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前山は懐かしいです。一枚バーンて、斜度もそこそこあって、大回りが非常に気持ちイイ!スキー場でした。もうあの時代には戻れないのかと思うと寂しくなるジジイてす。
コメントありがとうございます。斜面を見ると気持ちよく楽しめそうな感じですよね😄その時代の志賀高原も一度見てみたかったです!
2010年頃まで志賀高原ではリフトのスタンプラリーがあり、前山、笠岳、木戸池は毎年訪れていました。前山→横手山→渋峠→横手山→熊の湯→笠岳→木戸池を1日かけて滑ってました。前山は1枚バーンでかなりの急斜面です。小回りや大回りで爽快に滑ってました。GWもリフトが動いてましたよ。スタンプラリーの時は前山のリフトで上がり、横手山への連絡コースがあったので利用しました。雪崩はすごくて道を挟んだホテルも相当な被害を受けています。笠岳も熊の湯とつながっておりスタンプラリーで滑っています。ペアリフトが2本あったと記憶しています。木戸池はバスや車でしか行けないスキー場でした。修学旅行生をよく見ました。木戸池ホテルを修学旅行の宿泊場所とすればどこにも行けないので引率の先生にとっては良かったのかも。ロープウェイは、2011年の東日本大震災と翌日の長野県北部地震でリフト支柱に被害を受けて稼働できなくなりました。このロープウェイから高天ヶ原連絡リフトにのり、スタンプを埋めていきましたよ。残り2つのスキー場は記憶にありません。丸池Aコースのリフトは日本で最初のリフトですが、これは進駐軍向けに作られました。このリフトの最初の管理人が日本人初の冬季オリンピックメダリストの猪谷千春さんのお父様の猪谷六合雄さんです。
コメントありがとうございます。スタンプラリーは2010年ごろまであったのですか!教えていただきありがとうございます😄前山があったときはそこを中心に横手山や木戸池の方まで広範囲に楽しめたのですね。前山から横手山への連絡コースもあったのですか!雪崩はホテルに影響が出るほどの規模だったのですね。笠岳はあそこにリフト2本もあったのですか~今は見る影もないですがにぎわっていたのでしょうね。木戸池は今も修学旅行生が来ているのを見かけますね😁木戸池ホテルが団体宿泊にぴったりなサイズだからでしょうか。高天ヶ原連絡リフトというのもあったのですか、それも知りませんでした!丸池のリフトにはそんな歴史があったのですね。猪谷六合雄氏さんは歴史資料館のスタッフさんが丁寧に教えてくださいました!志賀高原の発展に大きく貢献され資料館にも特設コーナーがありいろいろ展示がありましたね。
記念館のスキーヤーの写真はまさに猪谷千春さんですね。オリンピックアルペン競技の日本人唯一のメダリストです。
最初に紹介された前山リフト、46年前に2年程働いていました、夏冬兼用の為リフト高が低く大雪になるとリフト下の除雪をしたのが、懐かしく思い出されます。有難う‼️
コメントありがとうございます。そうでしたか、それは懐かしい思い出の場所ですね😄リフトは夏冬兼用なんですか~それは確かに雪が積もると大変そうですね!
僕は27年ほど前に住み込みでアルバイトをしていました!!一年だけですが、スキーシーズンのみ、季節アルバイトというやつですね。確かに、僕の頃もリフト下の除雪が大変でwう~ん懐かしい!! 動画をアップしてくださり、ありがとうございます。
いや懐かしい~私が志賀高原によく行っていたのは30年も前ですね。皆さんもコメントされていますが、当時はシーズン中に志賀高原内に22箇所あったスキー場の74、75台あったリフト・ゴンドラ全てに乗ると記念品の盾をもらう事ができました。たしか2、3回は貰ったはずwご存じのとおり、全てのスキー場がリフトではつながっていないので車かバスで移動が必要になり頑張っても1週間ぐらいはかかると宿の人に言われていたのですが、早朝からリフトが止まるまで滑って3日間で取ったのが最短でしたw当時は石の湯もギリギリありましたがバスも通っておらずほとんど運休のため木戸池のリフトに2回乗るとOKになっていましたが、一度は行ってみたいということでほぼアイスバーンの道路をスキーでは無く車で滑り落ちながら怖い思いもして何とか無事にたどり着き1度だけ石の湯で滑る事ができました。既にお昼を過ぎていましたが、本日最初のお客さんですと笑ながら係の人にリフトを動かしてもらい、誰もいない新雪で非圧雪のパウダースノーゲレンデを1度だけ滑ってハンコ貰って帰るのも忍びなく何度か滑ってから係の人からもう帰るの?というプレッシャーに若干後ろめたさを感じながら帰ったを思い出しますw
コメントありがとうございます。すごいですね、スタンプラリー全制覇を複数回達成したのですか!😳朝から晩まで滑って3日もかかるのですか‥志賀高原は今もじゅうぶん広いですがスキー場が閉鎖する前はさらに広かったのでしょうね。石の湯へ行くあの道、確かに怖いですよね~あの坂でアイスバーンになっていたら‥もうスタンプラリーどころじゃないですね😅お客さんもそんなに来ていなかったのですか。僕も石の湯スキー場で一度は滑ってみたかったです!
やはり相当数のスキー場が存在して消えていったのですね・・・。私は35歳のスキーヤーでしてもう一度スキーブーム起きないかなぁとささやかな夢を見つつシーズンを待っています😀
コメントありがとうございます。僕もバブルが終わったあとスキーを始めた世代ですが、活気がある時代を一回は見てみたいですよね~😄こんな素晴らしい自然があるのになぜ来ないのか、不思議です😅
石の湯スキー場!懐かしいですね。中間駅があるシングルリフト1本の小さなスキー場でしたが変化に富んだ斜面があり、よくできたスキー場だったと思います。40年前に初めてスキーをした思い出の場所です。久しぶりに思い出しました。ありがとうございました!
コメントありがとうございます。そうだったのですか、教えていただきありがとうございます!石の湯スキー場は外からではまったく様子を伺えなかったためどんなスキー場だったのか気になっていました。シングルリフト1本だったのですね~
昨年の動画だったのですね、志賀高原は夏はハイキング、冬はスキーで移住しようかと思うくらい好きです。ホテル笠岳は、解体され完全になくなったのですね。1980年代前半、学生時代に笠岳スキースクールで、アルバイトしていたものですが、無くなると寂しいですね。ただ志賀高原の自然はほんとに美しい。
いつも信州の色んな風景を紹介して頂き、ありがとうございます。知らない間に、というか、いつの間にか、あっちこっちのスキー場が閉鎖されてたので、何だか切ない気持ちになりました。私が高校の時、修学旅行は山田牧場スキー場(うちの学校で3日間貸し切りでした)だったんですが、行く道中でこの近所を走っていると、大きな志賀高原のゲレンデがあっちこっちにあり、また、大きくて立派なホテルもたくさんあるので、そういう所に泊まりながらスキーをするのに憧れがありました。(今思うと、山田牧場スキー場を貸し切りにしたことで、古い民宿では初めて入る硫黄泉のお風呂と美味しい信州の味覚とアットホームな雰囲気に癒されながら、懇切丁寧なベテランインストラクターの先生の指導の下、一般のお客さんとぶつかったりすること無く楽しめたことが、スキーが好きになってそれなりに上達して今の自分があるんだなぁと感じているので、良かったと思います。)自分で車を持つようになったら、『志賀高原ホテル』に泊まってスキーしたいなぁ・・・と憧れを持っていたのですが、この動画を見て、「え”っ!?営業してないの?資料館になっちゃったの!?😭」と、かなりショックでした。でも資料館は資料館で行ってみたいですね。今シーズンからまた信州の『県民割』の恩恵を受けることが出来そうなので、今まで思うようにスキーが出来なかった分、楽しめそうです。乗鞍で自主トレして、蓼科でしごかれて、締めに志賀高原かな。😅 そして来シーズンこそ数年ぶりのカナダスキーがしたい!😆
いつもコメントありがとうございます!志賀高原は閉鎖されたスキー場もいくつかあったのですが、メインどころは共通券で連なっているだけあって今も変わらず営業していますね😄修学旅行でヤマボクですか!静かな環境で大自然を楽しめて最高じゃないですか、羨ましい~😆僕は東京人だったのでもっぱらザウスが本拠地でしたよ😪あの無機質で風景も見えない閉鎖的空間の人工雪で育ちました‥笑志賀高原ホテルは2000年頃にはすでに閉館していたようですね。今は周辺一帯の歴史を保存する資料館(入館無料です)となっています。志賀高原といえばオリンピック開催地でもあるので、その関連資料もたくさんありますね。県民割、受けられるのですね!志賀高原は一昨年、昨年と独自割引をやっていましたよ。近隣提携ホテルの宿泊素泊まり+一日リフト券のセットが7000~8000円くらいの破格の値段で提供されていました。さすがにあれでは収益ほぼ0だと思いますが、コロナ禍では志賀高原でもそこまでやらないとお客さん来なかったようです😪今年も去年みたいに雪がたくさん降って、お客さんたくさん来ると良いですね。
悲しいですね!以前はすべてのスキー場がオープンしていて、移動していくのが楽しみでした。また、オープンしてくれる事を願います。
コメントありがとうございます。志賀高原ほどネームバリューがあっても昨今の状況では苦労してますね😅昔のように全部のスキー場で滑ってみたいですよね~
志賀高原💕有名ですよね😳💕そこがこんなに廃業されているとは😳💦なんだか寂しいですね😢でも自然が美しいですね😊✨もうしばらくすると高い山が冠雪して美しいでしょうね😊❤
コメントありがとうございます。志賀高原でもこれだけ閉鎖しているのは僕も驚きでした😅この辺りの自然はとても素晴らしいですね~例年ですとだいたい11月中旬~下旬くらいに初雪が降ります。もうすぐ今年も冬が始まりますね😁
私は志賀高原スタンプラリーをやっていた頃、石の湯は大昔に閉鎖されてましたから、笠岳、前山、木戸池を含む、志賀高原全てのスキー場を滑って制覇してます✌️
コメントありがとうございます。昔はスタンプラリーをやっていたのですか!それは楽しそうですね😄
昔、丸池観光ホテル(今は更地ですね)内に志賀飯店と言う中華料理があって、志賀高原へ行った時は昼に必ず立ち寄ってました。特に担々麺が美味しかった。
前山、笠岳、木戸池などなど懐かしいスキー場を取り上げてくださってありがとうございます。前山は最大斜度30度のなかなかの斜面でした。笠岳は熊の湯が混んたときにエスケープゲレンデとしてよく滑りました。木戸池は山頂からどちらにも滑り降りられる珍しいスキー場でした。ロープウェイの車両はまだ保存されていたのですね。今度見に行きます。
コメントありがとうございます。前山は最大30あったのですね!距離は短いですが一枚バーンの良い斜面に見えました😄志賀高原は今年は雪が少なくここまで苦労しているようです。
志賀高原における私の常宿は長年にわたって熊の湯地区だったので、前山や笠岳では数えきれない程滑りました。特に前山は一日のラストで何度も何度も繰り返し滑ることが多かったですね。スピードも出るし良い練習コースだった。それに硯川から渋峠に行くときは前山のリフトを利用したほうが楽だったのでなくなったときは本当に残念でした。木戸池と石の湯は他のスキー場と繋がっていないのでバブルの頃でも人が少なく、それ以降は特に苦しかったでしょうね。
コメントありがとうございます。前山は宿泊施設も目の前ですし便利なスキー場だったようですね!一度滑ってみたかったです😄渋峠へ行くときに前山リフトを使うと楽だったのですか~なるほど、そういう風にスキー場どうしが繋がっていたのですね。木戸池と石の湯は昔から人が少なかったのですか。確かにスキー場が孤立してしまっているので、志賀高原ですとどうしてもみなさん他のエリアへ行ってしまいそうですよね。
志賀高原の大半のスキー場はゲレンデが繋がっており古くから一体化したものと認識され親しまれていますが、木戸池と石の湯はそれぞれホテルのプライベートゲレンデのような位置付けでしたからね。元々リフト券で儲けようという発想はなかったと思いますが、90年代以降ホテル利用者も減少傾向になり、リフトを運行する体力がなくなったんだと思います。石の湯はとくに国道からかなり離れているし閉鎖の時期も早かったですね。笠岳も両スキー場と似た位置付けではあるものの、熊の湯と行き来できるメリットがあり、しかも高速クワッドに架け替えたことで短時間で何度も繰り返し中斜面が練習できるという快適なゲレンデでした。でもホテル自体が破綻、なくなってしまったのが残念です。あと前のコメで前山リフトを利用すると渋峠へ便利と書いてしまいましたが、横手山スキー場の間違いでしたね。ごめんなさい。
コメントありがとうございます。あ、なるほど横手山ですね!ホテルとゲレンデの経営が同じところはお客さんが来なくなると厳しいですよね~今残っているところも大きな資本ばかりの気がします。
志賀高原のロープウェイ昔に乗りました。ロープウェイを降りてからももう一本シングルリフトに乗って高天原方面に向かいました。他にもスキー場は現存していてもリフトは減っています。一ノ瀬山の神スキー場も今はただの連絡コースになりましたがもう一面ゲレンデがありました。寺子屋も今のゲレンデの正面に小さなゲレンデがもう一面ありました。
コメントありがとうございます。山の神スキー場は今とは違うゲレンデもあったのですか!今は焼額へ行くためのゲレンデ‥という感じですよね。寺小屋もそうだったのですか。確かに滑ると正面にゲレンデのような斜面が見えるのですが、昔はコースだったのですね。
懐かしい。仕事定職に就いてからスキーなんて実質暇なくてしなくなってった。ただ 思いでの中 まだスキー場脳内に残ったまんまだから もうないと思うとさみしい
志賀高原に通って45年懐かしく見せて頂きました。有難う御座います。昨シーズン前山に樹木が生えたいたので裏のルートはも~滑って横手方面に行けないのか あ~あぁて感じでした。
コメントありがとうございます。以前は前山から横手方面へ行けたのですね。渋峠からあのあたりまで繋がっていたらかなり広いゲレンデだったのでしょうね~😄
グリーンさん、美味しいですよね。
コメントありがとうございます。近くへ行ったら寄ることが多いですね~😄
毎年チャレンジマスターをクリアしていたので懐かしいですね~。以前はクリアするとTシャツや盾をもらえましたね。今でも持っています。石の湯には苦い思い出がありまして、チャレンジマスターの判子を貰うために行ったらグサグサの雪で、ゴムチェーンを付けたカローラFX(4人乗ったFF車)が急坂を登れなくなり、金属チェーンに履き替えても駄目。ボンネットに同乗者3人乗せてバックで走らせ、なんとか脱出出来ました。結局一時間半ほど掛かってしまい、その日の予定はクリア出来ませんでした。トホホ・・ その後四駆が普通に登って行って羨ましかったなぁ。志賀高原は一番好きなスキー場で毎年東京から行っています。皆でたくさん滑ってスキーを盛り立てましょーー!
