Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
古代史塾の藤井でございます。この度「阿波古代史講座」(ダイジェスト版)動画配信とは別に、新たな試みとして主に小著2冊『古代史入門』・『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』の解説をする「古代史解説」を開始致しましたところ、皆様にはご好意をもって受け止めていただきご期待を賜っておりますこと厚く御礼を申し上げます。身の引き締まる思いです。精進をさせていただきますので宜しくお願い申し上げます。 今後は、その折々にテーマを考えながら解説をさせていただきたいと思いますのでどうかご期待のほどお願い申し上げます。なお解説についてのご意見・ご質問等は、当欄か「古代史塾」ホームページ(Google検索で「古代史塾」と入力)のメールアドレス宛て頂戴出来ればと存じます。追って、考古資料館で毎月開催している「阿波古代史講座」(基本的に毎月第3日曜日13:30~16:00)についてのお問合せもホームページのメルアドまで頂戴出来れば幸いです。(※ 考古資料館へ私の講座についてお問合せをされても場所をお借りしているだけですので、考古資料館ではお答えいただけませんので、この点どうか宜しくお願い申し上げます。)
先生の動画での説明、解りやすく楽しく拝見しておりました。これからは座学としてご教示いただけるとはありがたいかぎりです。
早速にお励ましのコメントを頂戴し恐縮致しております。今後は、現地からの動画も交えてご案内申し上げる心積もりでおります。変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
この度の先生のお話は昔物語や講談を聞くような気がします 心に染み入るようです いつもありがとうございます。
早速に有難いコメントを頂戴し恐縮致しております。新たな試みです。変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
藤井先生、体調が良くないとの事、早期のご快復をお祈り致しております。本日、第一回の先生の講義は、私にとりましては嬉しい限りです。まるでマンツーマンのレッスンです。ありがとうございます🌈
早速に温かく力の湧いてくるコメントを頂戴し、誠に有難うございます。現地からのご説明とともにこちらのコーナーも折に触れて皆様と向き合いたいと考えておりますので、ご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
楽しみにしております!お身体に気を付けて頑張って下さい。ちなみに私は静岡県出身で阿波々神社は知っています5回ほど行っています。
早速に心強いコメントを頂戴し有り難く存じます。そうでしたか❗️「阿波々神社」は、令和3年秋に一度訪れて感動した思い出があります。今秋も、長野、山梨、静岡、愛知、三重、奈良と時計回りに阿波古代史探訪の旅に出掛ける予定ですが、「阿波々神社」ももう一度訪れて動画を撮って来て配信予定ですのでご期待賜ればと存じます。
@@藤井栄-t6s ホントにメッチャ楽しみにしてます!
お疲れ様です。今年の猛暑は異常でしたね、無理しないでマイペースでお願いします。藤井節聞けて、ひと安心で〜す😀阿波古代史の普段聞けないお話しなど次回からの古代史解説、楽しみにしております✨👍
早速に温かいお励ましのコメントを頂戴し恐縮致しております。今後は、現地からのご案内を交えながらご説明をさせていただきますのでご期待賜ればと存じます。今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
藤井さん、こんにちは!古代史解説シリーズが始まるんですね。大変ありがたいです。本当は毎月の古代史塾に参加したいのですが、なにぶん東京在住なのでなかなか行くのが難しく残念な思いでいました。なので大変嬉しいです。今年の6月に京都の粟神社、7月に茨城の阿波山上神社へ行ってきました。私も関東地方の古代阿波人の痕跡を辿りたいとかねてより思っていました。阿波山上神社は那珂川沿岸にあり、北には「かつら」という道の駅があり、南には「粟」という地名が残っていたりで、間違いなく古代阿波人がやってきた土地だということを確信しました。12月には栃木県の安房神社へ行く予定でいます。来年は千葉の安房神社と他にも行ってみたいと思っています。今後の古代史解説シリーズを楽しみにしてます。お身体はくれぐれも大事になさってください。
早速に有難いコメントを頂戴し恐縮に存じます。そうでしたか、それはそれは⁉️これから、15社の「阿波(粟)神社」を始めとしていろいろなことをお話させていただきます。それにしても今夏の酷暑は堪えました。やはり無理と油断は禁物ですね。今後は、体調と相談しながら現地と我が家の両方で皆様にご説明をさせていただこうかなと考えております。変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
お疲れさまです。小松島市の中田にある八幡神社から東に少し行ったあたりに今は小松島町なんですが、その昔は鳳栄町と呼ばれてたんです。先生ならご存知だとは思いますが、何か意味深い地名ような気がして先生のご意見をお伺えばと思いコメントさせてもらいました。ネットで鳳の意味を調べたらヤマトタケルの尊とか天子の意味があると載ってたんです。少し徳島方面に走れば蜂須賀家が創建した八幡さんがあるその近くには式内社の建島さんが鎮座されてますし。それより徳島よりには江戸時代に幕府の命により天皇陵があると言われて調査した古墳がありますし。それと八幡さんのちかくの小学校は千代小学校と言いこれも何か意味がありそうな学校名だとマップを見てたらそんな事を思いました!単なる偶然なのでしょうか?
