臣団、絶妙なタイミングで死んでいく劉備家臣団。
この差がなあ。
天運というか運命というか、それを感じずにはいられない。
老衰の黄忠や自分がしくじって死んだ関羽、張飛はしょうがないが、馬超は早死にし過ぎ。
ここで黄権、馬良を失ったのが痛過ぎた…
本当にそれ
黄権は魏に降り、馬良は戦死、その他勇将も戦死する結果に。
シャマカも
@@猫のダヤン異民族の人か。
あいつ演技だけのやつかと思ってたけどそんなに重要な人物だっけ
@@user-MidoYoko_Midorimushi4545
正史『三国志』では、呉書陸遜伝にしか記述が
見られない。蜀漢に味方した中国周辺民族の王[1]。章武2年(222年)、劉備に随従し呉討伐に参加している。しかし、陸遜の火攻めのため蜀軍は大敗し、沙摩柯も斬首された(夷陵の戦い)。
戦況が膠着状態になり、攻める側の蜀軍が様々な不安要素から不利に傾いてきて尚
蜀軍の戦術に戦略的撤退の選択肢が無かったのは、大将である劉備が前線に居続けた事からも伺える
益州・漢中攻略戦における龐統、法正といった「軍師」の不在がモロに響いたのではないかと思う。
彼らは感情に逸る劉備を上手くコントロール出来ていたが、今回の軍中で最も信頼していたであろう黄権でさえ無理であったことから、他に出来る人物が誰もいなかったであろうことは想像に易い。
あとは劉備が長らく「勝ち戦」に慣れ切ってしまったのも、彼が備えていた戦の勘を鈍らせたのかも?
黄権軍に南郡太守史郃、荊州治中従事龐林が居る所を見ると、黄権軍こそが江陵攻略の切り札でその後の南郡の行政も任せる予定だったんでしょうね
この軍は六月の陸遜の反攻から、三ヶ月以上経って魏に降伏しており呉側からも捕捉されていないようですし、後数ヶ月違えば戦の勝敗が変わった可能性も十分にあったのではないかと思います
ですね。本当にギリギリのところだったんだなぁと思います。
黄忠が好きだったから、ついにこの時が来てしまったんだなぁ感がすごかった。
横山三国志のここらへんの話はホントにツラい
更新お疲れ様でした
最近チャンネル登録しました
うーん、やっぱり蜀漢は実質ここで滅んでますよね…
他の動画で言ってたように関羽が変われなかったのこそが一番のポイントでしょうか…
劉備たちの顔を立てる程度の対応出来てれば違ったのかな…
でもそれが出来る関羽は関羽じゃない、みたいな厄介オタクな自分もいる…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
ですねw
それが出来ないから関羽です
そして関羽を好き嫌いを分ける部分ですよねw
@@すえぞー-o1e驕りがない関羽は完璧超人過ぎるから、それぐらいの欠点は仕方ないかもしれない…
劉備が経験豊富だったがゆえに、これまでの戦法は研究され尽くされていたんでしょう。
陸遜は劉備が呉班をおとりに出したとき、完全に見抜いてますね。
ですね。誘き出してから、間道を進んで裏手に回るのは定軍山の戦いでも見た得意技って感じもしますし🤔
確か三国無双でこのステージを劉備側やると開始後即シュゼンか呂蒙を叩き斬って爆弾兵二人を叩き斬らないと燃えちまうんでしたっけ?
