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BUCK-TICKは父の影響で聴いてますが今でもかっこいいのが凄いですよね!
大槻ケンヂさんが、昔ラジオで語っていました。「インディーズブーム~ソノシート(自主制作版)ブームがあってからの、バンドブームであった」「実は、アンダーグラウンドな暴力シーンからの脈々とする流れがあった」「そのバンドブームが起きてから約2年間で、ブームはパタっと終わった」ブームが終わったことの原因は、・レコード会社が考えるほど、バンドは儲からなかった (必要な頭数が多かった)・レコード会社の、初期契約期間が『2年間』であることが多かった・少年少女の流行りは、2年程度で終わるという必然その流れで、売り上げるバンド以外に『TVで面白いこと喋れるバンドマン』を擁していないバンドは、ことごとく消えたと。ビジュアル系ですら、Xがビートたけしの「元気が出るテレビ」に出演していなかったら、続いていたかどうかとか。なんか、そんなこと思い出した動画でした。個人的には、CDデビュー前のブランキーがウォークマンのTVCMで曲が機用されてた、なんてことが思い出です。
何なのこの知識量。まだ若いのに。凄すぎて尊敬してしまう。中学生の頃は博多めんたいビートの世代なので色々思い出します。陣内孝則や石橋凌はロッカーズやARBのボーカルが役者やってるって感覚がいまだに抜けませんw。あと、YAMAZENやモダンドールズの名前が出ないなあと思いながら見てました。いい動画ありがとうございます。
「あのバンドが・このバンドが出てない」てコメントたまに見るけど、流石に拾いきれないくらいたくさんのバンドが有りすぎたのが第二次バンドブームだからしゃあない。あの時代の代表的なバンドを一通りピックアップしだしたら、2時間位の動画を4本立てとかでやらないと追いつかないっしょ。特に89~90年はそれくらい濃密だった。
BUCK-TICKは私の人生を支えてくれたバンドです。みのさん、紹介して下さって本当にありがとうございます。これからもBUCK-TICKは続いていきます。
ヒットシーンの音楽がDTMで複雑化している今だからこそ、パンクみたいにそのアンチテーゼとして単純化・原点回帰を図るようなムーブメントや、それに伴うバンドブームが起きて欲しいと心のどこかで考えている。
パンク・インディーズシーンからの流れで、マダム・エドワルダやパイディアなどの退廃的なポジパンやガスタンク、デッド・エンド辺りのメタルコア的なバンドからのバクチクに代表されるのちのビジュアル系も結構シーンを賑わせてたと思うが。
ZIGGYとかパーソンズ、レベッカ、レッドウォリアーズ、スライダースとかはここでは出て来ないのかねZIGGYの最後のアルバムなんかはメジャーなのにゴリゴリのハードロックでなかなか聴きごたえあるのよ
JITTERIN'JINN久々に聴きたくなりました!
イカ天は欠かさず見ていた。とにかく多彩だった。たまとマルコシアスバンプにどう優劣をつければいいの?そこで取られた萩原評定でマルコシも生き残る。萩原健太はじめ、審査員がすごかった。吉田建、伊藤銀次、村上〝ポンタ“秀一、そしてPANTAまで出て来た。ワイプ攻撃で、つまらないと消されてしまう審査方法も面白かった。
悪いけどpantaは人を審査できる立場じゃないと思ってます。
二期は田中一郎も出てたね。審査委員長。
ありがとうございます!
確か宝島はキャプテンレコードってレーベルやってた気がする。アルタ前で有頂天のライブ見た。「心の旅」は名カバーだと思う。ナゴムは直枝政広のカーネーションのデビューシングルも出してたし、やっぱ凄いと思う。その「夜の煙突」は、後に森高千里にカバーされた。あの頃は、渋谷のエッグマンとかで色々見たなあ。
イカ天懐かしいですね♪人間椅子とか🎉インディは良いバンド居ましたね!メタル系のAIONとかめっちゃお気に入りでした😊どちらかと言えばヴィジュアル系の流れの方が好きでした自分はメタル寄りが好きでしたので😊後はデランジェなどなどハマった
人間椅子はメタル系は勿論BudgieのコピーをしているしKing Crimson「red」のジャケパロに不自然に3人収まってるのを見て草生えた。この世代としてはCaptain Beyondとかやって欲しかったですね
たまの自主制作カセットの不気味なアングラな感じ大好きだわ80年代のパンクは攻撃性や激しさがアングラ感を担っていたけど、対してナゴムレコードのバンドの面々は、オーバーグラウンドのロックのかっこよさとは相容れないダサさや珍妙さ、子供っぽさによってアングラ感を醸し出していたと思う
イカ天は関西では放送がなかったのでこのブームの影響はほぼなかったですね。ホコ天はなく「城天」でしたが(シャ乱Q、RAZZ MA TAZZ、ポルノグラフィティ、Hysteric Blue、SCANDALなど)、80年代から続くHR/HM~V系のラインもありました(LOUDNESS、EARTHSHAKER、44MAGNUM、AION、DEAD END、D'ERLANGER、L'Arc~en~Ciel、MIYAVI、DIR EN GREYなど)ここの通史的には埒外ですかね。
ロッテンハッツ→GREAT3の流れもネオGSが関係してたんですねー!
POGOとKENZI来た~❤ 前回、パンクシーンの動画で紹介されなくて、少し寂しかったから嬉しいです!!🤣
レピッシュ出てきてうれしかったー。レピッシュはもっと評価されるべき。佐久間正英さんについても特集して欲しいです。
おぉ、ナゴム懐かしい!西新宿のブート屋とかUKエジソンとか通ってた頃です。 あとビートパンク、ビートロックというと私はThe Modsが浮かびます(めんたいになるのかな)BOOWYの初期とかも。
the modsって福岡発ですから思いっきりめんたいロックですよね。
@@さたあか-w4h さん めんたいはめんたいなんですが、区分が、ビートパンクやビートロックはめんたいの後に位置付けられてるようなので…
@@ひらひら-u6o まあ、サンハウスを始めにARBもthe modsもアンジーも福岡発のロックバンドは博多の名物つけて、めんたいロックって認識です。
二枚でどうだの宮尾すすむと日本の社長とかスイマーズとかリトルクリ―チャーズ みうらじゅんの大島渚のカリフォルニアの青いバカ等 面白かったなあ
マルコシアスバンプははまった❗インディの頃のCD、なんとか探して全部買いました。ファーストのライヴ曲大好きです!
ガスタンク!バキさん!リアルタイム世代ではなく、メタルバンドDOOMきっかけで知りましまた。最高っすよ、危険な香りと艶のあるパフォーマンス!
kenziの名前を聴けただけで嬉しい☺️
今も昔もJUNかっこいい!