コメントを頂戴し誠に有難うございます。 ご指摘・ご疑問ごもっともです。少し長くなりますがご了承下さいませ。勉強を本格的に始めた10年前から古代 “ 飛鳥 ” の地「小松島」市は何度も何度も調査に訪れておりますが、「鳳栄町」も現在「鳳栄町会堂」として残っておりますので存じております。“鳳(ほう・おおとり)” はもともと中国の古代思想からくる想像上の瑞鳥の雄で、雌は “ 凰 ” 、併せて “ 鳳凰(ほうおう)” ですね。 この旧鳳栄町辺りも西側の「縣前(あがたまえ)」・「豊ノ本」・「中ノ郷」とともに古代において日本枢要の地であり、何より古事記國譲りの舞台の地でもあります。國譲り交渉の第一の使者「アメノホヒノミコト」が遣わされたのがご当地「縣(あがた)」の地で大国主命の本願地です。アメノホヒノミコトは3年間高天原に報告もしないままであったことは古事記記述どおりです。 アメノホヒノミコトはこうして葦原中つ国で大国主命の下で亡くなり葬られましたが、葬られた神陵(古墳)は大正2年に敷かれた「小松島線」(現、廃線)敷設の際取り壊され、御霊は現在同市「中郷町(なかのごうちょう)」の「豊国(とよくに)神社」で合祀されています。(取り壊された際、古墳の中からは勾玉や銅鏡などが出土したそうですが、現在は行方不明です。小著『古代史入門』79頁参照) お近くにお住まいでしたら豊国神社へ行って見て下さい。鳥居を入って直ぐ右側に赤い屋根のコンクリートの小さな祠が4柱並んでいる一番左がアメノホヒノミコトを祀る延喜式内社「御縣(みあがた)神社」です。そうです、「縣(あがた)」は朝廷直轄地・禁足地ですよね。この辺りは「旧篠原(しのはら)郷」です。これでおおよその関連がご理解いただけたかと存じますが、「篠原郷」は「葦原中つ国」の名残で、「豊ノ本」も「豊葦原」の名残です。もちろん「中郷町」は「中つ国」の名残です。(以上、全体として小著『古代史入門』214~226頁参照)これで、國譲り交渉の舞台が阿波小松島市、現中郷町・小松島町・中田町辺りであることがよくお分かりのことと存じます。 その他、「建嶋女祖命(たけしまめおやのみこと)神社」(小著『古代史入門』113・114頁参照)、第18代反正天皇陵の発掘調査の件(同152・153頁参照)をはじめ全体的なことにつきましては、小著『古代史入門』・同『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読下さいませ。 中田町「東八幡神社」のすぐ南には天照大神が祀られている「小松島皇大神宮」が鎮座していますね。ことほどさように、この辺りは古代日本の都の地です。出雲や奈良などでは見ることの出来ない阿波の歴史の奥深さがよくご理解いただけるものと存じます。 もし宜しければ、来る12月15日(日)13:30~16:00主催講座「阿波古代史講座」で小松島市辺りのこと(「天香具山と古代 “ 飛鳥 ” の地」)についてお話しますのでお時間が合えばお出かけ下さいませ。(徳島市立考古資料館(研修室):お問合せは私のホームページアドレス(fujii@kodaishi.org)まで。資料館へのお問合せは部屋をお借りしているだけですのでご遠慮下さいませ。)
いつも有難うございます。素晴らしい試みですね。しかし、お身体くれぐれもご自愛なさって下さい。色々と学ばせて頂きたく楽しみにしております。よろしくお願いします。
早速に温かいコメントを頂戴し、誠に有難うございます。無理をせず、体調と相談しながら現地と自宅の両方で皆様に向き合いたいと考えていますので、今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
いいとあももいます
早々とコメントを頂戴し誠に有難うございます。今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
阿波だけでなく対馬も気に成りますアマテル(阿麻氐留神社)そして魏志倭人伝で対馬その大官を卑狗「彦」たぶんアマテラス(高木神)かも知れません文字の無い時代ですから記紀もこれを神話に取り込んだ可能性が有ります。
早速コメントを頂戴し有難うございました。歴史、それも古代のことですから色々な見立て、お考えがあろうかと存じます。それぞれの見立てを深め検証を重ねて歴史の真実に少しでも近づきたいですね。
古代史塾の藤井でございます。
この度「阿波古代史講座」(ダイジェスト版)動画配信とは別に、新たな試みとして主に小著2冊『古代史入門』・『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』の解説をする「古代史解説」を開始致しましたところ、皆様にはご好意をもって受け止めていただきご期待を賜っておりますこと厚く御礼を申し上げます。身の引き締まる思いです。精進をさせていただきますので宜しくお願い申し上げます。
今後は、その折々にテーマを考えながら解説をさせていただきたいと思いますのでどうかご期待のほどお願い申し上げます。
