いつも楽しく見ています。フランスのQuantic Dreamが開発した「Detroit: Become Human」というゲームには人間そっくりのアンドロイドが登場するのですが、アンドロイドを数える助数詞について、アンドロイドを見下す人間は「体」、アンドロイド同士やアンドロイドを人と対等に扱う人間は「人」と訳し分けられていました。これ、ロボット犬のパターンと同じだなーと勝手に思いました😀
「人」は国際単位系 International System of Unitsで定義された”狭義”の「単位」つまり「物理単位」ではありません。 言語的に「単位」という単語に着目すると、一般的な会話では、物理単位ではないものも「単位」と呼ぶことがあります、ということです。 算数の文章問題で「りんごが3個あります。2個食べました。何個残っていますか?」という問いに「3-2=1」という数式を立てて答えを「1」とだけ書くと、「”1個”と書いてください。”単位”が抜けていますよ」と先生が指摘することが現にあると思います。 人によっては「個」や「人」は物理単位ではないので「単位」と呼ぶべきでないと感じる人もいるかもしれません。
【今回特に言及されたものリンク】
○ジャルジャルのコント『カバはカバと思ってる奴』
ua-cam.com/video/VvXYtEq4E8c/v-deo.html
○オカルト「超」入門
amzn.to/3Bkzb0q
※「オカルトは民衆の不安を正しく反映する」話はここから。
【助数詞シリーズ、参考文献のリンク】
○数え方の辞典
amzn.to/3i6wF4S
今回の種本。
○日本の助数詞に親しむ―数える言葉の奥深さ― amzn.to/36xav6Q
○数え方でみがく日本語 (ちくまプリマー新書(018)) amzn.to/3hx2TYe
「数え方の辞典」を書いた助数詞の研究者・飯田朝子先生による単著。辞書読むまではいかないけどちょっと興味湧いた人はここから。
○絵で見る「もの」の数え方
amzn.to/3i2CQaf
「数え方の辞典」の監修を務めた町田健先生の本。1ページ1助数詞。うんちく多め。「これ、こうやって数えるんだ!」っていう雑学を仕入れたいならこちらを。
○日本人なら知っておきたい! モノの数え方えほん
amzn.to/3k8FgGX
上の町田先生による絵本。お子さんに助数詞の面白さを伝えたい場合はこちらをどうぞ。
○もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス)
amzn.to/2VpT3yz
ジャルジャルのネタサロン会員の者ですが、まさか堀元さんと水野さんの口からこのネタの話を聴けるとは思いませんでした笑
言語学の動画でジャルジャルが出てくるとは思わなかったわww
@@user-co3ud8hy5q
占いとかで名前言ったら珍しいですねって言われません?
友達の名前も珍しそう〜
スマホをめちゃくちゃ持っているギークの人が書いた記事で、持っているスマホをたくさん積み重ねた画像のキャプションに10枚とか書いてあるのを見たことがある気がします。一人一つしか扱わない状況ではまだ個々を尊重している「台」の感覚ですが、大量に積み重ねると「枚」感が増すかもしれません。
囲碁有段者です。
以前動画で水野さんが「碁盤は面と数える」と言ってましたが、これは碁盤の種類や伝えたいニュアンスによるな、と思っていました。
折り畳みの安っぽい碁盤なら面で数えますが、高級な脚付きの碁盤は一基、二基と数えます。おそらく脚付き碁盤は重たくて持ち運びづらいからでしょうか。
また、碁盤そのものではなく対局が起きている碁盤の表面の部分だけを言う場合は、脚付き碁盤でも「面」で数えます(盤面、三面打ちなど)。
これもロボット犬の例などと一緒で、その物のどの側面にフォーカスするのかによって言い方が変わる例なのかな、と思いました。
見る将(見る将棋ファン)なんですが、将棋盤もおおむね同じように数えますね。
また、棋譜の局面単体(N手目の局面)を指す場合は図と数えることもあります。例:「棋譜の局面3図までは自由に使っていいですよ。」など
将棋勇断ですが、どんなに分厚い脚付きでも
将棋盤をモノとして数える時は常に「面」です
