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社会学を取り上げていただいて、とても嬉しいです!本書は自殺という暗いテーマで現代社会について考えさせられます。でも特に「すごいなぁ」と感じたのは、自殺に関する考察の結論的な部分だけではなく、デュルケームの社会学史への功績について、とてもわかりやすく解説してくださったことです。以前、投稿者さんがサブチャンネルで哲学の面白さについて、「最も興味があるのは哲学そのものよりも、経験を超えたものについて真理を追い求める哲学者たちの生き様やその狂気に惹かれている」とおっしゃっていたのを思い出し、私も共感しました。社会学の対象は、形而上学のように経験を超えたものではなく、私たちの目の前にある社会です。しかし、社会現象を自然科学のように科学的に認識することが本当に可能なのかという問題は、非常に難しいものです。そうした問いに挑んだ古典社会学者たちの生き様もまた、興味深く感じます。もしよければ、ヴェーバーのプロ倫についても解説していただけると嬉しいです。長々とすみません。
今の日本はSNSの発達により自分の能力の底が容易に見えてしまうし他者との繋がりが薄い為に孤独感が強いが故に自殺が多い気がしてならない。
失礼します。哲学チャンネルさんが色々な本を読み、他人に噛み砕いて説明できるまで理解されてるのが羨ましいです。理解できれば様々な議論が様々な人と出来るんだろうなー、と思って憧れております。哲学チャンネルさんに倣って「わたし」はどこにあるのか を買って読んで見たのですが自分には難しくて、、。自由意思に関して興味もありますし、哲学にも興味があるのですが何かこの本とこの本から読むのがオススメだよ!文章分かりやすいよ!みたいな本ってありますでしょうか😖?宜しければお手隙の際などで構いませんのでご教授頂けますと幸いです🙇♂️
リクエストありがとうございます!!ずっと楽しみに待っていました。カフェにも行きたいと思っています!
端的に本質をわかりやすくまとめられているのが素晴らしいです。シンプルな編集も好きです🙂
自殺は要因は貧困ではなく孤独。哲学チャンネルさんがデュルケームを取り上げてくださり良かったです。
悲しくなるくらい、人間は骨の髄まで社会性動物なんですよね。
人はなぜみずから命を捨てるのか、とか、考える余裕も無いんだと思います。
下のコメの方が書いてますがSNSが発達しすぎて知らなくて良い事まで知れるようになりました。特殊な検索を書けないと見れませんが…どうしようもない、変えられない事実というのはありましてそれらに絶望して亡くなる方も多いのかなぁとは思います。
社会的な生き物(=人間)にとって、社会秩序や規範は、生きる為に適応すべき最も大きな環境の一つだと思います。しかし、時代や環境の変化によって表出する“以前に適応した社会規範の矛盾”は、人間のOSに多くのバグを発生させるでしょう。その時、「見えない将来」が絶望となり、「生き方=生きる意味」を見失い、結果的に生衝動を減退させる。自らの社会的価値の喪失より死を選ぶのが、人間という生物の特徴だと思います。😊
デュルケームが、集団本位的、宿命的自殺にあまり焦点を当てない所が、あくまでも宗教(一神教)的ですね…
現象学取り上げてください!お願いします!
5:35 ここの図カトリックとプロテスタント逆じゃ無いですか?
あ…ほんとうだ。ご指摘ありがとうございます!