いつも楽しく拝見しています^ ^
正にトラウマ(´;ω;`)
ただ「創作か?」と疑いたくなるほど劇的な展開が繰り返されるから、1,000年以上読み継がれているんだろうなぁ、と思いました(T ^ T)
これが創作だったら作者はきっと凄く性格が悪いんだろう(ぇ
陸遜は呂蒙の下で荊州侵攻の策を練っていた時点で荊州侵攻後に起こるであろう劉備の逆襲に対する対抗策もすでにある程度考えていたはず。
また、呂蒙の命は長くないことは近くにいれば察することができたでしょうし呂蒙抜きでどう守るかについても考えてあったのではないかと。
そのあたりを踏まえて孫権は陸遜を抜擢したのでしょう。呂蒙の荊州侵攻プランの継承者として。
逆に劉備陣営は夷陵からの荊州侵攻プランなんてろくに考えてなかったはず。というかそれを考えておくことができるような慎重さがあるなら荊州失陥など起こらない。
結果的には両大将の準備の差が夷陵の戦いの結果に表れた格好になった、と。
余談ですが、荊州の帰属次第で力関係の2位と3位が入れ替わりかねないことを考えると劉備はイケイケどんどんでやりすぎましたね。
冷静に考えればいかに圧倒的首位にある魏に対抗するためとはいえ呉が3位に転落することをよしとするわけがないことくらいわかりそうなものでしょうに。
劉備陣営首脳陣は諸葛亮も含めて呉を、そして孫権を甘くみていたのでしょう。漢朝復興の大義と勢いで押し切れば孫呉などどうにでもなるだろう、と。
たられば、が過ぎますが最初に龐統が死んだのが痛かったと思います。それがなければ諸葛亮は荊州にいたのかもしれませんし、益州に行くにしても呉との外交に比重を置けたと思いますし。関羽がああいう人なのはそれもまた関羽の魅力だと思うのでまあしょうがないかな。
あとは、法政と張飛がいたらなあ。
関羽のやらかしがなかったら荊州を失わず夷陵の戦いも起きず諸葛亮の北伐プランが破綻することもなかった。定軍山の夏侯淵のように挑発に乗ってくる相手なら対処しやすいが挑発に乗らず守りを固められたらどうしようもない。後の五丈原の戦いで司馬懿は焦る諸葛亮の挑発に乗らず守りを固めたことで粘り勝つことができた。
魏は圧倒的、物量に物言わせてたからね
関羽のやらかしというか、陸遜のハッスルで三国志が終了
諸葛亮・魯粛が命を懸けて作り上げた天下三分の計が失われた
魏を倒す術が無くなったと気づけない孫権
荊州が戻ってきたと喜ぶ。
魏晋から食われる未来しか無いのだが、皇帝となったことでニヨニヨしていたのだろうか。
二宮の乱が呉の分岐点じゃないココが分岐点
晩年、孫権はうすうす解っていたから陸遜冷遇したのだろ
実際は孫権のやらかし
国家間での領土の貸し借りはトラブルにしかならんな
劉備が約束破りまくってるとはいえ魯粛の言う通り、荊州北部を劉備がとってないと、魏とやり合うの無理なんだよなー。結局領土保全を最優先にしたんだろう。劉備みたいに漢王朝の復興とか言う大義名分みたいなのもないから、魏とやり合う意味もないし、天下を狙う意味もないしね。
自分は演義の後に正史を読み、呉軍の強さに感嘆しました。
蜀軍はこの戦いで、将来ある多くの将兵を失ったことが、北伐にもかなり影響したのではないかと思ってます。
演義の影響がありますけど、人材面での層の厚さは、呉軍の方が上ではないかと思ってます。この戦いの指揮をとった陸遜、そして全てを任せきった孫権は大変素晴らしいですね。
劉備が下手をこいた訳でなく、孫権軍が強すぎた。そんな感じがします。😮
孫権軍は基本的に防衛戦は負けなしですしね。
でも攻勢に転じるとどうも上手くいかない。遼来来。
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ある意味、演義で孫策が死ぬ直前に弟を評した通りの史実。
まあ、後付けで後世の人が書いた創作なんだが。
この戦いでは劉備は兵法では初歩的なミスを犯し逆に陣を長くさせて林に誘い込んだ陸遜の用兵は流石ですね
一躍名を上げた陸遜ですが晩年が可哀想すぎます😢
まぁ、陸遜もちょっと他人の気持ちわからないタイプの人だったから、晩年のあれは下手に騒動を大きくさせちゃった感が否めない(;'∀')
あれだけの実績と家柄があって、周瑜や諸葛瑾と違って性格について何も触れられてないってのはそういうことですよね(笑)
劉備は撤退を拒否し、同時に地上部隊も夷道を突破する能力がなく、水軍は荊門、虎牙一段の長江江口を突破することができなかった。有利な防御地形を占領した呉軍と野戦したかったが、呉軍は避戦を選んだ。こうして双方は数カ月の歳月を費やし、梅雨に入ると劉備軍の「連営数百里」が始まり、数万人の蜀軍が、秭帰から夷陵までの200里の平原に分散配置された。戦線全体は非常に長く引っ張られているが、兵力の密度や守備は非常に貧弱である。避暑や後方勤務の負担軽減のために、草木が茂る地帯を自ら選んだことも…。
@@shou-sho 上に立つ人間はそんなものかも知れませんね
正論神拳では疑心暗鬼渦巻く政争には対抗できなかったんでしょうね
関羽以外に荊州を任せられる大将はいなかったでしょう!
