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私は小学生のころ言葉がなくおそらく重度の自閉症のクラスメイトがいました。学校側からその子への特別な教育がなく、同じ授業を受けさせたけど多分その子にとって為になるものはありませんでした。私たちにとっても多様性の勉強になったとかもなく、どこかみんなその子のこと腫れ物扱いしてました。やっぱり多くのコメントの通り、健常児と同じじゃなく、その子似合った教育にするべきだと思います。
支援員がついてるならいいけれど、支援員がいない状態がないようして欲しい。同級生の負担にならない様に出来るのは、いいけど。人員不足や配置不足の為に同級生に負担を押し付けるやり方になるなら辞めて欲しい。
私が小学生の頃、障害を持っている子のお世話係になったことありますが正直大変でした…休み時間もなくなるし…😢そういう生徒が不利益を被ることがなければいいですね
それを不利益だって思わないようにするのがインクルーシブ教育。
身体障害者、内部障害者、境界知能や軽度知的障害者の人と健常者のインクルーシブ教育なら支援員は要らなくてもいい。ただ、害を及ばせる児童や生徒は隔離しないと、その他の生徒が危険。
アイツだけずるいとか言うのが一人や二人いる
まじそれ、私小学生の時に特別学級の子達と一緒に遊ぶ係みたいのやったけど知的障害?(今となってはわからん)の子に髪の毛引っ張られたりつねられたり強い力でぎゅーってされたり大変だった😅でも助け合わないといけないよなって思う。痛いのはやめてほしいけどね😊
手伝いを子供達が積極的にやるのはいいけど担任が押し付け出したらそれはインクルーシブ教育ではなく健康児の邪魔者扱いになってお互いがしんどくなるから大人の支援を大切にして欲しいです
障害者を健常者の教材として扱われていると思う。「身近にこんな子がいると、将来優しくて思いやりのある子に育つのではないか、という、健常児の為」だと思いますが、果たしてそうでしょうか。「アイツだけ先生が贔屓している」と、障害者の生徒のことを健常児がそういう認識をしてしまわないかというのが気になります。そしたらいじめとかに繋がるのではないでしょうか。インクルーシブ教育したいなら、その子のお母さんや先生がきちんとその子の障害のことを説明をしてあげて欲しい。知らないまま勘違いをして、いじめたりいじめられたりってのはある気がする。そしたら将来まともな人間が育たない。
翔ちゃんは体が不自由なだけでコミュニケーションは取れるし、知的に問題なさそうなのでいいと思います。しかし重度の障害を抱える子はやはり難しいと思う。
程度にもよると思うんだよね。ほとんど支援がないとなにも出来ないのに通常級にいるとかならその子のためにも支援学校か支援級が適正だと思う。健常の子からしたらすごく勉強になると思うけど、この仕組みをもっと広げるならきちんと支援員を配置するのが当たり前。それが出来ないならやめて欲しいなあ。
色んな人がコメントしてるけど、本当に障害の種類や程度によってインクルーシブ教育の有効性って変わると思うなあしょうたくんみたいに知的に年齢相応で筆談でのコミュニケーションが取れるお子さんであれば確かに支援学級よりもインクルーシブで通常級での時間が多い方が他の子どもの心の教育にも凄くいいし、偏見や差別も減っていくと思う(それでも胃ろうや補助もある中で通常急に自然と入れる環境を作ってる小学校は素敵だと思う)。ただ、知的に障害があったり発達障害で特定の感覚過敏が強くあるとか気持ちのコントロールの難しさが凄くあるといったコミュニケーション面で課題があるお子さんもインクルーシブに入るとなるとかなりサポートが必要。それをどの学校でも支援員が入って潤沢にサポートしていけるようにするには時間がかかると思うなあ
ある程度の基準は作って欲しいよね。この子みたいに知的にほぼ問題がなくてコミュニケーションが取れるならいいけど話も録にできない、暴れ回って奇声発するようなのがクラスにいるとほんとに迷惑でしかないから。
え、別に普通やけどみたいな返答が周りから自然に出るのがすごくいい
このままいくといいね
全員が心の底から思ってるなら良いんだけど、同調圧力でそう思い込んでる子がいるかもしれないんだから軽々しく良いなんて言わない方がいい。頭の成長が早い人程、おかしくね?って疑問が出てくる。
何にしろ、我々障害者を教材にしているように見える。
奥山佳恵さんの影響でいいイメージない。周囲のサポート体制や本人にあった教育をできる環境じゃないと受け入れられないと思う。
軽度身体・内部障害者、境界知能・軽度知的障害者⇒支援員なし身体障害者・内部障害者、中度知的障害者⇒支援員あり重度知的障害者⇒インクルーシブ教育を実施しないこれがベストな気がする
私は小学校3年から中学卒業までの間、しょうがいのある方と同じ学級で学びました。私たちは大人になるとどんどん図太くなっていきますが、子供の頃って心理的にも色々と抱える時期で、ましてやしょうがいがある子供たちは、しょうがいの程度も様々ですし、心に抱えてるものも大きく複雑なんだろうと思います。どうか良き方向へ進むことを願っています。あと、校長先生、中学3年のときの担任でした。お元気そうでなによりです!あのときも、しょうがいがあるW君と人の多い空間が苦手なK君のふたりと同じクラスになって、ふたりともそれまでより少しは居心地よさそうになってくれたようだったし、みんな揃って卒業式に出られたことは僕にとっても嬉しいことでした。副担のO先生もお元気でしょうか。僕自身も2年までは不登校気味だったんですが、3年であのクラスになってほとんど登校できました!先生、ありがとうございました。
インクルーシブ・・・素敵な日本語に変えたいです。(報道の内容と関係ないコメントでスミマセン)
@@user-gy9lc7dc1t さまへ公共……日本語の方が道徳的ですよね。行政サービスってすぐ意味わかるし。
概要欄に「包括」と書いてあります。50年前からやっていてこんなカタカナ呼び方はしていないはず。わざわざ意味不明なカタカナ言葉に置き換える意味が分かりません。カタカナ言葉に(日本語)こんな無駄な事はありません。
最近は包摂と訳されることもありますね。
僕も、特別支援学級に在籍しながら、普通学級で授業を受けています。それは僕の希望でそういう形になりました。楽しくクラスメイトと話せているのでいいかなと思います。特別支援学級と普通学級では少し隔たりができてしまう部分もあると思うので、そこはうまく配慮することが必要。そして、一人ひとりのレベルに応じた支援が必要だと思う。
1人のダメなヤツのために、莫大な税金と貴重な人手を割くことになりますね。そこまでしてまでダメなヤツに付き合う価値はあるのか?
私も特別支援学級に在籍していました。実技は普通学級で、それ以外は特別支援学級で受けていました。確かに、どうしても隔たりは出来てしまうことはあると思います。(勉強が難しくて追いつけなかったり、どうしても出来ないことがあったりなど)そういう隔たりがサポートを受けたり、配慮を受けられたら少し隔たりの差がなくなりそうだと思ってます。一人一人に合わせた勉強や配慮があればもっと学校が楽しいと思える学生が増えると思います。コメ主さんも学生生活楽しんでください。
@@山田太郎-t8u4u ダメなやつじゃなくて1人の人間として尊重されるべきです。義務教育で、皆が平等に教育を受けられることが大切です。
@@taiseimiyazaki3928 もちろんダメな成績をとったやつはダメな待遇をあてがうべき。障害の有無問わずね。
@@ひろな-p1i 1人1人に合わせた勉強や配慮?寝言は寝て言え。そんなの実現する金はどうすんだよ。1人の障害児に1人の先生をあてがって、1人の障害児に金かけてそいつ専用の施設作れってか?そんでそいつは障害が治るわけ?将来納税できるようになるわけ?
