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ありがとうございます。わたしはバイオリンですが、単純に言えば弦楽器は指の位置を変えたら音程を変えられます。でも、「正しい音程」とはなにか?でけっこう悩みます。開放弦と共鳴する音がいつもただしい音程でもないし、ピアノに合わせればいいか?といえばそうじゃないときもあるし、一つの音をメロディーの中の音と考えるか和音を構成する音と考えるか、で「正しい」の中身も違ってくるし、で、けっきょく直感でいちばんしっくりくる響きの音を狙う、という感じになります。みんなそうじゃないかな?と想像してます。そういうあいまいなところも音楽なのかな?と思ったり。
私のような物理や数学が好きな人間には、おっしゃることが一つ一つ「腑に落ちる」感じです。合理的、論理的に明快な説明は素晴らしいです。
仰ること、全てに納得です。アマチュアファゴット奏者で、師匠からは全く同じ事を指摘されていて、その稽古をやっていますがなかなか難しい。喉や口で小細工するとすかさず師匠からダメ出しが飛んでくる。そんな感じです。音程。その音を出す前に和声をイメージしてその中の自分の音をイメージして出す。私は何十年もオーケストラやアンサンブルで吹いていますが、その感覚で演奏しているのは最近10年程度と思います。誰に教わったのではないですが、いつの間にか、それが必要だと確信を持ってやっていました。それが当たり前だと言うことをこの動画で知りました。有難うございます。
直接関係ないかもしれませんが、柔道では全国小学生学年別柔道大会が廃止されました。理由は決して1つだけではないと思いますが、一般的には子供に対する過度な勝利至上主義がもたらす弊害を削除するためとされています。私は中高と吹奏楽部にいましたが、正しい音程ではなく良い音を出せと言われ続けていました。最終的には音楽で生活することはできていませんが、今になって思い返すといい指導を受けていたのかもしれません。音程ではなく良い響きの音が出せるようになるまで何度も怒られた思い出があります。ただ「そうだ!その音だ!ずっとその音で演奏しろ」といわれたときの達成感はいい思い出です。
音程、重要ですね。幼い頃は、メロディばかりを覚えていたような気がしますね。成長してくると、伴奏が、どのようなものなのか、聴きながら、メロディも聴くようになったような気がします。おっしゃる通り、良い演奏を聴くことも大事ですね。豊かな響き、ビブラート、声楽家や、管楽器奏者は、息使いが重要ですね。確かにこの技術は習得するのに時間がかかりますね。基礎のソルフェージュ、大事ですね。何事も基礎から、という感じがします。お菓子、美味しそうですね。
車田先生、ありがとうございます。アマチュア吹奏楽の世界では仰るとおり縦の和音においての音程にばかり触れていることがほとんどだと感じます。横の旋律における音程に触れられることはほとんどなく、結果耳に心地よくない旋律になってしまったり、無機質な旋律になってしまうことが多く見受けられます。楽器や体をしっかりと鳴らし、音圧の揃った演奏には音程が揃った演奏以上の魅力があると思っています。
大切なのは頭の中に理想の音楽を鳴らして、それをなぞっていくように音を鳴らすこと、つまりソルフェージュ力ですね。しかし、日本のソルフェージュはピッチとブレスにしか注目して指導しません。ソルフェージュの中で音楽の分析をしながら、豊かに表現する事も同時に指導されるべきだと思います。半音と全音をはじめとする様々な音程から作り出される雰囲気やエネルギーを感じながら歌ってみて、音と身体と心を結びつけること、そして曲の中にそれを見つけた時にその良さや効果がわかる事、それがソルフェージュの究極の目標だと思って指導しています。演奏者にソルフェージュ力がないと、音楽の様々な表情を感じ取る力が弱いと感じています。また、ソルフェージュは音大に行く人が習うものと思われがちですが、音楽を学ぶすべての人が幼少期から学ぶ最も基礎的で、表現の土台となる部分(インナーリスニング力)を養うものだと思います。私は中学生になってからソルフェージュを習いましたが、コールユーブンゲンやコンコーネなど、意味もわからずただ歌い、音楽的な表現や音程の意味、その音楽的エネルギーなどただの一度も教わらず、心に感じる事もなく、ソルフェージュの必要性もわからないままひたすらピッチを取る練習をしていました。そういうもだと思っていました。今、指導者となり本来のソルフェージュが自分の習ってきたものと全く違うものである事を知り、子供達に音楽理解の手がかりであるソルフェージュとなるように努めようと、力不足ですが取り組んでいます。
カラオケマシンで高得点を取った人がお金がもらえるTV番組がありますが、今の中学高校の吹奏楽部もそんな練習をしてるとしたら、それは悲しいです。私の様な趣味で演奏会に行くような人間は、感動したくて聴いているので、悲しい苦しい音程合わせの練習をして演奏会に臨んでいる音楽は、ただ事務的に音が鳴ってる様に聞こえるだけで、つまらないです。しかし、今私が聴きに行ったり、これから聴きに行くオーケストラは、間違いなく感動を与えてくれます。来月も楽しみがあります。
車田先生は小学生の時にはブラスバンドを楽しみ、音大卒業後は高校の教員として音楽教育に関わってきた、と以前の動画で仰っていましたが、そういった経験から、今現在の吹奏楽部や合唱部の生徒さん達の置かれた状況を思い、居ても立ってもいられない思いなのでしょうね。高校3年間に留まらない、その後の音楽人生。若い人達への愛情に溢れています。一方で、私は、疲弊して余裕の無い学校現場と先生達の姿が思い浮かびました。特に、強豪校の顧問の先生のプレッシャーは並大抵のものではないのでは?その学校で部活をすることを目標に入学してきた生徒さん、最近は保護者の方も熱心です。その保護者御自身がその学校の卒業生だったりして……。当然『連勝』を期待しているワケですから、指導者が目の前の結果を求める小手先の指導に走ってしまうのは何となく想像できます。昔、私の友人が中学校の教員になりました。彼女はピアノ専攻でしたが、学校では吹奏楽部の顧問を任され困っていました。中学校の教員ですから、授業の準備や学校ならではの雑事もある。結婚してからは、家事などもこなさなければならない。普通の公立校の教員が部活等にかけられる時間には限界があります。何十人もいる部員一人一人にソルフェージュ指導なんて、一部の私立校くらいでしか実現できないでしょう。普通の公立校でそれをしたら、それこそ今話題の教員の過重労働ややり甲斐搾取に繋がるのでは?……私はそのことの方が心配です。偏った音程指導の弊害は、私でも理解することが出来ました。目の前の3年間よりも、その後の長い音楽人生が大切。全くその通りです。では、私達は一体どうすればいいのか⁉︎私達には、心の余裕が必要なのです。現場の指導者も、当事者である生徒さんも、それを見守る保護者の方々も。短期的な結果を求めるのではなく、とにかく『待つ』こと。一方で、運動部などでは、教員が指導するのではなく、その分野に長けた地域の人に指導を任す、といった例もあるようなので、学校の音楽部でも、そういった取り組みがあっても良さそうですね。
