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イギリスの国の成り立ちをここまで明解に聞いたのは初めてですが…北欧、北ドイツ、北フランスからイングランドへの侵略移動が結構ややこしいです🥴頭の整理が必要…
この動画と関係のないことなのですが、先ほど俵万智さんのツイートで、息子さんがN予備校の世界史の授業をとっており、先生の授業を聞き入ってしまうくらい面白かったと仰ってました。
俵万智さん❤️
@@maomao96363 この講義万智がいいねといったのでチャンネル数が伸びるといいな!俵記念日
いつも動画拝見させて頂いております。英国史でノルマン・コンクエストの時に、大量のフランス語が英語に侵入したと聞いたことがあります。では “フランス語を話すノルマン人がイングランドを征服した”という理解で宜しいのでしょうか。
その通りです。百年戦争期まで英国貴族はノルマン・フランス語を話し、庶民は英語を話していました。豚のことを貴族はpoke、庶民はpigと言ったのです。
@@maomao96363 返信頂けるなんて光栄です。ありがとうございます。世界史を学ぶど日本の皇室がどれだけ 奇跡とも言うべき立ち位置にいらっしゃるか分かります。
先生、早速のご教授ありがとうございました。自分なりに考えていた答えとほぼ同じでした。教科書や参考書にはこの答えはありませんよね
英語の単語の中にフランス語っぽいややこしいスペルのものが混ざるようになったのは、ギョームのノルマンコンクェストがあったからですね。
ちょうどヴィンランド・サガ(漫画)の電子書籍買ったばかりなので予備知識助かりました
デンマーク王室は非連続でイギリス王室は連続でも、2番目に古い王室はデンマークというわけですね。
スラヴ人の語源がスレーブだったなんて気がつきませんでした...言われてみればそのまんまです...バイユーのタペストリー、数年前に見に行きました!今は美術館に飾られていて、ベルトコンベアーのように観光客が移動させられてゆっくり見れなかった思い出が...このころから英仏のいがみ合いは始まったのですね。「サリカ法のせいで百年戦争が起こった!」なんて日本で女系推進している方が言ってましたが、そんなの後付の理由で外戚が相続問題に首を突っ込んでくると碌なことにならないのだと改めて実感しました。
バイユーのタペストリ、こちらでゆっくり見られます。www.bayeuxmuseum.com/en/the-bayeux-tapestry/
わざわざご紹介頂きありがとうございます!美術館で本を購入したことを思い出し、読んでみたくなって探しましたが今まで興味があんまりなかったので(汗)どこかにしまってしまったらしく見つかりません...先生のお話を事前に聞いていたらまったく違う目で鑑賞できたのに...猫に小判で勿体無い事をしました。
Could you please tell me about the music you play at the end of your recent lectures including this one. Is that from a film soundtrack? Please give me the details. Thanks!
Here it is, it's free. ua-cam.com/video/jsJlkI0Reyo/v-deo.html
そもそも論的な質問です。同じ質問をされたかもしれません。以下、お願いします。なぜ、同じフランク族が東西に割れただけなのに、言語かまったく違うのでしょうか?具体的にはドイツ語とフランス語の違いです
ライン川を境に西がローマ帝国領でラテン語圏、東がゲルマニアでドイツ語圏。もともとドイツ語を喋っていたフランク人は、ライン川を超えて帝国領内に侵入し、そこにいたローマ人たちと混血しました。これがフランスです。川の西の純粋ゲルマン人地域がドイツになったのです。
イギリスの王はこのノルマン人(フランス)にすり替わり、スコットランドからジェームズ1世を迎え入れ、神聖ローマ帝国(オーストリア?)のジョージ1世を迎え入れ、全くイギリスの血を受け継がない王を迎え入れる感覚が日本とは違って不思議だと思いますがイングランド人はそこにこだわりはなかったんでしょうか?それでも王を立てたのは宗教的意味合いからなんでしょうか…?
王朝交代の際にも、母系では繋がっています。各国の王族と婚姻関係があったからです。日本でいえば、内親王様をアジア諸国の王族に嫁がせ、生まれた王子を天皇に迎えるという感覚です。
わかりやすい例えで感激しました!
EUは狭いので陸上で栄えたのでなく海上で栄えていったことが面白い
ヴィンランド・サガでクヌート出てた。
勉強になりました。ありがとうございました。スラブ民族のSLAV=SLAVE (奴隷)由来は、始めて知りました。もしかすると、ユーゴスラビアとか、スロベニア、スロバキアとかのSLA (O)Vも、語源は同じかもな、と思いました。でも、自分たちの民族名の由来が、奴隷から来ている、ということに、ある意味、重いものを背負っているな、と感じました。ところで、英国と同じ島国である日本が、英国とは全然違い、大陸からの侵攻を免れてこれたのは、何か、条件的に恵まれていた、ということでしょうか?いずれにせよ、その事には感謝せずにはいられなくなりました。どうもありがとうございました。
あ、それ逆です。slav民族→slaveの順番です。
@@maomao96363 了解しました。ありがとうございました。
イギリス人とドイツ人、互いに相手をどのように思っているいるのだろう?見方としては、遺伝的なものもあるだろうし、歴史や文化・思想面もあるだろうし。日本人としては中国人や朝鮮人に中華思想を押し付けられてウンザリしているので、興味わきます。
なるほど・ザ・ワールド!
