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大乱闘スマッシュブラザーズの、ニンテンドウ64版は、雑誌等の事前情報無しにある日突然試遊機が置かれていて、突然発売されたと云う印象でしたね。
64vsPSを語る上で重要な指摘が抜けてる。そもそも当時はROMカセットであること自体がサードパーティーにとってリスクだった。製造時に任天堂に先にお金を納めるルールも重たかったし、また製造に時間が掛かるので予想外にヒットした場合もバックオーダーの対応も難しく、タイムリーに商品を届けられなかった。反対にCD-ROMは製造コストが安いのはもちろん、追加のプレス~出荷も数日で行えることがサードパーティーにとっては革命的な「待遇改善」になっていたのでハードのスペックがどうであれ、ソニーが一番に突いたのは任天堂のビジネスモデルのサードパーティにとっての不満点なので、この時代においては任天堂は勝ち目がなかったと思う。
勝ち負けで考えると難しい話だが、64で生み出された数多のシリーズが後に長く続いていったのは言うまでもなく、それは引き出すのが難しかったスペックに立ち向かい続けた事で得られた結果でもあり、何より当時の円盤ロード時間の遅さでは実現が現実的でなかったものもあると思われる。先行投資という意味では間違いなく多大な貢献をしたゲーム機であるのは間違いない。
カービィ64とどうぶつの森は家族で遊びまくったなぁ
ちょくちょく挟まれる画像今時コピーライトも使わないとは恐れ入る
開発中止タイトルが結構あった気がする。代表的なのはマザー3かな?
まぁ任天堂とソニーの決裂によってソニーのプレステが誕生したんだから結果としては良かったよな
一つのソフトでたくさん遊べる分他のソフトがあまり必要なかった感
64のソフトと言えば、FPS黎明期の傑作である007ゴールデンアイを忘れていはいけません。
めちゃくちゃ好きでやり込みました。後続のパーフェクトダークも名作なのを忘れてはいけないw
戦車で踏んだ音と断末魔が懐かしい
@@カリン様っぽい人 「アー!!(グチャ)」
ハード戦争に負けたとはいうけど、マリオカートやスマブラ、ゴールデンアイ、マリオパーティの四人対戦は他にはできない子供が集まってワイワイやる向けとしては最高のハードだったよ!
ファミコンソフト、スーパーファミコンソフト、ゲームボーイソフトが使えるアダプターキットが開発•発売されたらもっと売り上げが伸びていたに違いありませんね。
都市伝説として、かつて当時の社長、山内氏にはお付きの占い師がおり、それが彼にアドバイスをしていたけれど、その占い師は90年代前半ごろから、占いの腕が鈍り始めた……なんて話もありあますね。
ゼルダ目当てで64を買って、ゼルダをクリアした後、本体ごと売ったw
これを「負けハード」と言ったらゲームキューブの立場は一体wwwww
マリオ64が出たときはインパクト受けたなぁあとカートとウェーブレースも流行った
あえて開発難易度を上げることによってソフト乱発による駄作を生みづらくなったけども、本当の本当に少数精鋭になってしまったのが痛かったなぁ…。
我が家の初めての据え置きゲーム機だったな…(遠い目マリオ64やムジュラの仮面、カスタムロボV2、ドンキーコング64をよくやっていた。
64のCPUに選ばれたのは、当時世界最速を誇っていたクレイ社のMipsアーキテクチャのCPUと聞いています。クレイ社はスーパーコンピュータメーカーで、スーパーコンピューターで扱うメモリ領域が4GB以上もあったので64ビットである必要がありました。ただし当時の家庭用ゲーム機では過大スペックだったのは歪めません。ちなみにソニーのPS4及び5は64ビット機になります。AMD社がx86アーキテクチャを64ビットに拡張したものです。扱うメモリ領域が4GBを超えて来たので正統な進化とも言えます。
ゴールデンアイ、パーフェクトダーク、スターウォーズ帝国の影とか、渋い作品もたくさんあって徹夜で遊んでました。
64めちゃ楽しかったけど、そんな裏話があったのか、、、、
懐かしいなあ、007 golden eyeを弟や友達とプレイして楽しかった記憶があるw
コントローラーパックの接触不良やデーター破損が多かった記憶が…当時プレステのメモリーカードの安心感は凄かった
メモリーカードは画期的でしたね。気軽にデータの持ち運び、友達同士でのやりとりが出来るのは便利でした。
@@祐一-g5e メモリーカードは容量も多く、ブロック単位で計算し易かったのも画期的でした。各メーカーがある程度あの規格に合わせてソフトを作っていたので(一部大容量のソフトを除いて)、メモリーカード買い足しのタイミングが容易に計算できました。
ゼルダの伝説 時のオカリナをやるためだけにバカ売れするくらいのモンスターゲーム機。
今こそミニ64を出そうぜ!!
