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企画が下品と上品の極振りしかないのキモくておもろい
昔、全く同じ質問を大学の先生にして、「明確な定義はないけど、敢えて言うなら大衆文学は書かれている文章で物語を紡ぐのに対して、純文学は書かれていない余白で紡ぐ」というようなことを仰っていたのを思い出しました。
かっこいいな
これ結構しっくりきます🙂
その定義だと「海外に純文学と言う分類が無い」という話も理解しやすくなりますね。"行間を読む"という日本らしい感性で成立することになるので。
@@ネイビーキャンパス海外の高校で英文学を勉強したけどバリバリ行間を読まされましたね
@@bwz99 私は英国ミステリーをたまに読むのですが、ロジカルでストーリーも面白いけど、行間のない淡白さを感じることがありました。なので行間をあまり読まないように勝手にイメージしてました。私が無知なだけかもしれませんね。機会があれば英文学も読んでみます。
本の話してる時が一番能動的というか生き生きとしてるというか輝いてんねんなこの人
スピッツって純文学感あるんよななんか。表現が特殊というか理解し難いというか人それぞれ捉え方が変わりそうなこと言ってるなって思う。でもその表現に美しさを感じるっていうのがある。
音楽も好きやし読書も好きな自分としてはスピッツ聞くたびに難しい表現してるなって思うから小説とは少しずれてるかもだけどコメントした。
メロディーがエンタメだからちょうどいい、、
なんとなくスピッツ好きはサリンジャー好きそうとか
チャンネル名には品性のかけらもないけど、内容としてはこういう方向の動画をもっと期待してる自分がいます。文学の域を超えて、哲学の域に触れてみても面白そう。
変態紳士クラブみたいやね
既に文学に対して分析しているという意味では、哲学している域に踏み込んでるよね
ニシダのチャンネルっぽくなってきてて、個性出ててメッチャいい
もっと読書芸人とかとの対談も企画してほしい
動画見ながら「読み手に幅広い解釈や想像の余地を与えてくれるのが純文学、筆者からのメッセージ性が強くあらすじがイメージし易いのが大衆文学」って書こうと思ったら最後、ニシダの結論出てきて凄く近い感覚な気がしてめっちゃ嬉しい。
小説家なだけあってこういう議論の主張を言語化するのうまくて聞きやすいめちゃめちゃ面白かった
要約できるのが大衆文学要約できないのが純文学ってことやと思ってました
映画にして映えるのが大衆文学映えないのが純文学ってのに割と納得した
純文学は良くも悪くもとっ散らかってるような気がする。まぁグラデーションなんでしょうけども。
地獄の黙示録は原作純文学だけど最高だよ
めっちゃ面白い。最近はもう文化人として捉えてます。芸術に対しての持論が理路整然としていていつも見応えあります。
ずっと疑問に思っていたのでとても有難いです。「映画化しづらいよね」はめちゃめちゃに腑に落ちました。最後の解釈もとても納得し、整理されました。ありがとうございます!ニシダさんの言うようにあまり気にせず色んな作品を読んでみようと思いました☺️
はっきりとした答えのないものやそれについての自分の考えを説明するの上手すぎる…すごく分かりやすかったし言葉がスっと入ってきた。
なんだかんだニシダ頭良くて好き
大学で美術論の授業をとったんだけど、この作品を見てどう感じるか、作者や時代の背景を知ってみるとどう見えるか、色々考える感じが、ニシダの言ってる純文学の読み方と重なる部分があると言う点で、やっぱり純文学は芸術なんじゃないかと思ったよ
全く同感です
「純文学は芸術じゃない」って結論も結局「芸術って何?」という別の疑問が生まれるだけでニシダのいう納得できない考えに留まってるよな
芸術っていうのは文化が腐らないように通人たちだけを集めたものの気がする。だからこそ大衆向けのように流行りはないけどなくなることもない
とある作家が大衆=主張型(アジテ)純文学=疑問型(再定義)って言ってたのが個人的にしっくり。
すごいわかりやすかったです。この違いの答えがわからなかったので解決できました。ありがとうございます。ニシダさんのいう「感想文を書かせて集約されているものが大衆文学、集約がされないものが純文学」納得しました。
ニシダのこういうのめっちゃいいよなー!
ブクロといいニシダといい女性面だらしないのに学があって頭いいみたいなギャップが持てる秘訣なんかな
最近ニシダさんの影響で数年ぶりに読書を始めました。「純文学」の意味を知らなかったのですが、複数のアプローチで言語化していて下さったおかげでなんとなくイメージがつきました!
