【下津井電鉄】前面展望(児島→下津井)瀬戸大橋建設中の頃
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- Опубліковано 10 лют 2025
- '86.3撮影:当時僅かに残っていた軽便の生き残り「下津井電鉄」でしたが、'88年の瀬戸大橋開通に伴う観光需要を期待しての大規模設備投資の甲斐もなく、'90年末には廃止されてしまいました。本動画では、おばちゃん達も大勢乗って地元の生活路線として息づいていた「昭和感」溢れる前面展望をお届けします。阿津駅から琴海駅まで、吊り掛け音を響かせながらぐんぐん高度を上げていき、まるで「登山電車」のようです。登場する瀬戸大橋は、まだメインケーブルが張られただけの貴重な姿です。
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↓「昭和の "非" 電車」再生リスト non-Electric Train
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参考文献:
JTB「ローカル私鉄車輛20年」寺田裕一著,
新潮旅ムック「鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線:中国四国」
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この電車は、私の通学電車でもありました。こんなに懐かしい車窓からの風景をもう一度見ることが、還暦を過ぎた今、できるなんって。夢のようです。この映像を撮影してくださった方、これをアップしてくださった方々に感謝!感謝です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
下電で通学されていたとは羨ましい! (元)地元の方からこのようなコメントをいただけると私としても大変嬉しく、動画投稿のモチベーションにもなります。
一昨日に「旧鷲羽山駅跡」に立寄りました🚞駅跡の少し先からの「下津井瀬戸大橋🌉」がとっても素敵でしたね😊現役時代の駅舎と比較できて、とっても素敵です🎉貴重な動画ありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
いいですね!最高の景色だったことでしょう。私も線路跡のサイクリングロードを走りに行きたいと思っています。
懐かしいです😂
小さい頃、
よく備前赤崎から
乗って下津井まで
行ってました😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
(元)地元の方から懐かしいとのコメントをいただくと、私も嬉しくなります。
工事中の映像、、、ありがとうございますm(__)m
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
下津井瀬戸大橋がメインケーブルのみの頃に電車と一緒に写っている画像や映像はネット上にあまり無いようなので、本動画は記録としてそれなりに貴重なものかもしれません。
@ 実際貴重であまり見なかったですし当時の鉄橋(?)を走行してる映像も全然みません、、、
いつも懐かしい昔の路線の紹介ありがとうございます。昔行きたかった路線も多く紹介されていて、学生でまだ遠くに行くことができなかった頃。こうしていろんな路線を紹介していただけると、まるで自分がその現地に行ったような気持ちになります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そのように言っていただけると、こちらとしても大変嬉しいですし、動画制作・公開のモチベが上がります。
再度、投稿させ貰いますが、本当にこの下津井電鉄の動画は瀬戸大橋開通前のごく普通のしかも昭和感満載ですね😉
鉄道模型(レイアウト)にはもってこい‼️
このあと、下津井電鉄が起死回生をかけて観光路線になろうとは・・・・・
(児島駅の改装、琴海駅の交換設備復活、新車メリーベル号、下津井駅構内の車輌展示)
瀬戸大橋開通3年後に廃線正に悔やまれます。動画改めてありがとうございました🙇
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本動画の主旨をご理解いただき嬉しく思います。瀬戸大橋開業後は、ある意味、テーマパークのような華やかさが(結果的に短期間となったにせよ)ありましたが、開業前のこの動画には、車内のおばちゃんたちの賑いや阿津駅の光景など、昭和の普通の日常風景が写っており、そこに価値があると勝手に思っております(笑)。
これは素晴らしい歴史の一コマの映像ですね。
一度は乗りたかったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
瀬戸大橋開業前の下津井電鉄の公開映像は少ないようなので、僭越ながら記録映像としての価値はありそうです。
全くその通りで、保存させていただきました。
ありがとうございます。
鉄道雑誌でしか知らなかった下津井電鉄ですが、落書き電車を始め、結構アグレッシブに存続に向けた活動をしていたので、こんなにアッサリ廃止するとは思っていませんでした。
動画を見る限りですが、民家のあるところに駅を何駅か設置しても良かった気がします。
貴重な映像をありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
瀬戸大橋開通による観光需要に期待して、児島駅の改装、琴海駅の交換復活、豪華な3両編成の新車導入などの投資がなされましたが、ナロー好き鉄道ファン以外の乗客のほとんどは、JR児島駅を素通りしました。両児島駅が離れていたのは、やはり致命的だったようです。投資するならJR駅への接続に対してなされるべきだったと思いますが、実際に動いたものの用地確保が困難だったのかもしれません。
@@昭和電車チャンネルそれだけでは御座いません。
「瀬戸大橋フィーバー」が予想より早く過ぎ去ってしまった事、JR本四備讃線の開通により、下津井電鉄のバス部門の経常収益が赤字に転じた事、瀬戸大橋建設の資材搬入道路が一般道に転用されたからです。
小学生の頃、一度だけ乗りました。子どもで、こちらのイスから反対がに飛べそうな気がするほど狭かったです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
座席の間の通路が、ホント狭かったですよね!
