Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
現在は急行列車が全て無くなってしまったのが残念である。特急より劣る車体でありながら、でも命一杯の力を振り絞り、全力で走り続ける急行列車の雄姿が懐かしい。
「急行」というポジションが好きです。横綱より大関、金メダルより銀メダル。社長より副社長、巨人より阪神…、あ、これは違うか!
@@珍竹林アソシエーション まさにNHKより民放、洋式より和式って感じだね😄
懐かしい列車と駅舎、この動画の前後3年はホテルマンしていたので北海道には行けて無いですが、その後は毎年2回や三回と渡って乗り回していました。懐かしい~動画ありがとうございました🙇
冬に何度か宗谷本線の急行乗ったが、先頭のキハ56は風よけみたいなもので暖房きかず寒かった。実際、車掌も検札のときに「先頭車は寒いですよー」って言ってた。そのかわりにほとんど客がおらず、震えながらも貸切状態を味わってた記憶がある。深夜の下り利尻はあまりの寒さに名寄でギブアップしてキハ400に移った。。。すでに急行型気動車や客車が急行運用することが少なくなっていた時期に急行が健在で、たしかに1990年ころの北海道は鉄の楽園だった。。。。みんな、夜の札幌でラーメン食いながら「今日の宿は、利尻か、まりもか、大雪か、どれにすっかな?」って考えたよねー。懐かしさをありがとう!
今思うとすごく贅沢な選択ですね
この当時お客さんたくさんいたんですね。先週同じルートに多様な時間に走りましたが乗客わずか20人でした
今は特に大変だと思います。寒いのは苦手だけど、ラッセル車見に行きたいなあ。
パソコンもスマホも無い、この時代が良かったなぁ~。(泣)
素晴らしい物を拝見させて頂きました。本当に良かったです。ありがとうございました。
ありがとうございます。本当にあの頃はいい時代でした。
この頃は、宗谷本線にN183が使用されるなどまず想像できなかったですよねいろんな寄せ集め編成が北の果てに向かうという郷愁を駆り立ててくれました。。
いろいろな種類の車両が混在するのってどこかワクワクするところがありますね。子供の頃見た昔の貨物列車なんかワムツムタム…何が繋がってるか、駅の通過シーンはまさにスペクタクルでした!
懐かしい映像ありがとうございました。国鉄からJRに変わってまだ浅い頃でしたね。このような映像が後世に語り繋がれてほしい🖐️🤓
ありがとうございます。古い映像ばかりですが、よろしくお願いいたします。
私は1991年に北海道へ独身最後の一人旅行に行き、キハ400の急行宗谷に乗って稚内に行きました。翌朝稚内から豊富温泉駅で降りて歩いて道道106まで出たが天候がどんよりしていたので利尻島は見えなかった思い出があります。 オマケのある出来事。札幌駅で列車を待っていると、とあるお婆さんが「稚内行はここでいいのですか?」と聞かれたので「そうや。」と言いかけたが、いやいやここは関西でなく札幌だと思い「そうです。」と返事をしました。この件ではたと思い付き、旅行を終えて会社に出勤して会社の人にこの一件を小噺風に話したら、「しょうむな」で終わったのも急行宗谷にまつわる思い出です。
私たちは地元のかたと列車内でお話したのですが、「北一ガラスは行った?」と質問されてポカーン。北海道の観光知識ほとんどなしに、ただ列車に身をおくことが幸せ、という奇妙な?旅行者でした。
とても懐かしいですね。貴重な動画ありがとうございます。
イケイケドンドンで無茶な旅をしたものです
稚内駅の旧駅舎とホームが懐かしいです。94年に自転車でのキャンプツーリングに青春18きっぷで、行きは青森まで行きフェリーで函館に渡り、帰りは稚内から2泊3日で横浜まで帰りました。高校生で急行乗るお金なく夜行快速にお世話になりましたね。ミッドナイトやムーンライトに。
古い車両を使った「カニの家」ってありましたね!
