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三国志演義は誇張されて書かれることあるけど、張遼の合肥の戦いは正史の方が凄い記載が残る稀有な武将。
頭の中が筋肉でありながら人徳で説得もできる。凄い人だ…
「最強の武とはまさにその天命を突き抉るためにある」何をどうやっても止めようがない蒼天張遼すき
演義よりも史実の方がヤバい男
史実のチートぶりは今更だが、演義でも関羽と親友で下邳の戦いの後に曹操に呂布と違い命乞いをせずにむしろ曹操を罵って殺されかけたけど関羽に助命されたり、逆に関羽の投降に貢献するなど何気に見せ場作りすぎ。あと太史慈を討ち取ってるしね。
「ガッピ」って読み方の方が個人的には好きだなぁ…
張遼はやっぱり蒼天航路の武骨な感じが1番イメージがしっくり来ます。歳を重ねるにつれ横山版の中間管理職っぽいところも好感が持てるようになりました。合肥の「泣く子も黙る」のキャッチフレーズがガチの暴れっぷりで猛将たらしめていますね。この時の凌統ほか呉陣営の奮戦も見所の一つ。孫権の強運とか。
三國志はゲームから入ったので、他国みたいな知力武力両方高い武将っていないかな?で辿り着いたのが張遼でした。めっちゃ優秀で大活躍してもらった思い出。
関羽 趙雲 張遼 姜維
三国志の中で一番カッコいいし好き。子供の時は蜀メンツが好きになるけど、どう考えても張遼が人格含めすべてに置いて上。。
張遼はマジで史実がメチャクチャやってて好きすぎる…
武力は強く士気を上げるのが上手で武人と称えられていますが決死隊を作り敵陣の真ん中に突撃する所や獣道から丘に登って制圧しろと少し無茶苦茶なことをしている所ブラック上司な一面もありますが、恨まれず称賛されているのは、人柄なのですかね
自分から真っ先に戦場に向かってますしね
蒼天航路での郭嘉とのコンビが好きでしたね。魏のなかでは孤高のイメージだったので新鮮でした
アレは最高でしたね!!戦(イクサ)にのみ脳みそを使う郭嘉。満たされない気持ちを博打や女で埋めようとする姿も人間臭さを感じられました!個人的には肩揉みの場面が好きです笑笑
不器用で人間臭さの郭嘉と張遼は名コンビ元呂布の配下という外様ながら最も出世した武神
【20:37~】曹操「敵の鼻っ柱を折っておけ」↑これ。曹操って『相手がでかくても数の揃わない(数の優位が出にくい)”初期”のうちに取り敢えずワンパンいれて局所戦で優勢(な雰囲気)作る』ってドクトリンたぶん好きよなw官渡でも(結局籠城するが)まず白馬でワンパン入れてるし笑(※徐栄の時はボロ負けしたがw)
そういった戦場の流れというか、勘のようなものを掴むのが本当に上手いですよね、曹操は
@@KOUMEI_NO_WANADA 曹操って孫子に注釈つけてて、もっと言えば今我々が読んでる形式の孫子で確定させたのも彼なんですよね ところが彼の軍事思想って(全部が全部そうではないにしろ)孫子とは真逆で基本的には彼の戦術の出発点って『もし”同数の1対1対決(つまり1on1)”なら自分(曹操)は絶対に負けない(信念)』ってトコから組み立てられてるんですよね笑(※孫子は弱者の兵法) 他にも涼州軍閥が全部集まってきてみんな慌ててるのに対し涼しい顔で「いや、むしろ全員集合してくれたおかげで一発で全員ぶちのめせるやん?」って言っちゃう(※これはむしろクラウゼヴィッツに近いw)とことか、もうこの人ホントに孫子読んでるんですかね?って言いたいwww(※孫子は『各個撃破』主義)
@@kappanouen 蒼天関羽「禁を玩べるほどに兵法に通じているのが曹操」
@@ひょうべえ 蒼天赤ずきんさん「鋭く 激しく兵法に通じているΣ🙂!」
実は張遼は孫権の顔を知らず、後に降伏した呉軍の兵から孫権の人相を聞いた時には「あの男が孫権だったか、知っていれば捕らえられたのに」と悔しがったとか。つまり10万の軍を率いる総大将に、たった800人で肉薄した上で勝利していたということ。マジでリアル三国無双、「泣く子も黙る」の語源になったヤベェ男。
しかも太史慈の策略を暴いて逆にやり返して討ち取るというのは凄い。
東方剛欲異聞 〜 水没した沈愁地獄 の「フランドール・スカーレット 黙る子も泣く吸血鬼だ!」は「泣く子も黙る」からきてると思いますね
張遼は三国志で一番好きな武将です。リアル三國無双をやってのける強い人物ですよね。私の息子の名前は張遼の「遼」の字を頂いてます。気高く、腕っ節が強く、心の強い男になってほしいと願っています。
合肥の張遼はゲームでも鳥肌立つくらいカッコいいからなぁ
無双2の「孫権はどこだーっ!!」が最高
やっぱ、蒼天航路の張遼が圧倒的にイメージが強い!横山三国志の張遼さんはなんか渋いおっさんって感じでそんなに強そうなイメージ無いんだよね。
これだけヤバい戦績残した名将であるにも関わらず人間関係も大切にした人格者ってんだからすげーよな
色んな人と不仲だったみたいな話もあるので、たぶん組織内では我が強くて避けられてたタイプだったんじゃないかなぁ、なんて(笑)良くも悪くも任侠気質みたいな。
演技で弱体化パッチを当てられたリアル三國無双。
本当に化け物より化け物みたいな人ですよね笑
リアルにこういう人が居たってんだから、人間って凄い(笑)
蒼天航路の張遼が史実に近い描き方をされているように思える。
22:28バーベキューでトングを離さない人いるよねえ。張遼「肉焼くのは俺に任せろ!お前らはビールでも飲みながら待ってやがれ」
個人的には、張遼との関連で切り離せないのが、高順と徐晃。
超有能なのに上司が馬鹿なせいでせっかくの才能が埋もれている人に見える。丁原はともかく、董卓や呂布なんて自分のことしか考えてない上司で、才能があってもこんな上司の下で耐えてたよなと思う。最後に曹操という最高の上司に巡り会えて、花開いたんだと思う。
演技より正史のほうが強いっていう謎の扱いを受けた数少ない人
張遼の活躍を史実そのままに書いちゃうと関羽・張飛・趙雲で創作した活躍も霞んじゃうからでしょうw
似たような理由で無能みたいな書かれ方してるやつ、結構いるからなあ。曹真とか、徐栄とか。徐州時代から劉備に付き従ってる近衛の陳到に至っては、演義ではいない扱いになってるし。
@@lov4923 他にも田豫とか、劉備から曹操に勢力移した超有能な人とかも無視されてますね。わざと存在無視された人も居ますね。
三国志で1番好きな武将
最近、目に留まり学ばせてもらってます。張遼、郭嘉は最も好きな三国志の人物なので取り上げてもらって嬉しいです😊賈詡や楽進、典韋なども見てみたいですね!是非ご考慮ください🙇♂️
孫権に心の根元を折る ×孫権にトラウマを植え付 ける 〇しかも孫呉の猛将すら止められないって……
武廟64将にも記載されている名将
張遼は荊州の劉表からの攻撃に備えて長杜に派遣された時には于禁、楽進といがみ合う事があったけど参軍の趙儼が上手く統制したので三人は親しむようになった。又、合肥に駐屯した時には護軍の武周と仲違いし、当時揚州治中だった胡質を護軍にしてもらえるよう揚州刺史の温恢に求めたけど、当の胡質から「武周は正しい人物です。将軍は昔、彼のことを尊敬し、口を極めて称賛しておられましたが、今は些細な恨みで仲違いされております。ましてや私のような拙い者では、将軍と上手く付き合えないと思うのです」と言われると感心して武周と和解した。
ザキヤマのくるぅ〜に1800年先んじて一発ギャグを生み出した漢
張遼の出身地の并州雁門は昔から匈奴の侵攻に晒されてきた土地だと言われているし、匈奴は漢の創始者である劉邦をボコボコにしたこともある有力騎馬民族だから、もし若い頃からそうした連中と戦ってたとしたら、呂布もそうだけど、この強さも納得かも。
後漢末期で一番、鮮卑の侵攻が激しかった場所ですからね。檀石槐おそろしや。
強さがメジャー過ぎてゲームでは対して欲しくないね 捕らえたら打首でもいいな忙牙長や兀突骨を育てる方が最近は楽しい 郭淮とか武力を上げたら呂蒙的な武将になる
有名どころの中では多少マイナーな武将だけど、僕は一番好きな武将です!解説してくれて嬉しいです!