コメントありがとうございます。スタンプラリーはチャレンジマスターというものだったのですか!景品をもらえたのは良い思い出ですね~石の湯の運転は大変でしたが良い思い出となったのでしょう😂僕が志賀高原で滑り始めたときはすでにスタンプラリーはなかったのですが、復活してくれないですかね~
懐かしい。前山のリフト横は一枚バーンの滑りやすいゲレンデでした。
コメントありがとうございます。前山は下から見上げるだけでもいいゲレンデに見えましたね~斜度は結構あったみたいですね!
撮影・編集センスが素晴らしく見ていてとても心地良いです。チャンネル登録させて頂きました。
コメントありがとうございます。ご評価有難うございます、見やすい映像をお届けできていたら良かったです😄チャンネル登録もありがとうございます。
笠岳スキー場は1980年代によく行きました。笠岳スキースクールにはその頃まだ一般的ではなかったモーグルの元全日本チャンピョンの方が副校長で在席していましたね。
コメントありがとうございます。そうだったのですか、笠岳にスキースクールもあったのですね!
1980年に大学に入学し、結婚するまでの10年間は志賀高原にかよったものでした。紹介して頂いた閉鎖スキー場の他にも一ノ瀬スキー場と焼額山を結ぶコースがありました。現在でも一ノ瀬スキー場と焼額山を結ぶコースがありますが、もう一つあったのを覚えています。
ダイヤモンドの奥の山の神ゲレンデでしょうか?ヤケビへ移動する通り道の印象しかありませんが、バブル期でも喧騒から離れたスキー場でした。静かなゲレンデという事ならファミリーと高天ヶ原の間のタンネの森が好きです(ホームゲレンデでした)。白樺林の中のコースで定宿の裏口の目の前だったので便利でした。
@keybiscayne1117 さんコメントありがとうございます。一の瀬と焼額山スキー場を結ぶコースは昔もう一つあったのですか、それは知りませんでした!😄
@荒木務 さんタンネの森はツリーランを楽しめるいいスキー場ですよね~近年閉鎖日が多いのか、行っても滑れないことが多い気がします。僕が平日しか行かないからかもしれませんが‥😅
スキー場がリゾートになるのは、車山高原で、体験しました。シニアになった今でも、また行きたいです。⛄
車山、僕は長野にいながらスキー場にまだ行ったことが無いのですが、いいところですよね~開けているので眺望が良く、あのあたりは晴天率が極めて高いのでいつ行っても晴れていそうです。機会がありましたらまた長野へ遊びに来てください😄
寂しいね。何度か行ったことあるけど、雪質最高です。遠いのが難点です。バブル時代を知っているだけに残念!
コメントありがとうございます。志賀高原は締まった良い雪ですよね。昨今のコロナ問題や不景気のためか、お客さんは年々減っている気がして寂しい限りです😪
グリーンのカニクリームコロッケ美味しいですよねぇ。ドライカレーも捨てがたいし、パスタもそばも美味しいし、毎年何食べるのかめっちゃ迷います笑
コメントありがとうございます。グリーンさんは出来合いではなくしっかり作ってくれるので何をいただいても美味しいですよね😋迷う気持ちは分かります。
グリーンさんのカツカレーは絶品でした!
子供の頃、よく家族旅行で志賀高原にスキーに連れて行ってもらった時、確か90年代前半ですがパンフレットなどに、22のスキー場が有る。と紹介されてたと記憶しています。数年前に久しぶりに行ったら18のスキー場に減ってたと…志賀高原みたいに有名なリゾート地でも、スキー人口の減少は切実で、ホテルからのアクセスや、コースの状況から営業を終えたスキー場が有るんだなぁ…としみじみ思いました。横手山や硯川なども経営が苦しいと聞いたことが有りますし。志賀高原だけじゃなく、北志賀の竜王や、白馬の岩岳などもいろいろ夏場の営業施策を打ち出しているし、シーズンを問わず継続して観光客を呼び込んで、これからも魅力有るスキー場として営業を続けて欲しいです。
コメントありがとうございます。志賀高原ぐらいネームバリューがあってもお客さんの減少は年々きつそうです。そしてここ2年はコロナの影響でさらに厳しそうでした😪今はまだメインどころのスキー場はほとんど残っていますが、数年後はどうなっているか分からないですね。閉鎖スキー場が少しずつ増えてもなんら不思議ではありません。そのくらいお客さんがいないですね‥昨今はグリーンシーズンも注力するスキー場が増えましたね。志賀高原ですと、熊の湯は夏の間はキャンプ場として営業していたりします。晴れれば満天の星空や天の川も見えますし、朝晩は涼しく過ごしやすいので積極的に展開すれば良いと思うんですけどね。利権問題とかでなかなか進まないのかもしれません。岩岳のヤッホーブランコや竜王の雲海、グランピング施設なんかも頑張っていますよね~😄せっかく大自然の中にあるのですからうまく活用すればいいのになと感じます。
@@syuntabi お返事ありがとうございます‼️私も遠方ですが、魅力を感じたら、実際に現地に遊びに行っていろいろ体験して応援したいです。
発哺あたりはほぼ廃墟群ですね。歴史のある名湯なのに😢
@荒木務 さんそうですね、発哺温泉周辺はいまや見る影もないですね‥
冬季の気温が低すぎるのもありますが、志賀高原のスキー場は、焼額(プリンス)を除いて、初めて訪れる「日帰り」のお客には、駐車スペースやトイレの案内が、少ないのが特徴で、良くも悪くもツアー客&宿泊客頼り。 若い新規顧客獲得は難しい分、日曜の午後は貸し切り感覚で、極上パウダーと温泉を楽しめます。
コメントありがとうございます。なるほど!確かにそうかもしれないですね。僕も最初に遊びに行ったときは案内が少なくてよく困りました。しかし雪質とゲレンデは最高なので、あくまでも「来たいなら来ればいい」というスタンスなのかもしれません。集客を頑張っているスキー場と比べますとそれは特に感じますね😅
自然の回復力は凄い ゴルフ場などで自然を壊しても10年放置すれば元の森に帰る スキー場も10年放置すれば痕跡も残らず 自然の回復力は凄い
僕も現地を見て驚いたのですが、閉鎖して手入れをしなくなると森に戻るのですね。石の湯は外から見ると、ここにスキー場があったとはわからないような感じでした!
笠岳には1970年代半ばから7〜8年ほどは、毎年通っていました。平床バス停とスキー場の間にあった宿に3泊ほどするのが常。朝にリフトで上がって熊の湯や横手山に行くことが多かったですが、笠岳自体も小さいながらもバリエーションがあって楽しめました。90年代にその常宿が閉鎖となり、それから足が遠のいてしまいました。当時は道具は全部担いで、上野を0時前後に出る急行妙高や信州に乗り、網棚にスキーをぶら下げて長野へ。湯田中からのバスは熊の湯行と奥志賀行が3台ずつ走る、そんな時代でした。
コメントありがとうございます。当時は上野発の夜行列車があったのですか、それは知りませんでした!湯田中まで電車で来てそこからバスで行けるなら、時間はかかるかもしれませんが都心からもアクセスが良かったのですね。平床の辺りはいまは建物がすべてなくなってしまったようですね。
前山は初心者には厳しいですね。中急斜面の一枚バーンでポールトレーニングに使っていました。笠岳は熊の湯のスクールが修学旅行のレッスンでよく使っていましたね。木戸池はヤマボクへのツアーコースの起点でオフピステを好む友達が良く滑りに行っていました。志賀高原の入り口近くに安奈平と名前を忘れましたがレース専門の様なスキー場がありました。渋温泉から少し上がったところです。もし見つけられたら行ってみてください。
コメントありがとうございます。なるほど、前山はポールのコースだったのですね!笠岳は初級者レッスンにはちょうど良さそうな山ですね~木戸池からヤマボクへのツアーがあったのですか!今もあれば人気ありそうですね😄安奈平とは初めて聞きました、教えていただいてありがとうございます!渋温泉の少し上はかんばやしのスキー場ですかね。あそこも閉鎖したと聞きました。
一枚バーンって記憶は有るが、急斜面って記憶は無い。私はプルークボーゲンの頃に滑ってましたよ。まー当事は八方黒菱の40度越えの斜面にも滑りこんでいたけど・・・
急斜面の定義が曖昧ですが、上から下までほぼ斜面変化なく25度強位だった様に思います。ポール練習に使った位ですから30度はなかったかな。
みなさんレベルが様々なので、急斜面の解釈も人により様々ですよね😅
石の湯スキー場は石の湯ホテルの目の前にあったような記憶があります。それにしても、志賀高原から無くなってしまったスキー場がかなりあるのですね。丸池の志賀高原ホテルは昔は志賀高原で一番格式の高かったホテルですね。今見ても雰囲気がありますね。 今では良いホテルがある場所と言ったら奥志賀高原に移ってしまいましたが。発哺温泉に向かう蓮池のロープウェイ乗り場が今でもきちんと保存されいるのは初めて知り驚きました。今回も面白い動画ありがとうございました。楽しく見ました。
コメントありがとうございます。そうでしたか、石の湯ホテルの目の前だったのですね。今は現地へ行ってもゲレンデの形跡が無く、場所はいまいち分かりませんでした😅志賀高原ホテルは歴史資料館の横に今も当時の部屋が一部そのまま保存されているのですが、実際に使われていた西洋のアンティークも置かれていたり格調高さがうかがえます。旧ロープウェイも志賀高原の大事な資産として今後も残ってほしいですね😌
もう70才です 志賀高原は思い出一杯学生の頃は大スキーブーム 学生主催のスキーツアーのインストラクターで毎週大阪から行ってました 時効ですがぼうホテルの大浴場のお湯の噴き出し口から湯量が少ないと女子風呂が見えるとかw リフトじゃ無くバスに乗って上がって半日かけて皆を連れて志賀高原ツアーとか 地獄谷温泉も猿が来るかもって時代でした
初めまして。還暦スキーヤーです。懐かしいスキー場です。前山は練習したい時。木戸池、笠岳はのんびりしたい時よく滑ってました。特に木戸池、笠岳は静かでほんとのんびりしてましたね。まだホテルはやっているのでしょうか。熊の湯第一から滑り込めるのも便利でした。
コメントありがとうございます。それぞれ滑った経験があったのですね!木戸池のホテルはいまも営業していますが笠岳は何もなくなっていまして、他の視聴者さんからいただいたコメントを拝見しますとずいぶん前に宿泊施設が無くなってしまったみたいですね。木戸池は志賀高原では混まずに穴場的存在だったのでしょうね。
自分は初めてのスキーが一の瀬だったので、志賀高原に対する思い入れはチョイ他と違うんですが(基本ヤケビ・奥志賀が一番好きです)🎿本州スキーヤーの聖地志賀高原でもここまで閉鎖したスキー場があるとは知りませんでした(๑•́₋•̩̥̀๑)
コメントありがとうございます。初めてのスキーが一の瀬ですか!それは羨ましいですね~やけびと奥志賀は僕も大好きです😄志賀高原は閉鎖したスキー場はいくつかあったのですが、どこも比較的小規模のゲレンデだったりリフト1つのスキー場が中心で、現状そこまで目立つ感じでもないようです。その後気になったので少し調べてみたのですが、白馬とか湯沢のほうがよほど大きなスキー場が潰れていまして、志賀高原なんかよりはるかにやばい状況だなと感じました💦
横手山~焼額山まで、リフトに乗ってはスキーで降りしながら、1日中、滑った昔が懐かしいです。今は途中のゲレンデが無さそうでそういうツアーはできないですね。
コメントありがとうございます。僕もすべてのゲレンデが繋がっていた時代は知らないのですが、みなさんからのコメントを拝見しますと昔は楽しかったようですね!横手山から奥志賀までリフト乗り継いで、トラバースしながら滑るだけでも一日が終わりそうですよね😄
@@syuntabi さま スキーツアーは片道だけでした。帰りはバスで熊の湯に戻りました。
なるほど、そうですよね!往復は時間的に難しそうですね😅
懐かしい。先シーズン、20年ぶりに志賀高原に行って、スキー場が少なくなっていて驚きました。前のコメントにありますが、自分はスタンプラリーをして、93年シーズンのチャレンジマスターの景品をもらいました。
コメントありがとうございます。そうだったのですね!スタンプラリー、やってみたかったです😄
シャトルバスで奥志賀下車〜木戸池、蓮池までリフト乗り継ぎスキーで、来たのが懐かしいなー。熊の湯、横手山はスキーを履いては行けなかったですよね!