とてもためになるお話でした。下世話な話ですが、カラオケで「上手いなぁ、心に響くなぁ」と思ったときでも、機械での採点はそれほどでもないことが多いですよね。その逆もよくあります。
オカリナアンサンブルをやっている身です。オカリナはほんの少しの息遣いですぐにピッチが変わってしまうので、歌に近く、息が大事という話は身につまされます。実際、小手先の技術で何とかしようとする人も多く、気にすべきところはそこじゃないのに…ともやもやすることも多いです。今回の動画は、全てのオカリナユーザーにも見てもらいたい動画だと思いました。
小手先に走らずソルフェージュを、というお話、深く納得です。私は音楽とは全く無関係な、ある種の研究技術を医療系の方々に教える、あるいは困った研究者の相談に乗り援助する、という仕事をしていますが、そこで常々心掛けていることと相通ずるものがあると感じました。「空気の通り道を狭めるのではなく、蛇口の筋肉を鍛えること」、その通りですね。
動画とても勉強になりました。特に「一人一人がソルフェージュを身に着ける」や「頭の中で正しい音を鳴らす訓練」などです。後輩に「正しい音程が分からないから」といわれることが多々ありますが、まずはスケールやエチュードによって音感を身に着けようと指導できそうです。
サックスですが、無意識のうちに喉を締めていたことに気付かされました。練習方法を見直します。有難うございます。
今回の話は本当に納得のゆくもので、そうだそうだとうなずきながら聴きました。1966年に大学生になって男声合唱団に入ったのですが、その合唱団の常任指揮者が声楽界の大物の先生を招聘されて、大学1年生から4年間、その客演指揮者の方の指導を受けました。その招聘の理由が、ハーモニーを大事にしすぎて、縦にそろえることばかりに気を取られて、音楽が横に流れて行かないという悪癖を打破するためと言うことでした。まさに車田先生の言われることそのものです。 なお、一時臨時でパートリーダーをやったことがあります。そのときに音が下がると言うことについて一度もメンバーに注意しなかったのですが、それがかなり皆に不信感を与えたようです。しかし、私から言わせれば、音が下がると言えば、皆は喉をつり上げるようにして上げようとするので、音程が下がるよりももっと聴きづらい演奏になるから言わなかったのです。まあ、ちゃんと説明するべきだったと今では思いますが、当時はその喉をつり上げた発声が気持ち悪いことになぜ気づかないのかという思いでした。 音程が下がるのは発声が悪いからなので、発声を改善してゆくしかないのですが、車田先生の言われるように、それはそんなにすぐに出来ることではありませんので、まあせいぜい「鼻腔共鳴を意識して」と言うことぐらいしか出来ませんでした。私たちは鼻腔共鳴のない声を落ちた声あるいは当たっていない声と言っていました。鼻腔共鳴のない声は、音程が悪いというより、音程がないといった方が正しいと思いますが、ただ合唱の中で歌っていると、当たっているのかいないのか自分でもよく分からなくなります。練習中なら鼻に手を当てて確認できるのですが、本番中には出来ませんし。 なお、純正律に関してですが、やはり気になるのはセカンドテナーがトップテナーのメロディと3度の動きをするときに、上手くメロディに寄り添っているかどうか、それと最後の和音できっちりハーモニーしたときに聞こえるトップテナーより上の倍音が聞こえるかどうかです。最近、いろいろな合唱を聴いても、この倍音を聞いたことがないような気がします。上手く倍音が鳴ったときには、やはり歌っていて快感があるので、合唱をやっている醍醐味ではあります。
ピンク🩷の紫陽花、可愛らしい花瓶にピッタリで美しいですね🥰💖✨先生はモノを愛でる才に長けていらっしゃる😺❣️
素晴らしい解説を有難うございました。今後の演奏活動の指針にしたいと思います!
楽しい時間 ありがとうございました 子供頃 しつこくやらされた 練習 いやだったけど 大切な事 だったんですね
音楽を俯瞰して考察され緻密な解説はすごく勉強になります音程は合っていないといらいらします。賛同します!👍👍👍🙏😊
訂正・編集させて頂きました⇒蛇口とホースの例えが分かりやすかったです。音程を取る際には、正しい技術で、 和音(ハーモニー)と旋律(メロディー) 両方を同時に含めて大切にしなければならないという事、ソルフェージュも加えた長年の訓練を経て得られる技術だという事、理解出来ました。 ( もちろん、声楽、吹奏楽、オーケストラを経験されていた、されている方々のご理解には及びませんが…。)正に音楽の三大要素の内の2つだなと気が付きました。(あと1つはリズム)また、「純正律」に関する2つの動画と共通して語られているのは、聴衆の方々の心へとお届けするための豊かに響く良い音を奏でる事の方が、より大事だという事。下降の音型が悲しみを表す事は知っていましたが、「ラメント」と言うのだとは初めて知りました。そういえば発想記号にlamentoso (ラメントーソ・悲しく、哀しげに)が有り、ピアノ曲ではあまり出てこないのですが、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」第4楽章の速度標語Adagio(アダージョ)と並んで出てきます。ビブラート演奏は一般的には高低差が10~20セントなのですね。( …俗話です、ふと、昔聴いたハウン○・○ッグのボーカルさんや演歌歌手の方々は、一体何十セントの高低差のビブラートで歌っていた・いるのだろうか…と気になってしまいました💦下手すると半音分とか…?)湿気ったクッキー、オーブントースターで低温だいたい200W~500W位でしょうか2、3分温めて、冷めるまで待つと復活します!
