Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
待ってました!待ってました!これから家に帰って誰にも邪魔されない時間にじーっくり拝見させていただきます。楽しみの時間を作って頂いていつも本当にありがとうございます。楽しみだなー!
いつもありがとうございます!とても励みになります。よい週末をお過ごしください!
天皇も直轄軍を持ってない
急がない解説に真面目さが伺えてこちらもじっくり見ようとなりますこれほどの有名人、有名な事件でもやっと真っ当な理解が進んで来たところで自然な流れが掴める主さんの長編は非常にありがたい内容。急がず完走を目指して頂きたい楽しみに待ちます
ありがとうございます!
ありがとうございます!動画の品質向上に活用します。
現代以上に先読みして立ち回る必要があるこの時代、雪の多い地域ってだけで圧倒的に不利だよな。やっぱ上杉謙信ってすげえわ
毎度めっちゃ詳しくて面白いです
いつもありがとうございます。
今回も他に無い内容で大変勉強になりました。UA-camって投げ銭?できるのですね。これからもツナさんの続き動画を楽しみにしてます。
チワワさん貴重な投げ銭ありがとうございます。これからも楽しんでいただけるよう精進いたします。
ないすぱすぐる
前政権の北条氏が「正統性・権威のなさ」に苦しんだ反動か、室町幕府は「権威による支配」を志向していたと思うんですよね。尊氏は自らを頼朝に重ねあわせ、義満は朝廷の権威を復活させることで自らの権威も上げた。しかし室町末期になると幕府は成り上がりの大名や土豪にも過分な役職を与えて、長年かけて構築してきた「足利(源氏)を頂点とする家格秩序」を自ら破壊するような行動に出た。その集大成が義昭であって、彼本人の資質や能力ではどうにもならなかったと思います。
確かに都人から見たら信長?織田?どこの馬の骨やねんてなりますよね。本願寺や叡山の対応も良く知らない相手だから判断に迷ってしまったようにも見えます。逆に朝廷は超越した存在であるため中世ではメビウスの輪のように最下層(所謂芸能民)まで含めてプラグマティックに対応しているので信長や秀吉とも協力可能だったように見えます。
すごく理解しやすかったですありがとうございます😊
参考文献の数が暴力的で説得力があります。
ありがとうございます。これからも読み込んでいきます。
待ってました
ありがとうございます。
わーい。続編待ってました~^^
信長の陣はまさか僕が生まれた宇治市おうばく(柳山)が陣とはびっくりしましたね~
おもしろかった
いつも楽しみにしています!1:39 とか、他の動画にあるんですけど、「〜だけれども」という意味の「〜ものの」が、全部「〜もの」になっているのが地味に気になります
義昭挙兵から追放までの濃密な30分でした……
正親町天皇も非常に重要な研究課題ですよね。信長期における天皇の考えや動きは歴史に大きな影響を与えてますし織豊時代は正親町天皇無しでは成り立たなかったように見えます。
お待ちしておりました。
ツナさんとyukimuraさんが一番好き
ありがとうございます。励みになります。
こんばんは😃🌃。
こんばんは😊
ごぶさたしております。待っていました。
2745ですが、二条御所を守護する武家昵近公家衆とはどなたでしよう。実働部隊は、その公家衆に仕える家来?(所謂、青侍たちでしようか?)緊迫していますが、将軍には危機感薄いのでしょうか。将軍弑逆は、さすがになかろうと踏んでいるのでしようか? 不思議に思いました。永禄の変は、『正統な将軍』の旗頭はあるようなので、少し違うかもしれないですね。あの当時は、将軍家もなんとなく両統ありました。
この辺りって信長が英雄的だね。権威と悪だくみしか無い、義昭を実力で追い詰めていく。この具体性は面白い。脚色演出する大軍同士の闘いよりも面白い。勝ってる側も如何に支持を得るかを考えないといけない。隙は見せない。負けてる側も相手が自分達と同じ位に無能で弱い事を期待して悪あがきする。それが室町末期の状態だったのだからそれが常識なのに、天下の外にあった尾張国の領主にはそれが通じない。まさに革命的行為なんだよね
六角氏粘り強くてすき
蜀と呉さえ上手く連携出来なかったのに信長包囲網みたいなものが機能するわけ無いよな結局どの勢力も自分達は援軍や後詰ならやりますとなり戦力を温存してるうちに個別撃破されてしまうまあ当たり前ですが
義輝と義昭は人間が小さくて足利将軍として振る舞えず自ら滅びの道を進んでしまった義稙義晴という清濁合わせ飲みながら幕府と将軍職を長く保った 異能の2人と比べて最後の2人は余りに無能な印象。三好結構、信長最高!と正しい判断が出来てたら足利将軍はまだまだ続いた筈。長慶も信長も権威と秩序に対しては非常に保守的な憧れがあった。神輿結構で行けば何の問題もなく冨貴な立場でいられたのに
