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「チェザリスは体重を軽くする」という城達也さんのナレーションが今でも耳に残りますね。レースでいくらクラッシュしてもピンピンしてたのに、バイク事故なんかで・・・謹んで哀悼の意を表するとともに、故人のご冥福をお祈り申し上げます。
バイクは危険だとカートを与えた父親の判断は正しかったのかも。息子の性格を見抜いていたんでしょうね。F1を離れて思い切りバイクを操り亡くなったと思いたい。合掌🙏
「チェザリスは体重を軽くする」・・ベルギー・スパのスタート前にコース脇で立ち小便をする映像でしたね! 懐かしい!
事故多いけどそれなりにスピードがあってマシンを降りるとめちゃくちゃいい人で顔は結構男前って所がグロージャンと共通しててキャラクター似てる人だと思う。
この動画の言う通り、チェザリスはかなり過小評価されているドライバーだと思います。80年代、特にアルファロメオ時代のチェザリスの動画をみると、それはそれは素晴らしい走りをしているのを確認できるでしょう。クラッシュが多いのはマシンの戦闘力以上に速く走ってしまうから。間違いなく天性の才能を持ったドライバーでした。
「チェザリスが椅子に座ってイメージトレーニングしてた時、イメトレ内でクラッシュしたのかいきなり椅子から転げ落ちた」って話好き
実践でクラッシュする前に、既にイメトレでクラッシュするイメージが出来上がっていたと言う事ですね😅
川合さんが主役の四コマ漫画だったと記憶してますが。違うでしょうかw
@@kinokoantonio2516 クラッシュしたマシンから降りた時に野生化してたのが好きでした(笑)
石橋を叩いて渡るプロスト落ちるマンセル壊すチェザリスでしたっけ😅
@@noki8794 石橋を叩いて渡るプロスト何も考えずに渡るマンセル落ちるアレジ壊すチェザリスだったかと💡マンセルが能天気に橋を渡ってたのは覚えてました😅
もっと評価されてもいい人物だと思う。91年と92年にチームを支えたことは大きいと思う。若いころにクラッシュが多かったのが痛かったかな。もっと活躍してほしかった人物で忘れられない。
チェザリスも大好きなドライバーだったなぁ…特にジョーダンでマシンを押す姿が印象に残ってる
アンドレアチェザリス。いまいち強力チームとは縁の無かったドライバーでしたね。でも時にキレた走すドライバーでF1での活動時期も割と長かったですよね!
87年のベルギーGPでブラバムに乗っていた時もマシンを押してました(その時3位入賞!)
ジョーダンの監督が必死に押せ押せとアピールしていたことが、とても印象に残っています。
@@kunihiroc7591 マクラーレンのロンデニスが、そんなこと違反だ。と言ったがレース成立していたのでポイントゲットとなった。
ミハエル・シューマッハの最初のチームメイトこそ今回の動画のテーマのチェザリス。
ティレルのデ・チェが白目剝きながらオー・ルージュを全開で抜けてくの簡単に想像出来て草大好きなドライバーの一人あの頃は、味わい深いドライバー多かった
個人的に最も記憶に残るドライバー。200戦以上参戦して優勝ゼロはチェザリスだけですね。91年ベルギーは優勝まであと一歩でしたが、82年モナコもファイナルラップでのガス欠がなければ優勝してたかもです。バイク事故で亡くなられた日は確か日本グランプリでビアンキがクラッシュして重体になった日でもありますね。
父親から禁止されていたバイク事故で亡くなったのは皮肉な運命でしたが、本当に面白い選手でした❗違うタバコメーカーがスポンサーをしているチームにも、マルボロの資金援助を受けながら在籍していたのは面白かったです(笑)94年はスポット参戦のジョーダンで4位に入ったことでザウバーから望外のシートを得たり、一度シーズン中に離脱したザウバーからシーズン最後のほうでまた乗るように呼び戻されたものの、バカンスに出掛けていて連絡が全く取れず、レートが変わりに乗ったこともありましたね😂あとは古舘伊知郎から様々なあだ名を付けられていましたね❗「壊し屋」「犬も歩けばチェザリスにあたる」「サーキットの通り魔」「走る解体屋」「スピードのセクハラ男」「ファンキー・モンキー・チェザリス」「人間スクラップ工場」「ローマの野良犬」
91年の中盤頃から安定した走りをみせるようになり、古館も「エディ・ジョーダンによる更生。かつては人間スクラップ工場と呼ばれた男」という感じに変わっていきましたね。
古舘さんのセンスも最高(^∇^)
「恐妻家」「33歳の大人」「親の七光り」「走り屋チェザリス」「ストリートファイター」「中嶋の後ろからは怖いチェザリス」ベルギーで「2番手に浮上したのは、誰もが目と耳を疑うチェザリスなのだから」2年落ちマシンを与えられ「こんなクラシックカーでいつまで走らせるつもりだ?」アレジのフェラーリを周回遅れにして「やるときは、ちゃっかりやる」鈴鹿でコース図を描けずにスプーンコーナーが直線だった。どこかでマシンがエンジンブロー。マーシャルに消化器吹っ掛けられ「マーシャルにぶっ殺されるとかと思ったぜ」ピット内を時速200㎞で走ったり、逆走したりというエピソードもある。弱小チームAGSのマシンを壊し、契約なかったことに。スキーとサーフィンの名手として有名。チェザリスは鈴鹿のスプーン抜けるスピードの速さ、ラインの乱れのなさに驚いたことがあります。ブランドルもだけど。「サーキットの瞬間湯沸かし器」「サーキットのお天気やさん」なんてのも。なんと言っても好きなレーサーだっただけにおしい。進路妨害したとしてセナに詰め寄られた右京さん。チェザリスだよと言って回避。本当らしい。チェザリスがF11デビュー飾った日、チャンピオンドライバーのフェラーリが予選落ちした悲劇。鈴鹿で新品の椅子にチェザリスが腰かけたら、壊れたりと、本人は座ったら壊れるのか?面白い椅子だな😂91モナコではエンジントラブルからリタイヤ。また壊したな。最後にマシン回収したらウィング破損しており、やはりな。違うよ。本当だよ。実際は回収する人が積込で壊したらしい。
良くも悪くも、なにかやってくれる感じが好きだったな。
フジテレビf1中継が始まってからのチェザリスしか知らないので、若手時代に有望だったのは意外でした。最後亡くなったのが、かつて夢中だったバイクでの事故というのが運命的なものを感じます。
チェザリス懐かしいですね!ベルギー・スパのオールージュのデータが全開を示していたのが格好良すぎます!マシンの限界性能を引き出す努力の結果がクラッシュ・リタイアに繋がってしまっていたのでしょうね。
古舘さんの「犬も歩けばチェザリス」に当たるは有名
スピードのセクハラ男も!
