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かずきくんは本当に周囲の人に恵まれていると思います。残念なことにこの世の中はこんなにいい人ばかりではないし、他の方もコメントしているように教員の労働環境や設備整備や補助教員、看護師を雇う費用などまだまだ課題はあるとは思いますが障害者本人はもちろん、周囲の人にも良い影響をたくさん与えると思います。環境がしっかりと整備されて少しでもインクルーシブ教育が広がって行くことを願っています。
他害がなく、穏やか。酷すぎる奇声もなく、物も壊さない。しかも可愛いくて家も綺麗。本人も小綺麗。稀なケース。
他害があるかどうかなんて、一緒の学級にいたわけでもないのにわからないでしょう。実際クラスメートは、授業中に変な声を発したこともあると言っているし。ただ、障害に対して理解ある先生や級友に囲まれていたから、障害の程度が徐々に変化したことは考えられる。最初からこのように穏やかな性格だったとは思えない。もちろんすべての障害者に当てはまるわけではないけれど、周囲の環境がいかに大事かを示唆するケースではあると思う。
凄く素敵だと思う反面、これは「上手くいった例」にすぎない。兄が発達障害抱えてて、近くで見てきたからこそ分かるけど綺麗事ばかりじゃどうにもならない。
綺麗事ばかりじゃない事をこっちも容認する事が必要ですよ。いろんな人が同じ空間にいて、容認してくれる人もいるし、そうでない人もいる。その中で、虐めや差別でない対応とか一緒に活きていく方法を体験して、お互い学んでいくことが必要だと思いますよ。
@@kingyochankingyochan2719 その「容認」のコストをなぜ他の生徒が払わないといけないんですか?私はASDですが準備不足で障害者を健常者の中に突然入れるほうがよほど危険だと思いますよ?この番組でやってるのはインクルーシブじゃなくただの成りゆき任せです。反論があったら私もこの動画にコメントしましたのでそっちにして下さい。
容認してないわけではないと思います。現実はこんな理想論、綺麗事では済ませれないと思う。健常の子供達の中にポンと障害者が入った時に、出来ないことが出て来るのは当然だしそれはその子のせいではないです、障害があるから出来ないだけ。だけど出来ないことが出て来た時に、辛い思いをするのは障害の子供本人なのですから、そのことを忘れないで欲しい。私はそれでいじめに遭っての3年間だったので、そんな思いをするぐらいなら最初から支援学校に行かせて欲しい。それは、障害児の親御さんに言いたいです。小さい頃は楽しいかも知れない、小学校低学年とかは。だけど、「楽しい」とか「嬉しい」だけでは済まない時が来ると思います。いじめに遭って辛い思いをするのは本人だから。
教員の負担増える
美談にしてはいけない。この子が普通校に入れたのは、他害や物の破壊をしない、高頻度で奇声を発しない、飛び出しをしないなどのある程度他人に迷惑をかけない要素があったこと、そして学校側が受け入れられる余裕があった(もし同じような子が違う学年にいたら支援するための人材は得られたか??)ことなど色々な条件があったからだ。重度の障害があるからと言って必ず特別支援学校という考えは正しくないが、どんな障害のある子どもも通常学校に行ける世の中にすべきだという考えは間違いだと考えるべきだと思う。特別支援学校のような環境だからこそ教育ができる子達もたくさんいる。
教師の長時間残業問題を解決しないでインクルーシブ教育をするべきではないです。長時間労働してる教師と意欲的な教師と障害者とうまくいく行かないというのがあるわけで、どういう条件でうまくいくいかないという、条件出しをすることが実現する上で必要。
息子が中学生の時、とても体が大きい(中学1年で180cm超の男子でした)支援学級の子と同じクラスでした。音楽、美術、体育、給食などは一緒だったらしいのですが、突然理由もなく暴れ出す子で、巻き込まれて怪我をする生徒もいました。私は障害のある子全てが同じ学級は無理だと思っています。障害の程度にもよると思いますが、他人に危害を加えない子で、少し補助をすれば普通に近い生活が出来る子までが普通学級に在籍可能だと思います。現実は綺麗事だけではやっていけないと思います。
特別支援学校に行きたくなくて、だからと言って通常学級に行きたいって、極端すぎない?と報道を見て思いましたが、学校側の「やってみよう」という言葉が大事なのはわかりました。特別支援学校は家から遠いこともあるので、地域で一緒に育てられたらいいなと思います。ただ、投稿専用さんの体験のように、他害児のためにほかの児童がケガをするのを我慢してはいけないと思います。
特別支援級に一度入ると中々抜け出せないみたいですよ、特別支援級のわかるようになるまでと言うゆっくりとひた学び方によってその子の学力が落ち普通級に戻っても余計についていけなくなるみたいです。
小中学校特殊学級のほうがいい👍養護学校小学部・中学部に行かずやっぱり小中学校特殊学級に通うほうがいい👍
知的障害と一口に言っても、学習障害と自閉症では大きな差があるからね(さらに自閉症の中でも程度の差は大きい)。やはり障碍者が通常学級で学ぶのは本人にとってもメリットは少ないと思う。その点、特別支援学校を通常の小学校の隣に設置して健常者との交流を図る小豆島の特別支援学校の試みは(授業は特支、課外活動やイベントは共同参加)、同じインクルーシブ教育でもよりフレキシブルであり、注目に値すると思う。
感動的なストーリーで、これを目指したいのはやまやまだけど、この負担やリスクを予算面でも人員面でも支援を得られない中で学校が引き受けたのだと思うと、美談には感じられない。ぜひ、「インクルーシブ教育を実現するために必要なこと」というテーマで特集してもらいたい。必要なのは美談ではなく、予算だと思う。
@Just a man ある意味救いの手w
本当に現実味ないな綺麗な部分写しすぎせめてその子達が20歳になって以降の生活を見せるべき障害者に社会がどれだけ残酷かを写すべき
そもそも、こういう人達と健常者を触れ合わせていいのか。内部障害だといつ発作が出るか分からない。重い知的障害だといつ暴れ出すか分からない。生活に支障が出にくい身体,内部障害、軽度知的障害や境界知能の人と健常者が同じ授業を受ける機会をつくる。これがインクルーシブ教育の理想では?SランとFランとの交流みたいな感じ
教えたい事あって書き込むけど、既に俺の通ってる高校は都立全日制普通科高校で都立1の頭悪い高校で、多くが障害。つまり既にインクルーシブ。まず200人中、190人ほどが全く勉強しない。授業中全て寝てる奴とかザラにいっぱいいる。半数がまず寝てる。テストの点数は100/500点(1教科20点以下)とか普通にいる。ほぼ全て赤点。感情制御出来なくて暴力、暴言とか。体育の授業で負けたりすると毎度キレてボール蹴り飛ばして人に当てるとか殴るとか。授業中起きててもうるさくて無法地帯と言われたり幼稚園とか動物園と言われて名高い。恩を仇で返すのが当たり前。人の事全く考えない。悪口嫌がらせとか女子がよく(常気を逸した)やる。そもそも定員割れで誰でも入れる。定員割れしなくても3次募集までやってて定員割れだから誰でも入れる。脚切り点もない。だからヤバいの勢揃い。モンスタペアレンツがやたら多い。そもそも学習障害とかコミュ障とか色々、俗に言うガチの障害も多い。ちなみに何故かハーフがインターナショナルスクール並み?に多い。ふつうのダウン症くらいだったら余裕でやっていける。たぶんテストも勉強してれば学年真ん中くらいいく。ダウン症でも。それが都立全日制普通科、大山高校。先生はちゃんとした人ばっかだし、入学のとき、ダウン症だからって拒絶したりしないはず。すでに異例の入学とかさせてる実績(アラフォーが入学(成績学年1位))あるし。ダウン症とかの親は普通高校に入学させたいと思うなら、大山高校は良い勉強にはなると思う。暴力のイジメはまず無い。もっとマシな学校の方が良いに決まってるけど、大山高校はテストも幼稚園並みに簡単だったり、1科目までなら評定1とっても進級できるし。定時制もあってこことは比べ物にならんくらい平和らしいけど、朝から健康的に普通の高校いきたい、行かせたいなら、大山高校は一考に値するかも。テスト全部0点でもプリントとか提出してれば1つかない。進級➡卒業できる。ちなみにバリアフリーでエレベータもある。入学説明会とか、個人的に相談とかしにいくと良いと思う
@@miyabietzsche5951 すみません、質問です。「暴力のイジメはまず無い」のはなぜなのでしょうか?普通逆に感じてしまうのですが。
中学生の頃、親が支援学級に入れたくないって言って通常学級に入れられてた障害者の子(身体障害、知的障害ある子)いたけど、その子のためにみんなが動かないといけないこととかしなきゃいけないこと多くて正直まじで面倒かったし、みんな裏では色々言ってたけど、誰もそれを表で言っちゃいけない風潮だったからみんな受け入れるしか無かった。結局途中からやっぱり通常学級は無理があるって判断されて支援学級に写ってたけど、本人が支援学級に行ってよかったって言ってて卒業文集にもそのこと書いてたから、本人も通常学級はキツかったんだなって感じた。だからこういうのを、障害があっても通常学級に通える!たくさんの友達が支えて助けてくれる!みたいに美談にはしてほしくないな
言葉変えて正常な子供と教員に負担押し付けているだけじゃん。
「どのように接していいかわからない」のが本音。幼い頃、若い頃から特質ある子と接していれば大人になって戸惑うことが少なくインクルーシブな社会の実現に近づけるんだなと勉強になりました。特質や障害の程度にもよるとけど。
お世話係とか言って生徒に丸投げするようなことは無いようにしてほしい
お世話係の別に一般学級に限ったことではないと思います。特殊学校に在籍していたころ軽度障害の子が重度障害の子が介助することもある。盲学校に在籍していたしていたのでそのケースていうと弱視の子が全盲の子を介助をするとかあるので校外に出ると視力と視野か悪いので介助している子とともに電信柱にぶつかってしまうこと多々あります。
よかった。このようなコメントがあって。実は、そういうことが多々あって、数人に任せるんだ。そして美談にしているだけ。他は知らん顔している生徒も多々いて、数人が取り巻くお世話係を先生が強化子与えて、満足させている。すると受験戦争に負けた。それも個人の能力が低かったと言われたらそうとしか言えないが。EQは高くなったけどね。優しさで受験させてほしかった。なんか知らんけど、社会に出てもお世話係に当たるくじ運。良い人、で慶んでいたら、現実はあらら・・・って感じで、ひねくれそうです。
@@江間康史-d9h 同じく盲学校卒のものです。私は理療科だけだったから詳しいことは分からないけど、小学部から在籍していた友達もそう言っていました。それで電信柱にぶつかると弱視の子の方が責められるんだとか。「あなたがきちんと見てあげないからこの子は電信柱にぶつかったんでしょ、あなたのせいでしょ」みたいな。
これは本当に特殊な例だと思う小学校で自閉症の子と同じクラスになったけど意思疎通はあんまり出来ないし突飛な行動もするから、同級生じゃなく介護者みたいな扱いになってた他にも親によっては障害者だから何してもしょうがない、みたいな放任主義的なのもいて善悪の区別がついてない子もいるこういう子の場合他の子が何されても我慢を強いられる事になる
自閉症スペクトラムといっても軽度~重度までいるわけだから、とりわけこのケースが特殊というわけではないのでは?
自閉症って重度のケースばかり取り上げられて話題になるから目立つけど軽度だと普通に健常者と近い形で働いてる人もいるからなそこまではならなくても大人になれば意思疎通はできるようになる人が多いと思う
義務教育中に軽度の知的、発達障害を持つ同級生の世話を教師に押し付けられました。学年末の面談で相手方に言われたから同じクラスにすると直接言われた時は絶望しました。まだいじめや障害などへの対応が進んでいなかった時代と地域だったので腫れ物のように扱われ、常に押し付けられていた自分も友達から避けられる事になりました。おかげで成人するまで軽度の障害を持つ子、グレーゾーンの子に対しての苦手意識というか、差別意識もあったと思います。いい年になったのと文献などを調べて今では多様性があることは賛成です。ですが、その対応にまだ心身ともに未発達な子供を巻き込まず大人が主導権を握って対応して欲しいです。自分も同級生に心から穏やかに接することのできる学生時代を過ごしたかったです。田舎でしたので結局9年間同じクラスでした。
養護学校小学部・中学部に行くのは嫌だからだから小中学校特殊学級に通うほうがいい👍
小学校の時を思い出しました。ダウン症の子と同じクラスで、みんなで面倒を見てとても思いやりのあるクラスだったと思います。ただ今思い返せばそれはみんなの我慢の上に成り立っていたと思います。給食の時、隣の席の人がその子の面倒を見ながら食べますが、手づかみで食べ、その手でこちらのご飯までとって食べます。注意しても意思疎通がはかれないのでまたやられるのですが…。よだれのついた手で触られた自分のご飯を、いやだなぁと思いながらも障害があるんだから仕方ない、我慢するのが当たり前だと思って食べていました。同じ給食費を払ってるのに一人前食べられない、とか新しいものに変えてくれたらいいのにとか今は思いますが、当時は文句を言うほうが人でなしという洗脳に近いものがあったと思います。でもその子のことは嫌いではなかったですよ。私たちは「良い子」だったので嫌いませんでした。そうさせられていたと思います。子供は純粋ですから。周りの大人がしっかりサポートできて、誰も我慢せず、善意でのみ成り立つインクルーシブならいいと思います。実際いい経験ができたと思います。
自閉症の兄がいます。障害者、同級生どちらかが我慢するというのはやはり違うのではないのかなぁとおもいます。私としてはどちらも伸び伸びできる環境が第一だと考えます。
8:33 「障碍者は障害学級へ、という同調圧力」っていうのが、どうも引っかかる。このコメのように、「みんな仲良し、良い子」でいることへの同調圧力を生むことになるけど、それは見過ごして良いのか??