64にドラクエ7.FF7が出てたらめっちゃ売れてそう
13:34 「ディスクの時代がくるとわかっていた」「だからSonyに従属させられることを恐れて、ソニーをきって、独自のロムカートリッジ方式にした」8:34 「6時間食べ放題のような」64の異常なハイスペック ソフト開発の仕事が爆発的にふえてしまった⇒ソフト会社が逃げたww 64の性能はプレステよりも高かった 変態レベルのスペックを求めすぎてハードが爆死する傾向は プレステ3やvitaでSonyも落とし穴にはまった15:08 独自規格を追求しすぎた PSPの独自規格もあったな・・・
変態レベルのスペックはもうどこも追求しなくなったよなまぁ結局値段の問題なんだろうけど、ゲーム自体の要求スペックが上がりすぎて、快適に遊ぶためにはRTX4070Ti以上が必須とかWindows PC以外無理だろみたいな
プレステは久夛良木さんの復讐の産物ですからねその後は徹底的にイジメられたからな
光ディスクが主流となりつつある中でも、伝統のカセット方式を貫く姿勢に任天堂のこだわりが感じ取れる
………拘りの裏言葉は、独り善がりでも有る、其れを体現してしまったハード、其れがNintendo64とも言えますな。
当時メジャーだったCDではなくダサいカセットに拘ったのは世界で割れが流行っていたので任天堂は「お金を払ってゲームを遊んで欲しい」と思っていたから
ディスクメディアとカードリッジの読み込み速度に差があって任天堂側はロード時間なしにしたかったのでカードリッジにしたって所です。例で言うとこんな感じです。ネオジオCD CD1倍速 毎秒150KB/sプレステ、セガサターン CD2倍速 毎秒300KB/s64 カードリッジ 毎秒 5.3MB/s (CD36倍速 相当)これが、カードリッジが安価できちんとした開発キットがあったら結構違っていたかもしれません。特に容量が許せれば、当時ロード時間が多かったプレステやセガサターンのタイトルではロード時間無しでゲームが出来たと思いますね。当時にプレステの格ゲーだと1試合始まるまで読み込みで10秒~20秒程度待つ必要がありましたので(64は独自プログラムで開発する必要があり、開発敷居が高く、ソフトを作りづらい環境でもありました。)
ぶっちゃけあの頃のカセット方式以外のゲームはロードが長過ぎて子どもでは耐えられない(毎回10秒以上のロード)から子どもに売りたかった64をカセットにしたのは正解だと思う。
3Dゲームの触り心地はPS、セガサタより圧倒的に良かった
3Dスティック! 従来の十字キーと違いスティックを傾けて操作できる!!……それ2Dでは……?
