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日本の原風景をゆく軽便鉄道……心が洗われますね……😊
沼尻の、こんなにリアルな動画初めて見ました。ありがとうございます😊
私も廃線跡を一部歩きました。現役時代に乗って見たかったです。
今は千葉県民ですが、実家は白津駅の直近で、小さい頃良く乗りました。懐かしすぎて涙が出て来てしまいました。
コメントありがとうございます。喜んでいただけたようで何よりです。
豊富な映像、ありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます😊
情緒たっぷりの映像ですね…😸そして、地域住民の生活に密着していたのがわかります。
軽便鉄道が今も三重県に2箇所残っていることが凄いと思います。
おいらが物心ついたときはもう無くなっていた。走っているところは見たはずないのだが何故か泣けてくる。
懐かしい、軽便鉄道、私は、昭和38年に、卒業を前に、スキーで沼尻へいくのに、乗りました、雪のなかをはしっていたが、止まったら、駅員さんが、とうくにみえるいえまで、スコップか?なにかを取りに行ったのをおぼえていて、懐かしい思いでです、
よく制作してくれました。
15年くらい前まで、仕事でよく行っていました良い土地、良い人たちでした
懐かしい、何度か廃線跡を歩いたことがある。沼尻駅の奥に硫黄鉱山があった。
末期には磐梯急行電鉄という凄い社名になっていたそうですね。もしも実際に改軌と電化がされて、磐越西線との相互乗入れが実現していたら、日本初の交流電化私鉄として注目されていたでしょうね。勿論、そんな妄想みたいな計画など最初から見果てぬ夢だった訳ですが…ただ、其れなりに近代化には取り組んでいたようで、末期には同じく軽便だった仙北鉄道から中古の気動車を2両購入していたようです。
沼尻軽便鉄道の現役時代の貴重な映像を拝見できてUP主様には感謝です。「高原列車は行く」が沼尻軽便鉄道をモデルにしていたのは初耳でした、作詞者の丘灯至夫氏が福島県出身といえばなるほど、と思います。緑の村に綺麗な状態で保存されているDC121+ボサハ12+ボサハ13は廃止後とある旅館で保管していたが荒廃同然だったところをレストアされたのですから地元住民の沼尻軽便鉄道への想いには頭が下がります。そういえば野口英世記念館にボサハ14(?)が保存されていたらしいですが解体されてしまったのでしょうか?(「軽便鉄道~郷愁の軌跡」(毎日新聞社・刊)に写真あり)
へえ、草軽電鉄て思っていた。
朝ドラ「エール」で、再びスポットライトが当たりまして、少しずつ軽便の姿が復活していきますね。六角精児さん来ましたら、色々うるさそうな気がしますね。沼尻軽便鉄道のシミュレーターとか、作成しましたら面白そうですね。
そうですね。何より50年前に廃線になった軽便鉄道の記録を残そうと取り組んでいる地元保存会の皆さんが素晴らしいと思います。
テレビ朝日が(レールのあった街)に無いのが不満!廃線番組だが。
沼尻鉄道の車輌は762㎜(2フィート6インチ)軌間の鉄道の車両の中でもかなり小さい部類だった。この鉄道のことは中学時代に読んだ鉄道模型雑誌に紹介されていて知っていたが既に廃止になった後だった。今このサイズの線路幅の鉄道で生き残っているのは…三岐鉄道の北勢線や黒部峡谷鉄道など極僅かだね。確かに輸送力は小さいし速度も然程出ないから道路事情が良くなれば自動車の機動性には敵わないし役目を終えたとして廃止されてしまうのも仕方ないのかも知れない。でもこういう長閑な列車が走りそれに揺られて穏やかでゆったりとしたい時間が過ごせる…そんな場所があると嬉しい。観光資源に出来ないかな?(要は先立つものが確保出来るか否かが鍵だね)閑話休題。この鉄道の動画が残っていたことに驚くと共に残してくれた先人達に感謝したい。
15㎞強の路線を一時間弱かけて走破する軽便、沼尻鉄道。マラソン選手より遅い計算。だから良いなぁ。趣味的な意味は横においても、のんびりして大らかな時代だったのだと思う。今の田舎の15㎞の距離は車で20分位。20分で行ける計算だから他の要件も発生して忙しい。今より貧しい時代だったのだろうが、この時代、人の心にゆとりがあったのではないか???川桁には2度行ったことがあるが家族旅行のついでなので、鉄道跡を探索出来なった。しかし、観音寺川の鉄橋跡は雰囲気は残っていたかな。
長野にも軽井沢~草津まで走ってました。映画にも出ています。廃線になり今は草軽交通がバス運行しています。
ドリフの映画にあったね
廃線後の「磐梯急行電鉄」経営陣が御坊臨港鉄道を購入し、「紀州鉄道」と改称しました。
それが紀州鉄道。観光産業になる!