例えば老人ホームでも重度軽度によって棲み分けられます。医療が必要なところは特養とか、歩ける人や軽度の認知症ならデイとか、それなりの苦労はあるけれど、障害者にも重度や軽度があり、手づかみで食べたり物事を論理的に考えられないようなケースは学校では受け入れられないとか、そういう細かな区分けが、国や行政はまだ出来てないような気がします。中には障害が無いように見える障害者がいます。そういう人は「ヘルプマーク」と言うのをつけてます。中には障害を持つ子を理解できない、または理解するには難しい年齢があるけれど、いずれ自分が事故で障害者になったり後遺症を持つこともあります。そういうときに受け入れる場所が無いとか、一般社会から爪弾きにされないための取り組みだとも考えられます。日本じゃ特に、ボランティアでホームレスにご飯を食べさせるとかの機会が欧米に比べ少ない。社会福祉の機会が全くと言って良い程なく、知らない人は知らないまんまで終わったりする。また、ケアする側のケアも大事になってくるよね?
@@檸檬-j7d 兄弟だから慣れているんです。実際我慢してるんですよね私の学校もそうだった
そうやって健常児が「嫌だなぁ、迷惑だなぁ」とか思いながら過ごして行くと、将来的な差別や偏見に繋がりますよね。そんなに負担なら先生に言えばいいのに、とも思います。我慢と言うんならストライキでも起こして、クラスみんなで「コイツの世話は迷惑だ、嫌だ、負担だ」などとでも言えば、先生もそれなりに分かってくれたのではないですかね。好きで障害者してるわけじゃないんだし、それを「あなたのせいでいらん負担が増えるでしょ、迷惑なんだけど」と言われると悲しくなりますね。
社会福祉士や介護福祉士、特別支援学校教員免許などの保持者です。あえて書きます。この北海道や大阪の例は確かに素晴らしいです。しかし、様々な事情で、全ての地域や自治体でインクルーシブ教育を行える訳ではありませんし、行うには相応の予算・労力・時間が求められます。健常児へのケアも求められます。そして、特別支援教育が適している児童生徒も当然居ますし、「インクルーシブ教育=特別支援教育廃止」につながってはいけません。インクルーシブ教育が、「悪い意味での美談」にならないことが求められます。
支援学校で障害児教育に携わった後障害者施設で支援員をしましたが同感です。インクルーシブがすべてではない。現場職員の能力や児童生徒の適性に応じた教育を選択できるようにするべきです。
上手くいったクラスも上手くいかなかったクラスも見てきました。障害の内容にもよるし、他害があると厳しいですね。カズキ君のクラスでは、カズキ君をクラスメイトが世話をすることで、生徒自身が癒される面、誰かのためになったという生徒の自己肯定感の上昇、カズキ君のことで男女問わずクラスメイト同士がコミュニケーションをとり仲良くなり、カズキ君がクラスを良くするキーマンとなったのではないかなと思います。そういった状況を他のクラスでも見ました。学級崩壊をおこした子がクラスがかわって障害のある子と助け合い共に変容していく姿が素敵でした。一方であるクラスでは存在すら無視で通級して意味があるように思えなかったりいろいろです。
こんな素敵な話も必要、でももっと現実的な話を放送してほしい。特別支援学校と学級の現状。小学校の特別支援学級で馴染めず、普通学級の子供からいじめられた傷を持って特別支援学校にきて、自分より重い障害の子に自分が言われてた言葉を言っていじめようとする子もいる。現実そんな簡単じゃない。簡単なわけない。
どう考えても普通学級のいじめた奴が悪いじゃん?いじめたやつを特別学級に入れるべきでは?
@@さくら-t1k6n先生たちがサポートします。とか言ってるけど実際生徒任せなんだよなそれによって迷惑されていじめも起こる
@@っっっs 担任は1人しかいないよ?いっぱいいる学生が助けてあげれば良いのでは。
@@さくら-t1k6n やっぱり障害者だから理解力が低くていちいち説明しないといけない。それでも分からない。そして呆れる。そして自分のやる事が出来ない。出来なかったら、先生に怒られる。情緒不安定な子は暴れて人に傷つけられる。しかし障害者だから普通のことは違ってあまり怒らない,特別扱いされてムカつくてっ感じうちの学校もそんな感じだった1回まだいじめてない場面の聲の形みたいな感じちなみに生徒がいっぱいいるからサポートするとありますが、大半の人は障害者と避けます、(理由人それぞれ)そしてカーストで1番下の人がお世話係されます。
本当それななんですよね
これ、単にかずきくんが面白くてイイキャラしてて愛嬌がある子だから受け入れられただけの事例な気がする。顔も整ってるし。ただ、最初はあまり笑わなかったのが中3になってよく笑う子になったということは、やっぱり周りの環境も良かったのかな。なんかすごい稀なケースにしか思えない。私はクラスメイトの障害児の男の子に、友達とは思えなかった。友達風にはなんとか接してた。
結局はそうなんですよね、障害者がいたら負担になるんじゃないですか?お世話役させられる健常者の子もいるだろうし、その子は嫌でしょうね。そんな環境にいたらこっちも辛いですよ。「迷惑かけてるのかな」とか私なら思ってしまう。その為にも、お互いの為に障害者はそれ専門の教育、支援学校に行った方がいい。私も最初から盲学校に行きたかった視覚障害者です。
自分が通っていた小学校、中学校でも普通にあった。引っ越ししてすぐの学校の席替えで、車いすの子が隣になった時は、まだ学校に慣れていないにも関わらず色々求められて理不尽だと思った記憶があります。こういう経験があったから分けろと言うつもりはないし、この制度自体に何か唱えたりしたいこともないけれど、周囲の子供へのケアも大事だと思う。
知的なし軽度発達当事者です。私はむしろ特支に行ったことがありません。当事者だからこそ色々分かることがありますが、綺麗事だけでは片付きません。その人と周りに負担なく生活できるのがベストだと思います
お互いに負担だと感じないようになりたいです。
わりと現実的な考え方のコメントが多くて共感した。インクルーシブが理想とされているのはわかるし、目指したいのもわかる。けれどこの動画を見てすぐに「こうすべきだ、他の行政や学校はなにをしているんだ」と思うのは視野が狭いと思ってしまう。集団生活では支援学校での優遇された対応とは違い、どうしても本人の苦しさなどから問題を起こしてしまったり、音をたてたり奇声をあげるときもある。そのときに、他の子の気持ちは、権利はどうなるのか。みんな等しく教育を受ける権利をもっている。その子だけ許されると、他の子供は少なからず我慢を強いられることになる。必要な人材、環境、費用揃えることのできない学校に不満を言ったり、「本人のためだから通常級へ」と一点張りするのは、親のエゴ的な部分も感じられてしまう。少人数でその子に合わせた療育、教育を受けるメリットは大きい。
すっごい理想論だね。こういうのって障害のある側の意見しか取り上げられないけど、一緒に過ごした健常の人たちの意見も聞くべきじゃない?クラスの子達が優しくなったって言ってたけど、そりゃ表立って障害のある子の文句なんて言えないよ。
そこが最大の問題であるはずなのに無視している事がマズイ。裏でアンケートを取って障害者なんてごめんだと意思表示できる場を設けるべきだし嫌な子は別クラスにするべき。1クラスしかない場合は諦めて特別支援学級に行ってもらう様にしないと嫌な思いをする子が必ず出る。
お世話係、いじめ、先生が何かにつけ呼び出す。周りに迷惑をかけてきました。いつも謝り続け。子供は好きだけど。悩み。疲れてました。特別支援学校は親子共々過ごしやすかったですよ。
かずきくんの周りのお友達がみんな優しくて見てるだけで涙が出てきました周りよりも温かいクラスになったとか、お母さんがその子達を希望と表現したことが印象的で本当にその通りだなと自分も小学校に発達障害の同級生がいましたが、普通に一緒に授業を受けて放課後普通に家に遊びに行ったりしてたなあと思い出し、子供って大人が思ってるよりも全然気にしてないよなと当時のことを思い出しましたこんな世の中ですが、皆さんの身近にいる人達がどうか温かい世界でありますように私もこのような世界に貢献できるよう勉強していきます
それは、いい学校でしたね、発達障害だと、自分もそうだけど、めちゃくちゃいじめられましたね
世の中の差別や偏見は、大人が自分達の都合で作り出している。かずきくんの周囲の子どもたち、中学校の先生方を見習いたいです。かずきくん本人もですが、ご家族が安心出来る環境は何より素晴らしいと思いました。
同じクラスに障害を抱えている子がいたけど、やっぱり周りの配慮が必要でそんな綺麗にいかなった。障害を抱えている子が普通のクラスに入る為に周りが不便な生活を強いられる事になったし、その子はすごく浮いていたしお互いの為に別々の方がいいと思う。現在はうまくいかない。
「挑戦してみましょう」と覚悟を決めた学校の先生は本当に素晴らしい方だと思う。先生が真摯に子どもと向き合う姿を見たからこそ、子どもたちも感化されたんじゃないかな。場合によっては「贔屓してる」と見られてもおかしくないのに、、、そこをうまくバランスとりながら全ての子どもと接してたんだね。インクルーシブ教育は、聞こえはいいけど実現させるのは本当に難しいと思う。
障害児教育、障害児福祉に携わっていますが、知的レベルによってはインクルーシブ教育の弊害が大きいと感じています。知的障害があって全体的な学力がゆっくりしている子は、言葉の理解もゆっくりな子が多いです。そんな中、国語や算数だけが取り出し授業で、理科や社会はみんなと同じ授業を受けるというのは本当に大変なことです。授業が理解できないので手遊びしているのに、先生はただ行動だけを注意しています。(先生は授業を進めないといけないので、その場で個別に教えるのが現実的に無理なのは承知です。)結局、障害のある子はただ45分座り続ける忍耐力を養ってるだけです。体育や図工や音楽などの副教科を一緒に受けるのは良いと思いますが、主要科目の授業については子どもに合わせた学習が必要だと思います。また、インクルーシブ教育により交流級(通常級)で学習する時間が増えたため、支援級の子は、支援級の宿題と交流級の宿題の2つ分を出されている学校がとても多いです。ただでさえ学習がしんどいので支援級に在籍しているのに、交流級の宿題もこなさないといけないので子どもも保護者も疲弊されています。現場を知っている者からすれば、インクルーシブ教育はいいことばかりではありません。
大人の軽度知的障害当事者です 知的障害は軽度どあれ重度であれ理解や知性というのがほぼ皆無といっても過言ではありません 45分間ただ座って我慢する忍耐力をつけてるだけ、というのはその通りです 僕は巷で知られるコグトレといった認知機能の反復訓練も、ただひたすらこれ以上知能や認知が落ちないようにするためのボケ防止みたいなモノだと思います
かずきさんに合った教育ができてるのかが何より大事なのに、一緒に通うことが目的になってるようにみえる。
俺と同じだな。自分の偏差値を遥かに超える大学に入ってしまった。偏差値45だったけど70くらいのとこにいって苦しかった
ここが本質よな。一人一人違った人間を一つの教育法で縛ろうとするからそのペースについてこられない子たちが特別支援学校などに通うようになる。共生社会を実現させるためには普通学級とか特別支援学級とか関係なく,一人一人に適した教育法を行うなど,もっと教育制度を柔軟に変化させる必要があると思う。
何が教育なのでしょうか?何を教えることが、かずきさんにとっていいのでしょうか?かずきさんが、療育の幼稚園でなく、地域の幼稚園を選んだこと。それこそがかずきさんが求めた学びなのではないのでしょうか?かずきさんに合った教育。一緒に過ごすことが1番の学びだと思います。重度知的障害児の母の実感として思います。
結局理想論で片付けては駄目だと思いますね。私は視覚障害があり、小中高普通校でその後盲学校に通いましたが、普通校での体育の授業って嫌いでした。何故なら目が悪いと普通の人のスポーツは着いていけないからです。それでもみんなと同じようにやる様に言われました。なので、「自分は出来ないんだ」という思いがあり、とても悔しかったです。その結果、「スポーツ嫌い」という先入観が私の中でありました。ところが、盲学校の体育は目が悪い人向けのものなので、そこで初めて「スポーツって楽しいんだ、私も出来るんだ」という、初めて自分に自信が持てました。この動画の「この子の為を考えましょうね」っていうのはその通りだと思います。健常児の子と一緒にいるということは、その子にとって必ずしも大切なのでしょうか。私はそうは思いません。出来ること出来ないことってそれぞれあって、同じ教室で学ぶことによって出来ない子が悔しい思いや辛い思いをするだけで、周りにとっては障害者を身近に感じる意味ではいいと思うけど、それって障害者のことを考えているようで実は考えていないと思います。理想だけではいけない。同じ教室で学ぶこと=差別や偏見をなくすこと、ではないように思います。結局、その子の生きやすい環境で自己肯定感を高めることって大切だと思います。なので、早い段階から盲学校に通った弟が羨ましかったです。色々考えはあるでしょうが。
@@加藤美登子 そのために周りの子が犠牲になるのがおかしいという話ですよ。本来社会全体で負担すべきコストを同じクラスの子供がタダ働きで負担させられているんです。
クラスメートがいい子たちでよかった
お世話係が出ることがないようにはなってほしい
皆と一緒に友だち仲間になりたい
学ぶ環境ではなく周りの理解。障害を理解できないのではなく、障害を理解したくない方が、多い。とっても難しい。周りの環境でどの学校に通学出来るかは、本当に学校の受け入れ。でも学校がうけいれても、クラスが受け入れてくれるかどうかは、本当に難しいです。
小中とインクルーシブ経験者です。正直いい思い出は一切ありません。普通学級にいちいち行くくらいならずっと特学にいる方が気がラクでした。
重度知的障害など突出している子の方が、通常学級でも過ごしやすいのかもしれませんね。私も軽度発達障害だったので、通常学級て周りと自分を比べて辛かったです。
障がいを持った子の親にとってはすごく良い話なんだろうけど、同じクラスにされる子どもたちとしては、毎日大変じゃないのかなあ。100のうち100が大変なわけではないんだろうけど、でも大半が大変なはず。それは身体的にも精神的にも……それを「差別のない世界へ」とだけされるのはしんどいな。
かずきくんは友達にもクラスにも恵まれましたね。🤗
非常に考えさせられました。とても幸運なケースだったとは思うけど、これやったらほんとに親御さんもどんなにか心強いでしょう。
これからも応援しています。
小中学校特殊学級に行くほうがいい👍普通学級と交流して協力します😉✌