マイナーか?三国志齧ったことある人なら誰でも知ってるだろ
張来来って言葉が有るくらいの武将やからなー子供叱る時の言葉で
個人的に、猛将だけどもマイナーどころっていうのは曹純とか厳顔辺りだと思ってる。
一番有名と思われるが? 横山中?関羽がーー張飛はーーーww
張遼は賈ク同様に降将で李典や楽進らと折り合いが悪かったが国家の大事に私情を挟まず協力したことが合肥の勝利につながった。合肥を突破出来なかったことが魏呉の国境を確定させた。合肥の敗戦により孫権は方針転換し荊州方面に矛先を向けることになる。
孫権が軍を率いたらほぼ負け戦ですが相手が悪すぎた張遼死後も満寵 羊鈷と劣らない人物が合肥を守備してますからね
張遼が呉の領内に現れただけで、赤ん坊も直ぐに泣き止むほどの凶悪な武将
鬼が出るぞー!より現実味があるからもっと怖い(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かに下手な虚言よりは断然に怖いですね
関羽とマブだったので、敵の武将の中では演義で例外的に良く描かれたのは前回の呂蒙とは対象的ですね。まぁ関羽(名士大嫌い)と仲良くて李典(名士大好き)と仲悪いのはなんか色々察しますね😁
李典は呂布戦で叔父を確か亡くしてましたし、そういう怨恨もありそうですね
@@KOUMEI_NO_WANADA なるほど、李典側からも張遼に対して抜き差しならない感情があったかもですね。宿敵だった呂布側からの降将、味方からの感情も複雑、そんな張遼が于禁クラスの信頼を得て真っ当に出世できたのは唯才主義の賜物ですね😎
@@KOUMEI_NO_WANADA 魏にも呂蒙がいたら李典と張遼の仲も取り持ってくれたのに
某ゲームのせいで山田のイメージが定着の張遼さん。
三国志のゲームで元連れ達が策略火計のプロならぬ焼き討ちのプロと言ってました!
遼!来!来!
ジャーンジャーンジャーン!!孫権「げぇっ張遼!」…え?確かそんなシーンはなかったはず?
三國無双やったらピエールみたいな感じやのにこんなかっこいい人やったんか
よく「800騎で突撃」って紹介されるけど原文は「敢從之士、得八百人(800人の勇士を得た)」なので歩兵だと思う
“遼、典以步卒八百,破賊十萬,自古用兵,未之有也”,この800人の決死隊は確かに歩兵だった 歩兵だが、全員が二重の甲冑を着て、胸にはいくつかの護心鏡が追加されて防護が強化されるかもしれません(三国志ゲームでは、多くの武将が立ち絵した双乳部にこの2枚の護心鏡を巻きつけるが、最も科学的な防護は実際には腹部に巻きつけることだ),甲冑の下には厚い綿入れがあり、緩衝作用がある。全体の荷重は15 kg以上です,戦国日本の多くの武士の具足よりも少し厚い(胴体部の防護)。戦前の夜に牛肉を食べて大量の酒を飲んだ。 張遼本人は長戟を手に自ら呉将を討った。漢代の“卜”字型長戟と宋代以降の戟(つまりほとんどのゲーム、アニメ、漫画の呂布が手にしているようなもの)は全く別物だった。手下の兵士は、超近距離白刃戦における呉軍の環首刀と長戟への格防に特化した钩镶を手に持っている可能性もある。漢代の四石弩機は200歩の距離の外ではこのような甲冑防護を撃ち抜くことができないかもしれない。 復元されたイメージと三国志ゲームの兵士や武将のイメージの違いは非常に大きい…三国志ゲームの武将のイメージは実は宋代の絵や、日本の仏教寺院の天王像が身につけていた唐宋時代の中国の甲冑を参考にしているから…劉関張、呂布らのイメージは明代の絵画に由来する(個別の立絵が手にした大刀は西暦20世紀の中華民国の産物である)ua-cam.com/video/iasFA0sLsjo/v-deo.htmlpic1.zhimg.com/v2-d858cf7c04c31026007296d4a65a9e5c_b.jpgwl.yesx.org/_data/images/memo/sgt2019/P1130904_s.jpgi.ytimg.com/vi/iasFA0sLsjo/maxresdefault.jpg対照的に、東呉の将軍と校尉配下の精鋭部曲武士のイメージはそうかもしれない。写真は三国時代東呉の持盾武士俑:event.culture.tw/userFiles/NMH/JpgFile/OldWebsiteImg/Exhibition/20100506_1393.jpg
それは誇張された表現で実際は騎兵だろ
三国志のなまはげ枠
曹操の籠城する前に一度敵の気勢を削いでおけの指示の意味を分からずにそのまま受け取ってしまった説は笑ったやってる事は曹仁と同じ様な事でいくら周瑜と孫権で大将の指揮能力に雲泥の差があるとはいえ、片や敵は崩れずに味方の士気を上げただけ片や大混乱におちいり帰り際に討ち取られかけたとかどうなってんのよ孫権が間抜けなのか張遼が凄いのか、両方か
