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ジョーダンとフレンツェンが最も輝いたシーズン。システム以外はほとんど弱点の無い優秀なマシンだった
フレンツェンってすごく温厚なイメージですが、型にハマるととんでもなく速い!モナコでオレンジ色のアロウズのマシンでファステストラップ出した時は驚きましたw
タバコスポンサー規制のレースで「BENSON&HEDGES」を虫食いにして「BE ON EDGE 」にしたのが凄くオシャレ。
初代ばかりが評価されるが、この199も相当美しいマシンだと思う。
ジョーダン198・199の大活躍で黄色もカッコ良く感じた。また、バジル・ホーネットがより黄色を引き立たせた。
この頃の蛇、蜂、サメのデザイン大好き
フレンツェンさんの苦労も凄いですが、ガスコインさんも「効果ない」といわれてしまったバットマン・ディフューザーからデザイナー人生が始まって、そこから199まで上り詰めたんですよね。勇気を貰える話です。
@@aresama5942 デザイナーとして登りつめたんじゃなく199まで登りつめたと書いてあるじゃん他人に嫌味言う前にちゃんと日本語理解した方が良いのでは?
99&00年にマシンノーズサイドに描かれた『蜂』のマークが洒落てて、かつ実にカッコよかった。
わかります!
古館いわく「ハイテク雨がえる」の時代が一番好きでしたね。
黄色と黒のカラーリングって一番好きでしかもノーズのイエローシャークは本当にカッコ良くて大好きだった
惜しむなら、ここまで改良した無限ホンダエンジンのノウハウがホンダ第三期に全く活かされなかった事ですね。
1999年で最も輝いたのは、ハッキネンでもなくアーバインでもなく、フレンツェンだったよね
フィレンツェンがミハエル以上と言われた冗談(ジョーダン)みたいな逸話を証明する活躍でしたね。
@@多羅尾伴内-g1c メルセデスのジュニア時代にフレンツェンとミハエルが同僚で、当時は速さだけならミハエルよりフレンツェンのが上だったって評価だったそうな
フィレンツェンはf3000でアーバン等の他のドライバーより一周5秒以上も早かったこともあったので才能は本物だと思います
黄色のジョーダンが1番好きだったな
一番好きなF1マシン
冗談と言えない程の大活躍したチームなのに・・・エンジニアやスポンサーが離れたら、ホントの冗談見たいな3流チームに成り下がりましたが、後にフォースインディアやアストンマーチンとして中堅のTOPとしてまた、復活してるトコが凄いですね。😊
途中の🇷🇺ロシア?🇳🇱オランダのチーム?忘れてください〜(非道)
23年には中堅どころかもはや赤べこに次ぐ勢いに加速してますし時代の流れは面白い
ジョーダンの7upカラーのマシンが美しかった、ミハエルのデビュー戦ではクラッチがぶっ飛んでたけど…タクマのデビューもここだったね。
199のカラーリングやデザインがいまだに一番好み。たばこ広告規制されているレースではロゴをBE ON EDGEや BUZZIN HORNETと変えたりとか、遊び心もあって良かった。
メルセデスのCカートリオのシューマッハとベンドリンガーとフレンツェンの中で3人それぞれと組んだヨッヘン・マスからフレンツェンが1番ドライビングの才能があるって言われてたけどあいつはF1のトップチームで戦うには性格が優しすぎたって全日本F3000に参戦してた時の監督の森脇さんが言ってたね
ここから24年かけてまたトップチームに返り咲こうとしてるのはエモいな
198・199はジョーダンの歴史の中で1・2と言っても過言では無い程の名車。198はデイモンとラルフがチーム初優勝+ワンツーの快挙。199はフレンツェンの快進撃かつ、コンストラクター3位。特に199は全体的に弱点が無く、高い戦闘力を有していました。更にフレンツェンは99年誰よりも輝いていましたね。ジョーダンは現在アストンマーチンになっていますが、ホンダとのタッグが決まったので、是非チャンピオンになって頂き、ジョーダンが成せなかった偉業を達成して欲しいものです。