このケースは周りの人間に救われたし助けられたから、上手くいったように見えるだけ。発達も個々人それぞれ。どんな子にもコレが当て嵌まるとは思えない。普通級に通うという事は、他の子に負担を強いるという事。本来ならギャランティーが発生する様な業務を、ボランティアで先生や生徒達にさせたという話に聞こえる。暴れる子に怪我や恐い思いをさせられた子もいるだろう。長い間トラウマになってる人もいると思う。子によっては療育に通い、社会に出る為の準備をするのは必要だが、社会に出るのも困難であるならば、共存は難しい。いつも思う。多様性や平等を謳うのなら、普通の子にもキチンと教育が受けられる環境を作って欲しい。
軽度の発達民としてはこの教育は反対だぞ。普通の人や親は「みんなと一緒でよかったね」って言ってくるけど一緒じゃあ無いんだよな。重度、中度の子は出来ない事が多いから置いてかれ軽度の子や発達と健常者の間の子は一生懸命努力して勉強しても健常者の子の平均かそれ以下の成績しか取れん。「一緒」って言っても発達とか障害って「出来ない所が普通の人より多い」って感じなんよ。だからこんな教育しても俺ら発達民のメンタルぐちゃぐちゃにするだけだぞ。小学生の時や中学は良いけど絶対どこかで遅れが来る、んで高校はほぼ確実に総合支援か通信校。(努力しても人並み以上にしなきゃ無理)大学とかも頭いいあの一部のギフテッド組しか行けん。漢字を書くのが難しい、読むのが難しい、計算するのが難しい、(簡単な足し算掛け算など)生きるのに大事な事が出来んのに大学行けると思うか?並大抵の高校いけると思うか?無理よ。冷たい事言うが発達障害ってこんなもんよ。努力したらいけるは健常者にしか使えん。努力しても大抵普通の人らに追い付けやん。この教育しても後々しんどい現実を叩き付けるだけよ。普通の人らと友達とは違うってなるわ。だから発達民って二次障害で鬱持ちが多いんよ。とやかく急いでやるよりやるんなら慎重にやってくれ。
インクルーシブとは、感動的な素晴らしい世界ではなく、色々な人たちが当たり前の苦労を当たり前に経験する世界だと思う。障害ある子を今ある普通の世界に近づける個人レベルの医学モデルではなく、障害有る無し関係なく、各々困難ある時どうするか考え合う環境つくっていこうという社会モデルのこと。でも自分を含め人の価値観はそう簡単に変われないから、諦めずに啓発活動を続けていく姿勢が大切!勇気と希望をもらいました!学びは楽しい❣️
始めたばかりは否定的な意見が多いのは当たり前ですよね。でも孫が成長した時には障害のある方との共生が当たり前になっているようにしていきたいです。
障害の種類や重さは人それぞれだから難しいんじゃないの?障害によっては普通の授業が成立しなくなる事もあり、障害のない子供が本来受けられる授業を受ける権利と衝突するでしょ
ここに上がっているような"良い事例"の中で育ちました。小中と、在籍としては支援学級の子も、みんな常に同じ教室で、支援の先生も常に配置されていて、校内も、古い建物でしたが、さまざまな方法でバリアフリーがなされていました。確かに面倒を見るような場面もあったと思います。それで嫌な思いをしていた子もいたのかもしれません。でも、小学1年生、早ければ保育園の頃からお互いを知っているような環境だったので、みんなそれが当たり前でしたし、対応もみんなよく分かっていました。不満があれば素直にぶつけ、先生も間に入りながら、接し方を学んできたように思います。
昔は小児麻痺で知的障害のある子も同じクラスにいたけど、ずっとお世話係をさせられて、全校遠足の時も私だけいろいろ行動が制限された。他の子たちは友達と自由に遊んだりしてるのに、くやしさを忘れられない。その子は中学は養護学校に行ったけど、もう一人、自閉症のある子は地元の中学に進み、同じ小学校からの子が今度はお世話係されられてた。私は解放されたけど、それが私になってたかもしれず。大人になった今、福祉とかに興味はあるけど、インクルーシブ教育や多様性は大事だとは言え、誰かが犠牲になってるならそれはどうかと思う...。
増加ではなく診断される子が増えたのだ
vaccines.
他害がないなら良いと思う。「他害がないなら」ね。「他人を傷つけてはいけない」と言う至極当然のことを障害があるからという理由で許すことが学校であってはいけないし、そんな経験を学生時代にしようもんなら差別意識の助長に繋がりかねない。
小学校の頃に1つ上の学年に知的障害の男子がいたけど、支援の体制がちゃんとしていなかったから、女子に世話役押し付けられてて可哀想だった嫌って言えない子にだけ抱きついてきたりしてたから、障害あるなし関係なく個人として嫌いだったの思い出した修学旅行とかでも世話させられてて、楽しめなかったらしい動画のような事が出来る自治体、学校は素晴らしいけど実際一緒に過ごして、辛い思いしてる子がいるかどうか大人が定期的に確認する必要があると思う結局高学年になって、専門的な学校?に転校していったけど長い間一緒に過ごしてたのに誰も悲しんでなかったせいせいするって言われてたその子の親だけが悲しんでた
一見、美談に見えるけど担任の先生の負担は大きいと思う。さらに事故が起きた時、学校や先生の責任だ!教師を辞めろ!と批判されるリスクもある。そもそも日本の先生は忙しすぎる。別の仕事を減らすなど先生を守る仕組みも必要。
支援学校の手が足りなくなってきたから今度は通常の学校に丸投げしてるようにしか見えません。ただでさえ教員の負担は大きいのにこれ以上負担を増やしたら障害児・健常児共に大変になる。
例えば特別支援学校のようなところは、常に吸引器が必要だったり、車椅子も頭までのヤツとか、一人一人のケアがとても大変。介護が必要な人もいる。老介護でもそうだけど、ケースによって受け入れられるらレ無いがある。基本就労できるほど、学校に行けるほどは「軽度」とされてるし、障害者も身体・知的(発達など)・精神(鬱パニ)なんかに分けられ、特に発達だと軽度のADHDから多動性もいれば、言葉が上手く発することが出来ない子もいる。差別と言うより区別。こう言う子がいるとか、社会にはこういう人がいるというのを身をもって勉強するには良いけど、いじめやトラブルなんかは専門資格を持ってない先生が対応できるか不安。
これは"良い例"の報道だと見る側がちゃんとわかってないと。いろいろ問題があるから特別支援学級があるのだから。
小学生の時同級生に発達障害の人いたけど、障害ゆえのトラブル多くて殆どが所謂健常者が我慢させられてたから最終的に学級崩壊した
40人の中に3人いたら担任が個別の支援計画・指導計画を作成しなきゃいけないし、色々問題も生じるだろうから、負担大きいよぉ。一般級で20人の生徒だったら、3人くらい診断を受けている生徒を引き受けてもよいと思うけど…。
私は中学時代ダウン症のことインクルーシブで学びました。その子の家に友達として遊びに行ったりとか、表面的には仲良くしていたけど、その子が理由不明で腹を立てたときに、私の首を絞めてきました。その事がトラウマでどんなに優しくしようとしても、ちゃんとした関係は築けないと感じたときから、私はインクルーシブ反対派になりました。今は教員の仕事をしていますが、子供によって学び方も様々です。同じ教え方では伸びない子も障害があれば当然です。私は特別支援教育をして障害者が一番学びやすい環境を提供することが一番いいのではと感じています‥やっぱり障害‥特に知的障害があること一緒に学ぶにはストレスがありすぎます‥😓😓
なんかめっちゃレアケースじゃね?障害ある子と同じクラスだった経験あるけど、かなり周りの人に恵まれてるし、かずきさんも多分周りに好かれやすいようなキャラしてるんだろうね、綺麗な顔してるし私のクラスにいた子は女の子だったけど結構体おおきくて何かあるとすごい大変だったし、担任があんま良くない人で私「お世話係」みたいなの押し付けられてたことあって学校行けなくなった時あったし正直「なんで偶然同じクラスになっただけでこんな思いしなきゃいけないの」って思った
理想だけど、お世話係だったり色々問題はあると思う…
こういう"わかりやすい人"はいいですね
かずきさん、両親、学校、友達。凄い素敵な人たちに囲まれて幸せそう!確かに個別がいいという意見もあるし、うちの息子も支援級に入れたけど、かずきさんが望んた道は支援級や支援学校に入れるより険しいよね。自分も、周りも。支援級でも希望した教科は普通級の子と一緒に出来るし、やり方は色々ある。かずきさんは、友達、環境に恵まれてるんだなぁ。
こんなに素敵な対応ができるのはすべて都会だから。これが地方になってくると、人材不足、資金不足、一番ひどいのは田舎の固定観念である、人と違うやつは排除する考え。田舎の人全員がそういう考えなわけではないけど、そういうのが壁となってやりたくてもできないことのほうが多い。この動画のようなことを全国どこの市町村でもできるように出来たらいいのに…
当事者としては…完全に住み分けられる環境が望ましいです。共存する事で家族も今以上ににメンタルを強くしないと心が壊れそうになってしまうだろう。周りへの負担を考えると…お願い出来ない。
この子達は日本の光だ。
適切な支援や配慮ができるなら、普通学級に入るべきで、どう考えても今の日本の教育現場はそれができないから問題になってる。ここのコメントにも障害を持ったクラスメイトのお世話をしたとか暴力を振るわれたとか経験したことある人がいる、私もそうだった。こういうことを本当に日本全国に実現したいならまずいまの教育現場を改革しないと。綺麗事じゃ叶わない
そうなんだよな。俺も昔、支援学級の子と行事で一緒になったんだけど、世話を全部押し付けられて大変だった。今思うと明らかに先生たちに余裕がなくて、しつけというか彼らに対して適切な教育を施しているようには見えなかった。特に公立学校の余裕のなさは支援学級に限らずとも大きな問題だから、何とか改善させないとね。
障害の有無に限らず、クラスになじめない子や引きこもりがちの子もいる、同じく障害のある子も自分の意思を持っていて、「邪魔されたくない!」とか「今はやりたくない!」の気持ちというのや「構ってほしくない!」と言うのもある。今の日本の教育が画一的で押しつけがましいと言うのもあるけれど、一人にお世話させるんじゃなく、皆の手を借りて皆でお世話するとかにするとか、もう少しやり方はあると思う。どうしても子供だけだとどう対応して良いか分かんないとかもあるし
私は教員ですが、現場は決して排他的になったいるわけではない障がい児の母体数が増えていることもあるだろうが、検査を受ける子が増えている過去にも障がいのある子はある程度いたその中には、障がいを受け入れない親やそもそも障がいについて知らないという親がいた今は、障がいについて理解が広がり、障がいに合った教育の需要が広まっている本人が普通級で友達と過ごしたいのか、少人数の落ち着いたところで過ごしたいのか、決して親の希望や大人の都合で振り回さないでほしいこの子は楽しく学校に通えているようでよかった
ただでさえ教員が足りないのに、インクルーシブで障害者のプロでも無い教員達にも責任を負わせるのは、子供達のためになるのだろうか?勿論一番、障害のある子にとってそれは良いことなの?美談だと思えない
この10年で1.5倍か。もう支えきれないな。
子どもによりけりだと思う。特別支援の子には目を離すと危険な行動をする子や他の子を叩くなどする子もいる。静かに座れても、授業に無関心で意味のない子もいる。「共に学ぶ」良さはあるが、それが正解とは限らない。特別支援学校や支援学級が分け隔てる場所という認識ではなく、個々に安全管理したり力を育てる場所であることを踏まえた上で、考えればいいと思います
カズさんが人のことを好きな特性があったから良かったのだと思う、全部がこんなケースにはならない。あと理解が難しいとおもうんだけど、授業中はどうしてたんだろう。
私は障害ではないけど大きな音や振動、音楽、人が近くで喋っていたりすると先生の声が耳に入って来なくなったり集中できなくなってしまいます。なので歩き回る、大声で騒ぐタイプの発達障害の人がいるともう何も手につかない。だからこういう子達はこういう子達で養育した方がお互いにいいと思う。意地でも親が普通学級に入れようとかあるけど勉強する場としては難しいと思う。家族は我慢できても単なるクラスメートには我慢も限界。
障害者福祉に従事しています。当事者に対して適切な配慮がある環境が最も本人のためになると考えていましたが、「障害者は障害者の世界」で過ごしていくと、健常者との間には完全に溝ができてしまいます。クラスは社会の縮図だとすれば、障害児もいる状況というのが当たり前であるべきだと思いました。健常児の社会に対する認識を形作る上でも重要な取り組みですね。
『クラスは社会の縮図』という言葉にハッとしました。私はどちらかと言うと、障害者は支援学級という考えを持っていたと思います。つい最近、子どもが自閉症でほぼ確定と言われました。それ以降これからの将来、こどもが社会に出る時のことを考えると不安しかありませんでした。ですが、学校の段階でそういった考えが身に付いていれば、社会の偏見が変わるのでは無いかと思いました。
障害者に触れ自身も障害を持って生きる者です。障害者の気持ちは障害者にしか分からないし、優等生の気持ちは優等生にしか分かりません。そうやって一生、障害者はB型やA型にのみ通わせる社会を私は望みません。重度のADHDでも企業に勤められてる人もいるし、中にはイヤな顔されることもあるでしょうけど人間は皆失敗をする生き物です。お世話することによって自分も成長できますし、気付きがあります。こう言う言い方良くなかったなとか、昔は色んな人が居て、色んな複雑な家庭の子も居た。多様性とはそういう事じゃないでしょうか?あなたが気をつければ良いじゃなく、皆で気をつけようの方が良い。それに、自分は自閉症やダウン症の子と友達になりましたが、人当たりも良く笑顔も可愛くて、人懐っこくてスゴく好きになりました。そう言う触れもしないで「面倒くさい」部分だけでは無いと思いますよ。大変ではあるけれど、私は有意義な時間を過ごしたと思ってます
自分は、特別支援を勧められた者ですが、両親は昔も今も、障害に全く理解がありません。周りの話を聞かず、母親が強引に普通の学校に手続きしました。結果、高校までたくさんのいじめを受け、支えてくれようとした人も傷つけられて、強制的に離されました。周りとの違うところを毎日笑われて、暴言も聞かされました。一人でご飯を食べることと、一人で勉強することだけが幸せでした。インクルーシブが出来るところは限られてます。到底日本で普及できるとは思えません。
これを「美談」と受け止める大人は本当に差別的教育を受けて育ったんだろうな… 難しいことは分からないけどわたしはインクルーシブの小学校でめっちゃ楽しかったし、その後行った私立の中学よりも、小学校の友達の方がやっぱりみんな全然優しくて臨機応変な人が多い!!
