キャロル・ロック御三家とサザンの衝撃【邦楽通史#15】
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コミックバンドとして見られていたサザン。一発屋の臭いがプンプンして、短命で終わると思っていたが、出す曲出す曲がヒットし、ロックありバラードあり、音楽の領域を広げながら、かつヒットチャートを意識した姿勢で、解散をせず、半世紀近く、第一線で活躍。紅白歌合戦にも出場する大衆音楽を続けてきた。すなわち、売れたから、もういいという考えはなく、常に良質の新曲にこだわった桑田のモチベーションが、サザンの大きな特徴である。
子どもの頃キラーストリートで育った20代のファンなので、サザン桑田さんは完全に親の影響。親が中学生の時のデビューなのにもかかわらず、その子ども世代の若者ファンにもぶっ刺さる曲を作り続けてるの本当にすごいと思う。
世間的な名曲は昔の方が多いんだろうけど、平成生まれのファンには、自分含め、キャリア後半〜最新の曲の方が好きな人は多い。そしてチャート上の数字もライブ動員数も全く衰え知らず。
桑田さんは「新曲を届け続けることがポップスバンドの命」みたいなこと言ってたけど、ファンが何世代にも広がってきて、70手前になるのにその姿勢貫いてるのほんと尊敬する。
桑田佳祐の凄いところは、才能もさることながらバランス感覚に優れているところ。
ヒット曲を出したが故に、後が続かず下火になっていったバンドも山ほどあるなか、サザン・桑田はヒット曲に溺れず、常にファンをいい意味で裏切ってきた。
それが45年続いてるんだから、本当にすごい。
サザンがデビューした時に音楽評論家はコミックバンドと言ってましたが、私の世代(当時高一)は「ついに日本人の洋楽きたー」と絶賛していました。これは日本中で同じだったと思います。同時にこんな凄い才能をなぜ音楽評論家はわからないんだろうということも友人たちとよく話をしていました。
昔10年程CD屋さんで働いてたんだけど、サザンが本当に凄いのは「ちゃんと売れてた」んだよね。
某J-Discとか某avexは、初回オーダー数の何倍もの数を送り付けてきて初登場1位を作り上げてたんだよ。
まぁJ-Discは無茶な数は送ってこなかったし、数か月後に余ってたら返品を受け付けてくれてたけど、avexは送り付けるだけ送り付けてきて返品は受け付けないクソだったわ。
あとそういうインチキではないが、長渕や永ちゃんは固定ファンのセールスだったから、毎回売れる枚数がほぼ一緒だった。
でもサザンは楽曲が良い時と悪い時のセールスの差が凄くて、ちゃんと「この楽曲が好き」だからお客さんが買ってた印象だな。
それでずっとヒットを維持し続けるんだから本当に凄い。(でも外す時はホントに外すからちょっと怖かったw)
曖昧な言い方だけど、そういうセールス背景も含めると、ガチの日本一のポップアーティストだなと思う。
発表されているセールスのデータは=CD刷った枚数だからな
実は実売の動向は現場のCDショップしか知り得ないんだよね
イエローマンが大爆死したのは有名ー🍀
自分のいた店ではTSUNAMIが初日で500枚くらい売れたのですが、イエローマンは4枚で(笑)
正直オーダー前にメーカーの営業さんにサンプル盤を聴かせてもらってたので、コケそうなのは気がついてましたが、まぁサザンだし…と200枚くらいオーダーしたのに初日4枚は衝撃でした。
確か1ヵ月で17枚しか売れなくて、1年くらいかけて残りを返品しました(笑)
リアルタイム世代ですが、ロックがお茶の間に定着するのに貢献したテレビが、TBSで夕方やっていた「銀座NOW」というバラエティ番組だったと思います。キャロルをはじめ、今回出てきたロックアーティストの多くが出演していました。特に私はCharが「気絶するほど悩ましい」で弾くギターソロに釘付けになりました。BOW WOWもここで出会ったし、お笑いやアイドルも活躍する中、洋楽の紹介もあり、結構ロックな番組だったと思います。そういえば、後のイカ天もTBSでした。
