徳川家康VS豊臣秀頼 二条城の会見
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- #どうする家康 #歴史解説 #ドラマ解説
※概要
豊臣秀頼が二条城の徳川家康に会いにきた意味とは? 二条城で秀頼と会った後、なぜ家康が豊臣家を滅ぼそうと考えたのか等々、お話しています
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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家康は『吾妻鏡』を愛読していたので、平清盛が頼朝を生かしておいて大失敗したことを教訓にしたのだと思います。
結局、家康さんが豊臣政権から代わって天下取ったんやけど、秀吉さんが秀頼が元服するまで生きていれば天下は代わる事は無かったんやろうけど、ただ、秀吉さんが日本を平定してからの朝鮮征伐、利休切腹、秀長の死、後継者の関白秀次事件、などで自ら崩壊に向かってたイメージありますわ。未だに思ってますけど、勿体ないと思う。
子供をたくさん残し御三家を作ったのも、源氏から学んだと思います。
家康と今川氏真との会話が、心に訴えて来た。互いにここまで生き残った者同士、本音で語れる存在の二人は、過去を経て再び向き合った。氏真の言葉に、父義元の姿が重なった。かつては家康をライバル視していた氏真も、今は兄として家康を助けたいと述べ、見違えるほど成長したと伝える。人を平気で殺すようになっただけと卑下する家康に、彼に救われたからこそ現在の自分が居ると説く氏真本人が、苦しい境遇を経て大いに成長していて、父義元の目指した王道の治世を為してくれ!と家康に託す。氏真を通して義元が語りかけているようで、感動した。王道による治世への志は、こうして義元、信玄、信長を経て戦国期の集大成として、家康によって成し遂げられることになる。後半の大河ドラマは、前半部と対照することにより、まるで協奏曲の主題テーマのように共鳴し見事に鳴り響き、見る者に最大限の効果を与えていて感慨深い。
このジイさん誰やろと思ったら氏真くんで、家康さんが、「戦はなくならない」と言ったら、ぎゅーって抱きしめて「弱音はこの兄が聞いてやる」って言ったシーン感動しました。
老けメイクがうま過ぎて、溝端淳平さんてわからなかったです(汗)
現在残っている今川氏真の肖像画を参考にした老けメイクだったような気がします。
😊
くーさん「ちょっと質問しただけでこんだけ長く説明されるとは思わんかったw」
ラットさん「それがきりゅうw」
お三人、ステキ過ぎw
く~さん、ちょっと質問するだけでこんなに色々教えてくれる人なかなかいないんですよ〜😂確かに、途中でどこで息継ぎしてるかなぁって思ってしまうくらいでしたが😂でも、それがきりゅうさんの素晴らしさ❤
昨日の二条城での秀頼の登場シーンも、少しスローモーションになっていて、キラキラしていましたが、私はやっぱり「真田丸」の時の中川大志さんの登場シーンが忘れられません。
茶々役は竹内結子さんでしたね。
家康役も内野聖陽さんだったし…もう一回「真田丸」を1年かけて見たいです。
棲み分けるより、闘うことを秀頼が選んだように見えて、思わずあーーーーっそっち選んじゃったか!と息子と叫んじゃいました。見ていて辛い。
戦知らずに育ったから現実を見極められなかった
昨日の大河ドラマの秀頼立派だったね。策略も使いながらの対面、秀忠公の頼りなさとの対比が良かった。でも、平和を長く保つのは優しく、己の弱さも認める秀忠公の方が相応しいとも思った。そしてあえていうのであれば昨日の二人のプリンスのMVPは今川氏真公だったと思う。
なるほど、そうですね!
