【Session4】スペシャルトークセッション_Qubena Action2022_来年度プロダクト発表会

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 15 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 4

  • @chie9089
    @chie9089 Рік тому

    麹町中学校の7か月勉強しなかった子・・・について考えさせられました。
    確かに、よほど力が無いということがない限り、最後の1週間で、1学期分の学習やドリルをやっちゃうことは、小学校の1年生でもありました。この子のどこにそんな力があったのかと驚きましたが、つまり、子どもたちには力があるということ。自主的な思いさえ芽生えれば、子どもにはやる力があります。そして、心の片隅に、一応、やるべきことはやらないといけないという意識がちゃんとありますね。
    たぶんその子は、受験の挫折か何かで、心に大きな傷を負っていたのではないでしょうか。傷を治すのに、7か月の療養が必要なことを自分にはわかっていたのではないでしょうか。受験の挫折ではないにしろ、考えるのに、気付くのに、自分の心を納得させるために必要な期間だったのですね。そして、そんな時間はとても貴重だと思いました。
    みんなと歩調を合わせようと焦る先生や大人の気持ちもとてもよくわかりますが、よく我慢して見守ってくださったと思いました。私も、子どもたちのそういう時間を大事にしてあげられる先生になりたいと思いました。

    • @AkihitoDaidoDHeike
      @AkihitoDaidoDHeike 10 місяців тому

      東京の麹町や、横浜では、おそらく大多数の生徒が塾などの受験勉強機関に通っていると思います。その事は、慶應義塾の幼稚舎でも同じです。その結果、学校では、勉強や宿題をしなくても、心配無いと言う安心感が、家庭内部に行き渡っているのでは無いでしょうか?だから、宿題も出さないという教育方針が、受け入れやすいように思います。この方針が、果たして、福井県で容認されるか疑問です。しかし、私は、それを私自身でも、二人の娘達にも実行しました。その結果、教育界、司法界、行政界からの、差別的妨害に遭い、親権を持つ私は娘達に、アメリカ東海岸のボーディング・スクールへの留学を計画し、ボストンに親代わりを引き受けてくれる方の邸宅に伺って、後は、中学一年の長女の訪問旅行を企画しましたが、離婚していた母親から、親権の移譲を申し立てられ、結局のところ、親権が取り上げられました。二人の娘達には、カナダのブリティッシュ・コロンビア州のブラックコム・ウィスラーにスキー旅行で連れて行き、子供のスキー・スクールに入学し、英語の世界に浸っていましたし、一人旅で’アメリカのコロラド州、アスペンの夏季音楽学校に約1ヶ月間の留学を経験させて準備を済ませていました。しかし、福井家庭裁判所は、司法界、教育界、行政界、宗教界の意向を汲んで、私から親権を奪ってしまいました。東京や横浜のような状況とは全く異なる世界が、日本の過疎地方の根強い背景にあるのです。
      『読解力』の考え方には賛成できません。日本人の英会話力は単語と文法を覚える方法に依存していますが、これでは『英語で考える能力』は伴いません。そもそも、英文を全て日本語翻訳できると考える事がに無理があります。ノーベル文学賞受賞作品『ドクトル・ジバゴ』は日本語に訳せないと思います。翻訳文が出ていますが、英文の内容と表現の素晴らしさは伝わりません。そもそも、原文はロシア語ですから、読んだ事はありませんが、ロシア語は、東京外国語大学のロシア語合唱団『ルムーク』に参加して、国立音楽祭に参加した事も有りますが、とても英訳文の表現がロシア語原文に記載されていたとは思えません。それほどに英訳文は素晴らしかったのです。だから、英訳文でノーベル文学賞を受賞したと思われるくらいです。基本的に日本人の哲学論議は哲学にすらなっていません。金沢に近い羽咋市の西田幾多郎哲学館があり、以前は毎年のように夏季合宿が行われて、日本感性教育学会の理事の私も、特別講演を依頼されて、何度か参加しましたが、日本の大学の哲学教授は、哲学さえ知りませんし、勿論、英会話すら出来ない程度であり、日本中の哲学講座が廃止されてきた現実の背景を露呈しています。また、数々の素晴らしいロシアは、数々の素晴らしいロシア文学作家を生み出してきましたが、大抵のロシア人は読んでいるはずだとは思いますが、おそらく理解できる人は極く僅かだと思います。そのロシア人の教育レベルだから、現在のプーチンの独走を許しているのです。読解力が有れば、英語を含む外国語も単語や文法を覚えなくても、理解できるようになるのです。如何に読解力を高めるかが、学力に直結するのです。私と二人の娘達が、受験勉強をしなくても、東京大学に楽に受かる程の実力が身につくのです。『学力🟰読解力』だと言えます。日本の教育は『読解力』を育てずに、学力を付けようとする自己矛盾を呈しているのです。
