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未盗掘の古墳!!!ワクワクします。被葬者が誰でも貴重ですね。談山神社はちょっと不便な場所なので避けていました。❨自転車とバス移動❩とても気持ちの良さそうな場所なのですね。撮影ありがとうございます。
ご視聴いただきありがとうございました。談山神社は紅葉の季節が有名ですが夏も緑が美しくそして山中は冷んやりして過ごしやすかったです。バスも結構本数ありますし、紅葉の季節は混雑しますから今のうちがチャンスかもしれません。
うちは藤原系の家なので、今度行ってみたいと思います。良い情報ありがとうございました。
ご視聴いただきありがとうございました。鎌足はそれぞれの地元で今尚大切にされています。ぜひそれぞれの地を巡っていただきたいです!
@@gotas1975 先月、箸墓古墳にも行ってきました。仰っていたように綺麗でした!私なりにビデオでまとめてアップ致しました。
@@MasayoKawaguchiChannel さん、ご視聴いただきありがとうございました。箸墓も本当に美しい前方後円墳です。季節ごとにその表情も変わりますので色々な季節に訪れてみてくださいね😄
@@MasayoKawaguchiChannel さん、ご視聴いただきありがとうございました。箸墓は季節ごとに違った表情を見せてくれる本当に美しい前方後円墳です。動画もぜひ拝見させていただきます!
ワクワクしてみてました。面白いですね。鎌足さんは豐璋説もありますね。謎の多い方ですね。いつも漢字まちがえてすいません。今回も楽しかったです。
ご視聴いただきありがとうございました。確かに鎌足は謎の多い人物ですね。でも桜井(談山神社)や高槻市、茨木市周辺で様々な伝承が残っており、今も大切にみなさんの心の中に生き続けていることがよくわかりました。
動画見ながらワクワクしましたよ(^-^)有名人ですね。小生も大阪育ちなので、どこの摂津が出てくるか‼️三島町でしたか~小生は、西宮12浜辺りかと(^-^)神社フェチで有りながら、漢字フェチ👍多武峰って🤣神武天皇【狭野】と神八井耳の多氏の合成語?『多/とう』と発音させるんですね。勉強になります。感謝感謝。【大織冠】ですし。その古墳の主に興味津々です。主のファンになりました。👍
ご視聴いただきありがとうございました。神社、もしくは漢字からのアプローチも非常に興味深いですよね。ワクワクしていただけて私も大変うれしいです。引き続きどうぞよろしくお願いします😄
なんとか縁起絵巻とかいうのは、寺社側の権威づけのために都合よく書きますからね…多武峰に遺骨があるということにしたほうが神社側が格好つくんでしょうね。数か月前かな…京大の考古学の先生が出て、鎌足の墓、骨折の跡も日本書紀通り、とか説明されてましたね。発掘時の京大の先生の古い本読みました。工事中、妙に頑丈な石組にぶち当たり、重機を使ってすら、かなり苦労して崩したそうです。その中に…。すぐ同じ京大の考古学学者に連絡を入れ、皇室の御祖先にも等しいということで、あわてて憲兵が立ち立ち入り禁止にしたそうです。結局、入り込んだ木の根などをハサミでジャキジャキ切るような雑な開け方で棺の中も確認し、最後は白木の柩を作りそこにご遺体を入れ、納めようとしたら微妙にデカすぎて、力いっぱいみんなで押し込んだら、頭蓋骨がゴロン!と音がした、と書かれてました。文化財保護法とかができたのはわりと新しいので、当時としては仕方ないかもしれませんが、雑であきれました。。ただ、京大の学者に発見されたのでさすがに遺品が盗まれたりはないので、まだ良かったんじゃないかなと思います。。
ご視聴いただきありがとうございました。また発掘時の興味深いお話もありがとうございます。時代が時代ですから仕方なかったのかもしれませんが、写真がしっかり撮影されていたので色々なことがわかったのだと思います。高槻市の今城塚古代歴史館では、発見された写真を紹介する『阿武山古墳調査写真集』というものが販売されていました。サイズも大きく興味深い1冊です。
@@gotas1975 有難うございます。はい…最近の調査ですと、聖徳太子建立を名乗る寺というのが、今も年々増えているそうです。寺社の縁起なんて得てしてそんな感じだったりします。。