コメントありがとうございます。中央エリアの端から端まで滑るのは一度はやってみたいですよね~😄熊の湯や横手山は車かバスでないといけないですね!全山共通券を買っても広すぎて一日では回り切れないですよね~😂
懐かしく見させていただきました。当時志賀高原ホテルは高級で、若い頃には宿泊できるような所ではありませんでした。このホテルが見えるともうすぐ到着の合図。もうないんですね。その頃は、朝イチでバスで行き、横手まで上がり、そこから熊の湯を経て半日かけて道なき道の山の中をスキーで縦走し、木戸池のリフトを利用したりして、ジャイアントの麓の宿までプチスキーハイキング。仲間とワイワイ楽しんだ記憶があります。石の湯も滑りました。もうスキー場の名残もないなんてちょっと寂しいですね😂でも、相変わらずジャイアントやブナ平、一ノ瀬など前と余り変わりないようで安心しました。寺子屋が土日だけ営業のようで、やっぱりそうかなと。スキーブームの時も比較的空いた場所で良く行きました。狭くて少し滑りにくい印象がありました。あの素晴らしい景色と雪質、志賀高原ブラボー❗️配信ありがとうございます。
コメントありがとうございます。そうでしたか、志賀高原ホテルは写真で拝見すると確かに風格を感じたのですが、当時から高級ホテルだったのですね。他の方のコメントも見させていただいたのですが、1970年代は横手山から山の駅まで全部滑りながら移動できたそうですね。距離が結構ありますが大自然に触れながら滑れたら楽しそうです😄石の湯も行かれたのですね!今はもう何も無く、当時の状況を伺うことは残念ながらできませんでした。今は大きなゲレンデと、そこに派生するスキー場だけが営業を続けていますね。寺小屋も他と比べると小さいスキー場ですが、雪質も斜面も良く最高で、週末のみの営業が残念です。もし機会がありましたらまた遊びにいらしてください😄
@@syuntabi コメントありがとうございます。長野県が好きでいつかは住みたいと思いながら、多分そうはならなそうです😢奥志賀のダウンヒルを休まず一気に降り、太ももぱんぱん。今は懐かしい若い日。岩岳、八方、菅平、黒姫、今はどんなでしょう。これからも、冬だけでなく信州の魅力を発信してください。
コメントありがとうございます。奥志賀のダウンヒルはなかなかの斜度で距離も長いですよね~僕は逆に昔の長野県を知らないので、移住してきてからあちこち出かけて楽しんでいます😄これからもいろんな時期の名所を動画でご紹介できれば幸いです。
一ノ瀬のスクールで20年スタッフやってました。志賀高原、もう少し広域で見ると湯田中のごりん高原や長野オリンピックスノーボード会場の上林温泉スキー場、志賀草津道路入ってちょっと行った所に安南平スキー場がありましたね。ごりんと安南平は現在まともな道もなく行けませんが…
コメントありがとうございます。そうでしたか、麓の方のスキー場は知らなかったのですがいくつか閉鎖となっていたのですね。ごりん高原とは全く聞いたことがありませんでした。上林温泉にもスキー場があったのですか。情報ありがとうございます!機会がありましたら行けるところまで見に行ってみたいと思います😄
オーストリー❓カメラード❓ビアンカ❓エーデルワイス❓若林❓パラレル❓SAJ❓ おいらお世話になったかもぉ😁
次田アルパイン❓アールベルグ❓
@@yukihide6847 私は若に20年おりました。当然周りの当時のスクールスタッフはほとんど知ってますよ😁今のジャパンの校長とはほぼ同期です。
@@tocoro3 次田さんまだ元気なんでしょうか?😅日本ではあまり有名ではありませんでしたが、ヨーロッパではそこそこ名の知れたガイドでしたね😊アールベルクは高天ヶ原ですね。今は西館山スイスインのスクールになってます。
前山は雪崩が原因で営業停止したんだよなー。前山が無くなって、熊の湯と横手山が分断されて、それぞれ小規模ゲレンデになった様な気がする。
コメントありがとうございます。雪崩ですか、そういうこともあったのですね。前山スキー場があったときは横手山の麓がこのあたりまで広がっていたのですね。
前山は何度か滑ったことがあり、なかなかの急斜面。リフトはサマーリフトとして残ってるし、雪も付くので、熊の湯で滑ってるときに確認できますね。笠岳は、かつてはホテル(笠岳ホテル)もあって、一度利用したことがあります。木戸池は通過のみですね。
コメントありがとうございます。前山は冬は素通りしていたのであまり見たことが無かったのですが、来シーズンは観察してみようと思います😄笠岳は近くにホテルがあったのですか。それなら笠岳からのぼって熊の湯方面も行けたのですね。
夏の週末に動くリフト 初めて知りましたわ
長野のスキー場はグリーンシーズンになるとハイキングやトレッキングで営業するところも多いのですが、志賀高原の前山はスキー場が閉鎖となったにもかかわらず観光リフトだけが動いている特殊な場所ですね😄
湯田中温泉から直に上がれた「ごりん高原」は計画では、焼額山までつながってとてつもないロングバーになるはずだったんですよねぇ
コメントありがとうございます。そうなのですか!ごりん高原というスキー場は最近まで知らなかったのですが、もしやけびと繋がっていたら凄いことになっていましたね!😄
スキー場と関係ない事ですが、東京から移住されたということで、長野市で生まれ育った者として、選んでくれてありがとう
コメントありがとうございます。はい、東京から自然を求めて長野へ移住しました!長野はとても良いところですね😄毎日心穏やかに過ごせます。東京は僕の体と心には辛い環境でした💦
37,8年前の記憶ですが、ジャイアント(奥志賀への分岐)と木戸池の間に、小さなスキー場が2ヶ所くらいあったような。泊まりはジャイアントそばだったので、横手山に行くため車移動。その時、窓から小さなスキー場を見て、滑る人いるの?と思うほど人はおらず、シングルかペアのリフトが動いてたような。今シーズンも、志賀には行っときましょ。
コメントありがとうございます。奥志賀への分岐と木戸池の間ですか!今はスキー場は何もないのですが当時はスキー場あったのでしょうか、僕のリサーチでは見つけることはできませんでした😅今シーズンも雪が多いと良いですね~
多分スキー場としては無かったと思いますよ。でも、横手方面から丸池方面に滑って戻る人は、道路の横の林の中を滑ってましたから、その様な人だったんではないでしょうか?
@荒木務 さんそうでしたか、情報ありがとうございます!林の中を滑って行けたのですね~
最近は毎年のように志賀高原にスキーに訪れています。30年程前に訪れた時はスタンプラリーがあって、今より沢山のリフトがあったような…と思っていましたが、閉鎖されていたのですね。今もあるリフトやゴンドラも大分古い感じがします。スキー人口も減っているので仕方ないですが、魅力のあるスキー場ですので今ある所は残って欲しいと思いました。
コメントありがとうございます。昔の志賀高原のゲレンデは今より広かったようですね。僕もスタンプラリーをやってみたかったです😄
スタンプラリーで盾をもらいました。スキー場が閉鎖されても、思い出のゲレンデは芝生のまま残るような気がしてましたが、跡形もなく消えてしまうとは。当時の「全国スキーゲレンデガイド」を、もう捨てようかと思っていましたがやめます。滑りなじんだゲレンデが、もはや雑誌の航空写真の中にしか残ってないと思うと感慨深いです。
いつも楽しく動画を拝見しております。配信ありがとうございます。20年以上、毎シーズン志賀高原に通ってますが笠岳と木戸池と前山の他にも消えてしまったスキー場があったのは知りませんでした。昨年の夏は石の湯にゲンジボタルを見に行ったのですが、ちょうどあの付近にスキー場があったのですね。蓮池のロープウェイも何度も乗りました。発哺からゴンドラに乗り継いで東館山に行ったり高天ヶ原に宿泊していた時は発哺から連絡用のシングルリフトに乗って宿まで帰ったのですが、そのリフトが板を履かずに手に持って乗るようになっていて、とても乗車しにくくて怖かった記憶があります。そのシングルリフトが通るすぐ隣の森がサルの住処らしく木々にとても沢山のサルがいてビックリしたのも今では懐かしい思い出です。
コメントありがとうございます。そうでしたか、毎年志賀高原へ通っていらっしゃるのですね。僕も長野市民で志賀高原はそれなりに行く方なのですが、それでも石の湯スキー場などはまったく知りませんでした😅そうです、ちょうどゲンジボタルの鑑賞ポイントの近くですね。今はもう何もスキー場跡が無かったので、残念ですが当時の様子を伺い知ることはできませんでした。以前のロープウェイも乗られていたのですね。発哺にはシングルリフトもあったのですか、それは知りませんでした。あのあたりも宿が多い場所ですが天狗の湯の食中毒事件があってからは営業が細り、いまはどこも廃墟となってしまったようですね。
30〜35年前は毎年行ってました。奥志賀のスキー合宿、一の瀬、熊の湯も行きました。多分前山ゲレンデも滑ってます。渋峠も。スタンプラリーは記憶ないです。ゲレンデの連絡が悪いと言う人もいますが、昔は奥志賀のゴンドラから丸池まで行けました。凄いと思いますが(逆はシンドイです😅)今はどうなのでしょう?また行きたいです😊
コメントありがとうございます。今も奥志賀から丸池までリフトを乗り継いで行けますよ~結構距離がありますよね😅また機会がありましたらどうぞ遊びにいらしてください!
石の湯スキー場は石の湯スキー学校の専用ゲレンデの様でした、チャレンジカードのスタンプを押してもらう為に一度だけ行ったことがありました。
若い時60年前硯川ホテルに泊まり前山滑りましたがリフト横は急傾斜の上級者向でしたよ
コメントありがとうございます。そうでしたか!結構な斜度があったのですね~過去に雪崩もあったとのことだったので、急だったのですね。
前山と木戸池は滑った事無く、他の場所は聞いた事もありませんでした。大体、横手渋峠か熊の湯に行ってしまいますよね。ロープウェイは何度か乗った事ありましたが、ジャイアント降りてリフトやゴンドラ乗り継いで寺子屋目指してました。
コメントありがとうございます。僕も気になり調べてみるまで全く知らないスキー場が多かったです😅石の湯スキー場とか、行ったらもう完全に森に戻っていましたし‥メインどころは今も全部営業しているので、それで目立たないのかもしれないです。旧ロープウェイはむかし志賀高原の道路が今ほど整っていなかったときは大活躍していたそうですね!
@@syuntabi 殿志賀高原全山のスキー場(奥志賀、焼額)の中で部分的にリフト🛗を閉鎖したコースもあるみたいで寂しく思いますが、若い時ほど行かなくなってるので、いたしかたないです。国土開発が焼額に開発進めた時はかなり地域での反対があったそうです。全体的に電鉄が切り開いたと言う人もいますが、和合会がやっぱり強いようですね。
そうですね、ここ数年はコロナ禍もありお客さんがいないなかでの営業なので長期的な運営は心配になりますね。和合会はなかなか外の考え方を受け付けないようですが、良くも悪くもというところでしょうか。外からの資本やアイデアを受け入れ発展している白馬などとは対照的に感じます。しかし古きよきものは守られている印象もありますので、あとはお客さんがどちらを選びたいか、という問題でしょうか。
@@syuntabi 殿似た考え方だと野沢温泉街♨️は大手のコンビニ🏪受け入れ無しです。財産を外に出さない考え方なんです。1つの巨大なお店なんです。
そうですね~野沢温泉は今も街中にデイリーヤマザキ?が1軒ですよね😅それぞれ開発の方向性の違いなのでしょうね。野沢温泉もコロナ前は外国からのお客さんが多かったので、街中は景観を崩さない形で少しずつ外からの資本が入ってきていますね。地ビールブルワリー里武士さんとか、あと最近はカフェやホステルも増えたように感じます。志賀高原は和合会のおかげかそういう資本をほぼ見かけませんよね~このあたりゲレンデ食がとても分かりやすく、今も昭和で時が止まったままのところが多い印象です😂志賀高原は雪質が良いし巨大リゾートなのでそれでもお客さん来ますが、今後暖冬となり雪質が悪くなった時にどうなるかは個人的に注目しています。
志賀高原ホテルの裏のゲレンデは自分が子供の頃初めてスキーした場所だったので、懐かしいです。70年代には閉鎖されてたと記憶します。ホテルの拡張に伴い、ゲレンデ下部がアクセスできなくなったのが直接要因だったかと。京都ホテル系列で格式あるホテルだったのですが、廃業となってしまい淋しい限りです。
コメントありがとうございます。そうだったのですか、あのゲレンデは結構昔に閉鎖されていたのですね。歴史資料館とは別にホテルの中も一部保存されていまして当時のようす伺い知れたのですが、置かれていた調度品や壁のつくりなど確かに格式ある感じを受けました!