張飛はもっと問題ありますし。
やはり補佐する人材である、龐統もしくは方正が早逝したのが痛かった。
どちらかが健在なら諸葛亮が荊州で内政と人士との繋がりを保ち、兄の諸葛瑾と連携して同盟維持できたかもしれのに。
一気に有力な人材が消えてしまったのが1番の理由でしょう。
張飛が死んでなければ戦いの趨勢も変わっていた可能性ありそうですね。
劉備と張飛の寿命を縮めた戦いでもありますが、仮に関羽が敗北はしても脱出に成功、又は孫権が関羽を捕まえた後敢えて逃し関羽や関平が蜀に逃げ込めたらどうなったでしょうか?
関羽の仇討ちという劉備と張飛の平常心を失わせる理由が無くなり荊州奪還をするか否かが論点になり、少なくとも焦って孫権と戦う必要はなくなります。
上手くいけば孟達、劉封と上庸もそのままで夷陵で失われた精鋭部隊と武将もそのままとなるので、孫権と再度同盟したとすれば北伐もかなり楽になったのではないでしょうか。
なんというか、三国鼎立とその首脳のジレンマが極限に煮詰まった果ての惨劇って感じ。
国家の面子、実際の国益、国民の感情、望郷の念、悲願、恩讐、現代の戦争や領土問題にも大いに通じる。
呂蒙は仮病の時には陸遜を推挙していたのに本気で病気になった時は朱然を後任に推したんですねw
夷陵の戦いでこれほどの損害を受けなかったら、孔明の北伐はどれほど楽になったことか…!
苦労人の呂蒙には陸遜の末路が見えていたのだろう
最悪のタイミングで呉が蜀相手に100点のムーブをしてしまう悲劇
兵士を失ったのも勿論痛いけどそれを率いる将校も失ったのが蜀の滅亡を決定つけたと思う
ゲームとかだと劉備が怒って突っ込んできたとこを陸遜が少し準備時間耐えてから火計であっさり撃退!って感じだったけどなるほどそこに至るまでが色々ありすぎたんだなぁ。張飛が生きていれば、もしくは趙雲が付いていたら火計を使わせないか火計の被害を抑えるくらいはあったのかなぁ。天命とはこういうものかって感じがする展開だなーと思いますた。
最初の圧倒的2連勝が無かったらもう少し慎重に進軍してたかもしれないし結果的に深い溝の奥まで進ませる形になったのと劉備がイケるぜモードで前に出てたのが呉の勝機に繋がったのかな?もしかしたら劉備自身周りの仲間たちの死や体調とかから死期を悟っていて最後に大切な人達の仇を取ろうと仲間共々必死だったのかもしれないけど。
有名な戦いでも解説を聞くとなるほどそんなことがって発見がいっぱいで面白いなぁw
張飛の死は間違いなくデカかったと思います。それ故に張飛の死は、呉の暗殺だったんじゃないかとさえ思えてくるぅ…🐎
龐統、法正の方が劉備と折り合いがよく、諸葛亮と関羽がうまくやっていたようですね。
龐統、法正が居たならと思わせる話でもある。
荊州を任せられるのが関羽のみ…関羽の統治は威信が行き渡っており、弱点の外交も諸葛亮がいれば、ですかな
関羽を宥められるのって劉備と諸葛亮くらいでしたからね。でも二人とも益州に居ないといけないとなると、やっぱり関羽の欠陥は浮き彫りになってしまったのかなぁと。
あの(曹操とかに目をつけられたりとかの危険を回避するためひたすら地味で通してきた)劉備がド派手に負けたあげくショックで死んだというのは当時の人々にも驚きであったろうね…
しかし陸遜とかいうそれ誰やねんレベルの人物が突如時代に躍り出た戦いともいえますな(^^)
この戦いで蜀漢の次世代を担うはずだった人材も大量に失っており、蜀漢を叩き潰した戦いと言える。
やはり関羽を荊州に任命したのがなぁ
でも関羽以外に任せられる人もいないしなぁ🫠
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関羽以外にあり得たとしたら孔明、つまり龐統がしかも黄忠、魏延しか連れて行ってない状況で蜀を攻略できたか?って話になる。まあ無理でしょ。