ソニーと任天堂のこの辺の話はめちゃくちゃ面白いソニーの開発担当が社長を焚き付けてプレステの開発を独自に続行する話とかめちゃくちゃ熱い
いらない子として捨てられた周辺機器が力をつけ最悪の敵として報復してきたこうして見るとまるで俺の大大大嫌いななろう系のような話だなマジで
発売が遅れたのも大きいけど販売層が別れてた感覚がある64:子供向けPS:青年向けSS:コア層と成人向けとにかくPSはオシャレっていう空気感と圧倒的ソフトの数謎のゲーム会社がいっぱいあって玉石混交のカオスゲームが多かったからその辺も楽しかったな
この時期任天堂は子供向け、ファミリー向けを宣伝してイメージ戦略やってましたからね、そのおかげで子供層には根強い人気はありましたが20年近くキッズ向けと言う呪いみたいなイメージが付いてしまったという負の面と当時子供だった層が大人になっても買ってくれるという正の面があったと思います。
>とにかくPSはオシャレっていう空気感と圧倒的ソフトの数>謎のゲーム会社がいっぱいあって玉石混交のカオスゲームが多かったからその辺も楽しかったなPSの94年~98年後半は特にソフト数が半端なかったですね、ゲーム出さないメーカーまでも参入してかなりカオスでした。開発キットが安価で出しやすかったのが大きかったですが、その反面当時のSCEのバグチェックの基準が甘くバグだらけで発売したソフトや低クオリティのタイトルも結構多かったです。しかし99年頃からバグチェックに関してはかなり厳しくなり、バグだらけのソフトは減る傾向にあります。(一部メーカーが「SCEはバグチェックに甘いから、バグがあったままで出しちゃえ」って言っていて それがSCEの耳に入り、バグチェックの工数を増やされたって言うのもあります。)
@@manabugoto7900 勝つためになりふり構ってられませんからバカにされてもピカチュウとかに頼ってでも
確かに当時のPSはおしゃれってイメージがありましたね!自分は子供の頃、N64しか持っていなかったのですが、ゲーム屋さんで見る64の分厚いカセットと比べると、PSのCDROMがスタイリッシュでかっこよく見えて憧れでした。
今でこそswitchでギャルゲー出てるけど当時はカセットで容量不足だからpiaキャロットの様なOPアニメ入りでフルボイスのは無理だった。GBCやGBAでボイスやアニメなしのnaturalやときメモが出てたけどね。
ゲームの面白さは必ずしもハードの性能とは比例しない。
プレイステーションがスーパーファミコンの周辺機器としてリリースされていたら、扱いとしてはPCエンジンCD-ROM2やメガCDみたいに一世代前のハードの付属品として世代交代の波の向こう側に行ってたかもしれないんだなぁ…
任天堂最大の誤算はカセットを過信しすぎた事と、周辺機器等なくてもスーファミだけでもやっていけると自惚れた事だな
@@113g8 当時のCDの倍速に限界があったからカードリッジにしたって経歴をお忘れなくちなみにPS2のDVD-ROMですら64の読み込み速度には達していません。
ソフト高過ぎるんだよなスーファミなんか後半1万越え当たり前だったろ?
@@阿部フラミンゴ >スーファミなんか後半1万越え当たり前だったろ?1995年くらいまでは11400円がザラでしたね(24M ROM、32M ROMがそう)その中でコーエータイトルは14800円、任天堂タイトルが9800円1996年~1998年からはようやくROMの価格が下がったって所です。ただショップ側からするとスーファミは粗利が高い商品だったらしく本体は粗利なしですが、ソフトで大きく儲ける事が出来たそうです。
これが1番の青春最高に楽しかったし、今でもやるよ!
64のゼルダはムジュラの仮面が凄かったと思うな。タイムループするたびに、あれだけ多くのNPCが毎回きちんと同期して動いてるってのが。それに、それぞれの人物のエピソードも好きだった。
ソフトが高い、そしてソフトが売れないから小売店がワゴンセールで投げ売りするだったら投げ売りまで待てばいいじゃないかという構造あとバブル崩壊というのを任天堂は考慮していなかったソニーは不況だからソフトを5,800円程度の定価で抑えていた発売後1年たったら定価を2,980円まで下げたからな、だからゲームに興味が無い10代後半~OL層まで普及した
任天堂の宮本茂さんが64でFF7が作れないのと同様にマリオはプレステで作れないとコメントしてた。
64はハイスペックなゲーム開発の困難さを可視化させた痕跡は大きいと思う10年後日本のサードパーティーは苦戦したからな
とはいえPSをそのまま周辺機器にしていたら軒を貸して庇を取られる可能性もあったしここで蓄積した自社ソフト開発のノウハウがのちに行かされてるからこれで良かったのかもしれない
中学生の友達ん家に4人で集まって24時間ぶっ通しでゴールデンアイしたのはいい思い出
64はマジにすごいハード。今だにエミュでもスペック必要だし、ハイスペックでもちゃんと動かないソフトがあるくらい。実機は今もあるけど実機じゃないと100%楽しめないし、壊れにくいからずっと遊べる。たぶん、20年くらいしたらプレミアつくと思う。
スペックが高い=開発しにくいは昔の話で今はむしろ低スペックが開発しにくいってわかってない人多すぎるんだよなぁだから組長の発言を現代では通じないと思う