個人主義と、自己責任論に通じます🤔
ありがとうございました。
自分の幸せは他人の幸せでもあり、他人の幸せは自分の幸せでもある社会あっての個人であり、個人あっての社会これが腹の底から分かればかなり生きやすい
「社会学」というのはなかなかつかみどころのない学問だと思います。まず、社会とは何なのかよくわかりませんから。家庭なのか地域なのか国なのか人類すべてなのか。会社なのか学校なのか宗教団体なのか趣味のサークルなのかSNSのメンバーなのか。人と人が関係するすべてのシステムが対象になる、ぐらいの感じでしょうか。個々人が思い描く社会像は、時代や場所などさまざまな条件によって変わってくるんでしょうが、とりあえずデュルケームの時代はどうだったかを前提に考えるしかないでしょう。フランス革命後のすったもんだもようやく一段落と思ったら、さらに普仏戦争(1870)で痛いめにあった、その少しあとぐらいでしょう。帝国主義の時代にあって国民国家が社会単位として存在感を増し、中央集権による官僚機構の優劣を競い合うようになった頃だと思われます。国民国家たるものまずは国民についての情報を押さえておく必要はある。やや唐突感のあるデュルケームの『自殺論』というテーマも、そのような背景があったとすると理解はできます。しかし、それなら、まず自殺より人口そのもの、出生率や寿命などを考える方が先だと思いますが(現代のトッドのように)。そこは、先人のマルサスなりスペンサーなりがすでにやっているという感じなんでしょうか。科学的なデータ、「社会的事実」に基づいて社会分析するというのはもっともな話ですが、当時として、どの程度の精度で情報収集ができていたのか気になります。年齢、場所、職業、宗教ごとの自殺数の統計データぐらいなら、国家として収集することは可能だったと思いますが、自殺の動機にいたるまで細かく調べられていたんでしょうか。現代日本の警察なり厚労省なりが出している自殺のデータによれば、自殺原因のトップは、健康問題、次が経済問題、以下、家庭問題、職場学校の人間関係などが並んでいます。これらは、デュルケームの分類、社会的つながりが弱まることでおこる自己本位的自殺、社会的規則が弱い状態でおこるアノミー的自殺にうまくあてはまるんでしょうか。どうもデュルケームの分類のしかたは、やや具体性に欠け、恣意的にすぎる気がしないでもありません。なんとなく「適度な社会的なつながりと社会的規則を」という政策提言ありきで、こじつけようとした感じはありませんか。国民統合のためのスローガンとしてはよさそうですが、具体性に欠け、自殺対策になっているのか若干疑問が残ります。ヴェーバーが批判したというのもそのあたりのことなんでしょうか。『プロ倫』に見られるようなヴェーバーの発想からすれば、「社会的事実」があれば「個人の意識」はなくてよいという考え方に反対なのはわかる気はしますが。デュルケームの提言には多少社会主義的匂いもないではないですし。さらにヴェーバーは、官僚組織をあまり信用していなかったようにも見受けられますから、官僚的なデータ収集のやり方に何か意見でももっていたかもしれませんね。つまり、完全な透明性が保たれるのか、とか。昨今でも、ITやAIを有効に活用して、エビデンスベースの政策決定を目指すべしといった議論が盛んに行われているようです。今年の都知事選でも、その類の主張をした候補者がけっこうな得票を稼いだりしてましたし。台湾などはその手の先進国ではないかといった話も聞いたことがあります。コロナの頃、オードリー・タンというIT技術者が情報大臣?になったときだったか。その一方、中国あたりは、共産党の絶対的な力をもってすれば、エビデンスベースの政策決定を行う能力は十分にもっていると思われますが、なぜか、実際はそこからはもっとも遠い場所にいるようにも見えますね。そこが人間の不思議なところです。
いつも興味深い動画をありがとうございます。ナレーションの声が少し低くなりましたか?😅
社会学必読書の一つ!
