【逆説の日本史】における豊臣秀吉の朝鮮出兵
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- Опубліковано 14 сер 2020
- コメントでもご指摘ございますが、井沢元彦氏は、小説家であり自称・歴史研究家で、専門の歴史学者の方ではありません。
なので、今回の朝鮮出兵の説の信ぴょう性を保障するものはありません。
また、井沢氏の著書には歴史学者の方々を批判するような内容も見受けられ、そういったスタンスを肯定する気はまったくありません。
ただ、そういった人の書いた「逆説の日本史」がベストセラーになっている事実があります。
私自身もまだまだ勉強中の身でございます。みなさんからご教授いただければ幸いです。
参考文献…逆説の日本史 (井沢元彦 著)
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#日本史 #豊臣秀吉 #戦国時代 - Розваги
コメントでもご指摘ございますが、井沢元彦氏は、小説家であり自称・歴史研究家で、専門の歴史学者の方ではありません。
なので、今回の朝鮮出兵の説の信ぴょう性を保障するものはありません。
また、井沢氏の著書には歴史学者の方々を批判するような内容も見受けられ、そういったスタンスを肯定する気はまったくありません。
ただ、そういった人の書いた「逆説の日本史」がベストセラーになっている事実があります。
私自身もまだまだ勉強中の身でございます。みなさんからご教授いただければ幸いです。
歴史学者の視点では気づかないこと、世界史との関わりの視点など鋭い分析だと思いますよ。この本。
井沢さんは根拠を積み上げて仮説を立て、それを検証するというスタンスなので、
絶対正しいかというところは疑問符が付くけど、説の立て方として筋は通っていると思う。
対して、学者連中は学術会議の件もしかり、例外もあるが、ほとんど民間企業では役立たずのクズ連中と言って差し支えない。
秀吉は唐入りを明言しているし、実際江戸時代初期に浪人対策で混乱した事実を考慮すれば、遅れてきた大多数の兵士も望んでいたことは容易に想像できます。
当時の日本は世界最大の金銀産出国でしたから、造船技術の交渉の余地はあったんじゃないかと思います。
明へ直接侵攻できなかったこと。これはアルマダの海戦も影響しているんじゃないかと思います。
それと、情報不足による混乱は失策と思う。もし信長だったらこうはならなかったと思います☆彡
長文すいませんでした。
肥前名護屋城跡に1度来てみて下さい。
@@jupiter6550 正直井沢のは学説としては問題外。呉座勇一先生との論争も惨敗してたし
@@user-rj5uz3qj2l
そうかな。
この世に完全無欠の学説など存在しないしマルクス史観や皇国史観を相対化した1つの学説として井沢史観はかなり意味があると思うが。
まず、井沢元彦さんは小説家であって、地味な一次資料を丹念に読み込んで中立的な観点から事実を確定する、小和田先生のような歴史家ではありません。歴史上の通説に反対する受けの良い説を唱えて目立つことに主眼があります(何を言えば受けが良いかを判断するセンスは素晴らしい)。
明と戦うのであれば、長距離航海する船を多数準備することは絶対条件であり、後の日露戦争でも制海権を抑える目処がついてから開戦しています。船を準備できないならその時点で諦めるべき。また、後の清や明の前の元なども、相手の弱点を徹底的に探ってまずは外交的手段で突いてから有利な状況を作り出して初めて現実の戦闘に及んでいます(日露戦争では世界最強のイギリスと同盟し、ロシアの革命勢力を焚きつけてロシア内部を厭戦方向に導いています。)。
自ら朝鮮や明の情報を徹底的に集めずに対馬の宗氏の言い分を信じたのであれば、その時点で敗北は必至です。歴史上、情報収集やシミュレーションを怠って最終的な勝利を手に入れた例はありません。歴史を学ぶって、そういうことですよね。
