秀吉の朝鮮出兵の理由について

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  • Опубліковано 9 вер 2024
  • #朝鮮出兵 #歴史 #解説
    ※概要
    秀吉の唐入りについては、さまざまな説があって確定していません。そうした説の中からいくつか面白そうなものをピックアップしてご紹介してみました。
    2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
    【関連動画】
    秀吉はなぜ将軍にならずに関白になったのか?
    • 秀吉はなぜ将軍にならずに関白になったのか? ...
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КОМЕНТАРІ • 176

  • @KENONOJIMA
    @KENONOJIMA 11 місяців тому +26

    韓国のトウガラシが朝鮮出兵がきっかけで広がったなんて!目からうろこで面白いです。(笑)

  • @kanna9830
    @kanna9830 11 місяців тому +12

    昌幸パパの瓜売りを思い出す唐入りでした。
    どうする家康とは関係ないんですが、利家役宅麻伸さんが今回出演されてるのを観て、山田孝之さん、ムロさん、宅麻伸さんが揃うと「勇者ヨシヒコ」を思い出します笑

  • @user-さわ
    @user-さわ 11 місяців тому +7

    小学生の時の社会見学で沖縄出身のバスガイドさんが担当になったことがありました。
    そして見学地の1つで中国からの観光客と出くわした時に「あー、ガイドさんがいたら通訳してもらえるのに」と友人がぽつり。
    「あのガイドさん、中国語わかるの?」と聞くと「沖縄出身だから、沖縄の言葉とそんなに変わらないからわかるはず」と返ってきて「いや、それは違うだろ」とツッコんだことがありました。
    子どもの頃は欧米人が話すのは全部英語だと思っていたり、大人になってもアフリカ諸国はどの国も一緒くたに考える人がいるように、秀吉にとって自分の住んでいるところから離れた場所は一緒くたというか、誤差みたいなものだったという考えはアリだと思います。

  • @user-vh4cg6jr7j
    @user-vh4cg6jr7j 11 місяців тому +6

    唐辛子、秀吉伝来説は初めて知りました!
    食の交流だけなら平和なんですけどね…。

  • @ikuekoseki1046
    @ikuekoseki1046 11 місяців тому +4

    私、長崎出身ですが、バリバリの地元のことばは韓国語とよく似てるといわれますよ!なので、長崎弁が日本語で、韓国語は外国語ではないかもですね。きりゅうさんの判断に納得しました。

  • @user-kg8lg2gh7r
    @user-kg8lg2gh7r 11 місяців тому +5

    今日のお話を聞いて、私は西南戦争を思い出しました。
    戦さ好きな武士にとって戦さ場所が無くなるのは、力を発揮できる場を失い、鬱憤が爆発しそう。
    歴史は繰り返すものとするなら、この理由を私の1番の推しとしたいです。😊

  • @SatoMori.
    @SatoMori. 11 місяців тому +16

    今回の茶々さんと阿茶さんの狐憑きバトル🦊ヒヤヒヤしましたね〜!
    来週の次回予告では茶々さんがおっそろしいことを秀吉さんに言っているシーンがありましたが、あの時代、不義密通はどれくらい難しかったのでしょうか。秀頼托卵疑惑の説について色々教えてほしいです。

  • @user-uk5rg5ib7f
    @user-uk5rg5ib7f 11 місяців тому +8

    *『どうする家康』第○○回 雑談*
    *雑談系はなくなってしまったのでしようか?*
    *第37回雑談のタイトルがみつかりません*
    *今まで回がある毎に雑談で復習ができ楽しみにしていました*

  • @bunroku_channel
    @bunroku_channel 11 місяців тому +30

    興味深い説ですね😊
    初めて聞いた説ですが気に入りました。
    自分のお気に入りの説はスペインポルトガルから日本を守る説です。信憑性は乏しいですが面白い説なので気に入っています。

  • @mopirinu1008
    @mopirinu1008 11 місяців тому +13

    いつもわかりやすい解説ありがとうございます✨
    「かしまし歴史チャンネルへようこそ」のポージングもいつも楽しみにしてます
    (今回のkissポーズかわいかった❤)

  • @user-wu8kw8gt3s
    @user-wu8kw8gt3s 11 місяців тому +39

    当時の朝廷の文書によれば、どうも九州を日本の一部ととらえていなかったようで、秀吉が九州を平定したとき初めて「あ、九州も日本やったんや」と書き加えるような空気感だったそうです。なので、日本の領土観が曖昧説はあながち珍説ではないかも知れません。

  • @tkk1457
    @tkk1457 11 місяців тому +5

    明なのに唐と呼ぶのを、うちの母がロシアをソ連と言ってしまうのを思い出しました😊ソ連が言いやすいからだとか。
    秀吉もまだまだ知らない部分がいっぱいありますね、興味深かったです。大阪は韓国人にとても人気ある観光地で大阪城にもよく韓国語で話してる観光客が多いのですが、複雑な思いがあるのでしょうね。