今のシチリアや南イタリアにも北欧系の金髪・長身の人も今もいるのかな?さすがに1000年も経つと混血してしまったのかな〜
南はアラブの血の方が濃いですね。北のミラノあたりに行くと、比較的金髪碧眼系の人が多いです。
七王国とか壁がゲームオブスローンズの元ネタなのかな
長城、簡単にまたげますやん 6:37
ちょうど興味あったところ。やったー。
え、ヘースティングスが秒殺??ハロルドはノルウェーと戦った直後だったもののかなり優位に戦ったものと理解してました。しかし、流れ矢によってハロルドが死に決着したと。イングランド側はローマ流の盾の壁を使うのに対してギョームはノルマンなのにフランク流の騎兵、騎士を使う戦いだったと昔読みましたが。
アマプラのヴァイキング海の覇者面白かった。トラヴィス・フィメルがめちゃかっこいい
いつも先生の動画を楽しく拝見させて頂いておりますm(__)m昔、新幹線でたまたま隣に座ったデンマーク人と自国の英雄は誰だ?みたいな話になりまして、軒並みですが僕は神武天皇だと答え、デンマーク人はスキョル(skjold)だと答えました。デンマルク最初の王朝がスキョル朝であり、ロスキレ(Roskilde)周辺のライレ(Lejre)が当時の都で、この地には羨道墳だらけ・・・と言う事迄はわかるのですが、肝心のスキョル王についての事跡や逸話が全くわかりません。日本で知りえる古いデンマルク王はゴッドフレッド(Godfred)ぐらいまでですので、非常にモヤモヤしています。デンマーク海軍の戦艦名にもなり、今の時代もデンマーク人に英雄と謳われる、盾と言う名を冠する謎多き?王・スキョルについて、よろしければご教示頂きたく思います。
日本語の文献はないようです。図書館でこれを探してみてはいかがでしょう。www.amazon.co.jp/Knytlinga-Saga-History-Kings-Denmark/dp/8774925717
@@maomao96363 ありがとうございます!!ciniiで調べると阪大の図書館にあるみたいですので、今度閲覧しに参ろうと思います。ご教示下さりありがとうございました!!!
イングランド原住民可哀想w
イギリスの国の成り立ちをここまで明解に聞いたのは初めてですが…
北欧、北ドイツ、北フランスからイングランドへの侵略移動が
結構ややこしいです🥴
頭の整理が必要…
この動画と関係のないことなのですが、先ほど俵万智さんのツイートで、息子さんがN予備校の世界史の授業をとっており、先生の授業を聞き入ってしまうくらい面白かったと仰ってました。
俵万智さん❤️
@@maomao96363
この講義
万智がいいねと
いったので
チャンネル数が
伸びるといいな!
俵記念日
いつも動画拝見させて頂いております。英国史でノルマン・コンクエストの時に、大量のフランス語が英語に侵入したと聞いたことがあります。では “フランス語を話すノルマン人がイングランドを征服した”という理解で宜しいのでしょうか。
その通りです。百年戦争期まで英国貴族はノルマン・フランス語を話し、庶民は英語を話していました。豚のことを貴族はpoke、庶民はpigと言ったのです。
@@maomao96363 返信頂けるなんて光栄です。ありがとうございます。世界史を学ぶど日本の皇室がどれだけ 奇跡とも言うべき立ち位置にいらっしゃるか分かります。
先生、早速のご教授ありがとうございました。
自分なりに考えていた答えとほぼ同じでした。
教科書や参考書にはこの答えはありませんよね
英語の単語の中にフランス語っぽいややこしいスペルのものが混ざるようになったのは、ギョームのノルマンコンクェストがあったからですね。
ちょうどヴィンランド・サガ(漫画)の電子書籍買ったばかりなので予備知識助かりました
デンマーク王室は非連続でイギリス王室は連続でも、2番目に古い王室はデンマークというわけですね。
スラヴ人の語源がスレーブだったなんて気がつきませんでした...
言われてみればそのまんまです...
バイユーのタペストリー、数年前に見に行きました!
今は美術館に飾られていて、ベルトコンベアーのように観光客が移動させられてゆっくり見れなかった思い出が...
このころから英仏のいがみ合いは始まったのですね。
「サリカ法のせいで百年戦争が起こった!」なんて日本で女系推進している方が言ってましたが、
そんなの後付の理由で外戚が相続問題に首を突っ込んでくると碌なことにならないのだと改めて実感しました。
バイユーのタペストリ、こちらでゆっくり見られます。www.bayeuxmuseum.com/en/the-bayeux-tapestry/
わざわざご紹介頂きありがとうございます!
美術館で本を購入したことを思い出し、読んでみたくなって探しましたが
今まで興味があんまりなかったので(汗)どこかにしまってしまったらしく見つかりません...