いやぁ孤独というより絶望なんですよ なりたい自分になれないなと悟った時です そして世の中ゴミしかのうのうと生きてないなと思ったのです 同じ空気なんか吸いたくもないのでサッサとしにたいんですよ
絶望を突き詰めるとそこにあるのは孤独だと思いますよ。あなたの言う「ゴミしかのうのうと生きていない」、「同じ空気なんか吸いたくない」からは、他者への不信感や嫌悪感が強く感じられますし、自分のことをきちんと理解し、肯定てくれる人がいないという気持ちもつまるところ「孤独」なんですよ。
@@朝昼夕 メッセージありがとうございます。あれからまだ絶望突き詰めてますが、肯定してくれている人が見えてきてますので、そこまで今は孤独はありません。おそらくそれを「仲間」と言うのでしょう。人生とはいかに周りに気がつくかがヒントなんでしょうね。
でも実際にノウノウと生きているのはハイスペックな仕事に就ける能力があって適齢期にちゃんと結婚して子供を持てた人たちだよ。私も頭が良くてシンプルに一目置かれる良い仕事に就いて人助けして感謝されまくる生活送りたかった。現実はフルタイムで年収手取180万から抜け出せず生きているのはウンザリです。高卒卵子とF欄無能ギャンブルサラリーマンの精子の受精卵として産まれてしまって最悪です。選べるならこんな屑男女の排泄物で作られたくなかったです。医師と医師が選んだ女性の生殖細胞の受精卵として産まれたかったです。
なかなか、難しい話しですね。話題が逸れるかもしれませんが、知り合いに、いわゆる労働運動に人生を賭けている様な方がいらっしゃって、あまりにのめり込み過ぎて会社を解雇されたんですが、幸いな事に再就職出来たので、今度こそ自重して頑張って下さいなんて話したら、いやもう既に組合を作る準備をしているよ、なんて話しをしていました。懲りない人だなと思うし、見方によっては恩を仇で返す様な事なのに、平然としていて逆に凄い人だなと思った事がありました。(笑)言い方は乱暴かもしれませんが、そんな知り合いでも、人並みに生活しているし、自ら命を絶つよりは良いのかな…なんて、ふと思いました。すみません、長々と。お話し良かったです。
輪廻転生を信じてるから。
誰も死を知らないのに自殺を考える意味はあるんですか?仮に自殺者が死に意味を見出していたとしていたら、それは別の観念として論ずるべきですし、そうでないなら自殺という行動は娯楽とか勉強とかと同じような、取るに足らない話ではないのですか?或いは、単純に自殺の方がデータが集まりやすかった?
社会学を取り上げていただいて、とても嬉しいです!本書は自殺という暗いテーマで現代社会について考えさせられます。でも特に「すごいなぁ」と感じたのは、自殺に関する考察の結論的な部分だけではなく、デュルケームの社会学史への功績について、とてもわかりやすく解説してくださったことです。以前、投稿者さんがサブチャンネルで哲学の面白さについて、「最も興味があるのは哲学そのものよりも、経験を超えたものについて真理を追い求める哲学者たちの生き様やその狂気に惹かれている」とおっしゃっていたのを思い出し、私も共感しました。
社会学の対象は、形而上学のように経験を超えたものではなく、私たちの目の前にある社会です。しかし、社会現象を自然科学のように科学的に認識することが本当に可能なのかという問題は、非常に難しいものです。そうした問いに挑んだ古典社会学者たちの生き様もまた、興味深く感じます。もしよければ、ヴェーバーのプロ倫についても解説していただけると嬉しいです。長々とすみません。
今の日本はSNSの発達により自分の能力の底が
容易に見えてしまうし
他者との繋がりが薄い為に孤独感が強いが故に
自殺が多い気がしてならない。
失礼します。哲学チャンネルさんが色々な本を読み、他人に噛み砕いて説明できるまで理解されてるのが羨ましいです。
理解できれば様々な議論が様々な人と出来るんだろうなー、と思って憧れております。
哲学チャンネルさんに倣って「わたし」はどこにあるのか を買って読んで見たのですが自分には難しくて、、。
自由意思に関して興味もありますし、哲学にも興味があるのですが何かこの本とこの本から読むのがオススメだよ!文章分かりやすいよ!みたいな本ってありますでしょうか😖?
宜しければお手隙の際などで構いませんのでご教授頂けますと幸いです🙇♂️
リクエストありがとうございます!!
ずっと楽しみに待っていました。カフェにも行きたいと思っています!