過小評価していたのはメディアの人たちだろう。時々魅せる切れた走りは只者ではない。速さだけならセナやマンセルと肩を並べるでしょう。マシンを作り上げるセットアップ能力が足りなかったらしいですね。ジョーダンのベルギーGPでは、あのまま行けばセナを抜いて優勝出来たのでは??と今でも思います。
右京さんがチェザリスの毎戦ごとに自らが乗り記録したセッティングノートを見せてもらい驚いた話もあれば、93年ブラジルの予選で1台しか使えなかったマシンに交互に乗ったら右京さんは「アンダーステア」チェザリスは「オーバーステア」と好みが真逆な話があったりした。 10チーム以上渡り歩き、当時の4強チーム以外は乗っているのはやはりタバコマネーの存在は絶対に欠かせない顔面神経痛の持ち主、クラッシュや リタイヤした後はインタビューしにくい位に気が荒かったのに、落ち着くと「入れよ入れよ」とモーターホームに誘ってくれたり感情の起伏が激しい性格なのに、『恐妻家』の一面があり、86年豪州のレース後に奥さんの後ろで両手一杯に荷物を抱えた姿を今宮さんが目撃、91年の開幕戦で予備予選落ちした後は奥さんに買い物を連れられた話もあった。
古館さんが実況をされていた頃、決して馬鹿にしてこき下ろす様な言い方では無く、むしろちょっとコミカルな言い方をされていたので(故・今宮氏も)、クラッシュしても「あ~またか~W」みたいな軽い気持ちで観てたのですが、チームにしてみれば洒落にならなかったんですね…。中嶋氏が去られた後のティレルで、戦闘力が劣ると言われながらも(エンジンの違いとか有りますけど)パフォーマンスを見せた時は改めて凄い人だと感心しました。
「しゃぼん玉」の替え歌で♪チェザリス飛んだ 壁まで飛んだ 壁まで飛んで 壊して逃げたってのがありましたね昔
古舘氏が犬も歩けば・・・と言ってましたねー。
鈴木亜久里が「嫌いなドライバーは?」と聞かれて、真っ先にチェザリスを挙げてました。理由は「だってアイツ変なんだもん!!」でしたw空港で荷物を待ってる時に「ウホウホ」言ってたり、ピットでバナナ食べながらうろついたり、ゴルフ場で隣のホールから変な雄叫びが聞こえると思ったらチェザリスだった、なんて色々なエピソードがありましたね。
チェザリス…懐かしいですね。最近は味のある中段グループのドライバー居なくなりましたね。マルティニ、ピロ、モデナ、タルキーニ、ラリーニ、モルビデリ、コマス、ベルナール、グルイヤール…。チェザリスもですが…みんな、危なっかしい運転で中段から後方を盛り上げて居た時代が懐かしいです。
ジョーダン191はぶっ壊れていても美しいなぁ
チェザリスは「荒かった」というより、マシンと自分自身の限界に対してゼロマージン上等…だったんじゃないかと下位チームで走っても意外な好結果を稀に残せたのは、その走り方がどんぴしゃで決まったときでしょう頑丈が売りのボルボがF1やってくれたら、チェザでも壊さずに済むマシン用意できたかな~とか笑
速いが荒い速いのは大事な事だよ
遅い奴を速くするよりも速い奴の癖を矯正する方が楽だと言った関係者もいるくらいだからなあ...
9:06ジョーダン191の設計にジョン・バーナードは関係ないと思います。でも動画はいつも楽しみにしております。
次はミケーレ・アルボレートをやって欲しいです。
85年タイトル取れそうだったのが懐かい
割と愛すべきドライバーよな
亡くなった後にCG誌に掲載されたインタビュー記事でチェザリス本人の話では「俺がフィリップモリスの重役の息子? 誰がそんな事言った? マルボロ売ってるタバコ屋(代理店だったかも)の息子ってだけ!」「カート参戦時にカッコいいからマルボロカラーにしたくてフィリップ・モリスに許可を求めたのがキッカケだ!」という事らしい??です。
9:01 このあたりの時期、ジョン・バーナードはフェラーリ~ベネトン在籍時期なのでジョーダン191にはノータッチだと思います。191の時のジョーダンのTDはゲイリーアンダーソンではなかったかと、
何処の何年かのレースか忘れたけど、チェザリスがトップを走っていたけど、周回遅れの車がチェザリスの前で邪魔をして、ようやく抜いた時に手をあげて抗議したのだけど、ギアアップ出来なくて抜かれて首位を失ったという話を思い出す。
82年第3戦ロングビーチですね初ポールで中盤までトップでしたが周回遅れのマシンに怒ってその隙を突いてこの年復帰したラウダが抜いてその後復帰後初優勝しました(後に失格)
@@00doude092キロ最低重量より軽かったやつでしたっけ
1993年の鈴鹿でF1デビューを飾ったエディ・アーバイン…。 F1デビュー早々からセナを怒らせたり、1994年においては開幕戦ブラジルGPで他の選手たちを巻き込んだ多重クラッシュで出場停止処分となっていたなぁ…。古館伊知郎さんからは「走るイエローカード」「一人IRA」「F1テロリスト」とか…。
右京さんがF1グランプリ天国の単行本をチェザリスに見せたら自分のキャラクターに納得いかず不満タラタラだった話ホント好き
ティレルおじさんがミスをしたクルーへのお仕置き(?)がチェザリスの運転する車で帰らせる(笑)
クラッシュしたマシンから無傷で生還するチェザリスを見て「ぜひウチに欲しい」と惚れ込む解体屋w
記録より記憶に残る選手の代表格
テイレルに乗った時にマールボロじゃなくてキャビンのステッカーがヘルメットに貼ってあることから父親の支援じゃなくて実力でF1を渡り歩いていたことが分かる。
クラッシュが多い割には、大きな怪我をしていないし、他者に怪我をさせてもいない、不思議なドライバーでしたね。マクラーレンでポールポジションを取ったり、有力チームでないスクーデリアイタリアで3位に入ったりした辺り、確かに速く走る能力はあったのでしょゔ。
F3でマンセルを怪我させてます‼️
大好きなドライバーの1人です!いつも、何かしらの名勝負に絡む印象でした!