今はなき志賀高原ホテルの裏山のスキー場、たしかゴルフ場ゲレンデと言われていました。このリフトに乗ると志賀高原ロープーウェーに丸池から歩かずに乗ることが出来ました!1960年代前半にはこのスキー場は健在でした。前山スキー場上から木戸池スキー場までシルバーコースというコースがあり、さらに田の原を抜けて法坂スキー場(サンバレー)の頭までスキーで行くことが出来ました。1970年代のことでした!
コメントありがとうございます。そうでしたか、そういう感じだったのですね。ということは以前は奥志賀から横手山・渋峠まで全部滑りながら移動できたのですね!僕が移住して来た頃にはすでに横手山と熊の湯は孤立していて毎回車で移動しなければならず位置関係的に不思議だったのですが、もともとそういうコース設計だったのですか。教えていただきありがとうございます😄
前山から木戸池にツアーしました😮
1979年から3シーズンほど、熊ノ湯・横手山でスキースクールのコーチングスタッフをやっておりました。とても懐かしく拝見しましたが、ゲレンデの閉鎖やリフトの撤去というものは時代の趨勢とは言え切ないものがあります。丁度インターシー(世界スキー指導者会議)が蔵王で開催され、その参加国の数チームが志賀高原へも来て、笠岳ゲレンデでスイスチームだったかと一緒に滑った記憶があります。他の方も書かれている様に、前山ゲレンデは雪の降り方によっては雪崩が起きて、下のホテルにも被害がありました。でも石ノ湯のとなりの、ゴルフ場ゲレンデは知りませんでした。
コメントありがとうございます。現地で働いていらっしゃったスタッフさんでしたか!確かに時代の流れ以外にも様々な要因がありますよね。志賀高原でも小規模のゲレンデはさすがに経営が難しかったのかもしれません。
最後のサンバレーの最南端のゲレンデも閉鎖になったので出してほしかった。シングルリフトで長野市内が見えていたことろ。また、旧料金所から少し上がったところにあった阿南スキー場も閉鎖になっているので紹介してほしかった。ゴリン高原スキー場も閉鎖になったはず。ここは連絡コースしかない酷いスキー場だった。丸池といえば丸池Aコース。あまりの急なコブ斜面に監視小屋までたっていたことろ。
コメントありがとうございます。安南平スキー場のことですかね?!他の視聴者さんから教えていただいたのですが、いまもうアクセスできる道が無いそうです😅崩落か落石かでそのまま通行止めになっているようです。長野では災害で復旧できない道が良くあります。丸池Aコースは有名ですね~
スキーを始めた頃に熊の湯に連れて行ってもらい道を挟んだ向かいのリフトに乗った記憶が有ります。かなり急斜面で初心者にはきつかったので裏の緩い斜面をぐるっと回っていました、それが前山スキー場かな。(記憶が曖昧です)昨シーズン行ったときは蓮池(丸池もかな?)のリフトが動いていませんでした、土日祝日のみの営業らしい。ここが閉鎖になるとサンバレースキー場が孤立してヤバイような気がします。それと寺子屋スキー場も土日祝日のみでした。
コメントありがとうございます。そうですね、それが前山ですね!いまも裏の緩い斜面は残っていまして、お池巡りするときの通行路となっていますよ😄そちらが初心者コースとなっていたみたいですね。そうなんですよね、コロナでお客さん減った影響か近年の志賀高原は曜日限定の営業スキー場も多くなりました。寺小屋も週末のみで寂しいです。とてもいいゲレンデなのですが‥温暖化による雪不足、電気代の高騰、不景気でお客さんがなかなか来ない、、と相まって営業スキー場がどんどん縮小している傾向にあります😪
ふと、つわものどもの夢のあとを思い出す スキーブームのころはリフト乗るのに2時間待ち正月にいこうものならゲレンデは渋谷スクランブル状態 食堂は足の踏み場もない リフトなど3本乗れれば御の字 スキー場の従業員もえばっていた 異常事態というのは過ぎ去ってから気が付く
資料館に寄ったときにスタッフさんがそんなお話をされていました!志賀高原も昔はリフト2時間待ちだったそうです。凄い時代ですよね~僕は今しか知らないですが平日しか行かないこともあり、10分も並んだら「今日は混んでるなー」と感じます😅ブームの時のスキー場も一度見てみたかったですね!
レストランもぼったくり商法 すたれていくのは当然の結果ブームは終わりましたねえ 私をスキーに連れてっての原田知世の映画がスキーブームの最盛期でしたな
志賀高原といえば私をスキーに連れてってですね!撮影で使われたスキー板が横手山のふもとのレストランに今も飾ってありますよ😄
笠岳ホームゲレンデでした。見る影もなく寂しい限りです。
コメントありがとうございます。そうでしたか!笠岳はそこまで大きくなさそうですが良い斜面に見えました。
こんにちわ、前山スキー場前にあるホテル?も廃業したんでしょうか?
いつもコメントありがとうございます!目の前の硯川ホテルは今も営業していますよ😄志賀高原周辺のホテルで廃業したところはあまり聞かないですね。近年のコロナ禍の影響は強いので、数年後はどうなっているか分からないですが‥
@@syuntabi いや徐々に廃業しているでしょ。私の常宿だった一の瀬そうも廃業しました。あの付近もポツポツと営業して無い宿が有りますよ。
@@栄健 そうですね。この数年結構廃業しているようです。以前宿泊したホテルの支配人の話では、廃業したホテルを新たに運営する人(又は会社)を宿泊業組合で公募していると言ってましたけど、その後どうなんでしょうか。私の常宿だったブナ平ロッジも数年前に廃業して、現在は毎回違った宿を利用しています。あそこはゲレンデまで0分、と言うかゲレンデの真ん中にあったので便利だったんですけどね。
@栄健 さんそうでしたか!見た感じ大きなホテルは変わりなく営業されているようなので分かりませんでした。僕はいつも日帰りで宿泊はしないのですが、近年のお客さんの入りを考えると今後は廃業が進むのかもしれないですね。
パレスホテルは横手山スキー場を買い取り元気に営業。志賀プリンスホテルは廃業。一平壮は微妙。ホテル喜楽は名前が変わってリニューアル営業中です。志賀高原に限ったことではないですが少子化によりスキー修学旅行が減ったので大規模ホテルはたち行かなくなりました。またスキー人気もだださがりで、スキーインストラクターになる若者もいません。インストラクターの平均年齢は高齢化する一方(笑) スキー業界が長野オリンピックの頃に戻ることを期待したいです。
ロープウェイは、朝にとんでも無く並んだ記憶しか無く、あまりイイ思い出は無いですわ。20年ぶりくらいに志賀高原に行きましたが、あれ?こんなに各スキー場の移動が不便だったけっけ?と思いました。スキー場巡りが志賀高原の楽しみだと思ってたので、残念です。
なるほど、昔はロープウェイの行列もすごかったのですね~志賀高原で全山楽しむなら今は車で行かないと移動が不便ですね🚙営業しているスキー場は今後も頑張ってほしいと思います。
志賀高原の雪質は良いが、リフト等の設備が悪くて宿泊施設も合宿所が多く余り良い思い出がないそれでも最盛期はものすごい賑わいだった
コメントありがとうございます。昔はゲレンデ間のアクセスも悪かったという話はよく聞きました。リフトの設備も良くなかったのですね😅運営会社が旧態依然で有名なので、志賀高原は不便だけどそれでも来たいなら来ればいい!という感じだったのかもしれません。
丸池なくなっていたのですか。あのAコースが!
コメントありがとうございます。丸池はまだありますよ😅
勘違い。良かったです有難う
ちょっとした廃墟探検隊の気分でしたね、ドキドキ。それにしても昭和の観光地を含めスキー場も寂れてたところが多いです。総人口の減少か、趣味の多様化なのかわかりませんが、所詮ブームなんなんでしょうかね?
そうですね、空が暗い時に撮影したら完全にホラー動画ですね‥😅昭和のスキーブームはすごかったそうですね。ピーク時はスキー人口が1,500万人を超えていたとか!いま300万くらいだそうなので、そのころに比べたら1/5でしょうか。人口減少も趣味の多様化も両方ありますよね。あとは若い人が車を持たない(不景気で持てない?)時代となったのも大きいと思います。公共交通機関もあることはありますが、やはり山へ行くなら車がないと現地でいろいろ不便ですからね~😪
@@syuntabi スキーブームの頃はまだ高速道路が整備されておらず、マイカーで行くより夜行バスかシュプール号(国鉄!)が主流でした。私は関西在住ですが、当時は志賀高原まで片道10時間ぐらい掛かりましたから!なにせ中央道は中津川までしかなく、長野県内は全て下道(R19,R18)です。夜行バスなどは日本海周りなんてのもありました。それでもハイシーズンにはどこもかしこもリフト待ち1時間!なんと我慢強いこと!
リフトを乗り継いで移動するのが志賀高原の魅力だったので独立位置の小規模のゲレンデは愛好者人口が激減した現在は致し方無い。地元でも大手に食われて閉鎖したスキー場も有る位だから。
コメントありがとうございます。そうですね、志賀高原といえども小さいゲレンデはさすがに経営が難しかったのでしょうね。
木戸池・笠岳スキー場の存在は知っていましたが、熊の湯スキー場の裏側にありましたが滑った事はありませんでした。目と鼻の先距離でしたが滑ろうとも思いませんでした。木戸池にホテルがありましたが、熊の湯の宿が予約出来なかった時に何度か泊まった事があります。石の湯スキー場は存在は知っていましたが離れているので行った事はありません。前山スキー場は横手山スキー場に行った時に何本か滑りました。その時は新雪が50㌢積もっていて空いていたので楽しかったですね。主に熊の湯スキー場をメインに滑っていました。学生時代に一番多く滑ったスキー場でした。
コメントありがとうございます。少し離れた場所だったりコースに魅力がないとなかなか滑らないですよね😅
志賀の廃ゲレは、ABの暴力事件直後のクリーンイメージ大作戦という初夏の植林イベントを県が志賀でやると引き受けた事で、他の地域の廃ゲレより森林化が早いです。毎年やってるから植林地確保しないといけないんですよWWW管理は地元に放り投げ
コメントありがとうございます。なるほど、それで近くに海老蔵さんの碑が立っていたのですか。なんでこんなところにこんなものがあるのだろうと思っていて、良くわからなかったので動画では触れませんでしたが謎が解けました😂管理は地元に投げているんですか‥イメージアップになっているんだかダウンなんだか分からないですね。
ほう、廃ゲレンデ周りですか あと少しでチャンネル登録1万
いつもコメントありがとうございます!今回は実験的に少し趣向を変えて動画を作ってみました。こういうのも長野のありのままの自然かな、と思いまして😄1万人もうすぐですね!ありがたいです~
エコーバレースキー場の食堂で食事中の男の人の頭の上に混雑していてつまずいた女性のカレーライスが頭からかかる 悲惨な事件を目撃 ひゃあ~( ゚Д゚)
そんなことが!!そういうのも含めて旅の思い出ですね~😅
石の湯が忘れ去られてしまった
コメントありがとうございます。石の湯はゲレンデの姿かたちが完全に分からなかったですね!
うーん、前山リフトの両側が一枚バーンとなっていて初・中級者には滑り易いスキー場だったんだがなー・・・
コメントありがとうございます。そうだったんですね!斜面を見るときれいな感じで、僕も滑ってみたかったです😄
ボーリング場と同じ運命。
コメントありがとうございます。そうかもしれないですね😅ボウリング場も結局中小の古き良きセンターがどんどん無くなり、ラウンドワンのほぼ一強となりました。
泊まりが基本でありそこそこお金がかかるウインターリゾートは貧困化した日本人には無理になってきました。40年前より税込み所得低くなったうえに社会保障費含めての税率は所得の半分です。しかし・・・実は超高額所得者にとっては保険料は頭打ちになってますからあまり関係がないのです。平成に入ってから露骨に高額所得者優遇にして中間層を減らす政策をとってきたのが日本なのです。で、問題は日本の政府が望んだのではなくアメリカの上層部の意向でした。毎週行われる「日米合同会議」と言う名の強制的申し入れに従ってきたからです。残念な話ですが1955年解放されてはいませんでした独立国家じゃないという事です。
コメントありがとうございます。確かに、否定はできない内容は多いですね😅日本でもニセコなど海外のお客さんが集まるスキー場の物価は強気価格になっていると聞きますし、単に二極化が進んだだけというのは確かにその通りだと思います。そして今後もその傾向はまだまだ続きそうです。
前山は懐かしいです。
一枚バーンて、斜度もそこそこあって、大回りが非常に気持ちイイ!スキー場でした。もうあの時代には戻れないのかと思うと寂しくなるジジイてす。
コメントありがとうございます。
斜面を見ると気持ちよく楽しめそうな感じですよね😄
その時代の志賀高原も一度見てみたかったです!