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f 11 місяців тому +5

      うちのオカンがJRのことを「国鉄」と呼ぶのと同じだな

  • @user-uq6xq2ou3y
    @user-uq6xq2ou3y 11 місяців тому +12

    阿茶の局について教えて頂きたいです。

  • @yosshy99837
    @yosshy99837 11 місяців тому +7

    武士の活躍の場が必要だったというのは、ありそうですね。加藤清正あたりのヒャッハーぶりは凄いですからね。当時の後金と戦って「あいつら(後金軍)は強いからやめとけ」とか、情報得てますからね。

  • @user-hk7xo9se3e
    @user-hk7xo9se3e 11 місяців тому +10

    100年間国内で戦い続けた国日本、更に兵士としての職業軍人が増え続けたのが問題だったのかもね(宮本武蔵なんかもそっち系統ですし)
    後に日本国内で活躍の場を失った武士達が中国や東南アジアで活躍したのは日本の職業軍人の行き着く先だったと思います。
    後世で名前を残した山田長政や鄭成功率いた武士傭兵が有名です。

  • @dact8776
    @dact8776 11 місяців тому +16

    考えてみれば、「唐入り」まだ「唐」と言ってるだけ新しいかもしれません。
    英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語では「秦」を使っていて、こちらの方がよっぽど古いので。

    • @akikoYY
      @akikoYY 11 місяців тому +1

      🤣それは日本よりヒドい!
      コロコロ名前が変わるから話しが通じれば呼び方なんかどうでもいいっか〜(笑)

  • @yosshy99837
    @yosshy99837 11 місяців тому +13

    キムチの話(唐辛子を伝えたのが日本ってやつ)、昔からテレビとかでよく言われてたので、皆さん知ってることだと思ってたら、そうでもないことを知って逆にショックでした。じゃ、その後、朝鮮半島では唐辛子を栽培できなかったので、長年長崎から輸入していたという話も知られてないのか・・・

    • @user-up5dt9vb1n
      @user-up5dt9vb1n 11 місяців тому +6

      長崎から輸入していたなんて知らなかったです。勉強になりました。

  • @tetsuyaigarashi204
    @tetsuyaigarashi204 11 місяців тому +8

    職場を与える説はありですね。目から鱗です。
    幕末の奇兵隊の末路を考えるとありですね😊
    タスクフォースのタスクがなくなったら、タスクを作るのはありですよね

  • @user-ic8ki4gw9m
    @user-ic8ki4gw9m 11 місяців тому +2

    当時の武将は結構唐入り積極的でしたよ

  • @TS-xw9vp
    @TS-xw9vp 11 місяців тому +2

    まぁ、秀吉が全国制覇した頃から、戦働き・槍働きの武辺者より、石田三成、本田正信が重用され始めたから、腕っ節に自信のある武者が放置出来なくて、外に職場を与えるか、傭兵になって各地に出張るしかないのが、自然な流れではありますね。
    今回の「どうする家康」では、足利義昭役の古田新太の飄々とした演技が良かった様に思います。
    それと、終盤に茶々の懐妊の知らせに、歓喜の笑い声をあげる秀吉演ずる、ムロツヨシさんが、「葵徳川三代」で家康を演じた津川雅彦氏に面影が重なって、ムロツヨシさん上手くなったな、と感じました。

  • @yosshy99837
    @yosshy99837 11 місяців тому +5

    当時は、中国も李氏朝鮮も漢文でやり取りできましたから(面白いことに今は無理なんですよね)、方言の一種ってのはあったかもしれませんね。

  • @momopopo.
    @momopopo. 11 місяців тому +6

    こんばんは。秀吉の世界観と言葉の心配は訛りで解決できることにはなるほどなと思いました😊
    攻めてこられた朝鮮にはたまったものではありませんけど😢
    あ、久々古田新太元将軍さんの登場でしたが、人間的に成長されていましたね😊バカ殿メイクではなくなっていていいお顔でした。でも、相変わらずな所もあり、そこは古田新太さんの素のかわいげでしっかり表現されていたのかなと思いました😅

  • @himajin0731
    @himajin0731 11 місяців тому +2

    「国境線がきっちり決められてこっからここまでは自国、外は外国」って感覚はかなり最近の価値観ですからね。
    「切り取ればそこは自国」って秀吉だけじゃなくて世界中の価値観だったのではないでしょうか。
    大陸を支配しようとしたのも、失敗したから「あたまおかしい」みたいに言われてしまいますが、昔から契丹、女真、モンゴルなど外の異民族が中原を支配して王朝建てるのはよくある事で、それを日本人がやったとしても東洋の価値観からしたら特別異常な事でもないのではないでしょうか(秀吉が「契丹、女真、モンゴルの例がある」と考えてたかどうかは解りませんが…)。
    明治に「標準語」というものが作られ普及するまでは、方言も今の外国語の感覚だったようですね。
    薩摩と東北の人が会話するのに言葉通じないから漢文で筆談した、って話聞いたことあります。

  • @user-pm9tv3wm8m
    @user-pm9tv3wm8m 11 місяців тому +4

    いろいろな説がありますが、秀吉くらい強い独裁的権力を持っているトップでなかったら、海外領土を獲得しようなんて考えなかったでしょうね。
    平安時代から明治維新までの日本は貿易はするけど海外との外交や戦争は避けることを基本的方針としていましたからね。
    遣唐使は平安時代前半ごろ廃止になったし、足利義満の遣明使は義満ならではの特殊な例だったし。
    江戸時代だけが鎖国だったわけではないですよね。