猪苗代町役場に電話すると、保留時にこの曲が流れます。
観音寺川は名所!鉄道模型の 軽便祭りで題材になる。
最終期は電化も計画されて社名を「磐梯急行『電鉄』」に改称したものの結局電化されずじまいに終わってしまいました。
電化の計画があったんですね。知りませんでした。ありがとうございます。
@@motionframe7426 無いです。名前だけ。デカイ計画だけ見せてカネを集めて倒産させた計画倒産ではないかという説もあるらしいです。ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E6%A2%AF%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84#%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%80%92%E7%94%A3%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%82%8B%E7%B5%8C%E7%B7%AF
@@mikunitmr それ濃厚支離滅裂な風呂敷なんです。
「終わり良ければ総て良し」と言うことわざが日本にはあるけど、この鉄道は散々な終わり方をしたんですね。当時は国鉄より給料が良かったと元従業員の方がインタビューに答えてましたが、Wikiには退職金は雀の涙だったとの記載が・・・
1950年代は鉄道会社が自身の信用の高さを利用、沿線を開発し不動産を売るという図式が確立されつつある時期でした。そこで貨物運搬から観光路線へ転換を模索していた当鉄道が、某不動産投機集団に目を付けられ、沿線の不動産価値を高めるために鉄道自体の近代化計画を謳い、その計画の一部が「磐梯急行電鉄」という社名変更でした。しかしその近代化計画はあまりにもオーバースケールであり(そもそも実行するつもりもなかったと思われる)、不動産投機集団は磐梯急行電鉄の経営権を掌握したもののその経営は不明瞭であり、晩年は粉飾決算や計画倒産まがいの事件を起こし終焉を迎えました。
安部なかさん、『牧場の乙女』の面影あるな。
磐梯急行電鉄というのは、不動産業者が会社の信用を上げるために付けただけのものです結局、ガタガタと荒れて廃線不動産業者は今では「紀州鉄道」です
安部なかさん、最初は武智豊子さんが出演されてるのかなと思ったw
貴重な映像です。が、「緑の村」が安達太良山麓というのはいささか無理がありますね。。
仰る通りですね。正しくは磐梯山麓です。
みた協三製たしか東京ディズニーランドのナローSLも協三製
乗った川桁駅から中の沢まで実際 こね♫高原列車は行くは川桁駅から中の沢温泉まで湯治した体験から産まれた
みどりの村は磐梯山の麓、あだたらの麓じゃない
御指摘の通りです。
沼尻鉄道は高原列車ではないよ。
確かに (磐梯山の)麓列車ですねただ、猪苗代全体の標高が高いんじゃないですか
軌道762ミリの軽便鉄道は、車両はバスぐらいの大きさで、車内幅もバスと同じ2メートルぐらい。3メートルちかいJR在来線列車より一回り狭い。昔、同じ頃、岡山に下津井電鉄という同じような軽便鉄道があって、今のJRの茶屋町駅から瀬戸内海にある港の下津井駅まで、その鉄道で児島半島を回って行ったことがある。こちらは沼尻鉄道のような磐梯山が見える「高原列車は行く」のイメージではなくではなく、瀬戸内の島を眺める「みかんの花咲く丘」のイメージだったと思う。
日本の原風景をゆく軽便鉄道……
心が洗われますね……😊
沼尻の、こんなにリアルな動画初めて見ました。ありがとうございます😊
私も廃線跡を一部歩きました。現役時代に乗って見たかったです。
今は千葉県民ですが、実家は白津駅の直近で、小さい頃良く乗りました。
懐かしすぎて涙が出て来てしまいました。