陳蘭・梅成の乱の話を見てみても、単純に張遼が破格の化け物だったんじゃないかなぁーなんて(笑)
有能であればちゃんと評価して重用する曹操の下であったことも良かったように思う
呂布の娘に会った張遼が、呂布の奉天戟を呂布の娘に持たせて、呂布の奉天戟を振り回すのを見てお見事と言う話も有るよ
合肥の初代守護神。対呉戦の抑えの切り札
サーバント
2代目満寵も有能なんだよなぁ
もしかしてサイヤ人じゃありませんよね?と言いたくなる人
蒼天航路の張遼は正に武神の強さ一騎でも軍を率いても優秀 剛直な郭嘉とも息を合わせられる度量やはり合肥の張遼こそ伝説ですね
お話だけ聞いていると、関羽と趙雲を足して2でかけたような人物を想像する事しか出来ない訳。
こういった話があったから三國志4では外交が持てたんだな
リアル三國無双か
演義をファンタジーにしない為にナーフされた男
張遼が呂布亡き後劉備に仕えていたら関羽とセットで荊州の守護にいたかも。
リアル三國無双…😱
まさに東洋のレオニダスですな(なお孫権は東洋のネロ・クラウディウスの模様
一応、呂布も数十騎で1万数千の黒山賊を破ったとされるものの数日かけて脅すようにジワジワ削って壊走させるやり方。対して張遼は1戦で真っ向から800騎で呉の精兵10万を突破。
演義と違って、呂布はちゃんと頭使って戦ってるイメージ。張遼はバケモン(
張遼の落ちは、病死か、丁奉にフルボッコにされて死ぬかだからね
張遼は反則だぜ👍呂布なんて…ゲームじゃ化物だぜ😂👍
チートの代名詞 呂布
遠くから見たら、デカいゴキブリなんだよだから怖えんだよ。。
それよりも張遼と夏侯淵の2人でも落とせなかった昌キのその後が気になる
于禁が派遣され、昌キと于禁は同郷で知り合いだったということもあり、昌キは知り合いのよしみで助けてくれと于禁に頼み込んで降伏。しかし于禁は厳格な軍人であることから、幾度も反乱を行った昌キを軍規に則って処刑した。曹操はそんな于禁を賞賛こそしたものの、その厳格過ぎる性格の後世の評価は分かれるところだとか('ω')ua-cam.com/video/O6OCd-rHs0o/v-deo.htmlsi=TeIdiA7swDItKCbl
張萊來なんよなーやっぱ
投稿お疲れ様です。上司、部下からの人望は厚く、曹操と同じ車に乗せてもらったり、曹丕からは、自分と同じ食事を賜ったり皇帝専門医をつけてもらったりしてたんですよね。内部や周りに敵を作らず、味方がいたことが大戦果につながったのだろうと思います。
裏表なく、一本筋の通った、気持ちのいい軍人だったのでしょうね🐎
曹植も、烏丸戦における張遼の活躍からインスパイアされて白馬篇という詩を描いてる。あの一族は張遼大好き。
同じ勢力の人とは定期的に揉めてるんですがそれは
ぶっちゃけ呂布の武名の何割かは張遼の活躍によるものではないかと思ってる。
最近の三国無双は兵力差があると難易度低くてもまあまあきついから、今や大谷や藤井以上に創作を越えた男である
呂布の軍って張遼といい高順といい、あの時代トップクラスの名将いたんですよね。そりゃ野戦の天才曹操でも苦戦するわ。
あとはちゃんとした戦略性があれば…
高順&張遼の騎馬隊で、北方の野戦では、ほぼ無敵状態だったことでしょう。
演義でも正史でもやべーやつ。そりゃ孫権ちびるわな。
圧倒的
項羽と張遼だとどっちが強いんやろな
張・萊・萊!!
山田ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
正に武闘将!!(゜ロ゜ノ)ノおそろしや((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル💦
三國無双の場合無駄に人気有るくせに山田とかで弄られるよ
合肥の戦いで、「魏に張遼あれば、呉に甘寧あり」魏軍は防衛したが、呉軍大将・孫権は捕らえることはなかった。
いつも楽しく拝見しています^ ^リアル三国無双の活躍は、聴いてるだけで胸がワクワクします(*゚▽゚*)b
正史が強すぎて演技でナーフ喰らってる人
事実は小説より奇なり
遼来遼来より遼来々の方が好きです。
語感がいいですよね(笑)
曹操もドン引きであるwww
もっと後の時代まで生きていたら征東将軍の職に復せたし都督にはなれたかな?
居るだけで孫権を威圧できる存在ですからねぇ…(笑)
張遼が『前将軍』を拝命したのは品官制導入前のほぼ漢代の官位序列の頃のことですのでおそらくですがこの段階で(後の魏帝国でのいわゆる)”方面軍司令としての征討将軍”クラスとはすでに同格程度の位置付けであったかと思われますつまり長生きして出世した場合、もっと上の比公将軍クラス(車騎将軍とか)、場合によっては大将軍(※実際夏侯惇はこのルート(前将軍→大将軍))に位置付けられようかと思われます(個人的には”驃騎将軍”とか似合いそうwと勝手に思ってます笑)
@@kappanouen 驃騎将軍・使持節都督揚荊州諸軍事あたりにとか?
