1908 年(明治 41 年)の雑誌で時代のリアルを探る!哺乳瓶、嫁姑問題、金髪夫人、花王、浅田飴

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 15 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 19

  • @Cosono-Japan
    @Cosono-Japan  Рік тому +4

    【訂正】
    16分27秒~
    「寄宿舎に於ける瓦斯使用の貫験」と紹介していますが、
    「寄宿舎に於ける瓦斯使用の実験」が正しかったです。
    申し訳ありません。

  • @shinkoba3397
    @shinkoba3397 Рік тому +4

    明治時代の雑誌をお持ちとは、驚きました!どのようにして入手されたんでしょうか?
    いつか、昔の教科書なんかを紹介していただけると、嬉しいです!

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +3

      コメントありがとうございます。
      古い雑誌を最初に見たのは近所の古本屋だったんですけど、そこですっかりはまってしまって、最近は神田とかにも行っています。
      教科書もいいですね。
      おもしろい物も探してみますね。

  • @猫の友達-n2c
    @猫の友達-n2c Рік тому +2

    婦人世界、国会図書館でみました。現存している雑誌は古いせいもありますが、紙質が悪くて触るのが怖いですね。
    こういう雑誌をこそ、デジタル化して残して、誰もが気軽に読めるようにして欲しいと思います。個人的には少女倶楽部とか、ひまわりなんかを通巻で見てみたい。

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +1

      コメントありがとうございます!
      おっしゃるとおり、紙の質は悪くて、湿度の高いに気軽に触ると、簡単に破けます。
      デジタル化してもらえるとうれしいですね💘

  • @xx-7647
    @xx-7647 Рік тому +3

    昔の哺乳瓶尿瓶みたいだね。小苑ちゃんと六女ちゃんとふたりで幅が広がったね

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +1

      本当に哺乳瓶には見えないですよね。
      笑ってしまいました!

  • @本江時夫
    @本江時夫 Рік тому +4

    自分は明治23年の尋常小学校の教科書なんかをもっていますが、雑誌で持っているのは大正や昭和初期のモノですね。
    20年ほど前、空いた時間に廃品回収のバイトをしていた時に集め始め、今では300冊を超える量になりました。
    それと、日露戦で賠償を取れなかったのは、和平を仲介した米国のセオドア・ルーズベルトの悪意を見抜けなかった小村寿太郎と日本政府のせいだという説があります(T・ルーズベルトはアルフレッド・T・マハンとの交換書簡で日本海海戦に勝った日本を極度に嫌い、米国や欧州の脅威だと言っている)。

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +1

      コメントありがとうございます!
      明治期の教科書をお持ちとは、すばらし過ぎます。
      300冊とは、圧巻です。
      うらやましい!
      ルーズベルトの話、知りませんでした。
      貴重な情報、ありがとうございます。
      これからも、新たな情報をお知らせいただけるとうれしいです。

  • @白雨-p3k
    @白雨-p3k 11 місяців тому +1

    実業之日本社がこの頃すでにあったなんて意外でした。明治創業の歴史のある企業、ここで紹介された浅田飴・花王以外でも沢山あるのでしょうね。

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  10 місяців тому

      コメントありがとうございます!
      100年以上つづく企業が世界で一番多いのが日本だそうで、古い雑誌をみているとその点でもワクワクします。
      まだ雑誌が山のようにあるので、そういった点も紹介していければと思います。
      また機会があったらご覧いただけるとうれしいです。

  • @まる2
    @まる2 Рік тому +3

    森鴎外なんか舞姫でドイツのお嬢さんを妊娠させて捨ててくるような内容を書いているのに、欧米人の血?彼が留学したのはもっと前だから、少し考えが変わったのかなぁ。
    ランプやガスは都会だけなもので、少し田舎は薪や炭。
    料理のレシピは大使夫人とかオペラ歌手等も盛んに紹介していたそうです。すこし下がった大正時代や昭和の初めは、イタリア料理を紹介するとき、マカロニやスパゲッティがないから、イタリア風うどんで紹介したり、ワインやブランデー等は日本酒や焼酎など身近なもので代用して紹介していたそうです。

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +2

      コメントありがとうございます!
      いろいろな情報、ありがとうございます。
      イタリア風うどん、おもしろいですね。
      見てみたいです。

  • @松本悠佐
    @松本悠佐 Рік тому +1

    嫁姑は、現代のように同じ敷地内で別の棟、若夫婦用の家ではなく1つの家でしたから今よりも苛烈だったでしょうね。

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  11 місяців тому +1

      コメントありがとうございます。
      嫁姑問題に悩む人は多かったようで、いつかまとめたいと思っています。
      今では考えられません。
      しかも、長生きする方も結構いたようで・・・悲惨です・・・

  • @ShumpeiMiyajima
    @ShumpeiMiyajima Рік тому +3

    実験、じっけん 細かいことですみません

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +3

      ガスの所ですね。
      ご指摘、ありがとうございます。
      お恥ずかしいです。
      動画は修正できないので、固定コメントにて書かせていただきます。
      これからもミスがあったら、ぜひご指摘ください。
      よろしくお願いします。

  • @xx-7647
    @xx-7647 Рік тому +3

    六女姉ちゃんかわいい❤小苑ちゃん浮気してごめん。登録者数1000人までもう少し!

    • @Cosono-Japan
      @Cosono-Japan  Рік тому +2

      浮気されちゃいました~笑
      六女姐さんともども、よろしくお願いします💘
      まさか1000人なんて、信じられないです。
      これからもがんばります。