タイトルの『二人のプリンス』は「秀忠と秀頼」のことだけじゃなくて、「家康と氏真」のことも言っていたのですね。
本編も好きだけど、それ以上におまけが好きです。
それがきりゅう☝️
さすがきりゅう☝️
秀頼君役の作間君、推しなんです。Jr.で今風当たり強いじゃないですか。心配していたけど、爽やかだけど狡猾感もあってなんかよかった。
かしましのみなさんはどうお感じになられましたでしょうか。
秀頼君って実際どうだったんでしようか。資料とか少ないんですか。
前は愚鈍って感じだったけど、中川大志くんが演じたり、最近イケメンがやりますよね。
秀頼君、どんな人だったか解説いただけると嬉しいです。
く~さんが眼鏡外してラットさんがかける、お二人ともイメチェン素晴らしいですね👍
きりゅう先生のおっしゃる通り二条城の会見で家康公が、秀頼公を立派な武人に成った!と認めた事が、逆に豊臣家の滅亡を早めたのでしょうね😢
12:47 茶々は気づかなかったのか?
16:07「ちょっと質問しただけで…」
膨大な情報量があり関連する事柄が繋がって延々と話せるきりゅうさんが素晴らしいです。
ずっと聞けます!!
ここにいる視聴者は「それがきりゅう!」
が大好きで病みつきになるのですww
秀頼くんて、大柄なマザコンというイメージでしたが、どうする家康の秀頼くんはなんとさわやかな見め麗しい青年でした。
千姫ちゃんと仲睦まじい姿にじーーーーんとしてしまいました。
死なないでぇぇ
そうだね、今回の、秀頼さん役作間さんは、背が高くてイケメンだったので、キュンキュン💖しました。でも、死なないで。
秀頼が茶々と見つめ合う目が彼の本音を表してます。育ちの良さの裏に隠れた秀吉の恐ろしさ。まさに上品に化けた秀吉。
千姫と仲睦まじいというより、全方位に隙がない恐ろしさにも感じられました(千姫からおじじさまに何か伝わってしまうといけないから、警戒させないというか)
千姫と猫を愛でてる姿にも癒された。
完全に猫好き視聴者を味方につけたねw
きりゅうさんが歴史の先生だったら✨✨
中学、高校時代は絶対天国✨
一緒に京都奈良、修学旅行✨✨
絶対に夜寝ないで旅先の逸話をききまくりたい😊
話しがうまいですね。心地よくきいていられますね。合いの手も優秀ですね。なんでですか?
秀忠さんといえば、私は名優西田敏行さんのイメージが強い世代です。😂😮😅
家康殿の老いと苦しみに本当泣かされました! 一番泣いてたのが最近一緒に見るようになった旦那っていう┄笑 対秀忠、対氏真シーン素晴らしかった!
そして 秀頼くんの隙の無さが凄い!
いろんな顔を使い分け、ちゃんと母の思う通りの成長ぶり┄ 作間くん、凛々しかったですね~ そして秀忠くんの頼りなくも見える素直さ! 過去の家康殿そのもの!殿の焦りも当たり前、でも 安寧な世のバトンは やはり豊臣方には渡せないよね! 茶々の存在大ですものね
今回は 氏真殿がいてくれて良かった! 心に響くシーンでした 涙
さすがです❗️きりゅう先生❗️これは妄想ではなくて信憑性が高い説だと思います👍 妄想学の方も楽しみにしております😊雑談が1番好き❣️
これがきりゅうきう✨って素敵な説明ですー☺️
今回も解説ありがとうございます。
二条城会見とその前後の権威の推移は複雑ですね。今回の家康の計略を逆手にとってイメージ戦略で勝ちに行く秀頼は個人的に新しくて良いなと思いました。
秀頼、器量に依らず神輿が残っていること自体が危険という考えはかなりあると思います。高名な何方様かを奉じて大義名分とした戦は他ならぬ家康が散々見てきたことでしょうし。
茶々を始め豊臣方もこの危機的状況に気付いていないではなかったでしょうが、やはり政治的戦略的敗北は巻き返す事が出来ないところまで来ていて、最期に戦術的勝利でひっくり返そうとしてそれも出来なかったのが大坂の陣という事なのかと思っています。
豊臣家は徳川の家臣にはどう転んでも馴れなかったのですね
滅亡する運命
