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⬇︎元の動画はこちら⬇︎【拡散禁止️】灘卒四浪ナツミート、世間への鬱憤をすべてブチ撒ける。 ua-cam.com/video/d48HZcvIB-A/v-deo.html
例の件、自分がベテランちだったら、弁明するのめんどくさいから、謝罪して終わらせてしまうと思うけれど、こんなに心の内を話してくれるの胸熱だわ。。視聴者愛されてんな。
ライブ会場にいました。ベテランチさんが『机の前で悶々と文学考えてる奴が煽って、田んぼでクワ持ってたタダのお百姓さんが死ぬねんで!』って言葉が端的で、本当にそうだなって思った。表現や文学の力を信じてるから出た言葉だと思った。
もうそういう時代じゃないやん。百姓も貴族もいない。徴兵制になればナツミートも行くことになる。結局はベテランちが右翼思想やマチズモに拒絶反応示したのを正当化しようとしてるだけにしか思えん。
文芸部の時に顧問に「人の死を簡単に文学に用いるな」と言われたのを思い出します。大学で南原繁とか丸山眞男とか戦争を経験した文学者を学んだ上で、かつての顧問の言葉を心において生きています。
きっかけになった出来事は見ていないけど、ここで言ってること全部よかったです。やさしくてまともな思考と感情をがそのまま言葉になってる感じがした すごく面白かったです。
ベテランちさんのこのファンに対する真摯さってまじで隠れた魅力よな
これあります!
真剣に言ってることに対してガチ炎上を回避するためにあえて演出して説教したのが、問題となって文学とは何かという題まで上って考察するあの伝説の動画
まぁやっぱりこの動画を見て思ったけどお前はかっこいい。自分の思うかっこいいを追い続けてるとこがかっこいい
この"なんか言わないとなにも始まらない論"、ベテランちはいろんな媒体で発信してると思うんだけど、媒体ごとに伝え方微妙に変えて工夫してるの流石だと思う(見当違いだったらごめんなさい)
22:26
ナツミートが実際どういう考えであの発言をしたのか分からないから肯定も否定もしないけど、ベテランちが"文学"に対して真摯に向き合っているのは凄く伝わったし尊敬する
23:06これめっちゃ分かるわ・逆張り、既存の正しさや道徳を批判するのは超簡単・その上で神のような絶対的正義がない靄がかかった世界で自分自身がより善いと思うものや道徳を模索してそれを発言する勇気批判すら受け止めて議論する勇気実存主義的な考え方、めっちゃ好きだし分かる
当事者からの真な反論がないから死者に対する文学に慎重になるべきっていうのも批評性というか、そもそも反論を求めている感じがあって、それってやっぱり自分の思想に対する誠実さ、それを主張して影響される人への誠実さだよなって思う
逆張りに関する考え方は同意。考えることや文学=快楽という考えは斬新ながら納得。どのような意見を発するにしろ責任を持たないといけない。あえて責任を負うポジションをとるのは素敵
土曜講座でやってほしい内容、そのくらい大切だと感じます。更にご自身もとても誠実ですね。
視聴者を見捨てないで説明してくれてありがとう
視聴者の一部にナツミに感情移入してる部分がまえの下りから多少なりともあって、結果自分が説教された気分になって、過剰に反応がきたのかなあ、もしくはネットでなく現実世界で友人とかと、例えば文学や思想の議論をかわす(或いはぶつけあう)機会がないから、ストレートに思想をぶつけているさまをみてストレスに感じたのかな、と思ったべてらんちは普段からなにか思想とかがあれば短歌にしろお笑いにしろその他の思想にしろ、人とその議論を交わすことに慣れてるでもそれがスタンダードでない人にはその様自体がストレスなのかなっていう、、うまくいえない
わかる ナツミを真剣に対話の相手としてみなしていたからこその発言だったよゆ
正直かるーい気持ちで楽しんでるからちゃんと理解出来てないけど、ベテやベテの視聴者たちが文学に真摯に向き合ってて、その姿勢が雷獣を作ってるんだなぁと思った。これからもがんばれ
こうやってベテランちが話してくれたことで自分もよく考えるきっかけになった
やっぱり言語化能力高いな〜ベテランちさんのいろんな面に憧れてる
過激なアンチとか逆張りをSNSで見る度に安心する~影響力の格差が顕著なSNSにおいても、まだ人間は流動的?揺り戻し的?な思考をするんだって希望が湧いてくる
同じ理由で、自分はゆたぼん好きなんだよな、反抗期がやってきたら、逆張りの逆張りになって、その後には志向の修正回数の多い、丁寧な人間になるんだろうなーってゆたぼんが反抗期になったっていうニュース見てうれしかった
ほんまに紳士やなあ好き
今回の件は漫画家やミュージシャンが自分の思想を、作品やTwitterに出してしまった時に似てる気がする。視聴者がエンタメと思っていた所に作者の思想が出てくると拒絶反応を起こす感じでも、その人達の思想や考えを知った方が文学をより理解するのには役立つし、人の思想や考えを知るのって個人的に嬉しくて役に立つから、たまにこう言う思想語る系の動画も出して欲しい
件の動画のゴタゴタは、いわゆる教養みたいなものに興味がある人の多い視聴者層で、みんなに文学の知識が多少なりあったからこそ、レフェリーとして文学や表現を見るのが当たり前な人が多くてああいう(「そんなに窮屈なものか」的な)コメントが増えたんじゃないか。プレイヤーからすれば思考を重ねながら窮屈に窮屈になってゆくのが自然というか、そうじゃないと文学なんて不可能なわけで、そういう窮屈なもの同士がぶつかりあう環境をレフェリーが初めて見たときに自由だと思えるのだと思う。あの場では、ナツミートさんはもちろんベテランちさんだってプレイヤーなのだからああいう流れになるのはまあまあ当然じゃないかなって思ってた。
んー、ドユコト?