  • @user-iv5tj8zo8v
    @user-iv5tj8zo8v 11 місяців тому +1

    なるほどなるほど😳 当時は外国、自国の感覚なんてそんな物だったのかも知れませんね。何だか誰かに話したくなる説ですね🤣
    めっきり寒くなってきたしたので皆様身体に気をつけて下さい🙆‍♀️

  • @user-cb6je4le3f
    @user-cb6je4le3f 11 місяців тому +2

    成長経済(戦国時代)はなかなか止められない。
    だから、目立たないが、成長経済を安定経済に変えた家康の実行力はかなり凄い

  • @moikeru1
    @moikeru1 11 місяців тому +7

    ほんと秀吉の唐入りは考えさせられますよねぇ〜。

  • @user-ke9ci1gn4m
    @user-ke9ci1gn4m 11 місяців тому +3

    そもそも「日本人」という概念が生まれたのは明治維新以後(国民国家成立後)だから、現代日本人が認識する「日本」と当時は異なる国家観・国際的視点だったのは必然でしょう☝🏼
    天下布武の「天下」も「畿内」の意味だったそうですし😉

    • @giantnioinoba2023
      @giantnioinoba2023 11 місяців тому +1

      そうそう。天下六十余州それぞれが独立国・・・てか、ウクライナやジョージア(グルジア)、バルト三国などの国が藩、ソビエト連邦が江戸幕府みたいな関係だったんでしょうかね。

  • @fujieda_w
    @fujieda_w 11 місяців тому +5

    今も唐揚げっていいますしねぇ

  • @user-xh3nv7gn3d
    @user-xh3nv7gn3d 11 місяців тому

    毎回の出だしのポーズが好きなのですが、今回の投げキッスも好きです❤

  • @cn3030
    @cn3030 11 місяців тому +24

    なかなか説としてはでてきませんが、スペインの存在はどうでしょうか?当時領土拡張していたスペインに対し防衛で地政学的に朝鮮半島や明を抑えておきたいと考えたのではと想像してます。

  • @Penelope_0118
    @Penelope_0118 11 місяців тому

    パスポートやビザのない時代に「外国」という概念はなかったんですよね。土地があるからそこに行く。領地を広げるだけとしか思わなかったのかも知れないですね。目から鱗が落ちました。 今日も興味深いお話をありがとうございました。

  • @madmotor
    @madmotor 11 місяців тому +18

    朝鮮出兵で唐辛子が朝鮮に持ち込まれた一方で、日本は陶磁器製法や朱子学の理論を朝鮮から持ち帰り、それらが江戸時代に文化や価値観にも影響を与えたりした。

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f 11 місяців тому +1

      「唐辛子」という名前も紛らわしいよね 中国産じゃないのに

  • @user-eu8zz6rn1w
    @user-eu8zz6rn1w 11 місяців тому +2

    秀吉が朝鮮や民を外国と思ってなかった説はいくらなんでも違うと思う。歴史的にもずっと外国だったし、そういうふうに付き合ってきたわけだし。調子に乗ってたから相手は弱いとか勝てるとかは思ってたとは思うけど。

  • @hyougokako
    @hyougokako 11 місяців тому +1

    いつも楽しく見させて頂いています。
    秀吉の唐入りについて諸説ありますがスペインが明を狙って来ている為に動いたとの説がありますが。そして朝鮮では現地調達するべき食料がかの地に無かった為苦戦を強いられたとありますが真偽の程はどうなのでしょうか。
    皆様の掛け合い楽しくこれからも期待しています

  • @Surplusjp
    @Surplusjp 11 місяців тому +1

    とあるサイトによると豪華な食生活で栄養が偏りウェルニッケ脳症にかかった後遺症ではないかという説がありました。
    周囲がそれと気づきにくい「まだらボケ」が晩年の奇行の原因ではないか、と。いわゆるご乱心ってことですかね。

  • @user-qx2jv8gu6c
    @user-qx2jv8gu6c 11 місяців тому

    明なのに唐入りの意味、納得!
    そして、秀吉の李斯王朝や中国圏への出兵が、四国攻めや東北とおんなじノリだったって説、海を越えての距離感や強い訛り言葉ってことも含めて、本当に納得!
    私たちが生まれた時から教わった日本ではなく、秀吉にとってのオレの日本説、おもしろいです。

  • @user-bb8rn6wk1h
    @user-bb8rn6wk1h 11 місяців тому

    明のことを唐と言っちゃうの、イオンのことをジャスコと言っちゃうみたいな感じだったんですね。

  • @user-yc4wv1yz9m
    @user-yc4wv1yz9m 11 місяців тому +7

    言葉通じないけど漢文使えば結構な範囲で意思疎通は出来る(知識階級に限るけど)からかな?