華麗なる秀頼デビューでしたねー!個人的に秀頼役の子が他局のドラマで小池栄子の「厨二病こじらせめんどくさ息子」やってて、北条政子の生まれ変わりの息子が秀頼ー!と思って見てます。政子前世では息子殺されて、家中ギスギスで大変だったけど、今は苦労はしてるけど幸せなのねっ!あと息子甘えん坊なのは前世では甘えたくても甘えられなかったから、今目一杯お母さんに甘えてるのね!!そして前世も今もマザコンなところは一緒なのね!!と思いながら楽しく見てます。今週も茶々怖くてそこが良かったです。
家康は、織田家と豊臣家の衰退を見て、乱世を終わらせるため徳川家を存続させることこそ天下安泰になると確信して豊臣家を滅亡させたのですね
1つ1つの出来事が納得できます
家康は本当に素晴らしい人ですね
今回は次世代の2人にスポットがあたってましたね。
弱いけど素直で優しい秀忠が自分のように苦しまずに生きていける世を目指す家康。今川義元の遺志も受け継いでいてジーンとくるエピソードでした。
こんにちは。
最近、よしながふみさんの大奥などの流れでこちらの動画を楽しませて頂いています。いつも詳しい説明ありがとうございます。
歴史の理解が凄いなぁと、いつも圧倒されながら、あっという間に時間が過ぎています。
きりゅうさんは、ここまでの知識は文献などから習得したのでしょうか。
よしながふみさんの歴史解釈の上での逆転ストーリー展開にも、ただ、ただ感心でしたが、歴史好き女子の方々は皆さん、こんなに博学で賢く饒舌なのかと思うと怖いですね(笑
動画の内容もさながら、きりゅうさんのルーツにもとても興味深い、今、一番私には熱いチャンネルです。
これも、あれもきりゅう~! どれもこれもきりゅう~でこれからもお願いしますw
大河ドラマ観て思ったのが、秀頼が秀吉に見えたのがやはり秀吉の息子なんだなって思いましたね…
秀頼と秀忠って遂になってる2人のプリンス
秀忠が秀頼は優秀だったけど、秀忠の方が偉大なる凡庸なのでこちらの方が長く続くわけですでね。
春日局が寺島しのぶさんが務めるらしいです。
昨年から大河見たらかしましを見る、というルーティンになっています、感謝感謝です😊
本筋とは全然関係ないのですが、家康さん正信などみんな年を取ってきて、床座生活は大変そうだなあと思いました。
信長さんが多分南蛮から持ってきた椅子に座ってたと思うんですが、椅子は広まらなかったんでしょうか??
誰か「椅子めっちゃ楽じゃん、年取ったらこれ使おうぜ」とか言わなかったんですかね〜
途中で何度、これ、速度、標準やんな!?と確かめたか…。途中で、いつも以上に高速でしたぜ…😂
豊臣譜代の家臣が、秀頼を担ぎ上げる危険性を、家康は秀吉在世の時から考えていたと思います。
、後数回のいつかで茶々がどうする家康 と言うのを見たいです。
確かに大阪の役は、秀頼の優秀さが大きな理由ではなく、その存在自体が反徳川の旗頭になってしまうという危惧によるもの、という考えはありそうですね。
いくら北朝が強くても反対勢力は南朝についてしまうわけで南北朝時代は戦乱が続きました。これと同じことですね。家康が考えそうなことだ。納得しました。
ラットちゃん、メガネ可愛いね……🐧(笑
まだ録画したの見てないけど、もう冬の陣が出てきてるのか。早いなー。逆に三方ヶ原の戦い辺りが長く感じたけど。たしか
プライド捨てられなかったから豊臣は滅びた。家康は豊臣生き残り策を最後まで提示したのにそれにのらなかった。秀吉全盛の時に、家康は恥を忍んで秀吉に頭を下げたよね。一時的だけど。
ラットちゃんのメガネがかわいぃ
加藤清正は肥後国内に設置された豊臣蔵入地から年貢を大坂にきちんと送付していたりとか、家康さんからも徳川・豊臣の仲介の役割も期待されていたと思う。でも「二条城会見」では秀頼護衛役ではなく、家康十男の頼宣と自分の娘の婚約がきまっていたので頼宣さんの護衛役ですね😅あくまで徳川家臣として会見に臨んだのでしょう。でも両属とまでは言えなくとも、豊臣へのシンパシーも持っていたと思います。
これが「きりゅう」で
メカゴジラ(機龍)を思い出して吹いてしまったwww
次世代に偏諱を与えて徳川方に組み入れる下地を作る家康は、やはり賢い!自分が居なくなった将来に向けての布石をちゃんと打っている証ですね。加藤清正が二条城会見に際して、秀頼の護衛に付いたとのことですが、清正は自身の子八十娘と家康の子頼宣との婚姻が成立していたため、徳川方の身内として参加したと聞きましたが、どうなのでしょうか?