『しもでん』これも乗っておくんだった…。
ナロー軌間のレールの上を 良く揺れながら走っていたんですね。
昔の世田谷線位揺れてます。
屋根の下に裸電球がひとつだけついている『阿津駅』を出ると 上り勾配で勢いの付いていたモーター(歯車)音が段々とダウンしてくるのがわかり 中々の急勾配なのがわかります。
出力に余裕がないから ロースピードでの上りになりますが それでも粘るように上っていくのは小さくても流石『電車』です。
Ωカーブなんて スイスの登山電車(レーティッシュ鉄道 ベルニナ線)と同じですね。
動画でも解説があった通り かつては茶屋町から伸びていて 急行も運転されていたそうで その時代に乗ってみたかったなぁ。
『しもでん』は『西部警察』が 鷲羽山近辺でロケをした時も協力して 電車もワンシーンだけですが登場。
車庫では バスを一台爆破🚌💥しました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画内でもしつこく触れてますが、阿津から琴海までたった一駅の間に、ぐんぐん勾配を登って行く様は、まるで登山電車のようでした。Ωカーブがある点からも、仰るように「登山電車」の仲間(笑)ですね。茶屋町から出ていた頃に乗りたかったというのは本当にその通りなのですが、私は子供だったのでたとえ知っていたとしても無理だったでしょう。「西部警察」って、広電だけでなく、下電でも無茶なロケやってたんですね(笑)。
撮影された当時、まさに乗りに行っていました。架橋中の瀬戸大橋が見えたのを懐かしく思い出しました。
本四備讃線が開業しておらず、茶屋町駅・岡山駅・宇野駅から児島バスセンターまで下電バスを使いました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
貴殿のコメントを読んで、そういえば下電の児島駅までどうやって行ったんだっけ?とふと思いましたが、おそらく同じだったのでしょう。私はこのとき、鷲羽山ユースホステルに泊りました。
懐かしいのひと言☺️動画の瀬戸大橋の建設中の進み具合からして、同時期に1週間、下津井駅前旅館に、連泊して乗り、歩き、撮りまくりました😅駅員さんからの新車導入の話を
、聞かされて、まだまだ下電は、大丈夫だな😊と、思っていただけに、数年後の廃止は、残念でした😢廃線跡の探索でもしてみようかと😅今でも、駅前旅館の2階の部屋から、下電が夕陽に照らされる中、到着して乗客が、フェリー乗り場へ、急ぎ足で向かう光景を、眺めていた時を、鮮明に覚えています😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
下津井駅前旅館(レトロな和風を勝手に想像しています)に1週間も連泊されて下電を撮りまくっておられたとは! 羨ましい限りです。私は鷲羽山ユースホステルに一泊の駆け足旅行でした。新車(メリーベル号)の話はもう出ていたのですね。
瀬戸大橋線に乗ると廃線跡が見える箇所がありますね。
児島競艇場の近く。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
児島寄りにもあるのですね。私が以前乗った際は、琴海駅辺りの跡地が車窓から見えた記憶があります。
@@昭和電車チャンネル
今は九州住みですけど以前は岡山にも住んでいました。下電が健在だった頃ですので映像は懐かしいです。下電が廃止になった時、実は岡山では、もう1つ廃止になった鉄道があるんですよ。
下津井に初めて出向いた時、既に児島駅は動画のような駅からハイカラ()な廃墟駅の様相でかなりの減便がされた後でした。
両数を減らされたマリーベルに乗り、日高川のような阿津、交換施設が無意味になった琴海を経て、途中鷲羽山で旅番組のロケハンしていた故東野英心氏と同席したり、なかなか盛りだくさんでした。
下津井でホジ3を眺めて、フジカラー電車で帰ってきました。そして、これが最初と最後になるとは…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この動画は、瀬戸大橋開通前の '86年訪問時の映像ですが、私は瀬戸大橋開通直後の '88年に再訪しております。その際はメリーベル号には中間車がありましたし、下津井駅を公園のようにするなど、全体的に活気がありました。貴殿が訪問されたのは、かなり末期の頃だったようですね。