晩年の秀吉は日本だけでなく、朝鮮と明にとっても災厄としか言いようがないですね。
徳川家康とヌルハチが利益を得ましたね。
そうかな。
例えば戦争の天才と言われた石原莞爾は【日露戦争は負ける戦争だった。大東亜戦争は勝てる戦争だった】と述べている。
準備が上手くいって勝ったように見える戦争だけを取り上げ秀吉を非難しても意味はない。
それより秀吉がどういう絵を描いていたかを想像する方が建設的だ。
例えば文禄の役と同年に中国ではボハイの乱が起きている。
さらにその前年に中国では楊応龍の乱も起こっている。
いわゆる万暦の三征
つまり秀吉の朝鮮出兵前後で中国では北に南に次々に反乱が起こって明は揺さぶられていた。
そして明はそのダメージで滅亡。
この反乱を読んでの朝鮮出兵ならば秀吉がボケていたとは言えまい。
漢城に集結した際に、加藤清正を始めとする豊臣武断派の意見を聞いて明との戦争を続行していれば、明を攻略できた可能性はあるな。
@@user-er2pr7wj2y
無理です。
戦国時代の日本軍では朝鮮すら統治できなかったのは歴史が示した通り。
また、石原莞爾が「日露戦争は負ける戦、大東亜戦争は勝てる戦」と言ったのは、彼流の極論であり、本気で言ってるなら、ただのバカという事になりますw
石原莞爾は東條英機と対立したことで、連合国からすれば戦犯とはされなかったが、日本からすれば帝国滅亡の戦犯ですね。
頭はよかったかもしれないが、世界最終戦争を思いこみ、大本営を騙し、謀略を用いて勝手に戦争を引き起こしたことは、日本に対する大変な犯罪です。
軍人としての立場を大きく超えた異常な思想家です。
大東亜戦争の指揮を、東條英機ではなく、石原莞爾が執っていたとしても、海軍との連携どころか、陸軍すらも統制できないだろうから、勝てるわけはありません。
@@thedeathtiny4928
【木下藤吉郎時代の秀吉では日本すら統一出来なかった】という論法ね?
@@thedeathtiny4928
石原莞爾が帝国を滅亡させたという証拠は?
あと海軍の連携と陸軍の統制を取れなかった証拠は?
与えるべき領地がないのは豊臣政権のウイークポイントでした。平和な世の中にはなれば失業が出るからです。徳川幕府も浪人問題は社会問題になりました。
鎌倉時代の元寇の時と似ていて褒美の土地が無かったですよね。
関ケ原の合戦は余った諸侯のリストラでした。諸侯の数が半減し国内整理ができました
武断から文治に移行した綱吉はもっと評価されていい
豊臣政権に最初から与える領地など無いよ。
侵略しては部下に与えるの繰り返し。
瀬戸内海を渡って四国を侵略して部下に与えたり、下関を渡って九州を侵略して部下に与えたり、それが朝鮮出兵では日本海を渡って朝鮮を侵略しただけの話だよ。
豊臣家の場合はずっと戦争しないと新しく創造した「豊臣」姓の存在意義としての「武威」も維持できない問題もあるのよね…
軍師官兵衛で安宅船の船内が出てきた時に無性に興奮しました笑
面白かったです。
いつも逆説しないといけないので大変ですね 井沢さんお疲れ
ホワイトボードの字が、とても見やすい
逆説の日本史、以前に読みました! でもこの解説をお聞きして さらに面白い❣️ って感動しました。メリハリついた、わかりやすい解説、ありがとうございます!
大変分かりやすかったです!
いいチャンネル見つけた~🎵🤤
攻勢終末点を事前に設定してなかったことでしょ。野放図に戦線拡大したら、補給が追いつくわけがない。
補給で撤退したわけではありませんよ。
信長様の世界征服を引き継いだだけなんだよねぇ
字が綺麗
Netflixの エイジ オブ サムライ エピソード5を見た後だったのでホッとしました。
なんか小西と組んで宋が秀吉騙した話だったみたいだけど
秀吉が本気で李氏朝鮮を宗氏の配下にある国だとなんて思ってたとは思えないんだけどさ
つまりは後世の作り話ですね。
@@user-er2pr7wj2y それってあなたの感想ですよね?