@@KOUMEI_NO_WANADA 孫権キラーですもんねぇ
@@matukawatositane 『驃騎将軍・使持節都督揚荊州諸軍事』←めっちゃかっこいいΣ🙂! あと最初コメント書いたとき完全に忘れてたんですが(笑)同じ魏の五将軍で張遼と同格程度に出世しながら割と長生きした張郃(征西車騎将軍)のような、つまり『征東車騎将軍』とかいう謎の”合体将軍号(征東将軍+車騎将軍)”がもらえるという可能性もけっこうありますね、そういえば😗
張遼が呂布放浪や陳宮張邈反乱に付き合ってたイメージないな。居たら高順陳宮と一緒に処罰されてたんじゃないかと。呂布が徐州取ってから昔の誼で加わった印象。
張遼処刑を止めさせたのは劉備、関羽とのはなし。
@@山下龍吾 それは正史に記載があるわけじゃないので…
横山三国志で呉軍の矢を食らって戦死したことになってるけど現実でもそうなって欲しかったなー
張遼が一番好きだけど10万に800騎で蹴散らしたというのは誇張が過ぎるんじゃないかなあ?あり得るのか?演義なら全然理解できるけど具体的に可能なのか疑問だ。実際に出来たかならなんというかキングダムの六将みたいな化け物ということになると思うんだよね笑
実は孫権本人は包囲を放棄して撤退の準備をしていたが、張遼の奇襲は呉軍が戦う意志を失った瞬間に最も劇的な効果を発揮した。張遼の兵力は実はこの800人の決死隊だけではなく、李典、楽進の部曲を加えた実際の兵力は6000人を超えている。一方、張遼と激戦を繰り広げた孫権の近衛部曲(車下虎士)は実に2千人弱。救援に来た凌統は300人しか連れてこなかった。殿後戦に参加した蔣欽、呂蒙、甘寧の兵力は不明だが、数千人を超えるはずだ
張遼が柔軟に動けて融通が通る800騎で先制↓孫権の大軍が混乱、統率が取れなくなる。↓混乱の隙を付いて、李典率いる合肥本軍(兵士沢山)が攻撃↓混乱の渦中にある孫権軍の大部分は李典軍によって殲滅、危機を察して孫権の援軍に駆けつけた部隊は張遼が撃破そんな感じの流れが個人的には納得のいく解釈
なるほどねぇ野戦というか局地戦に持ち込めたってイメージと解釈していいんかな解説で本気で撃破しようとしていたとあったけども張遼て馬鹿じゃ無いと思うんだよね(むしろ賢い)、だから勝ち筋はうっすら見えていたかもしれないけど基本は決死の覚悟、というか死んでも良いとさえ思っていたんじゃないかなあ何でこんな事言っているかといえば、張遼は猛将ではあるが智将寄りだと思ってるから一騎当千みたいなキャラに違和感を感じちゃうんですよ
@@KARAMAZOV_3 同意。かなり頭の切れる将軍だと思う。「命令の意図を捉え損ねて突撃した」と言うより、「それしか道が無かった。」と言う方がしっくりくる。相手は圧倒的な大軍かつ精鋭揃いで勢いもある。対して、自軍は少数で援軍の派遣も対劉備戦線の状況から絶望的。城に篭って長期戦を選択すれば、明らかにこちらが不利になる。なら一か八か相手の体制が整うまでに強襲して短期決戦に持ち込むしか勝算が無い。相手は多勢だからこそ、体制が整うまでに時間がかかるし、勢いがある故に慢心もある。対して、自軍は少数だからこそ融通が効く。そこを巧くついた計算された闘い方だと思う。突撃隊の張遼自身、過去の戦績から騎馬を率いた寡兵での強襲戦は得意分野。李典は夏侯惇を上手く補佐したりと、起点が効いて視野が広い優秀な副将。軍を率いて、統率が取れなくなった孫権軍を充分に切り崩して混乱を広げる事ができる。それぞれの得意分野を活かして起死回生の一撃を放った結果だと思う。断じて「なんか突撃したら勝ってました」では無い。あくまで相手の継戦能力(主に士気)を奪って撤退に追い込む事が目的で、ある種の局地戦だと僕も解釈してる。張遼が強すぎたのと李典のサポートが優秀だった結果、上手くいき過ぎて殲滅しちゃった感じはある。
やっぱり山田しか勝たんわ
実は孫権本人は包囲を放棄して撤退の準備をしていたが、張遼の奇襲は呉軍が戦う意志を失った瞬間に最も劇的な効果を発揮した。張遼の兵力は実はこの800人の決死隊だけではなく、李典、楽進の部曲を加えた実際の兵力は6000人を超えている。一方、張遼と激戦を繰り広げた孫権の近衛部曲(車下虎士)は実に2千人弱。救援に来た凌統は300人しか連れてこなかった。殿後戦に参加した蔣欽、呂蒙、甘寧の兵力は不明だが、数千人を超えるはずだ。孫権を迎えに来た賀斉は3000人を率いた。全体的に呉軍の兵力優位性は極めて明らかではないが、局地戦場から見ると、東呉の殿後部隊は確かに張遼の800人決死隊の数倍である,この中には呂蒙と凌統の部曲や東呉君主の宿衛軍(車下虎士)も含まれている。戦死した陳武は「所向無前」の廬江精鋭の統率者だった。呉軍側の戦死者は確かに良家子出身の武士が多かった,江東豪族の私人部曲の表現はひどい。
ごめん、何が言いたいの?笑
@@de9124 部曲は漢末から南北朝にかけての豪族と武将の私兵(ゲームでは三国志10で似たような軍制システムを採用したことがあるのは)。彼らは君主と武将の下で重要な軍事力だ。ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%9B%B車下虎士=孫権の部曲=東呉君主の個人近衛軍,つまり孫権の車架の周りを警護する猛士という意味だ。そしで陳武の部曲は精鋭と呼ばれる廬江兵である「良家子」とは漢の時代を指し、罪を犯したことがなく、けなされたことがなく、「医、巫、商賈、百工」出身ではない中小地主層の子供は、「士農工商」の第一階層の武士に似ている。彼らも漢代から三国時代の精鋭部隊であり、特に御林軍の主要兵員源でもある,彼らは1年間のほとんどの時間で農業生産に従事せず、軍事訓練や戦争を専門にすることができるからだ。写真は三国時代東呉の持盾武士俑,このような武士は江東の良家子と理解できる:event.culture.tw/userFiles/NMH/JpgFile/OldWebsiteImg/Exhibition/20100506_1393.jpg孫呉の朱・張・顧・陸氏のような江東大族については、彼らの個人的な部曲の由来は複雑で、捕まった山越捕虜から町の不良少年までいる。潘璋の部曲の多くは無頼、不良少年出身。甘寧の部曲「錦帆営」は初期には水賊出身だった。凌操、凌統父子の部曲は丹陽兵+山越捕虜である。江東大族の代表である陸遜陸抗父子の部曲は万人近くの規模に達することができる。そしてこれらの私兵は東呉で合法的に世襲継承することができる。武器や装備を自分で購入したり、兵糧を自分で調達したりすることができます。zh.m.wikipedia.org/zh/%E4%B8%96%E8%A5%B2%E9%A0%98%E5%85%B5%E5%88%B6
知識をひけらかすだけで何も生み出せない人は楊修みたいな末路を迎えるって自分で体現してるんでしょ
合肥の戦いの話は絶対嘘だろていうか嘘であれ
嘘というか創作かなまず、呉の存亡をかけた赤壁での動員数は呉軍2~3万、劉備との事実上決戦ともいえる夷陵の戦いでの呉軍は5万程度であるのに、合肥の戦いでの10万という数値は信憑性に欠けること800対10万で戦ったと思ってる人も多いけど、張遼達はあくまで明け方にまだ布陣もされていない孫権軍への奇襲を成功させたのであって、正面きって戦闘したわけではないことなにより、三国志の著者である陳寿が魏を正統とし曹魏の人物にすり寄った記述をしており、かつ蜀漢の出身なので劉備等にも一定の評価尊敬が認められるのに対して、孫呉は明らかに差別されていること張遼って中国人の評価高くないのに、日本人は大好きだよね
@@SN-mn6ny武将の評価を中国人に委ねる時点で論外。日本人が張遼をどう思っているかという話で「中国人が~」とか意味不明。
がっぴでしょ?