今日のくーさんメガネなしで、とてもお綺麗ですね!😉🥰
史実では秀忠が秀頼切腹を命じたと言われているので、改易も含めて秀忠は実は徳川幕府が磐石になるために非情な決断を数々と下してきたんじゃないかなーと思いました。
豊臣家を滅ぼしたかったのは 秀忠 という説もあるようです。
「春日局」では、家康(丹波哲郎)に終始低姿勢で、「それがしは一大名として残していただければ結構」と言った大男の秀頼(渡辺徹)。
会見後、家臣達は「向こうから頭を下げてきた。ヨシヨシ。」だったのに、家康が秀頼の聡明さに危険を感じ、討伐を決意するシーンが印象的でした😅
渡辺とおるさんが秀頼 と言うのが本来の姿かも。秀頼長身ってだけでなく160kgという相撲取り体型だった様だから。今回の秀頼は美化しすぎる。
渡辺とおるさんが、秀頼さん役してたのね、私春日局観てたけどはじめて知りました。さすが秀頼さん役で、渡辺とおるさんが出たね観てた世代です。🐯🐰🐯🐰🐯🐰
@@user-nn6kx9km9c今回の、秀頼さん役は作間さん背が高くてスラットして、イケメンだったので、キュンキュン💖しました。
ガチャピンがおる!と思ったらラットだったw
会見の時、秀頼と会うのは9年ぶりで秀頼の身長が190cmで身体が大きい事に驚き、この先が心配になって豊臣家を潰そうと躍起になって行くと聞いたがどうなんでしょうかね?
今回も非常にまとまりの良い動画になっており、勉強になります😃
そこでドラマでは~イカサマ師正信の提案で、秀頼さんを対面の座で上座を譲ることによって、「公家の立場」に押し込める策略が出てきました。どうやら新説導入のようです。公家なら城も軍事力も関係なかろうと・・・位階では家康が上でも、かつての主筋・関白秀吉の遺児という立場を尊重したというわけですが、秀頼さんも位階の点と長幼の序によって~お互いに上座を譲り合ったとも伝わります。譲り合いと下座上座関係なく同列に座りましょう!(ドラマでは寧々さんの提案)のどちらが本当なのでしょうか?結局は家康さんが上座だったのが史実ですよね。また、「公家」に押し込めることがホントに可能だろうか?と思ったりもします。
また、家康さんが自分亡き後のことを考えていた事は当然ですが、攻め滅ぼすのが最終目的ではなく、秀頼が普通の一大名として従属する(蔵入地の収公+茶々の人質・江戸住まい又は豊臣のシンボル大坂城から他に国替え)ならば其れで構わないと考えていたという(家康公)説は如何でしょうか?位階と官職の推挙の権利も徳川が握ったとすれば、秀頼さんの関白位の目も消滅しますよね・・・まぁ右大臣を取り上げることもハレーションがありますから、仮に従属を受け入れたらその子には内大臣は認めるくらいが妥当かな?それでも諸大名よりは高位ですから。でも秀頼・茶々のどちらか又は両方が認めないですねぇ😅秀忠さんも父に優るとも劣らない軍功を求めていた節もあると思いますし・・・
淀殿が人質になって江戸に来ればいいだけの話だったのに、それを突っぱねるとはプライド高いお姫様だこと。
返信ありがとうございます。秀頼さんは浅井・織田・豊臣のハイブリットですものね😅それもありますが、支える家臣団も人材払底の感がありました。小粒でかつ「豊臣の権威がぁー!」の人ばかりでは・・・
家康がどんなに権威を振りかざそうが、三成が家康に戦を仕掛けたりせずに、ただ家康が死ぬのを待っていたらどうなったのでしょうね?