とてもわかり易いです。勉強になりました。
めっちゃ勉強なります
バテレン追放令は日本人奴隷として海外に売られている事実もあり、バテレンが断ったからではなく複数の事案を含めてです。また宣教師の奴隷の者が九州の奴隷市場で女性を買い航海途中に弱ったので海に捨てたと、宣教師の人が本国の友人へ宛てた文書などが見つかったりもしてます。和訳した書物も販売してますよ。
それよりも単純にキリシタン大名たちの台頭を防ぎたかったのでしょう。
黒田官兵衛や千利休の粛清ね。
この当時、世界はキリスト教徒たちに侵略されまくりですからね。
井沢さんの逆説の日本史面白いですよね
右寄りの人。
...いつも興味深く拝聴させて頂いております。御考察,素晴らしいですね!私もほぼ同じ思いでです。秀吉さんが(もうこの国には家来に与える領地が無い!)(だから海外に国土を伸ばす!)と,悩んでいた記録が残っております。ただ,この頃から(認知症)を病んでいるとの見解も今,論説もあります。思う節がありますね...。
記録の書物の名前は?
西郷隆盛の征韓論みたいなのが根底にあったんじゃないかな。つまり不満の解消と失業対策。満洲も似たような経緯だし。
明の初代皇帝の朱元璋も秀吉と同じ農民出身です。
あっちは生い立ちがもっと悲惨。
戦国史の中でもアンタッチャブルな話題でしたが、
とても冷静に話されていて、
ブシドーさんの真骨頂を感じました。
内容についても、自然と避けていた話題なのでよく知らなかったのですが、
大まかに流れが理解できました。
足利義満「せっかく明と仲良くなったのに何してんねん」
秀吉が死んだから、撤退した。
秀吉軍の本隊や徳川、伊達、上杉、前田の軍はまだ日本にいた。
だから、秀吉にとっては戦いはこれからだと思っていたんだろう。
おっしゃるとおり。
秀吉の政策の失敗で撤退したのではなく、秀吉という指揮官のあとを継ぐものがいなくて撤退したのですから。
@@user-er2pr7wj2y それで文治派と武断派の対立が発生し、豊臣政権が滅ぶと
本当の戦いはこれからだ!
短期間で連載を打ち切られるジャンプの最終回
板書が美しい
当時大航海時代でスペインやポルトガルがアジアを植民地同様の政策で占領してきた
その危機を理解していた秀吉が朝鮮や明へ出兵させて2国へ牽制することが文禄、慶長の役の理由になる
鶴松が亡くなっておかしくなったとか、大名に与える土地がないとかは違うと思います。
ソースはあるの? 無ければあなたの”思います”の話でしかないが。その理由だとマレーシア、フィリピン方面への出兵になるはず。
@@BronzyTetsuya さん直接そちらへ向かえばスペインやポルトガルとぶつかりますよね?
秀吉もいきなり強国との戦いは避ける形で日本からすぐ近くの朝鮮へ出兵したと解釈してます。
@@sper3439 結局ソースは無いんだ。スペイン、ポルトガル第一、明国第二だと仮にすれば、台湾を押さえるとか、帆船を建造するとか、大砲の生産に力を入れるとかしてます。
@@BronzyTetsuya
それはこの動画も同じ。
日清戦争と同じ構図と私は考える。
欧州勢力を東アジア共同で防衛するか、そうならなければ日本が統治して防衛する。
あるまだ艦隊が破れその必要はなくなった。
ただ、日本がチャイナの影響力を排除し、経済的にもチャイナ銭から脱却したというのが本質だろうと思う。
当時の状況下で日本が一番嫌な状況は南蛮に乗っ取られた明が日本に攻めて来るのが怖いですよね。
「逆説」は義務教育以降、日本史に舞い戻るきっかけになりました。対外遠征ネタは掘り下げると面白い。最近のNスぺでも扱ったように、世界との関わりが大きかった。信長・秀吉体制が数年長ければ、日本史も変わったでしょう(家康は全く別のベクトル)。
家康公はどちらかというと明智とベクトルが似ている気がするのですが、いかがでしょうか。
家康が海外をまったく無視していたわけではない。
平戸と長崎を通じてふつうに外交をしていたしね。
また、釜山まで運んでもその先の陸上輸送に目処がつかず、港に積まれたままだった。
