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大学時代、U12のSSSアテーサX、つまりNAのアテーサを中古で買って乗ってました。 当時全盛のPS13を買おうと思ってたけど、学生の身分で親の反対に逆らえず、やむを得ず選んだのがSSSアテーサXだったんだけど、これがとんでもない曲者セダンでした。 なにしろ、SR20DEのNAのくせにバカッ速だった(ターボ各車には劣るんだけどw)し、車重が軽いわハンドリングが軽快だわ、何よりアテーサが(GT-Rほどではないにしろ)自分の運転の下手さをリカバリーしてくれて結構思い切り走れたし、軽い振り返しでドリフトにも持ち込めたし、本当に人馬一体ならぬ人車一体を楽しめる、本当に楽しい車でした。それに4ドアハードトップだから、大学生が4~5人乗っての移動も楽々でした。 今で言えば、ランエボに近い感覚だといってもいいのかな、本当にいい車でした。
@COVID 19 懐かしい2ちゃんねるネタ(笑)でも、ターボ車にかなうわけもなかったし、面白いしNAにしては、てレベルだから、タイプR勢と比べたら遅ーのなんの、だよ、そりゃ当然。速さより楽しさ、な車で、アテーサが誤魔化してくれるのが、ランエボの電子制御みたい、て例えたまで。あのGTOほどおバカじゃないよ
当時は免許を持ってなかったので、クルマとしての特性は知らないが、端正でいいデザインだと思っていた。街中で見ることになっても、尚、見飽きないデザインだった。クルマのデザインは1980年代の後半が一番良かったと思う。
SSS-Rこそ「やっちゃえ、日産」に相応しいトンガリ車ではないかと思う。今は「やっちまった、日産」…。
パルサーセリエVZ-Rもこの流れなんでしょうね。
@@SuperPi3.14 さんパルサーといえばGTi-Rがメジャー所ですが、こちらはさらにマニアックな車ですよね。こうしたホモロゲありき、な車がディーラーで市販されていたとは隔世の感があります。
地区戦ではコレとVR-4が4輪で地面を掻き毟りつつ、火を吹きながら加速していました。公道ラリーなのに絶対ノーマルじゃなかったw。
ラリーだけにラリってんだよw
凹凸の激しいグラベルだと競技走行中に触媒の中身が破損してエンジンブローに繋がるから触媒の外廻りだけ車検用に残して触媒の中は取っ払ってた・・・・とラリーストの知人が言ってた・・・・(^0^)ゝ・・・・
@@HD5970CFXnoYuusya なるほどやっぱり「そういうコト」してたわけですね~ブロー対策なのか単に抜けを良くしたかっただけなのかw。
ニスモは確信犯wラリーでワークスZのマフラーからバンバンアフターファイヤー出てた
ばあちゃんが3年前まで普段使いでXEサルーン乗ってためちゃめちゃいいクルマ
コメ欄で懐古おじさんの話を聞くの好き
当時のハイテクには余り心を動かされないが、6~8代目ブルーバードセダンのデザインにはとても惹かれる。きっと、クルマに別段興味無かった自分の少年時代の街角での記憶が甦るからだろう。そう云えば、マークⅡ・クレスタ・チェイサーの「三兄弟」があったような。「無鉛」ガソリンの青いステッカーも懐かしい。
「競技車両に後付けできないなら標準装備にしちゃいな」なパーツが付いてる車
ランエボ「ん?」
”410ブルーバード”は、通称”銭ブル”、ルパンシリーズで銭形警部が乗っていた車として有名ですね。”ピニンファリーナ”デザインとか。”510ブルーバード”はサファリラリー優勝車として有名ですね。コンパクトできりっとしたかっこいい車との印象が強いですね。国産車として一早くターボチャージャーを装備した車種の印象が深いですね。
901活動期の日産車は、ほんとどれをとっても魅力的だと思う
2.0L SSS-R乗ってました。なにも知らんと予算縛りでオートオークションに出てたので買いました。山ん中で、周りの皆に気持ち悪がられてました。よく走る車だったなぁ
510型とU11型は父親が乗ってた。自分が免許を取得後、U11を譲ってもらった(前期型ハードトップでグレードは1800SSS-E EXTRA、5速MT)色々と楽しませてもらったクルマでしたU12は友人が前期1800SSSに乗ってて、スキー旅行で同乗した思い出がある
P10型初代プリメーラが買えなくなって、U12FFセダンのSSSシリーズ後期モデルのMT車を中古を買って4年近く乗りました。小回りはあまり効かなかったものの運転のしやすさは抜群で、80年代のクルマとしてはボディー剛性やドアの開閉音も素晴らしく、乗った瞬間から心底惚れ込んだ日産車。細部の作り込みはトヨタ車かと思う程完璧でした。当時はブルの最大のライバル・コロナの存在もあったので、ブルの開発陣はトヨタ車の内装の質感を超える事を目標にされていたのでしょう。U12のハードトップモデルは天井が低めのピラーレスハードトップでしたが、リアデザインが洗練されていてとても格好良かった、セダンのリアはY31セド・グロ似の地味なタイプ(後期モデル)ながら、視認性は良かった。U13は新車で買おうと意気込んでいましたが、セダンの垂れ尻テールが絶望的にカッコ悪く、HTモデルもU12と比較にならない程つまらないデザインで買う気が失せ(セダンのみ発売されたU14も同等)、結局ブルはU12だけでした。もうこんな名セダンにめぐり逢える事は無いでしょう。
U12 ハードトップ乗ってた。ハンドルから見る景色で車幅が分かる素晴らしい設計。この頃の日産は良かった。SR20が自分にとってあってた。
キャッチコピーが自信に満ちてましたね『ブルーバードが、好きだ』『グッド・カー』なんてメーカーが言うんですから
910型のCMなんて、沢田研二さんがご出演で、キャッチコピーが「ブルーバード、おまえの時代だ」ですからね。
910かっこよかった!次回U13のしくじり編楽しみにしてます!が、ちょっとペース速すぎて中の人大丈夫?ときどき誤植(ちゃんずの誤読)もあるし、あんまりコンを詰めないように。。。。
アラフィフのオッサンだけど、3代目は子供のころ叔父が持ってて後ろに乗って加速するとシートの押しつけがすごかった記憶が。父のカローラとは雲泥の差だった。今90歳くらいの人は豊田市に住んでいても昔はブルーバード伝説で日産車乗ってたよ。
4ドアピラーレスハードトップが人気の時代に競技ベースグレードを軽くて頑丈なセダンに設定したのが成功の秘訣だった!R31スカイラインの失敗はそこにあったw
SSS-R(前期型)は、マーチRと共に逝っちゃってる車だったからなぁw
後U12型が登場した時期に販売されていた、R31型スカイライン“GTS-R”もね。
@@tomonorifuruya967 R31ハウスのエキマニ付けたやつのエキゾースト音は、しびれますよね~
あの当時は「4WSでなければ車にあらず」みたいな風潮だったな
6代目ブルーバードのCMには全盛期のジュリーが起用されていたなあ。「ブルーバード、お前の時代だ」
シルフィ生産終了でブルーバードも小型セダンそのものも歴史が終わっちゃったね(海外だけ新型出るけど)
3代目めっちゃかっこいいな。。。
この頃に日産ディーラーでアルバイトしてましたが、車両基地からディーラーまでこのブルーバードのアテーサに乗るのが楽しみでした。あとはB 12のサニーで5速クロスミッションのモータースポーツ仕様がありましたがこれが本当に面白いお気に入りクルマでした。
サニーVRですかね?最初VRで、次にマーチR、最後は後期のSSS-Rでダートラしてました。
@@ede4n7 V Rでしたか😅確かそんな感じかと。クロスミッションの面白さを初めて知ったので本気で買うつもりになってました。若かりし頃の思い出でした。返信ありがとうございました。
@@ede4n7このB12型サニーVRと同じ仕様だったのがN13型パルサー2(3)ドアHB R1TWINCAMで、次のN14型パルサーGTI−Rに繋がるモデルとなります。またサニーVRは次のB13型の前期にもラインナップされましたけどエンジンは1.3や1.5と同じ低中速型ツインカム(トヨタでいうハイメカツインカム)のGA16DE型エンジン搭載で、ECCS(EGI)や可変バルタイNVCS(吸気側)で武装はされていたものの高回転まで回らない為かB12型に搭載されていたツインカムのCA16DE型よりもパワーは無かった(CA16→120馬力 GA16→110馬力)ですね。
昔は凄くて憧れたグレードSSS から代が進むにつれ名ばかりのSSS へ~
U13あたりからですかね😅U13のアークスはかっこいいんですがね、、
これはおもしろい車だった 最初の愛車 新車で載った
ターボチャージャーちゃん、ブルーバードの歴代の名車も、「510」、「910」と、型番で呼ばなきゃ。
410は銭ブルとか言われますよね
前期のアテリミハードトップはめちゃくちゃ好きですニスモがチューニングした「スーパーニスモ」なんてのもありましたね
ブルーバード…良い車です 昔910ブルに乗ってました 私的にはU13リミテッドアテーサも好きですが…😅中古車でU12スーパーニスモなるものが売られていましたが、カッコ良かったですよ😉
アテリミよりリミアテのほうがビスカス1個多い究極のアテーサなんですよね。
良くご存知で…(^^)仰る通り3デフ 3ビスカスですね。
U13リミアテのMT乗ってました面白かったですよ
とかく、スカイラインに注目されがちなニトロ+ターボの570馬力のスーパーシルエット時代ですが、ブルも忘れないでください(レジェンド星野さんはシルビアでした)。
910のシルエットすごくかっこいいですよね
この時代に人気があった4ドアハードトップじゃなくてセダンの後部座席に座るとたいして身長の高くない私でもリアガラスに頭が完全にくっついたラリーで強いとか以前の自動車の考え方の違い
SSSR前期のCA18DETーRエンジンはコスワース製の鍛造ピストンで、日産も気合いが入っていましたね。
親父…ごんめんなさい。このU12、余りによく言うこと聞いてくれたので、当時若気の到りだった自分のアホ運転でぶっ壊してしまって…本当に申しわけない…。この車に出会えたからこそ車好きになれた。今でも感謝してるし、車を大事に乗ろうと心がけるようになれました。
U12SSSアテーサリミテッドハードトップ SR20ターボとても良い車でした(*´Д`*)
よーく判ります。今でも乗りたい車です。復活したら売れるのにね。
@@iidukafly そして後継のU13のナメクジのようなデザインに失望しました😭
@@iidukafly 復活しても数はあんまり売れんと思うがなぁ…
ブル自体のワゴン/バンはU12で消滅しちゃったけど、3年遅れで市場投入されたアベニール(それまではU11のワゴン/バンを継続生産)が事実上のU12のワゴン/バン版ですね
日産ブルーバ一ド810型もデザインが好きです。ピンクレディーの増田恵子さん通称ケイちゃんの愛車だったんだよね。実際にマネージャ一が運転して日本全国をまわって挙げ句の果てに渋滞で次の巡業先に間に合わないので側道に降りてタクシーで行ったらしい。
最近、プラモになりましたね‼️
知り合いに4名乗車のSSS-Rに新車時から乗ってる方がいて乗せてもらった事あるけど凄い刺激的な車だった。30年以上前の車と思えないくらい剛性あったし、軽くてパワーあるからめちゃくちゃ速かった。なんといっても見た目が渋すぎる
910のSSSターボ・4ドアハードトップに乗ってました。最後のFRでとっても楽しかったですよ。
MTスポーツセダンはやはりハードボイルドな感じがしていいですな!レパードF31もカッコいいです!
