昭和の鉄道風景(1979-1982)−53.10から民営化決定までの車両たち(広島・岡山地区)−

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  • Опубліковано 14 гру 2024
  • 1978年10月のダイヤ改正, 「ゴーサントー」では「国鉄離れ」による需要の減少で旅客・貨物とも初めて列車キロが削減されました.
     国鉄も特急列車のイメージアップの一環として特急電車のヘッドマークにイラストを追加したり一度は合理化により廃止した寝台特急列車のヘッドマークを復活させる等新しい施策を打ち出して話題となった一方, 累積赤字は増加の一途を辿り組合との対立も改善の兆しはなく, 公共企業体であることの制約もあり増収のための抜本的な施策は行なえない状況でした.
     車両面では電機子チョッパ方式を採用した201系の量産化, 特定線区を想定して従来の車両とは異なるコンセプトを採用した185系や117系などが新規投入されました. 気動車は新開発の機関を搭載したキハ40系が新規投入されましたが機関の出力増は重量増と相殺し決して高性能尾はいえず, 車内設備も従来車両の改善にとどまりました. 一方, この時代は大都市圏で使用されていた車両が新製車に置き換えられて地方や支線区に転出し,戦後まもない時期までに製造された 所謂「旧型XX」と呼ばれる旧システムの車両が急ピッチで置き換えられ 姿を消していく時代でもありました.
     このような中, 1982年には第二次臨時行政調査会は基本答申で「国鉄は5年以内に分割民営化すべき」と正式表明し, 国鉄の解体を含めた抜本的な改革が始まることとなります.そこで今回からは53.10 以降、東北・上越新幹線が開業して東日本の鉄道の輸送体系が大きく変化するとともに国鉄の抜本的な改革が決定するまでの1978年から1982年にかけて, 私が各地で撮影した写真を紹介したいと思います. 今回は9回目として当時広島・岡山地区で活躍していた車両を紹介します.

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