村田沙耶香さんの「コンビニ人間」は芥川賞とってて、文庫本がめちゃくちゃ薄かった気がするから、純文学ちょっと体験したいい人にはおすすめです。
学問でも分野ごとの線引きはあくまで慣例のようなものも多くて、どちらの要素も持っている場合もあるし、ジャンルとして分ける意味があまりないってのは超共感、あくまで人間が分類してるだけだし。分けてわかりやすくなれば良いけど分けることによって表現の幅が狭まったり分断が起こるようなら必要ないと思う。
文壇のこういったおおらかな雰囲気がすごい好きです。近年では何かを好きになるのに即して、好きなこと以上に色んなことをしなければいけないという意識が強かったりするので。
普通に勉強になる話をしているな!
又吉さんの火花は途中まで直木賞的な作品だったけど、巻末間際で一気に純文学になりましたよねー。神谷さんの胸が膨らんだのは明らかにマス向けではない。
このチャンネルの文学関係の動画は見たくなる
6:58 個人的には「大衆」という言葉が無知なイメージ、もあるけれど、「純」という言葉に本物・高尚というイメージがあるせいで、対になってる「大衆文学」に低俗なイメージがつけられているんだと思った。
純文学は鏡で、大衆文学は標識とか看板。個人的なイメージでは。でも、鏡張りで構築物を作ったり、標識や看板をピッカピカになるまで磨いたりする人もいるから、読者側としてはあまり気にしなくて良い気もする。国外まで目を向けるとノーベル文学賞なんかいかにも純文学っぽい雰囲気だけど、フォークナーとかガルシアマルケスとかは普通に読み物として面白くて大衆文学との親和性も感じる。日本がそういう区分けをシビアにし過ぎなのか、そこまでは分からないけれど。この方ってこんな面白い話ができる人って知らなかったです。もっと小説の話聞いてみたいです。
小説に限らず、最近のエンタメ(アニメtとか)がリアル寄りになってる感じがする感情移入できたり共感しやすいから純文学と大衆文学の境目がなくなりつつあるのかも
芥川賞受賞作品を最後まで読めたことがないなぁ…逆に直木賞受賞作品はだいたい楽しく読める
お笑いでいうと、純文学はボケ、大衆文学はコントな気がします。ボケは色んなツッコミ(批評)ができるのに対して、コントはそれ自体で完結しています。 あるコントが1つのボケとして回収されることがあるので、単純に純文学/大衆文学と割り切れないかもしれません。
純文学は日記のように感じる
ニシダこれだけ本が好きでここまでクズならただただ文豪に憧れている説あるな
これは自論だけど、クズじゃないと小説や創作物に現そうというほど悩まないから、必然的に文豪はクズが多いのではないかと思う
こういう動画もっと見たい又吉さんと話す機会ないかな。。
ニシダってこの方向があってる
芥川賞は純文学と聞くから、自分には分からないんじゃないかという思い込みがあったんだけど、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読んだときに芥川賞作品って面白いんだ!って思った
本を語ってる時だけちょっとかっこいいぞニシダ。小説デビューおめでトゥース
この動画を見て、松任谷由実の歌詞はまさに純文学だと思った。
ニシダはずっと小説の話しててくれ
純文学って言葉聞いたら、大吾「これは純文学か?」又吉「はい、これは純文学です。」この会話思い出す
アメトーク
うんこラジオも小説回あったら嬉しいな
純文学は、作者と読み手がいて始めて物語が完成する感じがして、僕は好きだな
純文学と大衆文学の違いは書き手側の意識の問題だと思うな。純文学はその作家が生きてきた上で持つ感性から正直に引き出される文章で、大衆文学はその物語の中を軸に思考が巡らされて作品になる。純文学は作家自身の感性が物語の軸にあるから他人から見ても解釈の仕方が統一できない、ある意味豊かな文章となる。一方で大衆文学は作家が考えた物語を伝えることに重きを置いているから自然と見方が限定される。美術で言うと、絵画彫刻が純文学。デザインが大衆文学。マジで簡単にいうと純文学は書き手の感性を中心に書いてて、大衆文学は読み手の意識を中心に書いてる。目には見えない書き手の意識を考えるとかなり違うけど読み手からすると結果として形に見えるのはどちらも文章だけだから違いが分かりにくいんだろうね。
8:29 文学には真摯なのなんなんだ
毎年芥川賞が発表される前に、自分だったら今年はこれ選ぶニシダ賞の動画出してほしいな。というか単純にニシダが好きな本について語ってほしい
芥川賞を純文学の賞だと思ってる層は多いと思う。しかし、実際には新人賞としての運用ですよね。直木賞もベテラン作家への功労賞ですし。
ニシダが友達と話してる感じめっちゃ好きなのに、ラジオとかテレビだと自意識に憚れすぎて面白さ半減するの悲しい。けどそこが愛おしい。
伝えるための「手段」として書かれたものが大衆文学。表現のための「目的」として書かれたものが純文学。
ニシダ様のお話しを伺って、純文学は解釈しないとって、読んでて思ってしまう点に抵抗があるから…それ以外の抵抗なく読める書物を大衆文学と呼んでるというのは釈然とする
単純に俗っぽい小説と分けたいから、高貴なイメージを付けるために付けた言葉に過ぎない
こういう真面目?な語り回も好きっす!