198好きだからミニカー買っちゃった👍カラー配色は199の方が好きです😅佐藤琢磨さんが入ってくる頃はちょっと速さを失いつつありましたが。2003年のブラジルGPだかで、久しぶりか快挙を得ましたが。その後は幾たもミッドランドやスパイカー名前を変えてインドのチームととあるメキシコのレーサーで再び👍そして今、時を越えアストンマーチン名義で。
フレンツェンって言ったら、シューマッハの奥さんの元カレだよね😅マシンに関しては、個人的にはこの黄色ジョーダンのフロントノーズ側面の蜂やサメのデザインの意匠が戦前の戦闘機を想起させる、どストライクなデザイン✨👍やはり、この年にフレンツェンがチャンピオンとってたら、本人的にもチーム的にも未来は変わっていたのかな⁉️
ジョーダン199をドライブしたフレンツェンは速かった
キャリアハイを送ったフレンツェンですが…ジョーダン時代の内容のインタビューはNGって事がなによりもビックリなんすよね…
戦意喪失したヒルの代わりにリザーブの中野さんが乗っていたら、、、と悔やまれる年でした。ヨスと中野さんは一緒にテストした。中野さんは良い結果だった。でもヒルが走ると言って乗れなかったと読んだことがあります。
ヨーロッパGPは「凡ミス」と言っちゃえばそれまでかもしれないけど、もったいないなぁーーって思いましたね。
アンダーソンの好きなフロントウィングを捨てたら速くなったと言う話があったらしいですね。
ジョーダンの活躍みると、本家ホンダより無限ホンダのほうが勝てそうな気がしましたね。99年はマイケルの長期離脱でミカの楽勝と思いきや星を落とし続けて面白いシーズンでした。自分はもう一人の「ミカ」ことサロのフェラーリでの活躍が印象に残っています。
ジョーダンGPが一番輝いてたシ-ズンでしたねヒルとフレンツェンの元ウィリアムズコンビ二人共にセッティング能力が高いのでそれもあったと思いますが、ヒルは残念でしたね。
フレンツェンがチームを強く出来たことなんてほぼないので、セッティング能力の高さなんてなかったかと。98年からヒルとガスコインで修正、速くしていった弱アンダーマシンに乗っかっただけかと。
◆「違法」表記についてサムネや本編に用いる「違法」の表記について、日本語として誤用ではないかという指摘を頂くことがありますが、日本のF1メディアにおいては規定に違反している際「違法」と表記することが一般的のため、当チャンネルでもその慣習に則った表現を使用しています。
ヒルの日本GPのリタイヤ理由が「戦意喪失」、しかも公式記録という・・・
ヒルの自主リタイヤは物議を醸しましたが、後にインタビューで「(飛行機事故で不慮の死を遂げた)親父の事を思い出してた。コースアウトした事で周回遅れにもなった、もうポイントも稼げない、それならすぐにやめようと言う気持ちになった。とにかく無事に生きると言う事が大事だと思えたんだ。」と言う発言を読むと、いくらレーサーとて、命あってこその物種なのだと感じる自分がいます。
後継チームとあってか、今年のアストンマーティンに近い活躍をしたマシンですね😁
自分らの世代(50代中盤〜60代前半)では、無限と言えば車のイメージよりもバイクのイメージが強かったですね。特にCB系のエンジンチューニングは無限の専売特許と呼ばれていました。
無限の頑張りは忘れません。その後社長逮捕で大変でしたが。
1999年のジョーダンの飛躍は今年のアストンマーチンに似ている思いました。フェラーリやメルセデスAMGを差し置いてレッドブルとランキング争いをしているところが似ています。
当時のジョーダンのスタッフがアストンまで残ってたら面白いですね笑
でもカラーリングはジョーダンのF1デビューと同じ緑👍
この年は確かにフレンツェンはタイトルを狙える位置にいたけど、蚊帳の外、という印象しかない。なんでだろう? もうあまり覚えてない、、結局はチームの格の違い、なのかな、、
この年のジョーダンとフレンツェン凄かったですね。マシンとドライバーがハマると凄まじい活躍をすると言う良い例でした。けど、この後のジョーダンとフレンツェンの凋落を考えると…99年は中段チームが上位チームを喰う夢を見たシーズンでした。