「海のYeah!!」がホワイト・アルバム並に多彩で何度も聴いてる
共感
熱い胸さわぎと、10ナンバーズからっとの初期の2枚が好き♥️
サザンが歌謡曲の皮をかぶったロックだとすれば、ゴダイゴはポップスの皮をかぶったプログレですね。ゴダイゴも革新的だったんですが、ホーリー&ブライト発表後にベースのスティーヴが脱退してミッキー吉野が明らかに萎えたのがバンドが比較的短命に終わった原因ですね。そう考えるとサザンは驚異的ですね。彼らがヒットしたあたりからリスナーの耳も肥えだしてきたなという感じです。
サザンというか桑田さんが新しかったのは最初から歌謡曲へのリスペクトを表明していたこと。70年代はいわゆるニューミュージック側は反歌謡界(芸能界)というアティテュードが強くあって「あっち側(歌謡界)」と「こっち側」という言い方があった。しかし桑田さんは当初から歌謡曲への愛を語ってた。80年代のインタビューでは自分の使命は日本で歌謡曲をやること、とまで言い切っている。
へ~そうなんや、知らんかった。チャコの海岸物語とか70年代から80年代にかけて主流だった歌謡曲に対するアイロニー満載なネタ楽曲と当時学生だった自分は受け取ってたけどそういう背景があったんやね。桑田さんは弘田三枝子とかの洋ポップスの翻訳的な初期の歌謡曲は認めるけど昭和後期の歌謡曲(歌謡界)には否定的なスタンスやと勝手に思ってた。テレビには出てたけども。
音楽の目覚めはアイ·ジョージですからね。三拍子一拍子のドドンパを世に広めた
サザン、改めて振り返ると、継続して親子3世代バンドになっている偉大さを感じました。
サザンがベストテンだったかにタンクトップ&ジョギパンで出演した時の衝撃ったら!
熱い胸騒ぎの時は元気な学生バンドのイメージが強かったけど、10ナンバーズカラット〜タイニイバブルズ〜ステレオ太陽族と続く流れは本当にスゴかったと思います。
桑田さんもアベーロードではかなり攻めてますね笑
あの頃はランニングかな?
チャーさん、原田さん、ツイストは当時珍しかったです。ロックとかシンガーソングライター系はテレビに出ないイメージだったけど、このお三方はテレビによく出ていました。私が初めてサザンを見たのは、ザベストテンの今週のスポットライトだったと思うのだけど、そこで勝手にシンドバッドを見ました。当時私は5歳でした。コミックバンドという言葉は記憶は無いのですが、ふざけたバンドというイメージで見られていたことは記憶しています。でも、翌年79年のいとしのエリーで評価がガラリと変わったと記憶しています。デビューしてから足掛け47年現在でも発表すれば必ずヒットする。本当に凄いです。
サザンは幼少期から父親の車で流れており、今に至るまで教育されてきました
私の体験に似てます(私の場合は少し時代が違って加山雄三やベンチャーズでしたね)。いずれにしても身に染み付いていて音楽への好みが強制的に決まったという感じです。
私はそれがビートルズでした。そして我が子も同じ轍を
キャロルを語るのであればセットでファニーカンパニー(桑名正博)サディスティックミカバンドにも言及してほしかったけど、商業的に成功したのはキャロルだけだったから仕方ないかもしれない。コンセプトアルバムはミカバンドの「黒船」が典型ですけど、当時の日本人にはコンセプトアルバムは早かった。キャロルの功績は芸術性や作家性よりもまず肉体性がロックの本質であることを世間に周知させたことだと思います。ファースト「ルイジアンナ」のB面のoldrock 'n' rollのメドレーは最高ですよ。
ジョニー大倉が「俺たちは日本のセックスピストルズだった」と発言しているがまさにその通りだったと思います。ピストルズよりも4年早かった。
小学生の時に、思い過ごしも恋のうちを聴きました。
小学生ながら「へえ 思い過ごしも恋のうちなんだあ」って思いました。
「吉田拓郎の唄」の歌詞で言えばサザンもキャロルも
俺たちを「ワルく」させたんですよね。
サザンファンなのですが、邦楽ロック歴史上におけるサザンについてはあまり考えることがなかったのでとても興味深かったです!