言い間違えましたが単位はヘルツではなくてセントです。A=440Hzの場合10セント高くなると約442~443Hzぐらいになります。
@@kazuhisakurumada様へ動画10:10~のビブラートの説明部、Hz ⇒ セントへの訂正のテロップを見逃しておりました、それなのにご丁寧に返信で教えて頂き、説明もありがとうございました。より理解出来ました。コメント、そのままにしておくのは何だか気がかりになり、Hzをセントに直し、編集させて頂きました💦
いいね!100回連打したいくらい良い解説ですね。音楽の教科書に載せるべき内容だと思います。
わたしにとっては今回は特別に掘り下げて試聴したいテーマです。ヨーロッパの音楽の日本との違いとその特徴と美しさは、数学的基礎が関係していると考えてます。功績者は、ピタゴラス(紀元前582年 - 紀元前496年)やグイード・ダレッツォ(991年- 1050年)という古い時代から歴史があるのがまたすごいです。また、音楽の理論とは別に演奏家の指導法が、発達段階に応じて技術を習得していくという考え方もとても賛成します。間違った指導法は演奏家をめざす人にとって彼の人生に悪い結果をもたらしてしまいます。
どんな音程を狙えば良いか教える前に狙った音を出せるようにする、ということですね。自分はヴァイオリンですがやっぱりスケールを頑張ろうと思います
弦楽器だとオーケストラパート譜やソロ譜、基礎練習の譜面に重音が記載されています。重音を弾こうとすると指の微妙な位置のずれでも、人間の耳は美しく響く和音を聞き分けているみたいです。普段は気にならないのですが、この微調整で重音が嫌いになってしまう人が多いと思います。こちらの動画のように、普段は平均律で、その中で隣の人や他のパートと合わせなければならない時の心構えまで教えて下さる方が身近にいたらなぁ、、、と感じます。3歳から楽器を始めましたがかなりの中年になって芸大主席の方に3度6度の和音の取り方を教わり、ようやく理論と技術の一致を知りました。教える方々の事情は様々と思いますが、ここまで教えられる方はどれだけいるのだろう。苦手だからと避けずに幼いころから全体像やその手法を伝える指導に触れられたらいいですね。
西洋音楽が他の地域の民俗音楽と違うのは、18世紀末までにあらゆる音律について徹底的に研究と議論が重ねられていた、という事だと思うんです。それが19世紀以降に花開いて、適材適所でいろいろな音律を使い分けるということができるようになりました。その伝統はバイオリン奏者などに受け継がれていますが、ベースになっている音律の歴史について愚直に学ぶことでより理解が深まると思います。
そうですよね~やっぱりソルフェージュが大事ですよね~頭の中で次の音が鳴らせないとダメですよね
合唱がやりたくて、ある合唱団の演奏を聞きましたが、難しい和声の曲を縦に合わせることばかりに気を遣って、「決まった!」てそれが喜びなのかと思うような演奏で、流れて行かない。音楽はやっぱり水が流れるように流れなくちゃ。途中で引っかかり、引っかかり、流れて行かない水のようで、そこに入るのはやめました。それと、気になるのは響かないところで練習するのがいいと思って、わざわざ音を吸収させるものを置いて練習する、と言う話をよく聞くことです。騒音問題のせいでしょうかね?でも学校の吹奏楽でも、そうやって練習してるという話を聞いて、響きのない演奏って何?と思ったんですけどね。
私は「音程」に関して何の知識もありませんが、偶にNHKなどで放映されている「全国合唱コンクール」の類の番組を聞くのですが、どうも居心地が悪くて最後まで聞きませんし、心に響いてもきません。それに比べて、古学で合唱とは言えないかもしれないので的外れかもしれませんが、タリス・スコラーズやヒリヤード・アンサブルなどを聴いていると心の奥底が震える感動を覚えます。やはり日本にも、エリック・エリクソンのような合唱指揮者が現れないかしら?
「頭の中に正しい音を鳴らす」これにつきますね。頭の中の正しい音をいかに正しく音にするか、というところに技術が必要なわけですが。
マエストロ このところ木を見て森を見ない風潮に対する警鐘が続いていますね。外国のことは分からないので、あえて所謂日本ではと言わせていただきますが、音楽でも絵画でも「成績」に縛られた教育に慣れていると、結局 意義のあるなしにかかわらず何らかの基準に軸足を置きたくなってしまうのでしょうね。バラエティ番組でもいかに「楽譜通り」弾けるか歌えるかを競う企画がありました。面白かったのは大抵日本人が好成績で外国人だと成績いまいちに終わっていましたが、このあたりにマエストロの危惧が露見しているのを感じます。外国の方の演奏は下手というのではなくコンピューター的楽譜通りではないということでしたからね。ところで40年も昔、写真雑誌も沢山あったころの話ですが、このメーカーのレンズは1ミリの間にどのくらい細かな線が写せるかという比較が良く載っていました。その書評をもとに日光が良いとか流石観音とかやりあっていたものです。特殊な利用以外、実際の撮影ではほとんど意味のないデータでしたけれどね。出がらしに!日本のメーカーが何でシュトゥットガルト自動車は乗り味が良いのか研究のためにバラバラにしたそうです。結果それらしい「何か」は見つからなかったそうです。メーカーは運転者が感じられないような「基準」を広告としていくつも発表するのが常だったのですが・・・結局 森より木のほうにばかり目をやるように躾られていることが、状況を良くしていないようですね。いろいろ考えさせられます!長々失礼いたしました。
お話の内容を聞いて反省していたら、おまけ動画のクッキーしけってるで癒されました(* ´ ` *)ᐝいつも勉強させていただいてます頑張りますand応援してます
ソルフェージュ…長音…😌💓懐かしいなぁ…🤭🥰💖✨
全ての音を音程音程言われたら音楽が嫌いになりそうですが、曲の中でキーになる和音にこだわってみるのはとてもテンション上がります。本番にうまくいくかどうかは別にして、曲の流れの中でのその和音の意味を理解して、しっかり狙って音を出すのは弾き甲斐があります。まぁいずれにしてもコンクールで高評価を得るために音程に膨大な労力を費やすやり方は性に合わないですけどね。ただ、知識としての「音程」は個人的にとても面白いです。
いまさら気が付いたのですが、向かって左のマグカップ? 右の一輪挿しですが、どちらもマイセンとお見受けしました。そして今回のお花は紫陽花かと思います。とても素敵なのですが、どれも先生のチョイスなのでしょうか?