大好きなドライバーでした。個人的には91年のベルギーGP、92年のメキシコGPがベストですね。91年の最終戦アデレートで大雨の影響で赤旗中断になり、決勝を続けるか審議にはいっていたところエディが「多くのドライバーは決勝を棄権して既にマシンから降りているが、ウチのドライバーは走る気満々だ」と語るエディの後ろに美しい191に大雨に動ずる事無く乗ったままのチェザリスが凄くオーラを感じました。かっこよかったです。
この男はキミ・ライコネンの次に好きだった。中嶋がF1でフルロックするまでブレーキを踏んだ事あるのはこの男のクラッシュの時だけと言っていたっけな。
チェザリスって速かったですよね。優勝が無いのが不思議なくらい。勝手な妄想ですが、速く走るために攻め過ぎた結果、クラッシュとかがあったんだろうと思っています。時々、キレッキレの走りで入賞してくるから、F1を盛り上げた一人だと思っています。
中学生の時、チャリンコ乗ってて、友達に「チェザリス!」と言ってチャリンコぶつけてたな…懐かしい痛い思い出
荒くれ者、じゃじゃ馬ドライバーというイメージでしたが、そこも含めて80~90年代のF1は面白かった!
天性の速さがあったし普段の人間性はよかったから長く残れたんだと思います。ジタンが付いていたリジェに呼ばれたのも純粋に期待されていたからだと思います。1989年のモナコでコース塞いでピケに怒鳴っていたのには笑いましたw
まるでマンガのキャラクターのような人(^ ^)マルボロが個人スポンサーであるにも関わらずジタンだったりキャビンだったりと平気で他社のタバコメーカーのスポンサードを受けてしまうなど色んな意味で凄い人だったなあ…吉凶を併せ持つ稀有なドライバーでしたね。
同じイタリア人ドライバーのミケーレ・アルボレートもマルボロの援助でティレルから出走していた89年シーズンに途中からジャン・アレジが加入しそれに伴いチームがキャメルのサポートを受けるようになった時に筋を通して離脱したエピソードを見ると、やはりチェザリスは豪傑に相応しいドライバーだった。
@@FATMANtheMetavoriks アルボレートおじさんはテスト中の事故で、チェザリスはバイクを運転中にそれぞれ事故で亡くなってますね🙏
典型的な「記憶に残る」選手ですね。スクーデリア・イタリア時代は特に好きでした。鈴木亜久里さんが「チェザリスは右コーナーを左に曲がる」って揶揄してたトークを強烈に覚えてますw
素晴らしいチャンネル!レインさん自身の声で解説を聞いてみたい!
チェザリス好きだったわぁw
「振り向けばチェザリス」というくらい、晩年は安定していた。見てる方は楽しいけど、チームオーナは壊されると、予算が大変だったでしょう。
チェザリスはクラッシュも多かったけど、速いドライバーだったのも間違いなかったんだよなぁ・・・スポンサーを持っていたのは間違いないけど、そこら辺のペイドライバーなんかとは次元が違う。
90年代から乱立していたペイドライバーなんかとは格が違いましたよね🏎️🏎️🏎️
どれだけ批判されるF1ドライバーもなるまでの過程はすごい輝かしいのまじで世界トップレベルって感じよな
'91年メキシコGPでゴール直前でガス欠になり自らマシンを押してゴールした姿を今でもよく覚えてます。
当時の古館伊知郎氏の付けた異名「サーキットの通り魔」がピッタリ過ぎて、応援しているドライバーがパスする時に毎回ヒヤヒヤしてました。
こうして動画を見るとなかなかの苦労人のようでクラッシュも“攻めるが故”と考えれば…まあチームとしては頭が痛いし事故に巻き込まれた他のドライバーはたまったもんじゃないですがw
「犬も歩けばチェザリスに当たる」は名言中の名言でした。
もしチェザリスがFW14Bに乗っていたら色んなコースでレコード更新してそう
個人的には91年ベルギーGPが印象的。マシンが持てば間違いなく勝てたはず。
こんにちは。レインさんの解説にもあったように、どうしてもクラッシャーのイメージが強いデ・チェザリスですが。トータル的には自身のクラッシュリタイア回数よりもメカニカルトラブルの方が多いことはあまり知られていません。その要因として91年でのジョーダンでの活躍や、ティレル以降の成績を見れば分かります。だから早い段階でジョーダンのようなチームにいれば人生は違ってたものになってたかもしれません。
チェザリスさん、ジョーダン191で2位走行やティレル020Bで4位入賞とかしていましたね。チェザリスさんが引退したあとまた一つ歴史が終わったと思いました。
チェザリス懐かしなぁ。スクーデリアイタリアで壊し屋チェザリスとよく言われてたのを思い出す。
近年のルール・マシンでリタイア数を更新する事は不可能なんでしょうね
チェザリスは速いです😃下位チームのマシンで上位入賞する実力の持ち主故に壊し屋の異名を取るくらい攻めた走りをするドライバーなんです
クラッシュが多いのはそれだけ攻めてるって事じゃないのかね?安全マージンから逆算して攻めるタイプと限界から逆算して走るタイプがいますからね。後者という事でしょうかね。しかし早いだけじゃダメですから、キャリアにも表れてますね。ただ、見てる方としては何か期待してしまうドライバー。他界してた事が悲しい・・・
一発の速さがあったのでハマると好タイムを並べてくるボールポジションも取っているが、彼は顔面痙攣という病気を患っていたと聞く。バイク事故で55歳で他界。アルボレート同様、早すぎた死
記憶に残るドライバーだったなぁ、チェザリス。
サーキットの通り魔 音速の貴公子に勝るとも劣らない キレのあるニックネームだった!!