先生のお話を事前に聞いていたらまったく違う目で鑑賞できたのに...猫に小判で勿体無い事をしました。
Could you please tell me about the music you play at the end of your recent lectures including this one. Is that from a film soundtrack? Please give me the details. Thanks!
Here it is, it's free. ua-cam.com/video/jsJlkI0Reyo/v-deo.html
そもそも論的な質問です。同じ質問をされたかもしれません。
以下、お願いします。
なぜ、同じフランク族が東西に割れただけなのに、言語かまったく違うのでしょうか?
具体的にはドイツ語とフランス語の違いです
ライン川を境に西がローマ帝国領でラテン語圏、東がゲルマニアでドイツ語圏。もともとドイツ語を喋っていたフランク人は、ライン川を超えて帝国領内に侵入し、そこにいたローマ人たちと混血しました。これがフランスです。川の西の純粋ゲルマン人地域がドイツになったのです。
イギリスの王はこのノルマン人(フランス)にすり替わり、スコットランドからジェームズ1世を迎え入れ、神聖ローマ帝国(オーストリア?)のジョージ1世を迎え入れ、全くイギリスの血を受け継がない王を迎え入れる感覚が日本とは違って不思議だと思いますがイングランド人はそこにこだわりはなかったんでしょうか?それでも王を立てたのは宗教的意味合いからなんでしょうか…?
王朝交代の際にも、母系では繋がっています。各国の王族と婚姻関係があったからです。日本でいえば、内親王様をアジア諸国の王族に嫁がせ、生まれた王子を天皇に迎えるという感覚です。
わかりやすい例えで感激しました!
EUは狭いので陸上で栄えたのでなく海上で栄えていったことが面白い
ヴィンランド・サガでクヌート出てた。
勉強になりました。ありがとうございました。スラブ民族のSLAV=SLAVE (奴隷)由来は、始めて知りました。もしかすると、ユーゴスラビアとか、スロベニア、スロバキアとかのSLA (O)Vも、語源は同じかもな、と思いました。でも、自分たちの民族名の由来が、奴隷から来ている、ということに、ある意味、重いものを背負っているな、と感じました。
ところで、英国と同じ島国である日本が、英国とは全然違い、大陸からの侵攻を免れてこれたのは、何か、条件的に恵まれていた、ということでしょうか?いずれにせよ、その事には感謝せずにはいられなくなりました。どうもありがとうございました。
あ、それ逆です。slav民族→slaveの順番です。
@@maomao96363
了解しました。ありがとうございました。
イギリス人とドイツ人、互いに相手をどのように思っているいるのだろう?
見方としては、遺伝的なものもあるだろうし、歴史や文化・思想面もあるだろうし。
日本人としては中国人や朝鮮人に中華思想を押し付けられてウンザリしているので、
興味わきます。
なるほど・ザ・ワールド!
今のシチリアや南イタリアにも北欧系の金髪・長身の人も今もいるのかな?さすがに1000年も経つと混血してしまったのかな〜
南はアラブの血の方が濃いですね。北のミラノあたりに行くと、比較的金髪碧眼系の人が多いです。
七王国とか壁がゲームオブスローンズの元ネタなのかな
長城、簡単にまたげますやん 6:37
ちょうど興味あったところ。やったー。
え、ヘースティングスが秒殺??
ハロルドはノルウェーと戦った直後だったものの
かなり優位に戦ったものと理解してました。
しかし、流れ矢によってハロルドが死に決着したと。
イングランド側はローマ流の盾の壁を使うのに対して
ギョームはノルマンなのにフランク流の騎兵、騎士を使う戦いだったと
昔読みましたが。
アマプラのヴァイキング海の覇者面白かった。
トラヴィス・フィメルがめちゃかっこいい
いつも先生の動画を楽しく拝見させて頂いておりますm(__)m
昔、新幹線でたまたま隣に座ったデンマーク人と自国の英雄は誰だ?みたいな話になりまして、軒並みですが僕は神武天皇だと答え、デンマーク人はスキョル(skjold)だと答えました。デンマルク最初の王朝がスキョル朝であり、ロスキレ(Roskilde)周辺のライレ(Lejre)が当時の都で、この地には羨道墳だらけ・・・と言う事迄はわかるのですが、肝心のスキョル王についての事跡や逸話が全くわかりません。日本で知りえる古いデンマルク王はゴッドフレッド(Godfred)ぐらいまでですので、非常にモヤモヤしています。
デンマーク海軍の戦艦名にもなり、今の時代もデンマーク人に英雄と謳われる、盾と言う名を冠する謎多き?王・スキョルについて、よろしければご教示頂きたく思います。
日本語の文献はないようです。図書館でこれを探してみてはいかがでしょう。www.amazon.co.jp/Knytlinga-Saga-History-Kings-Denmark/dp/8774925717
@@maomao96363 ありがとうございます!!
ciniiで調べると阪大の図書館にあるみたいですので、今度閲覧しに参ろうと思います。ご教示下さりありがとうございました!!!
イングランド原住民可哀想w