『このままでは、日本はダメになる‼︎ 』これは音楽の解説動画で、今回は音程の話に違いないのですが、私にはどうしても、学校の部活動における間違った音程指導の背景に拡がる根深い問題の話に聞こえてしょうがありません。何故、このような小手先の指導が罷り通り、小細工に走ってしまうのか?それは、勝敗で測れる価値観に支配されているからなのでしょう。『いっそコンクールなんか、止めちめぇ〜っ‼︎ 』こんなこと言ったら、炎上必至です。豊かな響きの良い音を追求したい!今すぐには結果が出なくても……という正統派がいる一方で、とにかく3年間は優勝目指して頑張りたい!結果、出したい!……という青春熱血体育会系も沢山いると思うので。学校の部活動においては、どちらも大切です。でも、目の前の結果だけを重視した指導をしてもよいことにはならない。音楽という、好き嫌い、良し悪しが個人の主観に任され、そういった点では曖昧さを持つ特性を覆し、点数化され勝敗が明確なコンクールというものは、一度入賞すると蜜の味となってしまうのでしょう。その結果、これから続く長い音楽人生よりも、すぐに結果の出る目の前の3年間を重視してしまう。音楽の本来あるべき姿とか、あるべき指導というものが見失われてしまう。何て、短絡的なのでしょう‼︎『出るところだけ、やっておけばいいんだよ』これは10年前、息子宛てに届いた大手通信教育講座のDMで、よく見かけた言葉です。そのDMには、必ず短編漫画の小冊子が入ってました。成績に伸び悩む主人公が、成績優秀・文武両道・容姿端麗な憧れの先輩に、このような言葉をかけられます。その秘密はこの魔法のような教材で、主人公はアドバイスに従った結果、名門校に合格、ついでに何故か恋人までゲット……それはともかく、ビジネスとは言え子供の教育・育成に関わる人が「出るところだけ、やっておけばいい」とは、よく言ったもんだ、恥を知れ、恥を‼︎ と、若き日の私は本気で怒りました。目の前の結果だけが全て。本当に、安易で短絡的‼︎その弊害が、今の日本に於いてあらゆるところで見られます。この音程指導の話だけではありません。音大を卒業して、じっくり良い音を作っていかなければならない音楽家の卵が安易にユーチューバーになってしまう。直ぐには結果の出ない科学の基礎研究が軽視されてしまう。もっと大きな話をすれば、労働力が足りないから移民を入れろ、とか、今回の定額減税だって本当に政治家の短絡的な発想……。全て、目の前の結果だけを求める短絡的なことばかりです。こんな調子でいったら、日本はどうなってしまうのでしょうか⁉︎ 今回の解説を聴いて、私はすっかり打ちのめされてしまいました。明日から新しい一週間が始まりますが、私はどうやって生きていけばよいのでしょう……。こんな時こそ、ベートーヴェンですね。ワルトシュタイン・ソナタなんか良いかも。力を与えられる感じが大好きです。この曲の解説、楽しみにしています😊🎵
音楽はリズムと思ってますから😊
パヴァロッティはテンションの高いところでピッチが僅かに上擦るのですが、それがとてもエモーショナルで、圧倒されたり訴えかけてくるものが強いと感じます。彼は楽譜が読めないらしいので、感覚で音をとるのでしょうかね。逆に、絶対音感を持っている声楽家で、その決められた枠の音程からブレなさ過ぎてその人の演奏を聴いても整然とし過ぎてあまり訴えかけてくるものがない(音楽表現でなく音程の面で)、と思うことがありました。
いつも目から鱗で見てます。先生、学校の吹奏楽や合唱は「団体競技」だから音楽そのものの美しさや、楽器そのものの音の美しさなんか求められていません。ですから先生が何を言っても聞く耳を持ちませんし、多分理解も出来ないと思います。
ドルトムント残念😂😢しかしとても魅力的なチーム😍来期に期待を込めて❤
今、ポップスのボーカルはソフトウェアで録音後に音程タイミング等を調整しますが、完全に正しいピッチには修正しないようです。暗い単語はピッチを低くしたりします。それが歌の説得力になるようです。
それって『小細工の極み』……目の前が真っ暗になってきた😮💨
音楽の基礎ですが、楽典の本で楽譜の読み方(解読?)はよく見るのですが、『音程』の項目が始まるページからあまり見ていません(重要視して意識していない)でした。私にとって理解するにはむずかしいかも知れませんね。この動画でのお話とはかけ離れているかもしれませんが、あの『五度圏』の意味が解らないんです。
書道みたいなものですね
🧐
幾度となく自供しておりますが当方ただのド素人、今回も成程なーと普通に論破されてる状況(笑ただ音程は技術だがリズムの揺らぎはセンスと常々感じてる小生は、いつかリズムについての解説が欲しいと思う所存。玉置浩二のアドリブは上手すぎるがギターが自前だから調整可能かと思いつつ、やしきたかじんがバンドが楽譜通り(とど素人は感じてる)なのにあれほどのアドリブで破綻しない。アルゲリッチとコンドラシンの伝説的ライブのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、歴代屈指の超速演奏なのに早さを微塵も感じさせないテンポの妙。全てが何かに憑りつかれた様に突っ走るのは想像も容易だが揺らしまくるテンポの上に生み出される一体感、このあたりを車田さんがどう感じてるのかド素人は興味津々。
“うなり“が無い音が綺麗な音の認識がそもそも誤解です。お寺の鐘などは、あの”うなり”が安らぎを与えるわけです。声も楽器も美しく響かせた音は、単音でも微かな“うなり“が生じます。つまり、音程を合わせるのは”うなり”のある音同士を、より美しい“うなり“で響かせる行為。平均律のⅤ度7→Ⅰ度は、緊張感のある”うなり”が、安らぎの“うなり“に変化する。こういう機能感が損なわれると、人の耳は”音程のズレ”や“濁り“と認識します。日本のスクールバンドは、いきなり難しい曲をやり過ぎるので、横で意識できるようにならない。これは、50年以上前から指摘されてる事ですね。
こんばんは(^^)お久しぶりになってます。人によって音の周波数が違うというのが、大変勉強になりました(^^)今月から母のいる老人ホームで、ポランティアピアノの予定が、エレクトーンを弾いてくださいと言われて、、30年もエレクトーン弾いてないけど⁇まあなんとかなるかなぁ⁉︎これから選曲して頑張ろうと思います♪♪♪また車田さんのお話楽しみにしてます❤
湿気ったクッキーはオーブントースターで3分ほど温めると良いかもしれません
コールユーブンゲン😢