KENZIの1st「ブラボージョニー~」は国内パンクの名盤。
地方住の私は行ける範囲の全てのレコード店、中古レコード店を何年にも渡って探し続けたものの手に入れる事が出来ず、社会人となって数年が立った頃、昔は顔見知り程度だった音楽友達と少し深い仲になった時ブラボージョニーを何年も探してるっていったら『俺持ってるよ?』って言われて数万払って譲ってもらいました!全く後悔はしてないし、聞いてみてやっぱり名盤だと思ったし、今でも大事な宝物です
funkの米米CLUB好きだ
こういうとき絶対と言って名前が挙がらないバービーボーイズ😊
当時一番聴いていました。ツインボーカルがかっこよかったですが、斬新なギターやタイトなリズムも魅力でした。
イマサの曲って、イマサっていうジャンルっぽい感じがする。
バンドブームというとイカ天で若者たちに大ブーム、みたいな浅い理解でしたが、今日、ほぼ忘れられたジャンル名「ビートパンク」に「ネオGS」を教えてくれて、歴史家って素敵やん。
70年代後半~80年代初期は金八、積木くずし、校内暴力、暴走族の増加などいわゆるツッパリ系が多く、アザーサイドではパンク系が勢いを増してましたね。普通のロックバンドもスタイルはさまざまだがパンクっぽかったし。ピストルズやクラッシュなどの影響は多くメジャーなとこでアナーキー、スターリンをはじめインディーズシーンではハードコアパンク勢が大量出現。たしか87年くらいが転換期かな。多くのバンドがポップやロックンロールになったりメタルっぽくなったりと変わっていった。後にドラマ、はいすくーる落書きでブルーハーツが主題歌を歌ってそこから彼らはブレイクした。
BLANKEY JET CITYをもうちょい深堀して欲しい…かっこいいんだよ、、
コレクターズは還暦を超えた今、正に全盛期を更新し続けてる。曲も喋りも超一流。
ラフィン、ニューロティカなど、未だ現役で活動中のバンドも多いのでライブハウスに足を運ぼう
このバンドブーム、インディーズブームの影響で「インディーズ」という言葉がアマチュアの呼び変えの側面を持ち始めたんだよね。70年代の初期のインディーズレーベルからリリースして後にメジャーレーベルでも活動してるグループとかは、いわゆる「インディーズデビュー」を単にデビュー年にしていて、メジャー以降については単に「レーベル移籍」扱い。だけど、80年代のブーム以降は単なるアマチュアも「インディーズ」を自称するのが一般的になったおかげで、きちんと商業インディーズからリリースしてたバンドも、メジャー移籍をもって「デビュー」と呼ばれるようになった。これは80年代半ば~90年代通してずっとそうだったよね。最近は「インディーズ=アマチュア」というイメージもようやく払しょくされてきたけど。
いつもおもしろ刺激fulな動画をありがとうございます🎶今回の動画でイカ天の初回放送が僕の浪人期に重なっていた事実に気づきました💦欠かさず視聴したのに第一志望に通ってエガッタ😮💨
TheWillardが大好きでした。インディーズの歴史を語る時に必ず触れられる御三家ですが、多くの場合3バンド全ては紹介し切れないのでThe Willardはスルーされがちです😅 当時は限られた層に絶大な人気があったのは間違いないと思いますが、売り上げ記録とか御三家の括りが無ければもう注目される事のないバンドなんでしょうね。コメント欄でもバンド名出てこないし、、、寂しい😞
私もウィラードも大好きでしたよ!一曲一曲がダークな短編小説のようで、曲を聴いてると登場人物が目に浮かぶような体験が出来て、その音楽性にどっぷりはまっていました!当時見る事が出来なかった映像が今ではyoutubeで見れますし、まだまだ応援してるバンドです!JUNにはずっと続けて欲しいし、出来る事なら、時々でいいからKLANやKYOYAと一緒にステージに立って欲しい!
あっ ウィラード発見!
イカ天出身で現役バリバリ活動しているのは人間椅子だけで海外にもツアーして反響良かったみたいね!
THE COLLECTORSは現在進行形で今が一番カッコいいですよ!
ファントムギフトと対バン出来て光栄だった
イカ天欠かさず見てたけどライブ行ったバンドいないなと思った。それは単独で北海道まで来てくれるバンドが殆どいなかったから。その代わりフェスや友達、先輩のバンドには足繁く通ってた。私の周りはデビューしなかったけどその時の対バンが怒髪天やイースタンユース、ブッチャーズ、DMBQで今も見られるの感慨深いな。
浜田省吾と尾崎豊の掘り下げた特集を観たいです。メディアへの徹底した距離感…反戦と反抗…日本の音楽界の硬派ツートップかな?…と思います。そういえば浜省の"J-BOY"という曲のモデルは尾崎豊だと本人から聞いた事あります。
ネオGSのシーンやバンド群はあんまり明るくなかった(コレクターズとデキシードザエモンズくらいしか知らなかった)ので勉強になりました。やはり渋谷系はソウルやフレンチ、ブリティッシュロック、ロックステディスカなどもルーツになってるって意味ではモッズリバイバルの文脈からも語れそうですね。
私にとっては人間椅子一択のイカ天でした。
お若いのにまるで当時をリアルタイムで体験してきたかの様な素晴らしい解説、いつも楽しく拝見させて頂いております。あの頃重要なシーンがあったのでそちらも取り上げて頂けると嬉しいです。ジャパメタブームです。バンドブームの下地にジャパメタブームがあり、パンク、メタル、ハードロックが混合してバンドブームがあったと思っております。LOUDNESS、EZO、VOWWOWなど海外に挑戦したバンドなど面白いバンドが結構居て面白かったです。
素晴らしい。ちぐはぐさ無し!
90年代、ほんの1~2か月の括り「ネオアコースティック」と、実質的に森高千里と対比するために括られた「ガールズポップ」を取り上げてほしいけど些末かな?ちなみに、最近の遊佐未森さんのインタビューでは、「ガールズポップはわたしより下の世代というイメージ」という趣旨の発言をしていました。
雑誌「バンドやろうぜ!」が10万部も売れていたことは驚愕だ。バンドブームの80 年代後半当時は田舎の高校生だった。進学校なのに、モヒカンや唇にホッチキスを入れた過激な同級生がいたのは、バンドブームの背景があったのか。ホコ天のニュース映像を見て、東京で流行るブームを正直バカにしていた。一方で、町に一つの輸入盤屋に足繁く通い、UKロックをウォークマン(の模造品)で聞いていた私は、暗い田舎のティーンネージャーだったんだな。
自分も使ってました😅今思えば、当時はまだギタリスト志望だったPIERROTのキリトがBUCK-TICKのコピーバンドやりたいと載せていて連絡取った思い出があります自分はハードロックバンドやりたかったのでアパートに行ったり数回会って遊びでコピーでBUCK-TICK弾いたりしただけで、組みませんでしたが彼は元は埼玉でしたが色々あって某県の田舎町へ移り住んでいましたたしか工場工員やりながらコピーバンドやってて直ぐに群馬と長野で火がついてビジュアルバンドとして人気はすごかった当時は静かでおとなしい人という印象しかありませんでしたが、何年後かにPIERROTとしてミュージックステーションに出ててたまげた才能のある人は何より勇気と活動力がありそして躊躇がない、これが共通点であると改めて知った次第🤔
B'zと比較してFENCE OF DEFENSEはあまり売れなかったが知る人ぞ知る時代の先を行っていたバンド
前にも書いかもですが私が好きだったのはローリングストーンズライクなRCやスライダーズやレッドウォリアーズやボガンボスにプライベーツです。ソロは和製スプリングスティーンやジャクソンブラウンライクな元春 浜省 尾崎でした。イカ天バンドはレジスタンスというファンクロックバンドとみうらじゅんの大島渚バンドが好きです。バンドでボーカルやりましたがギターは下手なので弾く振りしていました。😅今はソロでビートルズやディランやCCRや陽水や元春を弾き語りしてパーティーなどで披露しています。😅下手の横好き。😅
Shogun、CREATION、TALISMAN、トランザムあたりの位置付けを教えて下さい。ちなみにオーケンは空手バカボンが名作でした。
アルタ前でソノシート配布か..そういうの「なんで東京ばっかなんだよ!」って指咥えて見てるしかなかったな.. で数年後中古ショップや雑誌の「売ります/買います」で手に入れたり
バンドブームは現象としては大きかった。でも売り上げとしてはそんなでもなかった、というのはレコード売り上げが伸び悩んでた時代でレコードからCDへの過渡期だったこともある。売れて有名だったのはハウンドドッグ、バービーボーイズ、TMネットワーク、レベッカ、ボウイ、渡辺美里らソニー系ばっかだった。このあたりのアーティストと宝島系その他のバンドブームのバンド群は何か別世界のようだ
みのさんをイエモンのライブ会場(東京ドーム)で見かけた気がするんですが気のせいでしょうか☺?