表現者としてのベテランちと、エンターテイナーとして視聴者に見られるベテランちを両立させるところが難しいんだろうなと思った
最後の朗読聞いて、べてさんの思う文学についての説明に腑が落ちた
歴史は史実としてしか学ばへんからね。 そこにも泣いたり笑ったり自分と変わらない人たちがいたことにベテちゃんは気づいてるだけやと思うけどなー応援してます👍
文学として掘り下げるくだりは知識が足りなくて理解できなかったけどベテランちを嫌いになりたくないと感じたことは確か
ベテが軽い気持ちで一つ一つの動画を撮っていないことはわかった。視聴者側は軽い気持ちでポルノ的に消費する層が大半であるのであの動画に関わらず思想的な発言が見え隠れすると視聴者側と制作者側の気持ちのミスマッチが起こるのは構造的に仕方がないし、その批判こら一つの動画をとるこれ含め文学がひとつ出来上がったこの状況も側から見て面白いなと思う。
立命の入試に出てきた戦争と文学の国語の評論めちゃくちゃ面白かったな
出典教えて欲しい!
恐らくだが中川成美著の「戦争をよむ」
@@かけら-i5h さんきゅ
文学みたいな髪の毛やな
みんなが普段目を背けてるもの、気づいてないものに対して真摯に向き合うこの真剣な態度こそが文学だと思う。この意見を表明してる僕は最高に気持ちよくなっています。
まさに文学ポルノ
これは文学観でなくて政治観なのかも知れないけど、現実的に北方領土を取り返すには戦争しかないって殆どの人は理解してるだろうし、「戦争しかない」って発言も戦争を賛美してると言うよりはただ自明のことを述べたに過ぎないんじゃないかと思うな。自分の感覚ではむしろそう言った現実を直視しないで臭い物には蓋をするのは偽善どころか悪だと思ってる。結局冗談なんだろうけど、戦争ってワード自体を忌避するのは文学者としてはアリでも政治家がやったら現実逃避でしかないし、冗談として微妙でも論理として間違ってはないと思うからちょっとモヤモヤしてる。ちょっと論点がみんなとは違うかもだけど。
ベテランちにとって、戦争は政治的問題としての側面よりも文学的問題としての側面の方が多いんだろうな
それ。単に政治思想を語っただけで、「そんなん文学ちゃうわ!文学やめちまえ!」は意味不明
@@user-he2fk3tw3o「戦争しかない」わけない😂
戦争しかないと言っている人間の何割が戦争の何たるかを知っていて、どこまでを直視できているのかはいささか疑問だな。そういった人間の多くが陥りがちな、自分が現実を直視できていると信じて疑わない所に危険性を感じてしまう。あなたはどこまでが見えているつもりなんだ?と聴きたくなる。
@@yuzu-lj9bw じゃあ戦争以外で北方領土が帰ってくる可能性って高いんですか?具体的にはどう言った手段が考えられるんですか?
この動画みたいに、何かに対して自分の意見をいう。それこそが文学。自分は趣味で小説を書くのですが、創作過程で苦しい思いをすることが何度も何度もある。でもそれが快楽につながっていると自分で思う。結局考えて悩んで苦しい時が、「俺小説書いてんなぁ」って思って一番気持ちい。「自分に酔ってる」言い換えれば、「自分を持っている」人間じゃないと文学はできない思う。
どんな形であれらんちの頭ん中覗ける動画は嬉しいよ
ベテではなくらんちなのおもろ
かべが性器露出したのがファインプレーすぎるんだと前回のと2本通して気づかされた
ナツミートが文学的なことをしたいならこの一件は考える機会としてある意味良かったのかも
ベテランちさんはプレイヤーとレフェリーと表現していて、言い得て妙だと感じましたみんな絶対的で普遍的な価値観(レフェリーの価値観)があると思い過ぎじゃないかと、ぼくはよく思いますそういうものがあるという前提に立つからコミュニケーションができる・社会が回る(例えば常識とか法律とか…)のは理解するけど、どれも結局は誰か(個人のみじゃなく集団も含めて)のいち価値観なわけで…権力勾配がある場合は確かにレフェリーのように見えることもあるけど、それでもやっぱりただ人間いちプレイヤーな訳で…そう思えばただの意見として受け入れたり、対立するならするでひとりの人間として話し合えたはずのことも、存在しないもの=レフェリーの価値観を前提に論じるから矛盾が生じて話にならなくなるというか…議論によってありもしない「レフェリーの価値観」を明らかにしようとするから決着がつかず喧嘩になるというか…まあ、何かの価値観を絶対視して信仰できるから美しかったり力が出たりするところもあると思うので全否定はしないけど、そんな争う必要ないのにな、と思うけどが多いです
ペン先出したままペン回しできるのカッコいい俺なら服汚しそうでビビってまう
炎上する動画を説明する動画を説明する動画を…で無限に動画出せるやん
文学についてナツミと語り合って欲しいな二人とも全く違う考え持ってそう
言葉の強大さを理解して使うのが大事だよな。
髪型がおしゃれだなって思うんですけどその髪型って美容室とかでオーダーする時に何か意識してるのか、それともただ伸ばしてたらおしゃれになってただけですか?
最も伝播性のある部分を避けてるみたいな話し方
元の動画でのシーンが引っかかったのは、戦争するしかないって意見も戦争肯定するんなら文学なんかすんなって主張もどっちもちょっと尖っててちょっと過激な意見だから、動画の中でツッコミ?としてベテランちが返答する構図になったことで、後者の方だけは正論ですみたいな空気になっちゃったせいかなと思いました。
どちらの過激な主張にも丁寧な論理があったと思うけど、どちらも省略されてたから仕方ないよね
カルチャーは違いがあるから区分できる訳で、ポピュリズムから切り離された思考や文学は偽悪ではなく寧ろ偽善的だと私は思う。もちろんいたずらに逆張りをするのは何の価値もない様に見えるけど「ちょっと待てよ、これってもしかして…」みたいに従来の感覚に疑問を持ち掛けることこそ文学だと思う。その場合、疑問が真の答えを導かなくても良いという意味ではまさしく偽善である訳で。何故なら真の答えがわかっていながら疑問を抱くことはできないからね。例えばよくある移植手術の募金をしている人がいた時に、それに対して「これって国がやることじゃね?」と思う人も従来のやり方に対する逆張りに含まれるけど価値観の革新はそういう人から生まれると思う。逆に川端康成の雪国をそっくりそのまま文芸誌に投稿したって誰も評価しないのは自明。文学の価値を「革新」に置く前提で考えてみたけれど、定義の曖昧なもので議論したって正解は出ないよね。
蚊帳の外から主観の垂れ流しで批判するの、そろそろ辞めないか?他人を可哀想だとか間違っているだとか、勝手に決めつけるんだったらよ。自らの名を世間に晒して群雄割拠の時代を時代を再建しようよ❗️俺の名前は坂本 哲平(さかもと てっぺい)、大学一年生だ。
俺、佐藤裕也(`ェ´)ピャー
田中雄一と申します。 3個あるんぢゃないでしょうか?