キハのアイドリング音っていいなぁ。旅情が湧いてくる。
電車でGOでも気動車ばかりやってます。
懐かしく拝見しました。私は、2000年前後に札幌から稚内まで乗りました。稚内駅に夕方到着した後、駅にいた旅館の旗を持ったおじさんの宿に投宿した思い出があります。
そうそう、朝の列車の時間まで気にしてくれて、「早く行かないと遅れるよ、ほらほら」とまるでおかんみたいに急き立てるおかみさんもいました!そんなぬくもりのある旅がありました。
1970年代の北海道の鉄道は絶対に楽しい。
わたしが初めて北海道の鉄道に触れたのは1985年でした。根室標津という駅で列車がなくなって途方に暮れた想い出があります。
大学生になった1989年=平成元年夏の終わりに北海道を旅しました。自分がまだ小学生の頃、NHKの「みんなのうた」で「宗谷岬」という曲を見て感動し、それ以来行ってみたいと思っており、満を持して向かったのです。上野から夜行で青森。青森から開通から日の浅い青函トンネルで函館に入り、翌日函館から特急北斗で札幌に移動し、乗り継いだのがこの急行「宗谷」でした。6時間以上もの時間を過ごした車内、本州とは異なる北海道の雄大な景色、特に宗谷本線を北に進むにつれ人煙の絶えた大自然。それまで経験したことの無い長旅、また見たことの無い風景に心渡らされました。そうしてたどり着いた稚内駅、バスで訪れた宗谷岬、共に「最果て」故の独特の感慨が湧き上がって来たものです。その時の写真は残っていますが、この動画を見つけて早速見させていただき改めて懐かしく思い出しています。素晴らしい動画をありがとうございました。そしてこの様な動画を他にも上げていたけると幸甚です。
まさに私たちもほぼ同じルートで北海道に上陸しました!台風が来るのも知らず、稚内で野宿して朝起きたら体が水没していたのも、今となってはいい想い出です。
客車時代の宗谷、天北はシベリア鉄道みたいで最高でした
まだJRになる前に稚内まで乗車しました。客席でタバコも吸えた時代でした懐かしいですね。
高校生時代、友達と少し背伸びして、初めて飲んだビールは列車の中でした。真っ赤な顔して、車掌さんにはばれてたと思います。
1990年代、自分が95年・97年と最後の99年に利尻・礼文島旅行でJR北海道で旅行していた時期です。その頃宗谷本線は、まだ特急は走っておらず急行が優等列車として運行していた珍しい路線でしたからね。北斗星で札幌まで行き、1日近郊で観光しそして札幌からの夜行急行利尻で稚内まで行きました。ただ残念なのは映像の途中、抜海からの海岸線に浮かぶ利尻富士。天気が良ければ眺められる景色でしたがあいにくにも、自分が利用した3回ともに天気が思わしくなく、利尻富士を見れる事は出来ませんでした。そして自分が最後の夏に利用した99年以降は、全てが特急に格上げ。しかしその後夜行利尻も廃止に、もう二度と抜海からの(早朝の)眺めが見れないのは残念に思いました。
そうです、この時も台風が接近していて何も見えませんでした。でも別の日に見た北海道の星空は、多分一生忘れないと思います。
ネットが発達したり、鉄道や航空機が便利になった世の中では味わえない旅の醍醐味を感じます。
国鉄車両の(特急含む)あのどことなく漂う便所臭さが好きです。
この特急や急行の赤とクリームの塗装が何とも言えません。冷房というか、天井の扇風機が懐かしい。中島みゆきさんの「ホームにて」を思わず鼻歌で歌ってしまいました。30年前になるのですね。
私は古い歌ですが「岬めぐり」が脳裏に浮かびました。バスと列車の違いはありますが。
懐かしい動画ありがとうございます😊
ご覧いただきありがとうございます!昔の鉄道を愛する永遠の思春期の皆さん。これからもよろしくお願いします。