あのまま行ったところで近畿の西で三好との戦いに使われ、浅井、朝倉、武田を潰した後は信長1強すぎて公家と同じ状態になったでしょうね。何もせずに詰むのと自身が動いた結果詰むなら後者を選ぶのも間違いではないとも思いますね。
信玄には西上作戦のような短絡的なものではない、織田狩りの絵図があったと考えてます。川中島で「大勢力同士では滅ぼし合うのはムリで、実入りのない決戦に意味はない」と察した信玄は、『小勢力を滅ぼして大勢力に対して強勢を形成し、別動隊を駆使した多方面での略奪戦による優位講和で領土を広げる』方針に転換したように見えます。これを長野・飛騨・今川攻略からの北条攻めで結実させて、関東略奪しまくったのに駿河全域を得たうえで北条に優位和睦させています。そのまま適用し、徳川を滅ぼしたうえでの岐阜・尾張への多方面からの略奪戦で信長を疲弊させる→優位講和でさらに強勢に立つ。ここまでは成功体験から考えていたんではないでしょうか。信長との決戦に勝つ必要はない以上、ある程度実現可能に見えます。そのために必要なのが徳川を滅ぼすまで西側が目を惹きつけておくことで、それ自体はある程度成功していたんですがつくづく寿命がまずかったですね。機動力を活かした別動隊が面で攻める略奪ツアーを行う、ことが信玄末期の強力な方法論だったんですが、勝頼はこれを継承できず普通の大名のように「点で城を攻める」形に変わってしまうんですよねぇ
17カ条の意見書って、憲法17条の17条だろうね。言うまでもなく聖徳太子の憲法17条だよ。以来貞永式目は51条で17の倍数。建武式目は17条。禁中並公家諸法度は17条、武家諸法度は新井白石によるものは17条。明治憲法も奴隷憲法もそれに従っていないのは教養がないからでしょうね。伊藤博文は頭の切れる男で英会話が出来る唯一の明治元勲でしたがそこまでの教養はないよね。
待ってました!待ってました!これから家に帰って誰にも邪魔されない時間にじーっくり拝見させていただきます。楽しみの時間を作って頂いていつも本当にありがとうございます。楽しみだなー!
いつもありがとうございます!
とても励みになります。
よい週末をお過ごしください!
天皇も直轄軍を持ってない
急がない解説に真面目さが伺えて
こちらもじっくり見ようとなります
これほどの有名人、有名な事件でも
やっと真っ当な理解が進んで来たところで自然な流れが掴める主さんの
長編は非常にありがたい内容。
急がず完走を目指して頂きたい
楽しみに待ちます
ありがとうございます!
ありがとうございます!
動画の品質向上に活用します。
現代以上に先読みして立ち回る必要があるこの時代、雪の多い地域ってだけで圧倒的に不利だよな。やっぱ上杉謙信ってすげえわ
毎度めっちゃ詳しくて面白いです
いつもありがとうございます。
今回も他に無い内容で大変勉強になりました。UA-camって投げ銭?できるのですね。これからもツナさんの続き動画を楽しみにしてます。
チワワさん貴重な投げ銭ありがとうございます。
これからも楽しんでいただけるよう精進いたします。
ないすぱすぐる
前政権の北条氏が「正統性・権威のなさ」に苦しんだ反動か、室町幕府は「権威による支配」を志向していたと思うんですよね。尊氏は自らを頼朝に重ねあわせ、義満は朝廷の権威を復活させることで自らの権威も上げた。しかし室町末期になると幕府は成り上がりの大名や土豪にも過分な役職を与えて、長年かけて構築してきた「足利(源氏)を頂点とする家格秩序」を自ら破壊するような行動に出た。その集大成が義昭であって、彼本人の資質や能力ではどうにもならなかったと思います。
確かに都人から見たら
信長?織田?どこの馬の骨やねん
てなりますよね。本願寺や叡山の対応も良く知らない相手だから
判断に迷ってしまったようにも見えます。逆に朝廷は超越した存在であるため中世ではメビウスの輪のように最下層(所謂芸能民)まで含めて
プラグマティックに対応しているので信長や秀吉とも協力可能だったように見えます。
すごく理解しやすかったです
ありがとうございます😊
参考文献の数が暴力的で説得力があります。
ありがとうございます。
これからも読み込んでいきます。
待ってました
ありがとうございます。
わーい。続編待ってました~^^
ありがとうございます。
信長の陣はまさか僕が生まれた宇治市おうばく(柳山)が陣とはびっくりしましたね~
おもしろかった
ありがとうございます。
いつも楽しみにしています!