@@昭和電車チャンネル メリーベル号でしたね😅
記憶が定かでないですが、乗りに行ったのが89~90年かと思います。
下津井電鉄、懐かしいです。
宇野に遊びに行ったのに、目的の下津井電鉄は乗りそびれてしまいました。
ナローは好きで、近鉄のナローは乗ったのに、大物は乗り過ごしてしまった。
今となっては、後悔するばかりです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
茶屋町接続は遠い昔になくなっていたので、わざわざ乗りに行くには、かなり不便でしたよね。(特にJR児島駅ができる前までは)
瀬戸大橋、そしてJR本四備讃線の開通が下津井電鉄に止めを刺したのでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
観光客を呼び込むどころか・・・ということだったようですね。
1982年頃には「赤いクレパス号」と名付けたいわゆる「落書き電車」を新設するなど、当時の下津井電鉄社長は味なことやる演出をやってくれました。「味なことやるマクドナルド」ならぬ「味なことやる下津井電鉄」。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
朝のテレビ番組に取り上げられたりして、たしかに「落書き電車」は話題作りには大いに貢献したでしょうね。ただ、電車が落書きされ放題というのは、個人的にはちょっと馴染めなかったですね・・
瀬戸内海の本島にキャンプに行くのに岡山駅で国鉄から下津井電車に乗り換えた時、電車の余りの小ささに驚いたのを思いだします。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
車体が思いのほか小さかったですよね。私は身長は高く無いですが、それでも天井がかなり低く感じました。
すげー。貴重映像すぎるw
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
瀬戸大橋開通後の動画はそこそこあるようですが、開通前の動画は結構貴重かと思います。
ナローゲージ&完全飛び地路線で有名でしたね。
昔は四国連絡で活況を呈したことでしょう。
箱庭的でかわいらしくありながら、四国に渡る連絡線という役割もあって、ロマンも感じますね。
乗って見たかった路線の一つです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
国鉄茶屋町駅で接続していた'72年までは四国への連絡ルートとして機能していたでしょうが、児島駅までが廃止されてからは、さっぱりだったでしょうね。私は下電訪問時に下津井の町並みを散策し、丸亀まで船で渡りました。下津井も丸亀も、私好みの古い町並みが残っていて個人的には大満足でしたが、本四連絡のメインルートからは完全に外れている感じでしたね。
懐かし~
おかんの田舎だったので小さい頃はよく下津井に帰って下津井駅に待機してる電車に乗って楽しんでましたよ♪動画upありがとう"(ノ*>∀
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
児島駅では無理ですが、下津井駅ではいつも何かしら電車が待機していたようですね。
前面展望を見ている限りでは、それほどナローゲージ感はないものなんですね。
それにしても豪快に揺れまくりです!またそれを意に介さずにしゃべり続けるおばちゃんは強いわ。
当時はまだ下津井から四国に渡るフェリーが出ていましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
実際に地面に降り立って見ると、ナローゲージの特異さがよく判るのですが、仰るように離れて見る限りでは実感があまり感じられないですね。当時は、盛大に揺れる地方鉄道ばかり乗ってましたので、下津井電鉄が特に揺れるという印象はありませんね(笑)。下津井から、たしか丸亀まで連絡船があり、1回は乗った記憶があります。
こんにちは🙇
何時もの楽しく見させてもらっています‼️
今回の下津井電鉄自分は瀬戸大橋が完成した直後に訪問しましたので、今回の動画はとても参考になると同時に懐かしく見させ貰いました。