どのくらい待てば家康死ぬるかまで予測つかなかったのでは?
いつも楽しく拝見しております。 先日の二条城の会見の時に家康が上座に座りましたが、本当の話しでしょうか?
ちょっと質問しただけでこんなに長く説明するこのきりゅうさんが好き😍❤️❤️❤️
秀忠優しいですね。14代の家茂もそんな何気ないやさしさのエピソードがあったような・・・なにか昔のドラマで二条城の会見の後に、加藤清正が血を吐いて死んでしまう話があったような気がしますが、実際には偶然死んでしまったのですかね?
息子のためにあれこれと準備するところ、去年の義時を思い出しました。父心なんでしょうね。君臣をひっくり返すのも天下を取るのも大変だけどそれを保つのはもっと大変。豊臣と徳川の話を聞いていて、片桐且元の話を聞きたくなりましたのでリクエストします。武将(?)シリーズになりますか。昔の大河で印象的な端役だったのですが、この時期以外のこと(生まれや大阪の陣後)を知らないので。お願いします。
私も、知りたいな。
いつも楽しく拝見しています。一つ質問があります。
「方広寺鐘銘事件」といいうのは,結局大坂の陣を引き起こす(ひいては豊臣家を潰す)ために家康がいちゃもんを付けた,ということとなのでしょうか?今回の「どうする家康」では,むしろ茶々様の方から仕掛けていった,みたいな描かれ方をしていて,家康は逆に戦を回避しようとしていたみたいな感じだったようにみえたのですが…。
お返事をお待ちしております。
あっ!くーさん今日は眼鏡👓無い、おめめが綺麗👀素敵✨
今日も楽しい動画を有り難う御座いました(* ´ ▽ ` *)
偉大なる凡庸…これにはマイッタ😂
世が平事なら凡庸ではないよね、有事だから凡庸にみえるけど。
ラットちゃんの眼鏡チェーン、とても可愛いですね。
私は肩こりが酷くて、老眼鏡も軽さ重視で選んでいるのですが、ラットちゃんのチェーンがとても可愛いのでブラックフライデーのお買い物チャンスで買おうかしら。。。
悩んでしまいますが、重たく無いですか?
家康公が狸おやじ呼ばわりされるのは、小憎らしいばかりに用意周到に準備をして事を進めたのと、豊臣秀吉の毀誉褒貶はありながらも~底辺の身分から驚くばかりの大出世を遂げたことに対する憧憬・賞賛⇒凋落に対しての判官贔屓も作用していますね!でも両者は非常に似た行動をしているのです。秀吉さんは明智・柴田討滅で織田家臣団トップに昇り詰めても、外形的には織田信雄政権(短期間だったが)を引き立てています。信雄臣従に成功後も攻め滅ぼすことをしているわけではない・・・むしろ織田家棟梁としての立場を尊重している。その後の国替え拒否で改易したけれども、素直に従っていれば~かなりの大禄大名で信雄さん、存在していた可能性が高い!家康公もほぼ一緒の構図だけど、豊臣家の【新・摂関家】としての権威の高さにはさすがに苦労して、慎重に時間を掛けて統治の実績で知らしめるしか無かったのかな?と・・・結局、豊臣家が信雄さんのように現実路線を取ることが出来ずに(改易はされたが踏ん張って、のちには大名に返り咲く)攻め滅ぼされたので、悲劇のヒーロー(秀頼)・ヒロイン(茶々)の立場がかっちり確定したわけですよね😅
秀頼と淀殿に対する北政所のスタンスが独特ですよね〜。
北政所は秀頼に対して何を望んでいたのだろう⁉️
あと、豊臣方も、もしかしたらわずかながらも北政所派がいたのかもしれませんね。
福島や加藤は、関ヶ原前に北政所に意見聞きに来て、家康につけと言われていた
北政所派=家康方、なのかなぁ⁉️
仲良さそうにも悪そうにも見えない。
実際そんな関係がリアルだったのかな。
くーさん 目が綺麗です。マスクなしの画像期待します。
これがきりゅう!、いいですね❤😂❤
ラットさんのめがねアクセサリーの説明を待ってまーす!!