  • @もちょりんこ
    @もちょりんこ 11 місяців тому +1

    戦う場を与えるための朝鮮出兵と聞いて、ガンダムWが頭をよぎりました。
    古いアニメですが、大好きだったもので…。

  • @baha1990ma
    @baha1990ma 11 місяців тому +13

    律令時代から平安、鎌倉、室町とずっと朝鮮は別の国ですから秀吉時代も人々の認識は「朝鮮=外国」で良いように思いますが。倭寇や山田長政がいたことを考えたら、海外侵攻という発想は気宇壮大で良いと評価された可能性があるように思います。

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f 11 місяців тому +2

      そうだよな 菅原道真が左遷された大宰府も辺境というイメージだったかもしれないけれど 一応国内という認識ですよね 元寇のときも博多を防衛していたから当時の日本人は「ここまでが日本」と考えていたと思う

    • @umiushi11
      @umiushi11 11 місяців тому

      京都のお公家さんなど旧支配者階級はおっしゃる通りの認識だったでしょうが 生まれる前から日本全土バラバラで争っていた日吉丸くんにとっては きりゅうさんの説は有り得るかな。

  • @user-dj3ts6do5e
    @user-dj3ts6do5e 11 місяців тому

    秀吉さんはきっと餃子が食べたかったんだ、そーだ、私も食べたい

  • @kimu2590
    @kimu2590 11 місяців тому +3

    なんか無知を晒すようで恥ずかしいが、唐辛子って名前の印象から絶対に大陸から入ってきたものだと思ってたわ。ちと調べてみるかな

  • @MrSongKAI
    @MrSongKAI 13 годин тому +1

    「唐」という言葉自体に広義の意味での中華中原や朝鮮半島を差したり「外国の」という意味も含まれたりしています。
    「毛唐」やら「唐織物」などと言った名詞から見ても分かりますね。

  • @user-ej5of6qn5r
    @user-ej5of6qn5r 11 місяців тому +1

    今の食生活で南米原産って非常に多い、唐辛子やシシトウだけじゃない、ジャガイモもカボチャもトウモロコシも、欧州だってこの前後で全く変わるから。同時に種々の病気も持ち込みますがね。

  • @se1261
    @se1261 11 місяців тому +3

    0:46
    座布団を10枚ほどご用意したほうがよろしいでしょうか
    中国や大陸からの文化や制度取り入れのために人を派遣した代表例が遣“唐“使(でも、白紙に戻すまでは王朝の名前が違えどやってはいたか)なのが実は影響している🤔

    • @se1261
      @se1261 11 місяців тому

      10:10
      たしかこのくだりは先週ではなくて2.3話かも少し前の回で言及していた記憶。
      結局はそこかとも思ったけど理解はできた。狡兎死して走狗烹らる、しかしながら人は簡単に煮れないから新しい兎を外に求めた‥‥(我ながら首を晒して相手の気を削ぎ矛が収まるなら優しいのではなどと発言した者とはあまり想えないこと書いてるなぁw)
      遠い未来でも(相手国を支援する組織が多かったとは言え)うまく行かなかった中国への進出。仮に朝鮮を征服する挑戦が成功し、補給基地とすることができたとしてもうまくいく展望が見当たらない。
      史実よりも50年早く明が爆散して火事場泥棒をしようにも結局のところ満州というか中国東北部で押し合いへし合いか得た果実を北の巨大な熊さん辺りにくすねられてよしなきがする。

  • @user-bp3cq8oe5d
    @user-bp3cq8oe5d 11 місяців тому +7

    知り合いの韓国の人に赤唐辛子は日本から来たと言ったら、絶対嘘だと言われました🥲

    • @Yappy369
      @Yappy369 11 місяців тому

      韓国のツアーガイドさん自身が、唐辛子は朝鮮出兵時に日本から来た、と説明しているそうですよ。韓国でも一般には知られてないんでしょうね。

    • @user-mao4shushu
      @user-mao4shushu 11 місяців тому +1

      韓国人にとっては、全てが「ウリジナル」ですから、「唐辛子日本伝来説」は絶対にあってはならないこと。

    • @tksjp6676
      @tksjp6676 10 місяців тому +3

      韓国語の単語の8割は日本語由来の言葉であると言われています
      近代語彙となると9割日本語だと言われています

    • @user-mao4shushu
      @user-mao4shushu 10 місяців тому +3

      @@tksjp6676
      そうですね。明治時代、ヨーロッパの政治、経済、物理、科学等全て日本語の単語に翻訳しましたが、それを中国語としてそのまま留学生が持ち帰ったのです。韓国併合時に韓国へも持ち込み、学校や政府の公用語として使っています。法律なども日本の文章がフォーマットそのままそっくりハングルで記載されているのです。そんなこと韓国人は夢にも思っていないけど。

    • @tksjp6676
      @tksjp6676 10 місяців тому +1

      @@user-mao4shushu
      >そんなこと韓国人は夢にも思っていないけど。
      リアルでもネットでも韓国人にこの話したらみんな怒り出すんだよね笑
      「漢字がなんで日本?日本に漢字伝えたのは韓国人じゃん」みたいな反応。
      こりゃノーベル賞とかないはずだわって内心納得しました
      自分たちが常日頃使ってる言葉の成り立ちも由来もわかんないんじゃそりゃノーベル賞とか無理だわって話で笑

  • @user-sc5ip9kz1n
    @user-sc5ip9kz1n 11 місяців тому +11

    今日も面白い話でした。私としては、信長が冗談交じりに言っていた明国政服の話を、信長を凌駕したい気持ちから、実現しやろうと考えたと思っております。
    唐辛子が日本から持ち込まれたのだとしたら、当時の日本人は、どんな唐辛子の食べ方をしていたのでしょうか?