障害者を受け入れるのはいいけど障害の程度は考慮したほうがいいと思います
程度によって線引きができるならいいけど、重度な障害者は責任の所在が不明だしやめてほしい
支援員がいる状態ならいい環境だと思う誰かの生徒に押し付けることをしなければ賛成かなただ障害の重さで線引きはして欲しい
学力でも線引きは必要だ。ろくに勉強しないくせに授業妨害するヤツなんかいらない。ダメなやつのために、優等生が窮屈な思いをすることがあってはいけない。置いてけぼりは、置いてかれるそいつが悪い。
@@山田太郎-t8u4u 学力も3クラスぐらいに分けた方が勉強得意不得意の人達にとって良い環境にはなりそうですよね私自身小学校では算数のみクラス分けしましたが中学ではクラス分けがいつの間にか無くなり、小学校の勉強さえ怪しい子、先生に構って貰いたくて雑談に持っていこうとしたり、適当な答えを言って先生や周りから面白いと思われたい欲求が強い子が数人いましたが、そのせいか実力テストでは全教科全国平均より1番高くても10点下回るとんでもないバカ公立中になってましたね····今でもあの学校生活必要だったのか?と疑問に思います
@@うぱー-t1z 私の学校は公立のくせに軍隊のような学校でしたね。障害児は人間ゴミ箱と、男子たちがバカにしていたのを覚えています。テスト重視で、点数で何もかも決まります。良い成績をとれば良い待遇や環境を得られて、悪い点数なら晒し者にされます。保護者や教師からあの子はダメだ等言われるのが、子供ながらに傷つきましたね。うちは貧乏だから大学は国立しか許さないからな!バカ学校いくなら働け!や、テストの点数や成績のことばかりガミガミ言われて育ちましたわ。 軍隊ばりの集団行動も、少ない教室や教材をやりくりしたり、少ない先生で多くの生徒を見るという点では効率的だとは思いますけどね。甘やかしすぎるのも、人格を否定して厳しくするのも、極端はダメですわな。中庸が良いと思うけど、それも難しいんでしょうね。
うちの小学校もこのやり方だったな。色々なタイプの障がいの子がいたけど、クラスメイトたちは大人が言うほど気にしていないんだよね。面倒見のいい子もいるし、無関心な子もいるし性格なんだろうな。そして自分が大人になってからこういう経験が出来た事はすごく良かったんだと気づいた。
こういう経験をした結果、医療へ関心が向き、知能も範囲内で将来お医者様か看護師様になれた人がいたらそれはその人にとっても、その保護者、家族、将来の配偶者、産まれてくるかもしれないその子供にとっては大変有意義な時間を過ごせた事になる。
本人が、普通学校にいくのと、養護学校にいく選択はあるだろうが、養護学校のカリキュラムは、将来、障害のある子が自立できる、しっかりしたカリキュラム設定されてます。養護学校は、特化した技術を習させて、きちんと自立できるように、就職に向けて努力されてます。差別だなんて違いますよ。親はきちんと考えてるんだろうか。
そこですよ、親のエゴに付き合わされている感もないことはない。親としては「社会性を学ばせる為にいいと思う」のだろうが、本人がどう思っているかとか、能力に合った指導を受けることが大切だとか考えて欲しい。それに、「これも出来ない、あれも出来ない」となってその子の自己肯定感が失われたら、社会性どころの話じゃないですよ。
障害がある僕は、小学校と中学校(中2くらいまで)は普通級にいることが多かったです。小学校では思いませんでしたが、中学校では普通級に居づらかったし嫌だったといえばそうかもしれません。健常者・定型発達とともにしていくことを諦めるような感じでしましたし大人になってからの今もそういう所あると思います。小さいうちから理解のある健常者・定型発達の人たちとともにしていくことで障がい者本人のためにも健常者・定型発達の人たちのためにもなると思います。
居辛かったのは私もそうです。いつも除け者、腫れ物扱いだった気がする。
インクルーシブ教育、50年前から!?結構長くやってるんですね、驚きです。
私は20数年前に特殊学校を卒業しました。その特殊学校のなかては軽い障害に分類さらる状態だったのである意味この手伝う側でした。小さい学校で長く一緒にいるのでこの子はこれは大変だないう事がわかってくるの周りにが自然に声をかけて上げていしました。校内の掃除は単純に障害の重軽を無視して学年の生徒数と場所数だけ学校側が分けてしまうの終わらないクラスがでて来てしまうので軽度の生徒の多いクラスの生徒が重度の生徒いるクラスの場所に手伝いに行ったりとか、生徒の間の調整で分担箇所そのもの軽度の多いクラスで担当するようしたりしていました。
確かに良さもあるだろう。でも、教員の人材不足や過剰なサービス化での多忙を無視してこう言う子達をクラスに受け入れる負担を綺麗事として強いるのはやめてほしい。この学校のことを否定する気はないが、丁寧に、事故がないように、誰も取りこぼさないようにするには、あまりに人手が足りない。
人手は足りないし実際問題「誰かが取り残されることがないように」みたいなのは絶対無理。だとしたら障害者本人もまわりの子達も、お互いによくないと思います。差別をする為に支援学校があるわけではなく、障害があってもその子に合ったやり方をした方が出来ることも多いに決まってる。そしたらまわりの子供の負担がなくなる。支援学校があるのはその為です。実際問題私も楽しくなかった。目が悪いからボールを使った競技はボールが見えないから出来なくて、体育嫌いでした。盲学校に入って目が悪い人の野球やバレーをして、「私ってスポーツ出来るんだ、体育楽しい」って思いました。
大学生とか教育実習生とかアルバイトみたいに支援員として入るのはどうだろう。絶対人手不足になるし、学生にとってもいい勉強。
私は交流学級という支援学級の子ができる教科だけ来る学級で学びました理由を納得するまで聞いてきたり、静かにしてほしい時に喋ってしまったりしてただめんどくさいとしか思いませんでした他の人も支えようとは思わないし、実際何か行動するときに邪魔になるような時が多くて、誰か一人がお世話して自分のやることをやってで、児童のやることが更に増えたと思いました。また、他の人と競う場でも人が多くなったが能力自体は低いので有利、不利で話し合いになることもありました。勝手にクラス分けで交流学級になってただ障がい者が可哀想だからお世話してあげてっていう本来の目的とはずれるのでは?と思いました。児童、保護者が交流学級は嫌と言えるようにしてほしかったです、性格が悪いといえばそれでおわりますが。読みづらい長文失礼しました
色んな取り組みがあるのですね🌈✨とても、勉強になりました🌸
偉い人の思いつき&現場への丸投げインクルーシブめっちゃいいやん!じゃあ後は現場でよろしく!
呑気な奴の多い事。軽度の身体障害であればよいが、知的障害者は区別すべき。実際に小中と知的障害者がクラスにいたが、窓から物投げる、奇声を発する、女の子の机を彫刻刀でズタズタにして泣かす。もちろん障害者であるから先生もほとんど注意はできません。俺は男だからいいが、女の子なんて怖くてたまらなかったろね。トランスジェンダーしかり女性の社会進出しかり、最近はマイノリティに配慮してマジョリティの権利が侵害されたり、逆差別が目立っている。障害者の周囲や支援者も平等にしろというが逆差別には文句無し。
同意見です。頭の中お花畑の方が多くてびっくりしました。このシステムは小学校1年の時だけが限界かな。幼稚園保育園で多少教えてくれるのは別として、一律スタートが成り立ってるのは小1くらいではないですかね?時が経つにつれてクラス内でも優劣はついてくる事を実感するし中学になると競争する機会が増えるので、その時誰かが取り残されない様にという甘さで自分が転落していって不登校になる事だってある。世の中差がつくことはある事を早くから教えた方がいい。
他の方もコメントされてるように、やはり年相応のコミュニケーションを取れるかどうかが鍵だと思う。例えば知的やASDを持っている子が授業中や休み時間にパニックになって頭を壁にぶつけたり泣き叫んでいるのを見て「個性なので認めてあげましょう!」は無理がある。障害者一人のためにクラスの健常者皆が我慢しなきゃならなくなる。コミュニケーションが取れずに自傷、他害をする障害者を周りの健常者はいちクラスメイトとして考えることは出来るのだろうか。精神障害知的障害は度合いにもよるけどインクルーシブ教育によってより分断されるんじゃないかと思ってしまう。
オーストラリアでは、子供に合った場所で教育を受けさせないといけないそう。現場の先生、生徒の負担はある。
普通学級と特別支援学級、インクルーシブ教育の3つから、生徒が選べるようになればいいのにね多様性を尊重
豊中市の小学校で娘がインクルーシブで普通級に通っています。年度ごとですが選べます。・普通級、・特別支援学級、・インクルーシブ、・通級(勉強についていけなかったりコミュニケーションが苦手な子のための放課後の授業)が子供に合った環境を選べます。
これ小学校だからこそピュアだからこそみんな考えてくれるし、良い機会だよね!大人になってからも理解は必要だから少しずつしておくべきだとは思う。
私は地域に障がいのある人が普通にいて、一緒に遊んだりして育ちました。結果、何の抵抗もなく大人になれました。手を貸すことが普通だと思えるのはそのためです。他の生徒のためにも非常によい教育だと思います。
授業が大変そう特に小学校は、低学年の時は勉強がそこまで難しく無いけど学年が進級して公立の小学校でも中学校の受験をする方がいたりすると教員がとても大変そうだし、学級担任だけでは補う事が難しそう。
我が子の小学校はサポートも付いてますよ!ただ、今の時代、発達の子も我が子の学校には多く支援級も私の頃から整っていて今、増えたけど、それでもサポートの支援する先生は少ないからクラスに数人いても1人しかクラスに付かないから暴れる子もいるから、周りの子が大変になるから副校長先生を呼んだりもするみたいです!学級だけでは難しいですよね💦💦
先生の負担エグそう
6:32 文科省が正しいだろこれは
しょうたくんの保護者のような、職員に感謝する姿がいいな!と思います。私の知り合いの学校には、障害者に学校が合わせるべきとか、もっと障害の啓蒙活動をやるべきだと支援学級の保護者が、朝登校時に、教師や支援員に何時間も話していたそうです。その間、障害児童は支援学級で暴れていたみたいで…😢
そんなに熱心なら自治体の議員に立候補すればいいのにと思います。
うわぁ~😅同じクラスにいるだけでも嫌だ
うーん、「感謝する」というのはちょっと賛同しづらいかもしれません。地域によって、学校によって、障害に対する理解はすごく差があります。団塊世代がどんどん抜けていく&教員志望の激減もあって、合理的配慮という言葉すら知らない先生もいる。このお母さんも、「うちの子に障害があって申し訳ございません。地域の学校に行きたいだなんて願ってすみません。」と傷ついてしまうような対応の学校だったら、同じような態度になったかもしれませんし。
「感謝」とは少し違う様な…。なのでその支援学級の保護者さんの言うことも分かる気がします。「障害者であるうちの子にペースを合わせて下さい」とまでは思いませんが、インクルーシブ教育をやるからには、障害者側に合わせるということも出て来ると思うんです。「翔ちゃんとバスケがしたい」という意見があったからみんなで考えて翔ちゃんでも出来るルールを子供達は考えた訳ですよね。それって、「翔ちゃん側に合わせた」意見ですよね。この動画の子供達は単純に「翔ちゃんとやりたいからルールを変えるのは当たり前」と思ってるのかも知れないし、それならそれでもいいですけど、もしも「なんで特別ルールに変えないといけないの」とか「翔ちゃんだけ贔屓されてる」というふうに考える子供もいるかも知れないですよね。理想論だけでは駄目だと思いますよ。障害があってもなくてもおんなじようにするんなら、オリンピックもパラリンピックも一緒にすればいい。
身体も精神も知的も重度も軽度も全部「障がい」という言葉で一括りにすること自体に無理がある。この動画はかなりうまく行っている例で、テレビに映せないような大変な例こそ取材してほしい。
当たり前のことだが、素晴らしい👏当たり前が当たり前でなくなっているのが、今の日本社会🇯🇵
みんな優しいな
小学校金そんなねえから
それに、運動得意な子供の能力が伸びなくなる
この関係がもつのは小学校卒業まででしょうね
身体のほうは全く構わないけど知的は絶対に嫌だな。
年齢相応に発達してるか?スムーズにコミュニケーションできるか?は本当に大事
健常者共に学べるのは障害者雇用で働いた時に健常者と一緒に働くときにいい。但し、精神発達知的身体障害。難病、疾患など色々あるから度数によりそうです。支援員は配置して。
支援員の配置は甘え。企業は金を稼ぐところ。
私自身も障害者雇用ですが…知的障害と働いて病んだ事があります。正直なところ、会社には知的とそれ以外は住み分けして欲しい…してるところもあるようですが。
支援員いないと自己対処で処理できる健常者とは違いトラブル起きた時かなり大変な目に遭うよ
@@白黒パピヨン普及協会 ですよね住み分けは必須
翔くんの場合は知的に問題もないから通常級で良いと思うけど我が子の学年には発達障害の子が結構いてクラスの中でも浮いた存在の子もいて一年生の時に親のプライドでサポート付けなかった親もいて担任も毎日のように蹴られて叩かれて、お友達には暴言吐く子もいて我が子も暴言吐かれて行くの嫌って言う時もありましたね💦💦今3年で一年の時に同じクラスだった、もう1人の発達の子と同じクラスになってしまい授業中も机に足を乗せて、お腹痛いからと給食時にパンイチになってしまって担任も怒るらしいけど、凄いらしく、その子は何でダメなのかが分からない子や重い子は集団生活なんだから無理な子については支援級に行って欲しいと思う!