いつも動画を楽しく見させて頂いています。
ありがとうございます(^^)
ドラマを見ていて思ったのですが淀殿の着物がすごく豪華なのに対し、千姫の着物が少し地味に感じたのですが気のせいでしょうか?家康が質素を好む人物であった事と何か関連しているのでしょうか??
茶々がそういう趣味なのかもしれないですね。
母親の市はそんな派手な着物着てなかったですし。
徳川幕府は代目の綱吉までは武断政治でしたからね。秀忠も「大御所」になりましたしね。
忠長の件も実際は秀忠主導みたいですね。家光が引き継いだだけで。
氏真に対して「あの頃の自分を知っているのは、もうあなただけ」とか言っていましたが、平岩親吉が死んだのはちょうどこの頃ですよね。
平岩親吉は家康と同い年かつ駿府に付き従っていたから幼なじみだったわけなので、親吉も出してあげたらと思いましたが、この頃は義直を迎えるために尾張で頑張った末に死んでいったのでしょうね。
そして、これまでふせられていたナレーションの人物と浅井三姉妹の“優しい”お姉さん、初のキャストが発表されましたね!
ナレーションは大方の予想通り春日局。
最終回は家光に語るシーンなのでしょうか?
そして家光の隠し子である少女が家光の名を次いで女性将軍に…なったら別のお話。
で、その別のお話での平賀源内、鈴木杏さんが初。
思うんですが、NHKさんって鈴木杏さんや貫地谷しほりさん、村雨辰剛さんが大好きですよね笑
初と阿茶の局による会見も楽しみです。
私もあちゃの局さんと、はつさんのわぼくシーン楽しみな歴女です。
秀頼のイメージが、あの肖像画や書物からマザコンのイメージでした。全て茶々の言うがままなのかと。でも、大河の秀頼は、もっと自分を持っている人のようで、本当はどうだったのでしょうか?
今日も解説ありがとうございました🙏❣️
肖像画は死んだ後付けで作り上げられてる様な気がします。小早川秀秋なんて見るからに情けなさそうな顔してるし。本田忠勝はいかにも強そうな鬼みたいだし。
秀頼くんが神輿として担がれるのを危惧したのは分かりますが…そうなるとかなり早い段階から豊臣家を滅ぼすつもりだったんでしょうか?
かなり無理筋な要求を呑ませ「これなら存続させても、幕府にとって大きな問題にならないよね 」ってレベルにまで貶められば違ったのかもしれませんが、担がれると言われればそれでも担がれるかもしれませんからね。
あと「国家安康 君臣豊楽」で「戦が避けられなくなった (by 本多佐渡)」理由も気になってます
それと大阪夏の陣直後の一般人大虐殺は描かれないんでしょうね…
今日も楽しい解説ありがとうございます😁秀吉さんは織田家を根絶やしにはしなかったのに後に家康さんは豊臣家を根絶やしにしちゃってチョット残念😢それこそお公家さんにして残してあげたらよかったのに。
く~さん眼鏡どうした?😂😂😂
いや、秀忠より秀頼のほうが圧倒的に優秀(であってほしい、願望)
何か秀頼に優秀エピソードはあったりしますか?
いつも楽しく拝見しています。
きりゅうさん質問なのですが、
関ヶ原の時、加藤清正などは家康に味方してましたよね?あの時は石田三成の敵側にいたのに、今は豊臣方にいて家康の反対派にいるのは何故ですか?関ヶ原で徳川についた事は豊臣には許されたのでしょうか?関ヶ原で淀殿が西軍側に出陣する準備はできていると言っていたので、西軍派だと思ったのですが。
わかりにくい文章ですみません。
質問に答えていただけると嬉しいです。
これからも楽しく拝見させていただきます。皆さん大好きです。
関ケ原の戦いは、どちらも「豊臣のため」という名目で戦っていたので、家康側についても大丈夫だったのです。
これがきりゅ〜
こんにちわ!家康と氏政との対面氏政はこの頃何処にいたのでしょうか?お坊さんになってたのはいつ?