大学当時は岡村ちゃんとレピッシュ推しでしたが、バンドブーム後は バービー、米米、ドリカム、久保田利伸が急速に歌謡界を席巻していったような印象
ポップとHR/HMを兼ね備えたバンドの草分けはLOUDNESSですかね!? そこらの紹介もお願いします❤あとは日本のブルースの紹介を是非🤩
当時のリアルタイム世代からするとネオGSからの流れはThe JAMとスタカンつまりポールウェラーが強く影響していたかなと思います。そしてスタカンの雑食性はそのまま渋谷系にも繋がるかと…勿論影響はそれだけではないですけれどね
切り取り式メンボ懐かしいー!
この先長いかもしれませんが電子音楽、アンビエント、ノイズ編お待ちしてます。😊
バンドブーム・・・ものすごーい大量のバンドがメジャーデビューしてた。なんでこんなに簡単にデビューさせるのだろう?と思っていた。過剰感アリアリで、むき出しのアマチュア感が苦手だった。このブームは早晩終わるなと思ってたがバンドブームを駆逐したのはビーイング系だった。これ重要。バンドブームに踊った人たちと、それ以外の「普通の若者」の乖離が激しかったというのが実情
GSの時代もそうでしたがわざと質の悪いバンドをデビューさせることでブームを終焉させようとする目論見があったようです。プロの仕掛け人やミュージシャンたちからすると面白くなかったんでしょうね。
イカ天の画像が2007年復活版だったのがちょっと気になった😂前回「ハードコア不法集会」でVAがアリだったから、ネオGSを「Attack of…Mushroom People!」で纏めてもよかったかも🤔
FMステーションは読んでたな
第一次バンドブームってベンチャーズの影響受けた第一世代のGSのころじゃなかったけ?細かくいくと第2次がフォークもしくは動画内のサザンやRCが流行った頃で、80年代のインディーズと90年代前後のイカ天が第3次だったような。80年代のDIY精神がバンド終わってもその後も精力的に活動している方結構いますね。町田康、辻仁成は作家でKERAは劇作家だし。少し細かいけど80年代のパンクバンド、ラフィンやスターリンとかハードコア勢が影響受けたのはディスチャージ、GBH当たりのUKハードコアで90年代のメロコアのちの青春パンク勢はUSのほうのディセンデンツやゴリラビスケッツあたりだと思うけど、
私も第一次バンドブームはベンチャーズの影響を受けた60年代だと思いました。「青春デンデケデケデケ」に描かれた世界。
あれはエレキブームだろ、それまで殆どの若者はエレキギター聞いた事が無いのだから。
@@maeda9479 なるほど。テケテケはエレキブームか。
80年代はネットは無くて、TVと雑誌メディアの影響力が大きくて。ブームを支える周辺(ティーンエイジャーの親やライトなファン層)を取り込むのに、アルフィーやサザンなどの大手事務所に所属していたミュージシャンの影響力は大きかったように思います。まぁ音楽的な影響力は別として😜
80年代の関西ヘヴィメタルの流れも掘り下げてほしいです。
そういや昔、みの氏カステラ知らないって言ってたなあ
ザ 50回転ズはネオGSに入りますか?入るか。
BOOWYはめんたいは通ってなく、初期はピストルズなどのパンク、バズコックスとかスクイーズとかのニューウェイブの影響を受けた布袋の独特な曲作りが際立ってました。ネット上で聴けますが、2枚目インスタントラブまでの時代のライブハウス音源でしか聞けない未発表曲とか、アルバム収録曲が全く別のアレンジで演奏されていたりとか、メジャーシーンには浮かびきれないけど常にライブハウスは満員だった時代の音源は特にかっこいいです。すでに完成に近づいていた変態(褒め言葉)ギタープレイとこんな曲を書けるのかと思わせる当時20代前半だった布袋の天才ぶりがやばいです。その後の佐久間正英との共同作業で出した3枚目のアルバム位からメジャーバンドへの道をたどったと思います。ソノシートは基本ジャケ買いで、例えばGHOHLのOiOiとかTHE NEWEST MODELの明日はどっちだとかをピックアップ出来ました。ナゴムもどっぷりハマってて動画で解説されていたミニコミの分野でのナゴムの思い出でいうと、「6×9=54」というミニコミ誌は特に重要だと思います。当時のナゴム中期~後期のリアルを知りたければこれを読めばある程度把握できるかなと。ここには毎回ソノシートが付録されていて、JIN-SAYを初めて聞いたのもこのミニコミの付録でした。電グルを想像して聴くとびっくりしますよね。メンバーは同じでも全然ちがうんで。それと80年代~90年代に大活躍し、今は再結成してる、私が一生のバンドと決めているストリートスライダースが一切トピックに上がらなかったのも興味深い。バンヤろでスライダーズのカバーでメン募結構見た記憶あります。バンドブーム全盛期に主流であったビート系とは違う、ストーンズ直系のロックンロールで、武道館即完という人気バンドにまで成長したけど、ある意味、独自の道で流行り廃り関係なく、我が道をいく孤高のバンドなんだなぁと改めて実感しました。みのさんにはいつか初期P-MODELとその周辺をまとめて欲しいです。私は自主制作(インディーズ)を全てひっくるめて一つのジャンルと捉えて、気になるものやレビューを読んで聴いたり、それと同時に普通にポップスから邦楽ロック、洋楽ロックと手を広げ過ぎて広く浅く触れてきて、追いきれなかったのがP-MODEL界隈(ヒカシューとか)なので興味深いんですよねぇ。
BOOWYはめんたい通ってますよ。ロフト時代の仮想敵がARBやルースターズだったと語ってますし、1stの「モラル」が一発どりなのはロッカーズの1stが寺院で一発どりだったのを意識して録音されたとインタビューにあります。
@@sawakome マジですか―――!私はそのインタビュー、たどり着けませんでした。ARBとルースターズが仮想的でロッカーズの一発録り。そういう接点があったとは。詳しく教えてくださりありがとうございました感謝
@@はち-l7h さん 氷室さん本人のインタビューで語られてました。18年位前に出てたムック本です。
@@sawakome おお!そんな細かい情報までわざわざありがとうございます。てっきりモラル期に仮想敵とか、とがったこと言ってたのかと思いましたが、解散後、約18年くらい経過した2006年頃の回顧録なんですねぇ。
ネオGSに、ザ・ヘアが筆頭に出て来るに間違えないと浮かれて見たら、違うっぽかった。
レベッカはどの辺に位置するのでしょう?? 私はレベッカに最も衝撃を受けました。
マーブルシープとかエンジェリンヘビィシロップとか日本のアングラとかやって欲しい
モンゴル800はなかなか邦楽史において名前をみることがないのですが、ELLEGARDEN等と比べて後進への影響が少ないからなのでしょうか?販売量や認知度からしてもう少し話題に出てもいいと思うのでみのミュージックさんのご意見が聞きたいです。
12:43 さすがにここでGLAYの名前を挙げるわけには行かなかったかw
最後まで演奏できなかった挙句、審査員からは酷評されたし、過去に放送されたイカ天復活スペシャルでもGLAYが出てたことすら触れなかった。でも結局、イカ天出演バンドではGLAYが一番売れたというね
確か、バンドやろうぜの編集部にPOISON ARTSのドラムの人がいたような…(副編集長?)毎月いろんなバンドのスコアが載ってて重宝したなー。
次回はTKとビーイングの台頭とかになるのかな
TVに接近していたレベッカ 米米 ミスチル ハウンド・ドッグ はどの辺で触れられますか?
TV番組の夜のヒットスタジオに、ブルーハーツが出た事がバンドブームが広がった一つのきっかけっだった印象があります。ボーイやレッベッカなどもすでに活躍していたけど、バンドブーム前夜的な印象。当時の若者が、それっぽい服着たり、楽器買ったりしたのはブルーハーツの持つカジュアルさやストリート感が響いたのかも?