はじめまして。懐かしく拝見させて頂きました。この時期自分は閑散期にしか旅行していなかったので、多客期の映像は新鮮です。増結のキハ56も、閑散期には末端区間では空いており、キハ400よりもボックス席を占有でき優雅な鉄道旅でした。3:00~は名寄駅の発着風景のようですが、キハ400の両数も異なり、別日に撮影されたものですかね?最後尾の1両は改造車のキハ53-500ですが、豊富駅では映っていないことから、撮影日には名寄回転車だったものと想像します。(名寄の発着風景では連結されたまま発車していますね)そしてなにより後半に出てくる宗谷82号、当時の夏臨が記載された道内時刻表にも記載がなく、存在を初めて知りました。名寄から旭川まで乗車されたようですが、名寄始発だったのでしょうか?それとも稚内から来た列車に途中から乗車されたものでしょうか。もう少し詳しく分かればと思い、もし記憶があれば教えて頂ければと思いコメントさせて頂いた次第です。
実をいうと復路に押さえたインサートカットを挿入してあります。見る人が見ればバレちゃいますね。ご指摘ありがとうございます。
1984から1988年の最高の思い出ですな。名古屋からですと周遊券で道内20日間、特急、急行自由席乗り放題と、道内までの急行自由席込み、学割で冬場は28000円かな。夏は34000円かな?でした。函館ー網走の 食堂車付き82系特急の、おおとり が存在しました。旧型客車カーペット車両とか。道内の宿泊は基本、毎日が、夜行急行、利尻、大雪、宗谷、利用して撮影ポイントに向えます、北海道への往復は、急行、583系の、きたぐに を使えて便利でした。
高校生の時きたぐにの寝台車で、友達と隠れてビールを飲んでいて車掌さんにしかられました。
懐かしい!(^^)!丁度、高校生から社会人にかけての年代で、よく北海道へ旅をしに行っていました。がら空きのキハ56宗谷(夏は、みな冷房付きのキハ400系に集中していました)に乗り通したのもこの頃でした。まさに青春の思い出の1ページ!
人生に行き詰まると行ってしまう北海道。あそこには心を包み込む何かがありますね。
4:33おお神路駅跡じゃんしかも撤去前の小屋もある1面2線の稚内駅、さらに客車列車の宗谷いい仕事してますなあ
褒めてもらって気恥ずかしいような…でもありがとうございます。すべては計画を立てたK君のおかげです。
なんと11番線現役!貴重な映像ありがとうございます
映像って、撮っておくべきものですね。この時の映像がまだ6時間分くらいあります。何かあるかもしれません。探してみます。
@@珍竹林アソシエーション ほんとにそうですね!11番線の映像も写真もほとんど無いので、本当に貴重なものを見させていただきました。もし他にも見つかりましたら、ぜひ公開をお願い致しますm(_ _)m
只今、サツエキ11番線ホーム絶賛工事中!
1990年代は北海道の鉄道で最も良かった時代(自分のイメージですが…)国鉄型の車両たちが最後の輝きを放っていた頃ですね。それこそ、JR北海道制作の車両なんて721系と785系くらいなもの。逆にこの中で現役なのはキハ54形(更新車)くらいですか?この時期に戻りたいものですね…。
そう、世の中自体がかがやいていたバブル真っただ中。ジョイフルトレインが観光地目指して、突っ走っていました。
私はオッサンだから1980年代です😉1985年&1986年に乗り鉄しました😉「おおとり」の食堂車🍽️行きました😉第二次廃止対象線区全線&岩内線・美幸線乗りました😉(単なる自慢)
定期急行が、イケイケだった時代のJR全社。今は、定期急行は、はまなすの廃止により、地上から姿を消した。
この後網走から根室に回り、帰りは急行「まりも」ちゃんに乗りました。
90年って既に札幌は高架だったっけか。92年に札幌に行ったときに、駅周辺がやたらとスッキリしてたのに驚いた記憶がある。蒸機の煤のニオイがまだ残っていた地上駅舎が、急に未来に来てしまったようだった。悪く言うと、まあどこにでもある地方都市の駅になってしまった。80年代に佐賀駅にも同じように感じたんだよね。まあ、佐賀駅は場所も移転してはいるんだけどね。
大阪駅もいきなり変わってしまいました。ホームの数が減って、効率よくなったのかは知れないけれど、のんびり荷物列車が止まっているような風情は、ある時を境になくなりました。
深名線によく居たキハ53 500が頭の急行は初めて観ました。とても貴重で珍しいですね。(鉄ちゃん以外のお客さんにとってはハズレか😅)