地震研の某教授が、仲の悪かった京大の考古学教室を無視して無茶苦茶やったのは有名です。この教授、当時の皇太后陛下が藤原本家ともいえる九条家出身で、時の今上陛下(昭和天皇)がそのお子さんであることを知らなかったんでしょうね。不敬の数々からか、間もなく亡くなったそうです。あ、そうそう、大職冠神社を祭っていたのは九条家でした。
@@ひげおやじ-y7k こんにちは。一条家の次は九条家から皇后が立たれたのですよね。親王を多く授かられ立派な皇后さまでした。教授、仲悪かったんですか…発掘記録を図書館で読んだんですが、その某教授殿、知り合いを呼んで、鎌足の墓の中を(木の根とか枝を)勝手にハサミで適当にガシガシ切りながら、得意げに中を見せびらかした、という一節が引っかかってました。雑だなあと…。遺物があるかも知れないのに、ガラス玉のネット編みみたいな冠が出土していて、他にも繊細なものが絡まってるかも知れないのに。レントゲンも撮れたかも知れないけど、鎌足が気の毒にも思いました。とにかく、敬意が無いです。
別邸のあった安威の地に殯(もがり)の宮が置かれ、殯の後、亡骸は阿武山古墳に埋め墓として埋葬され、御霊代(鏡・太刀三口・左鎌)はこの地で詣り墓として祀られ、御霊(みたま)は唐から帰国した長男の定慧(じょうえ)により多武峰に祀られたんじゃないでしょうか。
ご視聴いただきありがとうございました。また深いご推察もいただきありがとうございます。おっしゃる通りの流れであれば、全ての説明がつきますね。勉強になりました。ありがとうございました。
返信ありがとうございます。阿武山古墳が墳墓もなくひっそりと埋葬されていたのは鎌足公らが暴いた曽我氏の本墓、石舞台・鬼の爼・鬼の雪隠の二の舞にならないよう密かに墳墓と解らぬように永遠の眠りにつかせたんでしょうね。
@@安楽利枝 さん、ご返信いただきありがとうございます。おっしゃる通り密かに埋葬したという説はありえますよね。時代に翻弄されて暴かれる危険がありますものね。
八百年近く続く家系で代々 檀家総代をしていたお寺によると、先祖は藤原朝臣で凄く高い位で四位との事。五位以上は世襲制で平安貴族になります。家名も平安から来ていると思います。平◯ 安◯で代々 長男は安◯をつけ 家を継ぐと安兵衛と名乗ります。昔から茨木市に在住していますが、不思議なご縁を感じます。
興味深い動画ありがとうございます。漆で麻布を固めた棺桶とは!古墳と言えば石棺という固定観念に凝り固まっていましたが、時代によって流行や新技術があるんでしょうね。学校では習った覚えがないので新鮮です。
ご視聴いただきありがとうございました。学校では古墳時代はさらっと流されてしまう程度ですもんね😅漆を塗り固めて作られた棺桶ですから、当時でも最高級の工芸品であったと思われます。
阿武山古墳について同じ大学の地震観測所と考古学研の鍔迫り合いも一因となり埋め戻し、その後の具体的調査が行われていないという。宮内庁だけではないのですね。でも、なきがらですから、それを詳しく調べろ、というのもバチあたりな事なのでしょうか。
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通り色々な思惑が重なって埋め戻されたようですね。ただ確かに詳しく調べることは今は難しいのかもしれませんね😅色々知りたい思いはありますが…
御苦労様です😊解説が上手ですので凄く面白かったです。古墳を調べていますと色んな発見がありますので勉強になります♪
ご視聴いただきありがとうございました。古墳には色々な要素があるので勉強になることが多いですよね。知りたいことがまだまだ沢山あります😄
子孫の藤原本家は二条家です。藤原隆家子孫本家は私です。ご縁ですね。
ご視聴いただきありがとうございました。そうでしたか!大変失礼いたしました。
ローマンガラスの玉枕や阿武山という名前もAB Urbe Condita(ローマ建国史)等を藤原氏は当時から読んでいて、古代ローマの影響を受けていたのかも知れませんね。
ご視聴いただきありがとうございました。日本古代史とローマのつながりの可能性、中々興味深いですね!