音楽でのポップス、アイドルって言葉も同じような印象を受けました
なかなか分かりやすい考え方だ
自己の内側に迫っていくのが純文学、ある程度一般化されているとか、テーマが広いという意味で、外側を向いているのが大衆文学かなと思ってる。
例えばですけど、感動する映画があって自分なりに受け取った解釈で納得していたとする。でも他の人の斬新な視点の解釈を聞いた瞬間、その映画は全く違う感想になって形を変えてしまう。こんな経験ありませんか?この解釈の視点の余地というか行間みたいなものが多ければ多いほど芸術作品なんて言われるんですよね。純文学ってこういった、作品自体ではなくて、読者の解釈を含めることで作品として完成するものなんじゃないかなと。そこには作者の意図とか、他の人の解説なんてものは必要なくて、必要なのは読者の感性に委ねられるというか。そこの思慮の深さによって物語の解釈は変わり、受け取り方も全く変わる。これが芸術と言われる分かれ目かなと思います。そこの行間や余白の作り方の上手さと、テーマを作者が何重にも用意できるテクニックの上手さ。そして、人間であるが故に生じる哲学的な深さにどう落とし込めるかどうかが、純文学作品として評価されるポイントなんじゃないかなと思います。実際はどう判断して賞の基準になっているかはわかりませんが、芸術という観点で考えると絵画や映画なんかもそういう視点で評価されることが多いような気がするので。
春琴抄好きなのバキ童と同じやね文学談義して欲しい
ラーメンズが純文学5GAPが大衆文学って誰かが言ってたな
すっげー簡単に、読みやすいか読みにくいか的な感覚
もっと出してくれよ読書回てかなんか読書会的なイベント開いたら?
読書回まじで好き
うんこちゃんねるがうんこをたまに卒業する瞬間
大衆文学は、問題提起から答えまでが書かれてる感じで、純文学は、問題だけを投げかけて、答えは自分で導いてくださいって感じ。
推し燃ゆは確かに短いし、読みやすいとは思うけど、前三作と比べると分類が違うような…純文学にあたるから個人的にはサラッとじゃなく、情景描写含めじっくり読みたい作品かなぁと思う。
ニシダが頭良さそうだ!
