古墳時代中期の政権構造と軍事―百舌鳥・古市古墳群の武器・武具―

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  • Опубліковано 15 лют 2023
  • この動画は、大阪歴史博物館・古代歴史文化協議会主催 特別企画展「刀剣
    ~古代の武といのり~」(会期:2022年10月15日~12月4日)の関連シンポジウムとして、2022年10月30日に開催しました「第6回古代歴史文化講演会」を撮影・編集したものです。

КОМЕНТАРІ • 2

  • @user-xe6bw6wu8h
    @user-xe6bw6wu8h Рік тому +3

    実際の講演に出席することはできませんでしたが、素晴らしい講演を録画で拝見することができたと思います。田中先生のご講演は明快でまとまっており、専門家でない私にも理解できるものでした。古墳時代の武具の変遷が、出土品の分析により時代によって端的に変化していったことがよくわかりました。大阪歴史博物館での展示は2度訪れましたが、質量ともに充実しており、まことに素晴らしいものでした。今こうして参加できなかった特別講演を録画で見れたことを感謝しております。ありがとうございました。

  • @urakusp
    @urakusp 3 місяці тому

    古墳の出土物から政権交代を語るとは笑止千万。これは、王朝交代説を語った直江孝次郎、更には騎馬民族交代説を語った江上にも共通している。これらは稲荷山鉄剣の銘文の前に崩壊した説だ。始祖は大彦、八代にわたり代々大王に仕えたとある。つまり、大王も代々継続したということだ。大彦は崇神天皇が派遣した四道将軍の一人。つまり、崇神から雄略まで平穏に大王位が継承されたことを意味する。これはいわゆる空白の四世紀。しかし、この概念はこの鉄剣銘文により、空白でなかったことの証拠。古代史学者は同時代文献資料のないことを奇貨として、征服王朝とか王朝交代とか、個人的感想を勝手に働かせた。まさに曲学阿世の徒というべきだ。この講演者も同じ穴のムジナに思える。ヤマト朝廷が朝鮮半島に任那を設置したのは記紀によれば崇神天皇。これ以降、ヤマト朝廷は急速に朝鮮半島に勢力を拡大して、高句麗と戦火を交えるまでに急速に発展した。当然、大陸の先端武器を導入した。古墳の遺物は単なるその反映。政権交代とは無関係だろう。