それはそう
高性能を使い切らなくてもよくて、むしろ無駄が多くてもハードスペックでカバーして開発期間が短く出来る方向で開発できたらよかったのかも。アイディアの鮮度はあると思うし。ガラケーからスマホへ移行した時は、そこら辺があったので制約のために工夫を考える必要があったけどそれを排除してやれたのは違いました。64も未発売の展示会だけでみれた楽しかったソフトはあったので、とても残念に感じますね
私は当時某IT企業に勤めていたけど、64がカセットになったことを「任天堂の失策」と会社の同僚と話していた。一方で誰もがPCを扱う黎明期でもあったので、会社外の友達からは「なんでゲームはもう64ビットなのにPCはまだ32ビットなの?」なんて質問されてもいたなあ。32ビットのCPUと64ビットのCPU、どれをどう使えばいいのかみんなが模索していた時代かも知れない。
CDROMを採用していたら売れていただろうという意見もありますが、そうもいかないと思います。ディスクは小さなこどもには扱いづらく傷つけてしまうおそれがあるのと、マリオ64やバンジョーのような、つねに大量のフィールドデータをメモリに読む必要があるゲームには向きません。
任天堂初の敗北という歴史的な時代だった
64は ROMの容量低さとROMのコストが高く Saturnは 本体コストの高さと3D性能低さPlayStationは メモリ容量低さ各種欠点だらけ
アダルトゲームの移植で抜けたしチョロQもやったし文句なし
個人的には64は「風来のシレン2 鬼襲来!シレン城」が好きでした。不思議のダンジョンシリーズ最高傑作だと思っています。
金の建材が集まらずやり続けました
グラフィックが何気に64最高峰クラス
ハイスペックが裏目に出たという点だけは、ゲームギアにも言える事ですねあれもハイスペックすぎて、絶望的な燃費の悪さという諸刃の剣でしたから
ニンテンドー64ハイスペックなのはあるんだろうけど64DDの迷走のせいだろFFだって64DDのソフト予定だったし64DD失敗でかすぎ
大人になってから売れてなかった、負けハードだって知った。それくらい子供の自分には人気ハードだった
あまりにもソフト数を絞りすぎたため、欲しいという気がしなかった。
64 のマリオやゼルダには確かに驚いたけど、サターンの「ナイツ」の正常進化形と思ったから、食指が動きませんでした。スパロボ64で「ゴッドマーズ参戦!」に、少し揺れたけど(笑)
64というと当時のテレビ番組「64マリオスタジアム」がおもしろかったな。ゲームだと有名なの外すとバーチャルプロレス2が結構お気に入りだった。
ゲームが変わる!64が変える!!大人になった今でもまさにそう思う。頑張ったなNINTENDO64、俺の中ではお前がナンバー1だ。
セガサターンはバーチャファイター、PlayStationはリッジレーサーをプレイしたくて買ったけど、その後のファイナルファンタジー、ドラゴンクエストの両シリーズが大きかったな〜。64はやりたいソフトが無かったら結局買わなかったな。
64は当時任天堂が求める本格的3Dゲーム機で、実験と研究がされ後世に繋がる名作が生まれたと思います。また64で積み重ねた苦労があるから世界で唯一戦えるソフトメーカーでもあると思います。
当時はプレステ サターンも値下げされてたから価格は64が出た頃はすでに高かったよ。ロクヨンは赤字では無かったらしいけどカセットと、CDの差も大きかった、カセットはロードが短いが容量が無いしコストも高い。
もしNINTENDO64でFF7が出ててもカートリッジだから高額になってたと思う。
マリオテニスはバーチャルボーイが初登場だった気がする。
忍耐動画配信御願い致します😢
ハード戦争には確かに敗れたハードではありますが、ソフトに関しては粒ぞろいといったところでしょうなんだかんだで100万本以上売れたソフトがそこそこ有り(任天堂タイトルばかりだけど)で競争には負けたけど、ソフト面ではそうでもなかったって所です。(とは言いながら、今後のゲーム業界に大きな影響を与えるタイトルが出るハードでもありました。 「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」が伝説級のタイトルとして君臨する)しかし、ソフト開発がかなり難しかったと聞いており、スペックは高いけどハードを扱い切れるソフトメーカーが少なく、カードリッジの制約もあり、大容量のCDと違いこの部分でも相当苦労した感じです。ただ任天堂側も2000年に入る頃には、子供向け以外にも視野を広げたい節があり販売タイトルにも一部変更が出ています。(バイオハザード2、罪と罰 〜地球の継承者〜あたりかな、岩田聡氏が任天堂に大きく絡む様に なってかららしいですが、この部分の真相は諸説が色々とあり不明ですね・・・)ビジネスと見れば日本とヨーロッパではソフト面を除けば駄目でアメリカではスーファミ並みの大成功を納める形ですかね、64に関しては並行輸入のゲームソフトが日本に結構入ってきていて、買う方も多かった模様です。
ヾ(゚Д゚ )ォィォィ 64DDが全く出てないじゃんか!!不遇のハード64DD!!!スターフォックス2!!!