コレは動画に合った「個人で動かせるか」の境目がソコにありそう
将棋の6寸盤(超高級盤の1つの基準となる厚さが6寸)は
根性があれば個人で持つことができるけど
碁盤の六寸は個人で持つには相当に根性が要るw(同じ厚さでも面積が異なるので重い)
ただ、将棋盤は天童の温泉にあるような石造り作り付けの移動不可でも一面ですけどねえ
ルンバを愛玩動物として見てるという話、非常に興味深かったです。
私も昔、ルンバ購入の参考にしようとAmazonのレビューをたくさん見ていた時に同じことを思いました。
多かったのが『頑張って掃除してくれています』とか『一生懸命ゴミを探してくれます』とか、
明らかにペットの感覚で書いているレビューです。
無生物でも、自発的に思考して動いている(ように見える)ものには愛着が湧いてしまうのだなと思っています。
最後、水野さんの「もう一回だけチャンスをください」が「もう一度」ではなかった。
次回で終わらず、さらに続く可能性の示唆、もしくはまだまだ話し足りないという無意識の現れに思えた。
コレを一緒に面白がってくれる彼女が欲しい
わかりみが深い
そんな贅沢言わないので、とりあえず彼女が欲しい。
鬼のように共感
彼女とまでは言わないので友達が欲しいです。
@@nekkoneko2525リスナー&コメント読者は友達ですよ~
株価市況も「ふたまん ふたせん ふたひゃく ふたじゅう に」と言いますね。 最後「に」でええんかい! と突っ込むまでがセット
水野さん「堀元さん問題です」
堀元さん「え〜なんだろ〜わからない〜」
水野さん「母語話者なのに?」
水野さん「しかたないなぁ。ではこれから話していきますね!」
堀元さん「正解はCMのあとパターンだ」
という形式美がついに壊れてしまった
母語話者の言葉の響き好き
溺れてるみたい
ドラえもんみがある
@@ry5690 ボゴワシャァ
20:50 「心・技・体を一本化・・・」だから1段階下は技あり(技はあったけれど、心or体が足りてなかったんですね)
有効・効果も繰り出した技が有効に働いたがまだ足りてないんでしょうね
色々な技を覚えるが小手先の技では駄目って事なんでしょうね
「技(は)あり」
快感を覚えるくらい納得してしまいました笑
元剣道部だから1本は自然だなあ。武道関係は1本かと思ったら相撲は1番だしな。奉納が起源だと一番なのかねえ。
「助数詞制定委員会」で思い出しましたが、海外では名詞に対して性別を制定している国がちらほら(仏とか独とか)あり、新しい名詞が出てくるたびに性別を制定しているらしいですね。
これは最後の助数詞のエピソードじゃなくてうれしい!
外国人の日本語学習者としてめっちゃたのしめます!
ここは、「これが…」ですね! 日本語学習、頑張ってください!
@@RosaGigantess ありがとうございます!
頑張ります!
ポケモンの数え方
一般→1匹2匹
対戦勢→1体2体
愛が深い勢→ひとりふたり
いつも楽しく見ています。フランスのQuantic Dreamが開発した「Detroit: Become Human」というゲームには人間そっくりのアンドロイドが登場するのですが、アンドロイドを数える助数詞について、アンドロイドを見下す人間は「体」、アンドロイド同士やアンドロイドを人と対等に扱う人間は「人」と訳し分けられていました。これ、ロボット犬のパターンと同じだなーと勝手に思いました😀
フランス語を日本語に訳してそうなったのですか? だとしたら、翻訳者がすばらしすぎる。
「未来のイヴ(L'Ève future)」に登場するアンドロイドに付された日本語訳の助数詞の変遷を調べてみようと思います。
価値判断が反映されているって話はすごい面白かった。
俺も猫を見たら「柱」で数えるもん
ネコと和解せよ。
ネコ
猫は神様
ネコは見ている
助数詞じゃないけど吹奏楽コンクールの授賞式だと金賞と銀賞を聞き間違えないように「ゴールド金賞」って発表したりする
ぜんぜん関係はないんですが、ダイヤモンド王者を思い出しました。
全体では「ゴールド金賞」「シルバー銀賞」「ブロンズ銅賞」など ですが、皆様「ゴールド」の時点で感極まって、拍手喝采ですよね。
アニメでゴールド金賞って言うシーンがあったときに違和感を覚えたんですが、そういった理由があったんですね!