(肯定的な意味で)、若者らしく美しいデジタルタトゥー
めちゃくちゃ共感も納得もできるような内容の動画で、またベテランちのこと好きになった(後半は少し飛躍した感じもあったけど笑)。結局、表現の自由・言論の自由=文学では無いのよな。自己完結させずに他者に出力するであったり、ミームとして後世に残るものである以上、少なからず周りに影響を及ぼすものなわけで。それに伴う責任として、無闇矢鱈に考えを吐くのを文学というわけにはいかないよね。
俺これまでかなり言葉を無責任に使っていたのかもしれないと思い直した
なんかベテ含めみんなすごいよな
21:03最近読んでる本と同じようなこと話しててなんかテンション上がってしまった
確かに!最後の偽善と偽悪で偽善に留まる勇気、リスク、みたいなの、めっちゃ分かる!日本だと特に、逆張りしてる方がカッコいい、偽善的発言は良い子ちゃんやマウントとして嘲笑されやすい空気感がある気がする。
強者は文学を必要としない。戦争つまり暴力は文学の敗北を意味する。言葉は情報伝達の手段だ。戦争という一言で流れた血や、死、恐怖や悲しみが概念化される。すべての事実が言葉で表されるなら、人生は言葉だ。私はベテランちさんの言葉を信じています。一視聴者の文学観をダラダラと述べてしまい申し訳ありませんでした。
もうちょい詳しく頼む
炎上したツイート消してだんまりするの、なんなら詩歌に携わってる連中だってするのに、ここまでご自身の言葉で丁寧に説明出来るの、本当に凄いです。戦争や内紛は失敗した政治ということに同意しますし、フィクションのフィルターがかかっているのか分からない状況での戦争発言は危険だと感じました。先日地元のTSUTAYAでベテランちさんの本の隣にりり先生の本があって笑いました(*´艸`)
ベテランちの考えを聞いた後に、「四千の日と夜」をきいて鳥肌とまらんかった。また考えまとまったらコメ書きます
文学的な観点から言えば、死ぬということは言葉を失うという事象に必然的になるわけでそう考えると文学者にとって生きた証は文学者の手で書かれた書物であるとも言える。微塵も他の意見を介入させずに創り上げられたその文自体が命なのである。当人が生身で体験することもなく意見を述べるのは危険を伴うのである。
ベテランち(青松輝)がナツミートに対しても文学に対しても責任を持っているのが伝わる発言だったし、訂正してお詫びなんてしてなくて良かった
死を誰も経験したことないから捉え方に個人差が生まれて偽善とか偽悪とかになるのかな
ベテランちさんの発言の賛否は置いておいて、動画というライブ感ありきの創作物に対してつべこべ言われる世界はとても窮屈なものだと私は思います。
今回の動画を見て、思想的には共感出来るものが多いしなんら間違ったことは言ってないと思う。でも視聴者からの意見をもらってそのニーズに合わせて動画を出したんだろうけど今回の問題って文学観によるものなのかな?って思った。単純にエンタメと言われたらそうでしかないんだけど、あのくだりをエンタメとして見れない人が一定数いたことも事実で、それも踏まえるとカットで良かったんじゃないかって思う。動画の趣旨として、ギリギリエンタメとして捉えられる範囲内で少しきつめの発言をするっていうのがあって炎上をしてしまってる時点でこれはエンタメなんかな?って思ってしまう。あと先輩と後輩という関係性がある前提を踏まえるとあんな言い方するのはどうなんだって思うな。政治観とか哲学とか文学を語るときは対話が大事だと思うんだけど、あんな言い方されたら対話にはならないでしょ。まあでも炎上も一連の動画もエンタメですっていうならそれもなるほどなって思ってしまうけど。
まあなにが言いたいかっていうと今回の問題って果たして文学の問題なんすかね?ってこと
「文学」って言葉を勝手に持ってきて、自分の暴力(ナツミートの考えをコンテクストぶった切って抑えつける)を正当化しようとしてるようにか見えないんだよねー…少なくとも視聴者にはそう見えた。それがベテランちにはあんまり伝わってないように思う。
この2人の考えに共感する...、文学観とかは自分の話したい話をしてるだけに感じる。人それぞれの文学観どうこうじゃなくて、先輩という立場を利用して、後輩が大事にしてる部分を簡単に否定する行為は見ていて非常に不快で、エンタメとは感じられず、カットされていてほしいと個人的に思う。チアやめてまえ でも同じように感じたと思う。
東大文学部の世界線のベテランちも見たかったw
めっちゃ気づかせてくれるやん本読も
表現者としてあるものを信じ、その思想を先鋭化させた先に良いものができるから自分の文学観を大切にしたいのはわかる。ただ、文学全体、芸術全体をマクロな視点で見たときにそのクリエイティビティを守るためにアンチテーゼを受け入れない姿勢は逆説的に文学界や表現の世界を衰退させ兼ねない危険な思想ではあるなと思いました。なので自分は特定のイデオロギーを持った人が文学をやるな発言だけは受け入れられません。どこまで行ってもそれは表現者サイドのエゴでしかないなと思ってしまいます。という個人の感想。
殺人がしたいVS殺人をしてはいけないという問いに対して、殺人をしてはいけないということがどこまでいっても表現者のエゴにしかならないと本気で思えますか?エゴという言葉について、無責任すぎませんか?