端的に本質をわかりやすくまとめられているのが素晴らしいです。シンプルな編集も好きです🙂
自殺は要因は貧困ではなく孤独。哲学チャンネルさんがデュルケームを取り上げてくださり良かったです。
悲しくなるくらい、人間は骨の髄まで社会性動物なんですよね。
人はなぜみずから命を捨てるのか、とか、考える余裕も無いんだと思います。
下のコメの方が書いてますがSNSが発達しすぎて知らなくて良い事まで知れるようになりました。特殊な検索を書けないと見れませんが…どうしようもない、変えられない事実というのはありましてそれらに絶望して亡くなる方も多いのかなぁとは思います。
社会的な生き物(=人間)にとって、社会秩序や規範は、生きる為に適応すべき最も大きな環境の一つだと思います。
しかし、時代や環境の変化によって表出する“以前に適応した社会規範の矛盾”は、人間のOSに多くのバグを発生させるでしょう。
その時、「見えない将来」が絶望となり、「生き方=生きる意味」を見失い、結果的に生衝動を減退させる。
自らの社会的価値の喪失より死を選ぶのが、人間という生物の特徴だと思います。😊
デュルケームが、集団本位的、宿命的自殺にあまり焦点を当てない所が、あくまでも宗教(一神教)的ですね…
現象学取り上げてください!
お願いします!
5:35 ここの図カトリックとプロテスタント逆じゃ無いですか?
あ…ほんとうだ。
ご指摘ありがとうございます!
個人主義と、自己責任論に通じます🤔
ありがとうございました。
自分の幸せは他人の幸せでもあり、他人の幸せは自分の幸せでもある
社会あっての個人であり、個人あっての社会
これが腹の底から分かればかなり生きやすい
「社会学」というのはなかなかつかみどころのない学問だと思います。まず、社会とは何なのかよくわかりませんから。家庭なのか地域なのか国なのか人類すべてなのか。会社なのか学校なのか宗教団体なのか趣味のサークルなのかSNSのメンバーなのか。
人と人が関係するすべてのシステムが対象になる、ぐらいの感じでしょうか。
個々人が思い描く社会像は、時代や場所などさまざまな条件によって変わってくるんでしょうが、とりあえずデュルケームの時代はどうだったかを前提に考えるしかないでしょう。
フランス革命後のすったもんだもようやく一段落と思ったら、さらに普仏戦争(1870)で痛いめにあった、その少しあとぐらいでしょう。帝国主義の時代にあって国民国家が社会単位として存在感を増し、中央集権による官僚機構の優劣を競い合うようになった頃だと思われます。国民国家たるものまずは国民についての情報を押さえておく必要はある。
やや唐突感のあるデュルケームの『自殺論』というテーマも、そのような背景があったとすると理解はできます。しかし、それなら、まず自殺より人口そのもの、出生率や寿命などを考える方が先だと思いますが(現代のトッドのように)。そこは、先人のマルサスなりスペンサーなりがすでにやっているという感じなんでしょうか。
科学的なデータ、「社会的事実」に基づいて社会分析するというのはもっともな話ですが、当時として、どの程度の精度で情報収集ができていたのか気になります。年齢、場所、職業、宗教ごとの自殺数の統計データぐらいなら、国家として収集することは可能だったと思いますが、自殺の動機にいたるまで細かく調べられていたんでしょうか。
現代日本の警察なり厚労省なりが出している自殺のデータによれば、自殺原因のトップは、健康問題、次が経済問題、以下、家庭問題、職場学校の人間関係などが並んでいます。これらは、デュルケームの分類、社会的つながりが弱まることでおこる自己本位的自殺、社会的規則が弱い状態でおこるアノミー的自殺にうまくあてはまるんでしょうか。
どうもデュルケームの分類のしかたは、やや具体性に欠け、恣意的にすぎる気がしないでもありません。なんとなく「適度な社会的なつながりと社会的規則を」という政策提言ありきで、こじつけようとした感じはありませんか。