サザンがデビューした時の衝撃は凄かった
その後「いとしのエリー」でノックアウトでしたねw
幼い頃から両親の影響でサザンをずっと聴いていました。デビューした頃を知らないのですが色々調べるとずっと第一線を走っているイメージ。政治関係の攻めた曲、慕情や彩、風の詩を聴かせて(桑田さんのソロ曲だけど)などの繊細な曲、おふざけ系の曲など幅広いジャンルの曲があって発表されるたびに驚かされます。現代のアーティストもリスペクトしている点も桑田さんの素敵なところだなと感じます。全世代に愛されるサザンオールスターズ、これからもずっと大好きです。
サザンはデビュー当時世間的にはコミックバンド的な評価が高かった中、ラジオで音楽的なセンスを大評価してたのが吉田拓郎です。
原田真二を発掘したのも拓郎やしね・・・
原田真二は当時の音楽的嗜好としてグラムロックが大好きだったそうですが、デビューにあたり、拓郎は筒美京平の曲を聞かせまくったとか。
拓郎がフォーライフ作った目的はプロデューサーの地位を上げるためと記者会見で発言してます。
吉田拓郎は裏方としても日本のミュージックシーンのエポックメーカーですね。
@@user-xv2qr9vc8j 確かに。拓郎がいなかつたら日本のミュージックシーンは全然違っていたかも。
ちょうど市立図書館から、スージー鈴木著「桑田佳祐論」を借りて読み始めたところでした!通史解説はいよいよ70~80年代。心からみのさんを応援してます!
この動画を桑田さんが観ると照れてニヤニヤしそう
そして絶対観てる b
面白かったです。
ありがとうございます!
桑田さんは多くのアーティスト達にリスペクトを持っている
永ちゃんの事も凄くリスペクトしているんだよ
桑田佳祐、矢沢永吉、原田真二、財津和夫、タケカワユキヒデなどなど、ビートルズの中でも特にポールの影響が大きいと感じる。ビートルズからウイングスにかけて、ポップスという枠組みの中で童謡のようなものからハードなものまで様々なジャンルの音楽を取り入れていたのはまさにポール。商業的な成功も必要とされるアーティストたちにとって、お手本となったことだと思う。このことは後のJ-POPの多様性の礎ともなっている気がする。
アレンジメントやコード進行の面で日本のミュージシャンがポールから受けた影響は大きいと思います。ジョンではなくてポール。ジョンはインスピレーション優先でコード進行がオーソドックスな音楽的法則に則ったものが少ないのに対して、ポールはミュージシャンの家系だったからちゃんと法則に従っている作品が多いので模範にしやすかったのでしょう。
吉田拓郎が3、4年前のラジオで「桑田佳祐、サザンってのはロックだポップだって次元にはもういないんだよな~」「サザンオールスターズってジャンルなんだよ」って言ってた。なるほどと思った。
大瀧詠一と山下達郎が桑田佳祐の曲作りについて話してる動画を昔見つけました。ua-cam.com/video/fynTRUoJi3s/v-deo.htmlsi=kwN8D4549OCJAjRv
サザンが「涙のアヴェニュー」~「わすれじのレイドバック」まで1ヶ月に1枚ずつシングルをリリースしてた時期に
ジューシィ・フルーツといっしょにビルの屋上でライヴ演奏をして警察沙汰になったことがありました
サザンもなかなかに攻めてたんですよ
「ボディ・スペシャルⅡ」のジャケとか今では考えられないですし
ロック御三家については
Charさんは歌謡曲的アプローチをさせれられたイメージ
作詞は阿久悠さんですし
原田真二さんやツイストはメディアがロックにすり寄って来たイメージ
大先生じゃない人でも楽曲がつくれる才能があって
話題にしていった感じがします
大先生じゃない人がつくった楽曲がTVで大々的に取り上げられたのは
小坂明子さんの「あなた」が最初かなぁ
ロックじゃないけど だれでも歌がつくれると気付かされた
コミックバンドと見せかけて、英語か日本語なのか不明な発音で際どいことを歌う。そういうトリッキーな方法論を実践したサザン。
ジャパニーズロックの始祖はキャロルだろうってリアタイ世代からはよく聞いた
歌謡・フォーク全盛の時に現れた衝撃があったらしい
キャロルの曲カッコ良かったですなあ!初期のビートルズの香りがプンプンしてた。甲斐バンドもめちゃ好きだった。
ファン歴30年です。桑田さんサザン音楽を出しつつもソロでは思いっ切りやりたい事に振り切って、違った一面を味合わせてくれたのも妙味あり(ファンが飽きない)と感じてます。
サザンもツイストもポプコン出身ですよね。
勿論、YAMAHAの商業戦略が大きかったのでしょうが、当時を振り返って考えてみればGRECO何かもTV枠を使ってサンハウスやプリズムなんかを取り上げてロック少年だった僕は興奮して釘付けになってましたね。
今そうゆう業界側が仕掛けたムーブメントってあまり見掛けないけど、どうなってんだろうな?