ケラはケ⬇️ラ⬆️ではなくケ⬆️ラ⬇️が一般的なアクセントですよー
特定の音楽のジャンルでは無いんだけどGS→フォークニューミュージックからバンドブームへの架け橋としていわゆる「歌謡ロック」という潮流があったと思うんだよね。甲斐バンド、RC、モッズ、ハウンドドッグ、浜田省吾、佐野元春、尾崎豊、REBECCA、BOOWY、BUCK-TICK(初期) etc. 後のビジュアル系ブームにも繋がる。どこか歌謡曲っぽい湿っぽさやメロディアスなメロディーを持った売れ線の曲をロックテイストにしたものが日本のロックのメインストリームを作ったそれが「歌謡ロック」ジャンルをクロスオーバーするから通史としては掴みにくいんだけど…(なので歌謡ロックのキーである甲斐バンドやハウンドドッグ、REBECCAは言及されてない)ちょっと「歌謡ロック」をどう捉えるのか聞いてみたいっす
あーBARBEE BOYSを忘れていた!不覚あと安全地帯もこの歌謡ロックの概念に入ると思います。
たしかにそうですね音楽に深くはまっていく当時の若者はコメ主サンの言う通り、テレビやメジャー誌に取り上げられる上記のバンド、歌手は、当時概念は無かったかもしれないけど『歌謡ロック』的な認識で、ライブハウスでの叩き上げやインディな活動をしてる人達を『本格派(本物)』的に認識していましたよね?一般の人や、商業音楽家群からすれば大きな”ロック”という潮流の中の分流で細かい出来事かもしれないけど、当時のシーンにどっぷりはまっていた者からすれば、この2つは似て非いなるもので、その後のミュージシャンの系譜も歌謡ロック系と本格派に分ける事が出来るような気がします
補足Aメロ、Bメロ、サビという日本の歌謡曲の基本構造をロックに仕立ててヒットさせてるというのが歌謡ロックの大きな特徴です。これらのアーティストの代表曲はだいたいこの構造なので聴いてみてね
日本の音楽史を語るうえでその手の「歌謡ロック」が完全に無視されているんですよね。本当は彼らの存在こそが「表の邦楽ロック」の主役で村八分とか頭脳警察とかはっぴいえんどは「裏の歴史」「黒歴史」なんですけど、今の邦楽の歴史的には彼らの存在がメジャーだったかのように語られてるのが不思議でしょうがないです。
世間一般での歌謡ロックの元祖的な存在は世良公則&ツイストだと思うんだよね
BARBEE BOYSのような男女がリードボーカルのロックバンドは欧米にも無いのでは?世界初で、いまだに出てきていない気がする
あの、ペラペラなレコードはソノシートというのか!! 疑問が解けました🤩
パンク〜インディ〜バンドブームの流れの中でじゃがたらってどんな立ち位置になるのかな?ほとんど取り上げられなかったけど・・・
筋肉少女帯がデビューした頃に11PMて深夜番組で見てからよくLIVE行くようになり当時のLIVEでは大槻ケンヂが口に含んだ缶入り烏龍茶を客にぶっかけたり「かかって来いや〜」と言われて相撲をとったりしてめちゃくちゃで楽しかったDollという雑誌の文通コーナーにGSの好きな人を待ってますて女子と1年ぐらい文通していて1990年の東京ドームのポール・マッカートニーLIVEに3人で行ったことを思い出したネオGSも楽しくて当時は通信販売でファントムギフトやニューオックスにヒッピーヒッピーシェイクスにストライクスのレコードを買ってましたイカ天Here is Aden 中学生日記 総武線ホーンズ ストーンクレージー たちくらみ ティラノザウルス サイバーニュウニュウ やどかり天国みんな懐かしい
たちくらみの「チカンに会いたい」はある意味パンク以上にパンクなことを(あっけらかんと)やっているというw
@@BraunFlexControl123 電車の中で♪あの曲LAUGHIN' NOSEのGet The Gloryみたい
お、ユニコーン来た?
ぼちぼち民生氏辺りもゲストにお願いします🙏
宝島カセットのことかな?インディーズのくだりは?🤔
糊口(ここう)ではないかと
うふ
ハナタラシ懐かしい〜笑
強力破壊主義者!山塚アイ。 JOJOの非常階段も忘れてはいけない
これで21世紀の流れをやったら権威主義ではないんだな、とさらに見直す。
イカ天には上京したての頃のGLAYが出演しましたが完奏ならずでした。さらにGLAYはホコ天でも演奏経験があるようです。スピッツも出演のオファーが来たけど、初回の放送を観て断わりました。判定に納得がいかずに服を脱ぎ出す女性がいてそれにドン引きしたからなんだけど、イラストレーター(など)のみうらじゅんはその光景を観て「自分は本来そちら側の人間だった」ということを思い出し、大島渚というバンドを結成して当番組に出演することになります。いろいろありますね
3:55 糊口(ここう)を凌ぐ
ネオGS聞いてみよ
実際はそんなに騒がれてないです。ファントムギフトも1枚しかアルバム出してないことを考えると予想していたほど売れてないしマイナーなままでした。
今回の動画で、バンドブームを描いたみうらじゅんさんの漫画「アイデンティティー」を思い出しました
前回みのさんが、日本ではメジャーとパンクの時差がないとおっしゃっていましたが、そのせいか80年ごろでもロックはちょっと怖いアングラなイメージがあったと思います。そこへシティポップ(ナイアガラ)の佐野元春がロック(シティポップの大人のリゾートのイメージとは違うストリートの異議申し立てみたいな歌詞)を歌って、ロックがアングラでなく学校のクラス内の大部分に受け入れられるようになったイメージがあります。尾崎豊は歌謡というか、佐野元春の現役高校生版のロックソロシンガーのようにとらえていました。中村あゆみ、BOOWY、レベッカもその流れの延長線上なのかなと。
Mi-ke 「想い出の九十九里浜」はネオGSの流れのヒットでいいのかな?
作曲が織田哲郎だからユーロビート風味GSパロディーかな80年代末期から90年代初期にアンティークブームてのがあったんですよ家具とか小物とか古本復刻とかだから昭和歌謡扱いかも
スゴいな・・知らないことばかりですね
元GSギャルですけど、デキシーえもって初耳ですけど、だれですか?教えてください
私はネオGSって書いてあるから、てっきりザ・ヘアが筆頭に紹介されるに間違えないと思い、ワクワクしながら見た口です。主様は違いますでしょうか。そんな私ですが、90年代半ば当時、デキシード・ザ・エモンズを知っていました。CDもありました。何で知ったまでは記憶にはありませんが。でも、もし主様が、私と同じように、ザ・ヘアが代表的なネオGSって思う方ならば、きっと思っているようなサウンドではないんじゃないかなぁと思います。歌謡曲味足りず、ガレージ味を強く感じるんじゃないかと思います。答えになりましたでしょうか。
ライブハウスにユンボを持ち込んだハナタラシより毎年ユンボで巨大芋煮を作る山形県民の方がロックだと思う
チェッカーズは入ってるのにC-C-Bはいないのが寂しい😅
7:40あたりの、刺激的なインディーズのシーンへの熱狂ぶりについての解説「全国的にそういう若者がたくさんいたんでしょうね」はい、いました(笑)DOLL、フールズ・メイト、宝島を愛読し、NHKの番組は当時見ましたよ。これらに出会う前に持っていた「アマチュア・バンド」というものに対するイメージとは大きく異なっていたのでカルチャーショックでした。
甲本ヒロト(ブルーハーツ)、奥田民生(ユニコーン)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、どんと(ボ・ガンボス)、中川敬(ニューエストモデル)がバンドブーム期に現れた5大ロックスターだと確信してる。
懐かしいですね 第二次ベーブームのピークは1973年で 1989年に高校生になります さぞや楽器も売れたでしょう 忌野氏共作は「帰れない二人」のみ
コレクターズとストライクスはたしかにネオGS御三家のような扱いではありましたが、英国60年代ビートロックなので、音楽的にはネオGSではないと思います。
BUCK-TICKは父の影響で聴いてますが今でもかっこいいのが凄いですよね!