この時代の日産のセダンはかっこよかったな特にマキシマが
初代マキシマは確かU11ブルーバードの上級グレードだったんですよね💙
片山氏が絶賛してた気がする2代目マキシマ
マキシマ、徳大寺さんも絶賛してたな。ピークパワーを落とした低速トルク型なのとアメリカで売るから幅が広くてかっこ良かったけど日本じゃ売れなかった。
ブルーバードマキシマはVG20ETエンジンで、FFだと思う。しかし、内装がセドグロベースなので高級感があった。(中古ショップで見ました。)
マキシマに試乗した時に左前輪を深い水たまりに落としてしまったんだけど、その瞬間右リアがピョコンと跳ね上がって、大きな車なのに車体剛性が高いなと驚いた。
SSS-Rは某ウナ丼さんも動画で解説していましたが、なかなかキレた車でしたね。これの実質的な後継車種がパルサーGTi-Rになるんでしたっけ。
当時の自動車評論ではアンダーステアが強く前後オーバーハングが大きく扱い難いのでラリーカーとしても大成しないと言う評価だった。世界戦ではランチアデルタが全盛期であり国内ではギャランとレガシィが台頭してきた事で沈んでいった。ならばとボディを小さなパルサーに変更してコンポーネントを押し込んだらさらに手に負えないじゃじゃ馬になり撤退する事になる。たらればだが、もっと開発予算が潤沢でS13をベースにR32でお馴染みのFRベースAWDならバランスに優れたラリーカーが出来た気がする。
U12は良い車だった・・・910からのデザインの流れ アテーサと軽量ボディ ただ、時代が悪かった。ギャランVR-4やレガシィRSとか出てきた時代。ラリーカーはN14パルサーGTiーRに・・・U13は、、、、次回にコメしようw
SR20の時は既にギャランVR-4の方が戦闘力が高くて余り売れなかったというのと、新型SR20よりチューンしたCA18の方が実力的には上だった。更にマイチェン後1年弱でパルサーGTI-Rが出るのが決まっていて、後期型の積極的なチューンアップはあまりされなかった。競技ベースとしてはSR20モデルはあまり重要視されていなかった感じが有るよね。
今思えばSSS-RでWRCに打って出ていれば良かったのでは?エンジンルームのスペースもパルサーに比べればはるかに余裕があるから補機類やインタークーラーの配置がラクだったのに。
あの当時はランチアデルタ・インテグラーレが常勝状態で後からデビューしたギャランVR-4がボディサイズから苦戦してましたからね。当時のWRCは名目上はリストラクターで300ps以下に抑えるというレギュレーションもあったことからデルタを解析して小さいボディの方が有利という読みもあった事だろうと思います。ブルーバードは日本と米国メインで、欧州ではオースターをブルーバードの名前で売っていたので販売政策上欧州がメインのWRCに出ても宣伝効果が無いとの判断もあったと思います。因みに後期のSSS-Rが台数が少ないのは、後期が出た翌年にパルサーGTi-Rが発表されてそちらに主力が移ったのも影響しています。あちらにもラリーベース仕様が受注生産で設定されていました
@@tomo_nak パルサーにとって一番不運だったのは、参戦体制が中途半端だったことでしょうね。当時の日産はR32GT-RのグループAと国内Cカーがメインだったので、WRCは後回しというか殆ど力が入ってなかったように感じます。
U12のアテリミ、懐かしいなぁ〜お客さん大事に乗っていたけど、部品欠品が相次いでなぁ…この当時の日産車あるある『シートベルトが戻らない』のトラブルが出てしまって、色々と当たったけど結局部品がやっぱり見つからず…シートベルトがロックしなければ車検が通らないはずだから、最後はどうしたんだろう…
SSSは3台乗り継いだが、U-12ハードトップが1番スタイリッシュで格好良かったな。SR20DETは日産の2000ccエンジンでは最強だろう。
日産の確変時代の名車の一台ですね。先輩が乗ってました。4駆ターボでスカイラインGTS-4と迷ってたんですけど、連れに先を越されてブルにしたそうです。中間加速がヤバかった思い出。その先輩も定年して、嫁とのバトルの末、退職金でボクスターを新車でゲットw 911ゲットならず\(^o^)/
前期型のSSS-Rのエンジンは型番がCA18DET-R。後期は普通のSR20DET。リヤの熱線無し、電動ドアミラー無し、パワーウィンドウ無し、ロールバー入りで4名乗車にするためリヤシートの両端がもっこりして後部座席が2名乗車になってる(おかげで狭い)。サイドマーカーもスモークの嵌め殺し。サイドマーカーの電球外した位で重さ変わらんでしょ、とも思ったけどそういう小さな積み重ねで軽量化してたんだろうなぁと思う。一応エアコンはオプションで着けられた。ちなみに標準車はインタークーラーのダクトが無いように見えるけど実はボンネット内にフロントグリルからインタークーラーまでのダクトがついててしっかり冷やされるようになってた。
この頃のブルーバードSSS-RとギャランVR-4とセリカGT-FOURはグラベルでは国内競技ベース車両として大変優秀でした。但しターマック競技では車両重量、タイヤ幅、車高、社外パーツの問題も有ってハイパワー四駆のメリットを生かせませんでした。
初代SSSーRの発売当時はCA系エンジンにオイルクーラー装備で後輪機械式LSDに5速クロスミッション、ロールバー標準装備で2名乗車・車検も通る車でした。シートとタイヤ替えればJAF全日本ラリーに出られる車でした。助手席のフットレストとドライブコンピューター用の空間もありました。当時車両価格が300万ぐらいだったので真剣に購入を考えてました。やっぱ無理してでも買っときゃよかったな・・・
8:34ABS(確か名称は4WAS ??)も忘れずにね~
U12はカッコ良かったね…11とそれ程変わらないキープコンセプトなのに全然斬新…U12は外装内装とカラーデザインに女性然も20代!が加わっていて社内デザインにバンバンダメ出しして完成したと社内教育で知りました(ワシは89年新卒です)女性の意見を尊重した日産はそこも斬新でした、当時の日産はどれ買うか?幾ら悩んでも決まらない程全車凄かった…今の弱々しい姿は想像出来なかったな…
8代目のU12ブルーバードは歴代で一番カッコイイ😃
この古めかしいセダン系にしかない横目のヘッドライト好き。R32系のとか大好き
こんばんは。😀ブルーバードといえば「SSS」。スーパー・スポーツ・セダン、スリーエスという響きに憧れましたね😍👍日産の代名詞として「GT-R」が有名ですが、スカイラインは元々合併した「プリンス自動車」の製品だったから、日産・ダットサンのトップモデルとしては「SSS」だったはずなんだよなぁ。シルフィに変わっても「SSS」モデル残して欲しかったなぁ~😢
U12ブルSSS-Rは桜井眞一郎氏率いるオーテックが開発してて、U12ブルやN14パルサー等の「アテーサ」は1985年の日産MID4、桜井氏らプリンス系技術陣が作ったクルマが最初ですが、1985年の第26回東京モーターショーにはもう一台、日産CUE-Xというクルマが出品されていて、このクルマの「電子制御トルクスプリット4WD」こそ「アテーサE-TS」、BNR32スカイラインGT-Rのご先祖です。「曲がる4WDを実現したR32型スカイラインGT-R」という記事を検索してみてください。日産MID4のビスカスLSD付センターデフ式4WDの四駆システムは、当時ランチア・デルタ等にも供給していたオーストリアのシュタイアー・プフ社からの購入品ですが、日産CUE-Xの「アテーサE-TS」は、日産中央研究所の内藤原平氏や松田俊郎氏ら日産系技術陣が、1985年に日産CUE-X、1989年にBNR32スカイラインGT-Rとして作り上げたもの。RB26DETTの林義正氏や石田宣之氏らも日産系ですから、ある意味、BNR32の時点で「日産GT-R」でした。ポルシェに「電制なんて」と白い眼で見られながら見事に作り上げてますから、「ポルシェの前を走る」というプリンスS54スカイライン以来スカイラインに課される試練を乗り越えてます。R35日産GT-Rも同じですね。2008年にポルシェもGT-Rと同様の電制カップリング式を採用し、アウディやBMW等も追随してますので、この分野のパイオニアは間違い無く「アテーサE-TS」です。Z35がダットサン240Zに回帰してますから、ダットサン510ブルーバードも出てきていいのではないかと(日産IDxというのがありましたが)。510はラリーの他、北米のサーキットでBMW2002やアルファロメオ1750GTVに勝って名を上げました。e-POWER 4WD の出来が良いですし(日産の電動パワートレインの基本は、アテーサE-TSやアクティブLSDの松田俊郎氏らが開発)、ラリーでも活躍するDATSUNやSSSが出てきてほしいですね。
@@rockskylark9972 旧プリンス系列もそうだけど、そのプリンス自動車同様に「中島飛行機」の流れを汲む「富士重工」が当時日産自動車と業務提携関係にあり技術面での協力があった事もAWDシステム「アテーサ」並びに「アテーサE-TS」を誕生させる原動力となったのだろう。そのスバルのAWDシステムのルーツは、トラクションに有利な水平対向エンジン+前輪駆動方式のスバルレオーネにラリーでも定評があった当時FR方式である510ブルーバードの駆動ユニットとリアサスごと移植した車両が原点となります。だからそれを考えると幾ら倒産寸前だったとはいえ、提携関係(但し企業規模の差から事実上の支配下)であったスバルを売却して手放した事は本当に悔やまれます。