ステレオ太陽族を当時みんな聴いてたなぁ・・。
ステレオ太陽族は、LPは売れたけどシングルは壊滅的に売れなかったというのがあって、ケツまくって出したのがチャコだったのですよ。
ステレオはサザンの最高傑作だと思ってます
サザンは女性の扱い得意そうに見せかけて実はシャイな感じが好き
女呼んで揉んで抱いていい気持なんてモテる奴は歌わんでしょう。
女呼んでブギなんてモテる奴は歌わんでしょう。もし歌ったらやっかみが凄そう。
寅さんですね。最後は、結局、フラれちゃうという。
原田真二がテレビから締め出されたのは「8時だよ全員集合」の体操コーナーで原田のマネージャーがミュージシャンにそんなことさせないと言って帰った事件がきっかけ。
サザンの活動のサステイナブルなところに注目するとはあんまり考えてなかったです。あれは極めてまれな例であってマネしようがないというかロックバンドというと刹那的というか短く凝縮した活動の中でどれだけ記憶に残るかが勝負だと思ってました。それよりチャートに入ったりお茶の間レベルへ届けるためには、実験精神や自分の表現したいこととポップス性や一般大衆受けする割合を何対何にするか混ぜ具合でアーティストが四苦八苦したいるのかなと
矢沢さんはポールの大ファン
初めはマッシュルームカットで行こうぜ
と言っていたが
ジョニー大倉さんが
不良時代のリーゼントで行こうぜ
と言ったのをきっかけでリーゼントになって
でもベースだけは譲らなかった
サザンも原由子のデビュー曲が放送禁止になったことに対しての抗議としてビルの屋上でゲリラライブをやって警察沙汰になったことがありましたねぇ
矢沢永吉はファン層のイメージが悪いからか、音楽的な評価は過小評価されてると思う。
ライブ行ったけど演奏演出パフォーマンス全てにこだわりが感じられて素晴らしかった。
私が流行音楽評論を
全く信用しなくなった原因が
当時のサザンの評価でした
幼少期ながら自分は「スゲぇ」とドはまりしましたが
楽器趣味を持つ両親も存在自体を嫌悪してました
自分にハマればそれで良いんだって
聴く音楽に吹っ切れた切っ掛けです
サザンの曲はあの時代では明らかに異質でオーパーツ
TARAKO・KAMAKURA全般は特に
83年を境にサウンドがかなり変わった
10代ですがソロもサザンも大好きです
サザンがずっと活躍できてるのはやっぱり音楽の振り幅が広いからだと思う。
日本語で英語っぽく歌っても桑田佳祐の歌唱なら自然に聞こえちゃうし。
逆にそれ以前の日本語ロックってどこかノッペリと聞こえてしまう
歌詞もストレートじゃなく文学で良い。
キャロルあんま取り上げられていた記憶がなかったからちゃんと拾ってくれて嬉しい。日本のロックミュージシャンを扱うなら絶対に避けて通れない
桑田佳祐の真似は誰にもできない。唯一無二というか、異質。なので基準モデルとするのは違う気がする。
伏線として小林武史が桑田佳祐をプロデュースして後のミスチルに繋がるのも大事だと思う
キャロルは、ギターサウンドが抜群ですねー。永ちゃんのベースもグルーヴが独特でイイよねー。上手いとか下手とかでなく。
サザンを音楽評論家がコミックバンドと言ったみたいな書き込みあるけど、そんな音楽評論家聞いたことないんですけど
むしろ桑田本人が自分たちを「ただのお笑いです」と語ってたが
サザンが初めてTVに出た翌日は、(中学)男子は面白いバンド出てきた!の評価だったが、女子達は明らかに嫌悪感でした。
それを考えると今、国民的バンドになってるのが不思議でもあります。
いとしの・・・が出ると、女子や世間の風向きも変わったと感じました。