ハンディがあるからと特別扱いせず、自然に仲間が理解し、時間や苦楽を共にする、、。大人は難しく考え過ぎな気がする。子供って柔軟性があるし、対応能力高いから。お互いが人間として成長出来るのは素晴らしいことだなと感じる。
障害者と一緒にしたら、どうなるかわかる?そいつが暴れて怪我する人がおるし、そんなことされたらみんなそいつに近づくことがなくなるやん…なんでトラブルが無いように分けてんのにそれを無くそうとすんねん
集合住宅の上階のお子さんが多分境界グレーゾーン。騒音被害を訴えても、親が「そんな事してない。うちの子は普通です」の一点張り。我が子に甘くなるのは理解出来るが、しつけや社会のルールを身に付けさせるのは保護者や学校の責任。親御さんのメンタル教育が不可欠。学習の機会や互助会的チャンスが必要。普通だと思いたがる事が愛情じゃない。その子に本当に必要な学びを考えるのが大人の務めだと思います。
心理学でインクルーシブ教育について学んでいます。理解を深めようと思って軽い気持ちで開きましたが、感動的で涙が出ました。このような世界になって、誰もが暖かい人になってほしいと改めて思いました。
いつも思うけど、なぜ一緒に学ばせることに拘るのだろう。日本の教育事情を鑑みて、同じクラスに健常者と支援を要する生徒が一緒に学ぶって明らかに無理。健常者が勉学を高めようとして先生を頼ることもあるだろうし、支援を要する生徒はその子の障害に応じた手立てを立ててそれに沿ってやらなきゃいけない。何より子どもがかわいそすぎる。これを公教育のスタンダードとしてやるなら、文科省は教員の数を今の倍にするべき。現場に理想ばかり押し付けてコマを増やさないから教員志望者が減るんです。
そりゃ上澄みの綺麗な部分だけしか報道できないよねえ
涙が出た😢感動した
学校は学習する場だからな。お世話係にされて自分の学習や学校生活を踏みにじられる児童が出るのも事実だし。
校長先生や、担任の先生や、生徒素敵です涙止まらない
周りは疲弊するよ学生も教員も
今 ほんの少し特別支援について学んでいるのだけど 暴力や暴言といった危害を加えられてもこれからの将来 多様性を受けいられるように、また「障害」という隔てを新たに作らないように、一緒に凸凹を受けいれるような学びとしてインクルーシブ教育はすごくいいと思うのだがジャッジを下すのが難しい…多様性を受け入れるためにはお互いの不快を受け入れるっていう解釈をしているのだけど全然わかんない…有識者教えてくれ…すごく悩んでいるよ…
多様な特性を持つ人が学びの場を共にすることで、それぞれ人生の引き出しになると思う。棲み分けられることで出会えずコミュニケーション方法も知れないと思いますし。この子たちが将来仕事に就いたら必要な政策とかサービスを考えるヒントになるのではないかな〜と感じました。素敵な動画をありがとうございました。
これからの時代は特にかも知れませんが、障がい者と健常者を分けず、共に学んだり暮らしたりしていくことが大事だと思います。障がい者が居ることを当たり前にしたような環境で育つと、障がい者に対しての理解もしやすいんじゃないかなと感じます。
今の予算と人員では難しい。発達障がいの子への支援が普通学級でできないくらいなのに。また、中学までは義務教育なのでわかるが、高校からは高卒という資格を得られる学校である。障がいがあっても、受験環境の配慮を受けて、試験のレベルを変えずに、入学できて、卒業できるのなら、何も言わない。しかし、障害があるからといって、試験の内容を中学レベルまで下げたらそれは問題だ。それだけはないと思いたい。高認試験もあるんだから、出席だけで高卒資格を与えてはいけないと思っている。注)支援学校の高等部は基本的に高卒資格は得られません。
正直インクルーシブがうまくいくかはその子の特性、周りの生徒の余裕、教員のフォロー動画等さまざまな要因が絡んでくる。それなのにどうして成功したのか具体的な方策や過程を見せず、「インクルーシブ素晴らしい!」みたいな報道されるのはモヤモヤする。
理想と現実がある。綺麗事だけでは無理がある。国際競争力に打ち勝つ教育を蔑ろにしてはいけない。ただでさえ、残業時間が多く教員の負担は重いのに。障害もいろいろ種類や程度があるのに現状はチャンポン状態である。
健常者の足を引っ張らない限りにおいて賛成。でも現実はほぼ例外無く生徒負担が生じる。それを教育とみるか、無償の労働とみるかは大人のエゴ次第。
自分の子しか見えないんだよな他の児童や生徒が我慢してる場面たくさんあるって考え方が欠けてると思う
重度は分けたほうがいいとか言う方がいますが、おそらく、重度は普通学校の選択肢はなく、支援学校へ行ってます。この問題はそもそも中軽度の発達障害児の話ですね。多分どんな人でもなんとなく「障害に全く同じ症状の人はいない」ことくらい頭にあると思います。一人ずつ違うので対応の仕方も違います。でも実際、そんなことはできるはずなく、するためには一人ひとり支援員が付くしかないんです。無理な話です。だから数人を一人で見るために障害度を出す必要があります。支援学校はそれができるので子供も親も【楽(らく)】です。子供はできないことを無理にやらされないので心が安定します。親も周りに迷惑をかけずに済むと思えるのですごくすごく気持ちが楽です。だけど、障害児にとって【楽(らく)】と【楽しい】は別のようです。うちの子は中度よりの軽度自閉症です。普通学校の支援学級に属してます。小学校入学時、言葉はほぼ喋れませんでした。喋れなくても軽度であることは健常者にはびっくりな事実でしょうか?結論から言うと、うちは周りに恵まれました。うちの子を「かわいい」と言って面倒を見てくれたり気にしてくれたりの子がたくさんたくさんいました。優しく暖かく接してくれました。それは今の6年生になっても変わらずにいてくれる子もいます。「…子もいる」という表現でリアルな雰囲気も出ますね(笑)当たり前のことですが、面倒になって近寄らなくなる子もいます。当たり前です!こちらは何も不満に思いませんよ!うちの子は学校が楽しいそうです。休むことはしたくないらしいです。授業は別ですが、体育や図工などは普通学級にいかせてくれます。みんなとケイドロするのが好きだそうです。走れませんし、ルールの理解も深くないですが、一緒に入れてくれます。誘ってくれます。楽しいそうです。そんなふうに思わせてくれている環境や友達に感謝の日々です。インクルーシブ教育の取り上げ方って難しいですよね。障害児にも一緒になる健常児にもメリットデメリットあるんですから、いいことばかり取り上げても不信感が増します。が、メディアなんだから仕方ないです。全ては障害児個人の程度や性格によります。関わりたくない子は関わらないのが正解だと思います。無理に関わらせる学校があればそれは学校に責任があると思います。健常児も、自分を守っていいと思います。母としては、理解のある人だけが関わってほしいと思ってしまうので、【理解のある人が増えてほしい】というエゴは持ち合わせてしまっています……。
感動しました!障害をもった本人や家族だけでなく、周囲の人々が多様性について自然と理解していき、一人の人として相手を思いやることが自然と身に付いていく。素晴らしい実例ですね!
かずくんのお母様が素晴らしいのと、同級生が良い子ばかりで、感動で涙が出ました!
現場で20年、支援学校、普通学校で教育相談にとことん関わってきた。保護者や生徒に寄り添ってきた。色んな思いはある、色んな議論点はある、当たり前。否定からは、何も生まれない。うまくいった事例から学ぶ、もちろんその反対からも、相手を理解しあう、話し合い、おもいやり、共通理解も大切。結構シンプルなところが大切。一番のユニバーサルデザインは、心の壁を取ることからしか始まらない。いじめの仕組みも個性や発達特性を理解することも、ヨーロッパの事例や大学の研究からもたくさん学べる。早くそれが育ってみんなの目の前に広がって欲しい。頑張る誠実な教師ほどある意味マイノリティで孤独だったりする。JET(障がい者がファシリテーターで、マイノリティを学ぶこと)にも参加してきた。インクルーシブとは、包容という意味。そこを理解していくこと、しあうこと、補い合う、助け合う、そして、どうすればいいか、一つ一つ心を持てる人同士が繫ること。そこからしか始まらない。そういう意味で、管理職采配である学校側の勇気ある挑戦や取り組みは、本当に限りなく素晴らしく貴重。本当に貴重。学校側の多くのスタンスを見てきた立場からそう思う。批判や議論だけでなく、行動してくると色々思うことがある。インクルーシブを発信して10年近くなる。皆の幸せ、未来をつくる子どもたちの幸せを切に願います。
理想ばかりを話すメディアに問題解決の提案は出来ない。だからこそお互いを学ぶと言うワードで誤魔化す。「授業に遅延が発生する場合がある」「障害のある子どもへの合理的配慮をどこまで行うかを思索しなければならない」「配慮した結果、業務が増える可能性がある」また障害の有る子供の負担増大も有ると思われる。
当事者ですが、次男が地域の中学支援クラス在籍してましたが、散々でした。そんな理解のある先生はいませんでした。泣きました。悔しかったです。次男は中度発達障害です。本人頑張りました。高校は支援学校にしました。やはり先生の質が違いすぎて私自身楽になりました。私の地域は特に考えも昔的だし地域には求めていません。
遺伝っぽいね
@@樹里-s8b そう感じました。
支援学校、支援学級じゃダメなの?母親が障害児差別してるじゃん。幼稚園は遊びの場、小学校は勉強する所。
これ、極めて特殊例だよ。こういうの発達の人が全員視て影響されたら一番苦しむのはやはり発達の人。そして子供が自閉の親も頑固で我儘で世間への要求や上から目線が強い。この母親がいたからこの子に多く遺伝されて自閉要素が引き継がれてこうになった気がする。
自分が義務教育を受けていた頃は、副教科は合同授業で、それ以外は特別支援学級と普通学級は分かれていたけど、それは今では「改善点(問題点)」になっているのかな…?当時、軽度知的障害の同級生達は、「うちらは、主要科目は分からんから別々に勉強だね」と、クラスが違う事に理解を示していたので。すべての事を、「常に共に行う」と画一的に試行錯誤するのも大切だが、もう少し「その場・その時で適切な事」には「柔軟な対応・適切な環境亅も必要なのが、インクルーシブ教育の目指すべき方向として、これからの時代もっと視野に入れていけたらと思う。
初めまして、自分は軽度知的障害者です。自分の学校は支援級があり副教科だけ合同での授業でそのような障害者も居ました。自分も周りからはそのやり方すすめられましたが、自分は将来就きたい仕事があったので副教科以外も普通学級で受けたいと言う希望を話して自分は小学校からずっと普通学級だけで過ごして来ました。普通学級だけで過ごしたので支援学校や支援級では経験出来無い事を経験出来た事が懐かしい思い出です。自分は普通学級だけで過ごせた事は全く後悔して居ません。
かずきさんは暴力をふるわないけど知的障害の子が同じクラスの生徒に万が一暴力を奮ったらどう対処するんだろう?