@@古谷知則-g2i 日産はプリンスとの合併によりトヨタにおけるヤマハの如きノウハウを得て、L型エンジンもプリンスが持っていたベンツのパテントの応用により改良されましたが、車体側に固定されたデフのこもり音がどうしても解決できなくて数万台程度の生産台数でプリンスを経営危機に追いやった二代目プリンス・グロリアに対し、四輪独立懸架で同じくデフを車体側に固定しているダットサン510ブルーバードは生産台数155万台、240Zは55万台ですから、やや冷徹な見方かもしれませんが、1960年代末の段階で既に日産とプリンスは、量と質の両面で第二次大戦の米軍と日本軍ほどの総合的な技術力の差がありました。戦後にオースチンに学んだ日産、フォードに学んだトヨタこそ、大正解だったと言わざるをえません。GC10スカイラインGTの四輪独立懸架も、510ブルのフロントストラットアーム長などの問題点を改設計して採用されたことを、伊藤修令氏が動画で仰っています。プリンスS20エンジンは最初は軽量なZ432に搭載されましたがバランスが悪く(S30ZはS20より軽量なL24エンジンでバランス)、やや大柄なハコスカGT-Rに搭載され、パワーウェイトレシオでマツダロータリー軍団に対して不利になりましたが、特に末期、強力なサバンナRX-3に対し四輪独立懸架によりストレートで抜かれてもコーナーで抜き返す展開で善戦しました。プリンスS20やGRXは1969年頃の偉大なエンジンですが、その設計をそのまま踏襲したエンジンが、1983年のFJ20と1987年のVEJ30です。前者はグループAのDR30スカイラインRSターボはともかくグループCでは全くダメ、後者は実績を挙げていた日産VG30を政治的理由で置き換えましたが同じく活躍出来ませんでした。このプリンスVEJ30による時間空費の煽りを食らったのが水野和敏氏や林義正氏らによる日産R91CPとVRH35Zエンジン(ウィキペディア記事は必読)。ルマン参戦は叶わず、1992年のデイトナ24時間で日本人チームによる意地の総合優勝を果たしました。プリンス系の偉い人に圧力をかけられましたが、水野和敏氏設計の日産R91CPの車体製作を担当したのはプリンス系の宇宙航空事業部でした。1985年の第26回東京モーターショーの日産CUE-Xと、1987年の第27回東京モーターショーの日産ARC-Xで、BNR32以降のGT-Rを構成する技術が出揃います。前者は「電子制御トルクスプリット4WD」すなわち「アテーサE-TS」とHICAS、後者はマルチリンクサス、スーパーHICAS、アクティブLSD等。全て日産中央研究所生まれの技術で、RB26DETTも、林義正氏や石田宣之氏ら日産系技術陣によるもの。同時期に桜井眞一郎氏らプリンス系技術陣が日産車体と作っていたのは、初代MID4、MID4-IIであり、前者はWRCグループS参戦目的、後者はZ32上位の北米向けスーパーカーで、BNR32とはほぼ無関係であり、Z32や三菱GTOに近いクルマです。MID4はポルシェに言われて引き下がったエピソードがウィキペディアにも載ってますが、CUE-XやARC-Xの技術を受け継ぐBNR32は引き下がらず、ポルシェの前を走りました。1982年の初代K10マーチはMA10型エンジンの設計を含めてプリンス系のクルマです。U12ブルSSS-R、パルサーGTI-R、マーチ・スーパーターボ等もプリンス的要素の濃いクルマかと思います。最近のK12マーチ12SRもオーテックによる開発で、個人的に何となくプリンスの息吹を感じるクルマです。日産CUE-X(VG30DETTプロトタイプ、確実に300馬力以上)と同じ1985年のモーターショーには、マツダMX-03、3ローター・ロータリー・ツインスクロールターボ320馬力で、日産CUE-Xと同様にセンターデフではなく電制カップリングによる「トルクスプリット機構付き」四駆(マツダMX-03は完全にFFにもなる)が出品されていました。1985年の時点で、当時の量産市販車の頂点である300馬力超級のパワーを電子制御によりアクティブに可変トルク配分するFRベース四駆という方向性を共有していたのは、日産とマツダでした。しかし1989年、マツダはユーノス・コスモという純然たるFR車の道を選び、日産は、格段にアグレッシブな目的でBNR32スカイラインGT-Rとして具現化しました。1985年の日産MID4の四駆システム「ビスカスLSD付センターデフ式」(先述の通りシュタイアー・プフ社からの購入品)は、量産市販車として1987年、セリカGT-FOUR、U12ブルーバードSSSアテーサ、ギャランVR-4の順で出て、1989年にスバルレガシィが登場。デフロック付センターデフ式のマツダファミリア4WD、スバルACX-IIも1985年、スバルレオーネRX-IIとビスカス化前のセリカGT-FOURが1986年。この「センターデフ式」がスバルのハイパフォーマンス系の標準となり、1987年のスバルF624エストレモでATと組む電制LSD付センターデフ式「VTD」の登場により方向性が明確に。1992年にスバル「DCCD」、三菱は1996年以降ガンガンハイテク化。1981年のスバルのAT車向け四駆システム「MP-T」は、スイッチポンで四駆に切り替えられ、四駆モード時は、例えば後輪が滑ったら前輪に多く配分するというパッシブな自動配分を、ATの油圧を利用した油圧制御系と湿式多板クラッチにより実現。1985年にアクセルやブレーキ、ワイパーと連動して自動的に四駆になる「AUTO-4WD」モードを追加、1987年にアクティブ電子制御化した「ACT-4」が登場。スバルのセンターデフ式とは別系列の、実用的な出力のAT車向け四駆システム。トヨタは1987年に専用の油圧制御系によるLSD付センターデフ式「ハイマチック」、1988年に電制LSD付センターデフ式「EC-ハイマチック」、1992年にFR車向け「EC-ハイマチック」を構成要素とする「i-Four」、いずれもATと組み合わされる実用的な性格。
U12のオーズィーを新車で買って乗っていました 当時はラジオコマーシャルだけで製造はオーストラリア 受注輸入という形をとっていました れっきとした外車です(税金も外車枠だった)ディーラーに「ラジオで宣伝していたオーズィー下さい」と言って買いました 事故でつぶしましたが全身にエアロを纏ってかっこいいしエンジンはSR20で走りも良かったです(LSDとか標準装備で当時珍しいクルーズコントロールもついていたし何より180㎞リミッターが付いていなかったのが良かった)ちなみにブルーバードは610型ブルーバードU2000GT・U11ワゴンのSSSターボ・U12のオーズィーと3車種乗りました(そういや~610ブルーバードUも事故で廃車にしたっけ・・・)事故から10数年後、娘が免許を取り初めて買った車が中古で探したU12オーズイーでした レアな車を親子2代で乗った私はかなりの車好きであり、かつ変わり者でしょうね
1936年 くろがね四起(パートタイム式)、1953年 三菱ジープ(パートタイム式)、1972年8月 スバルレオーネ4WD(パートタイム式)。1981年11月 スバルレオーネ4WDオートマチック(ATの油圧を利用する湿式多板クラッチを四駆トランスファーとして用いる「MP-T」)。1983年11月 三菱スタリオン4WDラリー(FRベースのビスカスカップリング式)。1985年1月 マツダファミリアフルタイム4WD(デフロック付センターデフ式)。1985年6月 スバルアルシオーネVRターボ(急加速時、急制動時、またはワイパー操作と連動して自動的に4WDになる「AUTO-4WD」を「MP-T」に追加)。1985年10月 第26回東京モーターショー。日産CUE-X(FRベース電子制御トルクスプリット式「アテーサE-TS」)、日産MID4(ビスカスLSD付センターデフ式「アテーサ」)、マツダMX-03(FRベース電子制御トルクスプリット式)、トヨタFXV(デフロック付センターデフ式)、スバルACX-II(デフロック付センターデフ式)。1986年4月 スバルレオーネRX-II(デフロック付センターデフ式)、1986年10月 セリカGT-FOUR(デフロック付センターデフ式)。1986年5月 パルサー・フルオートフルタイム4WD(ビスカスカップリング式)、1987年1月 パルサー・トリプルビスカス・フルオートフルタイム4WD(前後デフにビスカスLSDを追加したビスカスカップリング式)。1987年8月 セリカGT-FOURのセンターデフにビスカスLSD装備。ビスカスLSD付センターデフ式は、1987年8月 セリカGT-FOUR、1987年9月 U12ブルーバードSSSアテーサ、1987年10月 ギャランVR-4、1989年1月 スバルレガシィ。1987年9月 カローラのAT車の4WDに、専用の油圧制御系を持つLSD付センターデフ式「ハイマチック」。1987年10月 第27回東京モーターショー。日産ARC-X(VG30DE横置きFFベースな配置だけど基本後輪駆動の電子制御トルクスプリット式という、FFベースな配置ながら「アテーサ」でなく「アテーサE-TS」な、GRヤリスに近いシステム)、日産MID4-II(ビスカスLSD付センターデフ式「アテーサ」)、トヨタFXV-II(電制LSD付センターデフ式)、スバル F624 ESTREMO(電制LSD付センターデフ式「VTD」)、スバル「ACT-4」(「MP-T」をアクティブ電子制御化した電子制御トルクスプリット式)、三菱HSR(ギャランVR-4のシステムに色々とハイテクを追加)、ダイハツTA-X80(ミッドシップ電子制御トルクスプリット式)。