文学についての動画まってました!嬉しい😇
lineトークから来たから説明能力とギャップにひっくり返りそうになった
現代文学の定義についても話してほしいです!いまだに定義がよくわからない😅
わかりやすいし。納得もしました。読書回好きです。俳優のニシダさんも好き。
大衆文学はニシダの言うような、読者から見た時の分かりやすさがあると思う。純文学は読者が受け取るものが、人それぞれですね。小説の人間や社会の本質を描こうとする営みは純文学らしいかも。安部公房とか
日本では、本物とか権威とか重視して、純文学と大衆文学が分けられるのかな?音楽でも歌でも、どれが芸術か芸術ではないかというのは、判断が難しい。本人が芸術と主張しても、同業者など周りが認めないこともあるし。本人が、美の追求として自分の信条に従ってやるのは、人に感動を与える。1つの要素として、本人が、大衆受けに執着してない点が重要なのかな。でも無収入は生活できないから、自分の芸術の価値については、つまりお金への執着は譲らないでしょうけどね。例えば作詞の際にどちらが対象が多いか受けるかを基準にしてたら、マーケティングやマーチャンダイジングが入りと芸術ではなくなるのかな。陶器でも美を追求したものは芸術品になるが、使いやすさとか追求したものは工芸品、デザインに分類される。これはお笑いも同じ。売れるは目標は同じだけど、自分の笑いを追求してやりたい事をやり追求する人は芸人。大衆受けやお金が儲かるという視点で活動する人は、芸人ではなく、タレントもしUA-camで活動してるならユーチュバーと位置づけられるのではないかな?サロン開いてる人なんかは、もはや芸人ではないよね。UA-cam好きだし、やってる人は大好きだから、どちらが上とか下は今はないでしょうね。
明らかに大衆文学に区分すべき作品もあれば、双方の性質をもっている作品もありますね。樋口一葉を見出した半井桃水、夏目漱石の作品が読まれる下地を作った渡辺霞亭、林芙美子を推した三上於菟吉…文学史としては「純文学」と「大衆文学」の交錯地点に面白みがあるように思います
いわゆる大衆文学好きだから読んでたけど純文学を読もうとしたら難しすぎてまだ俺にははやいと思った
僕は「文学」という単語を、動詞的なイメージで捉えています。文の連なりの中で、懐かしさを感じたり、ちょっとした発見をすることが文学だと思います。大衆文学は、緊張と緩和という感覚的な、起伏を楽しんでもらうことに、重きを置いているのが大衆文学だと思います。
ニシダの動画で知るのは癪だがすごい腑に落ちた
読む人によっては、だからなんやねんって思うのが純文学かも
マヂラブのラジオで又吉さんが話してたのがわかりやすかったなぁ...。
書いていて楽しいのが純文学。読んでいて楽しいのが大衆文学
サムネイルの赤と白の背景は、遠野遥さんの『破局』を意識してるのかな?
すごい今までにないくらいニシダさんの言葉が染みる
ごんぎつねは大衆文学、クラムボンは純文学
まじで自由すぎるチャンネル
春琴抄、日本史の授業で見たから嬉しい😆
こいつ文化人で頭良いのにクズって最高やん。
文芸的なあまりに文芸的なって、元はニーチェのあまりに人間的なから来てるのかな
最近ラランドのこと知ったけど、この太ってる人めっちゃ賢いやん
直木賞はストーリー重視、純文学・芥川賞は文章表現や哲学性重視
ニシダがしゃべると全てが胡散臭い、と思ったら最後までオチがないと言うオチ
日本は下手に識字率が高いから、外国(特に19世紀後半まで)では貴族や知識人しか読まない本を、庶民まで普通に入手出来ちゃうから、外国では単に「文学」であるものを(散文と韻文の区別はありますが)、日本では純文学と大衆文学(小説)に分ける必要性があったんじゃないですかね。個人的には、登場人物(主人公だけでなくサブキャラクターも含む)の感情や思考を作者が読者に押し付けるのが純文学で、大衆小説は登場人物の行動を通してその物語の世界観を読者が疑似体験するような小説なのではないかと思います。言っても、芥川の作品も結構エンタメ要素強めではありますけどね。
こんなに分かりやすく純文学と大衆文学をカテゴライズできた人おる?
「純文学」と呼ばれる本って、オチがないというか、ともすれば「だから何?」で終わってしまうような物語が多い気がする。比べてラノベとか大衆文学は落語的というか、こうなりました、ちゃんちゃんがハッキリしてるイメージがあるなあ
そう思うと、大衆文学は「思春期」や「恋愛」みたいに、人生のある特定の時期にフォーカスしてる気がするなあ。人生はその繰り返しなので、よりマクロに描かれている純文学ではその節その節での完結はありながらも全体を通してのオチは弱く感じるのかな。
「うんこチャンネル」の名にそぐわない高尚な内容
いいこといってる、、、、
💩投稿頻度上がって嬉しい!!
勉強になりました!
大衆文学はストーリーを楽しむもの、純文学は表現を楽しむものだと思ってる。
響が純文学を説明するときに村上春樹、遠藤周作あたりの有名な作家さんの名前を挙げて、その人たちが書いてるやつって説明してるの思い出した。
なんか読書回すごくすき
太宰 三島 坂口安吾 遠藤周作 大江健三郎 村上春樹 が純文よ。「響 〜小説家になる方法〜」
てことは、国語の教科書に載ってるような小説は大衆文学ってこと?