柔道とか武道に関しては残心とかも合わせて、美しい動作の一つの流れを一本って呼んでそうだなと思いました
だからガッツポーズとか、それが途切れる動作があれば一本じゃなくなってるのかもな〜って、そう考えたら心技体であってそうですね
年収1,000万円の一本は、そこまでの道のりを感慨深く振り返る表現だったんですね。
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)
0:36 本質突きましたね
1:31 ずっと助数詞ーズハイ
4:17 練習問題やったんだから!!せっかく!応用で解かせてくれよ
5:56 ちょっと話それるかもしれないんですけど
11:54 「僕どうしてもジャルジャルのコントが思い浮かぶ」「カバはカバやろ!」
12:42 マントヒヒかな(偏見)
13:23 本質ですね
16:48 いいこと言うなぁ
19:25 凄ぇ!本質迫ってきますね!
23:01 楽しい!その話
27:26 僕も水野さんもめっちゃ早口
27:50 オタク特有の早口ラジオ
27:57 助数詞やっぱヤバいんで
28:42 ホントはもう3回とかで終わらす予定だったんですけど
29:00 最後の結論として「助数詞とは、ゲルニカである」
29:05 引きあるぅ
楽しみすぎる動画上がるの
助数詞から、日本人が向こう側の何かを読みながら、楽しく生きていることが伝わった。面白いね、ゆる言語学∞
「丁」の本質には「切る」があるような気がします。木材加工や、原反加工などで、元ある原型から何個切り出すかで何丁取りと言う表現があるから。ただし、何個「ある」かを数えるというより、切った結果何個「できる」かを数えることに着眼点があると思います。
型枠で切り出すような場合は切った回数が切り取られた後の個数になりますが、包丁のような真っ直ぐの刃物で切ると、切った数の倍数で加工後の個数になります。
1個の物を刃物で切る(つまりn×2する)と必ず偶数になるので、偶数のことを「丁」と言い、一方、1回切ったうちの半分を取る(つまり(n×2)-1する)と必ず奇数になるので、奇数のことを「半」と言ったのでは?
そう言う意味では「丁目」のように区画で「区切る」というMr. Horimotoの回答は本質を捉えていたと思いました。
昔は豆腐屋さんに行くと、型出しされた大きな塊が水にさらされていて、「1丁ちょうだい」というと、カットして売ってくれていたイメージがあります。
大砲の数え方ですが、弾目線ではなく、敵目線です、敵が偵察にきて大砲を発見、まず砲口が見えますよね、一口と数えると…なんか…なので一門となったと…武道やホームランの一本は電車の一本に近いと思います…結果だけでなくそれに至る仕掛け、読み、全ての流れを含めて一本的な…だからファールボールはどんなに飛ばそうが一本ではないのです…個ですよね…今回も最高でした👍
大砲の数え方ってそれが正しいんですか?
昔イギリスでは〇〇ポンド砲とか砲弾に着目して大砲名が名付けられてたので、砲弾視点のが個人的にはピンときたんですけど…
ホームランボールは『個』だけどホームランは『本』だから、ファールボールが『個』って数えるのは反例にならなそうな気が。
ファールっていう状況だとファール1本になるけど、ファールボールは『個』のような気がするから、それだとホームランの本が『流れ』に近いとは言えないんじゃないだろうか
たしかに!!なんかもやもやしてたのそれか!
練習問題がまったく応用問題に繋がらないの笑うw
柔道はもともと3本勝負で2本先取で勝利、その中の単位として1本がある
そして技も本で数えるから手技16本の中に1本背負い投げという技があるといった感じらしい
3本勝負の1本が電車1本の1本とリンクしていて、
ホームラン1本が手技16本の1本とリンクしているように感じる
少しづつですが、各回で扱った主題が交差していくのを感じ取れるようになってきた僕も、ミスターホリモートと一緒に成長している事を喜びを感じています。
個人的な数え方ですが、
- 液晶モニタを複数接続し始めてから、「台」ではなく、「枚」で数え始めた
- キーボードやマウスも高級なものは、「台」で数えている
- 安物のタブレット機は「枚」で数えている
- 携帯電話は「台」で数えている
ということで、自分の頭の中では、
「それ一つだけで機能するか」よりも
「一つ一つを区別する、重厚感のある装置」を重視して、
「台」で数えているようです。
毎回それなりの理由をつけて返答できる堀元さん凄くない?
