古代歴史文化協議会
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各県報告 宮崎県「古墳時代の南九州と中央」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 佐賀県「銅鏡からみた佐賀県における社会変化―弥生時代から古墳時代―」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 岡山県「鉄生産に関わる品々が出土する古墳の分布」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 島根県「島根県における古墳時代の墳形の選択性」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 奈良県「ウワナベ古墳の新知見」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 埼玉県「稲荷山古墳からみた中央と地域」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
基調講演「古墳の時代の王権と地域」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
各県報告 和歌山県「墓制の比較からみる岩橋千塚古墳群と周辺古墳の動態」
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この動画は、古代歴史文化協議会共同調査研究事業「古墳時代の中央と地域」第17回研究集会の報告をを撮影・編集したものです。
刀剣が語る巨大古墳の時代
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この動画は、大阪歴史博物館・古代歴史文化協議会主催 特別企画展「刀剣 ~古代の武といのり~」(会期:2022年10月15日~12月4日)の関連シンポジウムとして、2022年10月30日に開催しました「第6回古代歴史文化講演会」を撮影・編集したものです。
古墳時代中期の政権構造と軍事―百舌鳥・古市古墳群の武器・武具―
Переглядів 9 тис.Рік тому
この動画は、大阪歴史博物館・古代歴史文化協議会主催 特別企画展「刀剣 ~古代の武といのり~」(会期:2022年10月15日~12月4日)の関連シンポジウムとして、2022年10月30日に開催しました「第6回古代歴史文化講演会」を撮影・編集したものです。
【後半】刀剣が語る古墳時代の幕開け
Переглядів 3,2 тис.2 роки тому
日本列島が大きく変革した古墳時代の始まり。 刀剣が果たした役割とは? 古墳時代の幕開けを、各地の刀剣から読み解く。
【前半】刀剣のはじまりと広がり
Переглядів 3,6 тис.2 роки тому
日本列島に初めて刀剣が登場した弥生時代。 その歴史背景は? 北部九州・瀬戸内・日本海側、それぞれの地域特性と、交流の実態に迫る。
広域交流の重層性 -1~3世紀の東アジア・日本列島-
Переглядів 11 тис.2 роки тому
金印・「魏志倭人伝」から弥生時代の外交・交易の実態に迫る。 卑弥呼が手にした『五尺刀』とは??

КОМЕНТАРІ

  • @ToyotomiHideyoshiGre
    @ToyotomiHideyoshiGre 2 місяці тому

    半鎖国したい。

  • @urakusp
    @urakusp 3 місяці тому

    古墳の出土物から政権交代を語るとは笑止千万。これは、王朝交代説を語った直江孝次郎、更には騎馬民族交代説を語った江上にも共通している。これらは稲荷山鉄剣の銘文の前に崩壊した説だ。始祖は大彦、八代にわたり代々大王に仕えたとある。つまり、大王も代々継続したということだ。大彦は崇神天皇が派遣した四道将軍の一人。つまり、崇神から雄略まで平穏に大王位が継承されたことを意味する。これはいわゆる空白の四世紀。しかし、この概念はこの鉄剣銘文により、空白でなかったことの証拠。古代史学者は同時代文献資料のないことを奇貨として、征服王朝とか王朝交代とか、個人的感想を勝手に働かせた。まさに曲学阿世の徒というべきだ。この講演者も同じ穴のムジナに思える。ヤマト朝廷が朝鮮半島に任那を設置したのは記紀によれば崇神天皇。これ以降、ヤマト朝廷は急速に朝鮮半島に勢力を拡大して、高句麗と戦火を交えるまでに急速に発展した。当然、大陸の先端武器を導入した。古墳の遺物は単なるその反映。政権交代とは無関係だろう。

  • @trinitydisconnect
    @trinitydisconnect 3 місяці тому

    正史三国志東夷伝より・・・天子爲其絕域委以海外之事・・・印字が『委』だから正しいと思われる。『倭』なら偽造の疑いあり。 百納本の『倭』は、『委』と誤訳したのかも?しれません。

  • @gogogo555ful
    @gogogo555ful 3 місяці тому

    石川先生のような知識がある人の話ってなんだか引き込まれる

  • @fujisan1006
    @fujisan1006 3 місяці тому

    「漢委奴国王」が「いなこく」ならそれは四国の東側ですね! 「伊予の二名島」東側がイの国、西側がヨの国。

  • @kimioitou
    @kimioitou 3 місяці тому

    辛亥年は西暦591年…「ヲワケ」は"ヲ"シロ"ワケ"諱タリヒコ(景行天皇)…オホヒコでなく「モトヒコ」はヤマトタケ諱ハナヒコ(日本武尊)の妻で典侍妃オトタチバナ姫の父…ワカタケルでなく「ワカタケヒコ」はヤマトタケとオトタチバナ姫との長子…ヤマトタケ数え41歳死は西暦537年で死後54年の鉄剣ということに…好太王碑391年辛卯は記紀から消された崇神天皇62年のシホノリヒコ任那派遣と8年後垂仁天皇2年の再派遣でした…雄略天皇など存在しません…日本のメチャクチャな歴史年表を正しましょう…。😄記紀原本ホツマツタヱで私達が忘れてしまったヤマトコトバを学び直し記紀漢訳改竄の誤りを正して子供たちに本当の歴史を伝えましょう

  • @user-tb8lp6vt2l
    @user-tb8lp6vt2l 3 місяці тому

    千葉県からお伺いし発掘現地見学をした当時の興奮を思い出しました!