アルヌーの「妖怪通せんぼ爺」も
晩年…森脇さんの所に電話してきて…Fニッポンでオレを走らせて欲しいと言ってたらしいですね。
F1キャリア後年の、クラッシュの多さが影響して、「壊し屋」なんてイメージが定着してしまった彼だけど、ポールポジション経験者でもあり、表彰台も経験しているんだよね。速さはあったドライバーだった。これだけクラッシュが多かったのにも関わらず、レース中に亡くなる事はなかったのに、バイクでの交通事故でなんてね…ご冥福をお祈り致します。
やっぱり早いは早いよねっ😄87年は中嶋さんと良くバトルしてたイメージ😄チームメイトのパトレーゼとも遜色ない位置で走ってと思う😄91年のベルギーは惜しかった😢中継観ながら応援したなぁ〜✊😄残念ながらトラブルで止まってしまったけど😢
スポンサーに恵まれていたとはいえ、そもそもチェザリス並の成績はおいそれと挙げられるものではないです。
F1中継で、お〜と、マシンが止まってる〜❗チェザリスですか〜‼️と確認もしないで、チームメイトのほうかもしれないのに常にやっぱり止まってたのはチェザリスでした😀
古舘からは「ザ•クラッシャー」「サーキットの通り魔」などと散々けなされていたけど、91年以降は円熟の走りになっていましたね🏎️🏎️🏎️懐かしさを感じさせるレーサーの一人です😌😌😌
速くて安定してるのはドライバーもマシンも理想像。求められて様々なチームを渡り歩けるって事が速さの証明。しかし、チェザリスを取り上げるとか「通」過ぎるね!
マルボロが個人スポンサーだったが1984年と1985年はリジェのメインスポンサーだったジタンブロンド1993年のみ、右京さんの個人スポンサーだったCABINを着けたヘルメットとレーシングスーツを身につけたイタリア国旗をイメージしたカラーリングのヘルメットを着用した
チエザリスとマンセルが近くにいるとドキドキしたものだ古館があおるあおるうるさいくらいにあおる
マンセルは確か、脊髄を負傷して「キ●ガイ」野郎って言ってましたね😂
F1レーサーのゴルフコンペでチェザリスがウホウホと興奮していたら、マンセルが静かに「やっぱりアイツはおかしい…」と呟いたとか(^ ^)
マンセルが言うか❗
犬も歩けばチェザリスに当たる、走る解体屋このあだ名が全てを物語ってるチェザリスさん笑
ジョーダン191はゲイリーアンダーソンとマークスミスですね。お父様に反対されていたオートバイでの事故でお亡くなりになられてしまいました。個性的でステキなドライバーでした。
市街地で速いドライバーはホンモノ… だと思っています。クラッシュも多かったけど、歴代のチームを見てもやはり速さはあったと思う。で、ジョーダン191はバーナードじゃなくゲイリー・アンダーソンですよね。 あのマシンは美しさトップ3には入ると思う。
有る意味❗、今現在は消滅した‼ フットワークFA12無限MUGEN H0NDAもマシンデザイン。 が,似ていましたね❕❕
やるときはやる漢チェザリスEuro Pictures でアンジェリスとたまに間違えられてた記憶
私は、チェザリスは好きでしたね。一時期のマンセルみたいにメッチャ速いかクラッシュ大好きなタイプです。
こういう方が頑張れるのにたった1回で追放された井出裕二は気の毒。やはりアジア人だからという面もあるか。。
ジョーダンの罰金ルールで速いチェザリスが本領を発揮した印象がありますね。結構、上位を走っていた常連で速いけど完走率が悪いと記憶しています。まさか不慮の事故で無くなっていたとはしりませんでした。
ジョーダン191といえばこのドライバータミヤのプラモデルを組み立てたことで覚えましたね…
ジョーダン191ってジョン・バーナード設計してたのか!ゲーリーアンダーソンだと思ってた
決勝で体を張ってクラッシュテストをする男
チェザリスのおかげでF1の安全基準が厳しくなり、事故死が減った(*_*)チェザリス❕グッジョブ👍
キャリアのどこかで上位チームに入れたらって思う。予算もノウハウもない下位はマシンが壊れやすいのはもちろん、遅い車を技術でねじ伏せなきゃならないから否応なくクラッシュも増えてしまうし
F1アナ古舘伊知郎は「サーキットの通り魔」とか「犬も歩けばチェザリスに当たる」など、的確な表現した!
今のF1にはこんだけ濃いドライバーはいないからな〜いい意味で去年はマゼピンがいい味出してたと思う
何気に端正な面構え🤗
ジョーダン191とチェザリスの組み合わせは印象に残っているな。更にシーズン中盤でM・シューマッハがこのマシンでデビュー。歴代屈指の素晴らしいデザインのマシン、壊しやチェザリス、皇帝シューマッハのデビュー、と濃い一年だった。
チェザリスといえばカナダ3位表彰台ゴリラ化を思い出し笑いしてしまう、本当我を失う程嬉しかったんだろうな
表彰台の壇上で大喜びしてピョンピョン飛び跳ねながらシャンパンファイトしてたね〜🍾🍾🍾
ルネ・アルヌーも不当な扱いをされていたなという思い出。古舘伊知郎氏に妖怪通せんぼジジィと揶揄されていたけれど、あのジル・ヴィルヌーヴと一騎打ちをしたドライバーだった
ピットレーンでのスピードは世界一だと言われていたw
ファンキーモンキーチェザリスやん!懐かしいな
チェザリスはスクーデリアイタリア以降しか知りませんが、何とも言えない魅力があったな~。
ジョーダン191にはジョン・バーナードは関わっていませんよ?正しくはゲイリー・アンダーソンですね。
そうだそうだ。
ジョーダン191ってジョンバーナードが設計したの?ゲイリーアンダーソンでしょう?
マウロ・バルディの解説もお願いします
晩年のチェザリスしか知らないから古舘実況がウザく感じた。中堅どころでいい走りするドライバーじゃんって思いましたので。
そっか、チェザリスは亡くなってましたね・・・この動画を観ている最中、何度も爆笑してしまった事をお詫びせねば・・・😪チャンネル登録しますので、お許しください。
それでも予選で2位にもなっている実力者。
最期がクラッシュっていうのもある意味チェザリスらしい
JORDAN191の設計はジョン・バーナードではなくゲイリー・アンダーソンですね
今宮が馬鹿にしてたよな「チェザリスは札付きです」ってふたりとも早死しちゃった
「チェザリスは体重を軽くする」という城達也さんのナレーションが今でも耳に残りますね。
レースでいくらクラッシュしてもピンピンしてたのに、バイク事故なんかで・・・
謹んで哀悼の意を表するとともに、故人のご冥福をお祈り申し上げます。
バイクは危険だとカートを与えた父親の判断は正しかったのかも。息子の性格を見抜いていたんでしょうね。F1を離れて思い切りバイクを操り亡くなったと思いたい。合掌🙏
「チェザリスは体重を軽くする」・・ベルギー・スパのスタート前にコース脇で立ち小便をする映像でしたね! 懐かしい!