反論することは誰にでも簡単にできる←たし蟹
まさかガチで炎上するとは
勘違いしてる人が一部いると思うんだけど、件のベテは自分が世間からかけ離れた思想を持っているけど批判されて後に引けなくなっているわけじゃないっちゅうことね
文学者を語る上で、偽善と偽悪などというように表、裏で表現するのは、今回の動画においては有効ではないと思うというのが正直なところである。が、エッチしないと出られない部屋など、現在のコンプラ社会への対抗という意味ではとてもワクワクしている。
ナツミにその線引きできると思ってるのか、この炎上に対してここで弁解するところまで考えてたのか、神の味噌汁。デミタスで満たす。
思想を制限してるから謝罪しろ、ってコメントする人はその発言自体がべてらんちの思想を制限しているんじゃないかな、?って私はおもってしまうな、、。私がそう思ってるだけで勿論正しくはないかもしれんが
「寛容のパラドックス」で調べると面白いかもしれません
寛容のパラドックスにおいて主張される見解って、あらゆる言説は、寛容すべきものと、不寛容であるべきものに分類できるとする二元的な理解が前提にある気がして、本当にそうなのか?って思ってしまう。ちょい寛容、ちょい不寛容、みたいなバリエーションがある態度が実は健全なんじゃないか、と。結局、思想の制限って一口に言っても相手を○して喋れなくする、相手を罵倒して実質上喋れなくする、自己の立場を説明して相手に反論する、等々種々の態様があるわけだから、思想を制限する、制限しない、も二元的に捉えるべきではなくて、ある言説の正当性は、反論の機会の有無、言動の態様、相手の思想の論理的正当性、相手の思想の社会的危険性等々諸々の事情を考慮して、評価されるべき「程度問題」やと思うから、シーソーゲームのように「思想を制限しているかどうか」で全てを片付けようとするのは妥当ではないと思う。だからベテランちの言動およびそれに対する「思想を制限するな!」という批判いずれも「思想を制限する」かどうか、という観点から評価する必要性ってそもそも乏しいんじゃないかなぁ。
@@ニーマイヤー 調べます!ありがとうございます!!
@@ilastoneis いち視聴者のちょっとした疑問に真剣に答えてくれるベテランちリスナー最高です何にでも白黒つけられるわけじゃないですよね、色々考えてみます!!
金欠すぎてUA-camプレミアム解約したのに、また入ってしまった
「ベテランち」として動画に出ても「青松輝」としての自我は隠せなかったのですね。そういうところが凄く信頼できるのですが。
「文学をやめろ」という発言も広い意味の文学に含まれると思うので「文学はそんなに窮屈でない」という反論こそ文学を窮屈にしているという皮肉表現の自由は「表現を規制すべき」を規制できない、みたいな話
結局のところ個人の発言は個人の価値観から逃れられない真にフェアなレフェリーなど存在しえず、その時代の価値観に即した最もらしい意見を持つプレイヤーがいるだけだと感じる
16:30 俺は逆張りの意見こそ大事と思う。逆張りオタクが消えてやったもんがちになったら世の中無駄が増えすぎる。ちな募金と逆張りを実行難易度で比較したら募金のほうが上だけど、リターンの大きさで比較したら案外逆張りのほうが頑張ってる説ある
いや、逆に逆張りがやったもん勝ちなのよ。
"ある創作が純文学であるかどうかは、最終的には死に対する姿勢によって決まる"トマス・ピンチョン 『スロー・ラーナー』
これエンタメとしてみたらええのん?
文学として見てます
文学≒ポルノ=エンタメや👍
戦争反対って定義や本音を自覚することは難しい。 漱石が言うように悲劇は偉大で、ひとは陶酔や崇高を求めるから。車社会や肉食も自分にとっては戦争で反対だ。軍歌で涙する自分はいわゆる人間の戦争全てに反対など言えない。
高菜明太と塩昆布、どっちが肴に最適ですか
ごめんなさい、俺も表現並びに文学したい
文学とは何か、この動画どっちかっつったら倫理学やな
4:39 青ペン
彼はのちに聖杯戦争します
クソワロタ
他人の思想を知れて幸せ
もっと話聞いてたい
UA-camにはベテランちの話を100%に近いくらい理解できる人もいれば10%程度しか理解できない人がいて、普段エンタメしか見ない視聴者でも雷獣のあの企画は見るけど、ベテちの考え方の核のような部分を話すこの動画は、アンチしている人たちと層が違う気がするのでそもそも見られないと思いました。。ただただ自分のようなベテちの、ファン得の動画です。あと襟足好きです。
頭悪くてよくわからんけど面白企画やるぞー!って気持ちで参加して、説教されたら普通に悲しい
主張や意見は何かしら窮屈な訳でその中でもベテ中は文学としての窮屈さではなく友達先輩後輩としての窮屈さの方が嫌やと思ったから発言したんかなぁ その後反論が有れば話し合える算段があることが分かってて、現に話合ってるし
ミスチルのフェイクを聴きたくなった
雷獣の動画の中に、文学観の相違による口喧嘩シーンいらんかも
見てても気にしてなかったしもう大丈夫だぜ
個人的に文学は「ちゃんと考えられてれば割と何やってもいいよね。」という薄い文学観を持つ者です。(雑)なのでナツミートさんのもつ意見の論理を全て聞けておらず、下記の印象が正しいか正しくないか微妙なラインとはいえ、「逆の立場を考えて自分の意見を言ってないなあ」という印象でした。故に、ベテランちさんの「文学やめてまえ」は、僕の文学観とベテランちさんの文学観が違うとはいえ肯定派です。よく考えられてない浅はかな思想が他者に影響を与えていいわけが無い。僕の文学観は「文学って自由やん」の派閥に近しく、動画中に「文学って自由やん、逆張りもええやろ」の派閥を「逆張りは実は簡単」と言っていたので長文で意見してしまいました。傲慢で申し訳ない。
暴力は、生物として当然だけど。ぼくら人間なら、もっと上手く生きていけるのかな。悩みたいね、ぼくら人間なら。
現実主義を嘲笑う文学が現実にせり出して、ゴチャゴチャと尤もらしいことを述べても全く共感は出来ないな。
ベテランちの話をずっと聞いていたいと思ってしまった 危険
偽善と露悪の話三四郎から今の今までずっとやってんな
「面白いってことは信用してる」って一体どういうことですか?
文学ってなんなのかを考えることもまた文学
東大理三のディラン・マッケイ発見
逆張りは題を否定するだけで成り立つけど張られるほうもしくは初めてのものは自分の正当性まで説明せなあかんぶん考えることが多いってわけか?
後ろのちいかわください
おえかきちょう?