やったぁぁ!動画見れて幸せ…
ご視聴いただきありがとうございました。そう言っていただけると作り甲斐があります。ありがとうございます😊
藤原氏の神、天児屋根命は安曇磯良と同一神です。中臣氏自体は幾つかあり、変化があったりなので、良く分からないですが、三島は物部氏とも関係し、御島とも書きます。安曇族とも何かあると思いますよ。安曇族は志賀島に、金印、君が代、又天智天皇との出会いは鹿の糸から出来た鞠からとのヒントがあり、話せば長いですが、ローマではなく、エジプト、インド、メソポタミア、中国から九州に流れて来た一族に関係しています。家も藤原北家で、神様は海神で、三島にも繋がりも出て来たりします。家紋は星。船に強く関係してますが、昔は船の航海は星を目印にしてました。渥美半島にも後に関係してます。逆にローマには昔罪を被せられたフェニキアに関係してますから、ローマでは有りません
ご視聴いただきありがとうございました。また詳しい解説もいただきありがとうございます。世界とのつながりもよくわかり驚いています。安曇族も大変興味深いですね。ありがとうございました。
大織冠のデジタル画像解析で阿武山古墳が鎌足の墳墓である可能性が高まりましたね。令和6年11月コメント
50年以上前に歴史で確か中臣鎌子と習ったように記憶していますがどうだったのかな?記憶違いかな?
ご視聴いただきありがとうございました。日本書紀などでも正確には鎌子と表現されています。書物によって呼び方が違うのも興味深いです。こちらもまた桜井(談山神社)と繋がりが深い人物ですよね😄
山口県阿武町の事件で注目される藤原鎌足。阿武とは、何なんでしょうね?
ご視聴いただきありがとうございました。本当に阿武とはどこから来た言葉なのでしょうね?思いがけたいところから阿武が出てきてしまいましたね。間違いのお金はちゃんと返しましょう😅
阿武山古墳は鎌足の墓で間違い無いと思います。鎌足の長男と言われる定恵の方が謎が多いです。そもそも日本書紀には定恵が鎌足の子であるという記述はないです。
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通り定恵の方が謎が多いですよね。阿武山古墳はやはり鎌足の墓で間違いですよね。
そもそも定恵は鎌足より先に亡くなってるのが正史なので定恵関連は怪しいものが多いです。
@@Suica9916 さん、そうなんですね、ありがとうございました。
勉強になりました((φ(>ω
こちらこそご視聴いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
阿武山古墳のエピソードはわくわくします 写真がカラーだったらなぁ
ご視聴いただきありがとうございました。残念ながら写真は白黒なんですよね。現代でしたらもっと多くのことがわかったかもしれませんね。
そもそも陵墓参考地にすらなってない古墳にも関わらず、「貴人の墓」と称して圧力が掛かってきたのが不自然ですね。今なら普通に発掘調査出来そうな気もしますが無理なんですかね?
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通りなぜ圧力がかかったのか、なぜ現在も発掘調査されないのか?不思議に思いますよね。
@@gotas1975 科学的に解明されてはまずいと考える勢力がいるのだろうと思います。藤原氏は皇室に沢山血を混ぜていますから、立派に皇室の先祖になるでしょう。超特級(最強?)の菊タブーになってしまっているのではないかと。特に皇国史観を信ずる勢力は(純粋およびビジネス)政権与党含め一定数いますので。(尊重する必要はあります)彼らの一部がよく言うには「日本書紀などの記述は事実ではないかもしれないが、作為的に改ざんしたとは科学的に証明できない」。再発掘して矛盾するような事実が出てきてはいけないのかもしれんですね。(鎌足=天智天皇同一人物説とか、鎌足渡来人説とか異説&俗説もあるので)
関連会社の方に藤原さんが居られまして、「藤原さんが奈良を集配に走る🚚💨のですね。😄✨」って大喜びしてたらアホ扱いされました。単なる歴史好きなのに。😭💦
ご視聴いただきありがとうございました。藤原さんと奈良、立派な結びつきなんですけどね😅
中臣鎌足の先祖は武御雷だしその先祖は天御中主です。
ご視聴いただきありがとうございました。鎌足公のご先祖までは存じ上げませんでした。大変勉強になりました。ありがとうございます。
大人の事情。鎌足に間違いないだろ。(笑)
ご視聴いただきありがとうございました。やっぱりそうですよね😆
未盗掘の古墳!!!