1988年8月 カムリのAT車の4WDに、「ハイマチック」を電子制御化した電制LSD付センターデフ式「EC-ハイマチック」。1992年 クラウンマジェスタに、FR車向け「EC-ハイマチック」の「i-Four」。意外にこれ知られてないんですが、BNR32スカイラインGT-Rのご先祖は1985年の日産CUE-Xです。「曲がる4WDを実現したR32型スカイラインGT-R」という記事を検索。日産のCUE-X紹介パンフレットによると、エンジンはVG-X(VG30DETTプロトタイプ「ジェットツインターボ」、間違い無く300馬力以上)ですが、「電子制御トルクスプリット4WD」すなわち「アテーサE-TS」、HICAS、ABS等、4年後にBNR32を構成する技術が揃っています。U12ブルSSS-RやRNN14パルサーGTI-Rのご先祖が日産MID4。VG30DE横置きミッドシップ、ビスカスLSD付センターデフ式4WD(当時のランチア・デルタ4WD等と同じシュタイアー・プフ社からの購入品、E-TSが付かない「アテーサ」)。桜井眞一郎氏らプリンス系技術陣によるクルマ。初代はWRCグループS参戦を狙い、二代目MID4-IIはZ32上位の北米向けスーパーカーであり、BNR32よりZ32や三菱GTOに近いクルマでした。日産CUE-Xは「アテーサE-TS」を始めとする日産中央研究所の技術を集めて作られたクルマであり、後に出てくるRB26DETTも林義正氏や石田宣之氏ら日産系技術陣によるもので、ある意味、BNR32の時点で既に「日産GT-R」でした。当時のポルシェに「電制なんて」と白眼視されながら「アテーサE-TS」の開発を進めたという話もあります。日産CUE-XやBNR32こそ、「ポルシェの前を走る」という、プリンスS54スカイラインGT以来、スカイラインに与えられた試練を乗り越えています。R35日産GT-Rも同じですね。2008年からポルシェも電制カップリング式を採用、アウディR8やBMWのFRベースのxDrive等も追随。この分野の先駆者は間違い無く「アテーサE-TS」です。今後は後輪駆動バイアスe-POWER/e-4ORCEなのかもしれませんが、日産の電動パワートレインを開発したのは901活動でアテーサE-TSやアクティブLSDの開発に携わった松田俊郎氏らですから、ちゃんと繋がってますね。1985年には、日産とマツダがともに「アテーサE-TS」的な方向性を模索していたようです。1985年のマツダMX-03は3ローター・ロータリー・ツインスクロールターボ320馬力ですが、日産CUE-Xと同様の「ハイパフォーマンスなFRベース電子制御トルクスプリット式4WD」。マツダMX-03の紹介パンフレットには完全にFFにもなれる旨の記述があります。当時市販車頂点の300馬力超級エンジンのFRベース「電子制御トルクスプリット4WD」という方向性は1985年に日産CUE-XとマツダMX-03が共有していましたが、1989年、マツダはユーノス・コスモという純然たるFR車の道を選び、量産市販車として登場したのは、日産CUE-Xのデザインと名前の響きと快適なグランツーリスモ的部分を受け継ぐインフィニティQ45、「ハイパフォーマンスなFRベース電子制御トルクスプリット式4WD」の部分をさらにアグレッシブな目的で継承するBNR32スカイラインGT-Rでした。1989年8月 BNR32スカイラインGT-R(FRベース電子制御トルクスプリット式「アテーサE-TS」)。1993年 R33スカイラインに「アクティブLSD」、1995年1月 BCNR33スカイラインGT-R V-spec(「アクティブLSD」を統合した「アテーサE-TS PRO」)。2007年10月 R35日産GT-R(「アテーサE-TS」の発展型「独立型トランスアクスル4WD」)。1992年11月 インプレッサWRX「DCCD」、1996年8月 ランエボIV「AYC」、2001年2月 ランエボVII「ACD」。三菱とスバルはともにセンターデフ式をハイテク化する方向性で開発してきましたが、三菱は電動四駆の道を切り開き、2005年 エボMIEV、2012年 アウトランダーPHEV。1991年10月 ホンダFS-X「SH-AWD」、1996年11月 ホンダ・プレリュード「ATTS」、2004年10月 ホンダ・レジェンド「SH-AWD」、2017年2月 新型NSX「SPORT HYBRID SH-AWD」。トヨタはTS050ハイブリッドという物凄いハイブリッド四駆を持っているのですが、バッテリーの低重心が有利に働く筈のRAV4PHVがムーステスト失敗するなど、困惑する部分も。ランクルの制御は凄そうで、映える動画が多いですね。個人的には日産サファリ(パトロール)や三菱パジェロの電動四駆(ガソリンやディーゼルでもいいですが)による猛追を期待。
CAエンジンのHTでMTのアテーサリミテッド乗ってたけど速くて楽しかった。アテーサが本当によくできていて、雪道のカーブでテールが滑ったら、なにもしなくて前輪が向いている方向に修正してくれて驚いた。
カタログにラリー仕様?レース仕様の車が値段付きで掲載されてるU12 ブルーバード(幸せの青い鳥)!
日産ブルーバ一ドSSSU12型ですね。デザインが好きでス。そして普通のグレードもいいね。
一方、P10プリメーラはバイオレットの家系だからどっちも先祖は510
SSS-Rってラリー専用(モータースポーツ専用)車両です。前期には、コスワースのピストン、タコ足のエキマニなど後期型より特注部品が多く使われています。
そういえば最近U12ブルSSS、プラモでも登場しておりますね〜(^ω^)
自分も購入しましたが完成はいつになるやら…。
私はまだ購入してないですがいずれ購入しなきゃf^_^;
今回の動画のSSS-Rも出てマスよ!後、大人向けのトミカであるトミカリミテッドビンテージネオでも♪
@@北方領土奪還霊柩車マニ そのTLVNもそろそろカラバリ出してくれないかな~
自分はSR積んだ後期型を所有してたけどメチャメチャ乗りやすくていい車だった。当時はギャランVRー4と比べてもストレートで負けてもコーナーが速かった。1.8の前期型にも乗ったことがあるけど下がスカスカで本当に185馬力あんのか疑問だった。
昔会社の人が乗ってたU12真っ赤なSSSめっちゃカッコよかった、この頃は901運動でスカイラインGTR、パルサーGTi-R、ブルーバードSSS-Rなどモータースポーツにも説教的で、熱気が感じられる日産だった、Zの復活もありがたいけど、ヤリスGRに負けないくらいの公道のラリーカーを作って欲しい、日産が本気出したら出来るはず。
20年前自分が免許取った時の教習所の車はブルーバードでしたね。
この流れでシルビア解説を…いやrs240特集を!
初めて買った車が、中古のU12前期のSSS-Rでした^ ^
この型のブルーバードセダンのプラモが、最近ハセガワから発売された。ハードトップも追加してくれんかな。懐かしい。910ブルーバードは、実家の近所の友達の家で乗ってたな。確か、2時間以上運転すると、なんらかの条件でコーヒーマークが出て、休憩しろって合図が出た?ハイテク機能があったはず。何度か乗せてもらったことはあるけど、さすがに片道30㎞圏内だと、そんなマークは見たこと中に。U13ブルーバードは、ワイが自動車教習所で乗った車です。
昔この車に憧れて中古車を買おうとした事・・・。ただ、担当者曰く「相当燃費悪いですよ」と言われて泣く泣く断念した記憶があります、ちなみにこの車、ハードトップはジャッキアップするとドアが閉まらない位剛性感が無かったそうです。
親父が若い頃ブルーバードが好きで乗り継いでいたって言ってたなあ。自分も小さい頃、家に白いセダンがあったのをおぼろげに覚えてる。
3代目のSSSラリー仕様はグランツーリスモでよく乗ってたな〜
WRCの猛者じゃないですかやだー
歴代ブルーバ一ドのデザインが好きです。
個人的にブルーバードというと、5代目の発売記念で作られた飛び出す絵本「幸せの青い鳥」(野間あきみち・絵 筒井敬介・文、非売品)と沢田研二がCMに出てた6代目です。
懐かしいですね??SSSがスーパースポーツセダンの略だと今日知りましたよ👍
丁度先日ブルーバードを買った自分には刺さる動画
6代目、オプション創刊号の列島キャノンボールで雨宮SA22Cの並走車のイメージ…両親の新婚旅行の写真で北海道でブルーバードのレンタカーに乗ってる写真が出てきました(親父の車はカンオケローレル)。生まれる前から日産車漬けだったとは…自分が免許取ってS130Z乗ってたのもシカタナイネ
箱型ブルーバードU11型式スーパースポーツサルーンで前期乗ってました懐かしいw初彼女を助手席に乗せて良く遊び行きました思い出深い車ですFRがパワーあってタイヤツルツルになっても前後ローテーションして乗ってて経済的にもいい車でしたねw
免許取って最初の車がU12ブルーバード4HT・SSSアテーサ・リミデッド最終型でした。これのエンジンを見てランエボⅢからSSS‐Rに乗り換えたYさん、今もお元気かなぁ…。インプレッサが出た時、U12に似ているなぁって思って後にインプ乗りましたけど、やっぱ2リッター・ターボ・四駆はいいですね。
いつも楽しく見ています。だいぶ後でも良いのでDCTの解説をリクエストします(しくじりパーツ、とでも言うのでしょうか、車で言うと一時期のVWや3代目フィット)
親戚のおじさんの愛車がブルーバードでした。かなり歴史のある車だったんだなぁ・・・。
4枚ドア、2座席、ロールバー。確かコスワースピストンも入ってましたよねぇ。
こういうセダン今もあればなぁ…いつかアクティクローラ紹介していただけませんか?