大槻ケンヂさんが、昔ラジオで語っていました。
「インディーズブーム~ソノシート(自主制作版)ブームがあってからの、バンドブームであった」
「実は、アンダーグラウンドな暴力シーンからの脈々とする流れがあった」
「そのバンドブームが起きてから約2年間で、ブームはパタっと終わった」
ブームが終わったことの原因は、
・レコード会社が考えるほど、バンドは儲からなかった
(必要な頭数が多かった)
・レコード会社の、初期契約期間が『2年間』であることが多かった
・少年少女の流行りは、2年程度で終わるという必然
その流れで、売り上げるバンド以外に『TVで面白いこと喋れるバンドマン』を擁していないバンドは、ことごとく消えたと。
ビジュアル系ですら、Xがビートたけしの「元気が出るテレビ」に出演していなかったら、続いていたかどうかとか。
なんか、そんなこと思い出した動画でした。
個人的には、CDデビュー前のブランキーがウォークマンのTVCMで曲が機用されてた、
なんてことが思い出です。
何なのこの知識量。まだ若いのに。
凄すぎて尊敬してしまう。
中学生の頃は博多めんたいビートの世代なので色々思い出します。陣内孝則や石橋凌はロッカーズやARBのボーカルが役者やってるって感覚がいまだに抜けませんw。あと、YAMAZENやモダンドールズの名前が出ないなあと思いながら見てました。
いい動画ありがとうございます。
「あのバンドが・このバンドが出てない」てコメントたまに見るけど、流石に拾いきれないくらいたくさんのバンドが有りすぎたのが第二次バンドブームだからしゃあない。
あの時代の代表的なバンドを一通りピックアップしだしたら、2時間位の動画を4本立てとかでやらないと追いつかないっしょ。特に89~90年はそれくらい濃密だった。
BUCK-TICKは私の人生を支えてくれたバンドです。
みのさん、紹介して下さって本当にありがとうございます。これからもBUCK-TICKは続いていきます。
ヒットシーンの音楽がDTMで複雑化している今だからこそ、パンクみたいにそのアンチテーゼとして単純化・原点回帰を図るようなムーブメントや、それに伴うバンドブームが起きて欲しいと心のどこかで考えている。
パンク・インディーズシーンからの流れで、マダム・エドワルダやパイディアなどの退廃的なポジパンやガスタンク、デッド・エンド辺りのメタルコア的なバンドからのバクチクに代表されるのちのビジュアル系も結構シーンを賑わせてたと思うが。
ZIGGYとかパーソンズ、レベッカ、レッドウォリアーズ、スライダースとかはここでは出て来ないのかね
ZIGGYの最後のアルバムなんかはメジャーなのにゴリゴリのハードロックでなかなか聴きごたえあるのよ
JITTERIN'JINN久々に聴きたくなりました!
イカ天は欠かさず見ていた。とにかく多彩だった。たまとマルコシアスバンプにどう優劣をつければいいの?そこで取られた萩原評定でマルコシも生き残る。萩原健太はじめ、審査員がすごかった。吉田建、伊藤銀次、村上〝ポンタ“秀一、そしてPANTAまで出て来た。ワイプ攻撃で、つまらないと消されてしまう審査方法も面白かった。
悪いけどpantaは人を審査できる立場じゃないと思ってます。
二期は田中一郎も出てたね。審査委員長。
ありがとうございます!
確か宝島はキャプテンレコードってレーベルやってた気がする。アルタ前で有頂天のライブ見た。「心の旅」は名カバーだと思う。ナゴムは直枝政広のカーネーションのデビューシングルも出してたし、やっぱ凄いと思う。その「夜の煙突」は、後に森高千里にカバーされた。あの頃は、渋谷のエッグマンとかで色々見たなあ。
イカ天懐かしいですね♪人間椅子とか🎉インディは良いバンド居ましたね!メタル系のAIONとかめっちゃお気に入りでした😊どちらかと言えばヴィジュアル系の流れの方が好きでした自分はメタル寄りが好きでしたので😊後はデランジェなどなどハマった
人間椅子はメタル系は勿論BudgieのコピーをしているしKing Crimson「red」のジャケパロに不自然に3人収まってるのを見て草生えた。この世代としてはCaptain Beyondとかやって欲しかったですね
たまの自主制作カセットの不気味なアングラな感じ大好きだわ
80年代のパンクは攻撃性や激しさがアングラ感を担っていたけど、
対してナゴムレコードのバンドの面々は、オーバーグラウンドのロックのかっこよさとは相容れないダサさや珍妙さ、子供っぽさによってアングラ感を醸し出していたと思う
イカ天は関西では放送がなかったのでこのブームの影響はほぼなかったですね。ホコ天はなく「城天」でしたが(シャ乱Q、RAZZ MA TAZZ、ポルノグラフィティ、Hysteric Blue、SCANDALなど)、80年代から続くHR/HM~V系のラインもありました(LOUDNESS、EARTHSHAKER、44MAGNUM、AION、DEAD END、D'ERLANGER、L'Arc~en~Ciel、MIYAVI、DIR EN GREYなど)
ここの通史的には埒外ですかね。
ロッテンハッツ→GREAT3の流れもネオGSが関係してたんですねー!
POGOとKENZI来た~❤ 前回、パンクシーンの動画で紹介されなくて、少し寂しかったから嬉しいです!!🤣
レピッシュ出てきてうれしかったー。
レピッシュはもっと評価されるべき。
佐久間正英さんについても特集して欲しいです。
おぉ、ナゴム懐かしい!西新宿のブート屋とかUKエジソンとか通ってた頃です。
あとビートパンク、ビートロックというと私はThe Modsが浮かびます(めんたいになるのかな)BOOWYの初期とかも。
the modsって福岡発ですから思いっきりめんたいロックですよね。
@@さたあか-w4h さん
めんたいはめんたいなんですが、区分が、ビートパンクやビートロックはめんたいの後に位置付けられてるようなので…
@@ひらひら-u6o
まあ、サンハウスを始めにARBもthe modsもアンジーも福岡発のロックバンドは博多の名物つけて、めんたいロックって認識です。
二枚でどうだの宮尾すすむと日本の社長とかスイマーズとかリトルクリ―チャーズ みうらじゅんの大島渚のカリフォルニアの青いバカ等 面白かったなあ
マルコシアスバンプははまった❗
インディの頃のCD、なんとか探して全部買いました。
ファーストのライヴ曲大好きです!
ガスタンク!バキさん!
リアルタイム世代ではなく、メタルバンドDOOMきっかけで知りましまた。
最高っすよ、危険な香りと艶のあるパフォーマンス!
kenziの名前を聴けただけで嬉しい☺️
今も昔もJUNかっこいい!
KENZIの1st「ブラボージョニー~」は国内パンクの名盤。
地方住の私は行ける範囲の全てのレコード店、中古レコード店を何年にも渡って探し続けたものの手に入れる事が出来ず、社会人となって数年が立った頃、昔は顔見知り程度だった音楽友達と少し深い仲になった時ブラボージョニーを何年も探してるっていったら『俺持ってるよ?』って言われて数万払って譲ってもらいました!