文化祭でもサザンをコピーするバンドが登場しました。
世良さんは、かなり女子に人気があった。
原田慎二は、ギターでデビューする予定が、レコード会社社長が、ギターは沢山居そうだからピアノで行こう!でピアノになったと聞いた。
逆にChurさんは子供の時からピアノを習っていたのも逆で面白い。
確かに桑田さんの頭の良さ、自己プロデュース力は特筆もんだと思いますね。自分達の本質は変えずに上手く時代や流れにアジャストして行った。
実際ちょいと毛色の違う「チャコの〜」でも、“今”それが必要なんだ!って感じで取り組んでちゃんとモノにしてる。
当時の同じ“枠”のアーティストが作品(曲)のクオリティ(だけ)を問題視した(ように思える)姿勢とは少し違った提示の仕方?それが上手くハマった面は確実にあると思う。
要は表現者としての「毒と華」のバランスが(その当時では)完璧だったってことじゃないかな。
キャロル大好きだった 君はファンキーモンキーベイビー懐かしい
桑田佳祐、サザンオールスターズの評価・位置付けは納得ですね。であるならば忌野清志郎はなんだったのかも知りたい。
サザンの前にダウンタウンもいましたね。
コンセプトアルバムでハマったのはジューシィフルーツの「27分の恋」
ロック御三家が消えてサザン売れ続けたのは活動姿勢の問題じゃなくて単純に才能の問題だよね。ソングライティング力はいうまでもなく、桑田佳祐の歌唱力は本当にすごい。バラード曲に顕著に現れるレイチャールズのようなグルーブ感。そしてなんと言っても声質。海外のボーカリストに全く引けを取らない深い響き。2度と現れない天才ですね。
原田真二の場合はすぐアミューズ辞めちゃいましたからね。事務所の営業力を失ったことは大きかった。
もしも、原田真二がアミューズを辞めてなければ、ふぞろいの林檎たち(1983)の主題歌枠を獲得するところまで手が回らず、いとしのエリー(1979)が現在より世間に広まらなかった。検証しようのないそんな可能性を想像してしまう。
桑田さんの歌声を酷評する人もいるだろうけど、サザンの楽曲は本人じゃないと表現しきれないと思う、それくらい唯一無二
テレビには出ない、っていう方針をやり出したのは吉田拓郎なんですよ。それに多くのアーティストが追従。テレビに出ないことが戦略的に機能したりもした(これは意図していたわけではない、最初は)これからはテレビにどんどん出すぞという方針を打ち出したのはアミューズの大里さん。だから原田真二やサザンはテレビに多数出演することに。
そんな拓郎が、まさかテレビバラエティにレギュラー出演、しかもよりによってアイドルのKinKi Kidsと...
という衝撃はあったみたいですね🥺
桑田佳祐の1人紅白歌合戦をばあちゃんの車のナビで毎日のように見てたことを思い出した。
チューリップを知ったのも1人紅白歌合戦。
ふたつのハードルを乗り越えたのが
ユーミンだったのですね
日本語(演歌調)とロックを融合した最初の曲は
「ハクション大魔王」であると思います。
キャロル最っ高❤
志村けんさんが亡くなったとき桑田さんがラジオで勝手にシンドバッドという曲名はドリフの「8時だョ!全員集合」で振り付けをごちゃ混ぜにするというコントの中で志村さんが言った物でそれが耳に残っていて曲が完成した時にその言葉をつけたと話していましたね。
後に「勝手にシンドバッドって俺が言った言葉だよね?」と本人に言われ、若き日の桑田さんが必死に誤魔化してそのまま逃げ切った。みたいなエピソードがありましたね。面白かったです。
テレビで志村さんが、それを言っていたのを薄ら覚えてます。
スゲー!初耳でした。
ありがとうございます!
