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まさかすずさんの考察動画を観られるとは思わず、嬉しくなってコメントしてしまいました。まどマギ考察の頃からひっそり応援しております、今後とも実り多き活動ができますように……🙏🏻✨
うぽつです!まどマギ以外の作品が新鮮でした。作品をみる視点が1つ1つ増えていく感じがして、とても楽しかったです。これからも動画たのしみに待ってます!お疲れ様です!
動画ありがとうございます!この漫画を読んだ時は、辛いことも多くあったが、それらを乗り越えて自分の意志でどこで生きていくのかを決める物語という印象でした。すずさんの「描く」という行為が「好き」以外にも「必要」だったと考えると「右手の喪失」というのは本当に生きていく気力を喪失させるのに十分な出来事であり切実な問題だったのだと思いました。
わーい新しい考察動画だありがとうございます。しかし今回の重要なテーマとは自分にとっていま、はからずも最も深刻な問題でしたまずりんさんがこの物語の重要なキーであることはなんとなく読者は感じ取るけれど、言語化はあまりできなかったのでとてもすっきりして楽しかったですこうの先生の作品は本当に、それまで漫画として読んできたどんな漫画表現とも違って、登場人物の感じたことを読者のものとしようとする作画上の工夫と情念がすごくてなのに語り口はさらさらとしてて、本当にすごいですね描くことは生きること、夢と現実のことですが、自分だけでなく今、真面目な絵描きは、自分にとって描くとは何か、もっと大げさには人間にとって描くとは何か、それを他人に見せるとは何か?ということを真剣に考えざるを得ない羽目に直面しています。生成AIのせいです。プロでもアマでも、何かを描いて他人に見せるということをしたら、それがリアルで知人限定に見せて終わりにするのでない限り、国やビッグテックや個人の泥棒にAIですぐ泥棒されるからです。絵を描くとは生きること、描き手の魂がそこに入ること。それを絵を描くことはどんなことかにも絵にも興味がないハイエナに泥棒されるのは耐え難いことなので、多くの人が魂を斬られるほどに傷つき、自分にしても、描くことをやめています。夢は現実とは違うし夢のほうが価値が高いわけではない、しかし現実に対処する態度を左右する、それはすずさんをみても赤毛のアンを見ても自分を見てもわかります。一般的にいっても、楽しみなことがあればストレスを忘れられるというのは普通のことですね。それまで戦争という外界の変化があっても、「描くこと」はすずさんの精神性を、変化の前と変わらない性質にしてきた、支えてきた。しかしその描くことが戦争によって奪われてしまった。そのことで変えられてしまった。現実がどんなに変わってもそれには影響されず、別に流れ、自分を永遠に支えていると信じていた夢の世界に現実が侵入してきて、内的世界を破壊してしまった。今の生成AIの状況と同じですね。こちらがわにしてみれば、これはもう絵描き(声も肖像もあらゆるものが泥棒されますが、絵が最も顕著なものです)に対する戦争であり、暴力で手を斬られたのも同義です。そんなことを考えました。自己解釈を長々とすみません
「描くこと」は受け手にとっても描き手にとっても人生上のとても切実な行為、もはや信仰に近いレベルでの芸術行為であるがゆえに、商業的な付加価値もつき、そこからどうにか利潤を得ようとする第三者が現れる…というのも確かに難しいですよね写真の技術が出てきたときにも、同様なことをベンヤミンが言っていたことを思い出しました
@@サラサリウム考察の魔女 ただ写真は画家から自由に絵を描くことを奪いはしませんでした。今の状況は「描いて出せば盗まれるから出せない、出せないから描けない」で、史上かつて無い状況です。ともあれ、考察の内容と少し離れた関係ないことを長々とすみませんでした…
うぽつです
まさかすずさんの考察動画を観られるとは思わず、嬉しくなってコメントしてしまいました。
まどマギ考察の頃からひっそり応援しております、今後とも実り多き活動ができますように……🙏🏻✨
うぽつです!まどマギ以外の作品が新鮮でした。作品をみる視点が1つ1つ増えていく感じがして、とても楽しかったです。
これからも動画たのしみに待ってます!お疲れ様です!
動画ありがとうございます!
この漫画を読んだ時は、辛いことも多くあったが、それらを乗り越えて自分の意志でどこで生きていくのかを決める物語という印象でした。
すずさんの「描く」という行為が「好き」以外にも「必要」だったと考えると「右手の喪失」というのは本当に生きていく気力を喪失させるのに十分な出来事であり切実な問題だったのだと思いました。
わーい新しい考察動画だありがとうございます。しかし今回の重要なテーマとは自分にとっていま、はからずも最も深刻な問題でした
まずりんさんがこの物語の重要なキーであることはなんとなく読者は感じ取るけれど、言語化はあまりできなかったのでとてもすっきりして楽しかったです
こうの先生の作品は本当に、それまで漫画として読んできたどんな漫画表現とも違って、登場人物の感じたことを読者のものとしようとする作画上の工夫と情念がすごくて
なのに語り口はさらさらとしてて、本当にすごいですね
描くことは生きること、夢と現実のことですが、自分だけでなく今、真面目な絵描きは、自分にとって描くとは何か、もっと大げさには人間にとって描くとは何か、それを他人に見せるとは何か?ということを真剣に考えざるを得ない羽目に直面しています。生成AIのせいです。プロでもアマでも、何かを描いて他人に見せるということをしたら、それがリアルで知人限定に見せて終わりにするのでない限り、国やビッグテックや個人の泥棒にAIですぐ泥棒されるからです。絵を描くとは生きること、描き手の魂がそこに入ること。それを絵を描くことはどんなことかにも絵にも興味がないハイエナに泥棒されるのは耐え難いことなので、多くの人が魂を斬られるほどに傷つき、自分にしても、描くことをやめています。
夢は現実とは違うし夢のほうが価値が高いわけではない、しかし現実に対処する態度を左右する、それはすずさんをみても赤毛のアンを見ても自分を見てもわかります。
一般的にいっても、楽しみなことがあればストレスを忘れられるというのは普通のことですね。それまで戦争という外界の変化があっても、「描くこと」はすずさんの精神性を、変化の前と変わらない性質にしてきた、支えてきた。しかしその描くことが戦争によって奪われてしまった。そのことで変えられてしまった。
現実がどんなに変わってもそれには影響されず、別に流れ、自分を永遠に支えていると信じていた夢の世界に現実が侵入してきて、内的世界を破壊してしまった。
今の生成AIの状況と同じですね。こちらがわにしてみれば、これはもう絵描き(声も肖像もあらゆるものが泥棒されますが、絵が最も顕著なものです)に対する戦争であり、暴力で手を斬られたのも同義です。
そんなことを考えました。自己解釈を長々とすみません
「描くこと」は受け手にとっても描き手にとっても人生上のとても切実な行為、もはや信仰に近いレベルでの芸術行為であるがゆえに、商業的な付加価値もつき、そこからどうにか利潤を得ようとする第三者が現れる…というのも確かに難しいですよね
写真の技術が出てきたときにも、同様なことをベンヤミンが言っていたことを思い出しました
@@サラサリウム考察の魔女 ただ写真は画家から自由に絵を描くことを奪いはしませんでした。今の状況は「描いて出せば盗まれるから出せない、出せないから描けない」で、史上かつて無い状況です。ともあれ、考察の内容と少し離れた関係ないことを長々とすみませんでした…
うぽつです