音読みならどっちでもええのです。ちなみに夏侯惇も、カコウトンかカコウジュンどっちでも良いみたいな。正確さを求めるとそれこそ中国語になりますし。
三国志演義は誇張されて書かれることあるけど、張遼の合肥の戦いは正史の方が凄い記載が残る稀有な武将。
頭の中が筋肉でありながら人徳で説得もできる。
凄い人だ…
「最強の武とはまさにその天命を突き抉るためにある」
何をどうやっても止めようがない蒼天張遼すき
演義よりも史実の方がヤバい男
史実のチートぶりは今更だが、演義でも関羽と親友で下邳の戦いの後に曹操に呂布と違い命乞いをせずにむしろ曹操を罵って殺されかけたけど関羽に助命されたり、逆に関羽の投降に貢献するなど何気に見せ場作りすぎ。あと太史慈を討ち取ってるしね。
「ガッピ」って読み方の方が個人的には好きだなぁ…
張遼はやっぱり蒼天航路の武骨な感じが1番イメージがしっくり来ます。
歳を重ねるにつれ横山版の中間管理職っぽいところも好感が持てるようになりました。
合肥の「泣く子も黙る」のキャッチフレーズがガチの暴れっぷりで猛将たらしめていますね。
この時の凌統ほか呉陣営の奮戦も見所の一つ。
孫権の強運とか。
三國志はゲームから入ったので、他国みたいな知力武力両方高い武将っていないかな?
で辿り着いたのが張遼でした。
めっちゃ優秀で大活躍してもらった思い出。
関羽 趙雲 張遼 姜維
三国志の中で一番カッコいいし好き。
子供の時は蜀メンツが好きになるけど、
どう考えても張遼が人格含めすべてに置いて上。。
張遼はマジで史実がメチャクチャやってて好きすぎる…
武力は強く士気を上げるのが上手で武人と称えられていますが
決死隊を作り敵陣の真ん中に突撃する所や
獣道から丘に登って制圧しろと少し無茶苦茶なことをしている所
ブラック上司な一面もありますが、恨まれず称賛されているのは、人柄なのですかね
自分から真っ先に戦場に向かってますしね
蒼天航路での郭嘉とのコンビが好きでしたね。魏のなかでは孤高のイメージ
だったので新鮮でした
アレは最高でしたね!!戦(イクサ)にのみ脳みそを使う郭嘉。
満たされない気持ちを博打や女で埋めようとする姿も人間臭さを感じられました!
個人的には肩揉みの場面が好きです笑笑
不器用で人間臭さの郭嘉と張遼は名コンビ
元呂布の配下という外様ながら最も出世した武神
【20:37~】曹操「敵の鼻っ柱を折っておけ」
↑これ。曹操って『相手がでかくても数の揃わない(数の優位が出にくい)”初期”のうちに取り敢えずワンパンいれて局所戦で優勢(な雰囲気)作る』ってドクトリンたぶん好きよなw
官渡でも(結局籠城するが)まず白馬でワンパン入れてるし笑(※徐栄の時はボロ負けしたがw)
そういった戦場の流れというか、勘のようなものを掴むのが本当に上手いですよね、曹操は
@@KOUMEI_NO_WANADA
曹操って孫子に注釈つけてて、もっと言えば今我々が読んでる形式の孫子で確定させたのも彼なんですよね
ところが彼の軍事思想って(全部が全部そうではないにしろ)孫子とは真逆で基本的には彼の戦術の出発点って
『もし”同数の1対1対決(つまり1on1)”なら自分(曹操)は絶対に負けない(信念)』
ってトコから組み立てられてるんですよね笑(※孫子は弱者の兵法)
他にも涼州軍閥が全部集まってきてみんな慌ててるのに対し涼しい顔で
「いや、むしろ全員集合してくれたおかげで一発で全員ぶちのめせるやん?」
って言っちゃう(※これはむしろクラウゼヴィッツに近いw)とことか、もうこの人ホントに孫子読んでるんですかね?って言いたいwww(※孫子は『各個撃破』主義)
@@kappanouen 蒼天関羽「禁を玩べるほどに兵法に通じているのが曹操」
@@ひょうべえ 蒼天赤ずきんさん「鋭く 激しく兵法に通じているΣ🙂!」
実は張遼は孫権の顔を知らず、後に降伏した呉軍の兵から孫権の人相を聞いた時には「あの男が孫権だったか、知っていれば捕らえられたのに」と悔しがったとか。
つまり10万の軍を率いる総大将に、たった800人で肉薄した上で勝利していたということ。マジでリアル三国無双、「泣く子も黙る」の語源になったヤベェ男。
しかも太史慈の策略を暴いて逆にやり返して討ち取るというのは凄い。
東方剛欲異聞 〜 水没した沈愁地獄 の「フランドール・スカーレット 黙る子も泣く吸血鬼だ!」は「泣く子も黙る」からきてると思いますね
張遼は三国志で一番好きな武将です。
リアル三國無双をやってのける強い人物ですよね。
私の息子の名前は張遼の「遼」の字を頂いてます。気高く、腕っ節が強く、心の強い男になってほしいと願っています。
合肥の張遼はゲームでも鳥肌立つくらいカッコいいからなぁ
無双2の「孫権はどこだーっ!!」が最高
やっぱ、蒼天航路の張遼が圧倒的にイメージが強い!横山三国志の張遼さんはなんか渋いおっさんって感じでそんなに強そうなイメージ無いんだよね。
これだけヤバい戦績残した名将であるにも関わらず人間関係も大切にした人格者ってんだからすげーよな
色んな人と不仲だったみたいな話もあるので、たぶん組織内では我が強くて避けられてたタイプだったんじゃないかなぁ、なんて(笑)
良くも悪くも任侠気質みたいな。
演技で弱体化パッチを当てられたリアル三國無双。
本当に化け物より化け物みたいな人ですよね笑
リアルにこういう人が居たってんだから、人間って凄い(笑)
蒼天航路の張遼が史実に近い描き方をされているように思える。
22:28
バーベキューでトングを離さない人いるよねえ。
張遼「肉焼くのは俺に任せろ!お前らはビールでも飲みながら待ってやがれ」
個人的には、張遼との関連で切り離せないのが、高順と徐晃。
超有能なのに上司が馬鹿なせいでせっかくの才能が埋もれている人に見える。
丁原はともかく、董卓や呂布なんて自分のことしか考えてない上司で、才能があってもこんな上司の下で耐えてたよなと思う。
最後に曹操という最高の上司に巡り会えて、花開いたんだと思う。
演技より正史のほうが強いっていう謎の扱いを受けた数少ない人
張遼の活躍を史実そのままに書いちゃうと
関羽・張飛・趙雲で創作した活躍も霞んじゃうからでしょうw
似たような理由で無能みたいな書かれ方してるやつ、結構いるからなあ。曹真とか、徐栄とか。徐州時代から劉備に付き従ってる近衛の陳到に至っては、演義ではいない扱いになってるし。
@@lov4923 他にも田豫とか、劉備から曹操に勢力移した超有能な人とかも無視されてますね。わざと存在無視された人も居ますね。
三国志で1番好きな武将
最近、目に留まり学ばせてもらってます。
張遼、郭嘉は最も好きな三国志の人物なので取り上げてもらって嬉しいです😊
賈詡や楽進、典韋なども見てみたいですね!