うらやましーなぁ。発達知的障害で、先生にムチャクチャな体罰を受け、クラスに毎日壮絶なイジメれれてたから、桜塚小学校へ行きたかったなああ😭
障害者のお手伝いという名の強制労働をさせられたことがあるのでやめた方がいい
単純なことではなく、長所短所はあると思うけど、世の中の弱者を煙たく思うような人が多い中、いろんなハンディがある人がいて、その人を理解し、助け合うという考えを育てる意味ではこういう環境は悪くないと思う。
たいへん、、でも勉強を出来るなんて、なんてうれしい事だろうか!!
8:36将棋の豊島さん、ここの卒業生だったのでしょうか。
Good video
普通の子でも飛び級・留年含めた習熟度別授業にした方が良いと思ってるので、インクルーシブは断固反対。共生社会なんて綺麗事だし、非現実的…良くて共存くらいがちょうど良いと思う。
概ね賛成です。国際競争勝ち抜くにはギフテッドに力入れないといけないのにね。そんな余裕日本にはないのにね。
私も反対派の意見です。障害者目線で考えたら、インクルーシブ教育をしたとて、言うほどいいことあるんですかね。私は視覚障害がありますが地元の小学校に行きました。でも小学校では出来ないことが多くて、悔しい思いをたくさんしました。その子その子によって出来ることが違う中で、「みんな一緒にやりましょう」というのは、出来ない子にとっては酷なことですよ。中学の時も体育の授業でバドミントンのシャトルが見えない中、サーブの練習とかさせられました。そんな辛い思い、悔しい思いをするのはその子にとって何かメリットがありますかね。もっと言うと、健常の子に取っては障害者に小さい時から触れ合えるのがいいんだろうけど、障害の子に辛い思いをさせてまで、そんなことをする必要はありますかね。
生まれつき難聴ですが、地域の学校に行ってました。やはりみんなとは発達が遅れてる部分があったので、勉強があまり出来ませんでした。みんなと一緒に!というよりは落第制度があると良かったな…って思ったりします。人それぞれ能力、発達が違うと思います。肢体不自由でも乙武くんのような人だったら、飛び級出来るといいですよね〜
発達障害があります。他の子と違うと気づかれていましたが、病院受診は親が断固拒否通常級に配慮アリで入っていたもののコミュニケーションの苦手さや感覚過敏の影響でインクルーシブには無理がありました。やはり、共生は難しい場合も多々ありますね。
@@あみ-i1w 障害を持っている人間は、努力では改善出来ない「出来ないこと」がたくさんありますもんね。一般の人間なら努力で何とかなることでも、障害者だと出来ない場合がたくさんああります。わたしは視覚障害で距離感が分からないのと、ものを立体的に見ることが出来ないので、例えば跳び箱やハードルは出来ませんでした。周りの子達にからかわれていじめられて、学校では嫌な思いをたくさんしました。「見えない」から出来ない、ただ下手くそなだけなら練習したら程度の差はあれいくらか上手になりましょうが、努力してもどうにもならないことでいじめに遭うのは悔しいですよ。
体育の授業でルール変えるのはねー
公立小で健常者の子どもたちがこういう経験ができるのは大切でいい経験だと思う
健常児の子にとってはそうでしょうね、小さいうちから障害者と触れ合うという点では。でも当事者はどう思っているのか気にもなりますけどね。
いい経験?随分簡単に言うんだね。そういう子がいたから行事ごとに何も勝てない、あの子は障がいを持っているから仕方ない。健常者が我慢しろ。健常者が合わせろ。これがいい経験ですか?笑えてきますね
教育の趣旨はええんだけどインクルーシブって英語なんとかならん?一般的日本人は言葉を聞いただけではなんのことだかわからんし。 ヤングケアラーって聞いた時もヘレンケラーの知り合いか?っておもったし。 もう少しわかりやすい日本語に変える努力をしてほしい。
それは教養がないやろ笑笑ヤング→幼い、若いケアラー→careの名詞。
どこかの知事と一緒でわざわざ分かりにくいカタカナ言葉に変換してはぐらかそうとしてる様に思います。若年介護者や未成年介護者って言えばいいものを。
わろたw
一緒に勉強したり一緒に遊べるルールを考えて行動することは「介護」ではないのでは...わかりやすい日本語があれば、それをあてがうことに異論はないですけど。
なんて素晴らしい教育ですね
障害あるとか普通だとか、人が、困ってるなら支えたり、助け合うのが本当の普通。
障害者は納税者に何をどれだけ返してくれるんですか?
@@山田太郎-t8u4u お金で買えない心のパワーをくれます。だって五体満足な人は、当たり前の事が、できます。
@@mikakano3728 心のパワーってなんですか?ぼくはもらってませんし、ほしいとも思いません。もらうともらわないのとで、どのような違いがありますか?莫大な税金をかける価値はありませんね。
@@山田太郎-t8u4u一度、ご自身が骨折などの大怪我を経験されたらいかがでしょうか?少しは障がいのある方の気持ちがお分かりになるかもしれません😅
@@えイじ ぼくも骨折の経験がありますけど?
インクルーシブ教育というものを、恥ずかしながらはじめて知りました。全国全地域に広がるといいなぁと感じました。
特別支援の教員は普通学級の教員より給料が高い。しかし、これでは仕事量が普通がの教員の10分の1にも満たないだろう。
差別することは、第三者が区別するように意識すること。区別するもしないも当事者が決めること→選択すること
中学の時は育成と通常行き来してたな、、受ける授業の時は通常、受けないやつは育成ってしてたわ
ミナミ桜島小学校?どこだろう?
ってか、文部科学省がああいうなら通常校児童を任意で特別支援に入れればいいやん、そういうことじゃダメなの、だって支援級が合理的配慮面をサポートしてくてるから成り立つんでしょ。僕も当事者で地元校いってたけど、支援校無しで行ってたからそこの小学校がサポーターも全部雇ってた。いまだにわからないのがなぜ分ける。結局は文部がいいたいのは家庭でヘルパーを雇うか学校で何とかしろということです。僕は今大学生で行けてるのは大学が授業サポート支援者を雇ってくれているから。
下の者に合わせるって道徳的には素晴らしいんだろうけど教育的にはダメなんだろうな。
何が上で何が下なんですか?動画ではそのようなことを言っていないと思いますが・・・・。
バスケットでボールに一度も触れなかった子が「下」だと思います。ルール変わっちゃってるから。
ダメなやつのために、上のやつの成長を妨害してはいけない。ダメなやつはダメなそいつが悪い。集団生活に自力でついてこれないやつは集団にいる価値はない。
日本の悪しき文化の象徴ですよね。出来ない人に合わせる事で何人の天才を凡人にしてきたのだろうか、、、
チョークのキィーって音は嫌だ
知的障害じゃなかったらいいと思う知的障害は叫ぶから集中できん
知的障害の人がみんな叫ぶわけではないですが
軽度は叫ばんから大丈夫や。都内のBF大生(軽度知的障害が多いと有名)が街中で幼児みたいに暴れ叫ぶところを見たことがあるか?