「オタク特有の早口 ラジオ」面白いです。
言葉がポンポン飛び出てくるのが気持ちが良いですね。 うらやましい。
僕みたいなオッサンになるとこのテンポで喋れないんですよ。
いつも楽しく拝見しています。
生き物の数え方は「死んだ後に残るもの」という話をどこかで読みました。
魚を「尾」で数えるのは、人間が食べた後に残るのが尻尾だから
牛や豚が「頭」なのも同様に頭が残るから
鬼が「体」なのは、人間が鬼を食べることがなく、体が丸ごと残るから
といった具合です。
人間は死後「名」を残すので、人間につく助数詞は「名」なんだよ、という話を聞いて非常に感動した覚えがあります。
今後の動画も楽しみにしております。
季節の変わり目、どうかご自愛ください。
5:42 伊集院光さんはラジオで自己紹介する時に平坦に「いじゅういん」と発音すると聞き取り辛いので敢えて「いっじゅういん」と小さいつを入れていると話されていました。
助数詞には体系がない。体系がないから楽しい
納得です。誰が言い始めたかわからない助数詞が一般化していく過程は興味深いですね!
2倍速で聴いてても大丈夫なので早口は全く問題ないですw
「助数詞ーズハイですね」「ハイ!」
「ずっとハイです」「ハイ!」
草
最近のゲーム人気の流れから、敵やクリア目標のことを「1枚」と数えるようになったのも新たな助数詞の出現と感じます。
もともとはチケット数(ポイント数)を競うチーム戦のFPSゲームで、敵を倒すごとにチームの総チケット数が増減する様子から敵のことを「(チケット)枚」と数えていました。最近では対戦形式に関わらず倒した敵の人数を「枚」で数えるようになり、もっと最近はゲーム内で進行中のクエストなどの自分が現在クリアしなければならない目標のことも「枚」で数えるようになりました。
助数詞の進化速度って結構早いのかなと思いました。
将棋で駒が無い時に「~枚落ち」って言うのも関係ありそうですね
「ごっちゃくた」って水野さん独自の口癖だと思うんですが、「ごっちゃにする」「一緒くたにする」が混じってて面白いですね。
このお二方の掛け合いが回を増すごとに切れが増してきて面白いです。(付き合いが?お互いの理解が深くなって素のため口?とかも非常に)
『スマホを「1個」と呼んだだけなのに』みたいな“助数詞感覚だけ異世界転生”が思い浮かんだ
私が若手の頃、COBOL時代からの技術者はプログラムをn本と数えていました(プログラムがたくさん集まって1つのシステムができる場合の数え方)。
私がベテランになった今、オブジェクト指向で作ったプログラムはn本と数えていない気がします(クラスの数をn個と数える事が多い気がする)。
これってフローチャート(つまりは流れ)で設計してた頃はn本と数えて、オブジェクト関連図で設計する今はn本と数えなくなったのかも知れないと思いました。
(あくまで私が勤めている界隈の実感を書いているだけなので、日本のIT業界全体の数え方とは異なるかも知れません。)
飼い犬について「男の子ですか?女の子ですか?」って問われたとき
「雌です!」って親が言い放ったのを思い出しました
認識の違いで言葉もさまざまに変わるんですね
「台」の本質が「それ1つで機能するかどうか」だというのは納得しかねるところがありました。
少なくとも自分の感覚では
①(主に機械的な)機能が備わっている
②ある程度の大きさがある
のイメージが関係していて、独立性は気にしていません。(おそらく車由来?)
機能が当たり前になることでポケベルや電話は①のイメージが薄れて「個」になり、スマートフォンはパソコンなどと同一視しているからまだ「台」なのだと思います。
②もかなり影響があると思っていて、1cm角のパソコンがあったら「個」で数えそうですし、車のサイズのマウスは「台」で数えそうです。
ブラウン管から薄型テレビになって久しいけど、紙くらい薄くなったらどんなに大型でもさすがに「枚」になりそう。
早速「聴いてるみんな」で応用してて好きです
普段はどんな動画も2倍速で聞いてますが、ゆる言語学ラジオだけはお二人が早口なのと中身が濃いのとで1.75倍速で聞きながら通勤してます!笑
彼女がペットの犬のことを○人と数えます。
「ひとりぼっちでお留守番」や「ふたりでカフェに行ってきた」など。
疑問に思ってましたが、お話を聞いて納得しました。
親しみや愛情から人間と同等に数えるのかも知れませんね。
おみくじは基本的に「1本」と数えます。「体」は「御神体」の「体」であり、おしゃる通り神様が宿った物体に対して使われます。
御神体はもちろん、御札や御守りは「体」で数えます。しかしおみくじは神様からの伝言であって、神様自体が宿っていると考える事はあまりありません。
絵馬は、絵馬自体に神様が宿っているからという訳ではなく、読んで字の如く、本来は神様の乗る馬にあやかって「本物の馬」を献上していたところ、
次第に簡略化され、代用品として絵に描いた馬を奉献するようになったもので、かつてその献上品としての馬を「体」と数えていたからです。
グーフィーとプルートは同じ犬なのに、片方は友達で片方はペットなのが思い起こされた
キティちゃんが猫を飼っている真実…。
確かにwww
というかミッキーもただのネズミという…
コメ欄が疑問を生み出すバケモンになっててすこ
蝶は頭、蛾は匹っておっしゃってましたが、カイコがは家畜だから蛾なのに頭って話が面白い
「人間の一貫性の無さが助数詞に反映されている」
このフレーズで完全に助数詞ファンになりました!