兵力劉障側の方がむしろ多いんだし。
要は当時の状況で、名目上漢王朝から直接官職をもらっている関羽より明示的に地位が上なのは、左将軍である劉備しかいない。孔明ならまだ関羽も納得せざるを得ないというだけ。
孔明が援軍に行くとなったら代官は地位的に関羽しかない。
能力的には趙雲辺りだが、いかんせん地位が低い
張飛が参戦できていたらどうなっていたでしょうかね。病死じゃなく十分参戦できる状態だったようだから惜しすぎる。
雑兵レベルの人の生き死になら大勢に影響は無いでしょうが、張飛ほどの人の死は大いに影響したと思いますし。
戦意は高揚したかも知れないが、知略では陸遜の相手ではないので、結果は大差ない。
戦死者の列に張飛も加わるだけ。
戦役後の諸葛亮の気持ちを思うとやるせない。
通知がきたけど、蜀贔屓の俺はすぐ見ることが出来なかった。。。
気持ちは凄く分かる🌵
蜀の問題はみんな知る所なんで一々触れないけど、呉はなんでニ正面作戦やったのか全く理解出来ないんですよね…
魏が静かならまだわかるけど、ちょっかい出されてるのに何処にそんな余裕あったんだろうか?
どんな馬鹿でも蜀と潰し合うのは魏が利する事はわかりそうなもんだが…
呂蒙は長江の上流域である荊州を取れば、独力で国土防衛が可能と考えて、孫権はその通りに動き、事実防衛に成功しています。
とはいえ余裕がないのは確かにそうですし、これで孫呉は天下への道を自ら絶ち、滅亡を遅らせるだけとなったのも事実。理解はできても、腑に落ちない話ではありますよね🤔
友よ!まだ良い仕事をしてくれましたよ!劉備だけではなく黄権までの人物像を描いて説明してくれました!1つ言いたい事は"火計",孫子兵法書でこれはかける側にも危ない1手だと説明します.環境と風など色んな外部要素を把握しないと間違えて自軍にもダメージになります.ほとんどの火計は成立できなく敵に無傷でしたが.ここで陸遜はいかにも良い将,経験と計算も長ける方が分かりました.
陸遜を侮ったのが原因かな。たしか曹丕に劉備は兵法を知らないって言わたからなあ。
その頃の曹丕くんは、未来の自分のことをまだ知らない…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ブーメランですね。ww。
曹丕も兵法には自信あったんやろね
なお実戦…
別に劉備も上手く揺さぶり掛けてて勝てる要素はいっぱいだったんやけど陸遜がそれを越す名将でしたね
あの胆力は本当に化け物
この戦いしか記述が無い人達は何とも言えないからやはり黄権を失う事になったのが蜀には痛かったかな
法正は亡くなり潘濬は皮肉にも敵に回ったら存在の大きさが身に染みるでこの段階では黄権の存在は大きかっただろうから一番の痛手だったかも
私見ながら魯粛の夭折が、三国のバランスが崩壊した一番の遠因のように思っています。
また、このタイミングでないと関羽を討ち取るのは難しかったのかも、と見ていて思いました。
仇討ち以外に、ライバルや“弟たち”の死で自分の存命の間にできること、と焦ってしまったところもあったかな。
呉に火を持たせたらアカンわ。。。
でも荊州侵攻の機運は孫権政権下でかなり盛り上がってましたし、魯粛がいてもその勢いを抑えられたかどうかがちょっと怪しいところではあります…🤔
劉備は三国志演義の主人公やね🤔
法正がいたらどれぐらいの被害で済んだのかな。結果はどうであれこの頃の劉備を抑えられるのは法正でも無理難題な気がする。
孔明がいくら言っても、承諾しなかった蜀攻略を龐統の献策であっさりOK しているので、そうでもないんでは?