なお解説についてのご意見・ご質問等は、当欄か「古代史塾」ホームページ(Google検索で「古代史塾」と入力)のメールアドレス宛て頂戴出来ればと存じます。
追って、考古資料館で毎月開催している「阿波古代史講座」(基本的に毎月第3日曜日13:30~16:00)についてのお問合せもホームページのメルアドまで頂戴出来れば幸いです。
(※ 考古資料館へ私の講座についてお問合せをされても場所をお借りしているだけですので、考古資料館ではお答えいただけませんので、この点どうか宜しくお願い申し上げます。)
先生の動画での説明、解りやすく楽しく拝見しておりました。
これからは座学としてご教示いただけるとはありがたいかぎりです。
早速にお励ましのコメントを頂戴し恐縮致しております。
今後は、現地からの動画も交えてご案内申し上げる心積もりでおります。
変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
この度の先生のお話は昔物語や講談を聞くような気がします 心に染み入るようです いつもありがとうございます。
早速に有難いコメントを頂戴し恐縮致しております。
新たな試みです。
変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
藤井先生、体調が良くないとの事、早期のご快復をお祈り致しております。
本日、第一回の先生の講義は、私にとりましては嬉しい限りです。まるでマンツーマンのレッスンです。ありがとうございます🌈
早速に温かく力の湧いてくるコメントを頂戴し、誠に有難うございます。
現地からのご説明とともにこちらのコーナーも折に触れて皆様と向き合いたいと考えておりますので、ご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
楽しみにしております!
お身体に気を付けて頑張って下さい。
ちなみに私は静岡県出身で阿波々神社は知っています5回ほど行っています。
早速に心強いコメントを頂戴し有り難く存じます。
そうでしたか❗️
「阿波々神社」は、令和3年秋に一度訪れて感動した思い出があります。
今秋も、長野、山梨、静岡、愛知、三重、奈良と時計回りに阿波古代史探訪の旅に出掛ける予定ですが、「阿波々神社」ももう一度訪れて動画を撮って来て配信予定ですのでご期待賜ればと存じます。
@@藤井栄-t6s ホントにメッチャ楽しみにしてます!
お疲れ様です。
今年の猛暑は異常でしたね、無理しないでマイペースでお願いします。藤井節聞けて、ひと安心で〜す😀阿波古代史の普段聞けないお話しなど次回からの古代史解説、楽しみにしております✨👍
早速に温かいお励ましのコメントを頂戴し恐縮致しております。
今後は、現地からのご案内を交えながらご説明をさせていただきますのでご期待賜ればと存じます。
今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
藤井さん、こんにちは!古代史解説シリーズが始まるんですね。大変ありがたいです。本当は毎月の古代史塾に参加したいのですが、なにぶん東京在住なのでなかなか行くのが難しく残念な思いでいました。なので大変嬉しいです。
今年の6月に京都の粟神社、7月に茨城の阿波山上神社へ行ってきました。私も関東地方の古代阿波人の痕跡を辿りたいとかねてより思っていました。
阿波山上神社は那珂川沿岸にあり、北には「かつら」という道の駅があり、南には「粟」という地名が残っていたりで、間違いなく古代阿波人がやってきた土地だということを確信しました。12月には栃木県の安房神社へ行く予定でいます。来年は千葉の安房神社と他にも行ってみたいと思っています。
今後の古代史解説シリーズを楽しみにしてます。お身体はくれぐれも大事になさってください。
早速に有難いコメントを頂戴し恐縮に存じます。
そうでしたか、それはそれは⁉️
これから、15社の「阿波(粟)神社」を始めとしていろいろなことをお話させていただきます。
それにしても今夏の酷暑は堪えました。
やはり無理と油断は禁物ですね。
今後は、体調と相談しながら現地と我が家の両方で皆様にご説明をさせていただこうかなと考えております。
変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
お疲れさまです。
小松島市の中田にある八幡神社から東に少し行ったあたりに今は小松島町なんですが、その昔は鳳栄町と呼ばれてたんです。先生ならご存知だとは思いますが、何か意味深い地名ような気がして先生のご意見をお伺えばと思いコメントさせてもらいました。
ネットで鳳の意味を調べたらヤマトタケルの尊とか天子の意味があると載ってたんです。
少し徳島方面に走れば蜂須賀家が創建した八幡さんがあるその近くには式内社の建島さんが鎮座されてますし。
それより徳島よりには江戸時代に幕府の命により天皇陵があると言われて調査した古墳がありますし。
それと八幡さんのちかくの小学校は千代小学校と言いこれも何か意味がありそうな学校名だとマップを見てたらそんな事を思いました!