みのさんと原田真二の写真の並びの強さよ
桑田佳祐さんは英語っぽい発音の日本語歌わせると神😊自分ジョニーさんに似てると言われてあだ名がジョニーでした😊
オフコースはどういった立ち位置だったんでしょうか?
寺内タケシの羅生門はジャンルは違うけど人間椅子と同じ格好良さを感じた
羅生門はハードロック
ゴダイゴは シングルはポップだったが
アルバムはプログレぽかったので時代的に早すぎたかな
ゴダイゴ、柳ジョージとレイニーウッド、ツイスト、クリスタルキング、子供のころテレビで観てたけど、それぞれが個性的でみんな上手かった。
桑田氏が一番神がかってたのはKamakuraやKuwataBandの頃
ビートルズ ストーンズ サザン
バラードを出すと大人にも認められるんだね
なかなか鋭いですね!
大人の立場で言うと、元気な曲がしんどい時ってあるの。体力落ちるから。
お酒飲みながらしんみりしたい夜ってあるの。仕事は楽しいことばかりじゃないから。
で、若い子にウケてるやんちゃに見えるミュージシャンが出すじゃない?そういう曲を。
「おじさん・おばさん達が欲しいものもちゃんと作って、歌ってくれるんだ」…イチコロよ?(笑)
大学生の自分がサザンを聴いているのはそういうことだったんだな
サザンは歌番組 ザ ベストテン と ふぞろいの林檎たち をはじめとするドラマ主題歌 という2つの主流分野を押さえていたことが強かったのでは? あの頃は本当に歌番組とドラマは人気がありましたから。
キャロルのセカンドアルバムは素晴らしい
日本を代表するプログレバンド四人囃子はあまり評価されてないのか、、、
そんな事ないですよ本物のロックファンには崇拝されてましたね
キャロルが日本語と英語を織り交ぜていたという所の話はサザンのデビューあたりまでの「日本語ロックは可能か」という論争があった事でも興味深いですね。当時の音楽評論でよくその話題が取り上げられてましたが、くだらない事言ってんなと思ってました。それをサザンが評論家を馬鹿にしたかのような活躍でひっくり返したんだと思います。そのあたりの事を語ってもらえるとと思います。あとビートルズの日本への影響は他にもアップルの設立がフォーライフなど日本の音楽ビジネスにも影響した事なども触れてもらえると嬉しいですね。
スパイダースも、最終的にムッシュが日和ったせいであまりロック的な評価は高くありませんが、「フリフリ」で自作による日本語ロックンロールをちゃんとやっていたことは評価したいです。
サザンのエロ路線で踏み外すというのは、後続は真似出来ていないと思うが
70年代初めにロックは英語でやるべきか日本語でやるべきか論争が起きて
結果は日本語ロックがメインになった
しかし英語でやるべきの内田裕也の門下生のジョニー大倉のキャロルが日本語と英語を混ぜるシステムが主流になった
勝手にシンドバッドの元ネタは全員集合中のコント=志村けんです
寺内タケシの羅生門すごく良いですね
聴くたびに何度も癒やされました
サステナブルかどうかはさておき、ゴダイゴは4枚目位まではコンセプトアルバムを意識して創作していた様に思います。
邦楽の中で矢沢永吉の影響は果てしなく大きい個人的にはCAROLよりソロとしての活動の邦楽重要だと考えています。CAROLも偉大ですが
内田裕也が大晦日にロックイベントをやってたけどコダイゴは絶対呼ばないと言ってた😊許せないものがあったんでしょうね😞
芸能山城組!! メンバーに高校の同級生がいて、よくLIVEにいってました。ブリガリアンボイスなども参考にしてましたね。
もともとアミューズは原田しんじのための事務所でした、芸能界の裏方やリスナーにロック好きな人が増えたから売れただけのことなんだと思います
サザンは義務教育
日本語と英語チャンポンの歌詞はジョニー大倉が最初という説が流布されてますが荒木一郎のほうが先ですね「いとしのマックス」「今夜は踊ろう」
荒木一郎はロックかなぁ。自作自演では早かったですが、歌謡フォークだと思ってました。チャンポンも橋幸夫もやっていましたね。(スイム·スイム·スイムとかのリズム歌謡)
サザンのデビューは
子供ながらに「なんだこれは」とインパクトがありました
一部の大人達からは
キワモノ的な扱いで言われていたような、いなかったような
とにかくそのインパクトは大きかったはずです
サザンが「ザ・ベストテン」に初出演した翌日はみんな掃除の時間に箒を持って♪ラララ〜ってやってたな
CAROLとロック御三家の間にファニー・カンパニー~桑名正博を入れなきゃ。
1975年にソロ活動を開始し1977年、当時のRCAの担当ディレクターだった小杉理宇造の紹介で筒美京平と出逢う。
筒美は作詞に松本隆を指名。
同年6月に二人の作品『哀愁トゥナイト』がリリース。その後も『サード・レディー』など松本・筒美コンビによるシングルのリリースを続ける。
そして、作詞・松本隆、作曲・筒美京平の1979年『セクシャルバイオレットNo.1』は、チャート1位に...