北海道の急行は冷房ついてなかったのですか?キハ56 58 28関西や四国でよく乗りました。この唸る爆音の車内で食べる駅弁は格別でした。
所定車両のキハ400は冷房化されて座席もリクライニングシートでしたが、主に多客期の増結車である元祖急行型のキハ56は元々非冷房でした。これは製造当時は急行型でも普通車は非冷房が当たり前だったのと、比較的冷涼な北海道では冷房化改造の必要が薄かったからかと思います。
車内に漂う便所臭い独特の香りが旅情を感じさせてましたね。
@@mako-gm7me さん四国でも、動力近代化初期に導入された、キハ55やキハ28・58の初期車は非冷房で、キハ65の投入によってキハ28・58は冷房化改造されたので、車内にはJNRロゴ入り扇風機と、その中間に冷房ダクトがあるというカオスな状態でした。
ここはサロベツ 大平原〜
また、桃岩荘に行きたいな
また納沙布岬で野宿したいな(笑)
@@珍竹林アソシエーション 若さは特権でした。もちろんバブル期、時代背景もよかったけど
当時は宗谷線も全線で最高速度95km/hでしたね・・・・😹
そうなんですね。ジョイント音が心地よかったです。
国鉄時代は周遊族にとってはもっと天国やったけど
私は「国鉄」が大好きです。親父の8mm(シングル8)を持ち出して撮った映像もあるのでまたお見せしますね。
懐かしいね。今は4両編成。増結も滅多に無し。それどころか 最近は無いが所定の車両で走らないこともある。利尻51号もあったね。
最近の北海道の鉄道事情はどうなっているのでしょう。鉄路自体がまばらになってしまっていて、コロナ禍もあるしとても心配です。
我が鬼志別小学校の恩師発見!
おーキハ53連結してる!
深い知識は乏しいデshが、とにかくでこぼこした編成は妙にわくわくします。
3:00 の最後尾だね😉
現在は急行列車が全て無くなってしまったのが残念である。特急より劣る車体でありながら、でも命一杯の力を振り絞り、全力で走り続ける急行列車の雄姿が懐かしい。
「急行」というポジションが好きです。横綱より大関、金メダルより銀メダル。社長より副社長、巨人より阪神…、あ、これは違うか!
@@珍竹林アソシエーション まさにNHKより民放、洋式より和式って感じだね😄
懐かしい列車と駅舎、この動画の前後3年はホテルマンしていたので北海道には行けて無いですが、その後は毎年2回や三回と渡って乗り回していました。
懐かしい~動画ありがとうございました🙇
冬に何度か宗谷本線の急行乗ったが、先頭のキハ56は風よけみたいなもので暖房きかず寒かった。実際、車掌も検札のときに「先頭車は寒いですよー」って言ってた。そのかわりにほとんど客がおらず、震えながらも貸切状態を味わってた記憶がある。深夜の下り利尻はあまりの寒さに名寄でギブアップしてキハ400に移った。。。
すでに急行型気動車や客車が急行運用することが少なくなっていた時期に急行が健在で、たしかに1990年ころの北海道は鉄の楽園だった。。。。
みんな、夜の札幌でラーメン食いながら「今日の宿は、利尻か、まりもか、大雪か、どれにすっかな?」って考えたよねー。
懐かしさをありがとう!
今思うとすごく贅沢な選択ですね
この当時お客さんたくさんいたんですね。
先週同じルートに多様な時間に走りましたが乗客わずか20人でした
今は特に大変だと思います。寒いのは苦手だけど、ラッセル車見に行きたいなあ。
パソコンもスマホも無い、この時代が良かったなぁ~。(泣)
素晴らしい物を拝見させて頂きました。本当に良かったです。ありがとうございました。
ありがとうございます。本当にあの頃はいい時代でした。
この頃は、宗谷本線にN183が使用されるなどまず想像できなかったですよね
いろんな寄せ集め編成が北の果てに向かうという郷愁を駆り立ててくれました。。
いろいろな種類の車両が混在するのってどこかワクワクするところがありますね。子供の頃見た昔の貨物列車なんかワムツムタム…何が繋がってるか、駅の通過シーンはまさにスペクタクルでした!