この時点では自分もこの瀬戸大橋が完成すれば下津井電鉄も正に起死回生観光客がどっと来るのではと思っていました。
事実、下津井電鉄自身も琴海駅の交換設備の復活、新型車輌(メリーベル号)、下津井駅のリニューアル等々経営努力につとめてきました(自分もメリーベル号には乗りました)
あと、らくがき電車、下津井駅構内に元井笠鉄道の車輌他の展示したりしましたが、終焉は呆気なく訪れてしまい、自分も残念でした😢
今回も素敵な動画をありがとうございました🙇
追伸:鷲羽山駅からの瀬戸大橋の眺望は自分も撮影しましたが、圧巻の一言に尽きる素晴らしさでしたね😄😄😄
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は、瀬戸大橋開通前の '86年に初訪問したのですが、開通直後の '88年に再訪した際には、書かれているような諸々の投資ぶりに目を見張ったものでした。鉄道関係者にも活気が感じられ、まさか廃止されるとは思っていなかったので3度目の訪問は叶いませんでした。地域の一大転機を味方にできず廃止となったのは大変に残念ですが、見方を変えると、日本中の中小私鉄が廃止ラッシュとなっていた '60~'70年代に全廃を免れ、その後「陸の孤島」路線ながら更に20年近くも存続したというのは、奇跡と言えるのかもしれません。
'88年に再訪時は、鷲羽山駅の延長ホームからの眺望が本当に素晴らしかったです。ただ、'86年の初訪問時に存在した鷲羽山の駅舎が跡形もなくなっていたのには大変ショックを受けました。木造で暗い感じの駅舎には、まさに昭和戦前の「厳かな」雰囲気があり、夕方の光が相まって感動すら覚えたものです。この映像も、今後の動画で紹介する予定です。
何時も、お忙しい中の返信本当に感謝します。今回の動画を含め、何時も丁寧な取材には感心しています。
自分が行った事が無かったり、既に廃線になって惜しくも乗れなかった所でも本当に有り難い取材ですね😉
次回も又、楽しみしています。
せめて児島駅をJR児島駅の近くに移転できていれば、乗り継ぎ客がそれなりにいたと思うので存続出来てたと思うんです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
同感です! メリーベル号や琴海駅交換復活への投資より、児島駅移転の方を優先すべきだった気がしますが、まあ用地取得が難しかったのでしょうね。
昭和よんじゅ
本四連絡橋と引き換えに廃止になった、或いは衰退を余儀なくされた、陸・海の交通事業者、下津井電鉄もそのひとつですね。島に架かる一本の橋が出来ることによって、その地方、大袈裟に云えば国の成り立ちまでもが変わる、その地方に生きる人々の生活、糧までも奪ってしまう、下津井電鉄の終焉は、そんな悲哀を見せつけられました。地方の衰退が原因の廃止であれば、至極、納得のゆくところなのですが。僅か1~2年で廃車になったメリーベル号も哀れでなりません。話しは逸れますが、南海フェリーのように衰退しながらも、頑張っている事業者も忘れないで、そしてもれなく利用して頂きたい、切に思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰るように、いろいろと考えさせられる案件でしたね。もしJR児島駅に接続移転できていれば、下津井電鉄の存在を示すことができ、観光客をある程度呼び込めたと思われますが、あの状態でわざわざ乗りに行くのは鉄道ファンくらいだったでしょうね。駅移転は当然検討されたと思われますが、時はバブル拡大中、地価も高騰し、資金的に困難だったのでしょう。下津井電鉄と似たような境遇として、東北新幹線の開通と南部縦貫鉄道(開通を待たずに廃止)や十和田観光電鉄(開通後なのに寧ろ苦境となり廃止)との関係が思い出されます。背景はそれぞれ異なりますが、観光需要などの旅客の流れの大きな変化のあおりを受けたという点で共通する気がします。
再度、投稿させ貰いますが、本当にこの下津井電鉄の動画は瀬戸大橋開通前のごく普通のしかも昭和感満載ですね😉
鉄道模型(レイアウト)にはもってこい‼️
このあと、下津井電鉄が起死回生をかけて観光路線になろうとは・・・・・
(児島駅の改装、琴海駅の交換設備復活、新車メリーベル号、下津井駅構内の車輌展示)
瀬戸大橋開通3年後に廃線正に悔やまれます。動画改めてありがとうございました🙇