コメントありがとうございます。
喜んでいただけたようで何よりです。
豊富な映像、ありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます😊
情緒たっぷりの映像ですね…😸
そして、地域住民の生活に密着していたのがわかります。
軽便鉄道が今も三重県に2箇所残っていることが凄いと思います。
おいらが物心ついたときはもう無くなっていた。走っているところは見たはずないのだが何故か泣けてくる。
懐かしい、軽便鉄道、私は、昭和38年に、卒業を前に、スキーで沼尻へいくのに、乗りました、雪のなかをはしっていたが、止まったら、駅員さんが、とうくにみえるいえまで、スコップか?なにかを取りに行ったのをおぼえていて、懐かしい思いでです、
よく制作してくれました。
15年くらい前まで、仕事でよく行っていました
良い土地、良い人たちでした
懐かしい、何度か廃線跡を歩いたことがある。沼尻駅の奥に硫黄鉱山があった。
末期には磐梯急行電鉄という凄い社名になっていたそうですね。
もしも実際に改軌と電化がされて、磐越西線との相互乗入れが実現していたら、日本初の交流電化私鉄として注目されていたでしょうね。
勿論、そんな妄想みたいな計画など最初から見果てぬ夢だった訳ですが…
ただ、其れなりに近代化には取り組んでいたようで、末期には同じく軽便だった仙北鉄道から中古の気動車を2両購入していたようです。
沼尻軽便鉄道の現役時代の貴重な映像を拝見できてUP主様には感謝です。
「高原列車は行く」が沼尻軽便鉄道をモデルにしていたのは初耳でした、
作詞者の丘灯至夫氏が福島県出身といえばなるほど、と思います。
緑の村に綺麗な状態で保存されているDC121+ボサハ12+ボサハ13は廃止後とある旅館で
保管していたが荒廃同然だったところをレストアされたのですから地元住民の沼尻軽便鉄道への
想いには頭が下がります。
そういえば野口英世記念館にボサハ14(?)が保存されていたらしいですが解体されて
しまったのでしょうか?(「軽便鉄道~郷愁の軌跡」(毎日新聞社・刊)に写真あり)
へえ、草軽電鉄て思っていた。
朝ドラ「エール」で、再びスポットライトが当たりまして、少しずつ軽便の姿が復活していきますね。六角精児さん来ましたら、色々うるさそうな気がしますね。沼尻軽便鉄道のシミュレーターとか、作成しましたら面白そうですね。
そうですね。何より50年前に廃線になった軽便鉄道の記録を残そうと取り組んでいる地元保存会の皆さんが素晴らしいと思います。
テレビ朝日が
(レールのあった街)に
無いのが不満!
廃線番組だが。
沼尻鉄道の車輌は762㎜(2フィート6インチ)軌間の鉄道の車両の中でもかなり小さい部類だった。この鉄道のことは中学時代に読んだ鉄道模型雑誌に紹介されていて知っていたが既に廃止になった後だった。今このサイズの線路幅の鉄道で生き残っているのは…三岐鉄道の北勢線や黒部峡谷鉄道など極僅かだね。確かに輸送力は小さいし速度も然程出ないから道路事情が良くなれば自動車の機動性には敵わないし役目を終えたとして廃止されてしまうのも仕方ないのかも知れない。でもこういう長閑な列車が走りそれに揺られて穏やかでゆったりとしたい時間が過ごせる…そんな場所があると嬉しい。観光資源に出来ないかな?
(要は先立つものが確保出来るか否かが鍵だね)
閑話休題。この鉄道の動画が残っていたことに驚くと共に残してくれた先人達に感謝したい。
15㎞強の路線を一時間弱かけて走破する軽便、沼尻鉄道。マラソン選手より遅い計算。だから良いなぁ。趣味的な意味は横においても、のんびりして大らかな時代だったのだと思う。今の田舎の15㎞の距離は車で20分位。20分で行ける計算だから他の要件も発生して忙しい。今より貧しい時代だったのだろうが、この時代、人の心にゆとりがあったのではないか???