だいたいの大名が2代目に代替わりしてるわけで、そこに桶狭間で実際に戦ったっちゅうオッサンがいたらもう何も言えないよね...w
今回どうする家康アニメーション観ました。時計でした。🐯🐰家康さんと、秀頼さんが会見しましたね。
時計が何とも意味深でした。まず「時間を知る」ということは「天下をしる」ことに繋がりますし、時計を分解するのは小さいころから家康は手先が器用なことを氏真に思い出させ、しかもあのコチコチという音は家康の寿命と大坂の陣のカウントダウンを隠喩していると感じました。
なんか、千姫ちゃんが、かわいそうで😢
姑の淀君、怖すぎる💦
私なら、タヌキおじいちゃんに手紙書いて帰りたいって泣きつくかも。
千姫さん気持ちわかるかも、私が、千姫さんなら、絶対無理、帰りたい と、家康さんに、手紙書きまくりそう(妄想)です。🐰🐯🐰🐯🐰🐯
優しい初叔母さんと夫に支えられて何とか保ってるかもしれないですね。
家康公がついに旧主豊臣家の当主を呼び出すことに成功した
二条城で265年後、自身の末息子直系から将軍になった慶喜公が大政奉還し、苦労の末に作り上げた徳川幕府に終止符を打つのは感慨深いですね。
慶喜って信康と秀忠の女系子孫でもあるみたいですね。
@@my262 初めて聞きました!
貴人はみんな親戚って聞いたことあるから辿ればそうなりそうですよね。
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まず信康と五徳の娘の熊姫(お葉に養育される)が平八郎の息子に嫁いで、さらにその2人の間の息子に千姫(再婚)が嫁いでその子孫って感じです。
歴史と関係ないんですが、きりゅうさんって私の主治医の先生にそっくりなんですよね(笑)お寺参りの話をすると盛り上がったりするので、ひょっとしたら主治医の先生も歴女かも(笑)
質問です!秀頼が蘭陵王を舞っていたと思うのですが、素顔で舞っているのが不思議でした。成人男性が舞う場合は面をつけるのでは?そこは美しく凛々しく成長した秀頼を強調したい茶々の意図なのでしょうか。
大阪の陣で僕が一番納得できないことは、福島正則が秀頼に加勢を頼まれても断ってることなんです。
もちろん江戸留守居役を命じられたこともあるでしょうが、大恩ある太閤殿下の子の要請を断るか、と。
また、秀頼が最後まで出陣しなかったことも納得できない。
総大将として始めた戦で、そんなことあるだろうか、と。
従って、徳川 vs. 豊臣 ではなく、徳川 vs. 豊臣を人質にとった浪人軍団 なのではないか、浪人を大阪城から追い出すため、無事に秀頼を脱出させるため、徳川が浪人衆と戦った、と。
大砲も堀埋めも、浪人衆の戦意を削ぐために徳川と豊臣が納得してやったのではないか、と最近考えたりします。
そうだとすれば、福島正則が秀頼の名を騙って加勢を要請してきた浪人衆の暴走に加担することはできないし、秀頼も浪人衆を指揮していないから出陣しなかったと辻褄が合います。
で、秀頼は太閤殿下の築城した大阪城を焼失させたことに責任を感じて腹を切った、と。
とまぁ、僕もきりゅうさん同様、妄想大好きです笑
茶々さんとお江さんって実際のところ
仲はどうだったんでしょうか?