是非ご考慮ください🙇♂️
孫権に心の根元を折る ×
孫権にトラウマを植え付 ける 〇
しかも孫呉の猛将すら止められないって……
武廟64将にも記載されている名将
張遼は荊州の劉表からの攻撃に備えて長杜に派遣された時には于禁、楽進といがみ合う事があったけど参軍の趙儼が上手く統制したので三人は親しむようになった。又、合肥に駐屯した時には護軍の武周と仲違いし、当時揚州治中だった胡質を護軍にしてもらえるよう揚州刺史の温恢に求めたけど、当の胡質から「武周は正しい人物です。将軍は昔、彼のことを尊敬し、口を極めて称賛しておられましたが、今は些細な恨みで仲違いされております。ましてや私のような拙い者では、将軍と上手く付き合えないと思うのです」と言われると感心して武周と和解した。
ザキヤマのくるぅ〜に1800年先んじて一発ギャグを生み出した漢
張遼の出身地の并州雁門は昔から匈奴の侵攻に晒されてきた土地だと言われているし、匈奴は漢の創始者である劉邦をボコボコにしたこともある有力騎馬民族だから、もし若い頃からそうした連中と戦ってたとしたら、呂布もそうだけど、この強さも納得かも。
後漢末期で一番、鮮卑の侵攻が激しかった場所ですからね。檀石槐おそろしや。
強さがメジャー過ぎてゲームでは対して欲しくないね 捕らえたら打首でもいいな忙牙長や兀突骨を育てる方が最近は楽しい 郭淮とか武力を上げたら呂蒙的な武将になる
有名どころの中では多少マイナーな武将だけど、僕は一番好きな武将です!
解説してくれて嬉しいです!
マイナーか?
三国志齧ったことある人なら誰でも知ってるだろ
張来来って言葉が有るくらいの武将やからなー子供叱る時の言葉で
個人的に、猛将だけどもマイナーどころっていうのは曹純とか厳顔辺りだと思ってる。
一番有名と思われるが? 横山中?
関羽がーー張飛はーーーww
張遼は賈ク同様に降将で李典や楽進らと折り合いが悪かったが国家の大事に私情を挟まず協力したことが合肥の勝利につながった。合肥を突破出来なかったことが魏呉の国境を確定させた。合肥の敗戦により孫権は方針転換し荊州方面に矛先を向けることになる。
孫権が軍を率いたらほぼ負け戦ですが相手が悪すぎた
張遼死後も満寵 羊鈷と劣らない人物が合肥を守備してますからね
張遼が呉の領内に現れただけで、赤ん坊も直ぐに泣き止むほどの凶悪な武将
鬼が出るぞー!より現実味があるからもっと怖い(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かに下手な虚言よりは断然に怖いですね
関羽とマブだったので、敵の武将の中では演義で例外的に良く描かれたのは前回の呂蒙とは対象的ですね。まぁ関羽(名士大嫌い)と仲良くて李典(名士大好き)と仲悪いのはなんか色々察しますね😁
李典は呂布戦で叔父を確か亡くしてましたし、そういう怨恨もありそうですね
@@KOUMEI_NO_WANADA なるほど、李典側からも張遼に対して抜き差しならない感情があったかもですね。宿敵だった呂布側からの降将、味方からの感情も複雑、そんな張遼が于禁クラスの信頼を得て真っ当に出世できたのは唯才主義の賜物ですね😎
@@KOUMEI_NO_WANADA 魏にも呂蒙がいたら李典と張遼の仲も取り持ってくれたのに
某ゲームのせいで山田のイメージが定着の張遼さん。
三国志のゲームで元連れ達が策略火計のプロならぬ焼き討ちのプロと言ってました!
遼!来!来!
ジャーンジャーンジャーン!!
孫権「げぇっ張遼!」
…え?確かそんなシーンはなかったはず?
三國無双やったらピエールみたいな感じやのにこんなかっこいい人やったんか
よく「800騎で突撃」って紹介されるけど
原文は「敢從之士、得八百人(800人の勇士を得た)」なので歩兵だと思う
“遼、典以步卒八百,破賊十萬,自古用兵,未之有也”,この800人の決死隊は確かに歩兵だった
歩兵だが、全員が二重の甲冑を着て、胸にはいくつかの護心鏡が追加されて防護が強化されるかもしれません(三国志ゲームでは、多くの武将が立ち絵した双乳部にこの2枚の護心鏡を巻きつけるが、最も科学的な防護は実際には腹部に巻きつけることだ),甲冑の下には厚い綿入れがあり、緩衝作用がある。全体の荷重は15 kg以上です,戦国日本の多くの武士の具足よりも少し厚い(胴体部の防護)。戦前の夜に牛肉を食べて大量の酒を飲んだ。
張遼本人は長戟を手に自ら呉将を討った。漢代の“卜”字型長戟と宋代以降の戟(つまりほとんどのゲーム、アニメ、漫画の呂布が手にしているようなもの)は全く別物だった。手下の兵士は、超近距離白刃戦における呉軍の環首刀と長戟への格防に特化した钩镶を手に持っている可能性もある。漢代の四石弩機は200歩の距離の外ではこのような甲冑防護を撃ち抜くことができないかもしれない。
復元されたイメージと三国志ゲームの兵士や武将のイメージの違いは非常に大きい…三国志ゲームの武将のイメージは実は宋代の絵や、日本の仏教寺院の天王像が身につけていた唐宋時代の中国の甲冑を参考にしているから…劉関張、呂布らのイメージは明代の絵画に由来する(個別の立絵が手にした大刀は西暦20世紀の中華民国の産物である)
ua-cam.com/video/iasFA0sLsjo/v-deo.html
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i.ytimg.com/vi/iasFA0sLsjo/maxresdefault.jpg
対照的に、東呉の将軍と校尉配下の精鋭部曲武士のイメージはそうかもしれない。写真は三国時代東呉の持盾武士俑:event.culture.tw/userFiles/NMH/JpgFile/OldWebsiteImg/Exhibition/20100506_1393.jpg
それは誇張された表現で実際は騎兵だろ
三国志のなまはげ枠
曹操の籠城する前に一度敵の気勢を削いでおけの指示の意味を分からずにそのまま受け取ってしまった説は笑った
やってる事は曹仁と同じ様な事でいくら周瑜と孫権で大将の指揮能力に雲泥の差があるとはいえ、片や敵は崩れずに味方の士気を上げただけ片や大混乱におちいり帰り際に討ち取られかけたとかどうなってんのよ
孫権が間抜けなのか張遼が凄いのか、両方か
陳蘭・梅成の乱の話を見てみても、単純に張遼が破格の化け物だったんじゃないかなぁーなんて(笑)
有能であればちゃんと評価して重用する曹操の下であったことも良かったように思う
呂布の娘に会った張遼が、呂布の奉天戟を呂布の娘に持たせて、呂布の奉天戟を振り回すのを見てお見事と言う話も有るよ
合肥の初代守護神。
対呉戦の抑えの切り札
サーバント
2代目満寵も有能なんだよなぁ
もしかしてサイヤ人じゃありませんよね?