全く後悔はしてないし、聞いてみてやっぱり名盤だと思ったし、今でも大事な宝物です
funkの米米CLUB好きだ
こういうとき絶対と言って名前が挙がらないバービーボーイズ
😊
当時一番聴いていました。
ツインボーカルがかっこよかったですが、斬新なギターやタイトなリズムも魅力でした。
イマサの曲って、イマサっていうジャンルっぽい感じがする。
バンドブームというとイカ天で若者たちに大ブーム、みたいな浅い理解でしたが、今日、ほぼ忘れられたジャンル名「ビートパンク」に「ネオGS」を教えてくれて、歴史家って素敵やん。
70年代後半~80年代初期は金八、積木くずし、校内暴力、暴走族の増加などいわゆるツッパリ系が多く、アザーサイドではパンク系が勢いを増してましたね。普通のロックバンドもスタイルはさまざまだがパンクっぽかったし。ピストルズやクラッシュなどの影響は多くメジャーなとこでアナーキー、スターリンをはじめインディーズシーンではハードコアパンク勢が大量出現。
たしか87年くらいが転換期かな。多くのバンドがポップやロックンロールになったりメタルっぽくなったりと変わっていった。
後にドラマ、はいすくーる落書きでブルーハーツが主題歌を歌ってそこから彼らはブレイクした。
BLANKEY JET CITYをもうちょい深堀して欲しい…かっこいいんだよ、、
コレクターズは還暦を超えた今、正に全盛期を更新し続けてる。曲も喋りも超一流。
ラフィン、ニューロティカなど、未だ現役で活動中のバンドも多いのでライブハウスに足を運ぼう
このバンドブーム、インディーズブームの影響で「インディーズ」という言葉がアマチュアの呼び変えの側面を持ち始めたんだよね。70年代の初期のインディーズレーベルからリリースして後にメジャーレーベルでも活動してるグループとかは、いわゆる「インディーズデビュー」を単にデビュー年にしていて、メジャー以降については単に「レーベル移籍」扱い。
だけど、80年代のブーム以降は単なるアマチュアも「インディーズ」を自称するのが一般的になったおかげで、きちんと商業インディーズからリリースしてたバンドも、メジャー移籍をもって「デビュー」と呼ばれるようになった。
これは80年代半ば~90年代通してずっとそうだったよね。
最近は「インディーズ=アマチュア」というイメージもようやく払しょくされてきたけど。
いつもおもしろ刺激fulな動画をありがとうございます🎶
今回の動画でイカ天の初回放送が僕の浪人期に重なっていた事実に気づきました💦
欠かさず視聴したのに第一志望に通ってエガッタ😮💨
TheWillardが大好きでした。インディーズの歴史を語る時に必ず触れられる御三家ですが、多くの場合3バンド全ては紹介し切れないのでThe Willardはスルーされがちです😅 当時は限られた層に絶大な人気があったのは間違いないと思いますが、売り上げ記録とか御三家の括りが無ければもう注目される事のないバンドなんでしょうね。コメント欄でもバンド名出てこないし、、、寂しい😞
私もウィラードも大好きでしたよ!
一曲一曲がダークな短編小説のようで、曲を聴いてると登場人物が目に浮かぶような体験が出来て、その音楽性にどっぷりはまっていました!
当時見る事が出来なかった映像が今ではyoutubeで見れますし、まだまだ応援してるバンドです!
JUNにはずっと続けて欲しいし、出来る事なら、時々でいいからKLANやKYOYAと一緒にステージに立って欲しい!
あっ ウィラード発見!
イカ天出身で現役バリバリ活動しているのは人間椅子だけで海外にもツアーして反響良かったみたいね!
THE COLLECTORSは現在進行形で今が一番カッコいいですよ!
ファントムギフトと対バン出来て光栄だった
イカ天欠かさず見てたけどライブ行ったバンドいないなと思った。それは単独で北海道まで来てくれるバンドが殆どいなかったから。その代わりフェスや友達、先輩のバンドには足繁く通ってた。私の周りはデビューしなかったけどその時の対バンが怒髪天やイースタンユース、ブッチャーズ、DMBQで今も見られるの感慨深いな。
浜田省吾と尾崎豊の掘り下げた特集を観たいです。
メディアへの徹底した距離感…反戦と反抗…日本の音楽界の硬派ツートップかな?…と思います。
そういえば浜省の"J-BOY"という曲のモデルは尾崎豊だと本人から聞いた事あります。
ネオGSのシーンやバンド群はあんまり明るくなかった(コレクターズとデキシードザエモンズくらいしか知らなかった)ので勉強になりました。
やはり渋谷系はソウルやフレンチ、ブリティッシュロック、ロックステディスカなどもルーツになってるって意味ではモッズリバイバルの文脈からも語れそうですね。
私にとっては人間椅子一択のイカ天でした。
お若いのにまるで当時をリアルタイムで体験してきたかの様な素晴らしい解説、いつも楽しく拝見させて頂いております。あの頃重要なシーンがあったのでそちらも取り上げて頂けると嬉しいです。ジャパメタブームです。バンドブームの下地にジャパメタブームがあり、パンク、メタル、ハードロックが混合してバンドブームがあったと思っております。LOUDNESS、EZO、VOWWOWなど海外に挑戦したバンドなど面白いバンドが結構居て面白かったです。
素晴らしい。ちぐはぐさ無し!
90年代、ほんの1~2か月の括り「ネオアコースティック」と、実質的に森高千里と対比するために括られた「ガールズポップ」を取り上げてほしいけど些末かな?
ちなみに、最近の遊佐未森さんのインタビューでは、「ガールズポップはわたしより下の世代というイメージ」という趣旨の発言をしていました。
雑誌「バンドやろうぜ!」が10万部も売れていたことは驚愕だ。バンドブームの80 年代後半当時は田舎の高校生だった。進学校なのに、モヒカンや唇にホッチキスを入れた過激な同級生がいたのは、バンドブームの背景があったのか。ホコ天のニュース映像を見て、東京で流行るブームを正直バカにしていた。一方で、町に一つの輸入盤屋に足繁く通い、UKロックをウォークマン(の模造品)で聞いていた私は、暗い田舎のティーンネージャーだったんだな。
自分も使ってました😅
今思えば、当時はまだギタリスト志望だったPIERROTのキリトがBUCK-TICKのコピーバンドやりたいと載せていて連絡取った思い出があります
自分はハードロックバンドやりたかったのでアパートに行ったり数回会って遊びでコピーでBUCK-TICK弾いたりしただけで、組みませんでしたが
彼は元は埼玉でしたが色々あって某県の田舎町へ移り住んでいました
たしか工場工員やりながらコピーバンドやってて直ぐに群馬と長野で火がついてビジュアルバンドとして人気はすごかった
当時は静かでおとなしい人という印象しかありませんでしたが、何年後かにPIERROTとしてミュージックステーションに出ててたまげた
才能のある人は何より勇気と活動力がありそして躊躇がない、これが共通点であると改めて知った次第🤔
B'zと比較してFENCE OF DEFENSEはあまり売れなかったが知る人ぞ知る時代の先を行っていたバンド
前にも書いかもですが私が好きだったのはローリングストーンズライクなRCやスライダーズやレッドウォリアーズやボガンボスにプライベーツです。ソロは和製スプリングスティーンやジャクソンブラウンライクな元春 浜省 尾崎でした。イカ天バンドはレジスタンスというファンクロックバンドとみうらじゅんの大島渚バンドが好きです。バンドでボーカルやりましたがギターは下手なので弾く振りしていました。😅今はソロでビートルズやディランやCCRや陽水や元春を弾き語りしてパーティーなどで披露しています。😅下手の横好き。😅
Shogun、CREATION、TALISMAN、トランザムあたりの位置付けを教えて下さい。ちなみにオーケンは空手バカボンが名作でした。
アルタ前でソノシート配布か..そういうの「なんで東京ばっかなんだよ!」って指咥えて見てるしかなかったな.. で数年後中古ショップや雑誌の「売ります/買います」で手に入れたり
バンドブームは現象としては大きかった。でも売り上げとしてはそんなでもなかった、というのはレコード売り上げが伸び悩んでた時代でレコードからCDへの過渡期だったこともある。売れて有名だったのはハウンドドッグ、バービーボーイズ、TMネットワーク、レベッカ、ボウイ、渡辺美里らソニー系ばっかだった。このあたりのアーティストと宝島系その他のバンドブームのバンド群は何か別世界のようだ
みのさんをイエモンのライブ会場(東京ドーム)で見かけた気がするんですが気のせいでしょうか☺?