  • @user-iy5yb8id2s
    @user-iy5yb8id2s 11 місяців тому

    最近流行りのスペインに対抗するため説をおっしゃられるのかなと思ってました。
    そもそも外国って何よ?って話は面白かったです!!

  • @user-bc7fb6eo7q
    @user-bc7fb6eo7q 11 місяців тому +1

    日本から朝鮮半島に唐辛子が伝わってたなんて知りませんでした。
    唐から伝わった辛子…だから、朝鮮半島から伝わって来たのだと思い込んでました。

  • @yoshik8844
    @yoshik8844 11 місяців тому +3

    確か、NHKの番組だったと思います…宣教師が世界制覇を目指す為に先ずは日本を植民地にしようと企んでいたのですが…戦国時代の強者が多く諦めて、日本を味方に付けて先ずは朝鮮からの出兵…宣教師たちが先頭になって攻めに行ったと聞きます。織田信長も宣教師の話しを聞いて中国制覇の野望は抱いていたと聞きます。秀吉にはスペインの宣教師が…家康にはオランダの宣教師が付いて貿易のやり取りも…大阪の陣で大阪城にブチ込んだ大砲はオランダ製です。又…戦国兵士をヨーロッパの方へアルバイトの感覚で連れて行かれた話しも有ります…。スペインやオランダの資料館に宣教師が書き残してモノが保管されています。

  • @user-tp5jt4uo9r
    @user-tp5jt4uo9r 11 місяців тому +5

    北海道とか佐渡から大陸に渡れば誰にも邪魔されずに領土拡張できたのに残念でしたね。

    • @umiushi11
      @umiushi11 11 місяців тому

      コメのできない土地は 無価値の土地。当時の支配者にとって

  • @asuka2145
    @asuka2145 11 місяців тому +1

    いつも楽しみに拝見してます。
    唐入りの動機ですが、今回解説されてた理由が全て複合的にからまってのことではないかと思いました。
    一番うなづけたのは、日本という国の捉え方の話です。
    国=nationという考え方は、意外と新しいものですよね。織豊時代、つまり16世紀頃はヨーロッパでも今と同じ感覚ではなかったはずです。
    そもそも、当時の人が「外国」という感覚を持っていたかどうかも微妙かな?と思います。ヨーロッパでいえば、その頃はフランスこそ今とさほど変わらないですが、英国はグレートブリテンではないですし、イタリアもドイツもまだ国ではなかったですからね。
    洋の東西を問わず、地理感覚や国家観は今とはだいぶ違っていたことは大きいと思います。
    あとは天下が治ったことで、武士たちの働き所がなくなったことや、そのための領地を拡大したいというのもあったと思います。
    それと、今のような正確な地理感覚がなかった時代ですから、明という国の広大さや遠さを今一つ理解しきれてなかったからこそ、無謀な遠征を断行できたのかもしれないと思います。
    歴史にifはないと言いますが、本能寺で信長が死ななかったら、秀長が長生きできたら、朝鮮出兵がなかったらどんな歴史になったんだろうなどと、つい考えてしまいます。

  • @riricaluxxx
    @riricaluxxx 11 місяців тому +2

    わぁ、朝鮮が、日本の延長みたいな意識、
    考えたこともなかった。面白かった。

  • @rira807
    @rira807 11 місяців тому +4

    信長の夢、世界の覇王を実現させたかったのかな~?

  • @user-vw8wd2mt9s
    @user-vw8wd2mt9s 11 місяців тому +2

    グッドボタン押すのいつも忘れてたよ。グッドボタンをぐっと押すよ。

  • @user-iu1rf9wr1g
    @user-iu1rf9wr1g 11 місяців тому +1

    唐入りは「戦をしない戦国大名の不満」を秀吉公が感じていたから、
    という説は
    ローマ帝国が
    「戦争をしない軍隊ほど怖いものはない。」
    と皇帝が感じていたから常に何かしらの侵略をしていた、
    と言う説と通じるとおもいました😊

  • @user-ke9ci1gn4m
    @user-ke9ci1gn4m 11 місяців тому +2

    ある意味、現在の日本国はUSAの冊封的体制下において独立国家であると言えなくもない…
    と感じる事が多い昨今です😱

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f 11 місяців тому +1

      日本がアメリカの属国であることは否定できない 日本はアメリカに対してはイエスとしか言わない

  • @user-tadauoqui.gracia1563
    @user-tadauoqui.gracia1563 11 місяців тому +1

    いつも楽しみに観てます。ありがとう😄 
    歴女ではないけど訳あって細川ガラシャの小説書いてます。珍しく気になったのが、「慶長の役」の期間です。太閤秀吉が没したのが1598年で、朝鮮半島上陸再開したのは、たしか1595年だったと思います。記憶違いでなければ、テロップの期間が間違いかもしれません。もいちどご確認くださいね♬ちなみに細川忠興は九番隊リーダーの1人で豊臣秀勝と「しんがり」でした。諸説あるので、知らんけど💦