小学校で障害ある子いて暴れたりしなかったけど普通にいじめられてたから軽度でない限り特別支援学校に行くべき。息子が普通であると思いたいだけの親のエゴでしかない。
軽度発達障害者です。親のエゴ、同感です。軽度は軽度で、ある程度理解力がある分、周りと自分を比べて辛くなるんですよ。それに、障害児と仲良くしてくれる子の意見だけが通り、一緒に過ごすことに苦痛を感じる子が意見を言えない環境になっていたのでは無いかと心配です。
なんというのか、いわゆる健常者が普通で、障害者が普通じゃないって考えが好きでは無いけど、わけないとできないこともあるんよね。難しいね
ちびまる子ちゃんのクラスはインクルーシブ教育実施して偉いね
冬田と山田だけやろどちらかというと冬田のほうがそういう系
@@abcdefg_gg前田が抜けてるぞ。掃除は大事だがあのレベルのヒス起こしてたらお互い健康に良くない。
かずきくんは本当に周囲の人に恵まれていると思います。残念なことにこの世の中はこんなにいい人ばかりではないし、他の方もコメントしているように教員の労働環境や設備整備や補助教員、看護師を雇う費用などまだまだ課題はあるとは思いますが障害者本人はもちろん、周囲の人にも良い影響をたくさん与えると思います。環境がしっかりと整備されて少しでもインクルーシブ教育が広がって行くことを願っています。
他害がなく、穏やか。酷すぎる奇声もなく、物も壊さない。しかも可愛いくて家も綺麗。本人も小綺麗。稀なケース。
他害があるかどうかなんて、一緒の学級にいたわけでもないのにわからないでしょう。実際クラスメートは、授業中に変な声を発したこともあると言っているし。ただ、障害に対して理解ある先生や級友に囲まれていたから、障害の程度が徐々に変化したことは考えられる。最初からこのように穏やかな性格だったとは思えない。もちろんすべての障害者に当てはまるわけではないけれど、周囲の環境がいかに大事かを示唆するケースではあると思う。
凄く素敵だと思う反面、これは「上手くいった例」にすぎない。兄が発達障害抱えてて、近くで見てきたからこそ分かるけど綺麗事ばかりじゃどうにもならない。
綺麗事ばかりじゃない事を
こっちも容認する事が必要ですよ。
いろんな人が同じ空間にいて、容認してくれる人もいるし、そうでない人もいる。
その中で、虐めや差別でない対応とか一緒に活きていく方法を体験して、お互い学んでいくことが必要だと思いますよ。
@@kingyochankingyochan2719 その「容認」のコストをなぜ他の生徒が払わないといけないんですか?私はASDですが準備不足で障害者を健常者の中に突然入れるほうがよほど危険だと思いますよ?この番組でやってるのはインクルーシブじゃなくただの成りゆき任せです。反論があったら私もこの動画にコメントしましたのでそっちにして下さい。
容認してないわけではないと思います。
現実はこんな理想論、綺麗事では済ませれないと思う。
健常の子供達の中にポンと障害者が入った時に、出来ないことが出て来るのは当然だしそれはその子のせいではないです、障害があるから出来ないだけ。
だけど出来ないことが出て来た時に、辛い思いをするのは障害の子供本人なのですから、そのことを忘れないで欲しい。
私はそれでいじめに遭っての3年間だったので、そんな思いをするぐらいなら最初から支援学校に行かせて欲しい。
それは、障害児の親御さんに言いたいです。
小さい頃は楽しいかも知れない、小学校低学年とかは。
だけど、「楽しい」とか「嬉しい」だけでは済まない時が来ると思います。
いじめに遭って辛い思いをするのは本人だから。
教員の負担増える
美談にしてはいけない。この子が普通校に入れたのは、他害や物の破壊をしない、高頻度で奇声を発しない、飛び出しをしないなどのある程度他人に迷惑をかけない要素があったこと、そして学校側が受け入れられる余裕があった(もし同じような子が違う学年にいたら支援するための人材は得られたか??)ことなど色々な条件があったからだ。重度の障害があるからと言って必ず特別支援学校という考えは正しくないが、どんな障害のある子どもも通常学校に行ける世の中にすべきだという考えは間違いだと考えるべきだと思う。特別支援学校のような環境だからこそ教育ができる子達もたくさんいる。
教師の長時間残業問題を解決しないでインクルーシブ教育をするべきではないです。
長時間労働してる教師と意欲的な教師と障害者とうまくいく行かないというのがあるわけで、どういう条件でうまくいくいかないという、条件出しをすることが実現する上で必要。
息子が中学生の時、とても体が大きい(中学1年で180cm超の男子でした)支援学級の子と同じクラスでした。音楽、美術、体育、給食などは一緒だったらしいのですが、突然理由もなく暴れ出す子で、巻き込まれて怪我をする生徒もいました。
私は障害のある子全てが同じ学級は無理だと思っています。障害の程度にもよると思いますが、他人に危害を加えない子で、少し補助をすれば普通に近い生活が出来る子までが普通学級に在籍可能だと思います。
現実は綺麗事だけではやっていけないと思います。
特別支援学校に行きたくなくて、だからと言って通常学級に行きたいって、極端すぎない?と報道を見て思いましたが、学校側の「やってみよう」という言葉が大事なのはわかりました。特別支援学校は家から遠いこともあるので、地域で一緒に育てられたらいいなと思います。ただ、投稿専用さんの体験のように、他害児のためにほかの児童がケガをするのを我慢してはいけないと思います。
特別支援級に一度入ると中々抜け出せないみたいですよ、特別支援級のわかるようになるまでと言うゆっくりとひた学び方によってその子の学力が落ち
普通級に戻っても余計についていけなくなるみたいです。
小中学校特殊学級のほうがいい👍
養護学校小学部・中学部に行かずやっぱり小中学校特殊学級に通うほうがいい👍
知的障害と一口に言っても、学習障害と自閉症では大きな差があるからね(さらに自閉症の中でも程度の差は大きい)。やはり障碍者が通常学級で学ぶのは本人にとってもメリットは少ないと思う。その点、特別支援学校を通常の小学校の隣に設置して健常者との交流を図る小豆島の特別支援学校の試みは(授業は特支、課外活動やイベントは共同参加)、同じインクルーシブ教育でもよりフレキシブルであり、注目に値すると思う。
感動的なストーリーで、これを目指したいのはやまやまだけど、この負担やリスクを予算面でも人員面でも支援を得られない中で学校が引き受けたのだと思うと、美談には感じられない。ぜひ、「インクルーシブ教育を実現するために必要なこと」というテーマで特集してもらいたい。必要なのは美談ではなく、予算だと思う。
@Just a man ある意味救いの手w
本当に現実味ないな綺麗な部分写しすぎせめてその子達が20歳になって以降の生活を見せるべき障害者に社会がどれだけ残酷かを写すべき
そもそも、こういう人達と健常者を触れ合わせていいのか。内部障害だといつ発作が出るか分からない。重い知的障害だといつ暴れ出すか分からない。
生活に支障が出にくい身体,内部障害、軽度知的障害や境界知能の人と健常者が同じ授業を受ける機会をつくる。これがインクルーシブ教育の理想では?
SランとFランとの交流みたいな感じ
教えたい事あって書き込むけど、既に俺の通ってる高校は都立全日制普通科高校で都立1の頭悪い高校で、多くが障害。つまり既にインクルーシブ。まず200人中、190人ほどが全く勉強しない。
授業中全て寝てる奴とかザラにいっぱいいる。
半数がまず寝てる。
テストの点数は100/500点(1教科20点以下)とか普通にいる。ほぼ全て赤点。感情制御出来なくて暴力、暴言とか。体育の授業で負けたりすると毎度キレてボール蹴り飛ばして人に当てるとか殴るとか。
授業中起きててもうるさくて無法地帯と言われたり幼稚園とか動物園と言われて名高い。
恩を仇で返すのが当たり前。
人の事全く考えない。
悪口嫌がらせとか女子がよく(常気を逸した)やる。
そもそも定員割れで誰でも入れる。定員割れしなくても3次募集までやってて定員割れだから誰でも入れる。
脚切り点もない。
だからヤバいの勢揃い。
モンスタペアレンツがやたら多い。
そもそも学習障害とかコミュ障とか色々、俗に言うガチの障害も多い。
ちなみに何故かハーフがインターナショナルスクール並み?に多い。
ふつうのダウン症くらいだったら余裕でやっていける。
たぶんテストも勉強してれば学年真ん中くらいいく。
ダウン症でも。
それが都立全日制普通科、大山高校。
先生はちゃんとした人ばっかだし、入学のとき、ダウン症だからって拒絶したりしないはず。
すでに異例の入学とかさせてる実績(アラフォーが入学(成績学年1位))あるし。
ダウン症とかの親は普通高校に入学させたいと思うなら、大山高校は良い勉強にはなると思う。
暴力のイジメはまず無い。
もっとマシな学校の方が良いに決まってるけど、大山高校はテストも幼稚園並みに簡単だったり、1科目までなら評定1とっても進級できるし。
定時制もあってこことは比べ物にならんくらい平和らしいけど、朝から健康的に普通の高校いきたい、行かせたいなら、大山高校は一考に値するかも。
テスト全部0点でもプリントとか提出してれば1つかない。進級➡卒業できる。
ちなみにバリアフリーでエレベータもある。
入学説明会とか、個人的に相談とかしにいくと良いと思う
@@miyabietzsche5951 すみません、質問です。「暴力のイジメはまず無い」のはなぜなのでしょうか?普通逆に感じてしまうのですが。
中学生の頃、親が支援学級に入れたくないって言って通常学級に入れられてた障害者の子(身体障害、知的障害ある子)いたけど、その子のためにみんなが動かないといけないこととかしなきゃいけないこと多くて正直まじで面倒かったし、みんな裏では色々言ってたけど、誰もそれを表で言っちゃいけない風潮だったからみんな受け入れるしか無かった。
結局途中からやっぱり通常学級は無理があるって判断されて支援学級に写ってたけど、本人が支援学級に行ってよかったって言ってて卒業文集にもそのこと書いてたから、本人も通常学級はキツかったんだなって感じた。だからこういうのを、障害があっても通常学級に通える!たくさんの友達が支えて助けてくれる!みたいに美談にはしてほしくないな
言葉変えて正常な子供と教員に負担押し付けているだけじゃん。
「どのように接していいかわからない」のが本音。
幼い頃、若い頃から特質ある子と接していれば大人になって戸惑うことが少なくインクルーシブな社会の実現に近づけるんだなと勉強になりました。
特質や障害の程度にもよるとけど。
お世話係とか言って
生徒に丸投げするようなことは
無いようにしてほしい
お世話係の別に一般学級に限ったことではないと思います。
特殊学校に在籍していたころ軽度障害の子が重度障害の子が介助することもある。盲学校に在籍していたしていたのでそのケースていうと弱視の子が全盲の子を介助をするとかあるので校外に出ると視力と視野か悪いので介助している子とともに電信柱にぶつかってしまうこと多々あります。
よかった。このようなコメントがあって。実は、そういうことが多々あって、数人に任せるんだ。そして美談にしているだけ。他は知らん顔している生徒も多々いて、数人が取り巻くお世話係を先生が強化子与えて、満足させている。すると受験戦争に負けた。それも個人の能力が低かったと言われたらそうとしか言えないが。EQは高くなったけどね。優しさで受験させてほしかった。なんか知らんけど、社会に出てもお世話係に当たるくじ運。良い人、で慶んでいたら、現実はあらら・・・って感じで、ひねくれそうです。
@@江間康史-d9h 同じく盲学校卒のものです。
私は理療科だけだったから詳しいことは分からないけど、小学部から在籍していた友達もそう言っていました。
それで電信柱にぶつかると弱視の子の方が責められるんだとか。
「あなたがきちんと見てあげないからこの子は電信柱にぶつかったんでしょ、あなたのせいでしょ」みたいな。
これは本当に特殊な例だと思う
小学校で自閉症の子と同じクラスになったけど意思疎通はあんまり出来ないし突飛な行動もするから、同級生じゃなく介護者みたいな扱いになってた
他にも親によっては障害者だから何してもしょうがない、みたいな放任主義的なのもいて善悪の区別がついてない子もいる
こういう子の場合他の子が何されても我慢を強いられる事になる
自閉症スペクトラムといっても軽度~重度までいるわけだから、とりわけこのケースが特殊というわけではないのでは?
自閉症って重度のケースばかり取り上げられて話題になるから目立つけど軽度だと普通に健常者と近い形で働いてる人もいるからな
そこまではならなくても大人になれば意思疎通はできるようになる人が多いと思う
義務教育中に軽度の知的、発達障害を持つ同級生の世話を教師に押し付けられました。
学年末の面談で相手方に言われたから同じクラスにすると直接言われた時は絶望しました。
まだいじめや障害などへの対応が進んでいなかった時代と地域だったので腫れ物のように扱われ、常に押し付けられていた自分も友達から避けられる事になりました。
おかげで成人するまで軽度の障害を持つ子、グレーゾーンの子に対しての苦手意識というか、差別意識もあったと思います。
いい年になったのと文献などを調べて今では多様性があることは賛成です。
ですが、その対応にまだ心身ともに未発達な子供を巻き込まず大人が主導権を握って対応して欲しいです。
自分も同級生に心から穏やかに接することのできる学生時代を過ごしたかったです。
田舎でしたので結局9年間同じクラスでした。
養護学校小学部・中学部に行くのは嫌だからだから小中学校特殊学級に通うほうがいい👍
小学校の時を思い出しました。
ダウン症の子と同じクラスで、みんなで面倒を見てとても思いやりのあるクラスだったと思います。
ただ今思い返せばそれはみんなの我慢の上に成り立っていたと思います。
給食の時、隣の席の人がその子の面倒を見ながら食べますが、手づかみで食べ、その手でこちらのご飯までとって食べます。注意しても意思疎通がはかれないのでまたやられるのですが…。よだれのついた手で触られた自分のご飯を、いやだなぁと思いながらも障害があるんだから仕方ない、我慢するのが当たり前だと思って食べていました。同じ給食費を払ってるのに一人前食べられない、とか新しいものに変えてくれたらいいのにとか今は思いますが、当時は文句を言うほうが人でなしという洗脳に近いものがあったと思います。でもその子のことは嫌いではなかったですよ。私たちは「良い子」だったので嫌いませんでした。そうさせられていたと思います。子供は純粋ですから。
周りの大人がしっかりサポートできて、誰も我慢せず、善意でのみ成り立つインクルーシブならいいと思います。実際いい経験ができたと思います。
自閉症の兄がいます。
障害者、同級生どちらかが我慢するというのはやはり違うのではないのかなぁとおもいます。
私としてはどちらも伸び伸びできる環境が第一だと考えます。
8:33 「障碍者は障害学級へ、という同調圧力」っていうのが、どうも引っかかる。
このコメのように、「みんな仲良し、良い子」でいることへの同調圧力を生むことになるけど、それは見過ごして良いのか??