企画が下品と上品の極振りしかないのキモくておもろい
昔、全く同じ質問を大学の先生にして、「明確な定義はないけど、敢えて言うなら大衆文学は書かれている文章で物語を紡ぐのに対して、純文学は書かれていない余白で紡ぐ」というようなことを仰っていたのを思い出しました。
かっこいいな
これ結構しっくりきます🙂
その定義だと「海外に純文学と言う分類が無い」という話も理解しやすくなりますね。"行間を読む"という日本らしい感性で成立することになるので。
@@ネイビーキャンパス海外の高校で英文学を勉強したけどバリバリ行間を読まされましたね
@@bwz99 私は英国ミステリーをたまに読むのですが、ロジカルでストーリーも面白いけど、行間のない淡白さを感じることがありました。なので行間をあまり読まないように勝手にイメージしてました。私が無知なだけかもしれませんね。機会があれば英文学も読んでみます。
本の話してる時が一番能動的というか生き生きとしてるというか
輝いてんねんなこの人
スピッツって純文学感あるんよななんか。
表現が特殊というか理解し難いというか人それぞれ捉え方が変わりそうなこと言ってるなって思う。でもその表現に美しさを感じるっていうのがある。
音楽も好きやし読書も好きな自分としてはスピッツ聞くたびに難しい表現してるなって思うから小説とは少しずれてるかもだけどコメントした。
メロディーがエンタメだからちょうどいい、、
なんとなくスピッツ好きはサリンジャー好きそうとか
チャンネル名には品性のかけらもないけど、内容としてはこういう方向の動画をもっと期待してる自分がいます。文学の域を超えて、哲学の域に触れてみても面白そう。
変態紳士クラブみたいやね
既に文学に対して分析しているという意味では、哲学している域に踏み込んでるよね
ニシダのチャンネルっぽくなってきてて、個性出ててメッチャいい
もっと読書芸人とかとの対談も企画してほしい
動画見ながら「読み手に幅広い解釈や想像の余地を与えてくれるのが純文学、筆者からのメッセージ性が強くあらすじがイメージし易いのが大衆文学」って書こうと思ったら最後、ニシダの結論出てきて凄く近い感覚な気がしてめっちゃ嬉しい。
小説家なだけあってこういう議論の主張を言語化するのうまくて聞きやすい
めちゃめちゃ面白かった
要約できるのが大衆文学
要約できないのが純文学
ってことやと思ってました
映画にして映えるのが大衆文学
映えないのが純文学ってのに割と納得した
純文学は良くも悪くもとっ散らかってるような気がする。まぁグラデーションなんでしょうけども。
地獄の黙示録は原作純文学だけど最高だよ
めっちゃ面白い。
最近はもう文化人として捉えてます。
芸術に対しての持論が理路整然としていていつも見応えあります。
ずっと疑問に思っていたのでとても有難いです。
「映画化しづらいよね」はめちゃめちゃに腑に落ちました。最後の解釈もとても納得し、整理されました。ありがとうございます!
ニシダさんの言うようにあまり気にせず色んな作品を読んでみようと思いました☺️
はっきりとした答えのないものやそれについての自分の考えを説明するの上手すぎる…
すごく分かりやすかったし言葉がスっと入ってきた。
なんだかんだニシダ頭良くて好き
大学で美術論の授業をとったんだけど、この作品を見てどう感じるか、作者や時代の背景を知ってみるとどう見えるか、色々考える感じが、ニシダの言ってる純文学の読み方と重なる部分があると言う点で、やっぱり純文学は芸術なんじゃないかと思ったよ
全く同感です
「純文学は芸術じゃない」って結論も結局「芸術って何?」という別の疑問が生まれるだけでニシダのいう納得できない考えに留まってるよな
芸術っていうのは文化が腐らないように通人たちだけを集めたものの気がする。だからこそ大衆向けのように流行りはないけどなくなることもない
とある作家が
大衆=主張型(アジテ)
純文学=疑問型(再定義)
って言ってたのが個人的にしっくり。
すごいわかりやすかったです。この違いの答えがわからなかったので解決できました。ありがとうございます。
ニシダさんのいう「感想文を書かせて集約されているものが大衆文学、集約がされないものが純文学」納得しました。
ニシダのこういうのめっちゃいいよなー!
ブクロといいニシダといい女性面だらしないのに学があって頭いいみたいなギャップが持てる秘訣なんかな
最近ニシダさんの影響で数年ぶりに読書を始めました。
「純文学」の意味を知らなかったのですが、複数のアプローチで言語化していて下さったおかげでなんとなくイメージがつきました!