何度かこちらの動画を見て聞いてのヒラメキを、ここへ残させてください。
柔道における「本」は、時間の流れを指している「本」ではないでしょうか。
この人間と相対して試合をするまでの、鍛錬と言いますか、準備といいますか、そのような相対するまでの、それぞれの人間が積み上げてきた時間をとった。だから「本」を使っているのではないか、と。
心技体云々は...先達によって上から下へ伝わってるので、多分それっぽい偽説か…本当に近代武道の起こりでそう定められたか調べないといけないですね。
ただ、かじった程度ですが、経験から身についた感覚では試合中に読み合いの流れというのがあるわけでして、囲碁や将棋の手筋一本分に相当するような”上手い流れ””イニシアチブを取りきれた攻防”部分を取り出して、一本という感覚の方が実のところしっくりきます。
というのも、一本を”取って”いるからです。
或いは何試合かのうちの一試合そのものの勝をとる事を一本という(三本先取で試合終了とか)のも攻防の流れのイメージにハマったからで、語源が心技体であっても、広く使われるようになった理由は心技体にはないと思います。
異口同音に言っているというのはバイアスがかかっているという事です。実際自分も先輩に「語源は心技体を一本にしてるから」と教わったことがあるので、本当かどうか気になります。
因みに歩荷などのガチ登山の休憩も一本とると数えて、これは(これも先輩登山家からの伝聞)荷物を背負ったまま尻の下に杖を突っぱらせて休憩をとる姿勢から来ているとのことです。まだわかりますw
thirty & thirteenの問題に関しては、アクセントの位置がハッキリ異なります。この区別にハードルを感じるのは、アクセントの少ない言語的特徴を持つ日本語ならではかもしれませんね。
うちは私、妻、娘(5歳)の3人家族なのですが、娘に言わせると5人家族…飼っているインコと、Google Homeを入れて5人だと主張します。いつも私や妻が「OK, Google, 今日の天気は?」などと聞いているGoogle Homeは「人」扱い…5歳でも既に助数詞を愛着の度合いで使い分けようとしているのかもしれません。
視聴者を引っ張るのうまいなー
今回もクイズ一つ一つに感心してるうちに次回になってしまった
普段動画は全て2倍速で観てますが、このチャンネルも例外ではありません
等倍より聞きやすいのです
どんなに早口でもどんと来いです(?)
いつもオタク特有の早口を2倍速で聞いているのでだいじょうぶですよ
あと一回助数詞回が有ると聞いてめちゃくちゃテンション上がりました!
楽しみにしてます
1と2の間一週間くらいあった気がするから意外に3上がるの早くて助かる
男性女性名詞についても同じ感じでしょうか。
フランス語は分類の難しい単語が出来るとアカデミーフランセーズがジェンダーを決めますよね。
「COVID-19は女性名詞」は国民が従ってない様ですが。
この時代に言葉に性があるのやりづらいでしょうなぁ。「性差別につながる言動はやめましょう」って文すらジョークになりそう
名詞ごとに定まっているという点では、日本人が男性/女性名詞を学ぶときに感じる「なんでこんなめんどくさいルールがあるんや。ネイティブはこんなのいちいち覚えてるんか」感を、外国人が助数詞を覚えるときに同様に感じているんでしょうか
助数詞はこの話でしているようにそれ自体にニュアンスを含んでいる感じがするんですが、日本語話者からすると名詞の性こそ「これって何の意味あんの?」感があります。名詞の性についても一回掘り下げてほしいです
中性があればそれにできるのに…残念。
現場作業では手動と自動を聞き間違えないように手動は「てどう」と言います。
自分も例に漏れず「助数詞ーズハイ」になっていたので、お二方の早口も前のめりになって聞き入ってしまいました。もはや「ゆる言語学ーズハイ」ですね。
次の動画も楽しみにしています。
なんだこの面白そうなタイトルと
落ち着いた喋り出しは
俺が好きそうな感じがする
聞き取り間違いを防ぐために言い方を変えて数えるのは中国語にもあって、番号を伝えるとき聞き間違いやすい 1 (yi) を(yao) と言い換えます。
ヤオチューのヤオってそこから来たのか
助数詞シリーズ楽しい! 日常で無意識につかってる言葉なので、例えもたくさん出してくれるのも楽しい!