「対馬が朝鮮を支配していると秀吉が勘違いした」という話になにか証拠はありますか?突拍子がない話としか思えませんが。エビデンスのない話を信じるのはなかなか難しいですね。
加藤清正が大河ドラマの主役になったら、朝鮮出兵はどう扱うでしょうね。
あるいは、扱いが難しいゆえに清正は主役にならないのか。
気になります🤔
8:30 踏み絵は江戸時代からですよー
朝鮮出兵(唐入り)失敗の原因
①徳川家康の存在
本来東の辺境に位置する島国の日本は、防衛戦争に適すると同時に侵略戦争にも適していた。というのは、国土防衛の軍を最小化して、その余剰戦力を侵略戦争にまわすことができるからである。ところが実際に出兵したのは西日本の大名ばかりだった。それは仮想敵である徳川への抑止力として、これ以上兵を割くことができなかったからである。特に五大老の前田と上杉(朝鮮北部の寒冷地・降雪地帯対策に適任だった)が出兵できなかったのは大きい。日本は潜在的に倍以上の兵力を動員できたはずであった。
*追記 徳川軍を朝鮮に渡海させればよかったのではないかという御指摘があったが、まさにその通りで、徳川軍6万(毛利軍の動員数から算出)が投入できたなら、それだけでも局面を大きく変えることができたはず。最大軍事力徳川軍を渡海させることができなかったことが、秀吉の失敗の原因と言いかえることもできる。
②異民族(漢民族・朝鮮族)征服と支配のノウハウの欠如
元や清といった異民族の大帝国は突然出現したわけでなく、それまでの異民族による中小帝国のノウハウの蓄積があって、はじめて可能になったと言える。特にモンゴルの中華征服と支配に貢献した耶律楚材のようなコンサルタントがいなかった(抜擢できなかった)のが大きいね。
ちなみに、なぜ中華は時代が進むにしたがって異民族の王朝が増えていったのか?
答えは、中間的支配階級が異民族支配の うま味を知ってしまったからだ。
異民族の支配は基本丸投げである。納めるものさえ納めておけば細かい干渉は受けずに済む。好き勝手やれるわけだ。しかも異民族は漢民族の反乱を恐れているから、それもカードとして使えるのも都合がいい。異民族王朝は彼らにとって、実においしい存在だったわけだ。
東日本の抑えである家康を抑えるために東日本の兵を出せなかったから負けたとか...凄い理論ですね
あの、1は分かったんですが、2は秀吉の朝鮮出兵関係ないですよね....
2は本来中国史でやるべきでは?
①の原因にしても、その徳川家康の軍を朝鮮に出せばいいってことになります。実際に徳川家康は文禄の役には名護屋城に入っている。家康は秀吉の命令ひとつで朝鮮に渡っていたということです。
それに上杉家が徳川家への抑止力で日本にいたというのは誤解で、伊達家、上杉家らは朝鮮に渡っているし、彼らは家康の指揮下にあったと書いてありますが。
僕はね名無しさんなんだ さん
🏯東日本の抑えというなら、むしろ上杉景勝でしょうね。彼は豊臣姓を賜った豊臣ファミリーの一員でした。秀吉は徳川や伊達の抑止力として、上杉を加増転封し、会津へ配置したわけです。さらに秀吉は同じ親豊臣の佐竹と一門衆の浅野(甲斐)で家康包囲網を作りましたが(三氏の石高を合わせると二百万石に及ぶ)、結局浅野は家康に籠絡され、包囲網は切り崩されてしまいました。
BronzyTetsuya さん
🏯確かにおっしゃる通り、上杉景勝は秀吉の名代(豊臣ファミリーの一員)として朝鮮に渡海してますが、率いた兵数はわずかに五千で、ほぼ同じ石高の毛利の三万と比べて、遠国であることを考慮しても、明らかに少ない!これは東国の抑えの任務のためにこれ以上兵を割けなかったからでしょう。
あと名護屋で家康の指揮下に入ったのは、同じ親豊臣の佐竹とともに、仮想敵である徳川と伊達の監視役を任されたというのが実情でしょうね。
なるほど、面白い。当初の自分達の武士としての土地欲しさの侵攻はありますね。あと秀吉爺さんは間違いなく朝鮮や明と意志疎通は出来てないですね。
意志の疎通が出来なかったから侵略するんだよ。
鋭い指摘ですね、納得のいく説明でした日本人の皆が理解できる様になって欲しいですね。
秀吉は、
亡くなる直前まで、
物語をつくったのか……。
クオリティは、あっちゃんと変わらないのに、登録者数が雲泥の差。