妹たちを助かるために秀吉さんと結婚したという話を聞いたことがあります。
それほど妹思いの茶々さんのことをお江さんも慕っていたと思うのですが…
この三姉妹の仲がよい悪い
のエピソードがあれば教えてほしいです。
江が秀忠と再婚する時、前夫(秀吉の甥)との間の子を引き取りましたね。
その子は淀殿の実子のように育てられ、五摂家に嫁ぎ関白夫人になったと思います。
豊臣滅亡後は秀忠の養子になったみたいです。
今回は茶々もやる気だけど秀頼自身もやる気あるって描写でしたね。/ 15:30 大坂城の金蔵に秀吉の遺産が有り余ってるので家康が寺社寄進に使わせた、って話がありますけど、でもそれもある種副作用あるよなと思っていました。
くーさんとラットさん、メガネが入れ替わってる
2:37他に伊達忠宗
夏の陣のとき、実は家康は殺された説がありますよね。南宋寺にお墓があります。きりゅうさんの意見を聞いてみたい。
※その説によると、棺桶で逃げようとした家康は槍でひとつきされ、絶命した。
南宋寺に埋葬されたあと、でっかい岩で隠した。
影武者が亡くなって、久能山に埋葬され、一年後日光に移された。
そのとき、南宋寺の岩を久能山に奉納しますという名目で、岩と一緒に家康の亡骸を久能山に埋葬した。
なので、日光には影武者、久能山には家康、南宋寺にも亡骸の一部が埋葬されているという説です。
南宋寺の沢庵が厚遇されていること、秀忠や家光が後日参拝したこと、などが根拠みたいです。
なんか、くーさんが眼鏡をかけていない姿、初めて見た気がします。(・∀・)
後水尾天皇は秀忠くんの娘和子、つまり家康の孫娘の嫁ぎ先でしたよね?
くーさん、きりゅうさんの説明する気を削ぐようなこと言わないでね!ノリノリで説明してくれてこっちも楽しさMAXで聞いているのに「ちょっと質問しただけでこんだけ長く説明されるとは思わんかった」とはナニゴト?きりゅうさんの説明の価値を、まだ全然理解していないのか~💦とどめに「怖い」なんて、とんでもない!ヒドい😢
嘗て秀長さんが持っていた大和、紀州等は豊臣領国からいつ頃他の人の領国になったのでしょうか?
大和郡山は五奉行の増田長盛の領地でした
それがきりゅう😂
家康が豊臣家を滅ぼしたって当然のストーリーとして語られるけど、家康秀頼の関係って良房清和の関係みたいなのに何で対立したんだろうと思う。加藤清正、福島正則も徳川と婚姻してるから血縁者のみの豊臣家って全然脅威に思えない。
秀忠は政治は優秀だったけど武力はどうだったんだろうね
家康の豊臣からの政権奪取ってホントに巧妙ですよね。
関ヶ原で家康に従って戦ってくれた大名たちには恩義がある。それが自分の家の存続のための結論だとしても。その恩人達を次々改易した秀忠、家光は・・・××× 江戸時代には確かに戦は無かったけれど、庶民にとってはひどい時代でした。
徳川家が豊臣家を滅ぼした一方で、秀忠はなぜ自らの名前である秀吉からもらった秀の字を捨てなかったのでしょうか?父親は今川義元からもらった元の字をさっさと捨てているのに。
伊達秀宗と伊達忠宗が有名かな、将軍家忖度の嫡子選定
朝廷に口を出させないためにも豊臣家は潰して置かなければ
秀頼が国替えを承諾していれば豊臣家は存続していたのにって思っています。
甘い絶対潰される
家康は鐘の文字の対して本当に怒っていたのでしょうか?
怒っていたなら大阪の陣で勝利した後に鐘を破壊するなり文字を書き直させたりできたはずなのに。
ただのいちゃもん言う為の口実で心底怒っていたわけでは無いのですかね?
また、あの鐘の文字のところを白い枠で印をつけてある写真を見ましたが、あれは誰がつけ、いつから付いていたものなのでしょうか?
あの白い囲みは、観光客が見てすぐに分かるようにペンキか何かでつけただけの由緒のないものらしいです😅
@@sunagimochan
有難うございます。
そうなんですね。
まぁ観光客にその度に文字の場所を聞かれるのも手間でしょうけど見た時は少しびっくりしましたww
秀忠はボンクラではない、としても、信長や秀吉、家康に遠く及ばないのは事実!この前から、なんで、そんなに秀忠を庇うのですか?
好きだからw
秀頼よりは秀忠はかなり優秀、なのは事実。
家康が秀頼を過大評価したのは、豊臣を潰す口実にしたかでたから。