柔道や剣道の”一本”は、1つの勝負の流れを”1本”として、それが決着したという意味で「一本確定」を省略したような意味だと理解してました。
そこから派生・応用されて”三本勝負”のような言葉も出てきてるのかな、と。
となると、似た表現で”三番勝負”みたいなヤツはどういうコトなんだろう、というモヤモヤも出てきますが。
個人的な感覚ですが、「番」は「違うものが並ぶ」みたいな感じじゃないかと思います。例えば出席番号1番2番みたいな時な違う人が並んでいます。三番勝負と言うと違うもので三回勝負をする感じがするのでそれが反映されているんじゃないかなーと
工場などでは、よく「手動」を「てどう」と言いますね。
これは機械音等でうるさい環境下で「始動」と「手動」を間違えないためですが、
まさにうるさい場所で生まれる言語表現です。
いつの間にかシリーズの初回で提示された種本を購入して、今話されている部分を参照しながら周辺情報や省かれた部分、後世の研究を探しながら何度も聴き直す「ゆる言語学ラジオオタク」になってました。
毎回面白いです
野球の話の時、ヒット、ホームランは「1本」だけどアウトは「1つ」と数えるなと思いました。
ボールの流れ(または走者がダイアモンドを1周する流れ)を途中で守備者が切ってるから違うのかと自分なりに納得しました。
神が宿った物の数え方が「体」になるのと、人が死ぬと「体」で数えるのとは因果関係がありますか?
以前テレビでゴキブリの研究者がゴキブリを「1頭」と数えてました、「研究者はこう呼びます」ということで。注目度が高いということだったんですね。頭を数えるということは、困るのはヒドラやケルベロスやキングギドラを数えるときくらいかな?
これだけの時間をかけて解説されることを無意識のうちで使い分けてるの、恐ろしさすら感じますね
助数詞きた!
そのモノに対する認識そのものっていうのしっくりくる
拳銃は1丁で数えるけど大砲は門
ロケランやバズーカなんか並べてどこに丁と門の境目なのか気になる
序数詞ではないですが、ロボット犬も愛着が湧くと「うちの子」って言うでしょうね。
ぬいぐるみもこの子って言ってますw
中には「犬のこと「この子」とか言う奴頭おかしい」等と言い出す、動物に全く愛着を持たない人もいますが。
放送業界ですが10秒は「とうびょう」って使いますね
因みに9は基本「ここのつ」って呼びます
これはスタートの合図などを「QUE(キュー)」と言うので9「きゅう」は避けてます。
でないと開始の9秒前でコメントが始まってしまうミスが起こりうるのです。
私農家をやっているんですが、野菜を数える単位だけでも、栽培から出荷までの色んな段階で非常に色んな助数詞を使いますね。自作?も含めて
管理だと主に、株、穴(ケツ)、条・すじ、畝、枚
収穫では主に、個、玉、本、粒(りゅう)、袋(たい)、缶、コンテナ、車、
調整では主に、掴み、盛り、籠、束、袋(ふくろ)、パック、
出荷では主に、セット、箱、ダース、ケース、段、列、パレット、庫、
機械犬をなんと数えるか、のところで「いや、そりゃ台だろ」と思っていたら堀本さんは匹と言われて衝撃を受けたんですが、
そういえば私昔から機械ごとき道具の分際が人間様の思い通りに動かないなんて事があるなんて絶対に許せなくて、何度も拳でPCや携帯電話を叩き壊してきたなぁと思い出して、今までルンバや機械犬をかわいいって言う人の感性が理解不能だなと思ってバカにしまくっていた思想がまさか助数詞に現れているとは思わなかったです!
大工仕事ひとつ取っても、最新の工具を買い揃えただけで満足する愚か者よりも昔ながらの鋸や鑿、鉋の技術を学んで自分の腕を磨いて物を作るのが比べ物にならないほど格好良くて好きなのはそういう思想が自分の深層心理に深く根付いているからなんだなと気付けました!面白い!