やっぱり芸能人って特だよね。
5.日本は比較的大名以下のレベルでは、団結力が高く大名人を生かすために、負荷が命をかけることが可能です。同じ地域出身であり、負荷が非常に鍛えれ大名が死ぬ負荷は失業者になるからです。代わりにそれ以上の上位レベルの団結力は戦国時代の制限により、比較的脆弱でいました。
朝鮮は確かに指揮官一人をサルリジャゴ負荷が命かけることはありませんでした。構造的には、指揮官が死ぬ置き換えると、ついついだった指揮官を助ける部下(下士官、兵卒)のレベルが高くませんでした。代わりに、長い間、中央集権官僚制の経験があり、儒教で精神武装がよくなっていて、上位の階層は、比較的団結もよくした忠誠心も高かった。
年取って、天下取れて、逆らう者ものいない、女狂いまでしてしまうと、そんなこともあるかな、有り得る話だ。今でも似たようなお偉いさんがいるでしょう。
信長のもとでスペインやポルトガルとのやり取りや国際情勢を見ていたというのが大きかったように思います。
勘違いや自分本位の感情だけで動くと、ろくなことないですね。
世の中色々あるってことだよ。
明朝が鄭和艦隊で得たものはヨーロッパとの外交関係だと思います☺️キリシタン大名を全面に押し出してやって来た日本軍に対しポルトガルが引いて女真族を盾に新興勢力のオランダ、イギリスの存在が戦いに混乱をもたらしたと思います😁誰も研究しないから資料が無いけど秀吉は入口で挫折してしまったのかも❗徳川はヤンヨーステン(オランダ)ウィリアムアダムス(イギリス)の軍事顧問がいたので戦わ無い事を選択したのだと思いますが⁉️🐒
天下泰平になったら戦闘集団の武士が失業しちゃうし。大大名になりたい武将はわんさといたからね。
それにヨーロッパより高性能かつ多くの鉄砲や大砲持ってたし。
逆説の日本史、面白いですよねえ。まあ内容は半分ウソだと思いますけど、人に語りたくなるロマンがある。
内容に整合性の濃淡はあってもウソはないでしょ。
すべての内容は個人的な見解ですから。
@@user-er2pr7wj2y思惑を強く感じる内容でした。大河ドラマとか真に受けると捻じ曲がる歴史認識。自虐。
应该加上明 朝鲜 丰臣秀吉都不是赢家 最后受益的是德川家康
それとヌルハチ
凄いですね。私が知っているいくつかの朝鮮出兵に関する説の中で突出してぶっとんでます。
私の知る、或いは思い描く戦国武将の100倍は短絡的ですね。
特に、情報収集を一切行わなかった秀吉と、絶対ばれるだろう嘘の降伏状に関しては度肝を抜かれました。
ほんとそれ。
秀吉も小西もそんな莫迦じゃない。
当時の世界情勢も見たほうが良いですよ。
欧州では大航海時代。
スペインはフィリピンに進出、台湾にはオランダが入植しています。
グローバル化が始まった時代です。
大航海時代よりキリスト教徒の大侵略時代と表現する方が秀吉の動きは分かりやすくなります。
平壌かソウルくらいまで領土にして当時のラスボス格のヌルハチと侍が戦うの見てえなあ
初見です。この時に朝鮮を統一していたら、歴史が変わっていたかも?と思うのは、私だけでしょうか?面白かったので、登録しました。
加藤清正の寅退治ありますね。
大河ドラマ直江影継で、出兵した武将の愚痴をデスクワークの石田光成を影継叱りますね。
どうもわからないのが文禄の役であそこまで兵を進めておいて明との戦いでもまともにやったら勝てるみたいなことを書いていて実際には2度追い出されているし、侵略できてないように見えます。
兵はそこまで進めたが統治ができてないなど。
都合のいい戦いだけ纏め、都合の悪い戦いは忘れているような。
いや、文禄の役では明軍の朝鮮半島の撤退を約束させ、明の講和使節が日本に派遣(人質)されたのだから、日本の勝ちなんだよ。
@@user-er2pr7wj2y その割には何の収穫もなく慶長の役で撤退し、豊臣政権崩壊という憂き目に
秀吉が腹八分目と言う思いがありましたら子孫も守られたと思います。信長、家康などの恨みが今までの結果ですね。今の首相も考えてほしいです。増税王子
明を征服かぁ。地図見たら無理って分かるだろうけど。武将たちへのイジメだね。
征服って地図の何で判断するの?