例えば老人ホームでも重度軽度によって棲み分けられます。医療が必要なところは特養とか、歩ける人や軽度の認知症ならデイとか、それなりの苦労はあるけれど、障害者にも重度や軽度があり、手づかみで食べたり物事を論理的に考えられないようなケースは学校では受け入れられないとか、そういう細かな区分けが、国や行政はまだ出来てないような気がします。中には障害が無いように見える障害者がいます。そういう人は「ヘルプマーク」と言うのをつけてます。
中には障害を持つ子を理解できない、または理解するには難しい年齢があるけれど、いずれ自分が事故で障害者になったり後遺症を持つこともあります。そういうときに受け入れる場所が無いとか、一般社会から爪弾きにされないための取り組みだとも考えられます。
日本じゃ特に、ボランティアでホームレスにご飯を食べさせるとかの機会が欧米に比べ少ない。社会福祉の機会が全くと言って良い程なく、知らない人は知らないまんまで終わったりする。また、ケアする側のケアも大事になってくるよね?
@@檸檬-j7d 兄弟だから慣れているんです。
実際我慢してるんですよね私の学校もそうだった
そうやって健常児が「嫌だなぁ、迷惑だなぁ」とか思いながら過ごして行くと、将来的な差別や偏見に繋がりますよね。
そんなに負担なら先生に言えばいいのに、とも思います。
我慢と言うんならストライキでも起こして、クラスみんなで「コイツの世話は迷惑だ、嫌だ、負担だ」などとでも言えば、先生もそれなりに分かってくれたのではないですかね。
好きで障害者してるわけじゃないんだし、それを「あなたのせいでいらん負担が増えるでしょ、迷惑なんだけど」と言われると悲しくなりますね。
社会福祉士や介護福祉士、特別支援学校教員免許などの保持者です。あえて書きます。
この北海道や大阪の例は確かに素晴らしいです。しかし、様々な事情で、全ての地域や自治体でインクルーシブ教育を行える訳ではありませんし、行うには相応の予算・労力・時間が求められます。健常児へのケアも求められます。
そして、特別支援教育が適している児童生徒も当然居ますし、「インクルーシブ教育=特別支援教育廃止」につながってはいけません。
インクルーシブ教育が、「悪い意味での美談」にならないことが求められます。
支援学校で障害児教育に携わった後障害者施設で支援員をしましたが同感です。インクルーシブがすべてではない。現場職員の能力や児童生徒の適性に応じた教育を選択できるようにするべきです。
上手くいったクラスも上手くいかなかったクラスも見てきました。障害の内容にもよるし、他害があると厳しいですね。カズキ君のクラスでは、カズキ君をクラスメイトが世話をすることで、生徒自身が癒される面、誰かのためになったという生徒の自己肯定感の上昇、カズキ君のことで男女問わずクラスメイト同士がコミュニケーションをとり仲良くなり、カズキ君がクラスを良くするキーマンとなったのではないかなと思います。そういった状況を他のクラスでも見ました。学級崩壊をおこした子がクラスがかわって障害のある子と助け合い共に変容していく姿が素敵でした。一方であるクラスでは存在すら無視で通級して意味があるように思えなかったりいろいろです。
こんな素敵な話も必要、でももっと現実的な話を放送してほしい。特別支援学校と学級の現状。小学校の特別支援学級で馴染めず、普通学級の子供からいじめられた傷を持って特別支援学校にきて、自分より重い障害の子に自分が言われてた言葉を言っていじめようとする子もいる。現実そんな簡単じゃない。簡単なわけない。
どう考えても普通学級のいじめた奴が悪いじゃん?
いじめたやつを特別学級に入れるべきでは?
@@さくら-t1k6n先生たちがサポートします。とか言ってるけど実際生徒任せなんだよなそれによって迷惑されていじめも起こる
@@っっっs 担任は1人しかいないよ?いっぱいいる学生が助けてあげれば良いのでは。
@@さくら-t1k6n やっぱり障害者だから理解力が低くていちいち説明しないといけない。それでも分からない。そして呆れる。そして自分のやる事が出来ない。出来なかったら、先生に怒られる。
情緒不安定な子は暴れて人に傷つけられる。しかし障害者だから普通のことは違ってあまり怒らない,特別扱いされてムカつくてっ感じ
うちの学校もそんな感じだった
1回まだいじめてない場面の聲の形みたいな感じ
ちなみに生徒がいっぱいいるからサポートするとありますが、大半の人は障害者と避けます、(理由人それぞれ)そしてカーストで1番下の人がお世話係されます。
本当それななんですよね
これ、単にかずきくんが面白くてイイキャラしてて愛嬌がある子だから受け入れられただけの事例な気がする。顔も整ってるし。
ただ、最初はあまり笑わなかったのが中3になってよく笑う子になったということは、やっぱり周りの環境も良かったのかな。
なんかすごい稀なケースにしか思えない。私はクラスメイトの障害児の男の子に、友達とは思えなかった。友達風にはなんとか接してた。
結局はそうなんですよね、障害者がいたら負担になるんじゃないですか?
お世話役させられる健常者の子もいるだろうし、その子は嫌でしょうね。
そんな環境にいたらこっちも辛いですよ。「迷惑かけてるのかな」とか私なら思ってしまう。
その為にも、お互いの為に障害者はそれ専門の教育、支援学校に行った方がいい。
私も最初から盲学校に行きたかった視覚障害者です。
自分が通っていた小学校、中学校でも普通にあった。引っ越ししてすぐの学校の席替えで、車いすの子が隣になった時は、まだ学校に慣れていないにも関わらず色々求められて理不尽だと思った記憶があります。こういう経験があったから分けろと言うつもりはないし、この制度自体に何か唱えたりしたいこともないけれど、周囲の子供へのケアも大事だと思う。
知的なし軽度発達当事者です。私はむしろ特支に行ったことがありません。当事者だからこそ色々分かることがありますが、綺麗事だけでは片付きません。その人と周りに負担なく生活できるのがベストだと思います
お互いに負担だと感じないようになりたいです。
わりと現実的な考え方のコメントが多くて共感した。
インクルーシブが理想とされているのはわかるし、目指したいのもわかる。けれどこの動画を見てすぐに「こうすべきだ、他の行政や学校はなにをしているんだ」と思うのは視野が狭いと思ってしまう。
集団生活では支援学校での優遇された対応とは違い、どうしても本人の苦しさなどから問題を起こしてしまったり、音をたてたり奇声をあげるときもある。そのときに、他の子の気持ちは、権利はどうなるのか。
みんな等しく教育を受ける権利をもっている。その子だけ許されると、他の子供は少なからず我慢を強いられることになる。
必要な人材、環境、費用揃えることのできない学校に不満を言ったり、「本人のためだから通常級へ」と一点張りするのは、親のエゴ的な部分も感じられてしまう。少人数でその子に合わせた療育、教育を受けるメリットは大きい。
すっごい理想論だね。こういうのって障害のある側の意見しか取り上げられないけど、一緒に過ごした健常の人たちの意見も聞くべきじゃない?
クラスの子達が優しくなったって言ってたけど、そりゃ表立って障害のある子の文句なんて言えないよ。
そこが最大の問題であるはずなのに無視している事がマズイ。
裏でアンケートを取って障害者なんてごめんだと意思表示できる場を設けるべきだし嫌な子は別クラスにするべき。
1クラスしかない場合は諦めて特別支援学級に行ってもらう様にしないと嫌な思いをする子が必ず出る。
お世話係、いじめ、先生が何かにつけ呼び出す。周りに迷惑をかけてきました。いつも謝り続け。子供は好きだけど。悩み。疲れてました。特別支援学校は親子共々過ごしやすかったですよ。
かずきくんの周りのお友達がみんな優しくて見てるだけで涙が出てきました
周りよりも温かいクラスになったとか、お母さんがその子達を希望と表現したことが印象的で本当にその通りだなと
自分も小学校に発達障害の同級生がいましたが、普通に一緒に授業を受けて放課後普通に家に遊びに行ったりしてたなあと思い出し、子供って大人が思ってるよりも全然気にしてないよなと当時のことを思い出しました
こんな世の中ですが、皆さんの身近にいる人達がどうか温かい世界でありますように
私もこのような世界に貢献できるよう勉強していきます
それは、いい学校でしたね、発達障害だと、自分もそうだけど、めちゃくちゃいじめられましたね
世の中の差別や偏見は、大人が自分達の都合で作り出している。
かずきくんの周囲の子どもたち、中学校の先生方を見習いたいです。
かずきくん本人もですが、ご家族が安心出来る環境は何より素晴らしいと思いました。
同じクラスに障害を抱えている子がいたけど、やっぱり周りの配慮が必要でそんな綺麗にいかなった。障害を抱えている子が普通のクラスに入る為に周りが不便な生活を強いられる事になったし、その子はすごく浮いていたしお互いの為に別々の方がいいと思う。現在はうまくいかない。
「挑戦してみましょう」と覚悟を決めた学校の先生は本当に素晴らしい方だと思う。
先生が真摯に子どもと向き合う姿を見たからこそ、子どもたちも感化されたんじゃないかな。
場合によっては「贔屓してる」と見られてもおかしくないのに、、、そこをうまくバランスとりながら全ての子どもと接してたんだね。
インクルーシブ教育は、聞こえはいいけど実現させるのは本当に難しいと思う。
障害児教育、障害児福祉に携わっていますが、知的レベルによってはインクルーシブ教育の弊害が大きいと感じています。知的障害があって全体的な学力がゆっくりしている子は、言葉の理解もゆっくりな子が多いです。そんな中、国語や算数だけが取り出し授業で、理科や社会はみんなと同じ授業を受けるというのは本当に大変なことです。授業が理解できないので手遊びしているのに、先生はただ行動だけを注意しています。(先生は授業を進めないといけないので、その場で個別に教えるのが現実的に無理なのは承知です。)結局、障害のある子はただ45分座り続ける忍耐力を養ってるだけです。体育や図工や音楽などの副教科を一緒に受けるのは良いと思いますが、主要科目の授業については子どもに合わせた学習が必要だと思います。また、インクルーシブ教育により交流級(通常級)で学習する時間が増えたため、支援級の子は、支援級の宿題と交流級の宿題の2つ分を出されている学校がとても多いです。ただでさえ学習がしんどいので支援級に在籍しているのに、交流級の宿題もこなさないといけないので子どもも保護者も疲弊されています。現場を知っている者からすれば、インクルーシブ教育はいいことばかりではありません。
大人の軽度知的障害当事者です 知的障害は軽度どあれ重度であれ理解や知性というのがほぼ皆無といっても過言ではありません 45分間ただ座って我慢する忍耐力をつけてるだけ、というのはその通りです 僕は巷で知られるコグトレといった認知機能の反復訓練も、ただひたすらこれ以上知能や認知が落ちないようにするためのボケ防止みたいなモノだと思います
かずきさんに合った教育ができてるのかが何より大事なのに、一緒に通うことが目的になってるようにみえる。
俺と同じだな。自分の偏差値を遥かに超える大学に入ってしまった。偏差値45だったけど70くらいのとこにいって苦しかった
ここが本質よな。一人一人違った人間を一つの教育法で縛ろうとするからそのペースについてこられない子たちが特別支援学校などに通うようになる。
共生社会を実現させるためには普通学級とか特別支援学級とか関係なく,一人一人に適した教育法を行うなど,もっと教育制度を柔軟に変化させる必要があると思う。
何が教育なのでしょうか?
何を教えることが、かずきさんにとっていいのでしょうか?
かずきさんが、療育の幼稚園でなく、地域の幼稚園を選んだこと。それこそがかずきさんが求めた学びなのではないのでしょうか?