村田沙耶香さんの「コンビニ人間」は芥川賞とってて、文庫本がめちゃくちゃ薄かった気がするから、純文学ちょっと体験したいい人にはおすすめです。
学問でも分野ごとの線引きはあくまで慣例のようなものも多くて、どちらの要素も持っている場合もあるし、ジャンルとして分ける意味があまりないってのは超共感、あくまで人間が分類してるだけだし。分けてわかりやすくなれば良いけど分けることによって表現の幅が狭まったり分断が起こるようなら必要ないと思う。
文壇のこういったおおらかな雰囲気がすごい好きです。近年では何かを好きになるのに即して、好きなこと以上に色んなことをしなければいけないという意識が強かったりするので。
普通に勉強になる話をしているな!
又吉さんの火花は途中まで直木賞的な作品だったけど、巻末間際で一気に純文学になりましたよねー。
神谷さんの胸が膨らんだのは明らかにマス向けではない。
このチャンネルの文学関係の動画は見たくなる
6:58 個人的には「大衆」という言葉が無知なイメージ、もあるけれど、「純」という言葉に本物・高尚というイメージがあるせいで、対になってる「大衆文学」に低俗なイメージがつけられているんだと思った。
純文学は鏡で、大衆文学は標識とか看板。個人的なイメージでは。
でも、鏡張りで構築物を作ったり、標識や看板をピッカピカになるまで磨いたりする人もいるから、読者側としてはあまり気にしなくて良い気もする。
国外まで目を向けるとノーベル文学賞なんかいかにも純文学っぽい雰囲気だけど、フォークナーとかガルシアマルケスとかは普通に読み物として面白くて大衆文学との親和性も感じる。日本がそういう区分けをシビアにし過ぎなのか、そこまでは分からないけれど。
この方ってこんな面白い話ができる人って知らなかったです。もっと小説の話聞いてみたいです。
小説に限らず、最近のエンタメ(アニメtとか)がリアル寄りになってる感じがする
感情移入できたり共感しやすいから純文学と大衆文学の境目がなくなりつつあるのかも
芥川賞受賞作品を最後まで読めたことがないなぁ…逆に直木賞受賞作品はだいたい楽しく読める
お笑いでいうと、純文学はボケ、大衆文学はコントな気がします。
ボケは色んなツッコミ(批評)ができるのに対して、コントはそれ自体で完結しています。
あるコントが1つのボケとして回収されることがあるので、単純に純文学/大衆文学と割り切れないかもしれません。
純文学は日記のように感じる
ニシダこれだけ本が好きでここまでクズならただただ文豪に憧れている説あるな
これは自論だけど、クズじゃないと小説や創作物に現そうというほど悩まないから、必然的に文豪はクズが多いのではないかと思う
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又吉さんと話す機会ないかな。。
ニシダってこの方向があってる
芥川賞は純文学と聞くから、自分には分からないんじゃないかという思い込みがあったんだけど、
村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読んだときに芥川賞作品って面白いんだ!って思った
本を語ってる時だけちょっとかっこいいぞニシダ。小説デビューおめでトゥース
この動画を見て、松任谷由実の歌詞はまさに純文学だと思った。
ニシダはずっと小説の話しててくれ
純文学って言葉聞いたら、
大吾「これは純文学か?」
又吉「はい、これは純文学です。」
この会話思い出す
アメトーク
うんこラジオも小説回あったら嬉しいな
純文学は、作者と読み手がいて始めて物語が完成する感じがして、僕は好きだな
純文学と大衆文学の違いは書き手側の意識の問題だと思うな。純文学はその作家が生きてきた上で持つ感性から正直に引き出される文章で、大衆文学はその物語の中を軸に思考が巡らされて作品になる。
純文学は作家自身の感性が物語の軸にあるから他人から見ても解釈の仕方が統一できない、ある意味豊かな文章となる。
一方で大衆文学は作家が考えた物語を伝えることに重きを置いているから自然と見方が限定される。
美術で言うと、絵画彫刻が純文学。デザインが大衆文学。
マジで簡単にいうと純文学は書き手の感性を中心に書いてて、大衆文学は読み手の意識を中心に書いてる。
目には見えない書き手の意識を考えるとかなり違うけど読み手からすると結果として形に見えるのはどちらも文章だけだから違いが分かりにくいんだろうね。
8:29 文学には真摯なのなんなんだ
毎年芥川賞が発表される前に、自分だったら今年はこれ選ぶニシダ賞の動画出してほしいな。
というか単純にニシダが好きな本について語ってほしい
芥川賞を純文学の賞だと思ってる層は多いと思う。しかし、実際には新人賞としての運用ですよね。直木賞もベテラン作家への功労賞ですし。
ニシダが友達と話してる感じめっちゃ好きなのに、ラジオとかテレビだと自意識に憚れすぎて面白さ半減するの悲しい。
けどそこが愛おしい。
伝えるための「手段」として書かれたものが大衆文学。表現のための「目的」として書かれたものが純文学。
ニシダ様のお話しを伺って、
純文学は解釈しないとって、読んでて思ってしまう点に抵抗があるから…それ以外の抵抗なく読める書物を大衆文学と呼んでるというのは釈然とする
単純に俗っぽい小説と分けたいから、高貴なイメージを付けるために付けた言葉に過ぎない
こういう真面目?な語り回も好きっす!