教習車がU12セダンだったけど、むっちゃ運転しやすかったなあ。
まだ陸別に試験場を作る前にニュージーランドのゲレンデ使って雪上試験をしてたというコマーシャルがあったなぁ。。。さらに、栃木の工場のテストコースで技術開発ノートという販促動画も。。。
こういうカクカクしたセダン好きだなあ...このカクカクした見た目で中身は最新...みたいなセダンでないかな、でないな(諦め)
ブルーバードは6代目が本当に好き。
今見ると結構カッコいいな。8代目はパルサーとかプリメーラぽさがあると思う。手にしやすいスポーツセダンとして復活しないかなぁ…セダン人気、本当に無いって聞くしな…お手軽スカイラインみたいな。てかノートベースかノート基準のセダン!(出来ればスライドドアのキューブかコンパクトミニバンも)
ブルーバード復活してレッドブル飲んで翼ができて空に飛び立つと言う夢を見た
14:03N14型パルサーGTi-Rが控えてたからね。
U12のSSSハードトップで、色は黒がははじめての愛車でした😊
個人的には6代目かな。 FRだし、軽かったし、スーパーシルエットのレースにも出てた車種だしね。
4:03遊撃捜査班の覆面車
SSS-R前期型はコスワースピストンのせいで棚落ちする
いやあ~、免許は平成3年に取っているけど、昭和~平成初期にかけての日産は欲しい車がたくさんあったなあ。このブルーバードの後には初代プリメーラーもあったし、ミドルセダンではローレルにセフィーロ、サニーやパルサーにも4WD設定ではSR18DEを搭載していたと思う。(パルサーのGTI-Rは別格だけどね。)そんな自分の最初の車はEB13サニー、R33スカイライン、Y31シーマと乗り継ぎましたが、その後はBHレガシィ、BPレガシィとスバルになっています。
当時小学生で親が乗ってました!自分が免許取得したときに譲り受け今も乗ってます。
同じ日産のスポーツセダン、初代プリメーラの解説もお願いします!(オーテックバージョンも🙏)
大学時代、U12のSSSアテーサX、つまりNAのアテーサを中古で買って乗ってました。
当時全盛のPS13を買おうと思ってたけど、学生の身分で親の反対に逆らえず、やむを得ず選んだのがSSSアテーサXだったんだけど、これがとんでもない曲者セダンでした。
なにしろ、SR20DEのNAのくせにバカッ速だった(ターボ各車には劣るんだけどw)し、車重が軽いわハンドリングが軽快だわ、何よりアテーサが(GT-Rほどではないにしろ)自分の運転の下手さをリカバリーしてくれて結構思い切り走れたし、軽い振り返しでドリフトにも持ち込めたし、本当に人馬一体ならぬ人車一体を楽しめる、本当に楽しい車でした。それに4ドアハードトップだから、大学生が4~5人乗っての移動も楽々でした。
今で言えば、ランエボに近い感覚だといってもいいのかな、本当にいい車でした。
@COVID 19 懐かしい2ちゃんねるネタ(笑)
でも、ターボ車にかなうわけもなかったし、面白いしNAにしては、てレベルだから、タイプR勢と比べたら遅ーのなんの、だよ、そりゃ当然。速さより楽しさ、な車で、アテーサが誤魔化してくれるのが、ランエボの電子制御みたい、て例えたまで。あのGTOほどおバカじゃないよ
当時は免許を持ってなかったので、クルマとしての特性は知らないが、端正でいいデザインだと思っていた。街中で見ることになっても、尚、見飽きないデザインだった。クルマのデザインは1980年代の後半が一番良かったと思う。
SSS-Rこそ「やっちゃえ、日産」に相応しいトンガリ車ではないかと思う。今は「やっちまった、日産」…。
パルサーセリエVZ-Rもこの流れなんでしょうね。
@@SuperPi3.14 さん
パルサーといえばGTi-Rがメジャー所ですが、こちらはさらにマニアックな車ですよね。こうしたホモロゲありき、な車がディーラーで市販されていたとは隔世の感があります。
地区戦ではコレとVR-4が4輪で地面を掻き毟りつつ、火を吹きながら加速していました。公道ラリーなのに絶対ノーマルじゃなかったw。
ラリーだけにラリってんだよw
凹凸の激しいグラベルだと競技走行中に触媒の中身が破損してエンジンブローに繋がる
から触媒の外廻りだけ車検用に残して触媒の中は取っ払ってた・・・・とラリーストの
知人が言ってた・・・・(^0^)ゝ・・・・
@@HD5970CFXnoYuusya なるほどやっぱり「そういうコト」してたわけですね~
ブロー対策なのか単に抜けを良くしたかっただけなのかw。
ニスモは確信犯w
ラリーでワークスZのマフラーからバンバンアフターファイヤー出てた
ばあちゃんが3年前まで普段使いでXEサルーン乗ってた
めちゃめちゃいいクルマ
コメ欄で懐古おじさんの話を聞くの好き
当時のハイテクには余り心を動かされないが、6~8代目ブルーバードセダンのデザインにはとても惹かれる。きっと、クルマに別段興味無かった自分の少年時代の街角での記憶が甦るからだろう。
そう云えば、マークⅡ・クレスタ・チェイサーの「三兄弟」があったような。「無鉛」ガソリンの青いステッカーも懐かしい。
「競技車両に後付けできないなら標準装備にしちゃいな」なパーツが付いてる車
ランエボ「ん?」
”410ブルーバード”は、通称”銭ブル”、ルパンシリーズで銭形警部が乗っていた車として有名ですね。”ピニンファリーナ”デザインとか。
”510ブルーバード”はサファリラリー優勝車として有名ですね。コンパクトできりっとしたかっこいい車との印象が強いですね。
国産車として一早くターボチャージャーを装備した車種の印象が深いですね。
901活動期の日産車は、
ほんとどれをとっても
魅力的だと思う
2.0L SSS-R乗ってました。
なにも知らんと予算縛りでオートオークションに出てたので買いました。
山ん中で、周りの皆に気持ち悪がられてました。
よく走る車だったなぁ
510型とU11型は父親が乗ってた。自分が免許を取得後、U11を譲ってもらった(前期型ハードトップでグレードは1800SSS-E EXTRA、5速MT)
色々と楽しませてもらったクルマでした
U12は友人が前期1800SSSに乗ってて、スキー旅行で同乗した思い出がある
P10型初代プリメーラが買えなくなって、U12FFセダンのSSSシリーズ後期モデルのMT車を中古を買って4年近く乗りました。小回りはあまり効かなかったものの運転のしやすさは抜群で、80年代のクルマとしてはボディー剛性やドアの開閉音も素晴らしく、乗った瞬間から心底惚れ込んだ日産車。
細部の作り込みはトヨタ車かと思う程完璧でした。当時はブルの最大のライバル・コロナの存在もあったので、ブルの開発陣はトヨタ車の内装の質感を超える事を目標にされていたのでしょう。
U12のハードトップモデルは天井が低めのピラーレスハードトップでしたが、リアデザインが洗練されていてとても格好良かった、セダンのリアはY31セド・グロ似の地味なタイプ(後期モデル)ながら、視認性は良かった。
U13は新車で買おうと意気込んでいましたが、セダンの垂れ尻テールが絶望的にカッコ悪く、HTモデルもU12と比較にならない程つまらないデザインで買う気が失せ(セダンのみ発売されたU14も同等)、結局ブルはU12だけでした。もうこんな名セダンにめぐり逢える事は無いでしょう。
U12 ハードトップ乗ってた。ハンドルから見る景色で車幅が分かる素晴らしい設計。
この頃の日産は良かった。SR20が自分にとってあってた。
キャッチコピーが自信に満ちてましたね
『ブルーバードが、好きだ』
『グッド・カー』
なんてメーカーが言うんですから
910型のCMなんて、沢田研二さんがご出演で、キャッチコピーが
「ブルーバード、おまえの時代だ」ですからね。
910かっこよかった!次回U13のしくじり編楽しみにしてます!が、ちょっとペース速すぎて中の人大丈夫?ときどき誤植(ちゃんずの誤読)もあるし、あんまりコンを詰めないように。。。。
アラフィフのオッサンだけど、3代目は子供のころ叔父が持ってて後ろに乗って加速するとシートの押しつけがすごかった記憶が。父のカローラとは雲泥の差だった。今90歳くらいの人は豊田市に住んでいても昔はブルーバード伝説で日産車乗ってたよ。
4ドアピラーレスハードトップが人気の時代に競技ベースグレードを軽くて頑丈なセダンに設定したのが成功の秘訣だった!
R31スカイラインの失敗はそこにあったw
SSS-R(前期型)は、マーチRと共に逝っちゃってる車だったからなぁw
後U12型が登場した時期に販売されていた、R31型スカイライン“GTS-R”もね。
@@tomonorifuruya967 R31ハウスのエキマニ付けたやつのエキゾースト音は、しびれますよね~
あの当時は「4WSでなければ車にあらず」みたいな風潮だったな
6代目ブルーバードのCMには全盛期のジュリーが起用されていたなあ。「ブルーバード、お前の時代だ」
シルフィ生産終了でブルーバードも小型セダンそのものも歴史が終わっちゃったね(海外だけ新型出るけど)
3代目めっちゃかっこいいな。。。
この頃に日産ディーラーでアルバイトしてましたが、車両基地からディーラーまでこのブルーバードのアテーサに乗るのが楽しみでした。あとはB 12のサニーで5速クロスミッションのモータースポーツ仕様がありましたがこれが本当に面白いお気に入りクルマでした。
サニーVRですかね?最初VRで、次にマーチR、最後は後期のSSS-Rでダートラしてました。
@@ede4n7 V Rでしたか😅確かそんな感じかと。クロスミッションの面白さを初めて知ったので本気で買うつもりになってました。
若かりし頃の思い出でした。
返信ありがとうございました。
@@ede4n7このB12型サニーVRと同じ仕様だったのがN13型パルサー2(3)ドアHB R1TWINCAMで、次のN14型パルサーGTI−Rに繋がるモデルとなります。またサニーVRは次のB13型の前期にもラインナップされましたけどエンジンは1.3や1.5と同じ低中速型ツインカム(トヨタでいうハイメカツインカム)のGA16DE型エンジン搭載で、ECCS(EGI)や可変バルタイNVCS(吸気側)で武装はされていたものの高回転まで回らない為かB12型に搭載されていたツインカムのCA16DE型よりもパワーは無かった(CA16→120馬力 GA16→110馬力)ですね。
昔は凄くて憧れたグレードSSS から
代が進むにつれ名ばかりのSSS へ~
U13あたりからですかね😅
U13のアークスはかっこいいんですがね、、
これはおもしろい車だった 最初の愛車 新車で載った
ターボチャージャーちゃん、ブルーバードの歴代の名車も、「510」、「910」と、型番で呼ばなきゃ。
410は銭ブルとか言われますよね
前期のアテリミハードトップはめちゃくちゃ好きです
ニスモがチューニングした「スーパーニスモ」なんてのもありましたね
ブルーバード…良い車です 昔910ブルに乗ってました
私的にはU13リミテッドアテーサも好きですが…😅
中古車でU12スーパーニスモなるものが売られていましたが、カッコ良かったですよ😉
アテリミよりリミアテのほうがビスカス1個多い究極のアテーサなんですよね。
良くご存知で…(^^)
仰る通り3デフ 3ビスカスですね。
U13リミアテのMT乗ってました
面白かったですよ
とかく、スカイラインに注目されがちなニトロ+ターボの570馬力のスーパーシルエット時代ですが、ブルも忘れないでください(レジェンド星野さんはシルビアでした)。
910のシルエットすごくかっこいいですよね
この時代に人気があった4ドアハードトップじゃなくてセダンの後部座席に座るとたいして身長の高くない私でもリアガラスに頭が完全にくっついた
ラリーで強いとか以前の自動車の考え方の違い
SSSR前期のCA18DETーRエンジンはコスワース製の鍛造ピストンで、日産も気合いが入っていましたね。
親父…ごんめんなさい。
このU12、余りによく言うこと聞いてくれたので、当時若気の到りだった自分のアホ運転でぶっ壊してしまって…
本当に申しわけない…。
この車に出会えたからこそ車好きになれた。
今でも感謝してるし、車を大事に乗ろうと心がけるようになれました。
U12SSSアテーサリミテッドハードトップ SR20ターボ
とても良い車でした(*´Д`*)
よーく判ります。今でも乗りたい車です。復活したら売れるのにね。
@@iidukafly
そして後継のU13のナメクジのようなデザインに失望しました😭
@@iidukafly
復活しても数はあんまり売れんと思うがなぁ…
ブル自体のワゴン/バンはU12で消滅しちゃったけど、3年遅れで市場投入されたアベニール(それまではU11のワゴン/バンを継続生産)が事実上のU12のワゴン/バン版ですね
日産ブルーバ一ド810型もデザインが好きです。ピンクレディーの増田恵子さん通称ケイちゃんの愛車だったんだよね。実際にマネージャ一が運転して日本全国をまわって挙げ句の果てに渋滞で次の巡業先に間に合わないので側道に降りてタクシーで行ったらしい。
最近、プラモになりましたね‼️
知り合いに4名乗車のSSS-Rに新車時から乗ってる方がいて乗せてもらった事あるけど凄い刺激的な車だった。
30年以上前の車と思えないくらい剛性あったし、軽くてパワーあるからめちゃくちゃ速かった。
なんといっても見た目が渋すぎる
910のSSSターボ・4ドアハードトップに乗ってました。
最後のFRでとっても楽しかったですよ。
MTスポーツセダンはやはりハードボイルドな感じがしていいですな!