  • @user-mh4lp8lc5h
    @user-mh4lp8lc5h 11 місяців тому +6

    茶々が家康を父と呼んだり、姐己に例えて狐呼ばわりしたり古沢さんもかしまし歴史チャンネルを見てヒントにしたのじゃないのかと勘違いした回でした

  • @souunnkyou
    @souunnkyou 11 місяців тому +1

    唐辛子🌶️が日本から持ち込まれた食品と言う話が出ましたが、他にサツマイモ🍠とかピーナツ🥜があり、サツマイモ🍠が朝鮮半島の飢餓を救った事も忘れないで欲しい😊。

  • @musicforbook
    @musicforbook 11 місяців тому +3

    日本とか中国とか国が明確になったのは近代の話で、江戸時代までは無かったと考えます。鄭成功はハーフであるという認識は無かったでしょう。かなり自由に行き来していて人も常に混ざっていた。江戸時代は徳川家の勢力範囲があり、大陸では明皇帝の勢力範囲があって、国境ではなく勢力範囲だけがあったのだと思います。庶民が勢力範囲を超えても何のことはないはず。信長や秀吉が勢力範囲を広げようというのは自然な考えかも。

  • @user-fb9ob2fe2i
    @user-fb9ob2fe2i 11 місяців тому +1

    戦したい人に戦をはあると思います。江戸時代の参勤交代の意味もあったのかも。海外から守るもあったと思います。当時のスペインのやり方大航海のひどさをN○Kもやればいいのに。

  • @user-oc3vg5rs5z
    @user-oc3vg5rs5z 11 місяців тому

    私も先生に同調します。
    目で言える範囲が土地なので、九州から見える島に行けば次に見える島が土地になり、対馬まで行けば朝鮮は見えますもんね。
    アメリカ大陸が発見されなかったのは肉眼で見えなかったからだと思います。

  • @user-ll5ir1ex1u
    @user-ll5ir1ex1u 11 місяців тому +7

    領土拡大説は、まさに当時ポルトガルやスペインが実際にやっていたから日本に来たわけなので、秀吉もそれを手本に考えたとしても不思議では無いと思います。

  • @user-nx6bl7xj4m
    @user-nx6bl7xj4m 11 місяців тому

    きりゅうさ〜ん!
    城下町総選挙、見てますか〜?!
    城下町の歴史についても色々聞いてみたいです😊

  • @kenhisayosi
    @kenhisayosi 11 місяців тому +1

    今日も楽しい解説ありがとうございます😁秀吉さんの朝鮮出兵、何で行ったか本当によくわからないです🤔🤔
    瓜売りのシーン真田丸でもやっていて面白かったけど昌幸パパが今回いなかったのが残念😅

  • @larc26
    @larc26 11 місяців тому

    秀吉がサイコパスな秀吉からよりあの皆が知ってる豊臣秀吉になったなって思いました😅
    ってことは家康もあのたぬき感満載の家康にいつかは化そうですねw
    淀殿が狐🦊って言われてたけど、家康もたぬきていつか呼ばれそう秀吉死んでから、どんどん大河ドラマがおもしろくなってきたなって思いました😊

  • @うにいくら
    @うにいくら 11 місяців тому +2

    歴史オタクみんな大好き万暦帝を働かせたかった説に一票(笑)

    • @うにいくら
      @うにいくら 11 місяців тому

      孝靖太后ともども読み間違えると大変なことに・・・

  • @user-michiko315
    @user-michiko315 11 місяців тому +1

    朝鮮出兵でトウガラシが韓国に入ってきた時「敵の毒か?」と思われなかったのかな? 単品ではおいしくないですよね?(偏見かな?)

  • @junshibuya261
    @junshibuya261 11 місяців тому +2

    北海道を出したら沖縄も言ってあげたほうがいいんじゃないですか。
    まぁ、沖縄も九州圏なんだけど。

    • @user-rl7pl9qp7z
      @user-rl7pl9qp7z 11 місяців тому +3

      琉球王国でしたもんね😊

  • @user-sv3hj3wb7i
    @user-sv3hj3wb7i 2 місяці тому

    働きたい武将を宥めるために・・・それが本質だと私も思います。大河ドラマなどでは朝鮮出兵を「無謀」と描かれますが、そうでもなくて、戦国大名は「殿下は我々に手柄を立てる機会をお与えくだされた」と、朝鮮の人々にとっては酷いですが、喜んでいたのではと思います。また、戦国時代の段階では、西国と東国では言葉や考え方が違うというのがあると思います。今の考えで日本と海外をとらえるから、見間違うような気がします。