川桁には2度行ったことがあるが家族旅行のついでなので、鉄道跡を探索出来なった。しかし、観音寺川の鉄橋跡は雰囲気は残っていたかな。
長野にも軽井沢~草津まで走ってました。映画にも出ています。廃線になり今は草軽交通がバス運行しています。
ドリフの映画にあったね
廃線後の「磐梯急行電鉄」経営陣が御坊臨港鉄道を購入し、「紀州鉄道」と改称しました。
それが
紀州鉄道。
観光産業になる!
猪苗代町役場に電話すると、保留時にこの曲が流れます。
観音寺川は
名所!
鉄道模型の 軽便祭りで
題材になる。
最終期は電化も計画されて社名を「磐梯急行『電鉄』」に改称したものの結局電化されずじまいに終わってしまいました。
電化の計画があったんですね。知りませんでした。ありがとうございます。
@@motionframe7426 無いです。名前だけ。
デカイ計画だけ見せてカネを集めて倒産させた計画倒産ではないかという説もあるらしいです。ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E6%A2%AF%E6%80%A5%E8%A1%8C%E9%9B%BB%E9%89%84#%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%80%92%E7%94%A3%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%82%8B%E7%B5%8C%E7%B7%AF
@@mikunitmr
それ
濃厚
支離滅裂な風呂敷なんです。
「終わり良ければ総て良し」と言うことわざが日本にはあるけど、
この鉄道は散々な終わり方をしたんですね。
当時は国鉄より給料が良かったと元従業員の方がインタビューに答えてましたが、
Wikiには退職金は雀の涙だったとの記載が・・・
1950年代は鉄道会社が自身の信用の高さを利用、沿線を開発し不動産を売るという図式が確立されつつある時期でした。
そこで貨物運搬から観光路線へ転換を模索していた当鉄道が、某不動産投機集団に目を付けられ、沿線の不動産価値を高めるために鉄道自体の近代化計画を謳い、その計画の一部が「磐梯急行電鉄」という社名変更でした。
しかしその近代化計画はあまりにもオーバースケールであり(そもそも実行するつもりもなかったと思われる)、不動産投機集団は磐梯急行電鉄の経営権を掌握したもののその経営は不明瞭であり、晩年は粉飾決算や計画倒産まがいの事件を起こし終焉を迎えました。
安部なかさん、『牧場の乙女』の面影あるな。
磐梯急行電鉄というのは、不動産業者が会社の信用を上げるために付けただけのものです
結局、ガタガタと荒れて廃線
不動産業者は今では「紀州鉄道」です
安部なかさん、最初は武智豊子さんが出演されてるのかなと思ったw
貴重な映像です。
が、「緑の村」が安達太良山麓というのは
いささか無理がありますね。。
仰る通りですね。正しくは磐梯山麓です。
みた
協三製
たしか
東京ディズニーランドの
ナローSLも協三製
乗った
川桁駅から中の沢まで
実際 こね♫高原列車は行く
は川桁駅から中の沢温泉まで
湯治した体験から
産まれた
みどりの村は磐梯山の麓、あだたらの麓じゃない
御指摘の通りです。
沼尻鉄道は高原列車ではないよ。
確かに (磐梯山の)麓列車ですね
ただ、猪苗代全体の標高が高いんじゃないですか
軌道762ミリの軽便鉄道は、車両はバスぐらいの大きさで、車内幅もバスと同じ2メートルぐらい。3メートルちかいJR在来線列車より一回り狭い。
昔、同じ頃、岡山に下津井電鉄という同じような軽便鉄道があって、今のJRの茶屋町駅から瀬戸内海にある港の下津井駅まで、その鉄道で児島半島を回って行ったことがある。
こちらは沼尻鉄道のような磐梯山が見える「高原列車は行く」のイメージではなくではなく、瀬戸内の島を眺める「みかんの花咲く丘」のイメージだったと思う。