コイツと同じクラスです。普通に叫びます
一応言っておくけど叫ぶのは重度だけやで
47人の障害児に対して支援学級の担任は何人いるんだろう。しょうたくんは知的に遅れがなさそうだから国語や算数の時間は一人で頑張ってねって送り出せるけどそうじゃない子もいるし、その子たち全員各クラスの授業に参加させるなら大人がマンツーマンでつけないよね。この学校はうまく回ってるのかもしれないけど、ずっと普通級にいるなら支援級になんで籍があるの?って文科省の言い分もわかる。綺麗事抜きに、教師不足が深刻な現状、加配の支援員でもいいところは加配にしないと先生が全然足りなくなる。どこの学校だって「専門的な知識を持った支援級の担任」を求めてる。
随分否定的なんだな。迷惑って何だろう?子供達って意外と当たり前に受け入れてるよ。娘の学校も受け入れたけど、学校側からその子達への協力を強制されたことはなかったです。
翔ちゃんもバスケに参加が出来るように翔ちゃんに合わせてみんなでルールを変えてプレーをするっていうのは正直羨ましいなぁと思いました。「誰かが取り残されることがないように」っていう考え方は羨ましいです。私は障害を持ちながら普通校に通いましたが、体育の時間とかスポーツの時とか何の時もそうだけど、「あなた出来ないのね、じゃぁ先生に手伝ってもらいなさい」みたいな感じで、いつも友達から仲間外れだったように記憶しています。
学校を卒業して、社会に出れば色々な障がいを持った(病気含む)方々と生活する事になるから、幼保園や小学校などを共に過ごせるのは、本当に自然と障がい者との付き合い方が分かるからここの学校の仕組みは凄く素敵で良い取り組みだと思います。なぜ、特別支援学校が必要なのか?とこの学校をみたら思いました。通常の学校の中に特別員を配置して行けば社会との関わり方が幼いうちから分かると思いました❤
障害者サイドからみた考えですが、何故支援学校があるのか、その答えはシンプルですよ。障害に合った日常生活の送り方を教わる為です。目が悪い、耳が悪い、足が悪いその他色々あるでしょうが、「悪い部分を他でどういうふうに補うか」というそのやり方を教わるのですよ。目がよかったら目で見て「ここにご飯がある、こっちにお味噌汁がある」がすぐに分かります。しかし目が悪いと手で触って、お味噌汁やご飯の位置を確かめなければいけません。他もそうですよね。足が悪ければ車椅子を上手に使うこと、耳が悪ければコミュニケーションの方法を学びます。インクルーシブ教育は周りの健常児にはいい経験かも知れませんが、「出来ないことをどう補って上手に生活していくか」ということは学べないと思います。周りにいい影響があるだけで、その子が1人で生きて行く為には、支援学校を選ぶべきだと思います。普通学校と違って、勉強だけ教わるところではないのです。生き方を教わるのです。障害児に専属のスタッフを付けたところでそれらが全部学べるとは思えません。
中学にあがったときはどうなるのか、どういう方向になるのか、その後を描かないと全体像が把握しにくいと感じました。確かに小学校は素晴らしく、共に学び助け合う、このことは素晴らしく続いてほしいと思います。けれとも中学はどうなんでしょうか。180度違う教育を受けてしまわないかと懸念します。というのも、ある関西の地域では中学に入ると小学生ではこのように差別化せず学ぶことをしてくれていても進学と同時にその道は閉ざされまるで完全な隔離になってしまっているからです。最初から勉強は必要ないとされ、教科書で学習する機会は与えられることはなくカリキュラムとしては最低限の小学低学年の絵本のようなものを使っての学習。完全なる隔離、高い高い壁を作ることを余儀なくされているからです。文科省の通達もしかり。学習をしたいならどんな理由があろうとも通常クラスでしか在籍を許されない、という現実があります。せっかく小学校が素晴らしい教育理念の元でされていても、進学先の方向性如何で矛先が変わるのは非常に残念です。ですので、進学先のその後をやはり教えてほしいと感じました。
親御さんには申し訳ないがこれに関しては無理があり過ぎる。インクルーシブ教育には反対しないがある程度自分で動ける、等の基準を設けないと悪平等になる。あと文科省に限った話では無いが官僚共と役人は頭固すぎなのと世間を知らないから絶対に期待してはならない。国民一人一人が出来る行動で変えていく事だ。「一身独立して一国独立」 この言葉を忘れてはならない。
本来は健常者と身体・内部障害者、健常者と境界知能(ギリ健)・軽度知的障害という目的なんだろうな。当たり前のように街中に溶けんでいて気づかれにくいし、特に知識が薄いギリ健や知的に関しては「どれだけ頑張っても出来ない人」がいることを知っておくべき。とはいえ、彼らはモンスターと違って健常者に危害を加えない。そこの判断力はある。インクルーシブ教育の本来の願いは重度知的ではなく、軽度知的障害なのでは。重度知的は専門員に任せておくべき。子供で管理しろとか危険すぎ。
この子みたいに会話が成立する子なら平気だけど、精神的なのを持ってる子は破綻しそう
ビックリ、かんげき。翔太くんが参加するのを全員が思ってくれるって、、涙が出るなああ。
障害がある人を施設に閉じ込め、社会から隔離するのは良くないと思っていました。様々な配慮が必要になるとは思いますが、お互いに幸せに、一緒に生活できる社会になってほしいです✨✨
障害児にとって、普通校に通えるっていうのは必ずしも幸せとは限りませんよ。この子は車椅子でみんなとおんなじように動けないから他のお友達はバスケのルールをみんなで話し合っていたけど、例えば視覚や聴覚の障害はどうですか?将来的に目が見えなくなるかも知れない、あるいは今時点で全盲の子が、1人で料理や掃除や全て出来るようになるには盲学校で訓練をしなければならない。今はお母さんやお父さんに見守られているけど、どうやったって親の方が先に死ぬんだから、その後の生活とかも考えないといけないと思います。遠い未来の話かも知れないけど、盲学校って国語や算数の他にも生きる為の料理や掃除、洗濯などといった「訓練」をする場でもあるんです。健常の子は国語や算数だけやってればいいけど、障害者はそうはいかないんです。それでも幸せだと言えるんですかね。
@@葛城藍子それは今現在の日本の在り方がそうだからですよ。これが当たり前になれば人々の考え方も変わっていくのです。子供の頃から障害者と触れ合うことを今までは当たり前にしてこなかったので、それをあまり経験していない大人が障害者を差別しまくってるではないですか。ちなみに私の職場は精神障害者を積極的に採用しています。健常者のように上手くはいきませんが、個々の障害に合った仕事を振り分け負担のない範囲でやってもらっています。障害、病気関係なくこの世に生を受けた以上は生きていかなきゃならんし、その人達が少しでも生きやすいようにしていくのが健常者の役目です。自分もいつ病気や障害を負うか分かりませんよ。そうなったらどう生きたいですか?考えてみてください。
まあ物は言いようだよね
これって…身体障害者だけなんだよな…発達障害に対応できる仕組みにしないと…真のインクルーシブにはならない…知的障害にも対応できる仕組みができたら、隠れグレーゾーンの子どもたちにとっても良い効果が期待できると思う日本の義務教育の内容の精選も必要だと思いますね。義務教育段階でここまでの知識が必要か?スマホアプリで通訳できる時代に英語教育に時間を割く必要がどこまであるのか?本当に必要最低限の内容に精選すれば、知的障害でも軽度な子どもはもう少し取りこぼされずにすむ可能性もあるのでは?
本当に良いことだと思います。重度の障害であれば補助も確実についていただけるしありがたいです。問題は、軽微な場合には補助がなく担任が全てやること。
うん❤
私は、小学校時代の時は、普通学級と支援学校の両方に名前がありました。国語と数学だけ支援学校でやっていました国語と数学以外の授業は、普通学級で受けていました
は?小学校で数学って頭が良いアピールですか?w
かなこのプーさんブッスw
普通の人と、障害の人とが同じクラスで、習うことができたらいいですね。私も、保育園、小学校まで、普通の人と、一緒に習っていました。🤗
クラスメートが優しいのは素晴らしい‼️
お手伝いをしてるね
しっかり勉強を頑張ろうね。
うーん、これはお上の言うことはもっともだけど、それに該当しない例外の話を見せられてるということか?この映像では支援学級の先生がサポートしてるようには見受けられない。支援員の人でもなく、サポートは生徒がしてる。文科省の言い分での、支援学級の担任の先生がサポート業務と自分の業務でのオーバーワークに苦しむ様子がない。つまり、文科省の指導せんとする案件に該当しないのだから、独自の路線として残せるんじゃないか?無理にお上の指示に合わせるようなことをせず、自治体の独自の解釈のもと、このままでいいのでは?ようわからんのは、なして特例を映して、本来の指導の趣旨の忙しさに苦しむ特別支援学級の担任の先生の姿をうつさないのか?ということ。お上の言うことはもっともなんだもん。
文科省課長は現場に行ったことないのかな??教員ではないから書類だけを見て行政をやってるのが丸わかり。
インクルーシブ教員ねえwお母さん以外みんな不幸にしか見えないわ
つぼみ
障碍者と体育とか罰ゲームだな
こー言うルール?みんなで作っていったり、仲間はずれないようなとこげ、いいですね。うちの子もインクルーシブねらってます。ハンデと言い方したくないけど、普通にできるとこを普通学級でやらしていきたいですねできないこと、むずかしいことを支援は、たのみたいところだけどね。
最悪な親だな、あんたの自己満で他所様を巻き込むなよ。大人しく特別支援行かせた方が不幸が減る。
勉強できないヤツは来るな。そこに障害の有無は関係ない。
#朝日新聞#JR神戸線.大阪〜網干間の快速が利用者削減へ#毎日新聞.もう閑散過ぎるやK.G大阪痛い、あまりボイコット関学生ボイコット過ぎる、#産経新聞追いつめられた利用減少を続く関西学院の学生は西宮駅まで利用制限が続く快速米原行きが不適切過ぎる、
心失者とか会話にならないやつと一緒とかもう刑務所ですやんきょうかいちのう
これなら支援員も必要ないですね。障害児の世話は全て児童にやらせれば良い
ほんとに言ってるのかそれ。。
@@花粉症-w4w皮肉だよ。
こういう取り組みは早く普及すべき日本の課題です。障害や病気でも自分らしく尊厳を持って生きることがどれだけ大切か、みなさん分かりますか?今とても生きにくい社会にしているのは紛れもく自分たちです。障害や病気を負ったとしても、差別されない世の中になれば、健常者にとっても生きやすくなるんですよ。障害者は社会の片隅に追いやられひっそりと生きなきゃいけないのですか?それは私は違うと思いますよ。障害の程度にもよりますが軽度でしたら普通に会社で働く機会もあって良いと思います。清掃業、単純作業などは高齢者やパート主婦ではなく、障害者の仕事にすべきではと私は思っています。健常者が障害者の生きる権利を根こそぎ奪って良い権利はないのです。その人達にもできる役割を与えて人間らしく生きる居場所を作っていかなくてはならない。人間社会というのは弱肉強食の自然界とは違います。誰にでも自分らしく生きる権利があるのです。人間はみんな弱い。だから助け合うのです。日本は欧米や北欧諸国から比べてもその辺はだいぶ遅れています。先進国なのに恥ずかしいことです。障害者教育や支援に力を入れたからって国が滅びるわけではない。諸外国を見ても分かる通りです。
国は予算削りたいばっかり。支援員の方が資格いらないから安いもんね〜。資格いらないぶん、“子どもをつなぐ”視点がない支援員さんめっちゃ多い。子どもたちのとっさの指導って教員じゃないとできないこと多いよ。インクルーシブ教育 ↓ 脱・施設 ↓普通に地域に障がい者がいる一緒にいるって大切。