確かに64bitCPUだけど、殆どのゲームが32bitモードで動いてたみたいですね(wiki参照)
マリオがやりたくて買ったけど十字キーじゃなかったので指が痛くなった。操作が選べたら良かったのに。
PC-FX「……………」
今思えば3Dスティックって大発明
カセットだったからこそ、袋に入れて自転車のかごに入れて友人の家に行って遊んだりするの楽でしたね。今は同化解りませんが、当時の子供からするとCDって結構傷をつけてしまう人多かったんですよね。カスタムロボやボンバーマン懐かしい。
CDはケースに入ってるからそこまで困らんよ。傷つく事はあるけど相当やらんと読み込めないとこまでは行かないし。
@@健久保田-x4k 友人が結構傷をつけちゃって「音が飛んでいたり流れなかったりした状態」のゲームを持っていたので……。
@@松下憲一-k3p 結局DVDにしたし アレは何だったのって思うし今はフラッシュメモリーだけど
当時の任天堂のソフトは持ち上げられすぎ。シリーズ物とキャラ物だらけ。「ピカチュウの元気でチュウ」みたいな子供騙しのソフトも有ったし(←ちゃっかり持ってた)新しい物を殆ど生み出せなかった上にサードパーティーにとっても開発が難しすぎた。その後「どうぶつの森」がシリーズ化されるとは思わなかったけど。
FC、SFCとずっと任天堂に親しんで来た身としてはそれ以外のハードは考えられない!と買ったものの、一向にソフトが出ない、ようやく出始めたと思ったらアクションばっかりでRPGが全くでないで、そうこうしてるうちにドラクエがPSに移籍して勝負ありになっちゃいましたね。当時の任天堂推しのゲーム誌には64DDが出てはじめて完全体になる!見たいに言われてましたが結局それも立ち消えになりました。
64DDは発売されていますよ。
性能が高い代わりにソフト開発困難てPS3みたいやな。開発用にゲームエンジンも用意してやれなかったのか。
コレがCD-ROMドライブを積んでいたらシェア争いはどうなっていたか…。
たぶんCD-ROM積んでてもSFC時代に殿様商売し過ぎて色んなサードパーティーに苦行を強いてたのもあってサードパーティーに逃げられてるし結果は変わらなかったと思うなぁそもそも64と任天堂に苦汁を舐めさせる事になるPSも任天堂がソニーを怒らせてSFCパワーアップパーツの話が破談にならなければ産まれなかった産物だしハードがどうのではなく当時の任天堂の傲慢が原因と思われる
任天堂は、ニンテンドウ64と同じ時期にCD-ROMマシン開発していたが、そちらをご破算にしていたとか。
もともとCD-ROMの読み込み速度に不満があったってのも大きいらしい。ゲームの途中で待ち時間は不要って。
CD-ROM自体まだまだ、発展途上でしたし、CDとカードリッジでは読み込み速度に差がありすぎたのもあります。これって結局今のHDDとSSDに似てますね。HDDは容量面では勝てるけど読み込み速度は遅い、SSDは速度面では早いけど、容量はそこまで大きくないって感じですかね