7up Jordanはde CESARISが優等生のようなドライビングになったことで印象深いね。無限ホンダも本家に勝るとも劣らない活躍してくれる、と思っていたが搭載したフットワークの頃から何かマシンとのマッチング等、何かしらタイミングが悪かったなあ····という感じがするなあ。
グレーなシステムさえ装備されてなければハインツがドライバーズタイトルを取れたかもしれないと言うシーズンだったのですね、勉強になりました!^^このシーズン三つ巴のドライバーズタイトルを制し自身二度目のタイトルを獲得したミカも凄いですよね!^^
佐藤琢磨が ドライバーのとき 応援してました。
なるほど~。ヒルをはじめとするテストドライバーの優秀さに気づいたチームがこれからもチャンピオン争いするのだろう。
レインさん、コメ読んでいるでしょうか?ジョーダンがデビュー時、衝撃を受けました。ヤマハ、無限ホンダ、ホンダ、トヨタと日本メーカー好きなんだと感じました。
その中でも無限ホンダが長いですね👍ホンダを含めて5年間ですね。
今年のこのチームは99年ばりに活躍してるね!チーム名も運営母体も全然違うけどw
今スペインのマタドールのドライビングにより再び!?💦
@@minami4513 こんばんは、アストンマーチンという名のチームです👍その前はレーシングポイントでフォースインディア👌
あと、スパイカーとかミッドランドって呼ばれてた年もありましたね 笑
@@ukiyu2096 そして2方それぞれ問題も抱えてましたね💦運営面で。ロシアのチームにはトヨタエンジンと国際からさらに日本から出たスーティルという選手もいましたね☺️👍
@@minami4513 なぜか応援してなかったのにあの時は。あのインドのチームがとうとうと喜んでしまいました😅👍エンジンはこの頃からずっとメルセデスでしたね。
ヒルの代わりに中野に乗って欲しかった
自分はヒルは好きなドライバーですが。やる気を失ってしまったのなら、中野に譲って欲しかったですね。
プジョーエンジン上手く使えてたチームってマクラーレンでもプロストgpでもなくジョーダンなのでは
Dヒルのラストランを見たくて1999年の鈴鹿に行ったけど、このマシンの無限ホンダエンジンの音が、いい意味で一番五月蠅かった。
エディー氏でも資金難になるとは思わなかった。F1初年度の7UPとか、翌年のSASOL他大スポンサーを次々見つけてくる実績あったから。
ガスコインはジョーダンを含めたF1界のキーマンだよなぁ…
ガスコインって有能だったんだね!!トヨタのときはマシンは速く無かったような?気がしました。
とりあえずミシュランタイヤ騒動のおかげで。インディアナポリスでの表彰台が1番よかったですかね💦トヨタ搭載時は。
TF105は速かったですよ!
チャンピオン獲得もウィリアムズを追われたデーモン・ヒル 見事ジョーダンに優勝をプレゼント 嬉しかったな~ヒルが抜けたウィリアムズでチャンピオンになったジャック・ビルヌーブでしたがウィリアムズ離脱後1勝もできなかった。 どうもジャックは好きになれない。可愛がってたデーモン・ヒルを相談もなしにリストラされ怒り心頭のエイドリアン・ニューウェイ出社拒否でドロ沼裁判沙汰になった。のちにフランク・ウィリアムズはデーモン・ヒル追放は間違いだったと後悔したとか。まさにつわものどもが夢の跡だな。
動画UPお疲れ様です。ジョーダンの処女作191のコードネームは"sadayo"だったと思います。ジョーダンのクルマは"映える"クルマが多かった気がします。
このころのジョーダンはイエローとキラービーだけ?が記憶に残る俺にもジョーダンの終わり?が見えていたのかもね
フレンツェン自分に言わせるといぶし銀って感じドライバーでしたドイツのリタイア原因はこの動画で詳細は初めて知りましたがそんな事、各セッション前に耳にタコが出来る位に言えば済んでた話なのになんともお粗末
ずいぶんと長い間、ホイールは13インチ? 安全性について、色々とルール変更あったけど、変えないまま長い月日が…。いま思うと、少し不思議かも。😅
ジョーダンとフレンツェンが最も輝いたシーズン。システム以外はほとんど弱点の無い優秀なマシンだった
フレンツェンってすごく温厚なイメージですが、型にハマるととんでもなく速い!