大学当時は岡村ちゃんとレピッシュ推しでしたが、バンドブーム後は バービー、米米、ドリカム、久保田利伸が急速に歌謡界を席巻していったような印象
ポップとHR/HMを兼ね備えたバンドの草分けはLOUDNESSですかね!? そこらの紹介もお願いします❤
あとは日本のブルースの紹介を是非🤩
当時のリアルタイム世代からすると
ネオGSからの流れはThe JAMとスタカンつまりポールウェラーが強く影響していたかなと思います。
そしてスタカンの雑食性はそのまま渋谷系にも繋がるかと…
勿論影響はそれだけではないですけれどね
切り取り式メンボ懐かしいー!
この先長いかもしれませんが電子音楽、アンビエント、ノイズ編お待ちしてます。😊
バンドブーム・・・ものすごーい大量のバンドがメジャーデビューしてた。なんでこんなに簡単にデビューさせるのだろう?と思っていた。過剰感アリアリで、むき出しのアマチュア感が苦手だった。このブームは早晩終わるなと思ってたがバンドブームを駆逐したのはビーイング系だった。これ重要。バンドブームに踊った人たちと、それ以外の「普通の若者」の乖離が激しかったというのが実情
GSの時代もそうでしたがわざと質の悪いバンドをデビューさせることでブームを終焉させようとする目論見があったようです。プロの仕掛け人やミュージシャンたちからすると面白くなかったんでしょうね。
イカ天の画像が2007年復活版だったのがちょっと気になった😂
前回「ハードコア不法集会」でVAがアリだったから、
ネオGSを「Attack of…Mushroom People!」で纏めてもよかったかも🤔
FMステーションは読んでたな
第一次バンドブームってベンチャーズの影響受けた第一世代のGSのころじゃなかったけ?細かくいくと第2次がフォークもしくは動画内のサザンやRCが流行った頃で、80年代のインディーズと90年代前後のイカ天が第3次だったような。80年代のDIY精神がバンド終わってもその後も精力的に活動している方結構いますね。町田康、辻仁成は作家でKERAは劇作家だし。少し細かいけど80年代のパンクバンド、ラフィンやスターリンとかハードコア勢が影響受けたのはディスチャージ、GBH当たりのUKハードコアで90年代のメロコアのちの青春パンク勢はUSのほうのディセンデンツやゴリラビスケッツあたりだと思うけど、
私も第一次バンドブームはベンチャーズの影響を受けた60年代だと思いました。「青春デンデケデケデケ」に描かれた世界。
あれはエレキブームだろ、それまで殆どの若者はエレキギター聞いた事が無いのだから。
@@maeda9479 なるほど。テケテケはエレキブームか。
80年代はネットは無くて、TVと雑誌メディアの影響力が大きくて。
ブームを支える周辺(ティーンエイジャーの親やライトなファン層)を取り込むのに、アルフィーやサザンなどの大手事務所に所属していたミュージシャンの影響力は大きかったように思います。
まぁ音楽的な影響力は別として😜
80年代の関西ヘヴィメタルの流れも掘り下げてほしいです。
そういや昔、みの氏カステラ知らないって言ってたなあ
ザ 50回転ズはネオGSに入りますか?入るか。
BOOWYはめんたいは通ってなく、初期はピストルズなどのパンク、バズコックスとかスクイーズとかのニューウェイブの影響を受けた布袋の独特な曲作りが際立ってました。ネット上で聴けますが、2枚目インスタントラブまでの時代のライブハウス音源でしか聞けない未発表曲とか、アルバム収録曲が全く別のアレンジで演奏されていたりとか、メジャーシーンには浮かびきれないけど常にライブハウスは満員だった時代の音源は特にかっこいいです。すでに完成に近づいていた変態(褒め言葉)ギタープレイとこんな曲を書けるのかと思わせる当時20代前半だった布袋の天才ぶりがやばいです。その後の佐久間正英との共同作業で出した3枚目のアルバム位からメジャーバンドへの道をたどったと思います。
ソノシートは基本ジャケ買いで、例えばGHOHLのOiOiとかTHE NEWEST MODELの明日はどっちだとかをピックアップ出来ました。ナゴムもどっぷりハマってて動画で解説されていたミニコミの分野でのナゴムの思い出でいうと、「6×9=54」というミニコミ誌は特に重要だと思います。当時のナゴム中期~後期のリアルを知りたければこれを読めばある程度把握できるかなと。ここには毎回ソノシートが付録されていて、JIN-SAYを初めて聞いたのもこのミニコミの付録でした。電グルを想像して聴くとびっくりしますよね。メンバーは同じでも全然ちがうんで。
それと80年代~90年代に大活躍し、今は再結成してる、私が一生のバンドと決めているストリートスライダースが一切トピックに上がらなかったのも興味深い。バンヤろでスライダーズのカバーでメン募結構見た記憶あります。バンドブーム全盛期に主流であったビート系とは違う、ストーンズ直系のロックンロールで、武道館即完という人気バンドにまで成長したけど、ある意味、独自の道で流行り廃り関係なく、我が道をいく孤高のバンドなんだなぁと改めて実感しました。
みのさんにはいつか初期P-MODELとその周辺をまとめて欲しいです。
私は自主制作(インディーズ)を全てひっくるめて一つのジャンルと捉えて、気になるものやレビューを読んで聴いたり、それと同時に普通にポップスから邦楽ロック、洋楽ロックと手を広げ過ぎて広く浅く触れてきて、追いきれなかったのがP-MODEL界隈(ヒカシューとか)なので興味深いんですよねぇ。
BOOWYはめんたい通ってますよ。ロフト時代の仮想敵がARBやルースターズだったと語ってますし、1stの「モラル」が一発どりなのはロッカーズの1stが寺院で一発どりだったのを意識して録音されたとインタビューにあります。
@@sawakome マジですか―――!私はそのインタビュー、たどり着けませんでした。ARBとルースターズが仮想的でロッカーズの一発録り。そういう接点があったとは。詳しく教えてくださりありがとうございました感謝
@@はち-l7h さん 氷室さん本人のインタビューで語られてました。18年位前に出てたムック本です。
@@sawakome おお!そんな細かい情報までわざわざありがとうございます。てっきりモラル期に仮想敵とか、とがったこと言ってたのかと思いましたが、解散後、約18年くらい経過した2006年頃の回顧録なんですねぇ。
ネオGSに、ザ・ヘアが筆頭に出て来るに間違えないと浮かれて見たら、違うっぽかった。
レベッカはどの辺に位置するのでしょう?? 私はレベッカに最も衝撃を受けました。
マーブルシープとかエンジェリンヘビィシロップとか日本のアングラとかやって欲しい
モンゴル800はなかなか邦楽史において名前をみることがないのですが、ELLEGARDEN等と比べて後進への影響が少ないからなのでしょうか?
販売量や認知度からしてもう少し話題に出てもいいと思うのでみのミュージックさんのご意見が聞きたいです。
12:43 さすがにここでGLAYの名前を挙げるわけには行かなかったかw
最後まで演奏できなかった挙句、審査員からは酷評されたし、過去に放送されたイカ天復活スペシャルでもGLAYが出てたことすら触れなかった。でも結局、イカ天出演バンドではGLAYが一番売れたというね
確か、バンドやろうぜの編集部にPOISON ARTSのドラムの人がいたような…(副編集長?)毎月いろんなバンドのスコアが載ってて重宝したなー。
次回はTKとビーイングの台頭とかになるのかな
TVに接近していたレベッカ 米米 ミスチル ハウンド・ドッグ はどの辺で触れられますか?
TV番組の夜のヒットスタジオに、ブルーハーツが出た事がバンドブームが広がった一つのきっかけっだった印象があります。
ボーイやレッベッカなどもすでに活躍していたけど、バンドブーム前夜的な印象。
当時の若者が、それっぽい服着たり、楽器買ったりしたのはブルーハーツの持つカジュアルさやストリート感が響いたのかも?