ソニーと任天堂の対立に関しては諸説ありますね、この動画だとソニーが契約違反をした、となっていますが任天堂がいきなりCDに関してソニーと一緒に特許を持っていたオランダのフィリップスと共同開発のゲーム機を発売する、という発表をしたことでソニーが激怒し、その後開発中止→久夛良木さんが大賀さんをたきつけて「Do it !」という有名な言質を引き出しSCEが発足した…という話もあります。
転校する前の学校で仲良かった友達と毎日のようにスマブラしたり、家族でマリオカートしたりと64はたくさん思い出の詰まったハード
自分と友達との数が4人だったからマリオカート スマッシュブラザーズ マリオパーティー 等をしてた
低スペックハードのSwitchがロングセラーになり、恐竜的進化を遂げたはずのPS5は高スペックが祟ってソフトが供給されず苦戦。かつての64の反省を生かした見事な雪辱戦だったな。
発売予定のソフト見れば今後ps5が主流になっていくのわかるはずなんだけど
パーフェクトダークを睡眠時間を削ってやり込んで最後は一緒にやってくれる人がいなくなるくらい上手くなったのはいい思い出wwwバトルモードは闇タイプばっか相手にしてたw
対戦でトランキライザ使うとお友達無くすぞ二人で共同ミッションの搭載は嬉しい所だ画面が暗いからお年寄りは007かのぉ><
@@相沢愛子-z1t 確かにwトランキライザって慣れるといくら食らっても自分は操作にほ影響なくプレーできるけど、慣れない人はわけ分からなくなりますもんねwNボム、ファーサイトも友達無くしますよね😅サーチモードにしてレーダーで敵方に向いて照準合わせると効率的に相手を狩れるから無双できますしw個人的にはKNAvengerかAR使った中近距離戦が好きですけどね。
@@ぺいぺい-n3b ふふふ、コメントからかなりやり混んでるのがよくわかる、敵さんの行動タイプ如何によっては相手もファーサイト使うから怖い。わたしは寺院で拳銃を配置した設定が好きー あと対戦中落下死するマップはご法度デス、まだまだ言いたいことある、クラクラ状態が死んでも継続するのは困る。
@@相沢愛子-z1t 寺院でピストルは逆に苦手な組合せですねwピストルは弾幕が弱いし寺院は広くて命中率下がるので仕留めにくくて…😅落下死するステージはシカゴマンションかデータダイン地下ですね。データダイン地下は苦手でしたが、シカゴマンションでサブマシンガン・スパイクローク設定にして乱戦を楽しんでましたねw死角がいっぱいで奇襲すればお互い秒殺のスリリングさが癖になります😁まあ、スパイクロークもノーダメージになるわけではないし、よく見るとぼんやり相手が見えるから弾幕張って撃ち抜けるんですけどねwNボムやトランキライザのぼんやり継続使用はきつかったですね…😅
@@ぺいぺい-n3b スパイクロークは消費が速いので使うのはアイテム貯めてから使うわけですが貯めてる間に召し取られる。威力の弱い武器の対戦のときは全員の体力設定をかなり下げると良い感じです。2,3発で死ぬくらい割と緊張感アリマスヨ
64の(本体)ピカチュウバージョンはかなり驚いた。大丈夫なのか…?これって思った。本体奇抜過ぎ!
