【この世界の片隅に】この作品はなにが「すごい」のか? 傷ついた私たちが寄るべきアニメ。トラウマを語るとはどういうことなのか?傷が癒えるとはどういうことなのか?

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 27 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 4

  • @Oryza-d3q
    @Oryza-d3q 3 місяці тому +2

    動画ありがとうございます!
    「戦争に関する作品群」を「社会的トラウマ」を克服するため創作活動ととらえる視点は非常に興味深かったです!
    新聞などでは「戦争体験者がいなくなっていく中でどのようにあの戦争を語り継いでいくのか」といったことが毎年出ているように感じますが、「新しい平和文学」がそういった役割を果たしていくのかもしれないと思いました。

  • @landnomens6584
    @landnomens6584 3 місяці тому +1

    そんなに描き方についての批判があったんですね。こうのさんの戦争漫画を読んだ時に「こんなふうに戦争を描いたのをみたのは初めて」と思い、だから日常的に何度も長く読み続けられた。こうの先生の作品はより、自分に近い存在が戦争に遭ったらということとして共感できるし、情感に入り込みました。
    仮に戦争作品の目的がざっくり「このような被害を起こさない」こととして、かつての戦争作品が物理・マクロの視点から、それをやっていたとしたら、新しい平和作品は、
    個人個人の庶民の感情や意思の面から、ミクロの積み上げでそれを行う、省みるという感じかな。
    しかし、写実的な伝達が時間と空間の中で続けられてきたからこそ、そういった個々の個人の生き方まで語れるようになったという視点は、確かにそうで、どっちがどうということではないのですね。(蛇足書いてすみませんが、戦争を起こして儲ける支配層たちは、新しい平和文学は忌々しいと思うだろうな。今生成AIで人間が創作するということ、その浄化や昇華とその作用が伝わるということを阻害できて、さぞ支配者層は満足なんだろうと…とか)
    すずさんが終戦で憤ったのは、自分の魂を奪ってまで世界がやっていた戦争を、嘘っぱちで価値がなかったものと証明されてしまったから…?でしょうか。
    新しい平和文学の流れがこれ以前にもあるとは初めて知りました。自分が他に読んだのは、長野まゆみの「八月六日上々天氣」です。原爆の描写は最後の一文だけ。でも読者はそれまでの登場人物の生活や人生がどんな目にあうか知っている。知っていて味わうことになる。そういうことなんですね。

  • @westonc-ez7od
    @westonc-ez7od 3 місяці тому +2

    うぽつです