ワクワクします。
被葬者が誰でも貴重ですね。
談山神社はちょっと不便な場所なので避けていました。❨自転車とバス移動❩
とても気持ちの良さそうな場所なのですね。撮影ありがとうございます。
ご視聴いただきありがとうございました。談山神社は紅葉の季節が有名ですが夏も緑が美しくそして山中は冷んやりして過ごしやすかったです。バスも結構本数ありますし、紅葉の季節は混雑しますから今のうちがチャンスかもしれません。
うちは藤原系の家なので、今度行ってみたいと思います。良い情報ありがとうございました。
ご視聴いただきありがとうございました。鎌足はそれぞれの地元で今尚大切にされています。ぜひそれぞれの地を巡っていただきたいです!
@@gotas1975 先月、箸墓古墳にも行ってきました。仰っていたように綺麗でした!私なりにビデオでまとめてアップ致しました。
@@MasayoKawaguchiChannel さん、ご視聴いただきありがとうございました。箸墓も本当に美しい前方後円墳です。季節ごとにその表情も変わりますので色々な季節に訪れてみてくださいね😄
@@MasayoKawaguchiChannel さん、ご視聴いただきありがとうございました。箸墓は季節ごとに違った表情を見せてくれる本当に美しい前方後円墳です。動画もぜひ拝見させていただきます!
ワクワクしてみてました。
面白いですね。
鎌足さんは豐璋説もありますね。謎の多い方ですね。
いつも漢字まちがえてすいません。
今回も楽しかったです。
ご視聴いただきありがとうございました。確かに鎌足は謎の多い人物ですね。でも桜井(談山神社)や高槻市、茨木市周辺で様々な伝承が残っており、今も大切にみなさんの心の中に生き続けていることがよくわかりました。
動画見ながらワクワクしましたよ(^-^)
有名人ですね。
小生も大阪育ちなので、どこの摂津が出てくるか‼️
三島町でしたか~
小生は、西宮12浜辺りかと(^-^)
神社フェチで有りながら、漢字フェチ👍
多武峰って🤣神武天皇【狭野】と神八井耳の多氏の合成語?『多/とう』と発音させるんですね。
勉強になります。感謝感謝。【大織冠】ですし。
その古墳の主に興味津々です。
主のファンになりました。👍
ご視聴いただきありがとうございました。神社、もしくは漢字からのアプローチも非常に興味深いですよね。ワクワクしていただけて私も大変うれしいです。引き続きどうぞよろしくお願いします😄
なんとか縁起絵巻とかいうのは、寺社側の権威づけのために都合よく書きますからね…多武峰に遺骨があるということにしたほうが神社側が格好つくんでしょうね。数か月前かな…京大の考古学の先生が出て、鎌足の墓、骨折の跡も日本書紀通り、とか説明されてましたね。発掘時の京大の先生の古い本読みました。工事中、妙に頑丈な石組にぶち当たり、重機を使ってすら、かなり苦労して崩したそうです。その中に…。すぐ同じ京大の考古学学者に連絡を入れ、皇室の御祖先にも等しいということで、あわてて憲兵が立ち立ち入り禁止にしたそうです。結局、入り込んだ木の根などをハサミでジャキジャキ切るような雑な開け方で棺の中も確認し、最後は白木の柩を作りそこにご遺体を入れ、納めようとしたら微妙にデカすぎて、力いっぱいみんなで押し込んだら、頭蓋骨がゴロン!と音がした、と書かれてました。文化財保護法とかができたのはわりと新しいので、当時としては仕方ないかもしれませんが、雑であきれました。。ただ、京大の学者に発見されたのでさすがに遺品が盗まれたりはないので、まだ良かったんじゃないかなと思います。。
ご視聴いただきありがとうございました。また発掘時の興味深いお話もありがとうございます。時代が時代ですから仕方なかったのかもしれませんが、写真がしっかり撮影されていたので色々なことがわかったのだと思います。高槻市の今城塚古代歴史館では、発見された写真を紹介する『阿武山古墳調査写真集』というものが販売されていました。サイズも大きく興味深い1冊です。
@@gotas1975 有難うございます。はい…最近の調査ですと、聖徳太子建立を名乗る寺というのが、今も年々増えているそうです。寺社の縁起なんて得てしてそんな感じだったりします。。