ありがとうございます。わたしはバイオリンですが、単純に言えば弦楽器は指の位置を変えたら音程を変えられます。でも、「正しい音程」とはなにか?でけっこう悩みます。開放弦と共鳴する音がいつもただしい音程でもないし、ピアノに合わせればいいか?といえばそうじゃないときもあるし、一つの音をメロディーの中の音と考えるか和音を構成する音と考えるか、で「正しい」の中身も違ってくるし、で、けっきょく直感でいちばんしっくりくる響きの音を狙う、という感じになります。みんなそうじゃないかな?と想像してます。そういうあいまいなところも音楽なのかな?と思ったり。
私のような物理や数学が好きな人間には、おっしゃることが一つ一つ「腑に落ちる」感じです。
合理的、論理的に明快な説明は素晴らしいです。
仰ること、全てに納得です。アマチュアファゴット奏者で、師匠からは全く同じ事を指摘されていて、その稽古をやっていますがなかなか難しい。喉や口で小細工するとすかさず師匠からダメ出しが飛んでくる。そんな感じです。
音程。その音を出す前に和声をイメージしてその中の自分の音をイメージして出す。私は何十年もオーケストラやアンサンブルで吹いていますが、その感覚で演奏しているのは最近10年程度と思います。誰に教わったのではないですが、いつの間にか、それが必要だと確信を持ってやっていました。それが当たり前だと言うことをこの動画で知りました。有難うございます。
直接関係ないかもしれませんが、柔道では全国小学生学年別柔道大会が廃止されました。理由は決して1つだけではないと思いますが、一般的には子供に対する過度な勝利至上主義がもたらす弊害を削除するためとされています。
私は中高と吹奏楽部にいましたが、正しい音程ではなく良い音を出せと言われ続けていました。最終的には音楽で生活することはできていませんが、今になって思い返すといい指導を受けていたのかもしれません。音程ではなく良い響きの音が出せるようになるまで何度も怒られた思い出があります。ただ「そうだ!その音だ!ずっとその音で演奏しろ」といわれたときの達成感はいい思い出です。
音程、重要ですね。幼い頃は、メロディばかりを覚えていたような気がしますね。成長してくると、伴奏が、どのようなものなのか、聴きながら、メロディも聴くようになったような気がします。おっしゃる通り、良い演奏を聴くことも大事ですね。豊かな響き、ビブラート、声楽家や、管楽器奏者は、息使いが重要ですね。確かにこの技術は習得するのに時間がかかりますね。基礎のソルフェージュ、大事ですね。何事も基礎から、という感じがします。お菓子、美味しそうですね。
車田先生、ありがとうございます。
アマチュア吹奏楽の世界では仰るとおり縦の和音においての音程にばかり触れていることがほとんどだと感じます。
横の旋律における音程に触れられることはほとんどなく、結果耳に心地よくない旋律になってしまったり、無機質な旋律になってしまうことが多く見受けられます。
楽器や体をしっかりと鳴らし、音圧の揃った演奏には音程が揃った演奏以上の魅力があると思っています。
大切なのは頭の中に理想の音楽を鳴らして、それをなぞっていくように音を鳴らすこと、つまりソルフェージュ力ですね。しかし、日本のソルフェージュはピッチとブレスにしか注目して指導しません。ソルフェージュの中で音楽の分析をしながら、豊かに表現する事も同時に指導されるべきだと思います。半音と全音をはじめとする様々な音程から作り出される雰囲気やエネルギーを感じながら歌ってみて、音と身体と心を結びつけること、そして曲の中にそれを見つけた時にその良さや効果がわかる事、それがソルフェージュの究極の目標だと思って指導しています。
演奏者にソルフェージュ力がないと、音楽の様々な表情を感じ取る力が弱いと感じています。また、ソルフェージュは音大に行く人が習うものと思われがちですが、音楽を学ぶすべての人が幼少期から学ぶ最も基礎的で、表現の土台となる部分(インナーリスニング力)を養うものだと思います。
私は中学生になってからソルフェージュを習いましたが、コールユーブンゲンやコンコーネなど、意味もわからずただ歌い、音楽的な表現や音程の意味、その音楽的エネルギーなどただの一度も教わらず、心に感じる事もなく、ソルフェージュの必要性もわからないままひたすらピッチを取る練習をしていました。そういうもだと思っていました。
今、指導者となり本来のソルフェージュが自分の習ってきたものと全く違うものである事を知り、子供達に音楽理解の手がかりであるソルフェージュとなるように努めようと、力不足ですが取り組んでいます。
カラオケマシンで高得点を取った人がお金がもらえるTV番組がありますが、今の中学高校の吹奏楽部もそんな練習をしてるとしたら、それは悲しいです。私の様な趣味で演奏会に行くような人間は、感動したくて聴いているので、悲しい苦しい音程合わせの練習をして演奏会に臨んでいる音楽は、ただ事務的に音が鳴ってる様に聞こえるだけで、つまらないです。
しかし、今私が聴きに行ったり、これから聴きに行くオーケストラは、間違いなく感動を与えてくれます。来月も楽しみがあります。
車田先生は小学生の時にはブラスバンドを楽しみ、音大卒業後は高校の教員として音楽教育に関わってきた、と以前の動画で仰っていましたが、そういった経験から、今現在の吹奏楽部や合唱部の生徒さん達の置かれた状況を思い、居ても立ってもいられない思いなのでしょうね。高校3年間に留まらない、その後の音楽人生。若い人達への愛情に溢れています。
一方で、私は、疲弊して余裕の無い学校現場と先生達の姿が思い浮かびました。特に、強豪校の顧問の先生のプレッシャーは並大抵のものではないのでは?その学校で部活をすることを目標に入学してきた生徒さん、最近は保護者の方も熱心です。その保護者御自身がその学校の卒業生だったりして……。当然『連勝』を期待しているワケですから、指導者が目の前の結果を求める小手先の指導に走ってしまうのは何となく想像できます。
昔、私の友人が中学校の教員になりました。彼女はピアノ専攻でしたが、学校では吹奏楽部の顧問を任され困っていました。中学校の教員ですから、授業の準備や学校ならではの雑事もある。結婚してからは、家事などもこなさなければならない。
普通の公立校の教員が部活等にかけられる時間には限界があります。何十人もいる部員一人一人にソルフェージュ指導なんて、一部の私立校くらいでしか実現できないでしょう。普通の公立校でそれをしたら、それこそ今話題の教員の過重労働ややり甲斐搾取に繋がるのでは?……私はそのことの方が心配です。