国民統合のためのスローガンとしてはよさそうですが、具体性に欠け、自殺対策になっているのか若干疑問が残ります。
ヴェーバーが批判したというのもそのあたりのことなんでしょうか。『プロ倫』に見られるようなヴェーバーの発想からすれば、「社会的事実」があれば「個人の意識」はなくてよいという考え方に反対なのはわかる気はしますが。デュルケームの提言には多少社会主義的匂いもないではないですし。
さらにヴェーバーは、官僚組織をあまり信用していなかったようにも見受けられますから、官僚的なデータ収集のやり方に何か意見でももっていたかもしれませんね。つまり、完全な透明性が保たれるのか、とか。
昨今でも、ITやAIを有効に活用して、エビデンスベースの政策決定を目指すべしといった議論が盛んに行われているようです。今年の都知事選でも、その類の主張をした候補者がけっこうな得票を稼いだりしてましたし。
台湾などはその手の先進国ではないかといった話も聞いたことがあります。コロナの頃、オードリー・タンというIT技術者が情報大臣?になったときだったか。
その一方、中国あたりは、共産党の絶対的な力をもってすれば、エビデンスベースの政策決定を行う能力は十分にもっていると思われますが、なぜか、実際はそこからはもっとも遠い場所にいるようにも見えますね。そこが人間の不思議なところです。
いつも興味深い動画をありがとうございます。
ナレーションの声が少し低くなりましたか?😅
社会学必読書の一つ!
いやぁ孤独というより絶望なんですよ なりたい自分になれないなと悟った時です そして世の中ゴミしかのうのうと生きてないなと思ったのです 同じ空気なんか吸いたくもないのでサッサとしにたいんですよ
絶望を突き詰めるとそこにあるのは孤独だと思いますよ。
あなたの言う「ゴミしかのうのうと生きていない」、「同じ空気なんか吸いたくない」からは、他者への不信感や嫌悪感が強く感じられますし、自分のことをきちんと理解し、肯定てくれる人がいないという気持ちもつまるところ「孤独」なんですよ。
@@朝昼夕 メッセージありがとうございます。あれからまだ絶望突き詰めてますが、肯定してくれている人が見えてきてますので、そこまで今は孤独はありません。おそらくそれを「仲間」と言うのでしょう。人生とはいかに周りに気がつくかがヒントなんでしょうね。
でも実際にノウノウと生きているのはハイスペックな仕事に就ける能力があって適齢期にちゃんと結婚して子供を持てた人たちだよ。
私も頭が良くてシンプルに一目置かれる良い仕事に就いて人助けして感謝されまくる生活送りたかった。現実はフルタイムで年収手取180万から抜け出せず生きているのはウンザリです。高卒卵子とF欄無能ギャンブルサラリーマンの精子の受精卵として産まれてしまって最悪です。選べるならこんな屑男女の排泄物で作られたくなかったです。
医師と医師が選んだ女性の生殖細胞の受精卵として産まれたかったです。
なかなか、難しい話しですね。話題が逸れるかもしれませんが、知り合いに、いわゆる労働運動に人生を賭けている様な方がいらっしゃって、あまりにのめり込み過ぎて会社を解雇されたんですが、幸いな事に再就職出来たので、今度こそ自重して頑張って下さいなんて話したら、いやもう既に組合を作る準備をしているよ、なんて話しをしていました。懲りない人だなと思うし、見方によっては恩を仇で返す様な事なのに、平然としていて逆に凄い人だなと思った事がありました。(笑)言い方は乱暴かもしれませんが、そんな知り合いでも、人並みに生活しているし、自ら命を絶つよりは良いのかな…なんて、ふと思いました。すみません、長々と。お話し良かったです。
輪廻転生を信じてるから。
誰も死を知らないのに自殺を考える意味はあるんですか?仮に自殺者が死に意味を見出していたとしていたら、それは別の観念として論ずるべきですし、そうでないなら自殺という行動は娯楽とか勉強とかと同じような、取るに足らない話ではないのですか?或いは、単純に自殺の方がデータが集まりやすかった?