モナコでオレンジ色のアロウズのマシンでファステストラップ出した時は驚きましたw
タバコスポンサー規制のレースで
「BENSON&HEDGES」を虫食いにして
「BE ON EDGE 」にしたのが凄くオシャレ。
初代ばかりが評価されるが、この199も相当美しいマシンだと思う。
ジョーダン198・199の大活躍で黄色もカッコ良く感じた。
また、バジル・ホーネットがより黄色を引き立たせた。
この頃の蛇、蜂、サメのデザイン大好き
フレンツェンさんの苦労も凄いですが、ガスコインさんも「効果ない」といわれてしまったバットマン・ディフューザーからデザイナー人生が始まって、そこから199まで上り詰めたんですよね。勇気を貰える話です。
@@aresama5942 デザイナーとして登りつめたんじゃなく199まで登りつめたと書いてあるじゃん
他人に嫌味言う前にちゃんと日本語理解した方が良いのでは?
99&00年にマシンノーズサイドに描かれた『蜂』のマークが洒落てて、かつ実にカッコよかった。
わかります!
古館いわく「ハイテク雨がえる」の時代が一番好きでしたね。
黄色と黒のカラーリングって一番好きでしかもノーズのイエローシャークは本当にカッコ良くて大好きだった
惜しむなら、ここまで改良した無限ホンダエンジンのノウハウがホンダ第三期に全く活かされなかった事ですね。
1999年で最も輝いたのは、ハッキネンでもなくアーバインでもなく、フレンツェンだったよね
フィレンツェンがミハエル以上と言われた冗談(ジョーダン)みたいな逸話を証明する活躍でしたね。
@@多羅尾伴内-g1c
メルセデスのジュニア時代にフレンツェンとミハエルが同僚で、当時は速さだけならミハエルよりフレンツェンのが上だったって評価だったそうな
フィレンツェンはf3000でアーバン等の他のドライバーより一周5秒以上も早かったこともあったので才能は本物だと思います
フィレンツェンはf3000でアーバン等の他のドライバーより一周5秒以上も早かったこともあったので才能は本物だと思います
フィレンツェンはf3000でアーバン等の他のドライバーより一周5秒以上も早かったこともあったので才能は本物だと思います
黄色のジョーダンが1番好きだったな
一番好きなF1マシン
冗談と言えない程の大活躍したチームなのに・・・エンジニアやスポンサーが離れたら、ホントの冗談見たいな3流チームに成り下がりましたが、後にフォースインディアやアストンマーチンとして中堅のTOPとしてまた、復活してるトコが凄いですね。😊
途中の🇷🇺ロシア?🇳🇱オランダのチーム?
忘れてください〜(非道)
23年には中堅どころかもはや赤べこに次ぐ勢いに加速してますし時代の流れは面白い
ジョーダンの7upカラーのマシンが美しかった、ミハエルのデビュー戦ではクラッチがぶっ飛んでたけど…
タクマのデビューもここだったね。
199のカラーリングやデザインがいまだに一番好み。たばこ広告規制されているレースではロゴをBE ON EDGEや BUZZIN HORNETと変えたりとか、遊び心もあって良かった。
メルセデスのCカートリオのシューマッハとベンドリンガーとフレンツェンの中で3人それぞれと組んだヨッヘン・マスからフレンツェンが1番ドライビングの才能があるって言われてたけど
あいつはF1のトップチームで戦うには性格が優しすぎたって全日本F3000に参戦してた時の監督の森脇さんが言ってたね
ここから24年かけてまたトップチームに返り咲こうとしてるのはエモいな
198・199はジョーダンの歴史の中で1・2と言っても過言では無い程の名車。
198はデイモンとラルフがチーム初優勝+ワンツーの快挙。
199はフレンツェンの快進撃かつ、コンストラクター3位。
特に199は全体的に弱点が無く、高い戦闘力を有していました。
更にフレンツェンは99年誰よりも輝いていましたね。
ジョーダンは現在アストンマーチンになっていますが、ホンダとのタッグが決まったので、是非チャンピオンになって頂き、ジョーダンが成せなかった偉業を達成して欲しいものです。
198好きだからミニカー買っちゃった👍
カラー配色は199の方が好きです😅
佐藤琢磨さんが入ってくる頃はちょっと速さを失いつつありましたが。
2003年のブラジルGPだかで、久しぶりか快挙を得ましたが。
その後は幾たもミッドランドやスパイカー名前を変えてインドのチームととあるメキシコのレーサーで再び👍
そして今、時を越えアストンマーチン名義で。
フレンツェンって言ったら、シューマッハの奥さんの元カレだよね😅