偏った音程指導の弊害は、私でも理解することが出来ました。目の前の3年間よりも、その後の長い音楽人生が大切。全くその通りです。
では、私達は一体どうすればいいのか⁉︎
私達には、心の余裕が必要なのです。現場の指導者も、当事者である生徒さんも、それを見守る保護者の方々も。短期的な結果を求めるのではなく、とにかく『待つ』こと。
一方で、運動部などでは、教員が指導するのではなく、その分野に長けた地域の人に指導を任す、といった例もあるようなので、学校の音楽部でも、そういった取り組みがあっても良さそうですね。
とてもためになるお話でした。
下世話な話ですが、カラオケで「上手いなぁ、心に響くなぁ」と思ったときでも、機械での採点はそれほどでもないことが多いですよね。
その逆もよくあります。
オカリナアンサンブルをやっている身です。オカリナはほんの少しの息遣いですぐにピッチが変わってしまうので、歌に近く、息が大事という話は身につまされます。実際、小手先の技術で何とかしようとする人も多く、気にすべきところはそこじゃないのに…ともやもやすることも多いです。今回の動画は、全てのオカリナユーザーにも見てもらいたい動画だと思いました。
小手先に走らずソルフェージュを、というお話、深く納得です。私は音楽とは全く無関係な、ある種の研究技術を医療系の方々に教える、あるいは困った研究者の相談に乗り援助する、という仕事をしていますが、そこで常々心掛けていることと相通ずるものがあると感じました。「空気の通り道を狭めるのではなく、蛇口の筋肉を鍛えること」、その通りですね。
動画とても勉強になりました。特に「一人一人がソルフェージュを身に着ける」や「頭の中で正しい音を鳴らす訓練」などです。後輩に「正しい音程が分からないから」といわれることが多々ありますが、まずはスケールやエチュードによって音感を身に着けようと指導できそうです。
サックスですが、無意識のうちに喉を締めていたことに気付かされました。練習方法を見直します。有難うございます。
今回の話は本当に納得のゆくもので、そうだそうだとうなずきながら聴きました。1966年に大学生になって男声合唱団に入ったのですが、その合唱団の常任指揮者が声楽界の大物の先生を招聘されて、大学1年生から4年間、その客演指揮者の方の指導を受けました。その招聘の理由が、ハーモニーを大事にしすぎて、縦にそろえることばかりに気を取られて、音楽が横に流れて行かないという悪癖を打破するためと言うことでした。まさに車田先生の言われることそのものです。
なお、一時臨時でパートリーダーをやったことがあります。そのときに音が下がると言うことについて一度もメンバーに注意しなかったのですが、それがかなり皆に不信感を与えたようです。しかし、私から言わせれば、音が下がると言えば、皆は喉をつり上げるようにして上げようとするので、音程が下がるよりももっと聴きづらい演奏になるから言わなかったのです。まあ、ちゃんと説明するべきだったと今では思いますが、当時はその喉をつり上げた発声が気持ち悪いことになぜ気づかないのかという思いでした。
音程が下がるのは発声が悪いからなので、発声を改善してゆくしかないのですが、車田先生の言われるように、それはそんなにすぐに出来ることではありませんので、まあせいぜい「鼻腔共鳴を意識して」と言うことぐらいしか出来ませんでした。私たちは鼻腔共鳴のない声を落ちた声あるいは当たっていない声と言っていました。鼻腔共鳴のない声は、音程が悪いというより、音程がないといった方が正しいと思いますが、ただ合唱の中で歌っていると、当たっているのかいないのか自分でもよく分からなくなります。練習中なら鼻に手を当てて確認できるのですが、本番中には出来ませんし。
なお、純正律に関してですが、やはり気になるのはセカンドテナーがトップテナーのメロディと3度の動きをするときに、上手くメロディに寄り添っているかどうか、それと最後の和音できっちりハーモニーしたときに聞こえるトップテナーより上の倍音が聞こえるかどうかです。最近、いろいろな合唱を聴いても、この倍音を聞いたことがないような気がします。上手く倍音が鳴ったときには、やはり歌っていて快感があるので、合唱をやっている醍醐味ではあります。
ピンク🩷の紫陽花、可愛らしい花瓶にピッタリで美しいですね🥰💖✨先生はモノを愛でる才に長けていらっしゃる😺❣️
素晴らしい解説を有難うございました。今後の演奏活動の指針にしたいと思います!
楽しい時間 ありがとうございました 子供頃 しつこくやらされた 練習 いやだったけど 大切な事 だったんですね
音楽を俯瞰して考察され緻密な解説はすごく勉強になります
音程は合っていないといらいらします。賛同します!👍👍👍🙏😊
訂正・編集させて頂きました⇒
蛇口とホースの例えが分かりやすかったです。
音程を取る際には、正しい技術で、 和音(ハーモニー)と旋律(メロディー) 両方を同時に含めて大切にしなければならないという事、ソルフェージュも加えた長年の訓練を経て得られる技術だという事、理解出来ました。
( もちろん、声楽、吹奏楽、オーケストラを経験されていた、されている方々のご理解には及びませんが…。)
正に音楽の三大要素の内の2つだなと気が付きました。(あと1つはリズム)
また、「純正律」に関する2つの動画と共通して語られているのは、聴衆の方々の心へとお届けするための豊かに響く良い音を奏でる事の方が、より大事だという事。
下降の音型が悲しみを表す事は知っていましたが、「ラメント」と言うのだとは初めて知りました。そういえば発想記号にlamentoso (ラメントーソ・悲しく、哀しげに)が有り、ピアノ曲ではあまり出てこないのですが、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」第4楽章の速度標語Adagio(アダージョ)と並んで出てきます。
ビブラート演奏は一般的には高低差が10~20セントなのですね。
( …俗話です、ふと、昔聴いたハウン○・○ッグのボーカルさんや演歌歌手の方々は、一体何十セントの高低差のビブラートで歌っていた・いるのだろうか…と気になってしまいました💦
下手すると半音分とか…?)
湿気ったクッキー、オーブントースターで低温だいたい200W~500W位でしょうか2、3分温めて、冷めるまで待つと復活します!