事故多いけどそれなりにスピードがあってマシンを降りるとめちゃくちゃいい人で顔は結構男前って所がグロージャンと共通しててキャラクター似てる人だと思う。
この動画の言う通り、チェザリスはかなり過小評価されているドライバーだと思います。80年代、特にアルファロメオ時代のチェザリスの動画をみると、それはそれは素晴らしい走りをしているのを確認できるでしょう。クラッシュが多いのはマシンの戦闘力以上に速く走ってしまうから。間違いなく天性の才能を持ったドライバーでした。
「チェザリスが椅子に座ってイメージトレーニングしてた時、イメトレ内でクラッシュしたのかいきなり椅子から転げ落ちた」って話好き
実践でクラッシュする前に、既にイメトレでクラッシュするイメージが出来上がっていたと言う事ですね😅
川合さんが主役の四コマ漫画だったと記憶してますが。違うでしょうかw
@@kinokoantonio2516 クラッシュしたマシンから降りた時に野生化してたのが好きでした(笑)
石橋を
叩いて渡るプロスト
落ちるマンセル
壊すチェザリス
でしたっけ😅
@@noki8794 石橋を叩いて渡るプロスト
何も考えずに渡るマンセル
落ちるアレジ
壊すチェザリス
だったかと💡
マンセルが能天気に橋を渡ってたのは覚えてました😅
もっと評価されてもいい人物だと思う。91年と92年にチームを支えたことは大きいと思う。若いころにクラッシュが多かったのが痛かったかな。もっと活躍してほしかった人物で忘れられない。
チェザリスも大好きなドライバーだったなぁ…
特にジョーダンでマシンを押す姿が印象に残ってる
アンドレアチェザリス。いまいち強力チームとは縁の無かったドライバーでしたね。でも時にキレた走すドライバーでF1での活動時期も割と長かったですよね!
87年のベルギーGPでブラバムに乗っていた時もマシンを押してました(その時3位入賞!)
ジョーダンの監督が必死に押せ押せとアピールしていたことが、とても印象に残っています。
@@kunihiroc7591 マクラーレンのロンデニスが、そんなこと違反だ。と言ったがレース成立していたのでポイントゲットとなった。
ミハエル・シューマッハの最初のチームメイトこそ
今回の動画のテーマのチェザリス。
ティレルのデ・チェが白目剝きながらオー・ルージュを全開で抜けてくの簡単に想像出来て草
大好きなドライバーの一人
あの頃は、味わい深いドライバー多かった
個人的に最も記憶に残るドライバー。200戦以上参戦して優勝ゼロはチェザリスだけですね。
91年ベルギーは優勝まであと一歩でしたが、82年モナコもファイナルラップでのガス欠がなければ優勝してたかもです。
バイク事故で亡くなられた日は確か日本グランプリでビアンキがクラッシュして重体になった日でもありますね。
父親から禁止されていたバイク事故で亡くなったのは皮肉な運命でしたが、本当に面白い選手でした❗
違うタバコメーカーがスポンサーをしているチームにも、マルボロの資金援助を受けながら在籍していたのは面白かったです(笑)
94年はスポット参戦のジョーダンで4位に入ったことでザウバーから望外のシートを得たり、一度シーズン中に離脱したザウバーからシーズン最後のほうでまた乗るように呼び戻されたものの、バカンスに出掛けていて連絡が全く取れず、レートが変わりに乗ったこともありましたね😂
あとは古舘伊知郎から様々なあだ名を付けられていましたね❗
「壊し屋」
「犬も歩けばチェザリスにあたる」
「サーキットの通り魔」
「走る解体屋」
「スピードのセクハラ男」
「ファンキー・モンキー・チェザリス」
「人間スクラップ工場」
「ローマの野良犬」
91年の中盤頃から安定した走りをみせるようになり、古館も「エディ・ジョーダンによる更生。かつては人間スクラップ工場と呼ばれた男」という感じに変わっていきましたね。
古舘さんのセンスも最高(^∇^)
「恐妻家」「33歳の大人」「親の七光り」「走り屋チェザリス」「ストリートファイター」「中嶋の後ろからは怖いチェザリス」ベルギーで「2番手に浮上したのは、誰もが目と耳を疑うチェザリスなのだから」2年落ちマシンを与えられ「こんなクラシックカーでいつまで走らせるつもりだ?」アレジのフェラーリを周回遅れにして「やるときは、ちゃっかりやる」鈴鹿でコース図を描けずにスプーンコーナーが直線だった。どこかでマシンがエンジンブロー。マーシャルに消化器吹っ掛けられ「マーシャルにぶっ殺されるとかと思ったぜ」ピット内を時速200㎞で走ったり、逆走したりというエピソードもある。弱小チームAGSのマシンを壊し、契約なかったことに。スキーとサーフィンの名手として有名。チェザリスは鈴鹿のスプーン抜けるスピードの速さ、ラインの乱れのなさに驚いたことがあります。ブランドルもだけど。「サーキットの瞬間湯沸かし器」「サーキットのお天気やさん」なんてのも。なんと言っても好きなレーサーだっただけにおしい。進路妨害したとしてセナに詰め寄られた右京さん。チェザリスだよと言って回避。本当らしい。チェザリスがF11デビュー飾った日、チャンピオンドライバーのフェラーリが予選落ちした悲劇。鈴鹿で新品の椅子にチェザリスが腰かけたら、壊れたりと、本人は座ったら壊れるのか?面白い椅子だな😂91モナコではエンジントラブルからリタイヤ。また壊したな。最後にマシン回収したらウィング破損しており、やはりな。違うよ。本当だよ。実際は回収する人が積込で壊したらしい。
良くも悪くも、なにかやってくれる感じが好きだったな。
フジテレビf1中継が始まってからのチェザリスしか知らないので、若手時代に有望だったのは意外でした。最後亡くなったのが、かつて夢中だったバイクでの事故というのが運命的なものを感じます。
チェザリス懐かしいですね!ベルギー・スパのオールージュのデータが全開を示していたのが格好良すぎます!