2010年頃まで志賀高原ではリフトのスタンプラリーがあり、前山、笠岳、木戸池は毎年訪れていました。前山→横手山→渋峠→横手山→熊の湯→笠岳→木戸池を1日かけて滑ってました。前山は1枚バーンでかなりの急斜面です。小回りや大回りで爽快に滑ってました。GWもリフトが動いてましたよ。スタンプラリーの時は前山のリフトで上がり、横手山への連絡コースがあったので利用しました。雪崩はすごくて道を挟んだホテルも相当な被害を受けています。笠岳も熊の湯とつながっておりスタンプラリーで滑っています。ペアリフトが2本あったと記憶しています。木戸池はバスや車でしか行けないスキー場でした。修学旅行生をよく見ました。木戸池ホテルを修学旅行の宿泊場所とすればどこにも行けないので引率の先生にとっては良かったのかも。ロープウェイは、2011年の東日本大震災と翌日の長野県北部地震でリフト支柱に被害を受けて稼働できなくなりました。このロープウェイから高天ヶ原連絡リフトにのり、スタンプを埋めていきましたよ。残り2つのスキー場は記憶にありません。丸池Aコースのリフトは日本で最初のリフトですが、これは進駐軍向けに作られました。このリフトの最初の管理人が日本人初の冬季オリンピックメダリストの猪谷千春さんのお父様の猪谷六合雄さんです。
コメントありがとうございます。
スタンプラリーは2010年ごろまであったのですか!教えていただきありがとうございます😄
前山があったときはそこを中心に横手山や木戸池の方まで広範囲に楽しめたのですね。
前山から横手山への連絡コースもあったのですか!
雪崩はホテルに影響が出るほどの規模だったのですね。
笠岳はあそこにリフト2本もあったのですか~今は見る影もないですがにぎわっていたのでしょうね。
木戸池は今も修学旅行生が来ているのを見かけますね😁
木戸池ホテルが団体宿泊にぴったりなサイズだからでしょうか。
高天ヶ原連絡リフトというのもあったのですか、それも知りませんでした!
丸池のリフトにはそんな歴史があったのですね。
猪谷六合雄氏さんは歴史資料館のスタッフさんが丁寧に教えてくださいました!
志賀高原の発展に大きく貢献され資料館にも特設コーナーがありいろいろ展示がありましたね。
記念館のスキーヤーの写真はまさに猪谷千春さんですね。
オリンピックアルペン競技の日本人唯一のメダリストです。
最初に紹介された
前山リフト、46年前に2年程働いていました、夏冬兼用の為リフト高が低く大雪になるとリフト下の除雪をしたのが、懐かしく思い出されます。有難う‼️
コメントありがとうございます。
そうでしたか、それは懐かしい思い出の場所ですね😄
リフトは夏冬兼用なんですか~それは確かに雪が積もると大変そうですね!
僕は27年ほど前に住み込みでアルバイトをしていました!!一年だけですが、スキーシーズンのみ、季節アルバイトというやつですね。確かに、僕の頃もリフト下の除雪が大変でwう~ん懐かしい!! 動画をアップしてくださり、ありがとうございます。
いや懐かしい~私が志賀高原によく行っていたのは30年も前ですね。
皆さんもコメントされていますが、当時はシーズン中に志賀高原内に22箇所あったスキー場の74、75台あったリフト・ゴンドラ全てに乗ると記念品の盾をもらう事ができました。
たしか2、3回は貰ったはずw
ご存じのとおり、全てのスキー場がリフトではつながっていないので車かバスで移動が必要になり頑張っても1週間ぐらいはかかると宿の人に言われていたのですが、早朝からリフトが止まるまで滑って3日間で取ったのが最短でしたw
当時は石の湯もギリギリありましたがバスも通っておらずほとんど運休のため木戸池のリフトに2回乗るとOKになっていましたが、一度は行ってみたいということでほぼアイスバーンの道路をスキーでは無く車で滑り落ちながら怖い思いもして何とか無事にたどり着き1度だけ石の湯で滑る事ができました。
既にお昼を過ぎていましたが、本日最初のお客さんですと笑ながら係の人にリフトを動かしてもらい、誰もいない新雪で非圧雪のパウダースノーゲレンデを1度だけ滑ってハンコ貰って帰るのも忍びなく何度か滑ってから係の人からもう帰るの?というプレッシャーに若干後ろめたさを感じながら帰ったを思い出しますw
コメントありがとうございます。
すごいですね、スタンプラリー全制覇を複数回達成したのですか!😳
朝から晩まで滑って3日もかかるのですか‥
志賀高原は今もじゅうぶん広いですがスキー場が閉鎖する前はさらに広かったのでしょうね。
石の湯へ行くあの道、確かに怖いですよね~
あの坂でアイスバーンになっていたら‥もうスタンプラリーどころじゃないですね😅
お客さんもそんなに来ていなかったのですか。
僕も石の湯スキー場で一度は滑ってみたかったです!
やはり相当数のスキー場が存在して消えていったのですね・・・。
私は35歳のスキーヤーでしてもう一度スキーブーム起きないかなぁと
ささやかな夢を見つつシーズンを待っています😀
コメントありがとうございます。
僕もバブルが終わったあとスキーを始めた世代ですが、活気がある時代を一回は見てみたいですよね~😄
こんな素晴らしい自然があるのになぜ来ないのか、不思議です😅
石の湯スキー場!懐かしいですね。中間駅があるシングルリフト1本の小さなスキー場でしたが変化に富んだ斜面があり、よくできたスキー場だったと思います。40年前に初めてスキーをした思い出の場所です。久しぶりに思い出しました。ありがとうございました!
コメントありがとうございます。
そうだったのですか、教えていただきありがとうございます!
石の湯スキー場は外からではまったく様子を伺えなかったためどんなスキー場だったのか気になっていました。
シングルリフト1本だったのですね~
昨年の動画だったのですね、志賀高原は夏はハイキング、冬はスキーで移住しようかと思うくらい好きです。
ホテル笠岳は、解体され完全になくなったのですね。1980年代前半、学生時代に笠岳スキースクールで、アルバイトしていたものですが、無くなると寂しいですね。ただ志賀高原の自然はほんとに美しい。
いつも信州の色んな風景を紹介して頂き、ありがとうございます。
知らない間に、というか、いつの間にか、あっちこっちのスキー場が閉鎖されてたので、何だか切ない気持ちになりました。
私が高校の時、修学旅行は山田牧場スキー場(うちの学校で3日間貸し切りでした)だったんですが、行く道中でこの近所を走っていると、大きな志賀高原のゲレンデがあっちこっちにあり、また、大きくて立派なホテルもたくさんあるので、そういう所に泊まりながらスキーをするのに憧れがありました。(今思うと、山田牧場スキー場を貸し切りにしたことで、古い民宿では初めて入る硫黄泉のお風呂と美味しい信州の味覚とアットホームな雰囲気に癒されながら、懇切丁寧なベテランインストラクターの先生の指導の下、一般のお客さんとぶつかったりすること無く楽しめたことが、スキーが好きになってそれなりに上達して今の自分があるんだなぁと感じているので、良かったと思います。)
自分で車を持つようになったら、『志賀高原ホテル』に泊まってスキーしたいなぁ・・・と憧れを持っていたのですが、この動画を見て、「え”っ!?営業してないの?資料館になっちゃったの!?😭」と、かなりショックでした。でも資料館は資料館で行ってみたいですね。
今シーズンからまた信州の『県民割』の恩恵を受けることが出来そうなので、今まで思うようにスキーが出来なかった分、楽しめそうです。乗鞍で自主トレして、蓼科でしごかれて、締めに志賀高原かな。😅 そして来シーズンこそ数年ぶりのカナダスキーがしたい!😆
いつもコメントありがとうございます!
志賀高原は閉鎖されたスキー場もいくつかあったのですが、メインどころは共通券で連なっているだけあって今も変わらず営業していますね😄
修学旅行でヤマボクですか!静かな環境で大自然を楽しめて最高じゃないですか、羨ましい~😆
僕は東京人だったのでもっぱらザウスが本拠地でしたよ😪
あの無機質で風景も見えない閉鎖的空間の人工雪で育ちました‥笑
志賀高原ホテルは2000年頃にはすでに閉館していたようですね。
今は周辺一帯の歴史を保存する資料館(入館無料です)となっています。
志賀高原といえばオリンピック開催地でもあるので、その関連資料もたくさんありますね。
県民割、受けられるのですね!
志賀高原は一昨年、昨年と独自割引をやっていましたよ。
近隣提携ホテルの宿泊素泊まり+一日リフト券のセットが7000~8000円くらいの破格の値段で提供されていました。
さすがにあれでは収益ほぼ0だと思いますが、コロナ禍では志賀高原でもそこまでやらないとお客さん来なかったようです😪
今年も去年みたいに雪がたくさん降って、お客さんたくさん来ると良いですね。
悲しいですね!
以前はすべてのスキー場がオープンしていて、移動していくのが楽しみでした。
また、オープンしてくれる事を願います。
コメントありがとうございます。
志賀高原ほどネームバリューがあっても昨今の状況では苦労してますね😅
昔のように全部のスキー場で滑ってみたいですよね~
志賀高原💕
有名ですよね😳💕
そこがこんなに廃業されているとは😳💦
なんだか寂しいですね😢
でも自然が美しいですね😊✨
もうしばらくすると高い山が冠雪して
美しいでしょうね😊❤
コメントありがとうございます。
志賀高原でもこれだけ閉鎖しているのは僕も驚きでした😅
この辺りの自然はとても素晴らしいですね~
例年ですとだいたい11月中旬~下旬くらいに初雪が降ります。
もうすぐ今年も冬が始まりますね😁
私は志賀高原スタンプラリーをやっていた頃、石の湯は大昔に閉鎖されてましたから、笠岳、前山、木戸池を含む、志賀高原全てのスキー場を滑って制覇してます✌️
コメントありがとうございます。
昔はスタンプラリーをやっていたのですか!
それは楽しそうですね😄
昔、丸池観光ホテル(今は更地ですね)内に志賀飯店と言う中華料理があって、志賀高原へ行った時は昼に必ず立ち寄ってました。特に担々麺が美味しかった。
前山、笠岳、木戸池などなど懐かしいスキー場を取り上げてくださってありがとうございます。
前山は最大斜度30度のなかなかの斜面でした。笠岳は熊の湯が混んたときにエスケープゲレンデとしてよく滑りました。
木戸池は山頂からどちらにも滑り降りられる珍しいスキー場でした。
ロープウェイの車両はまだ保存されていたのですね。今度見に行きます。
コメントありがとうございます。
前山は最大30あったのですね!距離は短いですが一枚バーンの良い斜面に見えました😄
志賀高原は今年は雪が少なくここまで苦労しているようです。
志賀高原における私の常宿は長年にわたって熊の湯地区だったので、前山や笠岳では数えきれない程滑りました。特に前山は一日のラストで何度も何度も繰り返し滑ることが多かったですね。スピードも出るし良い練習コースだった。それに硯川から渋峠に行くときは前山のリフトを利用したほうが楽だったのでなくなったときは本当に残念でした。
木戸池と石の湯は他のスキー場と繋がっていないのでバブルの頃でも人が少なく、それ以降は特に苦しかったでしょうね。
コメントありがとうございます。
前山は宿泊施設も目の前ですし便利なスキー場だったようですね!
一度滑ってみたかったです😄
渋峠へ行くときに前山リフトを使うと楽だったのですか~
なるほど、そういう風にスキー場どうしが繋がっていたのですね。
木戸池と石の湯は昔から人が少なかったのですか。
確かにスキー場が孤立してしまっているので、志賀高原ですとどうしてもみなさん他のエリアへ行ってしまいそうですよね。
志賀高原の大半のスキー場はゲレンデが繋がっており古くから一体化したものと認識され親しまれていますが、木戸池と石の湯はそれぞれホテルのプライベートゲレンデのような位置付けでしたからね。元々リフト券で儲けようという発想はなかったと思いますが、90年代以降ホテル利用者も減少傾向になり、リフトを運行する体力がなくなったんだと思います。石の湯はとくに国道からかなり離れているし閉鎖の時期も早かったですね。
笠岳も両スキー場と似た位置付けではあるものの、熊の湯と行き来できるメリットがあり、しかも高速クワッドに架け替えたことで短時間で何度も繰り返し中斜面が練習できるという快適なゲレンデでした。でもホテル自体が破綻、なくなってしまったのが残念です。
あと前のコメで前山リフトを利用すると渋峠へ便利と書いてしまいましたが、横手山スキー場の間違いでしたね。ごめんなさい。
コメントありがとうございます。
あ、なるほど横手山ですね!
ホテルとゲレンデの経営が同じところはお客さんが来なくなると厳しいですよね~
今残っているところも大きな資本ばかりの気がします。
志賀高原のロープウェイ昔に乗りました。ロープウェイを降りてからももう一本シングルリフトに乗って高天原方面に向かいました。他にもスキー場は現存していてもリフトは減っています。一ノ瀬山の神スキー場も今はただの連絡コースになりましたがもう一面ゲレンデがありました。寺子屋も今のゲレンデの正面に小さなゲレンデがもう一面ありました。
コメントありがとうございます。
山の神スキー場は今とは違うゲレンデもあったのですか!
