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本人からリストカットをしたことを告げられた時は、教えてくれてありがとう。と答えるだけにとどめました。本人からの辛い本音を話すまで数日待ちました。聞いた後に母として協力できることはあるのか尋ねただけです。
子どもが中学生の時、スクールカウンセラーに境界性パーソナリティー障害のような症状と言われました。その後、通院するようになりそこで言われた事はこの年頃で境界性パーソナリティー障害という言葉は使われないとのことでした。その後、ADHD、二次的鬱と診断がおりましたが、境界性パーソナリティー障害という言葉を使われると、苦しんでいる親に更に追い討ちをかけてると思います。
私はASDなんだけど十代の頃は気分の重苦しさ、中枢神経の鈍さがずっとあって、リストカットはなかったけジョギング依存になってました。走ったら鬱がちょっとましになるんですよ。他にも何か事故に遭いかけたり命の危険にさらされるようなことがあると一瞬元気になって気分が良くなってました。リストカットしてしまうのはなんかわかる気がします。
自分は当事者ですが、初めて切る理由を見事に言語化してもらった感覚です。構ってほしいからとか、希死念慮からとか分かったようなことを原因に挙げられてて、なんか違うんだよな〜と思ってたところに、エンドルフィンと聞いて腹落ちしました。
子供が、子供(下の兄弟姉妹)のを知った時の私は「今まで、アナタをそんなに苦しめてしまって本当にごめんなさい。」としか、言い続けれませんでした。「辞めなよ!痛いよ。跡残るんだよ?」とも言えずに、ただひたすらに目の前の現実に苦しみ辛さを体表する下の子の、苦悩に向き合い一緒に闘うしかありませんでした。傷痕を隠して必死に社会人しようとしてた時期にも「周りがどう言おうと、貴女が辛い、苦しいを乗り越えようとして、生き延びようとした証を「メンヘラ」とか「リスカ痕ある=ヤバい奴」って言う人の言う言葉に、「こんな事、するんじゃなかった」って責めないで良い。誇りには思えないと思う。けれど必死に生きようとしてる人間を笑う馬鹿にする人を信じないで良い!」と言い続けました。「血を見ると安心」って言葉に何度も涙しそうになりながら、「そっか。安心できたなら良かった。」と傷口が凄まじい事になってる状況でも諭す事しか出来ませんでした…。下の子が早々と、色んな事で本当に「死を目の当たり」にさせられる形が多くて。私は上としてある意味、成長せざるを得ないままに精神的にノックアウトしました。なので私は何も「しない」と、決めています。未だに「子供のまんまの私」がインナーチャイルドを親にも下にもしつつ居た現実から(過去)は逃れられそうには無い中ですが。「それ相応に追い詰められたら、(何かと理解して)実行してしまいそう」な自分と常に背中合わせに、40を迎えそうです。
子供って不安定だから色々とあるけど、それが年齢的なゆらぎのせいか、病的な症状なのか、普通の親は判断がつかないですよね…それで家族は叱咤激励したり、放っておいたり、腫れ物扱いしたり。いずれにせよ、親の負担もすごいと思います。自分が家を出されたのは、母親の健康が限界だったからではないかと今になって思います。
楽すぎないちょっとストレスがある状態を目指すのは、子どもから高齢者まで年齢に関係なく目指す状態なんでしょうね。
かつてリストカットを常習的にやってきて、それに関する本を図書館で借りて読んでいましたが理由は見つけ出せませんでした。しかし、脳内麻薬、ビールに例えてくれて長年の謎が解けました。生まれてきてよかったと思えるかは、大人になった今でも分かりません。家庭内離婚の両親、不干渉の父、過干渉の母と家族病理の中で生きてきたので…リストカットも見つかったとき親は気にしていましたが、あくまで親自身の心配という気持ちの押し付けであり、私の気持ちを理解するスタンスは見られませんでした。親も1人の人間、と言えばそれまでですが…私が求めていたのは「愛されたかった」「抱きしめて安心させて欲しかった」と極々簡単なことなのに、それを得られず今日も生きています。
私は、リストカットはなかったけれど境界性パーソナリティ障害であったと思います。私の母もまた。境界性パーソナリティ障害の特徴としてあげられるリストカット。自傷行為は、必ずしもリストカットばかりではないと私は思います。「自らを大切に扱うことができない」も自傷行為であると私は思います。早期発見、早期対応で本人も家族も辛くとも楽になる部分は大きく、自覚と病気に対する知識がこの難しい病気に対応する手段のひとつとなると信じています。
小4の時にリストカットしました転校して授業の進みも違い友達もいず父母は生活することで精一杯でそれが原因なのかわからないけども動脈切れば死ねるって言うのを知ってたけれど切るところが違ったようで死ぬことができませんでした
バ先のお局が原因の集団イジメ、集団無視にあって(解離症状もバリバリに出て)腕を中身が見えるまで切り刻んで36針以上縫いました。もう病院で縫ってもらうのはルーティンです🪡