と言いたくなる人
蒼天航路の張遼は正に武神の強さ
一騎でも軍を率いても優秀 剛直な郭嘉とも息を合わせられる度量
やはり合肥の張遼こそ伝説ですね
お話だけ聞いていると、関羽と趙雲を足して2でかけたような人物を想像する事しか出来ない訳。
こういった話があったから三國志4では外交が持てたんだな
リアル三國無双か
演義をファンタジーにしない為にナーフされた男
張遼が呂布亡き後劉備に仕えていたら関羽とセットで荊州の守護にいたかも。
リアル三國無双…😱
まさに東洋のレオニダスですな(なお孫権は東洋のネロ・クラウディウスの模様
一応、呂布も数十騎で1万数千の黒山賊を破ったとされるものの数日かけて脅すようにジワジワ削って壊走させるやり方。
対して張遼は1戦で真っ向から800騎で呉の精兵10万を突破。
演義と違って、呂布はちゃんと頭使って戦ってるイメージ。張遼はバケモン(
張遼の落ちは、病死か、丁奉にフルボッコにされて死ぬかだからね
張遼は反則だぜ👍
呂布なんて…ゲームじゃ化物だぜ😂👍
チートの代名詞 呂布
遠くから見たら、デカいゴキブリなんだよだから怖えんだよ。。
それよりも張遼と夏侯淵の2人でも落とせなかった昌キのその後が気になる
于禁が派遣され、昌キと于禁は同郷で知り合いだったということもあり、昌キは知り合いのよしみで助けてくれと于禁に頼み込んで降伏。しかし于禁は厳格な軍人であることから、幾度も反乱を行った昌キを軍規に則って処刑した。
曹操はそんな于禁を賞賛こそしたものの、その厳格過ぎる性格の後世の評価は分かれるところだとか('ω')
ua-cam.com/video/O6OCd-rHs0o/v-deo.htmlsi=TeIdiA7swDItKCbl
張萊來なんよなーやっぱ
投稿お疲れ様です。
上司、部下からの人望は厚く、曹操と同じ車に乗せてもらったり、曹丕からは、自分と同じ食事を賜ったり皇帝専門医をつけてもらったりしてたんですよね。
内部や周りに敵を作らず、味方がいたことが大戦果につながったのだろうと思います。
裏表なく、一本筋の通った、気持ちのいい軍人だったのでしょうね🐎
曹植も、烏丸戦における張遼の活躍からインスパイアされて白馬篇という詩を描いてる。あの一族は張遼大好き。
同じ勢力の人とは定期的に揉めてるんですがそれは
ぶっちゃけ呂布の武名の何割かは張遼の活躍によるものではないかと思ってる。
最近の三国無双は兵力差があると難易度低くてもまあまあきついから、今や大谷や藤井以上に創作を越えた男である
呂布の軍って張遼といい高順といい、あの時代トップクラスの名将いたんですよね。そりゃ野戦の天才曹操でも苦戦するわ。
あとはちゃんとした戦略性があれば…
高順&張遼の騎馬隊で、北方の野戦では、ほぼ無敵状態だったことでしょう。
演義でも正史でもやべーやつ。そりゃ孫権ちびるわな。
圧倒的
項羽と張遼だとどっちが強いんやろな
張・萊・萊!!
山田ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
正に武闘将!!(゜ロ゜ノ)ノおそろしや((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル💦
三國無双の場合無駄に人気有るくせに山田とかで弄られるよ
合肥の戦いで、
「魏に張遼あれば、呉に甘寧あり」
魏軍は防衛したが、呉軍大将・孫権は捕らえることはなかった。
いつも楽しく拝見しています^ ^
リアル三国無双の活躍は、聴いてるだけで胸がワクワクします(*゚▽゚*)b
正史が強すぎて演技でナーフ喰らってる人
事実は小説より奇なり
遼来遼来より遼来々の方が好きです。
語感がいいですよね(笑)
曹操もドン引きであるwww
もっと後の時代まで生きていたら征東将軍の職に復せたし都督にはなれたかな?
居るだけで孫権を威圧できる存在ですからねぇ…(笑)
張遼が『前将軍』を拝命したのは品官制導入前のほぼ漢代の官位序列の頃のことですので
おそらくですがこの段階で(後の魏帝国でのいわゆる)”方面軍司令としての征討将軍”クラスとはすでに同格程度の位置付けであったかと思われます
つまり長生きして出世した場合、もっと上の比公将軍クラス(車騎将軍とか)、場合によっては大将軍(※実際夏侯惇はこのルート(前将軍→大将軍))に位置付けられようかと思われます(個人的には”驃騎将軍”とか似合いそうwと勝手に思ってます笑)
@@kappanouen 驃騎将軍・使持節都督揚荊州諸軍事あたりにとか?
@@KOUMEI_NO_WANADA 孫権キラーですもんねぇ
@@matukawatositane 『驃騎将軍・使持節都督揚荊州諸軍事』←めっちゃかっこいいΣ🙂!
あと最初コメント書いたとき完全に忘れてたんですが(笑)
同じ魏の五将軍で張遼と同格程度に出世しながら割と長生きした張郃(征西車騎将軍)のような、つまり『征東車騎将軍』とかいう
謎の”合体将軍号(征東将軍+車騎将軍)”がもらえるという可能性もけっこうありますね、そういえば😗
張遼が呂布放浪や陳宮張邈反乱に付き合ってたイメージないな。居たら高順陳宮と一緒に処罰されてたんじゃないかと。
呂布が徐州取ってから昔の誼で加わった印象。
張遼処刑を止めさせたのは劉備、関羽とのはなし。
@@山下龍吾 それは正史に記載があるわけじゃないので…
横山三国志で呉軍の矢を食らって戦死したことになってるけど現実でもそうなって欲しかったなー
張遼が一番好きだけど10万に800騎で蹴散らしたというのは誇張が過ぎるんじゃないかなあ?