私は小学生のころ言葉がなくおそらく重度の自閉症のクラスメイトがいました。学校側からその子への特別な教育がなく、同じ授業を受けさせたけど多分その子にとって為になるものはありませんでした。私たちにとっても多様性の勉強になったとかもなく、どこかみんなその子のこと腫れ物扱いしてました。やっぱり多くのコメントの通り、健常児と同じじゃなく、その子似合った教育にするべきだと思います。
支援員がついてるならいいけれど、支援員がいない状態がないようして欲しい。
同級生の負担にならない様に出来るのは、いいけど。人員不足や配置不足の為に同級生に負担を押し付けるやり方になるなら辞めて欲しい。
私が小学生の頃、障害を持っている子のお世話係になったことありますが
正直大変でした…休み時間もなくなるし…😢そういう生徒が不利益を被ることがなければいいですね
それを不利益だって思わないようにするのがインクルーシブ教育。
身体障害者、内部障害者、境界知能や軽度知的障害者の人と健常者のインクルーシブ教育なら支援員は要らなくてもいい。
ただ、害を及ばせる児童や生徒は隔離しないと、その他の生徒が危険。
アイツだけずるいとか言うのが一人や二人いる
まじそれ、私小学生の時に特別学級の子達と一緒に遊ぶ係みたいのやったけど
知的障害?(今となってはわからん)の子に髪の毛引っ張られたりつねられたり
強い力でぎゅーってされたり大変だった😅
でも助け合わないといけないよなって思う。痛いのはやめてほしいけどね😊
手伝いを子供達が積極的にやるのはいいけど担任が押し付け出したらそれはインクルーシブ教育ではなく健康児の邪魔者扱いになってお互いがしんどくなるから大人の支援を大切にして欲しいです
障害者を健常者の教材として扱われていると思う。
「身近にこんな子がいると、将来優しくて思いやりのある子に育つのではないか、という、健常児の為」だと思いますが、果たしてそうでしょうか。
「アイツだけ先生が贔屓している」と、障害者の生徒のことを健常児がそういう認識をしてしまわないかというのが気になります。
そしたらいじめとかに繋がるのではないでしょうか。
インクルーシブ教育したいなら、その子のお母さんや先生がきちんとその子の障害のことを説明をしてあげて欲しい。
知らないまま勘違いをして、いじめたりいじめられたりってのはある気がする。
そしたら将来まともな人間が育たない。
翔ちゃんは体が不自由なだけでコミュニケーションは取れるし、知的に問題なさそうなのでいいと思います。しかし重度の障害を抱える子はやはり難しいと思う。
程度にもよると思うんだよね。
ほとんど支援がないとなにも出来ないのに通常級にいるとかならその子のためにも支援学校か支援級が適正だと思う。
健常の子からしたらすごく勉強になると思うけど、この仕組みをもっと広げるならきちんと支援員を配置するのが当たり前。それが出来ないならやめて欲しいなあ。
色んな人がコメントしてるけど、本当に障害の種類や程度によってインクルーシブ教育の有効性って変わると思うなあ
しょうたくんみたいに知的に年齢相応で筆談でのコミュニケーションが取れるお子さんであれば確かに支援学級よりもインクルーシブで通常級での時間が多い方が他の子どもの心の教育にも凄くいいし、偏見や差別も減っていくと思う(それでも胃ろうや補助もある中で通常急に自然と入れる環境を作ってる小学校は素敵だと思う)。
ただ、知的に障害があったり発達障害で特定の感覚過敏が強くあるとか気持ちのコントロールの難しさが凄くあるといったコミュニケーション面で課題があるお子さんもインクルーシブに入るとなるとかなりサポートが必要。それをどの学校でも支援員が入って潤沢にサポートしていけるようにするには時間がかかると思うなあ
ある程度の基準は作って欲しいよね。この子みたいに知的にほぼ問題がなくてコミュニケーションが取れるならいいけど話も録にできない、暴れ回って奇声発するようなのがクラスにいるとほんとに迷惑でしかないから。
え、別に普通やけど
みたいな返答が周りから自然に出るのがすごくいい
このままいくといいね
全員が心の底から思ってるなら良いんだけど、同調圧力でそう思い込んでる子がいるかもしれないんだから軽々しく良いなんて言わない方がいい。
頭の成長が早い人程、おかしくね?って疑問が出てくる。
何にしろ、我々障害者を教材にしているように見える。
奥山佳恵さんの影響でいいイメージない。
周囲のサポート体制や本人にあった教育をできる環境じゃないと受け入れられないと思う。
軽度身体・内部障害者、境界知能・軽度知的障害者⇒支援員なし
身体障害者・内部障害者、中度知的障害者⇒支援員あり
重度知的障害者⇒インクルーシブ教育を実施しない
これがベストな気がする
私は小学校3年から中学卒業までの間、しょうがいのある方と同じ学級で学びました。
私たちは大人になるとどんどん図太くなっていきますが、子供の頃って心理的にも色々と抱える時期で、ましてやしょうがいがある子供たちは、しょうがいの程度も様々ですし、心に抱えてるものも大きく複雑なんだろうと思います。
どうか良き方向へ進むことを願っています。
あと、校長先生、中学3年のときの担任でした。お元気そうでなによりです!あのときも、しょうがいがあるW君と人の多い空間が苦手なK君のふたりと同じクラスになって、ふたりともそれまでより少しは居心地よさそうになってくれたようだったし、みんな揃って卒業式に出られたことは僕にとっても嬉しいことでした。副担のO先生もお元気でしょうか。僕自身も2年までは不登校気味だったんですが、3年であのクラスになってほとんど登校できました!
先生、ありがとうございました。
インクルーシブ・・・
素敵な日本語に変えたいです。
(報道の内容と関係ないコメントでスミマセン)
@@user-gy9lc7dc1t さまへ
公共……
日本語の方が道徳的ですよね。
行政サービスってすぐ意味わかるし。
概要欄に「包括」と書いてあります。50年前からやっていてこんなカタカナ呼び方はしていないはず。わざわざ意味不明なカタカナ言葉に置き換える意味が分かりません。カタカナ言葉に(日本語)こんな無駄な事はありません。
最近は包摂と訳されることもありますね。
僕も、特別支援学級に在籍しながら、普通学級で授業を受けています。
それは僕の希望でそういう形になりました。
楽しくクラスメイトと話せているのでいいかなと思います。
特別支援学級と普通学級では少し隔たりができてしまう部分もあると思うので、そこはうまく配慮することが必要。そして、一人ひとりのレベルに応じた支援が必要だと思う。
1人のダメなヤツのために、莫大な税金と貴重な人手を割くことになりますね。
そこまでしてまでダメなヤツに付き合う価値はあるのか?
私も特別支援学級に在籍していました。実技は普通学級で、それ以外は特別支援学級で受けていました。
確かに、どうしても隔たりは出来てしまうことはあると思います。(勉強が難しくて追いつけなかったり、どうしても出来ないことがあったりなど)
そういう隔たりがサポートを受けたり、配慮を受けられたら少し隔たりの差がなくなりそうだと思ってます。
一人一人に合わせた勉強や配慮があればもっと学校が楽しいと思える学生が増えると思います。
コメ主さんも学生生活楽しんでください。
@@山田太郎-t8u4u ダメなやつじゃなくて1人の人間として尊重されるべきです。
義務教育で、皆が平等に教育を受けられることが大切です。
@@taiseimiyazaki3928
もちろんダメな成績をとったやつはダメな待遇をあてがうべき。
障害の有無問わずね。
@@ひろな-p1i
1人1人に合わせた勉強や配慮?寝言は寝て言え。そんなの実現する金はどうすんだよ。
1人の障害児に1人の先生をあてがって、1人の障害児に金かけてそいつ専用の施設作れってか?
そんでそいつは障害が治るわけ?将来納税できるようになるわけ?
障害者を受け入れるのはいいけど障害の程度は考慮したほうがいいと思います
程度によって線引きができるならいいけど、重度な障害者は責任の所在が不明だしやめてほしい
支援員がいる状態ならいい環境だと思う
誰かの生徒に押し付けることをしなければ賛成かな
ただ障害の重さで線引きはして欲しい
学力でも線引きは必要だ。
ろくに勉強しないくせに授業妨害するヤツなんかいらない。
ダメなやつのために、優等生が窮屈な思いをすることがあってはいけない。
置いてけぼりは、置いてかれるそいつが悪い。
@@山田太郎-t8u4u 学力も3クラスぐらいに分けた方が勉強得意不得意の人達にとって良い環境にはなりそうですよね
私自身小学校では算数のみクラス分けしましたが中学ではクラス分けがいつの間にか無くなり、小学校の勉強さえ怪しい子、先生に構って貰いたくて雑談に持っていこうとしたり、適当な答えを言って先生や周りから面白いと思われたい欲求が強い子が数人いましたが、そのせいか実力テストでは全教科全国平均より1番高くても10点下回るとんでもないバカ公立中になってましたね····
今でもあの学校生活必要だったのか?と疑問に思います
@@うぱー-t1z
私の学校は公立のくせに軍隊のような学校でしたね。障害児は人間ゴミ箱と、男子たちがバカにしていたのを覚えています。
テスト重視で、点数で何もかも決まります。良い成績をとれば良い待遇や環境を得られて、悪い点数なら晒し者にされます。保護者や教師からあの子はダメだ等言われるのが、子供ながらに傷つきましたね。うちは貧乏だから大学は国立しか許さないからな!バカ学校いくなら働け!や、テストの点数や成績のことばかりガミガミ言われて育ちましたわ。
軍隊ばりの集団行動も、少ない教室や教材をやりくりしたり、少ない先生で多くの生徒を見るという点では効率的だとは思いますけどね。甘やかしすぎるのも、人格を否定して厳しくするのも、極端はダメですわな。中庸が良いと思うけど、それも難しいんでしょうね。
うちの小学校もこのやり方だったな。
色々なタイプの障がいの子がいたけど、クラスメイトたちは大人が言うほど気にしていないんだよね。
面倒見のいい子もいるし、無関心な子もいるし性格なんだろうな。
そして自分が大人になってからこういう経験が出来た事はすごく良かったんだと気づいた。
こういう経験をした結果、医療へ関心が向き、知能も範囲内で将来お医者様か看護師様になれた人がいたらそれはその人にとっても、その保護者、家族、将来の配偶者、産まれてくるかもしれないその子供にとっては大変有意義な時間を過ごせた事になる。
本人が、普通学校にいくのと、養護学校にいく選択はあるだろうが、養護学校のカリキュラムは、将来、障害のある子が自立できる、しっかりしたカリキュラム設定されてます。
養護学校は、特化した技術を習させて、きちんと自立できるように、就職に向けて努力されてます。
差別だなんて違いますよ。親はきちんと考えてるんだろうか。
そこですよ、親のエゴに付き合わされている感もないことはない。
親としては「社会性を学ばせる為にいいと思う」のだろうが、本人がどう思っているかとか、能力に合った指導を受けることが大切だとか考えて欲しい。
それに、「これも出来ない、あれも出来ない」となってその子の自己肯定感が失われたら、社会性どころの話じゃないですよ。
障害がある僕は、小学校と中学校(中2くらいまで)は普通級にいることが多かったです。
小学校では思いませんでしたが、中学校では普通級に居づらかったし嫌だったといえばそうかもしれません。
健常者・定型発達とともにしていくことを諦めるような感じでしましたし
大人になってからの今もそういう所あると思います。
小さいうちから理解のある健常者・定型発達の人たちとともにしていくことで
障がい者本人のためにも健常者・定型発達の人たちのためにもなると思います。
居辛かったのは私もそうです。
いつも除け者、腫れ物扱いだった気がする。
インクルーシブ教育、50年前から!?