  • @user-eo7rp1ty6p
    @user-eo7rp1ty6p 5 місяців тому

    🔴大神宮の時代です‼️ 石室の職人集団である石丸、金丸、薬師丸などの十九の丸山の東征があったのか⁉️ 無いのか⁉️・・・を語って欲しかったですネ‼️‼️‼️ 大神宮復興事業 葉隠 2200年に一度の大チャンス‼️ ⛩️🇯🇵🦜🕊️🐦🐍🪂🌈🌏🌠㊗️🎌❤️🔴

  • @user-vs3gb8bj5g
    @user-vs3gb8bj5g 6 місяців тому

    物は語らない、推測をしているのは考古学者だから・・・ つまり考古学者の想像

  • @kazuomoriya348
    @kazuomoriya348 7 місяців тому

    素性がわからないとすぐ舶載、朝鮮由来とするのは如何なものか。あんちょく過ぎるのではないでしょうか。

  • @kazuomoriya348
    @kazuomoriya348 7 місяців тому

    人物に映像が変わっては映像から目が離れ注意がそがれます。 人物画像は映さなくていいのではないでしょうか。

    • @user-bc5ip6lz2v
      @user-bc5ip6lz2v 2 місяці тому

      貴重な資料画像や地図をよく見ようとしても人物に切り替わってしまいますね。

  • @shintenhou229
    @shintenhou229 8 місяців тому

    生口160人をたてまつったという記事に考古学者はどう考えているのか何時も不思議に思う。そうだろ、自分が貢物になるのに、自分で、丸木舟を漕いでゆくか???。一度に結構大人数運べる船で行ったに違いないのだよ。呉は、二万人もの兵員を船で、北の公孫氏のところまで送ろうとしたくらい大型船と操船能力を持っていた。何で、中国船が来ていたという考えにならないのか、それが不思議だ

  • @nrhtsgmkkyk
    @nrhtsgmkkyk 11 місяців тому

    貴重な講演会の動画公開、ありがとうございました。国内の広域な地域から専門家を招かれ、全体を俯瞰された企画内容を見ることが出来感謝しております。映像・音声とも良く、大変見やすい内容でした。

  • @user-xe6bw6wu8h
    @user-xe6bw6wu8h Рік тому

    実際の講演に出席することはできませんでしたが、素晴らしい講演を録画で拝見することができたと思います。田中先生のご講演は明快でまとまっており、専門家でない私にも理解できるものでした。古墳時代の武具の変遷が、出土品の分析により時代によって端的に変化していったことがよくわかりました。大阪歴史博物館での展示は2度訪れましたが、質量ともに充実しており、まことに素晴らしいものでした。今こうして参加できなかった特別講演を録画で見れたことを感謝しております。ありがとうございました。

  • @user-uo6mm1qe7y
    @user-uo6mm1qe7y Рік тому

    紀伊風土記の丘にインターネット配信を告知するパンフレットがあり、庶民にも考古学を学ぶ機会を与えてくれたと感謝しております。石川先生の講義はユニーク、この配信は考古学研究のレベルを均等化するためにきっと役立つイノベーションのすすめだと学生気分で楽しく拝見しています。2022/11/13

  • @greendolphin7085
    @greendolphin7085 2 роки тому

    現代人にとって『鉄は国家なり』という言葉があるくらい鉄は文明の象徴ですが、 古代人にとっては案外、黄金に輝き、錆びにくく錆びても表面が緑色になるだけの青銅の方が価値が高かったのかもしれません。 古代中国では鉄は『悪金』、青銅は『吉金』、現代でも金・銀・銅・白金は貴金属、鉄・アルミ・ニッケルは卑金属といいますし。 茶色に汚くボロボロに錆びる鉄は装飾品や祭器、少なくとも埋葬の副葬品には適していない、ということをよく知っていたのかも。

  • @user-lt8cr6ix6h
    @user-lt8cr6ix6h 2 роки тому

    初めて金印聞けて面白かったです。最後手振るところ笑ってしまいました(^_^ゞ

  • @user-xr1tx1kf6f
    @user-xr1tx1kf6f 2 роки тому

    無料で見れるとかおっとくーーー