ベテ令和の加藤周一やん
5:15〜
戦争とか人の生死についてフォーカスして語っているが、戦争が気持ちマイルドになった先に金で殺し合う資本主義があるわけで、その理論を深堀すると結局能力主義的なことにも関連して触れる必要があるのでは。そこまで語らないのは理3という強者故の論調なのだろうか。
この動画のポイントは「2日前にはテレキャスのヘッドの横にあった謎の物体が無くなっている」です。
⬇︎元の動画はこちら⬇︎
【拡散禁止️】灘卒四浪ナツミート、世間への鬱憤をすべてブチ撒ける。
ua-cam.com/video/d48HZcvIB-A/v-deo.html
例の件、自分がベテランちだったら、弁明するのめんどくさいから、謝罪して終わらせてしまうと思うけれど、こんなに心の内を話してくれるの胸熱だわ。。視聴者愛されてんな。
ライブ会場にいました。
ベテランチさんが
『机の前で悶々と文学考えてる奴が煽って、田んぼでクワ持ってたタダのお百姓さんが死ぬねんで!』って言葉が端的で、本当にそうだなって思った。表現や文学の力を信じてるから出た言葉だと思った。
もうそういう時代じゃないやん。
百姓も貴族もいない。
徴兵制になればナツミートも行くことになる。
結局はベテランちが右翼思想やマチズモに拒絶反応示したのを正当化しようとしてるだけにしか思えん。
文芸部の時に顧問に「人の死を簡単に文学に用いるな」と言われたのを思い出します。大学で南原繁とか丸山眞男とか戦争を経験した文学者を学んだ上で、かつての顧問の言葉を心において生きています。
きっかけになった出来事は見ていないけど、ここで言ってること全部よかったです。やさしくてまともな思考と感情をがそのまま言葉になってる感じがした すごく面白かったです。
ベテランちさんのこのファンに対する真摯さってまじで隠れた魅力よな
これあります!
真剣に言ってることに対してガチ炎上を回避するためにあえて演出して説教したのが、問題となって文学とは何かという題まで上って考察するあの伝説の動画
まぁやっぱりこの動画を見て思ったけど
お前はかっこいい。
自分の思うかっこいいを追い続けてるとこがかっこいい
この"なんか言わないとなにも始まらない論"、ベテランちはいろんな媒体で発信してると思うんだけど、媒体ごとに伝え方微妙に変えて工夫してるの流石だと思う(見当違いだったらごめんなさい)
22:26
ナツミートが実際どういう考えであの発言をしたのか分からないから肯定も否定もしないけど、ベテランちが"文学"に対して真摯に向き合っているのは凄く伝わったし尊敬する
23:06
これめっちゃ分かるわ
・逆張り、既存の正しさや道徳を批判するのは超簡単
・その上で神のような絶対的正義がない靄がかかった世界で自分自身がより善いと思うものや道徳を模索してそれを発言する勇気
批判すら受け止めて議論する勇気
実存主義的な考え方、めっちゃ好きだし分かる
当事者からの真な反論がないから死者に対する文学に慎重になるべきっていうのも批評性というか、そもそも反論を求めている感じがあって、それってやっぱり自分の思想に対する誠実さ、それを主張して影響される人への誠実さだよなって思う
逆張りに関する考え方は同意。考えることや文学=快楽という考えは斬新ながら納得。どのような意見を発するにしろ責任を持たないといけない。あえて責任を負うポジションをとるのは素敵
土曜講座でやってほしい内容、そのくらい大切だと感じます。
更にご自身もとても誠実ですね。
視聴者を見捨てないで説明してくれてありがとう
視聴者の一部にナツミに感情移入してる部分がまえの下りから多少なりともあって、結果自分が説教された気分になって、過剰に反応がきたのかなあ、
もしくはネットでなく現実世界で友人とかと、例えば文学や思想の議論をかわす(或いはぶつけあう)機会がないから、ストレートに思想をぶつけているさまをみてストレスに感じたのかな、と思った
べてらんちは普段からなにか思想とかがあれば短歌にしろお笑いにしろその他の思想にしろ、人とその議論を交わすことに慣れてる
でもそれがスタンダードでない人にはその様自体がストレスなのかなっていう、、
うまくいえない
わかる ナツミを真剣に対話の相手としてみなしていたからこその発言だったよゆ
正直かるーい気持ちで楽しんでるからちゃんと理解出来てないけど、ベテやベテの視聴者たちが文学に真摯に向き合ってて、その姿勢が雷獣を作ってるんだなぁと思った。
これからもがんばれ
こうやってベテランちが話してくれたことで自分もよく考えるきっかけになった
やっぱり言語化能力高いな〜
ベテランちさんのいろんな面に憧れてる
過激なアンチとか逆張りをSNSで見る度に安心する~
影響力の格差が顕著なSNSにおいても、まだ人間は流動的?揺り戻し的?な思考をするんだって希望が湧いてくる
同じ理由で、自分はゆたぼん好きなんだよな、反抗期がやってきたら、逆張りの逆張りになって、その後には志向の修正回数の多い、丁寧な人間になるんだろうなーって
ゆたぼんが反抗期になったっていうニュース見てうれしかった
ほんまに紳士やなあ好き
今回の件は漫画家やミュージシャンが自分の思想を、作品やTwitterに出してしまった時に似てる気がする。
視聴者がエンタメと思っていた所に作者の思想が出てくると拒絶反応を起こす感じ
でも、その人達の思想や考えを知った方が文学をより理解するのには役立つし、人の思想や考えを知るのって個人的に嬉しくて役に立つから、たまにこう言う思想語る系の動画も出して欲しい
件の動画のゴタゴタは、いわゆる教養みたいなものに興味がある人の多い視聴者層で、みんなに文学の知識が多少なりあったからこそ、レフェリーとして文学や表現を見るのが当たり前な人が多くてああいう(「そんなに窮屈なものか」的な)コメントが増えたんじゃないか。プレイヤーからすれば思考を重ねながら窮屈に窮屈になってゆくのが自然というか、そうじゃないと文学なんて不可能なわけで、そういう窮屈なもの同士がぶつかりあう環境をレフェリーが初めて見たときに自由だと思えるのだと思う。あの場では、ナツミートさんはもちろんベテランちさんだってプレイヤーなのだからああいう流れになるのはまあまあ当然じゃないかなって思ってた。
んー、ドユコト?