結構長くやってるんですね、驚きです。
私は20数年前に特殊学校を卒業しました。
その特殊学校のなかては軽い障害に分類さらる状態だったのである意味この手伝う側でした。小さい学校で長く一緒にいるのでこの子はこれは大変だないう事がわかってくるの周りにが自然に声をかけて上げていしました。校内の掃除は単純に障害の重軽を無視して学年の生徒数と場所数だけ学校側が分けてしまうの終わらないクラスがでて来てしまうので軽度の生徒の多いクラスの生徒が重度の生徒いるクラスの場所に手伝いに行ったりとか、生徒の間の調整で分担箇所そのもの軽度の多いクラスで担当するようしたりしていました。
確かに良さもあるだろう。でも、教員の人材不足や過剰なサービス化での多忙を無視してこう言う子達をクラスに受け入れる負担を綺麗事として強いるのはやめてほしい。この学校のことを否定する気はないが、丁寧に、事故がないように、誰も取りこぼさないようにするには、あまりに人手が足りない。
人手は足りないし実際問題「誰かが取り残されることがないように」みたいなのは絶対無理。
だとしたら障害者本人もまわりの子達も、お互いによくないと思います。
差別をする為に支援学校があるわけではなく、障害があってもその子に合ったやり方をした方が出来ることも多いに決まってる。
そしたらまわりの子供の負担がなくなる。
支援学校があるのはその為です。
実際問題私も楽しくなかった。
目が悪いからボールを使った競技はボールが見えないから出来なくて、体育嫌いでした。
盲学校に入って目が悪い人の野球やバレーをして、「私ってスポーツ出来るんだ、体育楽しい」って思いました。
大学生とか教育実習生とかアルバイトみたいに支援員として入るのはどうだろう。絶対人手不足になるし、学生にとってもいい勉強。
私は交流学級という支援学級の子ができる教科だけ来る学級で学びました
理由を納得するまで聞いてきたり、静かにしてほしい時に喋ってしまったりしてただめんどくさいとしか思いませんでした
他の人も支えようとは思わないし、実際何か行動するときに邪魔になるような時が多くて、誰か一人がお世話して自分のやることをやってで、児童のやることが更に増えたと思いました。また、他の人と競う場でも人が多くなったが能力自体は低いので有利、不利で話し合いになることもありました。
勝手にクラス分けで交流学級になってただ障がい者が可哀想だからお世話してあげてっていう本来の目的とはずれるのでは?と思いました。児童、保護者が交流学級は嫌と言えるようにしてほしかったです、性格が悪いといえばそれでおわりますが。
読みづらい長文失礼しました
色んな取り組みがあるのですね🌈✨とても、勉強になりました🌸
偉い人の思いつき&現場への丸投げ
インクルーシブめっちゃいいやん!
じゃあ後は現場でよろしく!
呑気な奴の多い事。
軽度の身体障害であればよいが、知的障害者は区別すべき。実際に小中と知的障害者がクラスにいたが、窓から物投げる、奇声を発する、女の子の机を彫刻刀でズタズタにして泣かす。もちろん障害者であるから先生もほとんど注意はできません。俺は男だからいいが、女の子なんて怖くてたまらなかったろね。
トランスジェンダーしかり女性の社会進出しかり、最近はマイノリティに配慮してマジョリティの権利が侵害されたり、逆差別が目立っている。
障害者の周囲や支援者も平等にしろというが逆差別には文句無し。
同意見です。頭の中お花畑の方が多くてびっくりしました。
このシステムは小学校1年の時だけが限界かな。幼稚園保育園で多少教えてくれるのは別として、一律スタートが成り立ってるのは小1くらいではないですかね?
時が経つにつれてクラス内でも優劣はついてくる事を実感するし
中学になると競争する機会が増えるので、その時誰かが取り残されない様にという甘さで自分が転落していって不登校になる事だってある。
世の中差がつくことはある事を早くから教えた方がいい。
他の方もコメントされてるように、やはり年相応のコミュニケーションを取れるかどうかが鍵だと思う。
例えば知的やASDを持っている子が授業中や休み時間にパニックになって頭を壁にぶつけたり泣き叫んでいるのを見て「個性なので認めてあげましょう!」は無理がある。障害者一人のためにクラスの健常者皆が我慢しなきゃならなくなる。
コミュニケーションが取れずに自傷、他害をする障害者を周りの健常者はいちクラスメイトとして考えることは出来るのだろうか。
精神障害知的障害は度合いにもよるけどインクルーシブ教育によってより分断されるんじゃないかと思ってしまう。
オーストラリアでは、子供に合った場所で教育を受けさせないといけないそう。現場の先生、生徒の負担はある。
普通学級と特別支援学級、インクルーシブ教育の3つから、生徒が選べるようになればいいのにね
多様性を尊重
豊中市の小学校で娘がインクルーシブで普通級に通っています。年度ごとですが選べます。・普通級、・特別支援学級、・インクルーシブ、・通級(勉強についていけなかったりコミュニケーションが苦手な子のための放課後の授業)
が子供に合った環境を選べます。
これ小学校だからこそピュアだからこそみんな考えてくれるし、良い機会だよね!
大人になってからも理解は必要だから少しずつしておくべきだとは思う。
私は地域に障がいのある人が普通にいて、一緒に遊んだりして育ちました。結果、何の抵抗もなく大人になれました。手を貸すことが普通だと思えるのはそのためです。他の生徒のためにも非常によい教育だと思います。
授業が大変そう特に小学校は、低学年の時は勉強がそこまで難しく無いけど学年が進級して公立の小学校でも中学校の受験をする方がいたりすると教員がとても大変そうだし、学級担任だけでは補う事が難しそう。
我が子の小学校はサポートも付いてますよ!
ただ、今の時代、発達の子も我が子の学校には多く支援級も私の頃から整っていて今、増えたけど、それでもサポートの支援する先生は少ないからクラスに数人いても1人しかクラスに付かないから暴れる子もいるから、周りの子が大変になるから副校長先生を呼んだりもするみたいです!
学級だけでは難しいですよね💦💦
先生の負担エグそう
6:32 文科省が正しいだろこれは
しょうたくんの保護者のような、職員に感謝する姿がいいな!と思います。私の知り合いの学校には、障害者に学校が合わせるべきとか、もっと障害の啓蒙活動をやるべきだと支援学級の保護者が、朝登校時に、教師や支援員に何時間も話していたそうです。
その間、障害児童は支援学級で暴れていたみたいで…😢
そんなに熱心なら自治体の議員に立候補すればいいのにと思います。
うわぁ~😅同じクラスにいるだけでも嫌だ
うーん、「感謝する」というのはちょっと賛同しづらいかもしれません。
地域によって、学校によって、障害に対する理解はすごく差があります。
団塊世代がどんどん抜けていく&教員志望の激減もあって、合理的配慮という言葉すら知らない先生もいる。
このお母さんも、「うちの子に障害があって申し訳ございません。地域の学校に行きたいだなんて願ってすみません。」と傷ついてしまうような対応の学校だったら、同じような態度になったかもしれませんし。
「感謝」とは少し違う様な…。
なのでその支援学級の保護者さんの言うことも分かる気がします。
「障害者であるうちの子にペースを合わせて下さい」とまでは思いませんが、インクルーシブ教育をやるからには、障害者側に合わせるということも出て来ると思うんです。
「翔ちゃんとバスケがしたい」という意見があったからみんなで考えて翔ちゃんでも出来るルールを子供達は考えた訳ですよね。
それって、「翔ちゃん側に合わせた」意見ですよね。
この動画の子供達は単純に「翔ちゃんとやりたいからルールを変えるのは当たり前」と思ってるのかも知れないし、それならそれでもいいですけど、もしも「なんで特別ルールに変えないといけないの」とか「翔ちゃんだけ贔屓されてる」というふうに考える子供もいるかも知れないですよね。
理想論だけでは駄目だと思いますよ。
障害があってもなくてもおんなじようにするんなら、オリンピックもパラリンピックも一緒にすればいい。
身体も精神も知的も重度も軽度も全部「障がい」という言葉で一括りにすること自体に無理がある。
この動画はかなりうまく行っている例で、テレビに映せないような大変な例こそ取材してほしい。
当たり前のことだが、素晴らしい👏
当たり前が当たり前でなくなっているのが、今の日本社会🇯🇵
みんな優しいな
小学校金そんなねえから
それに、運動得意な子供の能力が伸びなくなる
この関係がもつのは小学校卒業まででしょうね
身体のほうは全く構わないけど知的は絶対に嫌だな。
年齢相応に発達してるか?スムーズにコミュニケーションできるか?は本当に大事
健常者共に学べるのは障害者雇用で働いた時に健常者と一緒に働くときにいい。但し、精神発達知的身体障害。難病、疾患など色々あるから度数によりそうです。支援員は配置して。
支援員の配置は甘え。
企業は金を稼ぐところ。
私自身も障害者雇用ですが…知的障害と働いて病んだ事があります。
正直なところ、会社には知的とそれ以外は住み分けして欲しい…してるところもあるようですが。
支援員いないと自己対処で処理できる健常者とは違いトラブル起きた時かなり大変な目に遭うよ
@@白黒パピヨン普及協会 ですよね
住み分けは必須
翔くんの場合は知的に問題もないから通常級で良いと思うけど我が子の学年には発達障害の子が結構いてクラスの中でも浮いた存在の子もいて一年生の時に親のプライドでサポート付けなかった親もいて担任も毎日のように蹴られて叩かれて、お友達には暴言吐く子もいて我が子も暴言吐かれて行くの嫌って言う時もありましたね💦💦
今3年で一年の時に同じクラスだった、もう1人の発達の子と同じクラスになってしまい授業中も机に足を乗せて、お腹痛いからと給食時にパンイチになってしまって担任も怒るらしいけど、凄いらしく、その子は何でダメなのかが分からない子や重い子は集団生活なんだから無理な子については支援級に行って欲しいと思う!