言語では無くなるのですが
野球でツーアウトの時、守備側がアウトカウントの確認をするため指で2を作るんですが、外野にいる選手にも見やすいように人差し指と中指では無く人差し指と小指で2を表すのを思い出しました。
柔道の一本は、技を仕掛けてから決めきるまでの美しい流れを「(見事な)一本!」と表しているのかなと思いました。
早口になっている事を気にしていたなんて
大丈夫です。
テンポよく物語の乙張りもあって聞きやすいです。
最新回を観て毎回あっという間に時間が過ぎてしまい、つい過去の回を見直してます。
英語では群れに助数詞と同じような傾向があります。以前OEDで調べました。
魚の群れはschool
狼の群れはpack
ライオンの群れはpride
など実に多様な群れがあります。
今回も助数詞の話題なので触れられませんでしたが
豆腐の話での丁半博打について
偶数は2で「丁」度割り切れる、奇数は2で割ると「半」端に1余る
からだと思っています(調べたりしてないので本当かはわかりません)
まさかジャルジャルの話が出てくるとは笑
2倍速で見ている民、まだ行けると強く思う。
助数詞とはゲルニカ!?!?それは本当に興味があるッ!!!!!一体どのへんがッ!?!?!?!?絶対に見る!
武道における1本は納得いかない。
柔道なら心技体が云々と言いそうだけどなんかスポーツと武道をごちゃ混ぜにしてる点は、体育会系バカにする流れのジョークなら受け入れやすいけど。
武道全般の経験から来る考え方や、本が一連の流れを示すのを照らし合わせると
技が決まることによって試合が完結するから、技も試合も1本と数える。
と言うのが1番納得出来る。
2倍速で聞いてますが、かんたんな話題なら大丈夫ですが、難しい、または聞いたことのない外国語の単語などが出ると聞き直したりしています。
一度の拍手で締めるのはピークだから「一丁締め」、三三四の流れ一回で締めるのは「一本締め」、それを三度で締めるのは「三本締め」。
「一丁締め」を「一本締め」と呼ぶ誤解は論理的にもおかしいので是非改まって欲しい。
剣道経験者なんだけど、柔道や剣道の一本はやっぱり流れをひとくくりにした物ではないかと。
開戦から敵を排除(審判が決着を判定する)までの流れが一本。
審判が決着を判定した時点で、戦闘では敵が無力化されているはずなので、一つの戦闘の流れがそこで終わっているという事なのかと。
柔道などで「技あり」とか「有効」なんてのがあるのは、戦闘が膠着する状況は作れるが無力化するには足りないと判定されたものが、一本から外れるのではないかとおぼゆ。
自衛隊や海上保安でも時刻の読み上げや個数の読み上げは、混同を避けるために独特の言い方があるそうです。
「本」は1つなぎのものというのは言われてみれば確かに、でした
と同時に本(book)の助数詞って「本」じゃないんだということに気づきもやもやが増えましたw
「本」は、中国語では書物を数える助数詞だったものが、日本に来たときに取り違えられて、書物を「本」と呼ぶようになったんじゃないかと思います。
現代中国語では「一冊の本」が「一本的書」なので。
@@user-od5os4yo1f もともと昔の本は木簡を紐で束ねて丸めたものだったので一本と数えたんじゃないでしょうか。
それが横長の紙を丸めた所謂巻物に変わるものの、形状からそのまま一本。
ところが、複数枚の紙を重ねた現在の本の形状に変化した際に、日本人はこれを一本と数えるのは無くね?と考えてしまい。一冊という単位を生み出したのではないでしょうか。
@@vs8865
僕も巻物だから一本だと思います。
古代中国語の助数詞について調べようと思ってもGoogleだと限界なんですよね…
「冊」の字も竹や木を束ねた形が元になっていると聞いたことが有ります。
最近聴き始めたので、最初から追っかけ再生してます。
豆腐。50年以上前お鍋やボウルを持ってお豆腐を買いに行くと、今の2倍くらいの大きさの直方体でした。底面の真ん中に直線の筋が付いていて、そこで2つに切り分けて食べてたのを思い出しました。あれが本当の1丁だったんですねえ。
『助数詞YES/NOチャート』作ってみたい!