むしろ、役目的にも皇帝を守る役目の趙雲を連れていかなかった(行けなかった?)のが最大の失敗だろう。
長坂坡や街亭の時の活躍をみても、撤退戦で被害を減らす才能は趙雲がダントツ。
連れていかなかったということは劉備が負けた時のことをまるで考えてなかったということ。
@@真田安房守-r4p
趙雲の実力も撤退も重要であると身に持って知っている劉備が暴走してますし、その劉備が全指揮権持ってますからね。この戦は暴走する劉備が止められず綻びがでて、そこを粘り強い陸遜が突いて最悪の結果が出たと思います。
劉備の身柄を赤壁の戦い直前に抑えていれば、天下のことは簡単だった。
なんて、呉では考える勢力も多かったろうと推察。
しかし、曹操でも抑えきれなかった男であり、声望もやたら高いから殺すのも憚られるという。ほんとに厄介(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA まったくです(苦笑)。
@@KOUMEI_NO_WANADA アニメの三国志で関羽死亡後に魏と呉から、劉備達には負けないが、大損害出るから、関羽の首。たらい回しにされました。
もしかしたら荊州勢の突き上げもあったんかな
万規模の人間が家族や家を取られたわけだし
劉備以外に関羽をコントロール出来る人物がいなかったのが大きすぎた気がします。
自分はやはり、龐統の戦死がターニングポイントになったのかなと思います。戦死しなければ諸葛亮を呼び出すこともなく、荊州に留めておくことも出来たと思うからです。諸葛亮が関羽と上手くやれたかはわかりませんが、劉備亡き後の蜀を立て直した手腕を考えると、関羽も無下に扱うことは出来なかったと思います。
益州で新政権を構築する必要があるため、荊州人士筆頭官僚の諸葛亮は絶対に現地にいかないといけません。
なので龐統が死ななくても、関羽が荊州を領有するのはほぼ決定事項なんです。
代わりに龐統が荊州に入って関羽を補佐するパターンはあるかもですが、果たして関羽が龐統とうまくやれるかどうか…(苦笑)
なるほど、確かに新政権作りの視点が欠けてましたね。申し訳ありませんでした💦
とにかく、他の人も書いてましたが、関羽がもう少し上手くやれてればと思いますが、それが関羽らしいところかなとも思います。
朱然をいつも未然って読んでた。
三國無双で劉備がキレているイメージしかない
一番乗り。これを言ったらお終いだが、関羽に荊州を任せなければならなかった時点でどのみち同盟の破綻は必至だった。それでもこの戦いの後、北伐を敢行するまで持ち直したのだから、諸葛亮がいかに偉大だったか思い知らされる。
でも関羽以外に任せられるだけの「格」のある人物もいないし、うーん、詰みかこれ?(ぇ
魏延じゃだめだったかな?出身地だし、代わりに関羽を漢中に移すとか。あと、荊州義陽郡が手中にあれば、鄧艾を得られたかも。
@@saburiryu28goその魏延こそ格が足りないのかと。関羽は董督荊州事として荊南の劉備領を統括し、更に襄陽太守として荊北を攻略し此方も治める義務と権力があります。魏延は漢中1郡の太守となるだけで周りに驚かれるくらいです。正直この状況で関羽と魏延の役割を入れ替えたら、関羽本人は勿論、多くの諸将が反発しそうです。ゲームでは再現しづらい人事の複雑さですね。
@@saburiryu28go 荊州出身の魏延に荊州を任せるのって後漢的にギリギリ危ない感じしますけどどうなんでしょう?