表現者としてのベテランちと、エンターテイナーとして視聴者に見られるベテランちを両立させるところが難しいんだろうなと思った
最後の朗読聞いて、べてさんの思う文学についての説明に腑が落ちた
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そこにも泣いたり笑ったり自分と変わらない人たちがいたことに
ベテちゃんは気づいてるだけやと思うけどなー
応援してます👍
文学として掘り下げるくだりは知識が足りなくて理解できなかったけど
ベテランちを嫌いになりたくないと感じたことは確か
ベテが軽い気持ちで一つ一つの動画を撮っていないことはわかった。視聴者側は軽い気持ちでポルノ的に消費する層が大半であるのであの動画に関わらず思想的な発言が見え隠れすると視聴者側と制作者側の気持ちのミスマッチが起こるのは構造的に仕方がないし、その批判こら一つの動画をとるこれ含め文学がひとつ出来上がったこの状況も側から見て面白いなと思う。
立命の入試に出てきた戦争と文学の国語の評論めちゃくちゃ面白かったな
出典教えて欲しい!
恐らくだが中川成美著の「戦争をよむ」
@@かけら-i5h さんきゅ
文学みたいな髪の毛やな
みんなが普段目を背けてるもの、気づいてないものに対して真摯に向き合う
この真剣な態度こそが文学だと思う。
この意見を表明してる僕は最高に気持ちよくなっています。
まさに文学ポルノ
これは文学観でなくて政治観なのかも知れないけど、現実的に北方領土を取り返すには戦争しかないって殆どの人は理解してるだろうし、「戦争しかない」って発言も戦争を賛美してると言うよりはただ自明のことを述べたに過ぎないんじゃないかと思うな。自分の感覚ではむしろそう言った現実を直視しないで臭い物には蓋をするのは偽善どころか悪だと思ってる。結局冗談なんだろうけど、戦争ってワード自体を忌避するのは文学者としてはアリでも政治家がやったら現実逃避でしかないし、冗談として微妙でも論理として間違ってはないと思うからちょっとモヤモヤしてる。ちょっと論点がみんなとは違うかもだけど。
ベテランちにとって、戦争は政治的問題としての側面よりも文学的問題としての側面の方が多いんだろうな
それ。
単に政治思想を語っただけで、「そんなん文学ちゃうわ!文学やめちまえ!」は意味不明
@@user-he2fk3tw3o「戦争しかない」わけない😂
戦争しかないと言っている人間の何割が戦争の何たるかを知っていて、どこまでを直視できているのかはいささか疑問だな。そういった人間の多くが陥りがちな、自分が現実を直視できていると信じて疑わない所に危険性を感じてしまう。
あなたはどこまでが見えているつもりなんだ?と聴きたくなる。
@@yuzu-lj9bw じゃあ戦争以外で北方領土が帰ってくる可能性って高いんですか?具体的にはどう言った手段が考えられるんですか?
この動画みたいに、何かに対して自分の意見をいう。それこそが文学。自分は趣味で小説を書くのですが、創作過程で苦しい思いをすることが何度も何度もある。でもそれが快楽につながっていると自分で思う。結局考えて悩んで苦しい時が、「俺小説書いてんなぁ」って思って一番気持ちい。「自分に酔ってる」言い換えれば、「自分を持っている」人間じゃないと文学はできない思う。
どんな形であれらんちの頭ん中覗ける動画は嬉しいよ
ベテではなくらんちなのおもろ
かべが性器露出したのがファインプレーすぎるんだと前回のと2本通して気づかされた
ナツミートが文学的なことをしたいならこの一件は考える機会としてある意味良かったのかも
ベテランちさんはプレイヤーとレフェリーと表現していて、言い得て妙だと感じました
みんな絶対的で普遍的な価値観(レフェリーの価値観)があると思い過ぎじゃないかと、ぼくはよく思います
そういうものがあるという前提に立つからコミュニケーションができる・社会が回る(例えば常識とか法律とか…)のは理解するけど、どれも結局は誰か(個人のみじゃなく集団も含めて)のいち価値観なわけで…
権力勾配がある場合は確かにレフェリーのように見えることもあるけど、それでもやっぱりただ人間いちプレイヤーな訳で…
そう思えばただの意見として受け入れたり、対立するならするでひとりの人間として話し合えたはずのことも、存在しないもの=レフェリーの価値観を前提に論じるから矛盾が生じて話にならなくなるというか…
議論によってありもしない「レフェリーの価値観」を明らかにしようとするから決着がつかず喧嘩になるというか…
まあ、何かの価値観を絶対視して信仰できるから美しかったり力が出たりするところもあると思うので全否定はしないけど、そんな争う必要ないのにな、と思うけどが多いです
ペン先出したままペン回しできるのカッコいい俺なら服汚しそうでビビってまう
炎上する動画を説明する動画を説明する動画を…で無限に動画出せるやん
文学についてナツミと語り合って欲しいな
二人とも全く違う考え持ってそう
言葉の強大さを理解して使うのが大事だよな。
髪型がおしゃれだなって思うんですけどその髪型って美容室とかでオーダーする時に何か意識してるのか、それともただ伸ばしてたらおしゃれになってただけですか?
最も伝播性のある部分を避けてるみたいな話し方
元の動画でのシーンが引っかかったのは、戦争するしかないって意見も戦争肯定するんなら文学なんかすんなって主張もどっちもちょっと尖っててちょっと過激な意見だから、動画の中でツッコミ?としてベテランちが返答する構図になったことで、後者の方だけは正論ですみたいな空気になっちゃったせいかなと思いました。
どちらの過激な主張にも丁寧な論理があったと思うけど、どちらも省略されてたから仕方ないよね
カルチャーは違いがあるから区分できる訳で、ポピュリズムから切り離された思考や文学は偽悪ではなく寧ろ偽善的だと私は思う。
もちろんいたずらに逆張りをするのは何の価値もない様に見えるけど「ちょっと待てよ、これってもしかして…」みたいに従来の感覚に疑問を持ち掛けることこそ文学だと思う。その場合、疑問が真の答えを導かなくても良いという意味ではまさしく偽善である訳で。何故なら真の答えがわかっていながら疑問を抱くことはできないからね。
例えばよくある移植手術の募金をしている人がいた時に、それに対して「これって国がやることじゃね?」と思う人も従来のやり方に対する逆張りに含まれるけど価値観の革新はそういう人から生まれると思う。逆に川端康成の雪国をそっくりそのまま文芸誌に投稿したって誰も評価しないのは自明。
文学の価値を「革新」に置く前提で考えてみたけれど、定義の曖昧なもので議論したって正解は出ないよね。
蚊帳の外から主観の垂れ流しで批判するの、そろそろ辞めないか?