ケラはケ⬇️ラ⬆️ではなく
ケ⬆️ラ⬇️が一般的なアクセントですよー
特定の音楽のジャンルでは無いんだけど
GS→フォークニューミュージックからバンドブームへの架け橋として
いわゆる「歌謡ロック」という潮流があったと思うんだよね。
甲斐バンド、RC、モッズ、ハウンドドッグ、浜田省吾、佐野元春、尾崎豊、REBECCA、BOOWY、BUCK-TICK(初期) etc. 後のビジュアル系ブームにも繋がる。
どこか歌謡曲っぽい湿っぽさやメロディアスなメロディーを持った売れ線の曲をロックテイストにしたものが日本のロックのメインストリームを作った
それが「歌謡ロック」
ジャンルをクロスオーバーするから通史としては掴みにくいんだけど…
(なので歌謡ロックのキーである甲斐バンドやハウンドドッグ、REBECCAは言及されてない)
ちょっと「歌謡ロック」をどう捉えるのか聞いてみたいっす
あーBARBEE BOYSを忘れていた!
不覚
あと安全地帯もこの歌謡ロックの概念に入ると思います。
たしかにそうですね
音楽に深くはまっていく当時の若者はコメ主サンの言う通り、テレビやメジャー誌に取り上げられる上記のバンド、歌手は、当時概念は無かったかもしれないけど『歌謡ロック』的な認識で、ライブハウスでの叩き上げやインディな活動をしてる人達を『本格派(本物)』的に認識していましたよね?
一般の人や、商業音楽家群からすれば大きな”ロック”という潮流の中の分流で細かい出来事かもしれないけど、当時のシーンにどっぷりはまっていた者からすれば、この2つは似て非いなるもので、その後のミュージシャンの系譜も歌謡ロック系と本格派に分ける事が出来るような気がします
補足
Aメロ、Bメロ、サビという
日本の歌謡曲の基本構造を
ロックに仕立ててヒットさせてるというのが歌謡ロックの大きな特徴です。
これらのアーティストの代表曲はだいたいこの構造なので聴いてみてね
日本の音楽史を語るうえでその手の「歌謡ロック」が完全に無視されているんですよね。本当は彼らの存在こそが「表の邦楽ロック」の主役で村八分とか頭脳警察とかはっぴいえんどは「裏の歴史」「黒歴史」なんですけど、今の邦楽の歴史的には彼らの存在がメジャーだったかのように語られてるのが不思議でしょうがないです。
世間一般での歌謡ロックの元祖的な存在は世良公則&ツイストだと思うんだよね
BARBEE BOYSのような男女がリードボーカルのロックバンドは欧米にも無いのでは?世界初で、いまだに出てきていない気がする
あの、ペラペラなレコードはソノシートというのか!! 疑問が解けました🤩
パンク〜インディ〜バンドブームの流れの中でじゃがたらってどんな立ち位置になるのかな?ほとんど取り上げられなかったけど・・・
筋肉少女帯がデビューした頃に11PMて深夜番組で見てからよくLIVE行くようになり当時のLIVEでは大槻ケンヂが口に含んだ缶入り烏龍茶を客にぶっかけたり「かかって来いや〜」と言われて相撲をとったりしてめちゃくちゃで楽しかった
Dollという雑誌の文通コーナーにGSの好きな人を待ってますて女子と1年ぐらい文通していて1990年の東京ドームのポール・マッカートニーLIVEに3人で行ったことを思い出した
ネオGSも楽しくて当時は通信販売でファントムギフトやニューオックスにヒッピーヒッピーシェイクスにストライクスのレコードを買ってました
イカ天
Here is Aden 中学生日記 総武線ホーンズ ストーンクレージー たちくらみ ティラノザウルス サイバーニュウニュウ やどかり天国
みんな懐かしい
たちくらみの「チカンに会いたい」はある意味パンク以上にパンクなことを(あっけらかんと)やっているというw
@@BraunFlexControl123
電車の中で♪
あの曲
LAUGHIN' NOSEのGet The Gloryみたい
お、ユニコーン来た?
ぼちぼち民生氏辺りもゲストにお願いします🙏
宝島カセットのことかな?インディーズのくだりは?🤔
糊口(ここう)ではないかと
うふ
うふ
うふ
ハナタラシ懐かしい〜笑
強力破壊主義者!山塚アイ。 JOJOの非常階段も忘れてはいけない
これで21世紀の流れをやったら権威主義ではないんだな、とさらに見直す。
イカ天には上京したての頃のGLAYが出演しましたが完奏ならずでした。さらにGLAYはホコ天でも演奏経験があるようです。
スピッツも出演のオファーが来たけど、初回の放送を観て断わりました。
判定に納得がいかずに服を脱ぎ出す女性がいてそれにドン引きしたからなんだけど、イラストレーター(など)のみうらじゅんはその光景を観て「自分は本来そちら側の人間だった」ということを思い出し、大島渚というバンドを結成して当番組に出演することになります。いろいろありますね
3:55 糊口(ここう)を凌ぐ
ネオGS聞いてみよ
実際はそんなに騒がれてないです。ファントムギフトも1枚しかアルバム出してないことを考えると予想していたほど売れてないしマイナーなままでした。
今回の動画で、
バンドブームを描いた
みうらじゅんさんの漫画
「アイデンティティー」を思い出しました
前回みのさんが、日本ではメジャーとパンクの時差がないとおっしゃっていましたが、そのせいか80年ごろでもロックはちょっと怖いアングラなイメージがあったと思います。そこへシティポップ(ナイアガラ)の佐野元春がロック(シティポップの大人のリゾートのイメージとは違うストリートの異議申し立てみたいな歌詞)を歌って、ロックがアングラでなく学校のクラス内の大部分に受け入れられるようになったイメージがあります。尾崎豊は歌謡というか、佐野元春の現役高校生版のロックソロシンガーのようにとらえていました。中村あゆみ、BOOWY、レベッカもその流れの延長線上なのかなと。
Mi-ke 「想い出の九十九里浜」はネオGSの流れのヒットでいいのかな?
作曲が織田哲郎だから
ユーロビート風味GSパロディーかな
80年代末期から90年代初期にアンティークブームてのがあったんですよ家具とか小物とか古本復刻とか
だから昭和歌謡扱いかも
スゴいな・・知らないことばかりですね
元GSギャルですけど、デキシーえもって初耳ですけど、だれですか?
教えてください
私はネオGSって書いてあるから、てっきりザ・ヘアが筆頭に紹介されるに間違えないと思い、ワクワクしながら見た口です。主様は違いますでしょうか。
そんな私ですが、90年代半ば当時、デキシード・ザ・エモンズを知っていました。CDもありました。何で知ったまでは記憶にはありませんが。
でも、もし主様が、私と同じように、ザ・ヘアが代表的なネオGSって思う方ならば、きっと思っているようなサウンドではないんじゃないかなぁと思います。歌謡曲味足りず、ガレージ味を強く感じるんじゃないかと思います。
答えになりましたでしょうか。
ライブハウスにユンボを持ち込んだハナタラシより毎年ユンボで巨大芋煮を作る山形県民の方がロックだと思う
チェッカーズは入ってるのにC-C-Bはいないのが寂しい😅
7:40あたりの、刺激的なインディーズのシーンへの熱狂ぶりについての解説「全国的にそういう若者がたくさんいたんでしょうね」はい、いました(笑)
DOLL、フールズ・メイト、宝島を愛読し、NHKの番組は当時見ましたよ。
これらに出会う前に持っていた「アマチュア・バンド」というものに対するイメージとは大きく異なっていたのでカルチャーショックでした。
甲本ヒロト(ブルーハーツ)、奥田民生(ユニコーン)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、どんと(ボ・ガンボス)、中川敬(ニューエストモデル)がバンドブーム期に現れた5大ロックスターだと確信してる。
懐かしいですね 第二次ベーブームのピークは1973年で 1989年に高校生になります さぞや楽器も売れたでしょう 忌野氏共作は「帰れない二人」のみ
コレクターズとストライクスはたしかにネオGS御三家のような扱いではありましたが、英国60年代ビートロックなので、音楽的にはネオGSではないと思います。