この戦いがなければ、後の魏との戦いでもかなり有利に戦えたはず。
北に魏という大敵がいるのに、呉と戦ったら例え勝ったとしてもダメージも大きい。
夷陵の戦いでは関興や張苞が大活躍したイメージがあるが、逆恨みせずにその戦力を魏に当てていたら運命は変わったかな。張飛の敵討ちして終わりでいいかもと思ってしまう。
確か正史における関興は諸葛亮幕下の文官で、張苞は張飛より先に亡くなってたはず…(笑)
そうでしたか、張苞は天地を喰らうというRPGゲームでは外せず関興同様能力高めになっていますが、関索なら、使えるのかなとは思います。
@@kyonchannel6333
関索に至っては架空の人物。
子供の代になったら、張飛の息子が侍従で文官筆頭的役目、孔明の息子がむしろ武官として出世した歴史の皮肉
好きな戦いは定軍山の戦い。嫌いな戦いは夷陵の戦い。
単なる劉備オタの僕は動画が上がっているのは知っていたけど中々観る気になれなかったから気持ちはよーく分かります!
でも観て良かった
陸遜抜擢の理由について、自分も「政治」に注目すべきだと考えています。戦略立案にしても目前の劉備だけでなく魏との関係も考慮しないといけないし、状況次第で劉備と和睦交渉もしないといけないでしょうし、そういう政治レベルの状況に対応できる能力を孫権に買われたのだと思います。
劉備はどこまでを目標にしていたのでしょうか?まさか本気で孫権の首をとれるとは思ってなかったでしょうし。個人的には、①魏の軍事的圧力を利用して荊州の割譲を迫る、もしくは②夷道で陸遜軍を撃破して、その勢いで江陵を短期間で落とすといった所だと考えています。つまりい和睦にしろ決戦にしろ夷道で何らかの決着をつけない限り、劉備は先に進めなかったのではないでしょうか。
政治的に考えれば、荊州奪還が最終的な目標になるかと。黄権や多くの官僚を連れてきたのも、関羽のあとの統治を任せようと考えていたのかも。
夷道さえ抜ければ広範囲に動けるので、江陵を包囲しつつ各地の反乱勢力などを糾合・占領していくみたいな、益州平定に似た動きを取ったのかもなぁ、みたいな。
龐統が生きてたら関羽とよろしくやれてたかなあ??
それはわかりませんが、龐統は呉の有力者達と交流も深いので外交を任せるには最適な人材だったとは思います。
劉備の北伐が見たかった😅
正直魏を倒す気がない呉が荊州を占有しても宝の持ち腐れすぎるよなぁ。
それなら魏を倒す気がある蜀が占有していた方が良かったと思う。
そもそも南部の人を見下してた関羽が中原出身の魯粛とは外交をやれてたけど南部生まれかつ寒門出身の呂蒙とはどう考えてもうまくいくわけがない。
まぁ、うまくやるかどうか以前に、呂蒙は荊州獲る気満々ですし、どうやっても衝突は避けられなかったのかなぁと。両者ともうまくやろうとすらしていないという😇
@@KOUMEI_NO_WANADA ドラマスリーキングダムで張飛。孔明関係でジァイアンみたいな事を言い、劉備に怒られ。関羽も孫権からの使者を、ボコボコにして、呆れる展開でした。噓が混じっているでしょうが、この2人の夜郎自大ぶりは、人間的にこの程度の者達だったのでしょう。
三国志演義被害者の会の人物をもっともっとあげてください!