レパードF31もカッコいいです!
この時代の日産のセダンはかっこよかったな
特にマキシマが
初代マキシマは確かU11ブルーバードの上級グレードだったんですよね💙
片山氏が絶賛してた気がする2代目マキシマ
マキシマ、徳大寺さんも絶賛してたな。ピークパワーを落とした低速トルク型なのとアメリカで売るから幅が広くてかっこ良かったけど日本じゃ売れなかった。
ブルーバードマキシマはVG20ETエンジンで、FFだと思う。
しかし、内装がセドグロベースなので高級感があった。
(中古ショップで見ました。)
マキシマに試乗した時に左前輪を深い水たまりに落としてしまったんだけど、その瞬間右リアがピョコンと跳ね上がって、大きな車なのに車体剛性が高いなと驚いた。
SSS-Rは某ウナ丼さんも動画で解説していましたが、なかなかキレた車でしたね。
これの実質的な後継車種がパルサーGTi-Rになるんでしたっけ。
当時の自動車評論ではアンダーステアが強く前後オーバーハングが大きく扱い難いのでラリーカーとしても大成しないと言う評価だった。
世界戦ではランチアデルタが全盛期であり国内ではギャランとレガシィが台頭してきた事で沈んでいった。
ならばとボディを小さなパルサーに変更してコンポーネントを押し込んだらさらに手に負えないじゃじゃ馬になり撤退する事になる。
たらればだが、もっと開発予算が潤沢でS13をベースにR32でお馴染みのFRベースAWDならバランスに優れたラリーカーが出来た気がする。
U12は良い車だった・・・910からのデザインの流れ アテーサと軽量ボディ
ただ、時代が悪かった。ギャランVR-4やレガシィRSとか出てきた時代。
ラリーカーはN14パルサーGTiーRに・・・
U13は、、、、次回にコメしようw
SR20の時は既にギャランVR-4の方が戦闘力が高くて余り売れなかったというのと、新型SR20よりチューンしたCA18の方が実力的には上だった。更にマイチェン後1年弱でパルサーGTI-Rが出るのが決まっていて、後期型の積極的なチューンアップはあまりされなかった。競技ベースとしてはSR20モデルはあまり重要視されていなかった感じが有るよね。
今思えばSSS-RでWRCに打って出ていれば良かったのでは?
エンジンルームのスペースもパルサーに比べればはるかに余裕があるから補機類やインタークーラーの配置がラクだったのに。
あの当時はランチアデルタ・インテグラーレが常勝状態で
後からデビューしたギャランVR-4がボディサイズから苦戦してましたからね。
当時のWRCは名目上はリストラクターで300ps以下に抑えるというレギュレーションもあったことから
デルタを解析して小さいボディの方が有利という読みもあった事だろうと思います。
ブルーバードは日本と米国メインで、欧州ではオースターをブルーバードの名前で売っていたので
販売政策上欧州がメインのWRCに出ても宣伝効果が無いとの判断もあったと思います。
因みに後期のSSS-Rが台数が少ないのは、後期が出た翌年に
パルサーGTi-Rが発表されてそちらに主力が移ったのも影響しています。
あちらにもラリーベース仕様が受注生産で設定されていました
@@tomo_nak
パルサーにとって一番不運だったのは、参戦体制が中途半端だったことでしょうね。
当時の日産はR32GT-RのグループAと国内Cカーがメインだったので、WRCは後回しというか殆ど力が入ってなかったように感じます。
U12のアテリミ、懐かしいなぁ〜
お客さん大事に乗っていたけど、部品欠品が相次いでなぁ…
この当時の日産車あるある『シートベルトが戻らない』のトラブルが出てしまって、色々と当たったけど結局部品がやっぱり見つからず…
シートベルトがロックしなければ車検が通らないはずだから、最後はどうしたんだろう…
SSSは3台乗り継いだが、U-12ハードトップが1番スタイリッシュで格好良かったな。
SR20DETは日産の2000ccエンジンでは最強だろう。
日産の確変時代の名車の一台ですね。先輩が乗ってました。4駆ターボでスカイラインGTS-4と迷ってたんですけど、
連れに先を越されてブルにしたそうです。中間加速がヤバかった思い出。
その先輩も定年して、嫁とのバトルの末、退職金でボクスターを新車でゲットw 911ゲットならず\(^o^)/
前期型のSSS-Rのエンジンは型番がCA18DET-R。後期は普通のSR20DET。
リヤの熱線無し、電動ドアミラー無し、パワーウィンドウ無し、ロールバー入りで4名乗車にするためリヤシートの両端がもっこりして後部座席が2名乗車になってる(おかげで狭い)。
サイドマーカーもスモークの嵌め殺し。サイドマーカーの電球外した位で重さ変わらんでしょ、とも思ったけどそういう小さな積み重ねで軽量化してたんだろうなぁと思う。
一応エアコンはオプションで着けられた。
ちなみに標準車はインタークーラーのダクトが無いように見えるけど実はボンネット内にフロントグリルからインタークーラーまでのダクトがついててしっかり冷やされるようになってた。
この頃のブルーバードSSS-RとギャランVR-4とセリカGT-FOURはグラベルでは国内競技ベース車両として大変優秀でした。但しターマック競技では車両重量、タイヤ幅、車高、社外パーツの問題も有ってハイパワー四駆のメリットを生かせませんでした。
初代SSSーRの発売当時はCA系エンジンにオイルクーラー装備で後輪機械式LSDに5速クロスミッション、ロールバー標準装備で
2名乗車・車検も通る車でした。シートとタイヤ替えればJAF全日本ラリーに出られる車でした。助手席のフットレストとドライブコンピューター用の空間もありました。当時車両価格が300万ぐらいだったので真剣に購入を考えてました。やっぱ無理してでも買っときゃよかったな・・・
8:34
ABS(確か名称は4WAS ??)も
忘れずにね~
U12はカッコ良かったね…11とそれ程変わらないキープコンセプトなのに全然斬新…U12は外装内装とカラーデザインに女性然も20代!が加わっていて社内デザインにバンバンダメ出しして完成したと社内教育で知りました(ワシは89年新卒です)女性の意見を尊重した日産はそこも斬新でした、当時の日産はどれ買うか?幾ら悩んでも決まらない程全車凄かった…今の弱々しい姿は想像出来なかったな…
8代目のU12ブルーバードは歴代で一番カッコイイ😃
この古めかしいセダン系にしかない横目のヘッドライト好き。R32系のとか大好き
こんばんは。😀
ブルーバードといえば「SSS」。スーパー・スポーツ・セダン、スリーエスという響きに憧れましたね😍👍
日産の代名詞として「GT-R」が有名ですが、スカイラインは元々合併した「プリンス自動車」の製品だったから、日産・ダットサンのトップモデルとしては「SSS」だったはずなんだよなぁ。
シルフィに変わっても「SSS」モデル残して欲しかったなぁ~😢
U12ブルSSS-Rは桜井眞一郎氏率いるオーテックが開発してて、U12ブルやN14パルサー等の「アテーサ」は1985年の日産MID4、桜井氏らプリンス系技術陣が作ったクルマが最初ですが、1985年の第26回東京モーターショーにはもう一台、日産CUE-Xというクルマが出品されていて、このクルマの「電子制御トルクスプリット4WD」こそ「アテーサE-TS」、BNR32スカイラインGT-Rのご先祖です。「曲がる4WDを実現したR32型スカイラインGT-R」という記事を検索してみてください。
日産MID4のビスカスLSD付センターデフ式4WDの四駆システムは、当時ランチア・デルタ等にも供給していたオーストリアのシュタイアー・プフ社からの購入品ですが、日産CUE-Xの「アテーサE-TS」は、日産中央研究所の内藤原平氏や松田俊郎氏ら日産系技術陣が、1985年に日産CUE-X、1989年にBNR32スカイラインGT-Rとして作り上げたもの。RB26DETTの林義正氏や石田宣之氏らも日産系ですから、ある意味、BNR32の時点で「日産GT-R」でした。ポルシェに「電制なんて」と白い眼で見られながら見事に作り上げてますから、「ポルシェの前を走る」というプリンスS54スカイライン以来スカイラインに課される試練を乗り越えてます。R35日産GT-Rも同じですね。2008年にポルシェもGT-Rと同様の電制カップリング式を採用し、アウディやBMW等も追随してますので、この分野のパイオニアは間違い無く「アテーサE-TS」です。
Z35がダットサン240Zに回帰してますから、ダットサン510ブルーバードも出てきていいのではないかと(日産IDxというのがありましたが)。510はラリーの他、北米のサーキットでBMW2002やアルファロメオ1750GTVに勝って名を上げました。
e-POWER 4WD の出来が良いですし(日産の電動パワートレインの基本は、アテーサE-TSやアクティブLSDの松田俊郎氏らが開発)、ラリーでも活躍するDATSUNやSSSが出てきてほしいですね。
@@rockskylark9972 旧プリンス系列もそうだけど、そのプリンス自動車同様に「中島飛行機」の流れを汲む「富士重工」が当時日産自動車と業務提携関係にあり技術面での協力があった事もAWDシステム「アテーサ」並びに「アテーサE-TS」を誕生させる原動力となったのだろう。そのスバルのAWDシステムのルーツは、トラクションに有利な水平対向エンジン+前輪駆動方式のスバルレオーネにラリーでも定評があった当時FR方式である510ブルーバードの駆動ユニットとリアサスごと移植した車両が原点となります。だからそれを考えると幾ら倒産寸前だったとはいえ、提携関係(但し企業規模の差から事実上の支配下)であったスバルを売却して手放した事は本当に悔やまれます。
@@古谷知則-g2i 日産はプリンスとの合併によりトヨタにおけるヤマハの如きノウハウを得て、L型エンジンもプリンスが持っていたベンツのパテントの応用により改良されましたが、車体側に固定されたデフのこもり音がどうしても解決できなくて数万台程度の生産台数でプリンスを経営危機に追いやった二代目プリンス・グロリアに対し、四輪独立懸架で同じくデフを車体側に固定しているダットサン510ブルーバードは生産台数155万台、240Zは55万台ですから、やや冷徹な見方かもしれませんが、1960年代末の段階で既に日産とプリンスは、量と質の両面で第二次大戦の米軍と日本軍ほどの総合的な技術力の差がありました。戦後にオースチンに学んだ日産、フォードに学んだトヨタこそ、大正解だったと言わざるをえません。