地震研の某教授が、仲の悪かった京大の考古学教室を無視して無茶苦茶やったのは有名です。
この教授、当時の皇太后陛下が藤原本家ともいえる九条家出身で、時の今上陛下(昭和天皇)がそのお子さんであることを知らなかったんでしょうね。不敬の数々からか、間もなく亡くなったそうです。あ、そうそう、大職冠神社を祭っていたのは九条家でした。
@@ひげおやじ-y7k こんにちは。一条家の次は九条家から皇后が立たれたのですよね。親王を多く授かられ立派な皇后さまでした。教授、仲悪かったんですか…発掘記録を図書館で読んだんですが、その某教授殿、知り合いを呼んで、鎌足の墓の中を(木の根とか枝を)勝手にハサミで適当にガシガシ切りながら、得意げに中を見せびらかした、という一節が引っかかってました。雑だなあと…。遺物があるかも知れないのに、ガラス玉のネット編みみたいな冠が出土していて、他にも繊細なものが絡まってるかも知れないのに。レントゲンも撮れたかも知れないけど、鎌足が気の毒にも思いました。とにかく、敬意が無いです。
別邸のあった安威の地に殯(もがり)の宮が置かれ、殯の後、亡骸は阿武山古墳に埋め墓として埋葬され、御霊代(鏡・太刀三口・左鎌)はこの地で詣り墓として祀られ、御霊(みたま)は唐から帰国した長男の定慧(じょうえ)により多武峰に祀られたんじゃないでしょうか。
ご視聴いただきありがとうございました。また深いご推察もいただきありがとうございます。おっしゃる通りの流れであれば、全ての説明がつきますね。勉強になりました。ありがとうございました。
返信ありがとうございます。
阿武山古墳が墳墓もなくひっそりと埋葬されていたのは鎌足公らが暴いた曽我氏の本墓、石舞台・鬼の爼・鬼の雪隠の二の舞にならないよう密かに墳墓と解らぬように永遠の眠りにつかせたんでしょうね。
@@安楽利枝 さん、ご返信いただきありがとうございます。おっしゃる通り密かに埋葬したという説はありえますよね。時代に翻弄されて暴かれる危険がありますものね。
八百年近く続く家系で代々 檀家総代をしていたお寺によると、先祖は藤原朝臣で凄く高い位で四位との事。五位以上は世襲制で平安貴族になります。家名も平安から来ていると思います。平◯ 安◯で代々 長男は安◯をつけ 家を継ぐと安兵衛と名乗ります。昔から茨木市に在住していますが、不思議なご縁を感じます。
興味深い動画ありがとうございます。漆で麻布を固めた棺桶とは!
古墳と言えば石棺という固定観念に凝り固まっていましたが、時代によって流行や新技術があるんでしょうね。学校では習った覚えがないので新鮮です。
ご視聴いただきありがとうございました。学校では古墳時代はさらっと流されてしまう程度ですもんね😅漆を塗り固めて作られた棺桶ですから、当時でも最高級の工芸品であったと思われます。
阿武山古墳について
同じ大学の地震観測所と考古学研の鍔迫り合いも一因となり埋め戻し、その後の具体的調査が行われていないという。宮内庁だけではないのですね。でも、なきがらですから、それを詳しく調べろ、というのもバチあたりな事なのでしょうか。
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通り色々な思惑が重なって埋め戻されたようですね。ただ確かに詳しく調べることは今は難しいのかもしれませんね😅色々知りたい思いはありますが…
御苦労様です😊解説が上手ですので凄く面白かったです。古墳を調べていますと色んな発見がありますので勉強になります♪
ご視聴いただきありがとうございました。古墳には色々な要素があるので勉強になることが多いですよね。知りたいことがまだまだ沢山あります😄
子孫の藤原本家は二条家です。
藤原隆家子孫本家は私です。
ご縁ですね。
ご視聴いただきありがとうございました。そうでしたか!大変失礼いたしました。
ローマンガラスの玉枕や阿武山という名前もAB Urbe Condita(ローマ建国史)等を藤原氏は当時から読んでいて、古代ローマの影響を受けていたのかも知れませんね。
ご視聴いただきありがとうございました。日本古代史とローマのつながりの可能性、中々興味深いですね!