今は焼額へ行くためのゲレンデ‥という感じですよね。
寺小屋もそうだったのですか。
確かに滑ると正面にゲレンデのような斜面が見えるのですが、昔はコースだったのですね。
懐かしい。
仕事定職に就いてからスキーなんて実質暇なくてしなくなってった。
ただ 思いでの中 まだスキー場脳内に残ったまんまだから もうないと思うとさみしい
志賀高原に通って45年懐かしく見せて頂きました。有難う御座います。昨シーズン前山に樹木が生えたいたので裏のルートはも~滑って横手方面に行けないのか あ~あぁて感じでした。
コメントありがとうございます。
以前は前山から横手方面へ行けたのですね。
渋峠からあのあたりまで繋がっていたらかなり広いゲレンデだったのでしょうね~😄
グリーンさん、美味しいですよね。
コメントありがとうございます。
近くへ行ったら寄ることが多いですね~😄
毎年チャレンジマスターをクリアしていたので懐かしいですね~。以前はクリアするとTシャツや盾をもらえましたね。
今でも持っています。石の湯には苦い思い出がありまして、チャレンジマスターの判子を貰うために行ったらグサグサの雪で、ゴムチェーンを付けたカローラFX(4人乗ったFF車)が急坂を登れなくなり、金属チェーンに履き替えても駄目。ボンネットに同乗者3人乗せてバックで走らせ、なんとか脱出出来ました。結局一時間半ほど掛かってしまい、その日の予定はクリア出来ませんでした。トホホ・・ その後四駆が普通に登って行って羨ましかったなぁ。
志賀高原は一番好きなスキー場で毎年東京から行っています。皆でたくさん滑ってスキーを盛り立てましょーー!
コメントありがとうございます。
スタンプラリーはチャレンジマスターというものだったのですか!
景品をもらえたのは良い思い出ですね~
石の湯の運転は大変でしたが良い思い出となったのでしょう😂
僕が志賀高原で滑り始めたときはすでにスタンプラリーはなかったのですが、復活してくれないですかね~
懐かしい。前山のリフト横は一枚バーンの滑りやすいゲレンデでした。
コメントありがとうございます。
前山は下から見上げるだけでもいいゲレンデに見えましたね~
斜度は結構あったみたいですね!
撮影・編集センスが素晴らしく見ていてとても心地良いです。
チャンネル登録させて頂きました。
コメントありがとうございます。
ご評価有難うございます、見やすい映像をお届けできていたら良かったです😄
チャンネル登録もありがとうございます。
笠岳スキー場は1980年代によく行きました。笠岳スキースクールにはその頃まだ一般的ではなかったモーグルの元全日本チャンピョンの方が副校長で在席していましたね。
コメントありがとうございます。
そうだったのですか、笠岳にスキースクールもあったのですね!
1980年に大学に入学し、結婚するまでの10年間は志賀高原にかよったものでした。紹介して頂いた閉鎖スキー場の他にも一ノ瀬スキー場と焼額山を結ぶコースがありました。現在でも一ノ瀬スキー場と焼額山を結ぶコースがありますが、もう一つあったのを覚えています。
ダイヤモンドの奥の山の神ゲレンデでしょうか?
ヤケビへ移動する通り道の印象しかありませんが、バブル期でも喧騒から離れたスキー場でした。
静かなゲレンデという事ならファミリーと高天ヶ原の間のタンネの森が好きです(ホームゲレンデでした)。白樺林の中のコースで定宿の裏口の目の前だったので便利でした。
@keybiscayne1117 さん
コメントありがとうございます。
一の瀬と焼額山スキー場を結ぶコースは昔もう一つあったのですか、それは知りませんでした!😄
@荒木務 さん
タンネの森はツリーランを楽しめるいいスキー場ですよね~
近年閉鎖日が多いのか、行っても滑れないことが多い気がします。
僕が平日しか行かないからかもしれませんが‥😅
スキー場がリゾートになるのは、車山高原で、体験しました。
シニアになった今でも、また行きたいです。⛄
車山、僕は長野にいながらスキー場にまだ行ったことが無いのですが、いいところですよね~
開けているので眺望が良く、あのあたりは晴天率が極めて高いのでいつ行っても晴れていそうです。
機会がありましたらまた長野へ遊びに来てください😄
寂しいね。何度か行ったことあるけど、雪質最高です。遠いのが難点です。バブル時代を知っているだけに残念!
コメントありがとうございます。
志賀高原は締まった良い雪ですよね。
昨今のコロナ問題や不景気のためか、お客さんは年々減っている気がして寂しい限りです😪
グリーンのカニクリームコロッケ美味しいですよねぇ。ドライカレーも捨てがたいし、パスタもそばも美味しいし、毎年何食べるのかめっちゃ迷います笑
コメントありがとうございます。
グリーンさんは出来合いではなくしっかり作ってくれるので何をいただいても美味しいですよね😋
迷う気持ちは分かります。
グリーンさんのカツカレーは絶品でした!
子供の頃、よく家族旅行で志賀高原にスキーに連れて行ってもらった時、確か90年代前半ですがパンフレットなどに、22のスキー場が有る。と紹介されてたと記憶しています。数年前に久しぶりに行ったら18のスキー場に減ってたと…
志賀高原みたいに有名なリゾート地でも、スキー人口の減少は切実で、ホテルからのアクセスや、コースの状況から営業を終えたスキー場が有るんだなぁ…としみじみ思いました。
横手山や硯川なども経営が苦しいと聞いたことが有りますし。
志賀高原だけじゃなく、北志賀の竜王や、白馬の岩岳などもいろいろ夏場の営業施策を打ち出しているし、シーズンを問わず継続して観光客を呼び込んで、これからも魅力有るスキー場として営業を続けて欲しいです。
コメントありがとうございます。
志賀高原ぐらいネームバリューがあってもお客さんの減少は年々きつそうです。
そしてここ2年はコロナの影響でさらに厳しそうでした😪
今はまだメインどころのスキー場はほとんど残っていますが、数年後はどうなっているか分からないですね。
閉鎖スキー場が少しずつ増えてもなんら不思議ではありません。
そのくらいお客さんがいないですね‥
昨今はグリーンシーズンも注力するスキー場が増えましたね。
志賀高原ですと、熊の湯は夏の間はキャンプ場として営業していたりします。
晴れれば満天の星空や天の川も見えますし、朝晩は涼しく過ごしやすいので積極的に展開すれば良いと思うんですけどね。
利権問題とかでなかなか進まないのかもしれません。
岩岳のヤッホーブランコや竜王の雲海、グランピング施設なんかも頑張っていますよね~😄
せっかく大自然の中にあるのですからうまく活用すればいいのになと感じます。
@@syuntabi
お返事ありがとうございます‼️
私も遠方ですが、魅力を感じたら、実際に現地に遊びに行っていろいろ体験して応援したいです。
発哺あたりはほぼ廃墟群ですね。
歴史のある名湯なのに😢
@荒木務 さん
そうですね、発哺温泉周辺はいまや見る影もないですね‥
冬季の気温が低すぎるのもありますが、志賀高原のスキー場は、焼額(プリンス)を除いて、初めて訪れる「日帰り」のお客には、駐車スペースやトイレの案内が、少ないのが特徴で、良くも悪くもツアー客&宿泊客頼り。 若い新規顧客獲得は難しい分、日曜の午後は貸し切り感覚で、極上パウダーと温泉を楽しめます。
コメントありがとうございます。
なるほど!確かにそうかもしれないですね。
僕も最初に遊びに行ったときは案内が少なくてよく困りました。
しかし雪質とゲレンデは最高なので、あくまでも「来たいなら来ればいい」というスタンスなのかもしれません。
集客を頑張っているスキー場と比べますとそれは特に感じますね😅
自然の回復力は凄い ゴルフ場などで自然を壊しても10年放置すれば元の森に帰る
スキー場も10年放置すれば痕跡も残らず 自然の回復力は凄い
僕も現地を見て驚いたのですが、閉鎖して手入れをしなくなると森に戻るのですね。
石の湯は外から見ると、ここにスキー場があったとはわからないような感じでした!
笠岳には1970年代半ばから7〜8年ほどは、毎年通っていました。平床バス停とスキー場の間にあった宿に3泊ほどするのが常。朝にリフトで上がって熊の湯や横手山に行くことが多かったですが、笠岳自体も小さいながらもバリエーションがあって楽しめました。
90年代にその常宿が閉鎖となり、それから足が遠のいてしまいました。
当時は道具は全部担いで、上野を0時前後に出る急行妙高や信州に乗り、網棚にスキーをぶら下げて長野へ。湯田中からのバスは熊の湯行と奥志賀行が3台ずつ走る、そんな時代でした。
コメントありがとうございます。
当時は上野発の夜行列車があったのですか、それは知りませんでした!
湯田中まで電車で来てそこからバスで行けるなら、時間はかかるかもしれませんが都心からもアクセスが良かったのですね。
平床の辺りはいまは建物がすべてなくなってしまったようですね。
前山は初心者には厳しいですね。中急斜面の一枚バーンでポールトレーニングに使っていました。
笠岳は熊の湯のスクールが修学旅行のレッスンでよく使っていましたね。
木戸池はヤマボクへのツアーコースの起点でオフピステを好む友達が良く滑りに行っていました。
志賀高原の入り口近くに安奈平と名前を忘れましたがレース専門の様なスキー場がありました。渋温泉から少し上がったところです。もし見つけられたら行ってみてください。
コメントありがとうございます。
なるほど、前山はポールのコースだったのですね!
笠岳は初級者レッスンにはちょうど良さそうな山ですね~
木戸池からヤマボクへのツアーがあったのですか!今もあれば人気ありそうですね😄
安奈平とは初めて聞きました、教えていただいてありがとうございます!
渋温泉の少し上はかんばやしのスキー場ですかね。あそこも閉鎖したと聞きました。
一枚バーンって記憶は有るが、急斜面って記憶は無い。
私はプルークボーゲンの頃に滑ってましたよ。
まー当事は八方黒菱の40度越えの斜面にも滑りこんでいたけど・・・
急斜面の定義が曖昧ですが、上から下までほぼ斜面変化なく25度強位だった様に思います。
ポール練習に使った位ですから30度はなかったかな。
みなさんレベルが様々なので、急斜面の解釈も人により様々ですよね😅
石の湯スキー場は石の湯ホテルの目の前にあったような記憶があります。
それにしても、志賀高原から無くなってしまったスキー場がかなりあるのですね。
丸池の志賀高原ホテルは昔は志賀高原で一番格式の高かったホテルですね。今見ても雰囲気がありますね。 今では良いホテルがある場所と言ったら奥志賀高原に移ってしまいましたが。
発哺温泉に向かう蓮池のロープウェイ乗り場が今でもきちんと保存されいるのは初めて知り驚きました。今回も面白い動画ありがとうございました。楽しく見ました。
コメントありがとうございます。
そうでしたか、石の湯ホテルの目の前だったのですね。
今は現地へ行ってもゲレンデの形跡が無く、場所はいまいち分かりませんでした😅
志賀高原ホテルは歴史資料館の横に今も当時の部屋が一部そのまま保存されているのですが、実際に使われていた西洋のアンティークも置かれていたり格調高さがうかがえます。
旧ロープウェイも志賀高原の大事な資産として今後も残ってほしいですね😌
もう70才です 志賀高原は思い出一杯
学生の頃は大スキーブーム 学生主催のスキーツアーのインストラクターで毎週大阪から行ってました 時効ですがぼうホテルの大浴場のお湯の噴き出し口から湯量が少ないと女子風呂が見えるとかw リフトじゃ無くバスに乗って上がって半日かけて皆を連れて志賀高原ツアーとか 地獄谷温泉も猿が来るかもって時代でした
初めまして。還暦スキーヤーです。懐かしいスキー場です。前山は練習したい時。木戸池、笠岳はのんびりしたい時よく滑ってました。特に木戸池、笠岳は静かでほんとのんびりしてましたね。まだホテルはやっているのでしょうか。
熊の湯第一から滑り込めるのも便利でした。
コメントありがとうございます。
それぞれ滑った経験があったのですね!
木戸池のホテルはいまも営業していますが笠岳は何もなくなっていまして、他の視聴者さんからいただいたコメントを拝見しますとずいぶん前に宿泊施設が無くなってしまったみたいですね。
木戸池は志賀高原では混まずに穴場的存在だったのでしょうね。
自分は初めてのスキーが一の瀬だったので、志賀高原に対する思い入れはチョイ他と違うんですが(基本ヤケビ・奥志賀が一番好きです)🎿
本州スキーヤーの聖地志賀高原でもここまで閉鎖したスキー場があるとは知りませんでした(๑•́₋•̩̥̀๑)
コメントありがとうございます。
初めてのスキーが一の瀬ですか!それは羨ましいですね~
やけびと奥志賀は僕も大好きです😄
志賀高原は閉鎖したスキー場はいくつかあったのですが、どこも比較的小規模のゲレンデだったりリフト1つのスキー場が中心で、現状そこまで目立つ感じでもないようです。
その後気になったので少し調べてみたのですが、白馬とか湯沢のほうがよほど大きなスキー場が潰れていまして、志賀高原なんかよりはるかにやばい状況だなと感じました💦
横手山~焼額山まで、リフトに乗ってはスキーで降りしながら、1日中、滑った昔が懐かしいです。今は途中のゲレンデが無さそうでそういうツアーはできないですね。
コメントありがとうございます。
僕もすべてのゲレンデが繋がっていた時代は知らないのですが、みなさんからのコメントを拝見しますと昔は楽しかったようですね!