うらやましーなぁ。発達知的障害で、先生にムチャクチャな体罰を受け、クラスに毎日壮絶なイジメれれてたから、桜塚小学校へ行きたかったなああ😭
障害者のお手伝いという名の強制労働をさせられたことがあるのでやめた方がいい
単純なことではなく、長所短所はあると思うけど、世の中の弱者を煙たく思うような人が多い中、いろんなハンディがある人がいて、その人を理解し、助け合うという考えを育てる意味ではこういう環境は悪くないと思う。
たいへん、、でも勉強を出来るなんて、なんてうれしい事だろうか!!
8:36
将棋の豊島さん、ここの卒業生だったのでしょうか。
Good video
普通の子でも飛び級・留年含めた習熟度別授業にした方が良いと思ってるので、インクルーシブは断固反対。
共生社会なんて綺麗事だし、非現実的…良くて共存くらいがちょうど良いと思う。
概ね賛成です。国際競争勝ち抜くにはギフテッドに力入れないといけないのにね。そんな余裕日本にはないのにね。
私も反対派の意見です。
障害者目線で考えたら、インクルーシブ教育をしたとて、言うほどいいことあるんですかね。
私は視覚障害がありますが地元の小学校に行きました。
でも小学校では出来ないことが多くて、悔しい思いをたくさんしました。
その子その子によって出来ることが違う中で、「みんな一緒にやりましょう」というのは、出来ない子にとっては酷なことですよ。
中学の時も体育の授業でバドミントンのシャトルが見えない中、サーブの練習とかさせられました。
そんな辛い思い、悔しい思いをするのはその子にとって何かメリットがありますかね。
もっと言うと、健常の子に取っては障害者に小さい時から触れ合えるのがいいんだろうけど、障害の子に辛い思いをさせてまで、そんなことをする必要はありますかね。
生まれつき難聴ですが、地域の学校に行ってました。
やはりみんなとは発達が遅れてる部分があったので、勉強があまり出来ませんでした。みんなと一緒に!というよりは落第制度があると良かったな…って思ったりします。
人それぞれ能力、発達が違うと思います。
肢体不自由でも乙武くんのような人だったら、飛び級出来るといいですよね〜
発達障害があります。
他の子と違うと気づかれていましたが、病院受診は親が断固拒否
通常級に配慮アリで入っていたもののコミュニケーションの苦手さや感覚過敏の影響でインクルーシブには無理がありました。
やはり、共生は難しい場合も多々ありますね。
@@あみ-i1w 障害を持っている人間は、努力では改善出来ない「出来ないこと」がたくさんありますもんね。
一般の人間なら努力で何とかなることでも、障害者だと出来ない場合がたくさんああります。
わたしは視覚障害で距離感が分からないのと、ものを立体的に見ることが出来ないので、例えば跳び箱やハードルは出来ませんでした。周りの子達にからかわれていじめられて、学校では嫌な思いをたくさんしました。
「見えない」から出来ない、ただ下手くそなだけなら練習したら程度の差はあれいくらか上手になりましょうが、努力してもどうにもならないことでいじめに遭うのは悔しいですよ。
体育の授業でルール変えるのはねー
公立小で健常者の子どもたちが
こういう経験ができるのは大切でいい経験だと思う
健常児の子にとってはそうでしょうね、小さいうちから障害者と触れ合うという点では。
でも当事者はどう思っているのか気にもなりますけどね。
いい経験?随分簡単に言うんだね。そういう子がいたから行事ごとに何も勝てない、あの子は障がいを持っているから仕方ない。健常者が我慢しろ。健常者が合わせろ。これがいい経験ですか?笑えてきますね
教育の趣旨はええんだけど
インクルーシブって英語なんとかならん?
一般的日本人は言葉を聞いただけではなんのことだかわからんし。
ヤングケアラーって聞いた時も
ヘレンケラーの知り合いか?っておもったし。
もう少しわかりやすい日本語に変える努力をしてほしい。
それは教養がないやろ笑笑
ヤング→幼い、若い
ケアラー→careの名詞。
どこかの知事と一緒でわざわざ分かりにくいカタカナ言葉に変換してはぐらかそうとしてる様に思います。若年介護者や未成年介護者って言えばいいものを。
わろたw
一緒に勉強したり一緒に遊べるルールを考えて行動することは「介護」ではないのでは...
わかりやすい日本語があれば、それをあてがうことに異論はないですけど。
なんて素晴らしい教育ですね
障害あるとか普通だとか、人が、困ってるなら支えたり、助け合うのが本当の普通。
障害者は納税者に何をどれだけ返してくれるんですか?
@@山田太郎-t8u4u お金で買えない心のパワーをくれます。だって五体満足な人は、当たり前の事が、できます。
@@mikakano3728
心のパワーってなんですか?
ぼくはもらってませんし、ほしいとも思いません。
もらうともらわないのとで、どのような違いがありますか?莫大な税金をかける価値はありませんね。
@@山田太郎-t8u4u
一度、ご自身が骨折などの大怪我を経験されたらいかがでしょうか?少しは障がいのある方の気持ちがお分かりになるかもしれません😅
@@えイじ
ぼくも骨折の経験がありますけど?
インクルーシブ教育というものを、恥ずかしながらはじめて知りました。全国全地域に広がるといいなぁと感じました。
特別支援の教員は普通学級の教員より給料が高い。しかし、これでは仕事量が普通がの教員の10分の1にも満たないだろう。
差別することは、第三者が区別するように意識すること。
区別するもしないも当事者が決めること→選択すること
中学の時は育成と通常行き来してたな、、受ける授業の時は通常、受けないやつは育成ってしてたわ
ミナミ桜島小学校?どこだろう?
ってか、文部科学省がああいうなら通常校児童を任意で特別支援に入れればいいやん、そういうことじゃダメなの、だって支援級が合理的配慮面をサポートしてくてるから成り立つんでしょ。僕も当事者で地元校いってたけど、支援校無しで行ってたからそこの小学校がサポーターも全部雇ってた。いまだにわからないのがなぜ分ける。
結局は文部がいいたいのは家庭でヘルパーを雇うか学校で何とかしろということです。僕は今大学生で行けてるのは大学が授業サポート支援者を雇ってくれているから。
下の者に合わせるって道徳的には素晴らしいんだろうけど教育的にはダメなんだろうな。
何が上で何が下なんですか?
動画ではそのようなことを言っていないと思いますが・・・・。
バスケットでボールに一度も触れなかった子が「下」だと思います。
ルール変わっちゃってるから。
ダメなやつのために、上のやつの成長を妨害してはいけない。
ダメなやつはダメなそいつが悪い。集団生活に自力でついてこれないやつは集団にいる価値はない。
日本の悪しき文化の象徴ですよね。
出来ない人に合わせる事で何人の天才を凡人にしてきたのだろうか、、、
チョークのキィーって音は嫌だ
知的障害じゃなかったらいいと思う
知的障害は叫ぶから集中できん
知的障害の人がみんな叫ぶわけではないですが
軽度は叫ばんから大丈夫や。
都内のBF大生(軽度知的障害が多いと有名)が街中で幼児みたいに暴れ叫ぶところを見たことがあるか?