あり得るのか?演義なら全然理解できるけど具体的に可能なのか疑問だ。
実際に出来たかならなんというかキングダムの六将みたいな化け物ということになると思うんだよね笑
実は孫権本人は包囲を放棄して撤退の準備をしていたが、張遼の奇襲は呉軍が戦う意志を失った瞬間に最も劇的な効果を発揮した。張遼の兵力は実はこの800人の決死隊だけではなく、李典、楽進の部曲を加えた実際の兵力は6000人を超えている。一方、張遼と激戦を繰り広げた孫権の近衛部曲(車下虎士)は実に2千人弱。救援に来た凌統は300人しか連れてこなかった。殿後戦に参加した蔣欽、呂蒙、甘寧の兵力は不明だが、数千人を超えるはずだ
張遼が柔軟に動けて融通が通る800騎で先制
↓
孫権の大軍が混乱、統率が取れなくなる。
↓
混乱の隙を付いて、李典率いる合肥本軍(兵士沢山)が攻撃
↓
混乱の渦中にある孫権軍の大部分は李典軍によって殲滅、危機を察して孫権の援軍に駆けつけた部隊は張遼が撃破
そんな感じの流れが個人的には納得のいく解釈
なるほどねぇ
野戦というか局地戦に持ち込めたってイメージと解釈していいんかな
解説で本気で撃破しようとしていたとあったけども張遼て馬鹿じゃ無いと思うんだよね(むしろ賢い)、だから勝ち筋はうっすら見えていたかもしれないけど基本は決死の覚悟、というか死んでも良いとさえ思っていたんじゃないかなあ
何でこんな事言っているかといえば、張遼は猛将ではあるが智将寄りだと思ってるから一騎当千みたいなキャラに違和感を感じちゃうんですよ
@@KARAMAZOV_3 同意。かなり頭の切れる将軍だと思う。「命令の意図を捉え損ねて突撃した」と言うより、「それしか道が無かった。」と言う方がしっくりくる。
相手は圧倒的な大軍かつ精鋭揃いで勢いもある。対して、自軍は少数で援軍の派遣も対劉備戦線の状況から絶望的。
城に篭って長期戦を選択すれば、明らかにこちらが不利になる。なら一か八か相手の体制が整うまでに強襲して短期決戦に持ち込むしか勝算が無い。
相手は多勢だからこそ、体制が整うまでに時間がかかるし、勢いがある故に慢心もある。対して、自軍は少数だからこそ融通が効く。そこを巧くついた計算された闘い方だと思う。
突撃隊の張遼自身、過去の戦績から騎馬を率いた寡兵での強襲戦は得意分野。李典は夏侯惇を上手く補佐したりと、起点が効いて視野が広い優秀な副将。軍を率いて、統率が取れなくなった孫権軍を充分に切り崩して混乱を広げる事ができる。
それぞれの得意分野を活かして起死回生の一撃を放った結果だと思う。断じて「なんか突撃したら勝ってました」では無い。
あくまで相手の継戦能力(主に士気)を奪って撤退に追い込む事が目的で、ある種の局地戦だと僕も解釈してる。張遼が強すぎたのと李典のサポートが優秀だった結果、上手くいき過ぎて殲滅しちゃった感じはある。
やっぱり山田しか勝たんわ
実は孫権本人は包囲を放棄して撤退の準備をしていたが、張遼の奇襲は呉軍が戦う意志を失った瞬間に最も劇的な効果を発揮した。張遼の兵力は実はこの800人の決死隊だけではなく、李典、楽進の部曲を加えた実際の兵力は6000人を超えている。一方、張遼と激戦を繰り広げた孫権の近衛部曲(車下虎士)は実に2千人弱。救援に来た凌統は300人しか連れてこなかった。殿後戦に参加した蔣欽、呂蒙、甘寧の兵力は不明だが、数千人を超えるはずだ。孫権を迎えに来た賀斉は3000人を率いた。全体的に呉軍の兵力優位性は極めて明らかではないが、局地戦場から見ると、東呉の殿後部隊は確かに張遼の800人決死隊の数倍である,この中には呂蒙と凌統の部曲や東呉君主の宿衛軍(車下虎士)も含まれている。戦死した陳武は「所向無前」の廬江精鋭の統率者だった。呉軍側の戦死者は確かに良家子出身の武士が多かった,江東豪族の私人部曲の表現はひどい。
ごめん、何が言いたいの?笑
@@de9124 部曲は漢末から南北朝にかけての豪族と武将の私兵(ゲームでは三国志10で似たような軍制システムを採用したことがあるのは)。彼らは君主と武将の下で重要な軍事力だ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%9B%B
車下虎士=孫権の部曲=東呉君主の個人近衛軍,つまり孫権の車架の周りを警護する猛士という意味だ。そしで陳武の部曲は精鋭と呼ばれる廬江兵である
「良家子」とは漢の時代を指し、罪を犯したことがなく、けなされたことがなく、「医、巫、商賈、百工」出身ではない中小地主層の子供は、「士農工商」の第一階層の武士に似ている。彼らも漢代から三国時代の精鋭部隊であり、特に御林軍の主要兵員源でもある,彼らは1年間のほとんどの時間で農業生産に従事せず、軍事訓練や戦争を専門にすることができるからだ。写真は三国時代東呉の持盾武士俑,このような武士は江東の良家子と理解できる:
event.culture.tw/userFiles/NMH/JpgFile/OldWebsiteImg/Exhibition/20100506_1393.jpg
孫呉の朱・張・顧・陸氏のような江東大族については、彼らの個人的な部曲の由来は複雑で、捕まった山越捕虜から町の不良少年までいる。潘璋の部曲の多くは無頼、不良少年出身。甘寧の部曲「錦帆営」は初期には水賊出身だった。凌操、凌統父子の部曲は丹陽兵+山越捕虜である。江東大族の代表である陸遜陸抗父子の部曲は万人近くの規模に達することができる。
そしてこれらの私兵は東呉で合法的に世襲継承することができる。武器や装備を自分で購入したり、兵糧を自分で調達したりすることができます。
zh.m.wikipedia.org/zh/%E4%B8%96%E8%A5%B2%E9%A0%98%E5%85%B5%E5%88%B6
知識をひけらかすだけで何も生み出せない人は楊修みたいな末路を迎えるって自分で体現してるんでしょ
合肥の戦いの話は絶対嘘だろ
ていうか嘘であれ
嘘というか創作かな
まず、呉の存亡をかけた赤壁での動員数は呉軍2~3万、劉備との事実上決戦ともいえる夷陵の戦いでの呉軍は5万程度であるのに、合肥の戦いでの10万という数値は信憑性に欠けること
800対10万で戦ったと思ってる人も多いけど、張遼達はあくまで明け方にまだ布陣もされていない孫権軍への奇襲を成功させたのであって、正面きって戦闘したわけではないこと
なにより、三国志の著者である陳寿が魏を正統とし曹魏の人物にすり寄った記述をしており、かつ蜀漢の出身なので劉備等にも一定の評価尊敬が認められるのに対して、孫呉は明らかに差別されていること
張遼って中国人の評価高くないのに、日本人は大好きだよね
@@SN-mn6ny武将の評価を中国人に委ねる時点で論外。日本人が張遼をどう思っているかという話で「中国人が~」とか意味不明。
がっぴでしょ?
音読みならどっちでもええのです。ちなみに夏侯惇も、カコウトンかカコウジュンどっちでも良いみたいな。
正確さを求めるとそれこそ中国語になりますし。