懐かしい映像ありがとうございました。
国鉄からJRに変わってまだ浅い頃でしたね。このような映像が後世に語り繋がれてほしい🖐️🤓
ありがとうございます。古い映像ばかりですが、よろしくお願いいたします。
私は1991年に北海道へ独身最後の一人旅行に行き、キハ400の急行宗谷に乗って稚内に行きました。翌朝稚内から豊富温泉駅で降りて歩いて道道106まで出たが天候がどんよりしていたので利尻島は見えなかった思い出があります。
オマケのある出来事。札幌駅で列車を待っていると、とあるお婆さんが「稚内行はここでいいのですか?」と聞かれたので「そうや。」と言いかけたが、いやいやここは関西でなく札幌だと思い「そうです。」と返事をしました。この件ではたと思い付き、旅行を終えて会社に出勤して会社の人にこの一件を小噺風に話したら、「しょうむな」で終わったのも急行宗谷にまつわる思い出です。
私たちは地元のかたと列車内でお話したのですが、「北一ガラスは行った?」と質問されてポカーン。北海道の観光知識ほとんどなしに、ただ列車に身をおくことが幸せ、という奇妙な?旅行者でした。
とても懐かしいですね。貴重な動画ありがとうございます。
イケイケドンドンで無茶な旅をしたものです
稚内駅の旧駅舎とホームが懐かしいです。94年に自転車でのキャンプツーリングに青春18きっぷで、行きは青森まで行きフェリーで函館に渡り、帰りは稚内から2泊3日で横浜まで帰りました。高校生で急行乗るお金なく夜行快速にお世話になりましたね。ミッドナイトやムーンライトに。
古い車両を使った「カニの家」ってありましたね!
キハのアイドリング音っていいなぁ。旅情が湧いてくる。
電車でGOでも気動車ばかりやってます。
懐かしく拝見しました。私は、2000年前後に札幌から稚内まで乗りました。稚内駅に夕方到着した後、駅にいた旅館の旗を持ったおじさんの宿に投宿した思い出があります。
そうそう、朝の列車の時間まで気にしてくれて、「早く行かないと遅れるよ、ほらほら」とまるでおかんみたいに急き立てるおかみさんもいました!そんなぬくもりのある旅がありました。
1970年代の北海道の鉄道は絶対に楽しい。
わたしが初めて北海道の鉄道に触れたのは1985年でした。根室標津という駅で列車がなくなって途方に暮れた想い出があります。
大学生になった1989年=平成元年夏の終わりに北海道を旅しました。
自分がまだ小学生の頃、NHKの「みんなのうた」で「宗谷岬」という曲を見て感動し、それ以来行ってみたいと思っており、満を持して向かったのです。
上野から夜行で青森。青森から開通から日の浅い青函トンネルで函館に入り、翌日函館から特急北斗で札幌に移動し、乗り継いだのがこの急行「宗谷」でした。
6時間以上もの時間を過ごした車内、本州とは異なる北海道の雄大な景色、特に宗谷本線を北に進むにつれ人煙の絶えた大自然。それまで経験したことの無い長旅、また見たことの無い風景に心渡らされました。
そうしてたどり着いた稚内駅、バスで訪れた宗谷岬、共に「最果て」故の独特の感慨が湧き上がって来たものです。
その時の写真は残っていますが、この動画を見つけて早速見させていただき改めて懐かしく思い出しています。
素晴らしい動画をありがとうございました。そしてこの様な動画を他にも上げていたけると幸甚です。
まさに私たちもほぼ同じルートで北海道に上陸しました!台風が来るのも知らず、稚内で野宿して朝起きたら体が水没していたのも、今となってはいい想い出です。
客車時代の宗谷、天北はシベリア鉄道みたいで最高でした
まだJRになる前に稚内まで乗車しました。客席でタバコも吸えた時代でした懐かしいですね。