「生物ですか?無生物ですか?」とか「抽象的ですか?具体的ですか?」みたいな感じで笑
死ぬほど難しそうだけど作ってくれ
柔道の一本ですが元々三本勝負(※)だったらしいです
これは試合で一方が一本取った時点で試合を仕切り直し
先に二本取った方が勝者となるルールです
※最大で合わせて三本になるので三本勝負(のちに二本勝負)と呼ぶ
一方が一本取ると一旦そこで終了となる
逆説的に、試合開始から試合終了までの流れを一本と呼んだのではないでしょうか?
元剣道部です。
心技体が一本にならないといけない、は、「一本」になるための条件です。
剣道だと、正しい場所に正しく打ち込み、残心(技を出した後の余韻)まで揃っていないと一本にはなりません
5:51
建築分野で「寸・尺・間」といった計り方のうち、「尺」の呼び方が一癖ありまして
「一寸(いっすん)」や「一間(いっけん)」は文字通り呼ぶけど、「一尺(いっしゃく)」は一を言わず「尺(しゃく)」と呼ぶ
何でだろうと思ってたけど多分これも聞き間違いNGなとこから生まれた表現なのかなと納得した回になりました
本来は「一」は言わないものだと聞いたことがあります。つまり「尺」の数え方が本来の姿で、「寸」「間」の方がわざわざ「一」をつけた表現なのかもしれません。
え??あーしの夢すかww???ちょーChillなラッパーって感じwwwwww
1丁は豆腐を切った回数じゃなく、何回であろうと切ったら偶数になるから丁な気がした。ただの直感ですが。
偶数に切ったうちの片方で丁、みたいなことかなぁ。そうすると市販の1パックが半丁なことも納得がいくような。
ラーメン一丁の丁は湯切りの回数が偶数だからでしょ
大変興味深いです。
エンジンは1基・2基といいますが、航空機では1発・2発に変わりますね。
元々は発電機などのエンジンを航空機に転用していたので、どこかのタイミング、きっかけがあって助数詞が変わったのだろうと思います。
時代によっても変わるのは面白いです。
アイボが可愛く感じると匹になるって話がすごく面白かった!
thirteenとthirty以前に、twoとfourは全く同じ発音の前置詞toとforがあるの明らかに設計ミス…と思ったら、日本語も漢数字の「ニ」と向きを表す格助詞の「〜に」は一緒だな。
ラーメンの丁が物事のピーク、勢いのある助数詞と聞いて「丁々発止」の丁も語源同じかと思って調べてみたら全然関係なくてビックリ(笑)
丁々発止の意味から物事のピークっぽいと思ったのにな。
本編とは関係ないけど、こういう風に新たに得た知識が別の事柄と関連、あるいは密接してると思って調べてみたら全然関係無かったって事よくありません?
この現象って正式名称みたいなのあるんかな。
自分は勝手に「自滅ノリツッコミ」と読んでます。
英語だったら、my robot dogを受ける代名詞がいつの段階でitからheやsheに変わるかで愛着の湧き具合がわかるんですよね〜〜〜深いなぁ。
「助数詞」と「科学的な狭義の単位」の違いは
・単 位:委員会で決まっている
・助数詞:委員会で決まってない
個人的な意見ですが、すべての単位は助数詞でもあると思います。
狭義の「単位」:mやkgのように「科学的・国際的に規定された尺度」という意味での「単位」は「国際基準があり記号がある」もの。
広義の「単位」:要素のひとまとまり、どのくくりやレベルなのかという意味での単位。例えば、家族単位・学校単位と言ったりする。
それらすべてを言語学的に品詞名をつけると「助数詞」という。
でも単位の場合、例えば体重が「60 kg」と言う場合60×kgとなっているけど人が「3人」と言うとき3×人ではないですよね?
(60×kgは私がねつ造した戯れ言ではなくSIに書いてあります。曰く「数字と間には半角スペースを入れる。半角スペースはかけ算記号の意味である」と。)
「人」は国際単位系 International System of Unitsで定義された”狭義”の「単位」つまり「物理単位」ではありません。
言語的に「単位」という単語に着目すると、一般的な会話では、物理単位ではないものも「単位」と呼ぶことがあります、ということです。
算数の文章問題で「りんごが3個あります。2個食べました。何個残っていますか?」という問いに「3-2=1」という数式を立てて答えを「1」とだけ書くと、「”1個”と書いてください。”単位”が抜けていますよ」と先生が指摘することが現にあると思います。
人によっては「個」や「人」は物理単位ではないので「単位」と呼ぶべきでないと感じる人もいるかもしれません。