やったぁぁ!動画見れて幸せ…
ご視聴いただきありがとうございました。そう言っていただけると作り甲斐があります。ありがとうございます😊
藤原氏の神、天児屋根命は安曇磯良と同一神です。中臣氏自体は幾つかあり、変化があったりなので、良く分からないですが、三島は物部氏とも関係し、御島とも書きます。安曇族とも何かあると思いますよ。
安曇族は志賀島に、金印、君が代、又天智天皇との出会いは鹿の糸から出来た鞠からとのヒントがあり、話せば長いですが、ローマではなく、エジプト、インド、メソポタミア、中国から九州に流れて来た一族に関係しています。家も藤原北家で、神様は海神で、三島にも繋がりも出て来たりします。家紋は星。船に強く関係してますが、昔は船の航海は星を目印にしてました。渥美半島にも後に関係してます。逆にローマには昔罪を被せられたフェニキアに関係してますから、ローマでは有りません
ご視聴いただきありがとうございました。また詳しい解説もいただきありがとうございます。世界とのつながりもよくわかり驚いています。安曇族も大変興味深いですね。ありがとうございました。
大織冠のデジタル画像解析で阿武山古墳が鎌足の墳墓である可能性が高まりましたね。令和6年11月コメント
50年以上前に歴史で確か中臣鎌子と習ったように記憶していますがどうだったのかな?
記憶違いかな?
ご視聴いただきありがとうございました。日本書紀などでも正確には鎌子と表現されています。書物によって呼び方が違うのも興味深いです。こちらもまた桜井(談山神社)と繋がりが深い人物ですよね😄
山口県阿武町の事件で注目される藤原鎌足。阿武とは、何なんでしょうね?
ご視聴いただきありがとうございました
。本当に阿武とはどこから来た言葉なのでしょうね?思いがけたいところから阿武が出てきてしまいましたね。間違いのお金はちゃんと返しましょう😅
阿武山古墳は鎌足の墓で間違い無いと思います。鎌足の長男と言われる定恵の方が謎が多いです。
そもそも日本書紀には定恵が鎌足の子であるという記述はないです。
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通り定恵の方が謎が多いですよね。阿武山古墳はやはり鎌足の墓で間違いですよね。
そもそも定恵は鎌足より先に亡くなってるのが正史なので定恵関連は怪しいものが多いです。
@@Suica9916 さん、そうなんですね、ありがとうございました。
勉強になりました((φ(>ω
こちらこそご視聴いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
阿武山古墳のエピソードはわくわくします
写真がカラーだったらなぁ
ご視聴いただきありがとうございました。残念ながら写真は白黒なんですよね。現代でしたらもっと多くのことがわかったかもしれませんね。
そもそも陵墓参考地にすらなってない古墳にも関わらず、「貴人の墓」と称して圧力が掛かってきたのが不自然ですね。
今なら普通に発掘調査出来そうな気もしますが無理なんですかね?
ご視聴いただきありがとうございました。おっしゃる通りなぜ圧力がかかったのか、なぜ現在も発掘調査されないのか?不思議に思いますよね。
@@gotas1975 科学的に解明されてはまずいと考える勢力がいるのだろうと思います。藤原氏は皇室に沢山血を混ぜていますから、立派に皇室の先祖になるでしょう。超特級(最強?)の菊タブーになってしまっているのではないかと。特に皇国史観を信ずる勢力は(純粋およびビジネス)政権与党含め一定数いますので。(尊重する必要はあります)彼らの一部がよく言うには「日本書紀などの記述は事実ではないかもしれないが、作為的に改ざんしたとは科学的に証明できない」。再発掘して矛盾するような事実が出てきてはいけないのかもしれんですね。(鎌足=天智天皇同一人物説とか、鎌足渡来人説とか異説&俗説もあるので)
関連会社の方に藤原さんが居られまして、「藤原さんが奈良を集配に走る🚚💨のですね。😄✨」って大喜びしてたらアホ扱いされました。単なる歴史好きなのに。😭💦
ご視聴いただきありがとうございました。
藤原さんと奈良、立派な結びつきなんですけどね😅
中臣鎌足の先祖は武御雷だしその先祖は天御中主です。
ご視聴いただきありがとうございました。鎌足公のご先祖までは存じ上げませんでした。大変勉強になりました。ありがとうございます。
大人の事情。鎌足に間違いないだろ。(笑)
ご視聴いただきありがとうございました。やっぱりそうですよね😆