他人を可哀想だとか間違っているだとか、勝手に決めつけるんだったらよ。自らの名を世間に晒して群雄割拠の時代を時代を再建しようよ❗️
俺の名前は坂本 哲平(さかもと てっぺい)、大学一年生だ。
俺、佐藤裕也(`ェ´)ピャー
田中雄一と申します。
3個あるんぢゃないでしょうか?
(肯定的な意味で)、若者らしく美しいデジタルタトゥー
めちゃくちゃ共感も納得もできるような内容の動画で、またベテランちのこと好きになった(後半は少し飛躍した感じもあったけど笑)。
結局、表現の自由・言論の自由=文学では無いのよな。
自己完結させずに他者に出力するであったり、ミームとして後世に残るものである以上、少なからず周りに影響を及ぼすものなわけで。それに伴う責任として、無闇矢鱈に考えを吐くのを文学というわけにはいかないよね。
俺これまでかなり言葉を無責任に使っていたのかもしれないと思い直した
なんかベテ含めみんなすごいよな
21:03
最近読んでる本と同じようなこと話しててなんかテンション上がってしまった
確かに!最後の偽善と偽悪で偽善に留まる勇気、リスク、みたいなの、めっちゃ分かる!
日本だと特に、逆張りしてる方がカッコいい、偽善的発言は良い子ちゃんやマウントとして嘲笑されやすい空気感がある気がする。
強者は文学を必要としない。戦争つまり暴力は文学の敗北を意味する。
言葉は情報伝達の手段だ。戦争という一言で流れた血や、死、恐怖や悲しみが概念化される。すべての事実が言葉で表されるなら、人生は言葉だ。
私はベテランちさんの言葉を信じています。
一視聴者の文学観をダラダラと述べてしまい申し訳ありませんでした。
もうちょい詳しく頼む
炎上したツイート消してだんまりするの、なんなら詩歌に携わってる連中だってするのに、ここまでご自身の言葉で丁寧に説明出来るの、本当に凄いです。
戦争や内紛は失敗した政治ということに同意しますし、フィクションのフィルターがかかっているのか分からない状況での戦争発言は危険だと感じました。
先日地元のTSUTAYAでベテランちさんの本の隣にりり先生の本があって笑いました(*´艸`)
ベテランちの考えを聞いた後に、「四千の日と夜」をきいて鳥肌とまらんかった。また考えまとまったらコメ書きます
文学的な観点から言えば、死ぬということは言葉を失うという事象に必然的になるわけでそう考えると文学者にとって生きた証は文学者の手で書かれた書物であるとも言える。微塵も他の意見を介入させずに創り上げられたその文自体が命なのである。当人が生身で体験することもなく意見を述べるのは危険を伴うのである。
ベテランち(青松輝)がナツミートに対しても文学に対しても責任を持っているのが伝わる発言だったし、訂正してお詫びなんてしてなくて良かった
死を誰も経験したことないから捉え方に個人差が生まれて偽善とか偽悪とかになるのかな
ベテランちさんの発言の賛否は置いておいて、動画というライブ感ありきの創作物に対してつべこべ言われる世界はとても窮屈なものだと私は思います。
今回の動画を見て、思想的には共感出来るものが多いしなんら間違ったことは言ってないと思う。
でも視聴者からの意見をもらってそのニーズに合わせて動画を出したんだろうけど今回の問題って文学観によるものなのかな?って思った。
単純にエンタメと言われたらそうでしかないんだけど、あのくだりをエンタメとして見れない人が一定数いたことも事実で、それも踏まえるとカットで良かったんじゃないかって思う。
動画の趣旨として、ギリギリエンタメとして捉えられる範囲内で少しきつめの発言をするっていうのがあって炎上をしてしまってる時点でこれはエンタメなんかな?って思ってしまう。
あと先輩と後輩という関係性がある前提を踏まえるとあんな言い方するのはどうなんだって思うな。政治観とか哲学とか文学を語るときは対話が大事だと思うんだけど、あんな言い方されたら対話にはならないでしょ。
まあでも炎上も一連の動画もエンタメですっていうならそれもなるほどなって思ってしまうけど。
まあなにが言いたいかっていうと今回の問題って果たして文学の問題なんすかね?ってこと
「文学」って言葉を勝手に持ってきて、自分の暴力(ナツミートの考えをコンテクストぶった切って抑えつける)を正当化しようとしてるようにか見えないんだよねー…
少なくとも視聴者にはそう見えた。
それがベテランちにはあんまり伝わってないように思う。
この2人の考えに共感する...、文学観とかは自分の話したい話をしてるだけに感じる。
人それぞれの文学観どうこうじゃなくて、先輩という立場を利用して、後輩が大事にしてる部分を簡単に否定する行為は見ていて非常に不快で、エンタメとは感じられず、カットされていてほしいと個人的に思う。
チアやめてまえ でも同じように感じたと思う。
東大文学部の世界線のベテランちも見たかったw
めっちゃ気づかせてくれるやん
本読も
表現者としてあるものを信じ、その思想を先鋭化させた先に良いものができるから自分の文学観を大切にしたいのはわかる。ただ、文学全体、芸術全体をマクロな視点で見たときにそのクリエイティビティを守るためにアンチテーゼを受け入れない姿勢は逆説的に文学界や表現の世界を衰退させ兼ねない危険な思想ではあるなと思いました。なので自分は特定のイデオロギーを持った人が文学をやるな発言だけは受け入れられません。どこまで行ってもそれは表現者サイドのエゴでしかないなと思ってしまいます。という個人の感想。
殺人がしたいVS殺人をしてはいけない
という問いに対して、殺人をしてはいけないということがどこまでいっても表現者のエゴにしかならないと本気で思えますか?
エゴという言葉について、無責任すぎませんか?
