481系特急雷鳥「だんらん」

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  • Опубліковано 1 січ 2025

КОМЕНТАРІ •

  • @酒向美由起
    @酒向美由起 6 місяців тому +2

    雷鳥は今では大阪から敦賀までサンダーバードに引き継ぎましたがその雷鳥は丁度60年前に485系ボンネット型車両でデビュー、食堂車も完備して旅のお伴に役立ちました。しかし食堂車は利用客が食事中に降りる駅を過ぎてしまうためにやがて激減して廃止にしざる得なかったために和風客車に改造することとなったのです。by酒向正也

    • @qsht
      @qsht  6 місяців тому +1

      日頃はご視聴いただきましてありがとうございます。
      「食事していると降車駅を通り過ぎてしまう,というのは
      表向きの牽強付会によるプレス発表で、
      無札乗車の温床となる実情が見過ごせなくなり、
      一車で増収するとなれば(ロ)座席にして
      多少でも増収に結びつける目的と一挙両得にするとした苦肉の策が
      北陸筋食堂車晩年の成れの果てとなったのである」と論説する、
      述懐記事が中村敦夫さんによって読売新聞のコラムに書かれています。
      表向きの事情と、国鉄の台所は平仄の合わせようがなかったのでしょう。

  • @酒向美由起
    @酒向美由起 6 місяців тому +2

    雷鳥は1964年から運行が始まり、使用された485系はボンネット、貫通それに非貫通まで様々な車両が活躍しましたね。by酒向正也

    • @qsht
      @qsht  6 місяців тому

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      485系交直両用特急型電車はこの1系列だけで、
      日本の特急型電車史上いまなお、最も多い量数を有していたと記録されています。
      481系と485系の決定的な違いや、
      どうして"483系(地味にひっそりと赤ひげ)・487系"という序列が飛んでいるのかなど、
      とても興味深い形式ですね。

  • @酒向美由起
    @酒向美由起 6 місяців тому +2

    だんらんはかねてから利用客が落ち込んでいた食堂車を改装して生まれ変わりましたね。by酒向正也

    • @qsht
      @qsht  6 місяців тому +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      1990年ごろの毎日新聞には、
      「北陸本線の食堂車は金鉄局内では意図的に食堂車の利用者数を落ち込ませていたので」と記事にあります。
      その理由として、国鉄本社は車輛メンテナンスを掲げていますが、
      同じ時期の「鉄道ジャーナル誌」で種村直樹氏が
      「客席増収のため」と実情を述べているところが興味深いものです。

  • @酒向美由起
    @酒向美由起 6 місяців тому +2

    485系のボンネット型車両は走るブルドッグと呼ばれましたね。by酒向正也

    • @qsht
      @qsht  6 місяців тому

      毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
      ブルドックと言えば、気動車ですが、キハ81系のボンネット とゆうのもありました。
      「ひたち」「つばさ」「くろしお」など、大変クセの強い風貌でした。

  • @金桶将和
    @金桶将和 6 місяців тому +1

    レオナルド熊氏元気ですか?近石伸介氏の声懐かしい!

    • @カメイドイチロー
      @カメイドイチロー 6 місяців тому +2

      レオナルド熊氏は、1994(平成6)年12月11日に永眠されました。59歳没。