@@user-er2pr7wj2y 言ってること矛盾してるよ
この話を聞く度に、いつも想うのですが、朝鮮併合と満州国建国によって、日本は、結局のところ、豊臣秀吉の望みを叶えてしまったのでしょうか。
日本沈没の始まり。
井の中の蛙大海を知らず。
明史には秀吉が亡くなったおかげで戦いは終わったが、明も朝鮮も勝てる見込みは無かったと書かれている。
それがすべて。
元寇と同じで左翼が必死で偏向しようとする。
朝鮮は南から中国の国境まで蹂躙してるから朝鮮は楽勝だったみたいだけど。
でも山海関で詰まるやろ
@@kamicop1234
そして右翼はキリスト教徒の大侵略時代(大航海時代)に秀吉が立ち向かったことを隠そうとする。
@@user-er2pr7wj2y それごまかそうとしてるのは共産カルトであり朝鮮アカのあほ左翼じゃん。
なんでも逆説にすると無理が通るようになりますよ
成る程。秀吉の構想は秀吉の死と共に幕を閉じたのですね。
その後の徳川政権が引き継がなくて、徳川にとっては正解だったのでしょうね。
ただ、守ってばかり居るとツケを払わされるのは別の話し。
秀吉の力の凄まじさを歴史に残したと云う感想を持っています。
井沢元彦氏 については、全然駄目ですよ。。保障します
単なるデマになってしまってますよね。
上杉、伊達、最上の東北勢が参戦していたら東アジアの歴史も大きく変わっていたでしょうね
参加させてもらえなかったと言うのが真実でしょう。
上杉景勝、伊達政宗は朝鮮に渡ってますよ。彼らの軍が歴史を変えるほど強かったかはともかく。
無理です。中国は秦国から(紀元前3世紀)中央集権帝国の形に固まって、明国まで2000年ほどの伝承、その文明レベル、武器装備、戦術兵法は当時の日本が比べ物にはなりません。運良く一時の優勢があっても保つことができません。こんな伝統帝国を破るには新型資本主義工業帝国しかありませんつまり19世紀の大英帝国です。明の後は蛮族の清帝国は蛮族ですが、まず明を破るのは清ではなく農民戦争です。だからどう考えても秀吉が勝つ見込みはないでしょ。
@@huinansong8503
農民が明を破ったなら秀吉軍でも敗れるだろ。
蛮族が支配できるなら秀吉軍でも支配できるだろ。
@@user-er2pr7wj2y できてから言え
これが、関ヶ原の結果につながったといっても過言ではないと思います。
蒲生氏郷結城秀康はよ!
徳川の世になって天下泰平が実現した時、そのような世の中になりました。戦がないので手柄もない。基本、領地は増えない。俸禄も増えない。役職は世襲。こどもが複数いても、役職と土地を受け継ぐのは嫡子のみ。その他の子は部屋住みか、他家へ養子に出されるか。複数のこどもに土地を分けるのは、もっと昔、鎌倉時代から「田分け→たわけ」と呼ばれています。
よくぞこの話題を取り上げてくださいました。本当にアンタッチャブルですもんね。
文禄の役は豊臣秀長死亡の翌年ですね。秀長は唐入りに反対していたと言われています。
どうもこの時期の秀吉に往年の鋭さは消え失せて単なる厄介者になっています。
それまでの彼の功績も何%かは秀長の存在あってのものなんだろうな、という「秀長補正説」を自分は採っています。(勝手に)
秀長が死んでからぶっ壊れ始めたから、多分秀長がいなければ人心掌握が上手いだけのおっさんだったのかもしれない。
秀長が生きていたら朝鮮出兵は無かったのかな?