反論することは誰にでも簡単にできる←たし蟹
まさかガチで炎上するとは
勘違いしてる人が一部いると思うんだけど、件のベテは自分が世間からかけ離れた思想を持っているけど批判されて後に引けなくなっているわけじゃないっちゅうことね
文学者を語る上で、偽善と偽悪などというように表、裏で表現するのは、今回の動画においては有効ではないと思うというのが正直なところである。が、エッチしないと出られない部屋など、現在のコンプラ社会への対抗という意味ではとてもワクワクしている。
ナツミにその線引きできると思ってるのか、この炎上に対してここで弁解するところまで考えてたのか、神の味噌汁。デミタスで満たす。
思想を制限してるから謝罪しろ、ってコメントする人はその発言自体がべてらんちの思想を制限しているんじゃないかな、?って私はおもってしまうな、、。
私がそう思ってるだけで勿論正しくはないかもしれんが
「寛容のパラドックス」で調べると面白いかもしれません
寛容のパラドックスにおいて主張される見解って、あらゆる言説は、寛容すべきものと、不寛容であるべきものに分類できるとする二元的な理解が前提にある気がして、本当にそうなのか?って思ってしまう。ちょい寛容、ちょい不寛容、みたいなバリエーションがある態度が実は健全なんじゃないか、と。
結局、思想の制限って一口に言っても相手を○して喋れなくする、相手を罵倒して実質上喋れなくする、自己の立場を説明して相手に反論する、等々種々の態様があるわけだから、思想を制限する、制限しない、も二元的に捉えるべきではなくて、ある言説の正当性は、反論の機会の有無、言動の態様、相手の思想の論理的正当性、相手の思想の社会的危険性等々諸々の事情を考慮して、評価されるべき「程度問題」やと思うから、シーソーゲームのように「思想を制限しているかどうか」で全てを片付けようとするのは妥当ではないと思う。
だからベテランちの言動およびそれに対する「思想を制限するな!」という批判いずれも「思想を制限する」かどうか、という観点から評価する必要性ってそもそも乏しいんじゃないかなぁ。
@@ニーマイヤー 調べます!ありがとうございます!!
@@ilastoneis いち視聴者のちょっとした疑問に真剣に答えてくれるベテランちリスナー最高です
何にでも白黒つけられるわけじゃないですよね、色々考えてみます!!
金欠すぎてUA-camプレミアム解約したのに、また入ってしまった
「ベテランち」として動画に出ても「青松輝」としての自我は隠せなかったのですね。
そういうところが凄く信頼できるのですが。
「文学をやめろ」という発言も広い意味の文学に含まれると思うので「文学はそんなに窮屈でない」という反論こそ文学を窮屈にしているという皮肉
表現の自由は「表現を規制すべき」を規制できない、みたいな話
結局のところ個人の発言は個人の価値観から逃れられない
真にフェアなレフェリーなど存在しえず、その時代の価値観に即した最もらしい意見を持つプレイヤーがいるだけだと感じる
16:30 俺は逆張りの意見こそ大事と思う。逆張りオタクが消えてやったもんがちになったら世の中無駄が増えすぎる。ちな募金と逆張りを実行難易度で比較したら募金のほうが上だけど、リターンの大きさで比較したら案外逆張りのほうが頑張ってる説ある
いや、逆に逆張りがやったもん勝ちなのよ。
"ある創作が純文学であるかどうかは、最終的には死に対する姿勢によって決まる"
トマス・ピンチョン 『スロー・ラーナー』
これエンタメとしてみたらええのん?
文学として見てます
文学≒ポルノ=エンタメや👍
戦争反対って定義や本音を自覚することは難しい。 漱石が言うように悲劇は偉大で、ひとは陶酔や崇高を求めるから。車社会や肉食も自分にとっては戦争で反対だ。軍歌で涙する自分はいわゆる人間の戦争全てに反対など言えない。
高菜明太と塩昆布、どっちが肴に最適ですか
ごめんなさい、俺も表現並びに文学したい
文学とは何か、この動画どっちかっつったら倫理学やな
4:39 青ペン
彼はのちに聖杯戦争します
クソワロタ
他人の思想を知れて幸せ
もっと話聞いてたい
UA-camにはベテランちの話を100%に近いくらい理解できる人もいれば10%程度しか理解できない人がいて、普段エンタメしか見ない視聴者でも雷獣のあの企画は見るけど、ベテちの考え方の核のような部分を話すこの動画は、アンチしている人たちと層が違う気がするのでそもそも見られないと思いました。。
ただただ自分のようなベテちの、ファン得の動画です。あと襟足好きです。
頭悪くてよくわからんけど
面白企画やるぞー!って気持ちで参加して、説教されたら普通に悲しい
主張や意見は何かしら窮屈な訳でその中でもベテ中は文学としての窮屈さではなく友達先輩後輩としての窮屈さの方が嫌やと思ったから発言したんかなぁ その後反論が有れば話し合える算段があることが分かってて、現に話合ってるし
ミスチルのフェイクを聴きたくなった
雷獣の動画の中に、文学観の相違による口喧嘩シーンいらんかも
見てても気にしてなかったしもう大丈夫だぜ
個人的に文学は「ちゃんと考えられてれば割と何やってもいいよね。」という薄い文学観を持つ者です。(雑)
なのでナツミートさんのもつ意見の論理を全て聞けておらず、下記の印象が正しいか正しくないか微妙なラインとはいえ、「逆の立場を考えて自分の意見を言ってないなあ」という印象でした。故に、ベテランちさんの「文学やめてまえ」は、僕の文学観とベテランちさんの文学観が違うとはいえ肯定派です。よく考えられてない浅はかな思想が他者に影響を与えていいわけが無い。
僕の文学観は「文学って自由やん」の派閥に近しく、動画中に「文学って自由やん、逆張りもええやろ」の派閥を「逆張りは実は簡単」と言っていたので長文で意見してしまいました。傲慢で申し訳ない。
暴力は、生物として当然だけど。
ぼくら人間なら、もっと上手く生きていけるのかな。
悩みたいね、ぼくら人間なら。
現実主義を嘲笑う文学が現実にせり出して、ゴチャゴチャと尤もらしいことを述べても全く共感は出来ないな。
ベテランちの話をずっと聞いていたいと思ってしまった 危険
偽善と露悪の話三四郎から今の今までずっとやってんな
「面白いってことは信用してる」って一体どういうことですか?
文学ってなんなのかを考えることもまた文学
東大理三のディラン・マッケイ発見
逆張りは題を否定するだけで成り立つけど張られるほうもしくは初めてのものは自分の正当性まで説明せなあかんぶん考えることが多いってわけか?
後ろのちいかわください
おえかきちょう?
ベテ令和の加藤周一やん
5:15〜
戦争とか人の生死についてフォーカスして語っているが、戦争が気持ちマイルドになった先に金で殺し合う資本主義があるわけで、その理論を深堀すると結局能力主義的なことにも関連して触れる必要があるのでは。そこまで語らないのは理3という強者故の論調なのだろうか。
この動画のポイントは「2日前にはテレキャスのヘッドの横にあった謎の物体が無くなっている」です。