1:39 とか、他の動画にあるんですけど、「〜だけれども」という意味の「〜ものの」が、全部「〜もの」になっているのが地味に気になります
義昭挙兵から追放までの濃密な30分でした……
ありがとうございます。
正親町天皇も非常に重要な研究課題ですよね。信長期における天皇の考えや動きは歴史に大きな影響を与えてますし織豊時代は正親町天皇無しでは成り立たなかったように見えます。
お待ちしておりました。
いつもありがとうございます。
ツナさんとyukimuraさんが一番好き
ありがとうございます。
励みになります。
こんばんは😃🌃。
こんばんは😊
ごぶさたしております。待っていました。
ありがとうございます。
2745ですが、二条御所を守護する武家昵近公家衆とはどなたでしよう。実働部隊は、その公家衆に仕える家来?(所謂、青侍たちでしようか?)
緊迫していますが、将軍には危機感薄いのでしょうか。将軍弑逆は、さすがになかろうと踏んでいるのでしようか?
不思議に思いました。
永禄の変は、『正統な将軍』の旗頭はあるようなので、少し違うかもしれないですね。あの当時は、将軍家もなんとなく両統ありました。
この辺りって信長が英雄的だね。権威と悪だくみしか無い、義昭を実力で追い詰めていく。この具体性は面白い。脚色演出する大軍同士の闘いよりも面白い。
勝ってる側も如何に支持を得るかを考えないといけない。隙は見せない。
負けてる側も相手が自分達と同じ位に無能で弱い事を期待して悪あがきする。
それが室町末期の状態だったのだからそれが常識なのに、天下の外にあった尾張国の領主にはそれが通じない。まさに革命的行為なんだよね
六角氏粘り強くてすき
蜀と呉さえ上手く連携出来なかったのに信長包囲網みたいなものが
機能するわけ無いよな
結局どの勢力も自分達は援軍や後詰ならやりますとなり戦力を温存してるうちに個別撃破されてしまう
まあ当たり前ですが
義輝と義昭は人間が小さくて
足利将軍として振る舞えず
自ら滅びの道を進んでしまった
義稙義晴という清濁合わせ飲みながら幕府と将軍職を長く保った
異能の2人と比べて最後の2人は余りに無能な印象。三好結構、信長最高!と正しい判断が出来てたら足利将軍はまだまだ続いた筈。長慶も信長も権威と秩序に対しては非常に保守的な憧れがあった。神輿結構で行けば何の問題もなく冨貴な立場でいられたのに
あのまま行ったところで近畿の西で三好との戦いに使われ、浅井、朝倉
、武田を潰した後は信長1強すぎて公家と同じ状態になったでしょうね。
何もせずに詰むのと自身が動いた結果詰むなら後者を選ぶのも間違いではないとも思いますね。
信玄には西上作戦のような短絡的なものではない、織田狩りの絵図があったと考えてます。
川中島で「大勢力同士では滅ぼし合うのはムリで、実入りのない決戦に意味はない」と察した信玄は、
『小勢力を滅ぼして大勢力に対して強勢を形成し、別動隊を駆使した多方面での略奪戦による優位講和で領土を広げる』方針に転換したように見えます。
これを長野・飛騨・今川攻略からの北条攻めで結実させて、関東略奪しまくったのに駿河全域を得たうえで北条に優位和睦させています。
そのまま適用し、徳川を滅ぼしたうえでの岐阜・尾張への多方面からの略奪戦で信長を疲弊させる→優位講和でさらに強勢に立つ。
ここまでは成功体験から考えていたんではないでしょうか。
信長との決戦に勝つ必要はない以上、ある程度実現可能に見えます。
そのために必要なのが徳川を滅ぼすまで西側が目を惹きつけておくことで、それ自体はある程度成功していたんですがつくづく寿命がまずかったですね。
機動力を活かした別動隊が面で攻める略奪ツアーを行う、ことが信玄末期の強力な方法論だったんですが、
勝頼はこれを継承できず普通の大名のように「点で城を攻める」形に変わってしまうんですよねぇ
17カ条の意見書って、憲法17条の17条だろうね。言うまでもなく聖徳太子の憲法17条だよ。以来貞永式目は51条で17の倍数。建武式目は17条。禁中並公家諸法度は17条、武家諸法度は新井白石によるものは17条。明治憲法も奴隷憲法もそれに従っていないのは教養がないからでしょうね。伊藤博文は頭の切れる男で英会話が出来る唯一の明治元勲でしたがそこまでの教養はないよね。