自作自演も日本語ロックも達成していたスパイダースについて、1つの動画を通して取り上げて欲しい。
「宇都宮でのユーミンのコンサートの前座がサザンだったのよ!」とパートのおばさん(66)に聞いて驚愕した。…ほんとかなぁ?
ラジオを聞いてきてふと思うのが、城達也さんのジェットストリームを邪魔しないおとなな品性がクリエイターたちのA面に働いていたような気がする。
言い方は悪いがキャロルの登場によりロックの偏差値を下げたのが一番の功績じゃないかと思う。それまでの洋楽、はっぴいえんどのような音楽って偏差値の高い高校生、大学生あるいはオタク、マニア、意識高い系のような人たちが国内のユーザーだったと思う。キャロルの登場で頭の悪いクソガキ、ヤンキーにもエレキギターが浸透していった様に当時感じた。それに続いたのがRCサクセション、ブルーハーツ、ボウイ、ブランキ―、ミッシェルだった。しかし21世紀になったとたんヤンキー、不良の音楽がヒップホップになって今に至っている。個人的にはロックはやさぐれた少年達の音楽であって欲しいとオジサンは思います。
今時の「軽音」は良い子の集まりという印象。
レディオヘッドがロックを変容させてしもうたんや…
ロックは理屈じゃなくてまずはノリ、肉体の躍動そのものですからね。それを周知させたのがキャロルの最大の功績。
ロックのもつ権威からの反抗性はhiphopに取って代わられました。今や撃たれて死ぬ歌手はいない。ラッパーは居てる
レオン・ラッセルは素晴らしい
実は、サザンオールスターズの登場には欠かせない背景事情があって、それは音楽コンテストがあったこと。ヤマハ主催のEastWest77'でサザンの桑田佳祐がベストボーカル賞をとってるんだけど、バンドの方はカシオペアが優勝。それ以前からあった通称ポプコンが多くのミュージシャンを輩出したことはよく知られていますよね。1970年代以降、1980年代くらいまではこうした音楽コンテストがプロへの登竜門として大きく機能していたと思います。
シャネルズの鈴木雅之もほぼ同時期ここから出ているんですよね。
アイドルや歌謡曲はテレビでスター誕生とか色々登竜門があったけど、フォークやロックはアングラ扱いされてた感があります。
世良公則も同期だよね
ロック(的なもの)をお茶の間に届けたという点では、アリスとアルフィーの存在も無視できないと思います
>ロック(的なもの)をお茶の間に届けた
ここを評価軸とするならアルフィーは「メリーアン」(1983年)以降ってことになり、ちょい後の集団に属するのではなかろうかと。
チェッカーズとか吉川晃司とかそのあたり。
代わりにシャネルズを提唱したい
たしかに時期が早すぎましたね。
サザンより先にデビューしていたので、つい名前を出してしまいました
67年にザタイガースのボーカルとしてデビューして71年にスーパーバンドPYGを経てソロデビューして、TV局のオケで歌うのが当り前だった時代に日本で初めて自前のバンド(「太陽にほえろ」の井上堯之バンド)と一緒にTVに出た歌手だと言われる沢田研二は?