かずきさんに合った教育。
一緒に過ごすことが1番の学びだと思います。
重度知的障害児の母の実感として思います。
結局理想論で片付けては駄目だと思いますね。
私は視覚障害があり、小中高普通校でその後盲学校に通いましたが、普通校での体育の授業って嫌いでした。
何故なら目が悪いと普通の人のスポーツは着いていけないからです。
それでもみんなと同じようにやる様に言われました。なので、「自分は出来ないんだ」という思いがあり、とても悔しかったです。その結果、「スポーツ嫌い」という先入観が私の中でありました。
ところが、盲学校の体育は目が悪い人向けのものなので、そこで初めて「スポーツって楽しいんだ、私も出来るんだ」という、初めて自分に自信が持てました。
この動画の「この子の為を考えましょうね」っていうのはその通りだと思います。
健常児の子と一緒にいるということは、その子にとって必ずしも大切なのでしょうか。
私はそうは思いません。
出来ること出来ないことってそれぞれあって、同じ教室で学ぶことによって出来ない子が悔しい思いや辛い思いをするだけで、周りにとっては障害者を身近に感じる意味ではいいと思うけど、それって障害者のことを考えているようで実は考えていないと思います。
理想だけではいけない。
同じ教室で学ぶこと=差別や偏見をなくすこと、ではないように思います。
結局、その子の生きやすい環境で自己肯定感を高めることって大切だと思います。
なので、早い段階から盲学校に通った弟が羨ましかったです。
色々考えはあるでしょうが。
@@加藤美登子 そのために周りの子が犠牲になるのがおかしいという話ですよ。本来社会全体で負担すべきコストを同じクラスの子供がタダ働きで負担させられているんです。
クラスメートがいい子たちでよかった
お世話係が出ることがないようにはなってほしい
皆と一緒に友だち仲間になりたい
学ぶ環境ではなく周りの理解。
障害を理解できないのではなく、障害を理解したくない方が、多い。
とっても難しい。
周りの環境でどの学校に通学出来るかは、本当に学校の受け入れ。でも学校がうけいれても、クラスが受け入れてくれるかどうかは、本当に難しいです。
小中とインクルーシブ経験者です。
正直いい思い出は一切ありません。
普通学級にいちいち行くくらいなら
ずっと特学にいる方が気がラクでした。
重度知的障害など突出している子の方が、通常学級でも過ごしやすいのかもしれませんね。
私も軽度発達障害だったので、通常学級て周りと自分を比べて辛かったです。
障がいを持った子の親にとってはすごく良い話なんだろうけど、同じクラスにされる子どもたちとしては、毎日大変じゃないのかなあ。100のうち100が大変なわけではないんだろうけど、でも大半が大変なはず。それは身体的にも精神的にも……それを「差別のない世界へ」とだけされるのはしんどいな。
かずきくんは友達にもクラスにも恵まれましたね。🤗
非常に考えさせられました。
とても幸運なケースだったとは思うけど、これやったらほんとに親御さんもどんなにか心強いでしょう。
これからも応援しています。
小中学校特殊学級に行くほうがいい👍
普通学級と交流して協力します😉✌
このケースは周りの人間に救われたし助けられたから、上手くいったように見えるだけ。発達も個々人それぞれ。どんな子にもコレが当て嵌まるとは思えない。
普通級に通うという事は、他の子に負担を強いるという事。本来ならギャランティーが発生する様な業務を、ボランティアで先生や生徒達にさせたという話に聞こえる。
暴れる子に怪我や恐い思いをさせられた子もいるだろう。長い間トラウマになってる人もいると思う。
子によっては療育に通い、社会に出る為の準備をするのは必要だが、社会に出るのも困難であるならば、共存は難しい。
いつも思う。多様性や平等を謳うのなら、普通の子にもキチンと教育が受けられる環境を作って欲しい。
軽度の発達民としてはこの教育は反対だぞ。普通の人や親は「みんなと一緒でよかったね」って言ってくるけど一緒じゃあ無いんだよな。重度、中度の子は出来ない事が多いから置いてかれ軽度の子や発達と健常者の間の子は一生懸命努力して勉強しても健常者の子の平均かそれ以下の成績しか取れん。「一緒」って言っても発達とか障害って「出来ない所が普通の人より多い」って感じなんよ。だからこんな教育しても俺ら発達民のメンタルぐちゃぐちゃにするだけだぞ。小学生の時や中学は良いけど絶対どこかで遅れが来る、んで高校はほぼ確実に総合支援か通信校。(努力しても人並み以上にしなきゃ無理)大学とかも頭いいあの一部のギフテッド組しか行けん。漢字を書くのが難しい、読むのが難しい、計算するのが難しい、(簡単な足し算掛け算など)生きるのに大事な事が出来んのに大学行けると思うか?並大抵の高校いけると思うか?無理よ。冷たい事言うが発達障害ってこんなもんよ。努力したらいけるは健常者にしか使えん。努力しても大抵普通の人らに追い付けやん。この教育しても後々しんどい現実を叩き付けるだけよ。普通の人らと友達とは違うってなるわ。だから発達民って二次障害で鬱持ちが多いんよ。とやかく急いでやるよりやるんなら慎重にやってくれ。
インクルーシブとは、感動的な素晴らしい世界ではなく、色々な人たちが当たり前の苦労を当たり前に経験する世界だと思う。
障害ある子を今ある普通の世界に近づける個人レベルの医学モデルではなく、障害有る無し関係なく、各々困難ある時どうするか考え合う環境つくっていこうという社会モデルのこと。
でも自分を含め人の価値観はそう簡単に変われないから、諦めずに啓発活動を続けていく姿勢が大切!
勇気と希望をもらいました!学びは楽しい❣️
始めたばかりは否定的な意見が多いのは当たり前ですよね。でも孫が成長した時には障害のある方との共生が当たり前になっているようにしていきたいです。
障害の種類や重さは人それぞれだから難しいんじゃないの?
障害によっては普通の授業が成立しなくなる事もあり、障害のない子供が本来受けられる授業を受ける権利と衝突するでしょ
ここに上がっているような"良い事例"の中で育ちました。小中と、在籍としては支援学級の子も、みんな常に同じ教室で、支援の先生も常に配置されていて、校内も、古い建物でしたが、さまざまな方法でバリアフリーがなされていました。確かに面倒を見るような場面もあったと思います。それで嫌な思いをしていた子もいたのかもしれません。でも、小学1年生、早ければ保育園の頃からお互いを知っているような環境だったので、みんなそれが当たり前でしたし、対応もみんなよく分かっていました。不満があれば素直にぶつけ、先生も間に入りながら、接し方を学んできたように思います。
昔は小児麻痺で知的障害のある子も同じクラスにいたけど、ずっとお世話係をさせられて、全校遠足の時も
私だけいろいろ行動が制限された。他の子たちは友達と自由に遊んだりしてるのに、くやしさを忘れられない。
その子は中学は養護学校に行ったけど、もう一人、自閉症のある子は地元の中学に進み、同じ小学校からの子が
今度はお世話係されられてた。私は解放されたけど、それが私になってたかもしれず。大人になった今、福祉とか
に興味はあるけど、インクルーシブ教育や多様性は大事だとは言え、誰かが犠牲になってるならそれはどうかと思う...。
増加ではなく診断される子が増えたのだ
vaccines.
他害がないなら良いと思う。「他害がないなら」ね。「他人を傷つけてはいけない」と言う至極当然のことを障害があるからという理由で許すことが学校であってはいけないし、そんな経験を学生時代にしようもんなら差別意識の助長に繋がりかねない。
小学校の頃に1つ上の学年に知的障害の男子がいたけど、
支援の体制がちゃんとしていなかったから、女子に世話役押し付けられてて可哀想だった
嫌って言えない子にだけ抱きついてきたりしてたから、障害あるなし関係なく個人として嫌いだったの思い出した
修学旅行とかでも世話させられてて、楽しめなかったらしい
動画のような事が出来る自治体、学校は素晴らしいけど
実際一緒に過ごして、辛い思いしてる子がいるかどうか大人が定期的に確認する必要があると思う
結局高学年になって、専門的な学校?に転校していったけど
長い間一緒に過ごしてたのに誰も悲しんでなかった
せいせいするって言われてた
その子の親だけが悲しんでた
一見、美談に見えるけど担任の先生の負担は大きいと思う。さらに事故が起きた時、学校や先生の責任だ!教師を辞めろ!と批判されるリスクもある。そもそも日本の先生は忙しすぎる。別の仕事を減らすなど先生を守る仕組みも必要。
支援学校の手が足りなくなってきたから今度は通常の学校に丸投げしてるようにしか見えません。
ただでさえ教員の負担は大きいのにこれ以上負担を増やしたら障害児・健常児共に大変になる。
例えば特別支援学校のようなところは、常に吸引器が必要だったり、車椅子も頭までのヤツとか、一人一人のケアがとても大変。介護が必要な人もいる。老介護でもそうだけど、ケースによって受け入れられるらレ無いがある。
基本就労できるほど、学校に行けるほどは「軽度」とされてるし、障害者も身体・知的(発達など)・精神(鬱パニ)なんかに分けられ、特に発達だと軽度のADHDから多動性もいれば、言葉が上手く発することが出来ない子もいる。
差別と言うより区別。こう言う子がいるとか、社会にはこういう人がいるというのを身をもって勉強するには良いけど、いじめやトラブルなんかは専門資格を持ってない先生が対応できるか不安。
これは"良い例"の報道だと見る側がちゃんとわかってないと。いろいろ問題があるから特別支援学級があるのだから。
小学生の時同級生に発達障害の人いたけど、障害ゆえのトラブル多くて殆どが所謂健常者が我慢させられてたから最終的に学級崩壊した
40人の中に3人いたら担任が個別の支援計画・指導計画を作成しなきゃいけないし、色々問題も生じるだろうから、負担大きいよぉ。
一般級で20人の生徒だったら、3人くらい診断を受けている生徒を引き受けてもよいと思うけど…。
私は中学時代ダウン症のことインクルーシブで学びました。その子の家に友達として遊びに行ったりとか、表面的には仲良くしていたけど、その子が理由不明で腹を立てたときに、私の首を絞めてきました。その事がトラウマでどんなに優しくしようとしても、ちゃんとした関係は築けないと感じたときから、私はインクルーシブ反対派になりました。今は教員の仕事をしていますが、子供によって学び方も様々です。同じ教え方では伸びない子も障害があれば当然です。私は特別支援教育をして障害者が一番学びやすい環境を提供することが一番いいのではと感じています‥やっぱり障害‥特に知的障害があること一緒に学ぶにはストレスがありすぎます‥😓😓
なんかめっちゃレアケースじゃね?障害ある子と同じクラスだった経験あるけど、かなり周りの人に恵まれてるし、かずきさんも多分周りに好かれやすいようなキャラしてるんだろうね、綺麗な顔してるし
私のクラスにいた子は女の子だったけど結構体おおきくて何かあるとすごい大変だったし、担任があんま良くない人で私「お世話係」みたいなの押し付けられてたことあって学校行けなくなった時あったし
正直「なんで偶然同じクラスになっただけでこんな思いしなきゃいけないの」って思った
理想だけど、お世話係だったり色々問題はあると思う…
こういう"わかりやすい人"はいいですね
かずきさん、両親、学校、友達。凄い素敵な人たちに囲まれて幸せそう!
確かに個別がいいという意見もあるし、うちの息子も支援級に入れたけど、かずきさんが望んた道は支援級や支援学校に入れるより険しいよね。自分も、周りも。
支援級でも希望した教科は普通級の子と一緒に出来るし、やり方は色々ある。
かずきさんは、友達、環境に恵まれてるんだなぁ。
こんなに素敵な対応ができるのはすべて都会だから。これが地方になってくると、人材不足、資金不足、一番ひどいのは田舎の固定観念である、人と違うやつは排除する考え。田舎の人全員がそういう考えなわけではないけど、そういうのが壁となってやりたくてもできないことのほうが多い。この動画のようなことを全国どこの市町村でもできるように出来たらいいのに…
当事者としては…
完全に住み分けられる環境が望ましいです。
共存する事で家族も今以上ににメンタルを強くしないと心が壊れそうになってしまうだろう。
周りへの負担を考えると…お願い出来ない。
この子達は日本の光だ。
適切な支援や配慮ができるなら、普通学級に入るべきで、どう考えても今の日本の教育現場はそれができないから問題になってる。ここのコメントにも障害を持ったクラスメイトのお世話をしたとか暴力を振るわれたとか経験したことある人がいる、私もそうだった。こういうことを本当に日本全国に実現したいならまずいまの教育現場を改革しないと。綺麗事じゃ叶わない
そうなんだよな。俺も昔、支援学級の子と行事で一緒になったんだけど、世話を全部押し付けられて大変だった。今思うと明らかに先生たちに余裕がなくて、しつけというか彼らに対して適切な教育を施しているようには見えなかった。特に公立学校の余裕のなさは支援学級に限らずとも大きな問題だから、何とか改善させないとね。
障害の有無に限らず、クラスになじめない子や引きこもりがちの子もいる、同じく障害のある子も自分の意思を持っていて、「邪魔されたくない!」とか「今はやりたくない!」の気持ちというのや「構ってほしくない!」と言うのもある。今の日本の教育が画一的で押しつけがましいと言うのもあるけれど、一人にお世話させるんじゃなく、皆の手を借りて皆でお世話するとかにするとか、もう少しやり方はあると思う。どうしても子供だけだとどう対応して良いか分かんないとかもあるし
私は教員ですが、現場は決して排他的になったいるわけではない
障がい児の母体数が増えていることもあるだろうが、検査を受ける子が増えている
過去にも障がいのある子はある程度いた
その中には、障がいを受け入れない親やそもそも障がいについて知らないという親がいた
今は、障がいについて理解が広がり、障がいに合った教育の需要が広まっている
本人が普通級で友達と過ごしたいのか、少人数の落ち着いたところで過ごしたいのか、決して親の希望や大人の都合で振り回さないでほしい
この子は楽しく学校に通えているようでよかった
ただでさえ教員が足りないのに、インクルーシブで障害者のプロでも無い教員達にも責任を負わせるのは、子供達のためになるのだろうか?
勿論一番、障害のある子にとってそれは良いことなの?美談だと思えない
この10年で1.5倍か。
もう支えきれないな。
子どもによりけりだと思う。特別支援の子には目を離すと危険な行動をする子や他の子を叩くなどする子もいる。静かに座れても、授業に無関心で意味のない子もいる。「共に学ぶ」良さはあるが、それが正解とは限らない。
特別支援学校や支援学級が分け隔てる場所という認識ではなく、個々に安全管理したり力を育てる場所であることを踏まえた上で、考えればいいと思います
カズさんが人のことを好きな特性があったから良かったのだと思う、全部がこんなケースにはならない。あと理解が難しいとおもうんだけど、授業中はどうしてたんだろう。
私は障害ではないけど大きな音や振動、音楽、人が近くで喋っていたりすると先生の声が耳に入って来なくなったり集中できなくなってしまいます。なので歩き回る、大声で騒ぐタイプの発達障害の人がいるともう何も手につかない。だからこういう子達はこういう子達で養育した方がお互いにいいと思う。意地でも親が普通学級に入れようとかあるけど勉強する場としては難しいと思う。家族は我慢できても単なるクラスメートには我慢も限界。
障害者福祉に従事しています。当事者に対して適切な配慮がある環境が最も本人のためになると考えていましたが、「障害者は障害者の世界」で過ごしていくと、健常者との間には完全に溝ができてしまいます。クラスは社会の縮図だとすれば、障害児もいる状況というのが当たり前であるべきだと思いました。健常児の社会に対する認識を形作る上でも重要な取り組みですね。
『クラスは社会の縮図』という言葉にハッとしました。私はどちらかと言うと、障害者は支援学級という考えを持っていたと思います。つい最近、子どもが自閉症でほぼ確定と言われました。それ以降これからの将来、こどもが社会に出る時のことを考えると不安しかありませんでした。ですが、学校の段階でそういった考えが身に付いていれば、社会の偏見が変わるのでは無いかと思いました。
障害者に触れ自身も障害を持って生きる者です。障害者の気持ちは障害者にしか分からないし、優等生の気持ちは優等生にしか分かりません。そうやって一生、障害者はB型やA型にのみ通わせる社会を私は望みません。重度のADHDでも企業に勤められてる人もいるし、中にはイヤな顔されることもあるでしょうけど人間は皆失敗をする生き物です。お世話することによって自分も成長できますし、気付きがあります。こう言う言い方良くなかったなとか、昔は色んな人が居て、色んな複雑な家庭の子も居た。多様性とはそういう事じゃないでしょうか?あなたが気をつければ良いじゃなく、皆で気をつけようの方が良い。それに、自分は自閉症やダウン症の子と友達になりましたが、人当たりも良く笑顔も可愛くて、人懐っこくてスゴく好きになりました。そう言う触れもしないで「面倒くさい」部分だけでは無いと思いますよ。大変ではあるけれど、私は有意義な時間を過ごしたと思ってます
自分は、特別支援を勧められた者ですが、両親は昔も今も、障害に全く理解がありません。周りの話を聞かず、母親が強引に普通の学校に手続きしました。結果、高校までたくさんのいじめを受け、支えてくれようとした人も傷つけられて、強制的に離されました。周りとの違うところを毎日笑われて、暴言も聞かされました。一人でご飯を食べることと、一人で勉強することだけが幸せでした。
インクルーシブが出来るところは限られてます。到底日本で普及できるとは思えません。
これを「美談」と受け止める大人は本当に差別的教育を受けて育ったんだろうな…
難しいことは分からないけどわたしはインクルーシブの小学校でめっちゃ楽しかったし、その後行った私立の中学よりも、小学校の友達の方がやっぱりみんな全然優しくて臨機応変な人が多い!!