マシンに関しては、個人的にはこの黄色ジョーダンのフロントノーズ側面の蜂やサメのデザインの意匠が戦前の戦闘機を想起させる、どストライクなデザイン✨👍
やはり、この年にフレンツェンがチャンピオンとってたら、本人的にもチーム的にも未来は変わっていたのかな⁉️
ジョーダン199をドライブしたフレンツェンは
速かった
キャリアハイを送ったフレンツェンですが…ジョーダン時代の内容のインタビューはNGって事がなによりもビックリなんすよね…
戦意喪失したヒルの代わりにリザーブの中野さんが乗っていたら、、、と悔やまれる年でした。ヨスと中野さんは一緒にテストした。中野さんは良い結果だった。でもヒルが走ると言って乗れなかったと読んだことがあります。
ヨーロッパGPは「凡ミス」と言っちゃえばそれまでかもしれないけど、もったいないなぁーーって思いましたね。
アンダーソンの好きなフロントウィングを捨てたら速くなったと言う話があったらしいですね。
ジョーダンの活躍みると、本家ホンダより無限ホンダのほうが勝てそうな気がしましたね。99年はマイケルの長期離脱でミカの楽勝と思いきや星を落とし続けて面白いシーズンでした。自分はもう一人の「ミカ」ことサロのフェラーリでの活躍が印象に残っています。
ジョーダンGPが一番輝いてたシ-ズンでしたね
ヒルとフレンツェンの元ウィリアムズコンビ
二人共にセッティング能力が高いのでそれもあったと思いますが、ヒルは残念でしたね。
フレンツェンがチームを強く出来たことなんてほぼないので、セッティング能力の高さなんてなかったかと。
98年からヒルとガスコインで修正、速くしていった弱アンダーマシンに乗っかっただけかと。
◆「違法」表記について
サムネや本編に用いる「違法」の表記について、日本語として誤用ではないかという指摘を頂くことがありますが、
日本のF1メディアにおいては規定に違反している際「違法」と表記することが一般的のため、当チャンネルでもその慣習に則った表現を使用しています。
ヒルの日本GPのリタイヤ理由が「戦意喪失」、しかも公式記録という・・・
ヒルの自主リタイヤは物議を醸しましたが、後にインタビューで「(飛行機事故で不慮の死を遂げた)親父の事を思い出してた。コースアウトした事で周回遅れにもなった、もうポイントも稼げない、それならすぐにやめようと言う気持ちになった。とにかく無事に生きると言う事が大事だと思えたんだ。」と言う発言を読むと、いくらレーサーとて、命あってこその物種なのだと感じる自分がいます。
後継チームとあってか、今年のアストンマーティンに近い活躍をしたマシンですね😁
自分らの世代(50代中盤〜60代前半)では、無限と言えば車のイメージよりもバイクのイメージが強かったですね。特にCB系のエンジンチューニングは無限の専売特許と呼ばれていました。
無限の頑張りは忘れません。その後社長逮捕で大変でしたが。
1999年のジョーダンの飛躍は今年のアストンマーチンに似ている思いました。
フェラーリやメルセデスAMGを差し置いてレッドブルとランキング争いをしているところが似ています。
当時のジョーダンのスタッフがアストンまで残ってたら面白いですね笑
でもカラーリングはジョーダンのF1デビューと同じ緑👍
この年は確かにフレンツェンはタイトルを狙える位置にいたけど、蚊帳の外、という印象しかない。なんでだろう? もうあまり覚えてない、、結局はチームの格の違い、なのかな、、
この年のジョーダンとフレンツェン凄かったですね。
マシンとドライバーがハマると凄まじい活躍をすると言う良い例でした。
けど、この後のジョーダンとフレンツェンの凋落を考えると…99年は中段チームが上位チームを喰う夢を見たシーズンでした。
7up Jordanはde CESARISが優等生の
ようなドライビングになったことで
印象深いね。
無限ホンダも本家に勝るとも劣らない
活躍してくれる、と思っていたが
搭載したフットワークの頃から何か
マシンとのマッチング等、何かしら
タイミングが悪かったなあ····という
感じがするなあ。
グレーなシステムさえ装備されてなければハインツがドライバーズタイトルを取れたかもしれないと言うシーズンだったのですね、勉強になりました!^^
このシーズン三つ巴のドライバーズタイトルを制し自身二度目のタイトルを獲得したミカも凄いですよね!^^
佐藤琢磨が ドライバーのとき 応援してました。
なるほど~。ヒルをはじめとするテストドライバーの優秀さに気づいたチームがこれからもチャンピオン争いするのだろう。
レインさん、コメ読んでいるでしょうか?