  • @suesanR21
    @suesanR21 9 місяців тому

    単純に男のロマンです
    大航海時代の只中に秀吉はいたわけですから、そりゃ海外も・・ってことになりますよね
    むしろならなかった家康がおかしいんですw

  • @user-uo3cs6sy7h
    @user-uo3cs6sy7h 11 місяців тому +1

    美女3人の投げキッス✋➰💋 Heartにズキューン‼️

  • @cancan5892
    @cancan5892 11 місяців тому +7

    領土の拡大説に1票!!当時天下統一が成り惣無事令が出されている状態では、この先の新領地はもう国内にはありません。特定の強い武将集団を配下に持たない秀吉としては、これからの領土の分配に関して不安があったと思われます。そこで、外国に討ってて出るチャンスを狙っていたでしょう。鶴松の死は原動力にはなっても、直接の原因とはなり得ないと感じます。信長に仕えていた秀吉は、新し物好きの信長からいろいろな知識を聞き知っていたでしょうから、私達が思うような国境の意識もなかったでしょうし、明を征服すれば、貿易の実利も得られると感じていたと思います。言葉の問題も、征服国は自分の言語、教育を課すというという朝鮮併合時の例もあるように、むしろ日本語(いや、名古屋弁かな?!)を公用語にしたでしょう。それに権力者は自身が強大になればなるほど、自身の力の及ぶ範囲を広げたいと願う性があるので、今の私達が思うような”ぶっ飛んだ暴挙”感はなかったでしょう。それでも、傍目から見れば無謀には違いないので、家康はこの轍を踏まず新田開発などの国内線経営に邁進したのだと思います。
    唐辛子が日本から朝鮮に伝わったとは、目から鱗でした!今日の冒頭の”ようこそ!”素敵でしたよ!

    • @cancan5892
      @cancan5892 11 місяців тому

      国内線▶国内 です。失礼しました。名古屋弁▶三河弁 かな?!

  • @user-eh9dq5zb7t
    @user-eh9dq5zb7t 11 місяців тому +1

    ピーナッツが食べたかった!

  • @pomelove9502
    @pomelove9502 11 місяців тому

    日本や朝鮮の古代史を紐解くと、陸の国境に囚われない「海で繋がった文化圏」が存在した説もあるそうです
    もちろん世界にはポリネシアやミクロネシア等たくさん海の文化圏はありましたし、大航海時代を経た植民地支配もまた陸と海の文化圏の衝突と融合なのかもしれません
    視点を変えるとまるで違うものが見えてくるのも楽しいですよね
    徳川幕府とオランダ・東インド会社との間で日本人傭兵の輸出が認められてた時期もあったようですし、戦場を槍一本で渡り歩いてきた兵士達にとって日本はフラストレーションの溜まる国だったのかもしれませんね

  • @madmotor
    @madmotor 11 місяців тому +9

    「兵士に活躍の場(戦場)を提供するため」というのは、よくアニメやゲームで悪役が平和な世界に居場所を追われる者たちの代弁者として語る内容みたいですね。
    この頃には日本で食い詰めた侍たちが実際に東南アジアで傭兵として戦ったりもしていたようですし、明朝に投降した日本兵がその後に明国内の反乱平定に参加した事例もあるようです。

  • @JH-14
    @JH-14 11 місяців тому

    朝鮮出兵の時に肥前名護屋城で家康と石川数正は会ったんでしょうか?
    出奔した後、家康が秀吉に臣従して一度くらい会話するタイミングあったんですかね?

  • @user-hy3xt9lv2o
    @user-hy3xt9lv2o 11 місяців тому

    朝鮮出兵の、話は、歴史で、習いました。

  • @chanpepo11
    @chanpepo11 11 місяців тому

    唐辛子は足熱のために持ち込んだと聞きました。

  • @user-mb1je7ds9j
    @user-mb1je7ds9j 10 місяців тому

    最初に言っておく。私は辛いのが苦手だからキムチも苦手だ。だけど美山ってメーカーのいちおしキムチは辛さより旨味・甘味があるのでそのキムチなら毎日食べています。
    そんなことはどうでも良いのですが、秀吉が朝鮮出兵した理由として、陶磁器に興味を持っていた秀吉が、朝鮮で卑下に扱われていた白磁の陶技師たちを日本に取り入れたいがために朝鮮出兵を企てたという説がありますよね。本当かどうか知りませんが。多くの陶磁器技師者が日本に招き入れて(連れ込まれ?)朝鮮より良い暮らしをして、後にもう帰っていいぞと言われた朝鮮の陶磁器技師の多くが朝鮮に戻らず日本に定住したなんて話を聞きます。この説って本当なんだろうか。気になります。

  • @user-xu5qm2jr6m
    @user-xu5qm2jr6m 8 місяців тому

    確かに戦いたいのに戦う場がない武士が大量にいたら、何をするかわかりませんものね。洗浄を失った武士が増えすぎたら農民や女性への略奪とか暴力が横行しそう。

  • @user-nr2zv8sq9x
    @user-nr2zv8sq9x 11 місяців тому +2

    もうこの頃から、豊臣政権が崩壊に向かってますよね❗

  • @MrHagehage
    @MrHagehage 8 місяців тому

    職業軍人を養うためだとすると諸大名のモチベーションの低さや秀吉死後の撤退の素早さが整合性が取れない気がするのですがどうなんでしょうかね

  • @user-xf7fx4xm8h
    @user-xf7fx4xm8h 9 місяців тому

    唐辛子・・・某国からクレームが来るかもしれません。ご注意くださいませ。

  • @jodasow
    @jodasow 11 місяців тому

    在位・在職中の後陽成天皇と豊臣秀次を大唐の天子と関白とし、日本の天皇には皇子を即位させて日本関白は豊臣秀保か宇喜多秀家にすると構想していたと伝わりますので、別の国だとは認識していたように思います。
    新恩給付のための領土拡張が目的だったという点には同意です。