言い間違えましたが単位はヘルツではなくてセントです。A=440Hzの場合10セント高くなると約442~443Hzぐらいになります。
@@kazuhisakurumada様へ
動画10:10~のビブラートの説明部、Hz ⇒ セントへの訂正のテロップを見逃しておりました、それなのにご丁寧に返信で教えて頂き、説明もありがとうございました。より理解出来ました。
コメント、そのままにしておくのは何だか気がかりになり、Hzをセントに直し、編集させて頂きました💦
いいね!100回連打したいくらい良い解説ですね。音楽の教科書に載せるべき内容だと思います。
わたしにとっては今回は特別に掘り下げて試聴したいテーマです。ヨーロッパの音楽の日本との違いとその特徴と美しさは、数学的基礎が関係していると考えてます。功績者は、ピタゴラス(紀元前582年 - 紀元前496年)やグイード・ダレッツォ(991年- 1050年)という古い時代から歴史があるのがまたすごいです。また、音楽の理論とは別に演奏家の指導法が、発達段階に応じて技術を習得していくという考え方もとても賛成します。間違った指導法は演奏家をめざす人にとって彼の人生に悪い結果をもたらしてしまいます。
どんな音程を狙えば良いか教える前に狙った音を出せるようにする、ということですね。自分はヴァイオリンですがやっぱりスケールを頑張ろうと思います
弦楽器だとオーケストラパート譜やソロ譜、基礎練習の譜面に重音が記載されています。重音を弾こうとすると指の微妙な位置のずれでも、人間の耳は美しく響く和音を聞き分けているみたいです。普段は気にならないのですが、この微調整で重音が嫌いになってしまう人が多いと思います。こちらの動画のように、普段は平均律で、その中で隣の人や他のパートと合わせなければならない時の心構えまで教えて下さる方が身近にいたらなぁ、、、と感じます。3歳から楽器を始めましたがかなりの中年になって芸大主席の方に3度6度の和音の取り方を教わり、ようやく理論と技術の一致を知りました。教える方々の事情は様々と思いますが、ここまで教えられる方はどれだけいるのだろう。苦手だからと避けずに幼いころから全体像やその手法を伝える指導に触れられたらいいですね。
西洋音楽が他の地域の民俗音楽と違うのは、18世紀末までにあらゆる音律について徹底的に研究と議論が重ねられていた、という事だと思うんです。それが19世紀以降に花開いて、適材適所でいろいろな音律を使い分けるということができるようになりました。その伝統はバイオリン奏者などに受け継がれていますが、ベースになっている音律の歴史について愚直に学ぶことでより理解が深まると思います。
そうですよね~やっぱりソルフェージュが大事ですよね~
頭の中で次の音が鳴らせないとダメですよね
合唱がやりたくて、ある合唱団の演奏を聞きましたが、難しい和声の曲を縦に合わせることばかりに気を遣って、「決まった!」てそれが喜びなのかと思うような演奏で、流れて行かない。
音楽はやっぱり水が流れるように流れなくちゃ。途中で引っかかり、引っかかり、流れて行かない水のようで、そこに入るのはやめました。
それと、気になるのは響かないところで練習するのがいいと思って、わざわざ音を吸収させるものを置いて練習する、と言う話をよく聞くことです。
騒音問題のせいでしょうかね?でも学校の吹奏楽でも、そうやって練習してるという話を聞いて、響きのない演奏って何?と思ったんですけどね。
私は「音程」に関して何の知識もありませんが、偶にNHKなどで放映されている「全国合唱コンクール」の類の番組を聞くのですが、どうも居心地が悪くて最後まで聞きませんし、心に響いてもきません。それに比べて、古学で合唱とは言えないかもしれないので的外れかもしれませんが、タリス・スコラーズやヒリヤード・アンサブルなどを聴いていると心の奥底が震える感動を覚えます。
やはり日本にも、エリック・エリクソンのような合唱指揮者が現れないかしら?
「頭の中に正しい音を鳴らす」これにつきますね。頭の中の正しい音をいかに正しく音にするか、というところに技術が必要なわけですが。
マエストロ
このところ木を見て森を見ない風潮に対する警鐘が続いていますね。
外国のことは分からないので、あえて所謂日本ではと言わせていただきますが、
音楽でも絵画でも「成績」に縛られた教育に慣れていると、結局 意義のあるなしにかかわらず何らかの基準に軸足を置きたくなってしまうのでしょうね。
バラエティ番組でもいかに「楽譜通り」弾けるか歌えるかを競う企画がありました。
面白かったのは大抵日本人が好成績で外国人だと成績いまいちに終わっていましたが、
このあたりにマエストロの危惧が露見しているのを感じます。
外国の方の演奏は下手というのではなくコンピューター的楽譜通りではないということでしたからね。
ところで40年も昔、写真雑誌も沢山あったころの話ですが、
このメーカーのレンズは1ミリの間にどのくらい細かな線が写せるかという比較が良く載っていました。
その書評をもとに日光が良いとか流石観音とかやりあっていたものです。
特殊な利用以外、実際の撮影ではほとんど意味のないデータでしたけれどね。
出がらしに!日本のメーカーが何でシュトゥットガルト自動車は乗り味が良いのか研究のためにバラバラにしたそうです。
結果それらしい「何か」は見つからなかったそうです。メーカーは運転者が感じられないような「基準」を広告としていくつも発表するのが常だったのですが・・・
結局 森より木のほうにばかり目をやるように躾られていることが、状況を良くしていないようですね。
いろいろ考えさせられます!
長々失礼いたしました。
お話の内容を聞いて反省していたら、
おまけ動画のクッキーしけってるで癒されました
(* ´ ` *)ᐝ
いつも勉強させていただいてます
頑張りますand応援してます
ソルフェージュ…長音…😌💓懐かしいなぁ…🤭🥰💖✨
全ての音を音程音程言われたら音楽が嫌いになりそうですが、曲の中でキーになる和音にこだわってみるのはとてもテンション上がります。
本番にうまくいくかどうかは別にして、曲の流れの中でのその和音の意味を理解して、しっかり狙って音を出すのは弾き甲斐があります。
まぁいずれにしてもコンクールで高評価を得るために音程に膨大な労力を費やすやり方は性に合わないですけどね。ただ、知識としての「音程」は個人的にとても面白いです。
いまさら気が付いたのですが、向かって左のマグカップ? 右の一輪挿しですが、どちらもマイセンとお見受けしました。
そして今回のお花は紫陽花かと思います。
とても素敵なのですが、どれも先生のチョイスなのでしょうか?
『このままでは、日本はダメになる‼︎ 』
これは音楽の解説動画で、今回は音程の話に違いないのですが、私にはどうしても、学校の部活動における間違った音程指導の背景に拡がる根深い問題の話に聞こえてしょうがありません。何故、このような小手先の指導が罷り通り、小細工に走ってしまうのか?