秀吉も情報は重視していたと思うので、朝鮮と宗氏の関係を誤解していたとは思いにくい。
国内が落ち着いて使いみちのなくなった武闘派家来をどうするか。その処理でちょうど良かったのが大陸で、もともと大陸進出も構想にはあったから都合が良かった。
文禄の役は奇襲めいて半分成功。朝鮮での地盤確保のための慶長の役では途中で自身が死んで撤退。
そんな感じじゃないんですかね。
武士道さん〜、この朝鮮出兵の題材とした映画作品「バトル・オーシャン 海上決戦(丁酉倭乱(慶長の役)における鳴梁海戦を描いた韓国映画作品に何故か日本人俳優の大谷亮平さん出演作品)」と韓国大河ドラマ「不滅の李舜臣(豊臣秀吉様側の武将様達や日本兵達の甲冑や丁髷や家紋や衣装やら城の間取りも狭く何故か茶室は広くテーブルが有ると言った時代がごちゃまぜで韓国語を流暢に喋る日本の武将様達とか失笑しまくりな残念な作品)」で韓国では謎のヒットをしているのが有りますよ〜。🙀でも井沢元彦さんの「逆説の日本史」の参考文献での朝鮮出兵の解説講義動画なので安心して見て聴けましたから嬉しかったですよ〜。😸
韓国ドラマ大好きだね
加藤清正やべ~
天皇が中国大陸支配を望まなかったという話も有りますね。天皇に中国を献上して褒められたいのに望まれないんじゃ力が入らないですよね。
秀吉が天皇に褒められたい?
戦国武将にとって天皇など道具に過ぎないよ。
@@user-er2pr7wj2y だから滅ぶんだよ
単純に面白かったです!!うんぬんかんぬん置いて、家康公が秀吉公の海外領土拡張を引き継ぎしないからな~。もう少し家康公もうまくやってくれたら海外デビュー日本も遅れなかったような…
家康も外国の状況は掴んでいたと思うがその資料が隠されているよね。
最近徐々に出てきているけど。
加藤清正は当時、西側じゃないでしょ。
だからキリスト禁止したのか…凄い納得したわ。
わかり易いな
これはちょっと、最新の研究からは、遠いね。ご本人ももちろんお気づきのようす。
そもそも、朝鮮から中国に攻めると言うこと自体が無謀なんよ!
一番の失敗は病気になり、ボケる前に秀頼と大老連中に継続しとけと裏理由含め説明できなかったからですね。後スペイン脅威が弱くなったのと。
日本軍の苦戦は事実ではない。朝鮮水軍は大した事は無く、海上輸送は両戦役で順調です。文禄の役では、陸上補給が占領地拡大に間に合わず、慶長の役では内陸への侵攻より沿岸部に城を造り、そこに敵を引き付け、迎撃し消耗させる戦略に転換した。朝鮮の役の後、すぐ関ヶ原の戦いが起きてますし、出兵した大名が大損害を被った形跡は無いですよ。
おっしゃるとおり。
撤退戦では苦戦もしたが全勝している。
でも、豊臣が
鳴梁海戦では来島通総が李舜臣によって戦死。毛利高政、藤堂高虎が負傷。一時日本水軍は退却せざるを得ず、その隙に李舜臣に逃げられた。李舜臣が撤退した理由は漆川梁海戦で前任者の元均が大敗して朝鮮水軍はほぼ壊滅しており、李舜臣が率いていたのは12〜14隻程度だったので、戦力の温存を図ったからです。これは日本側の資料『藤堂家覚書』などに記されているため、私の妄言ではありません。
@@user-en6mk5ri9f
鳴梁は間違いなく朝鮮側の勝利だけど、その後の補給も日本の進軍も順調にいっており、局地戦の勝利に過ぎない
勝ったハズの李舜臣が撤退して再進撃してない事からも明らか
명나라 근처도 못간 바보들이 망상으로 떠드네요😂
日清戦争とか日韓併合とムーブが同じじゃない?