マシンの限界性能を引き出す努力の結果がクラッシュ・リタイアに繋がってしまっていたのでしょうね。
古舘さんの「犬も歩けばチェザリス」に当たる
は有名
スピードのセクハラ男も!
過小評価していたのはメディアの人たちだろう。時々魅せる切れた走りは只者ではない。速さだけならセナやマンセルと肩を並べるでしょう。
マシンを作り上げるセットアップ能力が足りなかったらしいですね。
ジョーダンのベルギーGPでは、あのまま行けばセナを抜いて優勝出来たのでは??と今でも思います。
右京さんがチェザリスの毎戦ごとに自らが乗り記録したセッティングノートを見せてもらい驚いた話もあれば、93年ブラジルの予選で1台しか使えなかったマシンに交互に乗ったら右京さんは「アンダーステア」チェザリスは「オーバーステア」と好みが真逆な話があったりした。 10チーム以上渡り歩き、当時の4強チーム以外は乗っているのはやはりタバコマネーの存在は絶対に欠かせない顔面神経痛の持ち主、クラッシュや リタイヤした後はインタビューしにくい位に気が荒かったのに、落ち着くと「入れよ入れよ」とモーターホームに誘ってくれたり感情の起伏が激しい性格なのに、『恐妻家』の一面があり、86年豪州のレース後に奥さんの後ろで両手一杯に荷物を抱えた姿を今宮さんが目撃、91年の開幕戦で予備予選落ちした後は奥さんに買い物を連れられた話もあった。
古館さんが実況をされていた頃、決して馬鹿にしてこき下ろす様な言い方では無く、むしろちょっとコミカルな言い方をされていたので(故・今宮氏も)、クラッシュしても
「あ~またか~W」
みたいな軽い気持ちで観てたのですが、チームにしてみれば洒落にならなかったんですね…。
中嶋氏が去られた後のティレルで、戦闘力が劣ると言われながらも(エンジンの違いとか有りますけど)パフォーマンスを見せた時は改めて凄い人だと感心しました。
「しゃぼん玉」の替え歌で
♪チェザリス飛んだ
壁まで飛んだ
壁まで飛んで
壊して逃げた
ってのがありましたね昔
古舘氏が犬も歩けば・・・と言ってましたねー。
鈴木亜久里が「嫌いなドライバーは?」と聞かれて、真っ先にチェザリスを挙げてました。理由は「だってアイツ変なんだもん!!」でしたw
空港で荷物を待ってる時に「ウホウホ」言ってたり、ピットでバナナ食べながらうろついたり、ゴルフ場で隣のホールから変な雄叫びが聞こえると思ったらチェザリスだった、なんて色々なエピソードがありましたね。
チェザリス…懐かしいですね。
最近は味のある中段グループのドライバー居なくなりましたね。
マルティニ、ピロ、モデナ、タルキーニ、ラリーニ、モルビデリ、コマス、ベルナール、グルイヤール…。
チェザリスもですが…みんな、危なっかしい運転で中段から後方を盛り上げて居た時代が懐かしいです。
ジョーダン191はぶっ壊れていても美しいなぁ
チェザリスは「荒かった」というより、マシンと自分自身の限界に対してゼロマージン上等…だったんじゃないかと
下位チームで走っても意外な好結果を稀に残せたのは、その走り方がどんぴしゃで決まったときでしょう
頑丈が売りのボルボがF1やってくれたら、チェザでも壊さずに済むマシン用意できたかな~とか笑
速いが荒い
速いのは大事な事だよ
遅い奴を速くするよりも速い奴の癖を矯正する方が楽だと言った関係者もいるくらいだからなあ...
9:06
ジョーダン191の設計にジョン・バーナードは関係ないと思います。
でも動画はいつも楽しみにしております。
次はミケーレ・アルボレートをやって欲しいです。
85年タイトル取れそうだったのが懐かい
割と愛すべきドライバーよな
亡くなった後にCG誌に掲載されたインタビュー記事でチェザリス本人の話では「俺がフィリップモリスの重役の息子? 誰がそんな事言った? マルボロ売ってるタバコ屋(代理店だったかも)の息子ってだけ!」「カート参戦時にカッコいいからマルボロカラーにしたくてフィリップ・モリスに許可を求めたのがキッカケだ!」という事らしい??です。
9:01 このあたりの時期、ジョン・バーナードはフェラーリ~ベネトン在籍時期なのでジョーダン191にはノータッチだと思います。
191の時のジョーダンのTDはゲイリーアンダーソンではなかったかと、
何処の何年かのレースか忘れたけど、チェザリスがトップを走っていたけど、周回遅れの車がチェザリスの前で邪魔をして、ようやく抜いた時に手をあげて抗議したのだけど、ギアアップ出来なくて抜かれて首位を失ったという話を思い出す。
82年第3戦ロングビーチですね
初ポールで中盤までトップでしたが周回遅れのマシンに怒ってその隙を突いて
この年復帰したラウダが抜いてその後復帰後初優勝しました(後に失格)
@@00doude092キロ最低重量より軽かったやつでしたっけ
1993年の鈴鹿でF1デビューを飾ったエディ・アーバイン…。 F1デビュー早々からセナを怒らせたり、1994年においては開幕戦ブラジルGPで他の選手たちを巻き込んだ多重クラッシュで出場停止処分となっていたなぁ…。古館伊知郎さんからは「走るイエローカード」「一人IRA」「F1テロリスト」とか…。
右京さんがF1グランプリ天国の単行本をチェザリスに見せたら自分のキャラクターに納得いかず不満タラタラだった話ホント好き
ティレルおじさんがミスをしたクルーへのお仕置き(?)がチェザリスの運転する車で帰らせる(笑)
クラッシュしたマシンから無傷で生還するチェザリスを見て「ぜひウチに欲しい」と惚れ込む解体屋w
記録より記憶に残る選手の代表格
テイレルに乗った時にマールボロじゃなくてキャビンのステッカーがヘルメットに貼ってあることから父親の支援じゃなくて実力でF1を渡り歩いていたことが分かる。
クラッシュが多い割には、大きな怪我をしていないし、他者に怪我をさせてもいない、不思議なドライバーでしたね。
マクラーレンでポールポジションを取ったり、有力チームでないスクーデリアイタリアで3位に入ったりした辺り、確かに速く走る能力はあったのでしょゔ。
F3でマンセルを怪我させてます‼️
大好きなドライバーの1人です!