@@user-ct5vk4is9c
そうなんですよね
シャネルズなんて書いといてアレですけど、そういやクリスタルキングおったわとか
浜田省吾もお茶の間に届いたと言ってもいいよなとか
よくよく考えれば80年跨ぐ頃は名前結構出てきます。
さらにここからBOØWYに至るまでの多様性の広がりっぷりとロック(的なもの)浸透は結構凄くねえか?と自己認識を改めてる次第。
@@satoCurizane
沢田研二はザタイガースでデビューする時「大人になったらスタンダードを歌うんだよ」と言われてた。
ビートルズ来日翌年だから当り前だがロックやってる大人なんかいなかった。不良のガキがやることだった。紅白出して貰えなかった。学校がコンサートを禁止して会場前で見張ってた。「こいつら好きなんて脳みそ未発達なんだ」とカメラの前で侮辱されたこともあった。
PYGはTVで人気博したアイドルの寄せ集めだと思われて、ロックファンから総スカンくらって卵だトマトだ飛んできた。TV出なきゃ広まらない。売れなきゃやりたいことできない。ソロになった沢田研二はTV出まくった。77年に勝手にしやがれでレコ大、視聴率50.8%。78年にはTVだけでも700本仕事して紅白初の演歌じゃない大トリ。79年がカサブランカダンディ、80年がTOKIO。オリコン10位以内30曲、紅白出場17回。82年から91年まで売上歴代1位。オタですんませんw
サザン好きだからもっと深掘りして欲しいです。よろしくお願いします^_^
桑田佳祐モデルって方法論というより単に才能の問題では。これまでの素晴らしい邦楽通史の解説で唯一安易な結果論に感じます。ロック御三家がスキャンダルなことやったわけじゃない。原田真二の初期は桑田以上だったかもしれないが輝きは一瞬だった。ヒットし続けることの困難さだと思います。
興味深い話でした。
しかしミノさんは話や言葉の選択が絶妙ですね!
「ロック御三家」懐かしいですね!ただ原田真二さんはロックじゃないですね。その枠を超えてます。天才です。チャーさんは日本最初の「ロック」ギターヒーローでしょうね。寺内さんはロックではなく、日本最初のギターヒーロー、1939年生なのでロックががまだこの世にない!ツイストは当時は歌謡ロック、と硬派なロックファンに馬鹿にされてました。売れるためでしょう。でも今バンドでコピーしてもカッコいい!因みにリーダーはドラムのふとがね金太さんですね。桑田さんも当時、何歌ってるのか分からん!と三波春夫とか聴いてた親世代からは悪く言われてました。後世に残る人たちはすぐに理解されない事はよくある事。
キャロルはよくわかりませんが、リーゼント&革ジャンは間違いなくエルビスです、というか初期ビートルズがエルビスの風貌そのもの、まぁミノさんは分かってるでしょうが。またビートルズを基準に分かりやすく解説してますが、そもそもビートルズってロックバンドなんでしょうか?65年までは間違いなくロックですが後期は枠を超えてます。その意味でもチューリップ、サザンなどは私はロックバンドというと違和感があります。サザンは名の通り、またデビュー曲、二曲目はラテンです。パーカッショニストが正式メンバーにいる貴重なバンド。あとバンド=ロックではないし、普通にポップやポップスバンドで良いと思います。また言葉の問題は関係なくて、日本語でもストリートスライダースという最高にカッコいいロックバンドもいたので、聴けばこれがロックか!とすぐ分かる。とはいえ結局個人の感じ方なのでしょうが。大衆化するとロックの枠を超えがちだけど、どんなに売れてもメタリカはロックだかからね。
世代だし、サザンはそこそこ好きだけど、なんかこう抜け落ちた箇所が多い気がするんだよなあ。
桑田さんが呼びかけた元春さん世良さん五郎さんチャーさんとのコラボよかったです。
キャロルはジョニー大倉の甘い声が大好きでした。
ダウンタウンブギウギバンドは自らをカタカナ演歌と称していたw
吉田拓郎のライブ73だね。ミッキーカーティスも井上尭之も認めてる。内田裕也に至っては音楽的な事は言わなかったらしい。拓郎はロック黎明期を坂崎幸之助に全部伝えてるよ。加藤和彦やGS・ハッピーエンドの事も。拓郎がいたからサザンも生まれた。