地雷本として有名な逆説の日本史じゃん
그러면 미국갈수있게 일본좀 지나갑시다
東シナ海に渡りたいなら幕末の竜馬見たく海外から船を買えば良かったんじゃない?秀吉はスペインから船購入すれば良かったじゃん!あと唐入りで当時の満州まで攻略したらそこまで確保しとけばよかったんじゃん、何で地元の民族に返すの琉球を制覇したように領土にすれば良かったじゃん
鎖国する前か………。
いつも 思う のは、戦の前には 忍び が 情報を とるわけ で、モンゴル も 敵の 内部情報まで 調べて から 攻撃した わけ ですが、日本の忍びは 朝鮮に 通用しない ですよね。情報を とる こと に ついて どう 考えて たん でしょう?
トンデモ本をつかまされて拡散してしまったな~
朝鮮出兵はどちらにとっても負け戦
明もダメージうけ後の清をたてる満州族だけ得をした
朝鮮王が逃走するのが早すぎて、身柄を確保出来なかったのが大きいですね。
マッカーサーでも半分どまり。
秀吉の弟の秀長の話しがあったような気がする?
慎重論で秀吉の抑え役とか
秀長と千利休(事情通)が居なくなってから、秀吉の周りはイエス·マンだらけで対馬守のデタラメにも乗ってモウタとか吉川英治の新書太閤記にあったような気がする
けど
時代は敗戦後やし
断筆しとるンよね···
なんか中田敦彦に影響受けてそうwww
宗氏が朝鮮を支配していると秀吉が思っていた? 真面目に熱く語っているけど、、恥ずかしくなるくらい根拠がない話し、、
無茶苦茶ですね。
秀吉は人気はあるが教養はない。
異文化圏への侵略ルールを全く知らないので最初から成功の見込みはない。
この人は芸人みたいだな⁉️
開戦初期の朝鮮軍の敗退にはもう一つの理由があります。 朝鮮軍の最優先目標は北方民族(この時代には女真という、後代の満洲民族ですね)の略奪を防ぐことでしたので、朝鮮の軍隊は大規模で特定の都市に駐屯するよりは小規模で広い地域に散在していました。 征服軍と違って略奪を目的とした軍隊は小規模で素早く攻撃した後に抜け出るので、小規模から中規模の常駐軍が即刻対応するのが朝鮮の戦争経験でははるかに効率的でした。 ただ、相手が数万の兵士の場合、全く防御戦線が作られないというのが問題でした。
よく、30万人も運んだな~。
まー秀吉がまともだったとしたら、平和になって戦う武士が邪魔になったから、その兵力を海外に出して、減らしたかったやないかな?
徳川家などの力を削いでおくために出兵を繰り返したと聞いたことがあります🙄
儒教国家の組織ってなんでトップにまともな情報が入らない仕組みなんだ・・・
現代になっても過去の反省を活かさず裸の王様の多いこと、嘆かわしい。
朝鮮出兵は、
タブーなんですか?
ぜんぜん
良いことだと思うけど。
朝鮮出兵の時代は、
国内での戦は、
まったくなかったから。
狙いは、
そこなのでは………。
武士道さん 今日もありがとうございました_(._.)_
朝鮮出兵は秀吉が錯乱して起こしたとばかり思っていたのですが 色んな事情があったのですね☝️
でも 変な言い方ですが 秀吉の死によって 日本の有能な戦士達が大事になる前に無事に帰還出来て良かったです。
朝鮮出兵というとなんか勘違いされるけど、、秀吉は何も朝鮮を征服するために兵を出したんと違って当時最強を誇るスペインに日本の侍の意地と気概を見せつけるために朝鮮みたいなんに出兵した!!!!!!
拉致した日本人を返せという意思をはっきりと示した。。
関係ないのに攻撃される朝鮮で草
これは反日になりますわ笑
面白いのは、今でも平等の関係を求めています・・・残念・・・
朝鮮の情けなさたるやいかばかりか。。。
そんな情けない国に何度侵略しても失敗続きは悲しいですね。
秀吉
二代目の十字軍の将軍(笑)
初代は、織田信長ですね!(^-^)
中国大陸侵略の先兵を担った!
懲りた?教訓を受けた!徳川幕府は、朝鮮との友好をめざして!
そして十字軍?その本隊のキリシタン達を大弾圧(汗)
こんなしゃべり方をしなくても、、、。