GC10スカイラインGTの四輪独立懸架も、510ブルのフロントストラットアーム長などの問題点を改設計して採用されたことを、伊藤修令氏が動画で仰っています。プリンスS20エンジンは最初は軽量なZ432に搭載されましたがバランスが悪く(S30ZはS20より軽量なL24エンジンでバランス)、やや大柄なハコスカGT-Rに搭載され、パワーウェイトレシオでマツダロータリー軍団に対して不利になりましたが、特に末期、強力なサバンナRX-3に対し四輪独立懸架によりストレートで抜かれてもコーナーで抜き返す展開で善戦しました。
プリンスS20やGRXは1969年頃の偉大なエンジンですが、その設計をそのまま踏襲したエンジンが、1983年のFJ20と1987年のVEJ30です。前者はグループAのDR30スカイラインRSターボはともかくグループCでは全くダメ、後者は実績を挙げていた日産VG30を政治的理由で置き換えましたが同じく活躍出来ませんでした。このプリンスVEJ30による時間空費の煽りを食らったのが水野和敏氏や林義正氏らによる日産R91CPとVRH35Zエンジン(ウィキペディア記事は必読)。ルマン参戦は叶わず、1992年のデイトナ24時間で日本人チームによる意地の総合優勝を果たしました。プリンス系の偉い人に圧力をかけられましたが、水野和敏氏設計の日産R91CPの車体製作を担当したのはプリンス系の宇宙航空事業部でした。
1985年の第26回東京モーターショーの日産CUE-Xと、1987年の第27回東京モーターショーの日産ARC-Xで、BNR32以降のGT-Rを構成する技術が出揃います。前者は「電子制御トルクスプリット4WD」すなわち「アテーサE-TS」とHICAS、後者はマルチリンクサス、スーパーHICAS、アクティブLSD等。全て日産中央研究所生まれの技術で、RB26DETTも、林義正氏や石田宣之氏ら日産系技術陣によるもの。
同時期に桜井眞一郎氏らプリンス系技術陣が日産車体と作っていたのは、初代MID4、MID4-IIであり、前者はWRCグループS参戦目的、後者はZ32上位の北米向けスーパーカーで、BNR32とはほぼ無関係であり、Z32や三菱GTOに近いクルマです。
MID4はポルシェに言われて引き下がったエピソードがウィキペディアにも載ってますが、CUE-XやARC-Xの技術を受け継ぐBNR32は引き下がらず、ポルシェの前を走りました。
1982年の初代K10マーチはMA10型エンジンの設計を含めてプリンス系のクルマです。U12ブルSSS-R、パルサーGTI-R、マーチ・スーパーターボ等もプリンス的要素の濃いクルマかと思います。最近のK12マーチ12SRもオーテックによる開発で、個人的に何となくプリンスの息吹を感じるクルマです。
日産CUE-X(VG30DETTプロトタイプ、確実に300馬力以上)と同じ1985年のモーターショーには、マツダMX-03、3ローター・ロータリー・ツインスクロールターボ320馬力で、日産CUE-Xと同様にセンターデフではなく電制カップリングによる「トルクスプリット機構付き」四駆(マツダMX-03は完全にFFにもなる)が出品されていました。
1985年の時点で、当時の量産市販車の頂点である300馬力超級のパワーを電子制御によりアクティブに可変トルク配分するFRベース四駆という方向性を共有していたのは、日産とマツダでした。しかし1989年、マツダはユーノス・コスモという純然たるFR車の道を選び、日産は、格段にアグレッシブな目的でBNR32スカイラインGT-Rとして具現化しました。
1985年の日産MID4の四駆システム「ビスカスLSD付センターデフ式」(先述の通りシュタイアー・プフ社からの購入品)は、量産市販車として1987年、セリカGT-FOUR、U12ブルーバードSSSアテーサ、ギャランVR-4の順で出て、1989年にスバルレガシィが登場。
デフロック付センターデフ式のマツダファミリア4WD、スバルACX-IIも1985年、スバルレオーネRX-IIとビスカス化前のセリカGT-FOURが1986年。
この「センターデフ式」がスバルのハイパフォーマンス系の標準となり、1987年のスバルF624エストレモでATと組む電制LSD付センターデフ式「VTD」の登場により方向性が明確に。1992年にスバル「DCCD」、三菱は1996年以降ガンガンハイテク化。
1981年のスバルのAT車向け四駆システム「MP-T」は、スイッチポンで四駆に切り替えられ、四駆モード時は、例えば後輪が滑ったら前輪に多く配分するというパッシブな自動配分を、ATの油圧を利用した油圧制御系と湿式多板クラッチにより実現。1985年にアクセルやブレーキ、ワイパーと連動して自動的に四駆になる「AUTO-4WD」モードを追加、1987年にアクティブ電子制御化した「ACT-4」が登場。スバルのセンターデフ式とは別系列の、実用的な出力のAT車向け四駆システム。
トヨタは1987年に専用の油圧制御系によるLSD付センターデフ式「ハイマチック」、1988年に電制LSD付センターデフ式「EC-ハイマチック」、1992年にFR車向け「EC-ハイマチック」を構成要素とする「i-Four」、いずれもATと組み合わされる実用的な性格。
U12のオーズィーを新車で買って乗っていました 当時はラジオコマーシャルだけで製造はオーストラリア 受注輸入という形をとっていました れっきとした外車です(税金も外車枠だった)ディーラーに「ラジオで宣伝していたオーズィー下さい」と言って買いました 事故でつぶしましたが全身にエアロを纏ってかっこいいしエンジンはSR20で走りも良かったです(LSDとか標準装備で当時珍しいクルーズコントロールもついていたし何より180㎞リミッターが付いていなかったのが良かった)
ちなみにブルーバードは610型ブルーバードU2000GT・U11ワゴンのSSSターボ・U12のオーズィーと3車種乗りました(そういや~610ブルーバードUも事故で廃車にしたっけ・・・)事故から10数年後、娘が免許を取り初めて買った車が中古で探したU12オーズイーでした レアな車を親子2代で乗った私はかなりの車好きであり、かつ変わり者でしょうね
1936年 くろがね四起(パートタイム式)、1953年 三菱ジープ(パートタイム式)、1972年8月 スバルレオーネ4WD(パートタイム式)。
1981年11月 スバルレオーネ4WDオートマチック(ATの油圧を利用する湿式多板クラッチを四駆トランスファーとして用いる「MP-T」)。
1983年11月 三菱スタリオン4WDラリー(FRベースのビスカスカップリング式)。
1985年1月 マツダファミリアフルタイム4WD(デフロック付センターデフ式)。
1985年6月 スバルアルシオーネVRターボ(急加速時、急制動時、またはワイパー操作と連動して自動的に4WDになる「AUTO-4WD」を「MP-T」に追加)。
1985年10月 第26回東京モーターショー。日産CUE-X(FRベース電子制御トルクスプリット式「アテーサE-TS」)、日産MID4(ビスカスLSD付センターデフ式「アテーサ」)、マツダMX-03(FRベース電子制御トルクスプリット式)、トヨタFXV(デフロック付センターデフ式)、スバルACX-II(デフロック付センターデフ式)。
1986年4月 スバルレオーネRX-II(デフロック付センターデフ式)、1986年10月 セリカGT-FOUR(デフロック付センターデフ式)。
1986年5月 パルサー・フルオートフルタイム4WD(ビスカスカップリング式)、1987年1月 パルサー・トリプルビスカス・フルオートフルタイム4WD(前後デフにビスカスLSDを追加したビスカスカップリング式)。
1987年8月 セリカGT-FOURのセンターデフにビスカスLSD装備。ビスカスLSD付センターデフ式は、1987年8月 セリカGT-FOUR、1987年9月 U12ブルーバードSSSアテーサ、1987年10月 ギャランVR-4、1989年1月 スバルレガシィ。
1987年9月 カローラのAT車の4WDに、専用の油圧制御系を持つLSD付センターデフ式「ハイマチック」。
1987年10月 第27回東京モーターショー。日産ARC-X(VG30DE横置きFFベースな配置だけど基本後輪駆動の電子制御トルクスプリット式という、FFベースな配置ながら「アテーサ」でなく「アテーサE-TS」な、GRヤリスに近いシステム)、日産MID4-II(ビスカスLSD付センターデフ式「アテーサ」)、トヨタFXV-II(電制LSD付センターデフ式)、スバル F624 ESTREMO(電制LSD付センターデフ式「VTD」)、スバル「ACT-4」(「MP-T」をアクティブ電子制御化した電子制御トルクスプリット式)、三菱HSR(ギャランVR-4のシステムに色々とハイテクを追加)、ダイハツTA-X80(ミッドシップ電子制御トルクスプリット式)。
1988年8月 カムリのAT車の4WDに、「ハイマチック」を電子制御化した電制LSD付センターデフ式「EC-ハイマチック」。1992年 クラウンマジェスタに、FR車向け「EC-ハイマチック」の「i-Four」。
意外にこれ知られてないんですが、BNR32スカイラインGT-Rのご先祖は1985年の日産CUE-Xです。「曲がる4WDを実現したR32型スカイラインGT-R」という記事を検索。
日産のCUE-X紹介パンフレットによると、エンジンはVG-X(VG30DETTプロトタイプ「ジェットツインターボ」、間違い無く300馬力以上)ですが、「電子制御トルクスプリット4WD」すなわち「アテーサE-TS」、HICAS、ABS等、4年後にBNR32を構成する技術が揃っています。
U12ブルSSS-RやRNN14パルサーGTI-Rのご先祖が日産MID4。VG30DE横置きミッドシップ、ビスカスLSD付センターデフ式4WD(当時のランチア・デルタ4WD等と同じシュタイアー・プフ社からの購入品、E-TSが付かない「アテーサ」)。桜井眞一郎氏らプリンス系技術陣によるクルマ。初代はWRCグループS参戦を狙い、二代目MID4-IIはZ32上位の北米向けスーパーカーであり、BNR32よりZ32や三菱GTOに近いクルマでした。