ハンディがあるからと特別扱いせず、自然に仲間が理解し、時間や苦楽を共にする、、。大人は難しく考え過ぎな気がする。子供って柔軟性があるし、対応能力高いから。お互いが人間として成長出来るのは素晴らしいことだなと感じる。
障害者と一緒にしたら、どうなるかわかる?
そいつが暴れて怪我する人がおるし、そんなことされたらみんなそいつに近づくことがなくなるやん…なんでトラブルが無いように分けてんのにそれを無くそうとすんねん
集合住宅の上階のお子さんが多分境界グレーゾーン。騒音被害を訴えても、親が「そんな事してない。うちの子は普通です」の一点張り。我が子に甘くなるのは理解出来るが、しつけや社会のルールを身に付けさせるのは保護者や学校の責任。
親御さんのメンタル教育が不可欠。学習の機会や互助会的チャンスが必要。普通だと思いたがる事が愛情じゃない。その子に本当に必要な学びを考えるのが大人の務めだと思います。
心理学でインクルーシブ教育について学んでいます。
理解を深めようと思って軽い気持ちで開きましたが、感動的で涙が出ました。
このような世界になって、誰もが暖かい人になってほしいと改めて思いました。
いつも思うけど、なぜ一緒に学ばせることに拘るのだろう。
日本の教育事情を鑑みて、同じクラスに健常者と支援を要する生徒が一緒に学ぶって明らかに無理。
健常者が勉学を高めようとして先生を頼ることもあるだろうし、支援を要する生徒はその子の障害に応じた手立てを立ててそれに沿ってやらなきゃいけない。
何より子どもがかわいそすぎる。
これを公教育のスタンダードとしてやるなら、文科省は教員の数を今の倍にするべき。
現場に理想ばかり押し付けてコマを増やさないから教員志望者が減るんです。
そりゃ上澄みの綺麗な部分だけしか報道できないよねえ
涙が出た😢感動した
学校は学習する場だからな。お世話係にされて自分の学習や学校生活を踏みにじられる児童が出るのも事実だし。
校長先生や、担任の先生や、生徒素敵です涙止まらない
周りは疲弊するよ学生も教員も
今 ほんの少し特別支援について学んでいるのだけど 暴力や暴言といった危害を加えられてもこれからの将来 多様性を受けいられるように、また「障害」という隔てを新たに作らないように、一緒に凸凹を受けいれるような学びとしてインクルーシブ教育はすごくいいと思うのだがジャッジを下すのが難しい…
多様性を受け入れるためにはお互いの不快を受け入れるっていう解釈をしているのだけど全然わかんない…
有識者教えてくれ…すごく悩んでいるよ…
多様な特性を持つ人が学びの場を共にすることで、それぞれ人生の引き出しになると思う。
棲み分けられることで出会えずコミュニケーション方法も知れないと思いますし。
この子たちが将来仕事に就いたら必要な政策とかサービスを考えるヒントになるのではないかな〜と感じました。
素敵な動画をありがとうございました。
これからの時代は特にかも知れませんが、障がい者と健常者を分けず、共に学んだり暮らしたりしていくことが大事だと思います。障がい者が居ることを当たり前にしたような環境で育つと、障がい者に対しての理解もしやすいんじゃないかなと感じます。
今の予算と人員では難しい。発達障がいの子への支援が普通学級でできないくらいなのに。
また、中学までは義務教育なのでわかるが、高校からは高卒という資格を得られる学校である。障がいがあっても、受験環境の配慮を受けて、試験のレベルを変えずに、入学できて、卒業できるのなら、何も言わない。しかし、障害があるからといって、試験の内容を中学レベルまで下げたらそれは問題だ。それだけはないと思いたい。
高認試験もあるんだから、出席だけで高卒資格を与えてはいけないと思っている。
注)支援学校の高等部は基本的に高卒資格は得られません。
正直インクルーシブがうまくいくかはその子の特性、周りの生徒の余裕、教員のフォロー動画等さまざまな要因が絡んでくる。
それなのにどうして成功したのか具体的な方策や過程を見せず、「インクルーシブ素晴らしい!」みたいな報道されるのはモヤモヤする。
理想と現実がある。
綺麗事だけでは無理がある。
国際競争力に打ち勝つ教育を蔑ろにしてはいけない。
ただでさえ、残業時間が多く教員の負担は重いのに。
障害もいろいろ種類や程度があるのに
現状はチャンポン状態である。
健常者の足を引っ張らない限りにおいて賛成。
でも現実はほぼ例外無く生徒負担が生じる。
それを教育とみるか、無償の労働とみるかは大人のエゴ次第。
自分の子しか見えないんだよな
他の児童や生徒が我慢してる場面たくさんあるって考え方が欠けてると思う
重度は分けたほうがいいとか言う方がいますが、おそらく、重度は普通学校の選択肢はなく、支援学校へ行ってます。
この問題はそもそも中軽度の発達障害児の話ですね。
多分どんな人でもなんとなく「障害に全く同じ症状の人はいない」ことくらい頭にあると思います。一人ずつ違うので対応の仕方も違います。でも実際、そんなことはできるはずなく、するためには一人ひとり支援員が付くしかないんです。無理な話です。だから数人を一人で見るために障害度を出す必要があります。支援学校はそれができるので子供も親も【楽(らく)】です。子供はできないことを無理にやらされないので心が安定します。親も周りに迷惑をかけずに済むと思えるのですごくすごく気持ちが楽です。
だけど、障害児にとって【楽(らく)】と【楽しい】は別のようです。
うちの子は中度よりの軽度自閉症です。普通学校の支援学級に属してます。小学校入学時、言葉はほぼ喋れませんでした。喋れなくても軽度であることは健常者にはびっくりな事実でしょうか?
結論から言うと、うちは周りに恵まれました。うちの子を「かわいい」と言って面倒を見てくれたり気にしてくれたりの子がたくさんたくさんいました。優しく暖かく接してくれました。それは今の6年生になっても変わらずにいてくれる子もいます。「…子もいる」という表現でリアルな雰囲気も出ますね(笑)
当たり前のことですが、面倒になって近寄らなくなる子もいます。当たり前です!こちらは何も不満に思いませんよ!
うちの子は学校が楽しいそうです。休むことはしたくないらしいです。授業は別ですが、体育や図工などは普通学級にいかせてくれます。みんなとケイドロするのが好きだそうです。走れませんし、ルールの理解も深くないですが、一緒に入れてくれます。誘ってくれます。楽しいそうです。そんなふうに思わせてくれている環境や友達に感謝の日々です。
インクルーシブ教育の取り上げ方って難しいですよね。障害児にも一緒になる健常児にもメリットデメリットあるんですから、いいことばかり取り上げても不信感が増します。が、メディアなんだから仕方ないです。
全ては障害児個人の程度や性格によります。関わりたくない子は関わらないのが正解だと思います。無理に関わらせる学校があればそれは学校に責任があると思います。健常児も、自分を守っていいと思います。
母としては、理解のある人だけが関わってほしいと思ってしまうので、【理解のある人が増えてほしい】というエゴは持ち合わせてしまっています……。
感動しました!障害をもった本人や家族だけでなく、周囲の人々が多様性について自然と理解していき、一人の人として相手を思いやることが自然と身に付いていく。素晴らしい実例ですね!
かずくんのお母様が素晴らしいのと、同級生が良い子ばかりで、感動で涙が出ました!
現場で20年、支援学校、普通学校で教育相談にとことん関わってきた。
保護者や生徒に寄り添ってきた。色んな思いはある、色んな議論点はある、当たり前。否定からは、何も生まれない。うまくいった事例から学ぶ、もちろんその反対からも、相手を理解しあう、話し合い、おもいやり、共通理解も大切。
結構シンプルなところが大切。
一番のユニバーサルデザインは、心の壁を取ることからしか始まらない。いじめの仕組みも個性や発達特性を理解することも、ヨーロッパの事例や大学の研究からもたくさん学べる。早くそれが育ってみんなの目の前に広がって欲しい。頑張る誠実な教師ほどある意味マイノリティで孤独だったりする。
JET(障がい者がファシリテーターで、マイノリティを学ぶこと)にも参加してきた。
インクルーシブとは、包容という意味。そこを理解していくこと、しあうこと、補い合う、助け合う、そして、どうすればいいか、一つ一つ心を持てる人同士が繫ること。そこからしか始まらない。そういう意味で、管理職采配である学校側の勇気ある挑戦や取り組みは、本当に限りなく素晴らしく貴重。本当に貴重。学校側の多くのスタンスを見てきた立場からそう思う。
批判や議論だけでなく、行動してくると色々思うことがある。インクルーシブを発信して10年近くなる。皆の幸せ、未来をつくる子どもたちの幸せを切に願います。
理想ばかりを話すメディアに問題解決の提案は出来ない。だからこそお互いを学ぶと言うワードで誤魔化す。
「授業に遅延が発生する場合がある」「障害のある子どもへの合理的配慮をどこまで行うかを思索しなければならない」「配慮した結果、業務が増える可能性がある」
また障害の有る子供の負担増大も有ると思われる。
当事者ですが、次男が地域の中学支援クラス在籍してましたが、散々でした。そんな理解のある先生はいませんでした。泣きました。悔しかったです。次男は中度発達障害です。本人頑張りました。高校は支援学校にしました。やはり先生の質が違いすぎて私自身楽になりました。私の地域は特に考えも昔的だし地域には求めていません。
遺伝っぽいね
@@樹里-s8b そう感じました。
支援学校、支援学級じゃダメなの?
母親が障害児差別してるじゃん。
幼稚園は遊びの場、小学校は勉強する所。
これ、極めて特殊例だよ。こういうの発達の人が全員視て影響されたら一番苦しむのはやはり発達の人。そして子供が自閉の親も頑固で我儘で世間への要求や上から目線が強い。この母親がいたからこの子に多く遺伝されて自閉要素が引き継がれてこうになった気がする。
自分が義務教育を受けていた頃は、副教科は合同授業で、それ以外は特別支援学級と普通学級は分かれていたけど、それは今では「改善点(問題点)」になっているのかな…?
当時、軽度知的障害の同級生達は、「うちらは、主要科目は分からんから別々に勉強だね」と、クラスが違う事に理解を示していたので。
すべての事を、「常に共に行う」と画一的に試行錯誤するのも大切だが、もう少し「その場・その時で適切な事」には「柔軟な対応・適切な環境亅も必要なのが、インクルーシブ教育の目指すべき方向として、これからの時代もっと視野に入れていけたらと思う。
初めまして、自分は軽度知的障害者です。
自分の学校は支援級があり副教科だけ合同での授業でそのような障害者も居ました。
自分も周りからはそのやり方すすめられましたが、自分は将来就きたい仕事があったので副教科以外も普通学級で受けたいと言う希望を話して自分は小学校からずっと普通学級だけで過ごして来ました。
普通学級だけで過ごしたので支援学校や支援級では経験出来無い事を経験出来た事が懐かしい思い出です。
自分は普通学級だけで過ごせた事は全く後悔して居ません。
かずきさんは暴力をふるわないけど知的障害の子が同じクラスの生徒に万が一暴力を奮ったらどう対処するんだろう?
小学校で障害ある子いて暴れたりしなかったけど普通にいじめられてたから軽度でない限り特別支援学校に行くべき。息子が普通であると思いたいだけの親のエゴでしかない。
軽度発達障害者です。
親のエゴ、同感です。
軽度は軽度で、ある程度理解力がある分、周りと自分を比べて辛くなるんですよ。
それに、障害児と仲良くしてくれる子の意見だけが通り、一緒に過ごすことに苦痛を感じる子が意見を言えない環境になっていたのでは無いかと心配です。
なんというのか、
いわゆる健常者が普通で、障害者が普通じゃないって考えが好きでは無いけど、
わけないとできないこともあるんよね。
難しいね
ちびまる子ちゃんのクラスはインクルーシブ教育実施して偉いね
冬田と山田だけやろ
どちらかというと冬田のほうがそういう系
@@abcdefg_gg前田が抜けてるぞ。
掃除は大事だがあのレベルのヒス起こしてたらお互い健康に良くない。