      教育に関係してきた人々は、口達者な人である傾向が強いのか、発言が多いが、中身が乏しい傾向が強い。この中で『教科書は自習のための教材ではなく、教師が教える為の教材である』との発言には疑問を感じる。特に、英語の教科書の音読を毎日続けて来た事が、その後の英会話力の習得に最も役立った事は、急性アレルギー性副鼻腔炎で記憶力と集中力を無くした私にとっては、最も影響のある教材であった。その意味では、英語の教科書の教材は、自習用の教材であった。また、参考書などを買わずに、教科書だけを教材にして来た私と二人の娘達にとっては、充分な教科書であった。また、私のような戦後の団塊の世代には、小学校五年生の頃に、近くを通る北陸本線の蒸気機関車(SL)の大きな駆動車が蒸気ピストンと連結されていて、何故、カーブを曲がれないかを分からずに疑問を持って、注意深く見ていて、そのカーブを曲がれる原理を理解できた事や、図画工作の時間に配布された教材に記載されていた黄金比の計算方法を見出した事や、中学二年生の理科で習った凹面鏡が真円だと、焦点の一点に集光しない事に気付き、焦点の一点に集光する凹面鏡断面のカーブの放物線を導き出した事も、教科書には記載されていなかったが、学ぶ事の楽しみを味わえた思い出として残っている。その意味では、教科書は教師の利用する教材としてだけではなく、生徒が様々な疑問を持ち、それの疑問を解決する戦場であるとの印象が残っている。『教科書は自習のための教材ではなく、教師が教える為の教材である』との発言には疑問を感じる。
      現在の文科省と、学校教諭が存続する限り、どんなに教育の議論をしても、僅かな効果しかないと思われる。私は、自分の出来る事だけを行うしか無いと思う。例えば、学校教諭達が自分の子供の可能性を最大限に引き出せた人が、どのくらい居るだろうか?皆無に近いと思う。下に記載した、私自身の学習は、学校教育とも、学習塾教育とも、全く異なる自己啓発法であり、そのほうが確実に成果が上がり、大学卒業後の実績も、学校教育に依存してきた人々を遥かに凌駕してきた。また、私の経験を、私の二人の娘達にも応用して、自宅では学校での勉強を禁止し、予習、復習、宿題、ドリル、問題集、塾などの受験教育の一切を禁止していた。しかも、二人は、藤島高校では弓道部に所属し、インターハイ出場を目指して、早朝から夜まで、練習に励んでいた。それでも、長女は防衛医科大学に合格、次女は大阪大学理学部に合格。長女は防衛医科大学で空手部で優勝歴多数、空手部の先輩の内科医と結婚、自身は整形外科医となった。次女は同大学院、理化学研究所、仁科加速器研究センターで研究し、原子核物理学者となって、同僚と結婚している。学校の生徒に多くを求める事の方が、結果として、『角を矯めて牛を殺す』結果に陥っている事を認識するべきである。現在の受験勉強で育った学校教諭に、受験勉強以外を求める事は『角を矯めて牛を殺す』結果に陥いる事が帰結となる事を思い知るべきである。また、現在の保育園や幼稚園は、単なる託児所化していて、教育の効果は皆無に近い事も認識するべきである。その意味で、私はプレスクールをヴァイオリン教育を柱とし、予防医療でサポートした食育と体育と読み書き算盤の習慣付けを柱の支えとした医療法人『貴志和会』三恵座育児センター『日本感性科学院』を新幹線主要駅に全国展開したいと考えています。ヴァイオリンは一歳からの1/32サイズ以上の8サイズを、医療法人『貴志和会』ヴァイオリン制作者育成工房『クレモナ』で作成して、レンタルする計画です。レンタル料金は作成者に還元しますので、負担軽減となり、毎年の制作本数によっては、授業料を超え、収入となり、イタリアのヴァイオリンの街クレモナへも留学できるようになります。また、医療法人『貴志和会』ヴァイオリン制作者育成工房『クレモナ』への入学会員権などは、譲渡も相続も可能ですから、入学会員権の高騰も可能性があります。しかし、高騰しないように、増設する予定です。