コイツと同じクラスです。普通に叫びます
一応言っておくけど叫ぶのは重度だけやで
47人の障害児に対して支援学級の担任は何人いるんだろう。
しょうたくんは知的に遅れがなさそうだから国語や算数の時間は一人で頑張ってねって送り出せるけどそうじゃない子もいるし、その子たち全員各クラスの授業に参加させるなら大人がマンツーマンでつけないよね。
この学校はうまく回ってるのかもしれないけど、ずっと普通級にいるなら支援級になんで籍があるの?って文科省の言い分もわかる。綺麗事抜きに、教師不足が深刻な現状、加配の支援員でもいいところは加配にしないと先生が全然足りなくなる。
どこの学校だって「専門的な知識を持った支援級の担任」を求めてる。
随分否定的なんだな。迷惑って何だろう?子供達って意外と当たり前に受け入れてるよ。娘の学校も受け入れたけど、学校側からその子達への協力を強制されたことはなかったです。
翔ちゃんもバスケに参加が出来るように翔ちゃんに合わせてみんなでルールを変えてプレーをするっていうのは正直羨ましいなぁと思いました。
「誰かが取り残されることがないように」っていう考え方は羨ましいです。
私は障害を持ちながら普通校に通いましたが、体育の時間とかスポーツの時とか何の時もそうだけど、「あなた出来ないのね、じゃぁ先生に手伝ってもらいなさい」みたいな感じで、いつも友達から仲間外れだったように記憶しています。
学校を卒業して、社会に出れば色々な障がいを持った(病気含む)方々と生活する事になるから、幼保園や小学校などを共に過ごせるのは、本当に自然と障がい者との付き合い方が分かるからここの学校の仕組みは凄く素敵で良い取り組みだと思います。
なぜ、特別支援学校が必要なのか?とこの学校をみたら思いました。
通常の学校の中に特別員を配置して行けば社会との関わり方が幼いうちから分かると思いました❤
障害者サイドからみた考えですが、何故支援学校があるのか、その答えはシンプルですよ。
障害に合った日常生活の送り方を教わる為です。
目が悪い、耳が悪い、足が悪いその他色々あるでしょうが、「悪い部分を他でどういうふうに補うか」というそのやり方を教わるのですよ。
目がよかったら目で見て「ここにご飯がある、こっちにお味噌汁がある」がすぐに分かります。
しかし目が悪いと手で触って、お味噌汁やご飯の位置を確かめなければいけません。
他もそうですよね。
足が悪ければ車椅子を上手に使うこと、耳が悪ければコミュニケーションの方法を学びます。
インクルーシブ教育は周りの健常児にはいい経験かも知れませんが、「出来ないことをどう補って上手に生活していくか」ということは学べないと思います。
周りにいい影響があるだけで、その子が1人で生きて行く為には、支援学校を選ぶべきだと思います。
普通学校と違って、勉強だけ教わるところではないのです。生き方を教わるのです。
障害児に専属のスタッフを付けたところでそれらが全部学べるとは思えません。
中学にあがったときはどうなるのか、どういう方向になるのか、その後を描かないと全体像が把握しにくいと感じました。確かに小学校は素晴らしく、共に学び助け合う、このことは素晴らしく続いてほしいと思います。けれとも中学はどうなんでしょうか。180度違う教育を受けてしまわないかと懸念します。
というのも、ある関西の地域では中学に入ると小学生ではこのように差別化せず学ぶことをしてくれていても進学と同時にその道は閉ざされまるで完全な隔離になってしまっているからです。
最初から勉強は必要ないとされ、教科書で学習する機会は与えられることはなくカリキュラムとしては最低限の小学低学年の絵本のようなものを使っての学習。
完全なる隔離、高い高い壁を作ることを余儀なくされているからです。文科省の通達もしかり。学習をしたいならどんな理由があろうとも通常クラスでしか在籍を許されない、という現実があります。
せっかく小学校が素晴らしい教育理念の元でされていても、進学先の方向性如何で矛先が変わるのは非常に残念です。
ですので、進学先のその後をやはり教えてほしいと感じました。
親御さんには申し訳ないがこれに関しては無理があり過ぎる。
インクルーシブ教育には反対しないがある程度自分で動ける、等の基準を設けないと
悪平等になる。あと文科省に限った話では無いが官僚共と役人は頭固すぎなのと世間を知らないから絶対に期待してはならない。国民一人一人が出来る行動で変えていく事だ。
「一身独立して一国独立」 この言葉を忘れてはならない。
本来は健常者と身体・内部障害者、健常者と境界知能(ギリ健)・軽度知的障害という目的なんだろうな。
当たり前のように街中に溶けんでいて気づかれにくいし、特に知識が薄いギリ健や知的に関しては「どれだけ頑張っても出来ない人」がいることを知っておくべき。とはいえ、彼らはモンスターと違って健常者に危害を加えない。そこの判断力はある。インクルーシブ教育の本来の願いは重度知的ではなく、軽度知的障害なのでは。
重度知的は専門員に任せておくべき。子供で管理しろとか危険すぎ。
この子みたいに会話が成立する子なら平気だけど、精神的なのを持ってる子は破綻しそう
ビックリ、かんげき。翔太くんが参加するのを全員が思ってくれるって、、涙が出るなああ。
障害がある人を施設に閉じ込め、社会から隔離するのは良くないと思っていました。様々な配慮が必要になるとは思いますが、お互いに幸せに、一緒に生活できる社会になってほしいです✨✨
障害児にとって、普通校に通えるっていうのは必ずしも幸せとは限りませんよ。
この子は車椅子でみんなとおんなじように動けないから他のお友達はバスケのルールをみんなで話し合っていたけど、例えば視覚や聴覚の障害はどうですか?
将来的に目が見えなくなるかも知れない、あるいは今時点で全盲の子が、1人で料理や掃除や全て出来るようになるには盲学校で訓練をしなければならない。
今はお母さんやお父さんに見守られているけど、どうやったって親の方が先に死ぬんだから、その後の生活とかも考えないといけないと思います。
遠い未来の話かも知れないけど、盲学校って国語や算数の他にも生きる為の料理や掃除、洗濯などといった「訓練」をする場でもあるんです。
健常の子は国語や算数だけやってればいいけど、障害者はそうはいかないんです。
それでも幸せだと言えるんですかね。
@@葛城藍子
それは今現在の日本の在り方がそうだからですよ。
これが当たり前になれば人々の考え方も変わっていくのです。
子供の頃から障害者と触れ合うことを今までは当たり前にしてこなかったので、それをあまり経験していない大人が障害者を差別しまくってるではないですか。
ちなみに私の職場は精神障害者を積極的に採用しています。
健常者のように上手くはいきませんが、個々の障害に合った仕事を振り分け負担のない範囲でやってもらっています。
障害、病気関係なくこの世に生を受けた以上は生きていかなきゃならんし、その人達が少しでも生きやすいようにしていくのが健常者の役目です。
自分もいつ病気や障害を負うか分かりませんよ。そうなったらどう生きたいですか?考えてみてください。
まあ物は言いようだよね
これって…身体障害者だけなんだよな…
発達障害に対応できる仕組みにしないと…真のインクルーシブにはならない…
知的障害にも対応できる仕組みができたら、隠れグレーゾーンの子どもたちにとっても良い効果が期待できると思う
日本の義務教育の内容の精選も必要だと思いますね。義務教育段階でここまでの知識が必要か?
スマホアプリで通訳できる時代に英語教育に時間を割く必要がどこまであるのか?本当に必要最低限の内容に精選すれば、知的障害でも軽度な子どもはもう少し取りこぼされずにすむ可能性もあるのでは?
本当に良いことだと思います。重度の障害であれば補助も確実についていただけるしありがたいです。問題は、軽微な場合には補助がなく担任が全てやること。
うん❤
私は、小学校時代の時は、普通学級と支援学校の両方に名前がありました。
国語と数学だけ支援学校でやっていました
国語と数学以外の授業は、普通学級で受けていました
は?
小学校で数学って頭が良いアピールですか?w
かなこのプーさんブッスw
普通の人と、障害の人とが同じクラスで、習うことができたらいいですね。私も、保育園、小学校まで、普通の人と、一緒に習っていました。🤗
クラスメートが優しいのは素晴らしい‼️
お手伝いをしてるね
しっかり勉強を頑張ろうね。
うーん、これはお上の言うことはもっともだけど、それに該当しない例外の話を見せられてるということか?
この映像では支援学級の先生がサポートしてるようには見受けられない。
支援員の人でもなく、サポートは生徒がしてる。
文科省の言い分での、支援学級の担任の先生がサポート業務と自分の業務でのオーバーワークに苦しむ様子がない。
つまり、文科省の指導せんとする案件に該当しないのだから、独自の路線として残せるんじゃないか?無理にお上の指示に合わせるようなことをせず、自治体の独自の解釈のもと、このままでいいのでは?
ようわからんのは、なして特例を映して、本来の指導の趣旨の忙しさに苦しむ特別支援学級の担任の先生の姿をうつさないのか?ということ。お上の言うことはもっともなんだもん。
文科省課長は現場に行ったことないのかな??教員ではないから書類だけを見て行政をやってるのが丸わかり。
インクルーシブ教員ねえw
お母さん以外みんな不幸にしか見えないわ
つぼみ
障碍者と体育とか罰ゲームだな
こー言うルール?みんなで作っていったり、仲間はずれないようなとこげ、いいですね。
うちの子もインクルーシブねらってます。ハンデと言い方したくないけど、普通にできるとこを普通学級でやらしていきたいですね
できないこと、むずかしいことを支援は、たのみたいところだけどね。
最悪な親だな、あんたの自己満で他所様を巻き込むなよ。
大人しく特別支援行かせた方が不幸が減る。
勉強できないヤツは来るな。
そこに障害の有無は関係ない。
#朝日新聞
#JR神戸線.大阪〜網干間の快速が利用者削減へ
#毎日新聞.もう閑散過ぎるやK.G大阪
痛い、あまりボイコット関学生ボイコット過ぎる、
#産経新聞
追いつめられた利用減少を続く
関西学院の学生は西宮駅まで
利用制限が続く快速米原行きが
不適切過ぎる、
心失者とか会話にならないやつと一緒とかもう刑務所ですやん
きょうかいちのう
これなら支援員も必要ないですね。障害児の世話は全て児童にやらせれば良い
ほんとに言ってるのかそれ。。
@@花粉症-w4w皮肉だよ。
こういう取り組みは早く普及すべき日本の課題です。
障害や病気でも自分らしく尊厳を持って生きることがどれだけ大切か、みなさん分かりますか?
今とても生きにくい社会にしているのは紛れもく自分たちです。
障害や病気を負ったとしても、差別されない世の中になれば、健常者にとっても生きやすくなるんですよ。
障害者は社会の片隅に追いやられひっそりと生きなきゃいけないのですか?
それは私は違うと思いますよ。
障害の程度にもよりますが軽度でしたら普通に会社で働く機会もあって良いと思います。
清掃業、単純作業などは高齢者やパート主婦ではなく、障害者の仕事にすべきではと私は思っています。
健常者が障害者の生きる権利を根こそぎ奪って良い権利はないのです。
その人達にもできる役割を与えて人間らしく生きる居場所を作っていかなくてはならない。
人間社会というのは弱肉強食の自然界とは違います。誰にでも自分らしく生きる権利があるのです。
人間はみんな弱い。だから助け合うのです。
日本は欧米や北欧諸国から比べてもその辺はだいぶ遅れています。
先進国なのに恥ずかしいことです。
障害者教育や支援に力を入れたからって国が滅びるわけではない。諸外国を見ても分かる通りです。
国は予算削りたいばっかり。
支援員の方が資格いらないから安いもんね〜。資格いらないぶん、“子どもをつなぐ”視点がない支援員さんめっちゃ多い。
子どもたちのとっさの指導って教員じゃないとできないこと多いよ。
インクルーシブ教育
↓
脱・施設
↓
普通に地域に障がい者がいる
一緒にいるって大切。
つぼみ