この夷陵の戦いは三国の思惑が複雑に絡み合っていて、個人的に三国志の戦役で一番考察しがいがあります。
劉曄伝(傅子)にこの頃の曹丕の考えが書かれていますが、どうも曹丕は孫権の降伏を受け入れて劉備の背後(恐らく漢中)を攻めたかったようですが、困難だと諌められて自重しています。この頃の曹丕は禅譲直後ということもあって非常に体面を気にしており、この時点では漢を継承したと自称する劉備に敵意を向けている感じです。そんな曹丕にとって劉備が江陵を落とすのはむしろ好都合なのではないでしょうか。劉備の布陣を評価したのもこの戦いを注視していたからでしょうし。
仮に劉備が夷道を突破して江陵の包囲に成功しても魏軍が江陵に向かえば撤退せざるを得ませんし、また江陵を手に入れたとしても孫権と和解できなければ魏と呉の双方に狙われる事になり、北伐どころか荊州の維持すら覚束なくなります。そして江陵が魏国の手に渡るという蜀漢と呉の双方にとって最悪の結末の可能性も・・。そう考えるとやはり夷陵の戦いはすべきではなかったと言わざるを得ないですね。
しかし劉備にとってはそれを考慮してもなお攻めないと行けないわけで。そういう人間だからこその劉備です。
感情的に考えれば孫権陣営の行動もわからなくはないですが、割譲だけで抑えておくべきだったのではとどうしても思ってしまうというのもある🌵
@@KOUMEI_NO_WANADA この最悪の結末を避けるために考えたのが先のコメントの「魏の軍事的圧力を利用して荊州の割譲を迫る」です。夷陵の戦いの最中に孫権が外交に失敗して魏が呉に攻めるという滅茶苦茶都合のいい想定ですが、江陵を手に入れるだけでなく孫権との同盟を復活させて北伐が可能な体勢を作る所まで視野に入れると、自分にはこれしか方法が思いつかなかったです。
陸遜の攻撃がもう少し遅かったら荊州での反乱祭りはさらに悪化したでしょうからね。
勝負は紙一重です。
江陵が無いと魏の攻撃軸が漢中からしかない、生きているうちに魏を打倒したかったら江陵は絶対に必要だった。
実際、荊州陥落時に呉に降伏した習珍は劉備の侵攻に呼応して挙兵した。これを鎮圧したのは同じく荊州陥落時に呉に降伏した潘濬だった。
皮肉にも、というやつですね。
そもそも関羽に荊州を任せ、その任せられた人が本拠地を留守にする時点で詰んでる。
劉備負けたから、ボロクソ言われますけど。蜀漢には、荊州出身者もいますから。それに重要拠点ですから。闘い自体は、否定できない。しかしながら、劉備は、何が目的だったでしょう。演義とかは、関羽の敵討ちじゃー。孫権殺すという感じですけど。趙雲達の意見を聞かなくなったのは、依怙地になったのでしょう。陸遜も、勝てたから、大賞賛されましたが。味方からの重圧凄かったでしょう。冷たいですが、劉備大敗北で亡くなるのは、負けるべくして負けたという感じです。袁紹のカントの戦い。曹操の赤壁の戦い。のような冴えない采配でした。長文失礼しました。
張飛とかいう殺されても同情の余地が全くない奴
乱世を生きるというのは、そういうことなのよ
@@KOUMEI_NO_WANADA
主君に部下に殺されて知ってたって思われるやつは中々いないと思いますw
「劉備」生まれ変わって「坂本龍馬」 孫権→西郷隆盛 曹操→大久保利通
正史の話じゃ無いよね。
三国志演義もたくさんあって、話ぐちゃぐちゃになってるような・・・
た、例えばどのあたりでしょうか…?(´;ω;`)
関羽は正史ですら神格化されてるっぽいから……実は本当に怪しい武将筆頭なんだよね……義兄弟って話すら創作で劉備に一番近いナンバー2気取りの子分って言うのが実態らしい。尚、実力も逸話も後生に作られたらしい。曹操が欲しがったってのも本当かどうか……顔良、ブンシュウ切った話も実はあやしくや…なんせ関羽登場すると事細かく説明があり神掛かる個人的活躍、天の加護などまともな判断できない資料ばかりで今や神だから調べようもないとか。実際関羽が無能でも歴史進行上なんの問題ないらしい…