いつも、何かしらの名勝負に絡む印象でした!
大好きなドライバーでした。
個人的には91年のベルギーGP、92年のメキシコGPがベストですね。
91年の最終戦アデレートで大雨の影響で赤旗中断になり、決勝を続けるか審議にはいっていたところエディが「多くのドライバーは決勝を棄権して既にマシンから降りているが、ウチのドライバーは走る気満々だ」と語るエディの後ろに美しい191に大雨に動ずる事無く乗ったままのチェザリスが凄くオーラを感じました。
かっこよかったです。
この男はキミ・ライコネンの次に好きだった。
中嶋がF1でフルロックするまでブレーキを踏んだ事あるのはこの男のクラッシュの時だけと言っていたっけな。
チェザリスって速かったですよね。優勝が無いのが不思議なくらい。
勝手な妄想ですが、速く走るために攻め過ぎた結果、クラッシュとかがあったんだろうと思っています。
時々、キレッキレの走りで入賞してくるから、F1を盛り上げた一人だと思っています。
中学生の時、チャリンコ乗ってて、友達に「チェザリス!」と言ってチャリンコぶつけてたな…
懐かしい痛い思い出
荒くれ者、じゃじゃ馬ドライバーというイメージでしたが、そこも含めて80~90年代のF1は面白かった!
天性の速さがあったし普段の人間性はよかったから長く残れたんだと思います。ジタンが付いていたリジェに呼ばれたのも純粋に期待されていたからだと思います。
1989年のモナコでコース塞いでピケに怒鳴っていたのには笑いましたw
まるでマンガのキャラクターのような人(^ ^)
マルボロが個人スポンサーであるにも関わらずジタンだったりキャビンだったりと平気で他社のタバコメーカーのスポンサードを受けてしまうなど色んな意味で凄い人だったなあ…吉凶を併せ持つ稀有なドライバーでしたね。
同じイタリア人ドライバーのミケーレ・アルボレートもマルボロの援助でティレルから出走していた89年シーズンに途中からジャン・アレジが加入しそれに伴いチームがキャメルのサポートを受けるようになった時に筋を通して離脱したエピソードを見ると、やはりチェザリスは豪傑に相応しいドライバーだった。
@@FATMANtheMetavoriks アルボレートおじさんはテスト中の事故で、チェザリスはバイクを運転中にそれぞれ事故で亡くなってますね🙏
典型的な「記憶に残る」選手ですね。
スクーデリア・イタリア時代は特に好きでした。
鈴木亜久里さんが「チェザリスは右コーナーを左に曲がる」って揶揄してたトークを強烈に覚えてますw
素晴らしいチャンネル!レインさん自身の声で解説を聞いてみたい!
チェザリス好きだったわぁw
「振り向けばチェザリス」というくらい、晩年は安定していた。見てる方は楽しいけど、チームオーナは壊されると、予算が大変だったでしょう。
チェザリスはクラッシュも多かったけど、速いドライバーだったのも間違いなかったんだよなぁ・・・
スポンサーを持っていたのは間違いないけど、そこら辺のペイドライバーなんかとは次元が違う。
90年代から乱立していたペイドライバーなんかとは格が違いましたよね🏎️🏎️🏎️
どれだけ批判されるF1ドライバーも
なるまでの過程はすごい輝かしいの
まじで世界トップレベルって感じよな
'91年メキシコGPでゴール直前でガス欠になり自らマシンを押してゴールした姿を今でもよく覚えてます。
当時の古館伊知郎氏の付けた異名「サーキットの通り魔」がピッタリ過ぎて、
応援しているドライバーがパスする時に毎回ヒヤヒヤしてました。
こうして動画を見るとなかなかの苦労人のようで
クラッシュも“攻めるが故”と考えれば…
まあチームとしては頭が痛いし事故に巻き込まれた他のドライバーはたまったもんじゃないですがw
「犬も歩けばチェザリスに当たる」は名言中の名言でした。
もしチェザリスがFW14Bに乗っていたら色んなコースでレコード更新してそう
個人的には91年ベルギーGPが印象的。マシンが持てば間違いなく勝てたはず。
こんにちは。
レインさんの解説にもあったように、どうしてもクラッシャーのイメージが強いデ・チェザリスですが。
トータル的には自身のクラッシュリタイア回数よりもメカニカルトラブルの方が多いことはあまり知られていません。
その要因として91年でのジョーダンでの活躍や、ティレル以降の成績を見れば分かります。
だから早い段階でジョーダンのようなチームにいれば人生は違ってたものになってたかもしれません。
チェザリスさん、ジョーダン191で2位走行やティレル020Bで4位入賞とかしていましたね。チェザリスさんが引退したあとまた一つ歴史が終わったと思いました。
チェザリス懐かしなぁ。スクーデリアイタリアで壊し屋チェザリスとよく言われてたのを思い出す。
近年のルール・マシンでリタイア数を更新する事は不可能なんでしょうね
チェザリスは速いです😃
下位チームのマシンで上位入賞する
実力の持ち主
故に壊し屋の異名を取るくらい攻めた走りをするドライバーなんです
クラッシュが多いのはそれだけ攻めてるって事じゃないのかね?
安全マージンから逆算して攻めるタイプと限界から逆算して走るタイプがいますからね。後者という事でしょうかね。
しかし早いだけじゃダメですから、キャリアにも表れてますね。ただ、見てる方としては何か期待してしまうドライバー。他界してた事が悲しい・・・
一発の速さがあったので
ハマると好タイムを並べてくる
ボールポジションも取っている
が、彼は顔面痙攣という病気
を患っていたと聞く。
バイク事故で55歳で他界。
アルボレート同様、早すぎた死
記憶に残るドライバーだったなぁ、チェザリス。
サーキットの通り魔 音速の貴公子に勝るとも劣らない キレのあるニックネームだった!!