それは、勝敗で測れる価値観に支配されているからなのでしょう。
『いっそコンクールなんか、止めちめぇ〜っ‼︎ 』
こんなこと言ったら、炎上必至です。
豊かな響きの良い音を追求したい!今すぐには結果が出なくても……という正統派がいる一方で、とにかく3年間は優勝目指して頑張りたい!結果、出したい!……という青春熱血体育会系も沢山いると思うので。学校の部活動においては、どちらも大切です。でも、目の前の結果だけを重視した指導をしてもよいことにはならない。
音楽という、好き嫌い、良し悪しが個人の主観に任され、そういった点では曖昧さを持つ特性を覆し、点数化され勝敗が明確なコンクールというものは、一度入賞すると蜜の味となってしまうのでしょう。その結果、これから続く長い音楽人生よりも、すぐに結果の出る目の前の3年間を重視してしまう。音楽の本来あるべき姿とか、あるべき指導というものが見失われてしまう。何て、短絡的なのでしょう‼︎
『出るところだけ、やっておけばいいんだよ』
これは10年前、息子宛てに届いた大手通信教育講座のDMで、よく見かけた言葉です。そのDMには、必ず短編漫画の小冊子が入ってました。成績に伸び悩む主人公が、成績優秀・文武両道・容姿端麗な憧れの先輩に、このような言葉をかけられます。その秘密は
この魔法のような教材で、主人公はアドバイスに従った結果、名門校に合格、ついでに何故か恋人までゲット……それはともかく、ビジネスとは言え子供の教育・育成に関わる人が「出るところだけ、やっておけばいい」とは、よく言ったもんだ、恥を知れ、恥を‼︎ と、若き日の私は本気で怒りました。
目の前の結果だけが全て。本当に、安易で短絡的‼︎
その弊害が、今の日本に於いてあらゆるところで見られます。この音程指導の話だけではありません。
音大を卒業して、じっくり良い音を作っていかなければならない音楽家の卵が安易にユーチューバーになってしまう。直ぐには結果の出ない科学の基礎研究が軽視されてしまう。もっと大きな話をすれば、労働力が足りないから移民を入れろ、とか、今回の定額減税だって本当に政治家の短絡的な発想……。
全て、目の前の結果だけを求める短絡的なことばかりです。こんな調子でいったら、日本はどうなってしまうのでしょうか⁉︎
今回の解説を聴いて、私はすっかり打ちのめされてしまいました。明日から新しい一週間が始まりますが、私はどうやって生きていけばよいのでしょう……。
こんな時こそ、ベートーヴェンですね。ワルトシュタイン・ソナタなんか良いかも。力を与えられる感じが大好きです。この曲の解説、楽しみにしています😊🎵
音楽はリズムと思ってますから😊
パヴァロッティはテンションの高いところでピッチが僅かに上擦るのですが、それがとてもエモーショナルで、圧倒されたり訴えかけてくるものが強いと感じます。彼は楽譜が読めないらしいので、感覚で音をとるのでしょうかね。逆に、絶対音感を持っている声楽家で、その決められた枠の音程からブレなさ過ぎてその人の演奏を聴いても整然とし過ぎてあまり訴えかけてくるものがない(音楽表現でなく音程の面で)、と思うことがありました。
いつも目から鱗で見てます。
先生、学校の吹奏楽や合唱は「団体競技」だから音楽そのものの美しさや、楽器そのものの音の美しさなんか求められていません。
ですから先生が何を言っても聞く耳を持ちませんし、多分理解も出来ないと思います。
ドルトムント残念😂😢しかしとても魅力的なチーム😍来期に期待を込めて❤
今、ポップスのボーカルはソフトウェアで録音後に音程タイミング等を調整しますが、完全に正しいピッチには修正しないようです。暗い単語はピッチを低くしたりします。それが歌の説得力になるようです。
それって
『小細工の極み』
……目の前が真っ暗になってきた😮💨
音楽の基礎ですが、楽典の本で楽譜の読み方(解読?)はよく見るのですが、
『音程』の項目が始まるページからあまり見ていません(重要視して意識していない)でした。
私にとって理解するにはむずかしいかも知れませんね。この動画でのお話とはかけ離れているかもしれませんが、あの『五度圏』の意味が解らないんです。
書道みたいなものですね
🧐
幾度となく自供しておりますが当方ただのド素人、今回も成程なーと普通に論破されてる状況(笑
ただ音程は技術だがリズムの揺らぎはセンスと常々感じてる小生は、いつかリズムについての解説が欲しいと思う所存。
玉置浩二のアドリブは上手すぎるがギターが自前だから調整可能かと思いつつ、やしきたかじんがバンドが楽譜通り(とど素人は感じてる)なのにあれほどのアドリブで破綻しない。
アルゲリッチとコンドラシンの伝説的ライブのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、歴代屈指の超速演奏なのに早さを微塵も感じさせないテンポの妙。
全てが何かに憑りつかれた様に突っ走るのは想像も容易だが揺らしまくるテンポの上に生み出される一体感、このあたりを車田さんがどう感じてるのかド素人は興味津々。
“うなり“が無い音が綺麗な音の認識がそもそも誤解です。お寺の鐘などは、あの”うなり”が安らぎを与えるわけです。
声も楽器も美しく響かせた音は、単音でも微かな“うなり“が生じます。つまり、音程を合わせるのは”うなり”のある音同士を、より美しい“うなり“で響かせる行為。
平均律のⅤ度7→Ⅰ度は、緊張感のある”うなり”が、安らぎの“うなり“に変化する。こういう機能感が損なわれると、人の耳は”音程のズレ”や“濁り“と認識します。
日本のスクールバンドは、いきなり難しい曲をやり過ぎるので、横で意識できるようにならない。これは、50年以上前から指摘されてる事ですね。
こんばんは(^^)お久しぶりになってます。
人によって音の周波数が違うというのが、大変勉強になりました(^^)
今月から母のいる老人ホームで、ポランティアピアノの予定が、エレクトーンを弾いてくださいと言われて、、30年もエレクトーン弾いてないけど⁇まあなんとかなるかなぁ⁉︎これから選曲して頑張ろうと思います♪♪♪
また車田さんのお話楽しみにしてます❤
湿気ったクッキーはオーブントースターで3分ほど温めると良いかもしれません
🧐
コールユーブンゲン😢