高校生時代、友達と少し背伸びして、初めて飲んだビールは列車の中でした。真っ赤な顔して、車掌さんには
ばれてたと思います。
1990年代、自分が95年・97年と最後の99年に利尻・礼文島旅行でJR北海道で旅行していた時期です。
その頃宗谷本線は、まだ特急は走っておらず急行が優等列車として運行していた珍しい路線でしたからね。
北斗星で札幌まで行き、1日近郊で観光しそして札幌からの夜行急行利尻で稚内まで行きました。
ただ残念なのは映像の途中、抜海からの海岸線に浮かぶ利尻富士。
天気が良ければ眺められる景色でしたがあいにくにも、自分が利用した3回ともに天気が思わしくなく、利尻富士を見れる事は出来ませんでした。
そして自分が最後の夏に利用した99年以降は、全てが特急に格上げ。
しかしその後夜行利尻も廃止に、もう二度と抜海からの(早朝の)眺めが見れないのは残念に思いました。
そうです、この時も台風が接近していて何も見えませんでした。
でも別の日に見た北海道の星空は、多分一生忘れないと思います。
ネットが発達したり、鉄道や航空機が便利になった世の中では味わえない旅の醍醐味を感じます。
国鉄車両の(特急含む)あのどことなく漂う便所臭さが好きです。
この特急や急行の赤とクリームの塗装が何とも言えません。冷房というか、天井の扇風機が懐かしい。
中島みゆきさんの「ホームにて」を思わず鼻歌で歌ってしまいました。30年前になるのですね。
私は古い歌ですが「岬めぐり」が脳裏に浮かびました。バスと列車の違いはありますが。
懐かしい動画ありがとうございます😊
ご覧いただきありがとうございます!昔の鉄道を愛する永遠の思春期の皆さん。これからもよろしくお願いします。
はじめまして。懐かしく拝見させて頂きました。
この時期自分は閑散期にしか旅行していなかったので、多客期の映像は新鮮です。
増結のキハ56も、閑散期には末端区間では空いており、キハ400よりもボックス席を占有でき優雅な鉄道旅でした。
3:00~は名寄駅の発着風景のようですが、キハ400の両数も異なり、別日に撮影されたものですかね?
最後尾の1両は改造車のキハ53-500ですが、豊富駅では映っていないことから、撮影日には名寄回転車だったものと想像します。(名寄の発着風景では連結されたまま発車していますね)
そしてなにより後半に出てくる宗谷82号、当時の夏臨が記載された道内時刻表にも記載がなく、存在を初めて知りました。
名寄から旭川まで乗車されたようですが、名寄始発だったのでしょうか?
それとも稚内から来た列車に途中から乗車されたものでしょうか。
もう少し詳しく分かればと思い、もし記憶があれば教えて頂ければと思いコメントさせて頂いた次第です。
実をいうと復路に押さえたインサートカットを挿入してあります。見る人が見ればバレちゃいますね。
ご指摘ありがとうございます。
1984から1988年の最高の思い出ですな。
名古屋からですと周遊券で道内20日間、特急、急行自由席乗り放題と、道内までの急行自由席込み、学割で冬場は28000円かな。夏は34000円かな?でした。函館ー網走の 食堂車付き82系特急の、おおとり が
存在しました。旧型客車カーペット車両とか。道内の宿泊は基本、毎日が、夜行急行、利尻、大雪、宗谷、利用して撮影ポイントに向えます、北海道への往復は、急行、583系の、きたぐに を使えて便利でした。
高校生の時きたぐにの寝台車で、友達と隠れてビールを飲んでいて車掌さんにしかられました。
懐かしい!(^^)!
丁度、高校生から社会人にかけての年代で、よく北海道へ旅をしに行っていました。がら空きのキハ56宗谷(夏は、みな冷房付きのキハ400系に集中していました)に乗り通したのもこの頃でした。
まさに青春の思い出の1ページ!