本人からリストカットをしたことを告げられた時は、教えてくれてありがとう。と答えるだけにとどめました。本人からの辛い本音を話すまで数日待ちました。聞いた後に母として協力できることはあるのか尋ねただけです。
子どもが中学生の時、スクールカウンセラーに境界性パーソナリティー障害のような症状と言われました。
その後、通院するようになりそこで言われた事はこの年頃で境界性パーソナリティー障害という言葉は使われないとのことでした。
その後、ADHD、二次的鬱と診断がおりましたが、境界性パーソナリティー障害という言葉を使われると、苦しんでいる親に更に追い討ちをかけてると思います。
私はASDなんだけど十代の頃は気分の重苦しさ、中枢神経の鈍さがずっとあって、リストカットはなかったけジョギング依存になってました。走ったら鬱がちょっとましになるんですよ。他にも何か事故に遭いかけたり命の危険にさらされるようなことがあると一瞬元気になって気分が良くなってました。リストカットしてしまうのはなんかわかる気がします。
自分は当事者ですが、初めて切る理由を見事に言語化してもらった感覚です。
構ってほしいからとか、希死念慮からとか分かったようなことを原因に挙げられてて、なんか違うんだよな〜と思ってたところに、エンドルフィンと聞いて腹落ちしました。
子供が、子供(下の兄弟姉妹)のを知った時の私は「今まで、アナタをそんなに苦しめてしまって本当にごめんなさい。」としか、言い続けれませんでした。「辞めなよ!痛いよ。跡残るんだよ?」とも言えずに、ただひたすらに目の前の現実に苦しみ辛さを体表する下の子の、苦悩に向き合い一緒に闘うしかありませんでした。
傷痕を隠して必死に社会人しようとしてた時期にも「周りがどう言おうと、貴女が辛い、苦しいを乗り越えようとして、生き延びようとした証を「メンヘラ」とか「リスカ痕ある=ヤバい奴」って言う人の言う言葉に、「こんな事、するんじゃなかった」って責めないで良い。
誇りには思えないと思う。けれど必死に生きようとしてる人間を笑う馬鹿にする人を信じないで良い!」と言い続けました。「血を見ると安心」って言葉に何度も涙しそうになりながら、「そっか。安心できたなら良かった。」と傷口が凄まじい事になってる状況でも諭す事しか出来ませんでした…。
下の子が早々と、色んな事で本当に「死を目の当たり」にさせられる形が多くて。私は上としてある意味、成長せざるを得ないままに精神的にノックアウトしました。
なので私は何も「しない」と、決めています。未だに「子供のまんまの私」
がインナーチャイルドを親にも下にもしつつ居た現実から(過去)は逃れられそうには無い中ですが。
「それ相応に追い詰められたら、(何かと理解して)実行してしまいそう」な自分と常に背中合わせに、40を迎えそうです。
子供って不安定だから色々とあるけど、それが年齢的なゆらぎのせいか、病的な症状なのか、普通の親は判断がつかないですよね…それで家族は叱咤激励したり、放っておいたり、腫れ物扱いしたり。いずれにせよ、親の負担もすごいと思います。自分が家を出されたのは、母親の健康が限界だったからではないかと今になって思います。
楽すぎないちょっとストレスがある状態を目指すのは、子どもから高齢者まで年齢に関係なく目指す状態なんでしょうね。
かつてリストカットを常習的にやってきて、それに関する本を図書館で借りて読んでいましたが理由は見つけ出せませんでした。
しかし、脳内麻薬、ビールに例えてくれて長年の謎が解けました。
生まれてきてよかったと思えるかは、大人になった今でも分かりません。
家庭内離婚の両親、不干渉の父、過干渉の母と家族病理の中で生きてきたので…
リストカットも見つかったとき親は気にしていましたが、あくまで親自身の心配という気持ちの押し付けであり、私の気持ちを理解するスタンスは見られませんでした。
親も1人の人間、と言えばそれまでですが…私が求めていたのは「愛されたかった」「抱きしめて安心させて欲しかった」と極々簡単なことなのに、それを得られず今日も生きています。
私は、リストカットはなかったけれど境界性パーソナリティ障害であったと思います。
私の母もまた。
境界性パーソナリティ障害の特徴としてあげられるリストカット。
自傷行為は、必ずしもリストカットばかりではないと私は思います。
「自らを大切に扱うことができない」も自傷行為であると私は思います。
早期発見、早期対応で本人も家族も辛くとも楽になる部分は大きく、自覚と病気に対する知識がこの難しい病気に対応する手段のひとつとなると信じています。
小4の時にリストカットしました
転校して授業の進みも違い
友達もいず
父母は生活することで精一杯で
それが原因なのかわからないけども
動脈切れば死ねるって言うのを知ってたけれど切るところが違ったようで死ぬことができませんでした
バ先のお局が原因の集団イジメ、集団無視にあって(解離症状もバリバリに出て)腕を中身が見えるまで切り刻んで36針以上縫いました。
もう病院で縫ってもらうのはルーティンです🪡