単なる偶然なのでしょうか?
コメントを頂戴し誠に有難うございます。
ご指摘・ご疑問ごもっともです。少し長くなりますがご了承下さいませ。
勉強を本格的に始めた10年前から古代 “ 飛鳥 ” の地「小松島」市は何度も何度も調査に訪れておりますが、「鳳栄町」も現在「鳳栄町会堂」として残っておりますので存じております。“鳳(ほう・おおとり)” はもともと中国の古代思想からくる想像上の瑞鳥の雄で、雌は “ 凰 ” 、併せて “ 鳳凰(ほうおう)” ですね。
この旧鳳栄町辺りも西側の「縣前(あがたまえ)」・「豊ノ本」・「中ノ郷」とともに古代において日本枢要の地であり、何より古事記國譲りの舞台の地でもあります。
國譲り交渉の第一の使者「アメノホヒノミコト」が遣わされたのがご当地「縣(あがた)」の地で大国主命の本願地です。アメノホヒノミコトは3年間高天原に報告もしないままであったことは古事記記述どおりです。
アメノホヒノミコトはこうして葦原中つ国で大国主命の下で亡くなり葬られましたが、葬られた神陵(古墳)は大正2年に敷かれた「小松島線」(現、廃線)敷設の際取り壊され、御霊は現在同市「中郷町(なかのごうちょう)」の「豊国(とよくに)神社」で合祀されています。(取り壊された際、古墳の中からは勾玉や銅鏡などが出土したそうですが、現在は行方不明です。小著『古代史入門』79頁参照)
お近くにお住まいでしたら豊国神社へ行って見て下さい。鳥居を入って直ぐ右側に赤い屋根のコンクリートの小さな祠が4柱並んでいる一番左がアメノホヒノミコトを祀る延喜式内社「御縣(みあがた)神社」です。
そうです、「縣(あがた)」は朝廷直轄地・禁足地ですよね。この辺りは「旧篠原(しのはら)郷」です。
これでおおよその関連がご理解いただけたかと存じますが、「篠原郷」は「葦原中つ国」の名残で、「豊ノ本」も「豊葦原」の名残です。もちろん「中郷町」は「中つ国」の名残です。(以上、全体として小著『古代史入門』214~226頁参照)
これで、國譲り交渉の舞台が阿波小松島市、現中郷町・小松島町・中田町辺りであることがよくお分かりのことと存じます。
その他、「建嶋女祖命(たけしまめおやのみこと)神社」(小著『古代史入門』113・114頁参照)、第18代反正天皇陵の発掘調査の件(同152・153頁参照)をはじめ全体的なことにつきましては、小著『古代史入門』・同『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読下さいませ。
中田町「東八幡神社」のすぐ南には天照大神が祀られている「小松島皇大神宮」が鎮座していますね。
ことほどさように、この辺りは古代日本の都の地です。出雲や奈良などでは見ることの出来ない阿波の歴史の奥深さがよくご理解いただけるものと存じます。
もし宜しければ、来る12月15日(日)13:30~16:00主催講座「阿波古代史講座」で小松島市辺りのこと(「天香具山と古代 “ 飛鳥 ” の地」)についてお話しますのでお時間が合えばお出かけ下さいませ。
(徳島市立考古資料館(研修室):お問合せは私のホームページアドレス(fujii@kodaishi.org)まで。資料館へのお問合せは部屋をお借りしているだけですのでご遠慮下さいませ。)
いつも有難うございます。素晴らしい試みですね。しかし、お身体くれぐれもご自愛なさって下さい。色々と学ばせて頂きたく楽しみにしております。よろしくお願いします。
早速に温かいコメントを頂戴し、誠に有難うございます。
無理をせず、体調と相談しながら現地と自宅の両方で皆様に向き合いたいと考えていますので、今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
いいとあももいます
早々とコメントを頂戴し誠に有難うございます。
今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
阿波だけでなく対馬も気に成りますアマテル(阿麻氐留神社)そして魏志倭人伝で対馬その大官を卑狗「彦」たぶんアマテラス(高木神)かも知れません文字の無い時代ですから記紀もこれを神話に取り込んだ可能性が有ります。
早速コメントを頂戴し有難うございました。
歴史、それも古代のことですから色々な見立て、お考えがあろうかと存じます。
それぞれの見立てを深め検証を重ねて歴史の真実に少しでも近づきたいですね。