アルヌーの「妖怪通せんぼ爺」も
晩年…森脇さんの所に電話してきて…Fニッポンでオレを走らせて欲しいと言ってたらしいですね。
F1キャリア後年の、クラッシュの多さが影響して、「壊し屋」なんてイメージが定着してしまった彼だけど、ポールポジション経験者でもあり、表彰台も経験しているんだよね。速さはあったドライバーだった。これだけクラッシュが多かったのにも関わらず、レース中に亡くなる事はなかったのに、バイクでの交通事故でなんてね…ご冥福をお祈り致します。
やっぱり早いは早いよねっ😄
87年は中嶋さんと良くバトルしてたイメージ😄
チームメイトのパトレーゼとも遜色ない位置で走ってと思う😄
91年のベルギーは惜しかった😢
中継観ながら応援したなぁ〜✊😄
残念ながらトラブルで止まってしまったけど😢
スポンサーに恵まれていたとはいえ、そもそもチェザリス並の成績はおいそれと挙げられるものではないです。
F1中継で、お〜と、マシンが止まってる〜❗
チェザリスですか〜‼️
と確認もしないで、チームメイトのほうかもしれないのに
常に
やっぱり止まってたのは
チェザリスでした😀
古舘からは「ザ•クラッシャー」「サーキットの通り魔」などと散々けなされていたけど、91年以降は円熟の走りになっていましたね🏎️🏎️🏎️
懐かしさを感じさせるレーサーの一人です😌😌😌
速くて安定してるのはドライバーもマシンも理想像。
求められて様々なチームを渡り歩けるって事が速さの証明。
しかし、チェザリスを取り上げるとか「通」過ぎるね!
マルボロが個人スポンサーだったが
1984年と1985年はリジェのメインスポンサーだったジタンブロンド
1993年のみ、右京さんの個人スポンサーだった
CABINを着けたヘルメットとレーシングスーツを身につけた
イタリア国旗をイメージしたカラーリングのヘルメットを着用した
チエザリスとマンセルが近くにいるとドキドキしたものだ古館があおるあおるうるさいくらいにあおる
マンセルは確か、脊髄を負傷して「キ●ガイ」野郎って言ってましたね😂
F1レーサーのゴルフコンペでチェザリスがウホウホと興奮していたら、マンセルが静かに「やっぱりアイツはおかしい…」と呟いたとか(^ ^)
マンセルが言うか❗
犬も歩けばチェザリスに当たる、走る解体屋
このあだ名が全てを物語ってるチェザリスさん笑
ジョーダン191はゲイリーアンダーソンとマークスミスですね。
お父様に反対されていたオートバイでの事故でお亡くなりになられてしまいました。
個性的でステキなドライバーでした。
市街地で速いドライバーはホンモノ… だと思っています。
クラッシュも多かったけど、歴代のチームを見てもやはり速さはあったと思う。
で、ジョーダン191はバーナードじゃなくゲイリー・アンダーソンですよね。 あのマシンは美しさトップ3には入ると思う。
有る意味❗、今現在は消滅した‼ フットワークFA12無限MUGEN H0NDAもマシンデザイン。 が,似ていましたね❕❕
やるときはやる漢
チェザリス
Euro Pictures でアンジェリスとたまに間違えられてた記憶
私は、チェザリスは好きでしたね。一時期のマンセルみたいにメッチャ速いかクラッシュ大好きなタイプです。
こういう方が頑張れるのにたった1回で追放された井出裕二は気の毒。やはりアジア人だからという面もあるか。。
ジョーダンの罰金ルールで速いチェザリスが本領を発揮した印象がありますね。
結構、上位を走っていた常連で速いけど完走率が悪いと記憶しています。
まさか不慮の事故で無くなっていたとはしりませんでした。
ジョーダン191といえばこのドライバー
タミヤのプラモデルを組み立てたことで覚えましたね…
ジョーダン191ってジョン・バーナード設計してたのか!ゲーリーアンダーソンだと思ってた
決勝で体を張ってクラッシュテストをする男
チェザリスのおかげでF1の安全基準が厳しくなり、事故死が減った(*_*)
チェザリス❕グッジョブ👍
キャリアのどこかで上位チームに入れたらって思う。予算もノウハウもない下位はマシンが壊れやすいのはもちろん、遅い車を技術でねじ伏せなきゃならないから否応なくクラッシュも増えてしまうし
F1アナ古舘伊知郎は「サーキットの通り魔」とか「犬も歩けばチェザリスに当たる」など、的確な表現した!
今のF1にはこんだけ濃いドライバーはいないからな〜
いい意味で去年はマゼピンがいい味出してたと思う
何気に端正な面構え🤗
ジョーダン191とチェザリスの組み合わせは印象に残っているな。更にシーズン中盤でM・シューマッハがこのマシンでデビュー。
歴代屈指の素晴らしいデザインのマシン、壊しやチェザリス、皇帝シューマッハのデビュー、と濃い一年だった。
チェザリスといえばカナダ3位表彰台ゴリラ化を思い出し笑いしてしまう、本当我を失う程嬉しかったんだろうな
表彰台の壇上で大喜びしてピョンピョン飛び跳ねながらシャンパンファイトしてたね〜🍾🍾🍾
ルネ・アルヌーも不当な扱いをされていたなという思い出。古舘伊知郎氏に妖怪通せんぼジジィと揶揄されていたけれど、あのジル・ヴィルヌーヴと一騎打ちをしたドライバーだった
ピットレーンでのスピードは世界一だと言われていたw
ファンキーモンキーチェザリスやん!
懐かしいな
チェザリスはスクーデリアイタリア以降しか知りませんが、何とも言えない魅力があったな~。
ジョーダン191にはジョン・バーナードは関わっていませんよ?正しくはゲイリー・アンダーソンですね。
そうだそうだ。
ジョーダン191ってジョンバーナードが設計したの?ゲイリーアンダーソンでしょう?
マウロ・バルディの解説もお願いします
晩年のチェザリスしか知らないから古舘実況がウザく感じた。中堅どころでいい走りするドライバーじゃんって思いましたので。
そっか、チェザリスは亡くなってましたね・・・
この動画を観ている最中、何度も爆笑してしまった事をお詫びせねば・・・😪
チャンネル登録しますので、お許しください。
それでも予選で2位にもなっている実力者。
最期がクラッシュっていうのもある意味チェザリスらしい
JORDAN191の設計はジョン・バーナードではなくゲイリー・アンダーソンですね
今宮が馬鹿にしてたよな
「チェザリスは札付きです」って
ふたりとも早死しちゃった