ジョーダンがデビュー時、衝撃を受けました。
ヤマハ、無限ホンダ、ホンダ、トヨタと日本メーカー好きなんだと感じました。
その中でも無限ホンダが長いですね👍
ホンダを含めて5年間ですね。
今年のこのチームは99年ばりに活躍してるね!
チーム名も運営母体も全然違うけどw
今スペインのマタドールのドライビングにより再び!?💦
@@minami4513 こんばんは、
アストンマーチンという名のチームです👍
その前はレーシングポイントでフォースインディア👌
あと、スパイカーとかミッドランドって呼ばれてた年もありましたね 笑
@@ukiyu2096 そして2方それぞれ問題も抱えてましたね💦
運営面で。
ロシアのチームにはトヨタエンジンと国際からさらに日本から出たスーティルという選手もいましたね☺️👍
@@minami4513 なぜか応援してなかったのにあの時は。
あのインドのチームがとうとうと喜んでしまいました😅👍
エンジンはこの頃からずっとメルセデスでしたね。
ヒルの代わりに中野に乗って欲しかった
自分はヒルは好きなドライバーですが。やる気を失ってしまったのなら、中野に譲って欲しかったですね。
プジョーエンジン上手く使えてたチームってマクラーレンでもプロストgpでもなくジョーダンなのでは
Dヒルのラストランを見たくて1999年の鈴鹿に行ったけど、
このマシンの無限ホンダエンジンの音が、いい意味で一番五月蠅かった。
エディー氏でも資金難になるとは思わなかった。F1初年度の7UPとか、翌年のSASOL他大スポンサーを次々見つけてくる実績あったから。
ガスコインはジョーダンを含めたF1界のキーマンだよなぁ…
ガスコインって有能だったんだね!!
トヨタのときはマシンは速く無かったような?気がしました。
とりあえずミシュランタイヤ騒動のおかげで。
インディアナポリスでの表彰台が1番よかったですかね💦
トヨタ搭載時は。
TF105は速かったですよ!
チャンピオン獲得もウィリアムズを追われたデーモン・ヒル 見事ジョーダンに優勝をプレゼント 嬉しかったな~
ヒルが抜けたウィリアムズでチャンピオンになったジャック・ビルヌーブでしたがウィリアムズ離脱後1勝もできなかった。 どうもジャックは好きになれない。
可愛がってたデーモン・ヒルを相談もなしにリストラされ怒り心頭のエイドリアン・ニューウェイ
出社拒否でドロ沼裁判沙汰になった。
のちにフランク・ウィリアムズはデーモン・ヒル追放は間違いだったと後悔したとか。
まさにつわものどもが夢の跡だな。
動画UPお疲れ様です。
ジョーダンの処女作191のコードネームは"sadayo"だったと思います。
ジョーダンのクルマは"映える"クルマが多かった気がします。
このころのジョーダンはイエローとキラービーだけ?が記憶に残る
俺にもジョーダンの終わり?が見えていたのかもね
フレンツェン自分に言わせるといぶし銀って感じドライバーでした
ドイツのリタイア原因はこの動画で詳細は初めて知りましたが
そんな事、各セッション前に耳にタコが出来る位に言えば済んでた話なのになんともお粗末
ずいぶんと長い間、ホイールは13インチ? 安全性について、色々とルール変更あったけど、変えないまま長い月日が…。
いま思うと、少し不思議かも。😅