音楽でのポップス、アイドルって言葉も同じような印象を受けました
なかなか分かりやすい考え方だ
自己の内側に迫っていくのが純文学、ある程度一般化されているとか、テーマが広いという意味で、外側を向いているのが大衆文学かなと思ってる。
例えばですけど、感動する映画があって自分なりに受け取った解釈で納得していたとする。
でも他の人の斬新な視点の解釈を聞いた瞬間、その映画は全く違う感想になって形を変えてしまう。
こんな経験ありませんか?
この解釈の視点の余地というか行間みたいなものが多ければ多いほど芸術作品なんて言われるんですよね。
純文学ってこういった、作品自体ではなくて、読者の解釈を含めることで作品として完成するものなんじゃないかなと。
そこには作者の意図とか、他の人の解説なんてものは必要なくて、必要なのは読者の感性に委ねられるというか。
そこの思慮の深さによって物語の解釈は変わり、受け取り方も全く変わる。
これが芸術と言われる分かれ目かなと思います。
そこの行間や余白の作り方の上手さと、テーマを作者が何重にも用意できるテクニックの上手さ。
そして、人間であるが故に生じる哲学的な深さにどう落とし込めるかどうかが、純文学作品として評価されるポイントなんじゃないかなと思います。
実際はどう判断して賞の基準になっているかはわかりませんが、芸術という観点で考えると絵画や映画なんかもそういう視点で評価されることが多いような気がするので。
春琴抄好きなのバキ童と同じやね
文学談義して欲しい
ラーメンズが純文学
5GAPが大衆文学
って誰かが言ってたな
すっげー簡単に、読みやすいか読みにくいか的な感覚
もっと出してくれよ読書回
てかなんか読書会的なイベント開いたら?
読書回まじで好き
うんこちゃんねるがうんこをたまに卒業する瞬間
大衆文学は、問題提起から答えまでが書かれてる感じで、純文学は、問題だけを投げかけて、答えは自分で導いてくださいって感じ。
推し燃ゆは確かに短いし、読みやすいとは思うけど、前三作と比べると分類が違うような…純文学にあたるから個人的にはサラッとじゃなく、情景描写含めじっくり読みたい作品かなぁと思う。
ニシダが頭良さそうだ!
文学についての動画まってました!嬉しい😇
lineトークから来たから説明能力とギャップにひっくり返りそうになった
現代文学の定義についても話してほしいです!
いまだに定義がよくわからない😅
わかりやすいし。納得もしました。読書回好きです。俳優のニシダさんも好き。
大衆文学はニシダの言うような、読者から見た時の分かりやすさがあると思う。純文学は読者が受け取るものが、人それぞれですね。
小説の人間や社会の本質を描こうとする営みは純文学らしいかも。安部公房とか
日本では、本物とか権威とか重視して、純文学と大衆文学が分けられるのかな?