人生に行き詰まると行ってしまう北海道。あそこには心を包み込む何かがありますね。
4:33
おお神路駅跡じゃん
しかも撤去前の小屋もある
1面2線の稚内駅、さらに客車列車の宗谷
いい仕事してますなあ
褒めてもらって気恥ずかしいような…でもありがとうございます。すべては計画を立てたK君のおかげです。
なんと11番線現役!貴重な映像ありがとうございます
映像って、撮っておくべきものですね。この時の映像がまだ6時間分くらいあります。何かあるかもしれません。探してみます。
@@珍竹林アソシエーション ほんとにそうですね!11番線の映像も写真もほとんど無いので、本当に貴重なものを見させていただきました。もし他にも見つかりましたら、ぜひ公開をお願い致しますm(_ _)m
只今、サツエキ11番線ホーム
絶賛工事中!
1990年代は北海道の鉄道で最も良かった時代(自分のイメージですが…)
国鉄型の車両たちが最後の輝きを放っていた頃ですね。それこそ、JR北海道制作の車両なんて721系と785系くらいなもの。逆にこの中で現役なのはキハ54形(更新車)くらいですか?
この時期に戻りたいものですね…。
そう、世の中自体がかがやいていたバブル真っただ中。ジョイフルトレインが観光地目指して、突っ走っていました。
私はオッサンだから1980年代です😉1985年&1986年に乗り鉄しました😉「おおとり」の食堂車🍽️行きました😉第二次廃止対象線区全線&岩内線・美幸線乗りました😉(単なる自慢)
定期急行が、イケイケだった時代のJR全社。今は、定期急行は、はまなすの廃止により、地上から姿を消した。
この後網走から根室に回り、帰りは急行「まりも」ちゃんに乗りました。
90年って既に札幌は高架だったっけか。
92年に札幌に行ったときに、駅周辺がやたらとスッキリしてたのに驚いた記憶がある。
蒸機の煤のニオイがまだ残っていた地上駅舎が、急に未来に来てしまったようだった。
悪く言うと、まあどこにでもある地方都市の駅になってしまった。
80年代に佐賀駅にも同じように感じたんだよね。
まあ、佐賀駅は場所も移転してはいるんだけどね。
大阪駅もいきなり変わってしまいました。ホームの数が減って、効率よくなったのかは知れないけれど、
のんびり荷物列車が止まっているような風情は、ある時を境になくなりました。
深名線によく居たキハ53 500が頭の急行は初めて観ました。とても貴重で珍しいですね。(鉄ちゃん以外のお客さんにとってはハズレか😅)
北海道の急行は
冷房ついてなかったの
ですか?
キハ56 58 28関西や
四国でよく乗りました。
この唸る爆音の車内で
食べる駅弁は格別でした。
所定車両のキハ400は冷房化されて座席もリクライニングシートでしたが、主に多客期の増結車である元祖急行型のキハ56は元々非冷房でした。
これは製造当時は急行型でも普通車は非冷房が当たり前だったのと、比較的冷涼な北海道では冷房化改造の必要が薄かったからかと思います。
車内に漂う便所臭い独特の香りが旅情を感じさせてましたね。
@@mako-gm7me さん
四国でも、動力近代化初期に導入された、キハ55やキハ28・58の初期車は非冷房で、キハ65の投入によって
キハ28・58は冷房化改造されたので、車内にはJNRロゴ入り扇風機と、その中間に冷房ダクトがあるというカオスな状態でした。
ここはサロベツ 大平原〜
また、桃岩荘に行きたいな
また納沙布岬で野宿したいな(笑)
@@珍竹林アソシエーション 若さは特権でした。
もちろんバブル期、時代背景もよかったけど
当時は宗谷線も全線で最高速度95km/hでしたね・・・・😹
そうなんですね。ジョイント音が心地よかったです。
国鉄時代は周遊族にとってはもっと天国やったけど
私は「国鉄」が大好きです。親父の8mm(シングル8)を持ち出して撮った映像もあるのでまたお見せしますね。
懐かしいね。
今は4両編成。増結も滅多に無し。
それどころか 最近は無いが
所定の車両で走らないこともある。
利尻51号もあったね。
最近の北海道の鉄道事情はどうなっているのでしょう。鉄路自体がまばらになってしまっていて、コロナ禍もあるし
とても心配です。
我が鬼志別小学校の恩師発見!
おーキハ53連結してる!
深い知識は乏しいデshが、とにかくでこぼこした編成は妙にわくわくします。
3:00 の最後尾だね😉