日産CUE-Xは「アテーサE-TS」を始めとする日産中央研究所の技術を集めて作られたクルマであり、後に出てくるRB26DETTも林義正氏や石田宣之氏ら日産系技術陣によるもので、ある意味、BNR32の時点で既に「日産GT-R」でした。
当時のポルシェに「電制なんて」と白眼視されながら「アテーサE-TS」の開発を進めたという話もあります。日産CUE-XやBNR32こそ、「ポルシェの前を走る」という、プリンスS54スカイラインGT以来、スカイラインに与えられた試練を乗り越えています。R35日産GT-Rも同じですね。2008年からポルシェも電制カップリング式を採用、アウディR8やBMWのFRベースのxDrive等も追随。この分野の先駆者は間違い無く「アテーサE-TS」です。
今後は後輪駆動バイアスe-POWER/e-4ORCEなのかもしれませんが、日産の電動パワートレインを開発したのは901活動でアテーサE-TSやアクティブLSDの開発に携わった松田俊郎氏らですから、ちゃんと繋がってますね。
1985年には、日産とマツダがともに「アテーサE-TS」的な方向性を模索していたようです。
1985年のマツダMX-03は3ローター・ロータリー・ツインスクロールターボ320馬力ですが、日産CUE-Xと同様の「ハイパフォーマンスなFRベース電子制御トルクスプリット式4WD」。マツダMX-03の紹介パンフレットには完全にFFにもなれる旨の記述があります。
当時市販車頂点の300馬力超級エンジンのFRベース「電子制御トルクスプリット4WD」という方向性は1985年に日産CUE-XとマツダMX-03が共有していましたが、1989年、マツダはユーノス・コスモという純然たるFR車の道を選び、量産市販車として登場したのは、日産CUE-Xのデザインと名前の響きと快適なグランツーリスモ的部分を受け継ぐインフィニティQ45、「ハイパフォーマンスなFRベース電子制御トルクスプリット式4WD」の部分をさらにアグレッシブな目的で継承するBNR32スカイラインGT-Rでした。
1989年8月 BNR32スカイラインGT-R(FRベース電子制御トルクスプリット式「アテーサE-TS」)。1993年 R33スカイラインに「アクティブLSD」、1995年1月 BCNR33スカイラインGT-R V-spec(「アクティブLSD」を統合した「アテーサE-TS PRO」)。2007年10月 R35日産GT-R(「アテーサE-TS」の発展型「独立型トランスアクスル4WD」)。
1992年11月 インプレッサWRX「DCCD」、1996年8月 ランエボIV「AYC」、2001年2月 ランエボVII「ACD」。三菱とスバルはともにセンターデフ式をハイテク化する方向性で開発してきましたが、三菱は電動四駆の道を切り開き、2005年 エボMIEV、2012年 アウトランダーPHEV。
1991年10月 ホンダFS-X「SH-AWD」、1996年11月 ホンダ・プレリュード「ATTS」、2004年10月 ホンダ・レジェンド「SH-AWD」、2017年2月 新型NSX「SPORT HYBRID SH-AWD」。
トヨタはTS050ハイブリッドという物凄いハイブリッド四駆を持っているのですが、バッテリーの低重心が有利に働く筈のRAV4PHVがムーステスト失敗するなど、困惑する部分も。ランクルの制御は凄そうで、映える動画が多いですね。個人的には日産サファリ(パトロール)や三菱パジェロの電動四駆(ガソリンやディーゼルでもいいですが)による猛追を期待。
CAエンジンのHTでMTのアテーサリミテッド乗ってたけど速くて楽しかった。
アテーサが本当によくできていて、
雪道のカーブでテールが滑ったら、
なにもしなくて前輪が向いている方向に修正してくれて驚いた。
カタログにラリー仕様?レース仕様の車が値段付きで掲載されてるU12 ブルーバード(幸せの青い鳥)!
日産ブルーバ一ドSSSU12型ですね。デザインが好きでス。そして普通のグレードもいいね。
一方、P10プリメーラはバイオレットの家系だからどっちも先祖は510
SSS-Rってラリー専用(モータースポーツ専用)車両です。
前期には、コスワースのピストン、タコ足のエキマニなど後期型より特注部品が多く使われています。
そういえば最近U12ブルSSS、プラモでも登場しておりますね〜(^ω^)
自分も購入しましたが完成はいつになるやら…。
私はまだ購入してないですがいずれ購入しなきゃf^_^;
今回の動画のSSS-Rも出てマスよ!後、大人向けのトミカであるトミカリミテッドビンテージネオでも♪
@@北方領土奪還霊柩車マニ そのTLVNもそろそろカラバリ出してくれないかな~
自分はSR積んだ後期型を所有してたけどメチャメチャ乗りやすくていい車だった。
当時はギャランVRー4と比べてもストレートで負けてもコーナーが速かった。
1.8の前期型にも乗ったことがあるけど下がスカスカで本当に185馬力あんのか疑問だった。
昔会社の人が乗ってたU12真っ赤なSSSめっちゃカッコよかった、この頃は901運動でスカイラインGTR、パルサーGTi-R、ブルーバードSSS-Rなどモータースポーツにも説教的で、熱気が感じられる日産だった、Zの復活もありがたいけど、ヤリスGRに負けないくらいの公道のラリーカーを作って欲しい、日産が本気出したら出来るはず。
20年前自分が免許取った時の教習所の車はブルーバードでしたね。
この流れでシルビア解説を
…いやrs240特集を!
初めて買った車が、中古のU12前期のSSS-Rでした^ ^
この型のブルーバードセダンのプラモが、最近ハセガワから発売された。ハードトップも追加してくれんかな。懐かしい。910ブルーバードは、実家の近所の友達の家で乗ってたな。確か、2時間以上運転すると、なんらかの条件でコーヒーマークが出て、休憩しろって合図が出た?ハイテク機能があったはず。何度か乗せてもらったことはあるけど、さすがに片道30㎞圏内だと、そんなマークは見たこと中に。U13ブルーバードは、ワイが自動車教習所で乗った車です。
昔この車に憧れて中古車を買おうとした事・・・。ただ、担当者曰く「相当燃費悪いですよ」と言われて泣く泣く断念した記憶があります、
ちなみにこの車、ハードトップはジャッキアップするとドアが閉まらない位剛性感が無かったそうです。
親父が若い頃ブルーバードが好きで乗り継いでいたって言ってたなあ。
自分も小さい頃、家に白いセダンがあったのをおぼろげに覚えてる。
3代目のSSSラリー仕様はグランツーリスモでよく乗ってたな〜
WRCの猛者じゃないですかやだー
歴代ブルーバ一ドのデザインが好きです。
個人的にブルーバードというと、5代目の発売記念で作られた飛び出す絵本「幸せの青い鳥」(野間あきみち・絵 筒井敬介・文、非売品)と沢田研二がCMに出てた6代目です。
懐かしいですね??
SSSがスーパースポーツセダンの略だと
今日知りましたよ👍
丁度先日ブルーバードを買った自分には刺さる動画
6代目、オプション創刊号の列島キャノンボールで雨宮SA22Cの並走車のイメージ…両親の新婚旅行の写真で北海道でブルーバードのレンタカーに乗ってる写真が出てきました(親父の車はカンオケローレル)。生まれる前から日産車漬けだったとは…自分が免許取ってS130Z乗ってたのもシカタナイネ
箱型ブルーバードU11型式スーパースポーツサルーンで前期乗ってました懐かしいw初彼女を助手席に乗せて良く遊び行きました思い出深い車ですFRがパワーあってタイヤツルツルになっても前後ローテーションして乗ってて経済的にもいい車でしたねw
免許取って最初の車がU12ブルーバード4HT・SSSアテーサ・リミデッド最終型でした。これのエンジンを見てランエボⅢからSSS‐Rに乗り換えたYさん、今もお元気かなぁ…。
インプレッサが出た時、U12に似ているなぁって思って後にインプ乗りましたけど、やっぱ2リッター・ターボ・四駆はいいですね。
いつも楽しく見ています。だいぶ後でも良いのでDCTの解説をリクエストします(しくじりパーツ、とでも言うのでしょうか、車で言うと一時期のVWや3代目フィット)
親戚のおじさんの愛車がブルーバードでした。かなり歴史のある車だったんだなぁ・・・。
4枚ドア、2座席、ロールバー。確かコスワースピストンも入ってましたよねぇ。
こういうセダン今もあればなぁ…
いつかアクティクローラ紹介していただけませんか?
教習車がU12セダンだったけど、むっちゃ運転しやすかったなあ。
まだ陸別に試験場を作る前にニュージーランドのゲレンデ使って雪上試験をしてたというコマーシャルがあったなぁ。。。
さらに、栃木の工場のテストコースで技術開発ノートという販促動画も。。。
こういうカクカクしたセダン好きだなあ...
このカクカクした見た目で中身は最新...みたいなセダンでないかな、でないな(諦め)
ブルーバードは6代目が本当に好き。
今見ると結構カッコいいな。8代目はパルサーとかプリメーラぽさがあると思う。
手にしやすいスポーツセダンとして復活しないかなぁ…セダン人気、本当に無いって聞くしな…
お手軽スカイラインみたいな。てかノートベースかノート基準のセダン!(出来ればスライドドアのキューブかコンパクトミニバンも)
ブルーバード復活してレッドブル飲んで翼ができて空に飛び立つと言う夢を見た
14:03
N14型パルサーGTi-Rが控えてたからね。
U12のSSSハードトップで、色は黒がははじめての愛車でした😊
個人的には6代目かな。 FRだし、軽かったし、
スーパーシルエットのレースにも出てた車種だしね。
4:03
遊撃捜査班の覆面車
SSS-R前期型はコスワースピストンのせいで棚落ちする
いやあ~、免許は平成3年に取っているけど、昭和~平成初期にかけての日産は欲しい車がたくさんあったなあ。
このブルーバードの後には初代プリメーラーもあったし、ミドルセダンではローレルにセフィーロ、
サニーやパルサーにも4WD設定ではSR18DEを搭載していたと思う。
(パルサーのGTI-Rは別格だけどね。)そんな自分の最初の車はEB13サニー、R33スカイライン、Y31シーマと乗り継ぎましたが、
その後はBHレガシィ、BPレガシィとスバルになっています。
当時小学生で
親が乗ってました!
自分が免許取得したときに譲り受け
今も乗ってます。
同じ日産のスポーツセダン、初代プリメーラの解説もお願いします!(オーテックバージョンも🙏)