横手山から奥志賀までリフト乗り継いで、トラバースしながら滑るだけでも一日が終わりそうですよね😄
@@syuntabi さま スキーツアーは片道だけでした。帰りはバスで熊の湯に戻りました。
なるほど、そうですよね!
往復は時間的に難しそうですね😅
懐かしい。先シーズン、20年ぶりに志賀高原に行って、スキー場が少なくなっていて驚きました。
前のコメントにありますが、自分はスタンプラリーをして、93年シーズンのチャレンジマスターの景品をもらいました。
コメントありがとうございます。
そうだったのですね!スタンプラリー、やってみたかったです😄
シャトルバスで奥志賀下車〜木戸池、蓮池までリフト乗り継ぎスキーで、来たのが懐かしいなー。熊の湯、横手山はスキーを履いては行けなかったですよね!
コメントありがとうございます。
中央エリアの端から端まで滑るのは一度はやってみたいですよね~😄
熊の湯や横手山は車かバスでないといけないですね!
全山共通券を買っても広すぎて一日では回り切れないですよね~😂
懐かしく見させていただきました。当時志賀高原ホテルは高級で、若い頃には宿泊できるような所ではありませんでした。このホテルが見えるともうすぐ到着の合図。もうないんですね。
その頃は、朝イチでバスで行き、横手まで上がり、そこから熊の湯を経て半日かけて道なき道の山の中をスキーで縦走し、木戸池のリフトを利用したりして、ジャイアントの麓の宿までプチスキーハイキング。仲間とワイワイ楽しんだ記憶があります。
石の湯も滑りました。
もうスキー場の名残もないなんてちょっと寂しいですね😂
でも、相変わらずジャイアントやブナ平、一ノ瀬など前と余り変わりないようで安心しました。
寺子屋が土日だけ営業のようで、やっぱりそうかなと。スキーブームの時も比較的空いた場所で良く行きました。狭くて少し滑りにくい印象がありました。
あの素晴らしい景色と雪質、志賀高原ブラボー❗️
配信ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
そうでしたか、志賀高原ホテルは写真で拝見すると確かに風格を感じたのですが、当時から高級ホテルだったのですね。
他の方のコメントも見させていただいたのですが、1970年代は横手山から山の駅まで全部滑りながら移動できたそうですね。
距離が結構ありますが大自然に触れながら滑れたら楽しそうです😄
石の湯も行かれたのですね!
今はもう何も無く、当時の状況を伺うことは残念ながらできませんでした。
今は大きなゲレンデと、そこに派生するスキー場だけが営業を続けていますね。
寺小屋も他と比べると小さいスキー場ですが、雪質も斜面も良く最高で、週末のみの営業が残念です。
もし機会がありましたらまた遊びにいらしてください😄
@@syuntabi
コメントありがとうございます。長野県が好きでいつかは住みたいと思いながら、多分そうはならなそうです😢
奥志賀のダウンヒルを休まず一気に降り、太ももぱんぱん。今は懐かしい若い日。岩岳、八方、菅平、黒姫、今はどんなでしょう。
これからも、冬だけでなく信州の魅力を発信してください。
コメントありがとうございます。
奥志賀のダウンヒルはなかなかの斜度で距離も長いですよね~
僕は逆に昔の長野県を知らないので、移住してきてからあちこち出かけて楽しんでいます😄
これからもいろんな時期の名所を動画でご紹介できれば幸いです。
一ノ瀬のスクールで20年スタッフやってました。
志賀高原、もう少し広域で見ると湯田中のごりん高原や長野オリンピックスノーボード会場の上林温泉スキー場、志賀草津道路入ってちょっと行った所に安南平スキー場がありましたね。
ごりんと安南平は現在まともな道もなく行けませんが…
コメントありがとうございます。
そうでしたか、麓の方のスキー場は知らなかったのですがいくつか閉鎖となっていたのですね。
ごりん高原とは全く聞いたことがありませんでした。
上林温泉にもスキー場があったのですか。情報ありがとうございます!
機会がありましたら行けるところまで見に行ってみたいと思います😄
オーストリー❓カメラード❓ビアンカ❓
エーデルワイス❓若林❓パラレル❓SAJ❓
おいらお世話になったかもぉ😁
次田アルパイン❓アールベルグ❓
@@yukihide6847 私は若に20年おりました。
当然周りの当時のスクールスタッフはほとんど知ってますよ😁
今のジャパンの校長とはほぼ同期です。
@@tocoro3 次田さんまだ元気なんでしょうか?😅
日本ではあまり有名ではありませんでしたが、ヨーロッパではそこそこ名の知れたガイドでしたね😊
アールベルクは高天ヶ原ですね。今は西館山スイスインのスクールになってます。
前山は雪崩が原因で営業停止したんだよなー。
前山が無くなって、熊の湯と横手山が分断されて、
それぞれ小規模ゲレンデになった様な気がする。
コメントありがとうございます。
雪崩ですか、そういうこともあったのですね。
前山スキー場があったときは横手山の麓がこのあたりまで広がっていたのですね。
前山は何度か滑ったことがあり、なかなかの急斜面。リフトはサマーリフトとして残ってるし、雪も付くので、熊の湯で滑ってるときに確認できますね。笠岳は、かつてはホテル(笠岳ホテル)もあって、一度利用したことがあります。木戸池は通過のみですね。
コメントありがとうございます。
前山は冬は素通りしていたのであまり見たことが無かったのですが、来シーズンは観察してみようと思います😄
笠岳は近くにホテルがあったのですか。
それなら笠岳からのぼって熊の湯方面も行けたのですね。
夏の週末に動くリフト 初めて知りましたわ
長野のスキー場はグリーンシーズンになるとハイキングやトレッキングで営業するところも多いのですが、志賀高原の前山はスキー場が閉鎖となったにもかかわらず観光リフトだけが動いている特殊な場所ですね😄
湯田中温泉から直に上がれた「ごりん高原」は計画では、焼額山までつながってとてつもないロングバーになるはずだったんですよねぇ
コメントありがとうございます。
そうなのですか!
ごりん高原というスキー場は最近まで知らなかったのですが、もしやけびと繋がっていたら凄いことになっていましたね!😄
スキー場と関係ない事ですが、東京から移住されたということで、長野市で生まれ育った者として、選んでくれてありがとう
コメントありがとうございます。
はい、東京から自然を求めて長野へ移住しました!
長野はとても良いところですね😄
毎日心穏やかに過ごせます。
東京は僕の体と心には辛い環境でした💦
37,8年前の記憶ですが、ジャイアント(奥志賀への分岐)と木戸池の間に、小さなスキー場が2ヶ所くらいあったような。泊まりはジャイアントそばだったので、横手山に行くため車移動。その時、窓から小さなスキー場を見て、滑る人いるの?と思うほど人はおらず、シングルかペアのリフトが動いてたような。
今シーズンも、志賀には行っときましょ。
コメントありがとうございます。
奥志賀への分岐と木戸池の間ですか!
今はスキー場は何もないのですが当時はスキー場あったのでしょうか、僕のリサーチでは見つけることはできませんでした😅
今シーズンも雪が多いと良いですね~
多分スキー場としては無かったと思いますよ。
でも、横手方面から丸池方面に滑って戻る人は、道路の横の林の中を滑ってましたから、その様な人だったんではないでしょうか?
@荒木務 さん
そうでしたか、情報ありがとうございます!
林の中を滑って行けたのですね~
最近は毎年のように志賀高原にスキーに訪れています。30年程前に訪れた時はスタンプラリーがあって、今より沢山のリフトがあったような…と思っていましたが、閉鎖されていたのですね。今もあるリフトやゴンドラも大分古い感じがします。スキー人口も減っているので仕方ないですが、魅力のあるスキー場ですので今ある所は残って欲しいと思いました。
コメントありがとうございます。
昔の志賀高原のゲレンデは今より広かったようですね。
僕もスタンプラリーをやってみたかったです😄
スタンプラリーで盾をもらいました。
スキー場が閉鎖されても、思い出のゲレンデは芝生のまま残るような気がしてましたが、跡形もなく消えてしまうとは。
当時の「全国スキーゲレンデガイド」を、もう捨てようかと思っていましたがやめます。
滑りなじんだゲレンデが、もはや雑誌の航空写真の中にしか残ってないと思うと感慨深いです。
いつも楽しく動画を拝見しております。
配信ありがとうございます。
20年以上、毎シーズン志賀高原に通ってますが笠岳と木戸池と前山の他にも消えてしまったスキー場があったのは知りませんでした。
昨年の夏は石の湯にゲンジボタルを見に行ったのですが、ちょうどあの付近にスキー場があったのですね。
蓮池のロープウェイも何度も乗りました。発哺からゴンドラに乗り継いで東館山に行ったり高天ヶ原に宿泊していた時は発哺から連絡用のシングルリフトに乗って宿まで帰ったのですが、そのリフトが板を履かずに手に持って乗るようになっていて、とても乗車しにくくて怖かった記憶があります。そのシングルリフトが通るすぐ隣の森がサルの住処らしく木々にとても沢山のサルがいてビックリしたのも今では懐かしい思い出です。
コメントありがとうございます。
そうでしたか、毎年志賀高原へ通っていらっしゃるのですね。
僕も長野市民で志賀高原はそれなりに行く方なのですが、それでも石の湯スキー場などはまったく知りませんでした😅
そうです、ちょうどゲンジボタルの鑑賞ポイントの近くですね。
今はもう何もスキー場跡が無かったので、残念ですが当時の様子を伺い知ることはできませんでした。
以前のロープウェイも乗られていたのですね。
発哺にはシングルリフトもあったのですか、それは知りませんでした。
あのあたりも宿が多い場所ですが天狗の湯の食中毒事件があってからは営業が細り、いまはどこも廃墟となってしまったようですね。
30〜35年前は毎年行ってました。奥志賀のスキー合宿、一の瀬、熊の湯も行きました。多分前山ゲレンデも滑ってます。渋峠も。
スタンプラリーは記憶ないです。
ゲレンデの連絡が悪いと言う人もいますが、昔は奥志賀のゴンドラから丸池まで行けました。凄いと思いますが(逆はシンドイです😅)今はどうなのでしょう?また行きたいです😊
コメントありがとうございます。
今も奥志賀から丸池までリフトを乗り継いで行けますよ~
結構距離がありますよね😅
また機会がありましたらどうぞ遊びにいらしてください!
石の湯スキー場は石の湯スキー学校の専用ゲレンデの様でした、チャレンジカードのスタンプを押してもらう為に一度だけ行ったことがありました。
若い時60年前硯川ホテルに泊まり前山滑りましたがリフト横は急傾斜の上級者向でしたよ
コメントありがとうございます。
そうでしたか!結構な斜度があったのですね~
過去に雪崩もあったとのことだったので、急だったのですね。
前山と木戸池は滑った事無く、他の場所は聞いた事もありませんでした。
大体、横手渋峠か熊の湯に行ってしまいますよね。ロープウェイは何度か乗った事ありましたが、ジャイアント降りてリフトやゴンドラ乗り継いで寺子屋目指してました。
コメントありがとうございます。
僕も気になり調べてみるまで全く知らないスキー場が多かったです😅
石の湯スキー場とか、行ったらもう完全に森に戻っていましたし‥
メインどころは今も全部営業しているので、それで目立たないのかもしれないです。
旧ロープウェイはむかし志賀高原の道路が今ほど整っていなかったときは大活躍していたそうですね!
@@syuntabi 殿
志賀高原全山のスキー場(奥志賀、焼額)の中で部分的にリフト🛗を閉鎖したコースもあるみたいで寂しく思いますが、若い時ほど行かなくなってるので、いたしかたないです。国土開発が焼額に開発進めた時はかなり地域での反対があったそうです。
全体的に電鉄が切り開いたと言う人もいますが、
和合会がやっぱり強いようですね。
そうですね、ここ数年はコロナ禍もありお客さんがいないなかでの営業なので長期的な運営は心配になりますね。
和合会はなかなか外の考え方を受け付けないようですが、良くも悪くもというところでしょうか。
外からの資本やアイデアを受け入れ発展している白馬などとは対照的に感じます。
しかし古きよきものは守られている印象もありますので、あとはお客さんがどちらを選びたいか、という問題でしょうか。
@@syuntabi 殿
似た考え方だと野沢温泉街♨️は大手のコンビニ🏪受け入れ無しです。財産を外に出さない考え方なんです。1つの巨大なお店なんです。
そうですね~野沢温泉は今も街中にデイリーヤマザキ?が1軒ですよね😅
それぞれ開発の方向性の違いなのでしょうね。
野沢温泉もコロナ前は外国からのお客さんが多かったので、街中は景観を崩さない形で少しずつ外からの資本が入ってきていますね。
地ビールブルワリー里武士さんとか、あと最近はカフェやホステルも増えたように感じます。
志賀高原は和合会のおかげかそういう資本をほぼ見かけませんよね~
このあたりゲレンデ食がとても分かりやすく、今も昭和で時が止まったままのところが多い印象です😂
志賀高原は雪質が良いし巨大リゾートなのでそれでもお客さん来ますが、今後暖冬となり雪質が悪くなった時にどうなるかは個人的に注目しています。
志賀高原ホテルの裏のゲレンデは自分が子供の頃初めてスキーした場所だったので、懐かしいです。70年代には閉鎖されてたと記憶します。ホテルの拡張に伴い、ゲレンデ下部がアクセスできなくなったのが直接要因だったかと。京都ホテル系列で格式あるホテルだったのですが、廃業となってしまい淋しい限りです。
コメントありがとうございます。
そうだったのですか、あのゲレンデは結構昔に閉鎖されていたのですね。
歴史資料館とは別にホテルの中も一部保存されていまして当時のようす伺い知れたのですが、置かれていた調度品や壁のつくりなど確かに格式ある感じを受けました!