  • @ichthys358
    @ichthys358 11 місяців тому

    この時点ですでに日本は一千年を超えていたから、一つの土地で王朝交代なんていう概念が欠如していたのかもしれん。国の名前というよりは土地の名前ってことだろうなぁ。→唐

  • @sayuri0530
    @sayuri0530 11 місяців тому

    秀吉の朝鮮出兵のくだりは、大河ドラマ軍師官兵衛の田中圭演じる石田三成が、めちゃくちゃイヤな奴だったのと、大河ドラマ江で江の2番目の夫が出兵先の朝鮮で負傷し、現地で亡くなった知らせを聞いた江の嘆きが可哀想で、印象に残っています(*´-`*)
    どう家のムロ秀吉は、最初から嫌な奴だったので、来週、「秀吉、くたばる」…ザマミロですね( ≖ᴗ≖​)

  • @user-rq7ne6vm8u
    @user-rq7ne6vm8u 11 місяців тому +1

    明、朝鮮、日本、みんな漢字でだいたい通じたのでしょうか?そのころ。

  • @jimmy-qu7tj
    @jimmy-qu7tj 11 місяців тому

    慶長の役の最中に秀吉が亡くなるというのもなんだかなぁと思いますね。なぜなら、慶長の役は全羅道を攻めてしまったからという理由もある気がしますね。
    全羅道いわゆる旧百済は天皇家やその側近にとってどうだったかというのがあるはずです。
    本能寺の変も秀吉の中国大返しも文禄の役のルートもどうも後ろに朝廷がいる気配があります。
    信長の「天下布武」(天下布智ではない)と「安土城」(国家安康の鐘の家康論法と同じように考えてみて下さい)は京都のお公家さんには「悪い印象」しかなかったと思いますよ。

  • @kaiganseki5201
    @kaiganseki5201 11 місяців тому

    確かこの頃、戦いの場を失った武士たちが、ポルトガルに雇われた?だったか、東南アジア方面へ兵隊としての出稼ぎに行っていたということを聞いたような聞かなかったような?

  • @user-wu4qb7zb1b
    @user-wu4qb7zb1b 11 місяців тому

    当時、ヨーロッパが推し進めていた植民地支配拡大政策を知っていた信長以降の支配者が自分も切り取りしようと思ったか鎖国して寄せ付けなくするかの違いなのかと思います

  • @peterraccoon2160
    @peterraccoon2160 27 днів тому

    秀吉に地理的知識がなかったんでしょうけど琉球、フィリピン、インドネシア、オーストラリアに向いた方が勝算があったでしょうね。

  • @user-xm6kb4pz2p
    @user-xm6kb4pz2p 11 місяців тому

    こんばんは。

  • @giantnioinoba2023
    @giantnioinoba2023 11 місяців тому +1

    秀吉の日本統一に北海道は入ってませんよね。当時は北海道はまだ未開の地で、外国みたいなモンやったからね。アイヌ国という認識だったかはわからんけど💦

    • @user-md7zg8ye8f
      @user-md7zg8ye8f 11 місяців тому +2

      当時のお米のとれない北海道は支配しても年貢がとれない だから支配しなかったんだろうな 秀吉にもう少し知識があればアイヌの海産物 狩猟の動物がすごい銭になることに気づけたはずなのに

  • @yotaroudou1
    @yotaroudou1 11 місяців тому +1

    ちょっと、違うような気がするが…

  • @user-qe9ec2zg5c
    @user-qe9ec2zg5c 11 місяців тому +1

    きりゅうさん、きりょういいわ(笑)……
    きりゅうさん、毎度の事だけど詳しいねぇ……🐧(笑

  • @world9220
    @world9220 11 місяців тому

    参勤交代の秀吉ver説は如何でしょう?槍働をさせることにより、各国の武力を消耗せ、切取り出来れば結果オーライ🎙️

  • @user-cj3lp3ru4e
    @user-cj3lp3ru4e 11 місяців тому

    スペインが明国侵攻を望んでいたこととの関連は?
    スペインと競いあって明国を取りたかったと聞いたことがある。秀吉とスペイン国王は、相次いで亡くなってしまったけれど。

    • @user-mao4shushu
      @user-mao4shushu 11 місяців тому

      秀吉はフィリピンのスペイン総督府に対して日本への朝貢を要求してましたね。スペイン総督府等は人数が知れているので怖くないけど、明が衰退していましたからスペインに征服されると、中国人や朝鮮人を使って「元寇の再来」となることを恐れた可能性があります。