音楽でも歌でも、どれが芸術か芸術ではないかというのは、判断が難しい。
本人が芸術と主張しても、同業者など周りが認めないこともあるし。
本人が、美の追求として自分の信条に従ってやるのは、人に感動を与える。1つの要素として、本人が、大衆受けに執着してない点が重要なのかな。
でも無収入は生活できないから、自分の芸術の価値については、つまりお金への執着は譲らないでしょうけどね。
例えば作詞の際にどちらが対象が多いか受けるかを基準にしてたら、
マーケティングやマーチャンダイジングが入りと芸術ではなくなるのかな。
陶器でも美を追求したものは芸術品になるが、使いやすさとか追求したものは工芸品、デザインに分類される。
これはお笑いも同じ。
売れるは目標は同じだけど、自分の笑いを追求してやりたい事をやり追求する人は芸人。
大衆受けやお金が儲かるという視点で活動する人は、
芸人ではなく、タレントもしUA-camで活動してるならユーチュバーと位置づけられるのではないかな?サロン開いてる人なんかは、もはや芸人ではないよね。
UA-cam好きだし、やってる人は大好きだから、どちらが上とか下は今はないでしょうね。
明らかに大衆文学に区分すべき作品もあれば、双方の性質をもっている作品もありますね。
樋口一葉を見出した半井桃水、夏目漱石の作品が読まれる下地を作った渡辺霞亭、林芙美子を推した三上於菟吉…文学史としては「純文学」と「大衆文学」の交錯地点に面白みがあるように思います
いわゆる大衆文学好きだから読んでたけど純文学を読もうとしたら難しすぎてまだ俺にははやいと思った
僕は「文学」という単語を、動詞的なイメージで捉えています。
文の連なりの中で、懐かしさを感じたり、ちょっとした発見をすることが文学だと思います。
大衆文学は、緊張と緩和という感覚的な、起伏を楽しんでもらうことに、重きを置いているのが大衆文学だと思います。
ニシダの動画で知るのは癪だがすごい腑に落ちた
読む人によっては、だからなんやねんって思うのが純文学かも
マヂラブのラジオで又吉さんが話してたのがわかりやすかったなぁ...。
書いていて楽しいのが純文学。読んでいて楽しいのが大衆文学
サムネイルの赤と白の背景は、遠野遥さんの『破局』を意識してるのかな?
すごい今までにないくらいニシダさんの言葉が染みる
ごんぎつねは大衆文学、クラムボンは純文学
まじで自由すぎるチャンネル
春琴抄、日本史の授業で見たから嬉しい😆
こいつ文化人で頭良いのにクズって最高やん。
文芸的なあまりに文芸的なって、元はニーチェのあまりに人間的なから来てるのかな
最近ラランドのこと知ったけど、この太ってる人めっちゃ賢いやん
直木賞はストーリー重視、純文学・芥川賞は文章表現や哲学性重視
ニシダがしゃべると全てが胡散臭い、
と思ったら最後までオチがないと言うオチ
日本は下手に識字率が高いから、外国(特に19世紀後半まで)では貴族や知識人しか読まない本を、庶民まで普通に入手出来ちゃうから、
外国では単に「文学」であるものを(散文と韻文の区別はありますが)、日本では純文学と大衆文学(小説)に分ける必要性があったんじゃないですかね。
個人的には、登場人物(主人公だけでなくサブキャラクターも含む)の感情や思考を作者が読者に押し付けるのが純文学で、大衆小説は登場人物の行動を通して
その物語の世界観を読者が疑似体験するような小説なのではないかと思います。
言っても、芥川の作品も結構エンタメ要素強めではありますけどね。
こんなに分かりやすく純文学と大衆文学をカテゴライズできた人おる?
「純文学」と呼ばれる本って、オチがないというか、ともすれば「だから何?」で終わってしまうような物語が多い気がする。
比べてラノベとか大衆文学は落語的というか、こうなりました、ちゃんちゃんがハッキリしてるイメージがあるなあ
そう思うと、大衆文学は「思春期」や「恋愛」みたいに、人生のある特定の時期にフォーカスしてる気がするなあ。
人生はその繰り返しなので、よりマクロに描かれている純文学ではその節その節での完結はありながらも全体を通してのオチは弱く感じるのかな。
「うんこチャンネル」の名にそぐわない高尚な内容
いいこといってる、、、、
💩投稿頻度上がって嬉しい!!
勉強になりました!
大衆文学はストーリーを楽しむもの、純文学は表現を楽しむものだと思ってる。
響が純文学を説明するときに
村上春樹、遠藤周作あたりの有名な作家さんの
名前を挙げて、その人たちが書いてるやつって
説明してるの思い出した。
なんか読書回すごくすき
太宰 三島 坂口安吾 遠藤周作 大江健三郎 村上春樹 が純文よ。「響 〜小説家になる方法〜」
てことは、国語の教科書に載ってるような小説は大衆文学ってこと?