今はなき志賀高原ホテルの裏山のスキー場、たしかゴルフ場ゲレンデと言われていました。このリフトに乗ると志賀高原ロープーウェーに丸池から歩かずに乗ることが出来ました!1960年代前半にはこのスキー場は健在でした。
前山スキー場上から木戸池スキー場までシルバーコースというコースがあり、さらに田の原を抜けて法坂スキー場(サンバレー)の頭までスキーで行くことが出来ました。1970年代のことでした!
コメントありがとうございます。
そうでしたか、そういう感じだったのですね。
ということは以前は奥志賀から横手山・渋峠まで全部滑りながら移動できたのですね!
僕が移住して来た頃にはすでに横手山と熊の湯は孤立していて毎回車で移動しなければならず位置関係的に不思議だったのですが、もともとそういうコース設計だったのですか。
教えていただきありがとうございます😄
前山から木戸池にツアーしました😮
1979年から3シーズンほど、熊ノ湯・横手山でスキースクールのコーチングスタッフをやっておりました。とても懐かしく拝見しましたが、ゲレンデの閉鎖やリフトの撤去というものは時代の趨勢とは言え切ないものがあります。
丁度インターシー(世界スキー指導者会議)が蔵王で開催され、その参加国の数チームが志賀高原へも来て、笠岳ゲレンデでスイスチームだったかと一緒に滑った記憶があります。
他の方も書かれている様に、前山ゲレンデは雪の降り方によっては雪崩が起きて、下のホテルにも被害がありました。でも石ノ湯のとなりの、ゴルフ場ゲレンデは知りませんでした。
コメントありがとうございます。
現地で働いていらっしゃったスタッフさんでしたか!
確かに時代の流れ以外にも様々な要因がありますよね。
志賀高原でも小規模のゲレンデはさすがに経営が難しかったのかもしれません。
最後のサンバレーの最南端のゲレンデも閉鎖になったので出してほしかった。シングルリフトで長野市内が見えていたことろ。また、旧料金所から少し上がったところにあった阿南スキー場も閉鎖になっているので紹介してほしかった。ゴリン高原スキー場も閉鎖になったはず。ここは連絡コースしかない酷いスキー場だった。丸池といえば丸池Aコース。あまりの急なコブ斜面に監視小屋までたっていたことろ。
コメントありがとうございます。
安南平スキー場のことですかね?!
他の視聴者さんから教えていただいたのですが、いまもうアクセスできる道が無いそうです😅
崩落か落石かでそのまま通行止めになっているようです。長野では災害で復旧できない道が良くあります。
丸池Aコースは有名ですね~
スキーを始めた頃に熊の湯に連れて行ってもらい道を挟んだ向かいのリフトに乗った記憶が有ります。かなり急斜面で初心者にはきつかったので裏の緩い斜面をぐるっと回っていました、それが前山スキー場かな。(記憶が曖昧です)
昨シーズン行ったときは蓮池(丸池もかな?)のリフトが動いていませんでした、土日祝日のみの営業らしい。ここが閉鎖になるとサンバレースキー場が孤立してヤバイような気がします。それと寺子屋スキー場も土日祝日のみでした。
コメントありがとうございます。
そうですね、それが前山ですね!
いまも裏の緩い斜面は残っていまして、お池巡りするときの通行路となっていますよ😄
そちらが初心者コースとなっていたみたいですね。
そうなんですよね、コロナでお客さん減った影響か近年の志賀高原は曜日限定の営業スキー場も多くなりました。
寺小屋も週末のみで寂しいです。とてもいいゲレンデなのですが‥
温暖化による雪不足、電気代の高騰、不景気でお客さんがなかなか来ない、、と相まって営業スキー場がどんどん縮小している傾向にあります😪
ふと、つわものどもの夢のあとを思い出す スキーブームのころはリフト乗るのに2時間待ち
正月にいこうものならゲレンデは渋谷スクランブル状態 食堂は足の踏み場もない
リフトなど3本乗れれば御の字 スキー場の従業員もえばっていた
異常事態というのは過ぎ去ってから気が付く
資料館に寄ったときにスタッフさんがそんなお話をされていました!
志賀高原も昔はリフト2時間待ちだったそうです。凄い時代ですよね~
僕は今しか知らないですが平日しか行かないこともあり、10分も並んだら「今日は混んでるなー」と感じます😅
ブームの時のスキー場も一度見てみたかったですね!
レストランもぼったくり商法 すたれていくのは当然の結果
ブームは終わりましたねえ 私をスキーに連れてっての原田知世の映画がスキーブームの最盛期でしたな
志賀高原といえば私をスキーに連れてってですね!
撮影で使われたスキー板が横手山のふもとのレストランに今も飾ってありますよ😄
笠岳ホームゲレンデでした。見る影もなく寂しい限りです。
コメントありがとうございます。
そうでしたか!笠岳はそこまで大きくなさそうですが良い斜面に見えました。
こんにちわ、前山スキー場前にあるホテル?も廃業したんでしょうか?
いつもコメントありがとうございます!
目の前の硯川ホテルは今も営業していますよ😄
志賀高原周辺のホテルで廃業したところはあまり聞かないですね。
近年のコロナ禍の影響は強いので、数年後はどうなっているか分からないですが‥
@@syuntabi いや徐々に廃業しているでしょ。
私の常宿だった一の瀬そうも廃業しました。
あの付近もポツポツと営業して無い宿が有りますよ。
@@栄健
そうですね。この数年結構廃業しているようです。
以前宿泊したホテルの支配人の話では、
廃業したホテルを新たに運営する人(又は会社)を宿泊業組合で公募していると言ってましたけど、
その後どうなんでしょうか。
私の常宿だったブナ平ロッジも数年前に廃業して、
現在は毎回違った宿を利用しています。
あそこはゲレンデまで0分、
と言うかゲレンデの真ん中にあったので便利だったんですけどね。
@栄健 さん
そうでしたか!
見た感じ大きなホテルは変わりなく営業されているようなので分かりませんでした。
僕はいつも日帰りで宿泊はしないのですが、近年のお客さんの入りを考えると今後は廃業が進むのかもしれないですね。
パレスホテルは横手山スキー場を買い取り元気に営業。
志賀プリンスホテルは廃業。一平壮は微妙。ホテル喜楽は名前が変わってリニューアル営業中です。
志賀高原に限ったことではないですが少子化によりスキー修学旅行が減ったので大規模ホテルはたち行かなくなりました。
またスキー人気もだださがりで、スキーインストラクターになる若者もいません。インストラクターの平均年齢は高齢化する一方(笑) スキー業界が長野オリンピックの頃に戻ることを期待したいです。
ロープウェイは、朝にとんでも無く並んだ記憶しか無く、あまりイイ思い出は無いですわ。20年ぶりくらいに志賀高原に行きましたが、あれ?こんなに各スキー場の移動が不便だったけっけ?と思いました。
スキー場巡りが志賀高原の楽しみだと思ってたので、残念です。
なるほど、昔はロープウェイの行列もすごかったのですね~
志賀高原で全山楽しむなら今は車で行かないと移動が不便ですね🚙
営業しているスキー場は今後も頑張ってほしいと思います。
志賀高原の雪質は良いが、リフト等の設備が悪くて宿泊施設も合宿所が多く余り良い思い出がない
それでも最盛期はものすごい賑わいだった
コメントありがとうございます。
昔はゲレンデ間のアクセスも悪かったという話はよく聞きました。
リフトの設備も良くなかったのですね😅
運営会社が旧態依然で有名なので、志賀高原は不便だけどそれでも来たいなら来ればいい!という感じだったのかもしれません。
丸池なくなっていたのですか。
あのAコースが!
コメントありがとうございます。
丸池はまだありますよ😅
勘違い。良かったです有難う
ちょっとした廃墟探検隊の気分でしたね、ドキドキ。
それにしても昭和の観光地を含めスキー場も寂れてたところが多いです。総人口の減少か、趣味の多様化なのかわかりませんが、所詮ブームなんなんでしょうかね?
そうですね、空が暗い時に撮影したら完全にホラー動画ですね‥😅
昭和のスキーブームはすごかったそうですね。
ピーク時はスキー人口が1,500万人を超えていたとか!
いま300万くらいだそうなので、そのころに比べたら1/5でしょうか。
人口減少も趣味の多様化も両方ありますよね。
あとは若い人が車を持たない(不景気で持てない?)時代となったのも大きいと思います。
公共交通機関もあることはありますが、やはり山へ行くなら車がないと現地でいろいろ不便ですからね~😪
@@syuntabi
スキーブームの頃はまだ高速道路が整備されておらず、マイカーで行くより夜行バスかシュプール号(国鉄!)が主流でした。
私は関西在住ですが、当時は志賀高原まで片道10時間ぐらい掛かりましたから!
なにせ中央道は中津川までしかなく、長野県内は全て下道(R19,R18)です。夜行バスなどは日本海周りなんてのもありました。
それでもハイシーズンにはどこもかしこもリフト待ち1時間!
なんと我慢強いこと!
リフトを乗り継いで移動するのが志賀高原の魅力だったので独立位置の小規模のゲレンデは愛好者人口が激減した現在は致し方無い。地元でも大手に食われて閉鎖したスキー場も有る位だから。
コメントありがとうございます。
そうですね、志賀高原といえども小さいゲレンデはさすがに経営が難しかったのでしょうね。
木戸池・笠岳スキー場の存在は知っていましたが、熊の湯スキー場の裏側にありましたが滑った事はありませんでした。目と鼻の先距離でしたが滑ろうとも思いませんでした。木戸池にホテルがありましたが、熊の湯の宿が予約出来なかった時に何度か泊まった事があります。石の湯スキー場は存在は知っていましたが離れているので行った事はありません。前山スキー場は横手山スキー場に行った時に何本か滑りました。その時は新雪が50㌢積もっていて空いていたので楽しかったですね。主に熊の湯スキー場をメインに滑っていました。学生時代に一番多く滑ったスキー場でした。
コメントありがとうございます。
少し離れた場所だったりコースに魅力がないとなかなか滑らないですよね😅
志賀の廃ゲレは、ABの暴力事件直後のクリーンイメージ大作戦という初夏の植林イベントを県が志賀でやると引き受けた事で、他の地域の廃ゲレより森林化が早いです。毎年やってるから植林地確保しないといけないんですよWWW管理は地元に放り投げ
コメントありがとうございます。
なるほど、それで近くに海老蔵さんの碑が立っていたのですか。
なんでこんなところにこんなものがあるのだろうと思っていて、良くわからなかったので動画では触れませんでしたが謎が解けました😂
管理は地元に投げているんですか‥
イメージアップになっているんだかダウンなんだか分からないですね。
ほう、廃ゲレンデ周りですか あと少しでチャンネル登録1万
いつもコメントありがとうございます!
今回は実験的に少し趣向を変えて動画を作ってみました。
こういうのも長野のありのままの自然かな、と思いまして😄
1万人もうすぐですね!ありがたいです~
エコーバレースキー場の食堂で食事中の男の人の頭の上に混雑していてつまずいた女性のカレーライスが
頭からかかる 悲惨な事件を目撃 ひゃあ~( ゚Д゚)
そんなことが!!
そういうのも含めて旅の思い出ですね~😅
石の湯が忘れ去られてしまった
コメントありがとうございます。
石の湯はゲレンデの姿かたちが完全に分からなかったですね!
うーん、前山リフトの両側が一枚バーンとなっていて初・中級者には滑り易いスキー場だったんだがなー・・・
コメントありがとうございます。
そうだったんですね!
斜面を見るときれいな感じで、僕も滑ってみたかったです😄
ボーリング場と同じ運命。
コメントありがとうございます。
そうかもしれないですね😅
ボウリング場も結局中小の古き良きセンターがどんどん無くなり、ラウンドワンのほぼ一強となりました。
泊まりが基本でありそこそこお金がかかるウインターリゾートは貧困化した日本人には無理になってきました。
40年前より税込み所得低くなったうえに社会保障費含めての税率は所得の半分です。
しかし・・・実は超高額所得者にとっては保険料は頭打ちになってますからあまり関係がないのです。
平成に入ってから露骨に高額所得者優遇にして中間層を減らす政策をとってきたのが日本なのです。
で、問題は日本の政府が望んだのではなくアメリカの上層部の意向でした。毎週行われる「日米合同会議」と言う名の
強制的申し入れに従ってきたからです。残念な話ですが1955年解放されてはいませんでした独立国家じゃないという事です。
コメントありがとうございます。
確かに、否定はできない内容は多いですね😅
日本でもニセコなど海外のお客さんが集まるスキー場の物価は強気価格になっていると聞きますし、単に二極化が進んだだけというのは確かにその通りだと思います。
そして今後もその傾向はまだまだ続きそうです。