これビザの懸賞で当たったなぁマリオ64のスターをコンプしてたな
スーパーファミコンが売れすぎたために投入時期を見誤ったってのはありましたね、PSとSSで盛り上がってた時期にハードが無いから蚊帳の外でしたからね、この時期のハード投入時期のズレってのは実はWiiが出るまで位引きずってるんですよね、WiiUが早期撤退して想定外にswitchに移行した事が逆に投入時期の調整になって良いサイクルに変化したんじゃないかとも思いますしその後の半導体不足なんかの影響も薄かったですから何事もタイミングと運が一番大事なんですかね。
今の所マイナーチェンジで乗り越えてるが Switchの後継機がどうなるかも注目だ64と同じ運命は避けたい所だ。
かわいい女の子を取り合う構図すこ。
ファイアーエムブレム64が出なくて、当てが外れました😿
ロクヨンは確かに世間的に言えば負けハードかもしれませんがソフトは名作揃いだと思います。マリオ64やマリオストーリーやマリオパーティーシリーズ、星のカービィ64、スマブラ、時オカ等今遊んでも面白い名作揃い😆
昔64の開発ツールを使ってたことがあるんだけど、これが使い勝手あまり良くなかった記憶しかない。ぶっちゃけVR開発ツールだったんだが、それ使うのに今は亡きシリコングラフィックスというワークステーション(※1番安くて性能の悪い物でも100万円)で開発するって言われて、こんなの買えるかい!って。まあwinNT版もあったけど、R10000(N64がR4000系列でそれの高性能版と思ってもらって良い)とPentium2の差はデカくて話にならんかった。
プレビュー用にだけindy使ってました。N-WORLD使い物にならなくて初期はつらかったですわ
グラフィックスのライブラリがopen-GLライクなのも地味にハンデでしたね、当時のプログラマさんがちょいと3D触って勉強するかとなると大抵MSのDirect-Xからとなるんでtipsてきなノウハウを1から積みなおしでした…辛い
ROMカセットって時点で負けてた( ・´ー・`)
恐らく未だに遊ばれてるゲームは64が多いと思うRTAやってるの64かなり多いし
時間の例えの部分はあまり上手くない例えだったので蛇足な感じがしました
所々出てくるアウトレイジ やヤクザシーンが草😂
「ピカチュウげんきでちゅう」がやりたいためだけに64買ったなあ。CMの綿引勝彦さんみたいに「自分用です」って言って。
負けハードとはいえその後の礎となるゲーム達を排出したからきちんと役目は果たしたと思います。確かに当時もっていた身としてはもっとソフトでないかなぁ。。とは思いますが。。それでもゲームが変わるヨクヨンが変えるをきちんと果たした立派なゲーム機ですよ。
64にはポケモンスタジアムがある、ドードリオで育成捗りまくった。
やはりドラクエとFFがソニー陣営に加わったのは大きかった。
企業間の契約の話は外野がアレコレ言ってもねぇ。ソニーに乗っ取られるってのは、PS2以降はソニーグループの手駒として活用されてたのを見れば当たってた訳だし。むしろ手を切れて良かったんじゃ、と思ってしまう。
何故あのタイミングでテイルブルーを…?
当時はRPGブームだったからカセットROMは日本で三番手になるのは当たり前だね
アーマードコアがやりたくてずっとPS派でした。
あとソフトが高経ったのも有りましたねぇ(ΦωΦ;)プレステサターンは高くても6000円代、64は1万近くになってた気がします(;''∀'')当時、子供時分にはそこも分かれ目に感じました。
64はスペック的にはカートリッジなのにps1やサターンにも劣らないのが強みで、移植できるはずなんだけど、あんまり無かったですね。任天堂ファーストは名作扱いで強いハードだったけど、サードがいまいちで数が少なく、64のスペックを活かしきれていなかったのが残念でした
64はそもそも、開発キットを利用するのではなく、ソフト毎に独自プログラムを作る必要があるので64に合わせて独自プログラムを組まないと行けないのがあり、3Dになって工数や人材が大きく必要になり開発方法にあったやり方が出来ないって問題がありました。
カセットの方が容量が小さいからプレステからの移植は厳しい状況だよ。それを補う為に64DDを開発してたんだから
そもそもアーケード移植に全く期待出来ないのは大きな痛手でした3D時代の本格始動と同時に、アーケードゲームが最も盛況した時代でもありましたから
@@aletf1192 アナログスティックつけたのはアーケードからの移植を想定してだと思うが実際はほとんど移植され無かったなぁ
大乱闘スマッシュブラザーズの、ニンテンドウ64版は、雑誌等の事前情報無しにある日突然試遊機が置かれていて、突然発売されたと云う印象でしたね。
64vsPSを語る上で重要な指摘が抜けてる。そもそも当時はROMカセットであること自体がサードパーティーにとってリスクだった。
製造時に任天堂に先にお金を納めるルールも重たかったし、また製造に時間が掛かるので予想外にヒットした場合もバックオーダーの対応も難しく、タイムリーに商品を届けられなかった。
反対にCD-ROMは製造コストが安いのはもちろん、追加のプレス~出荷も数日で行えることがサードパーティーにとっては革命的な「待遇改善」になっていたので
ハードのスペックがどうであれ、ソニーが一番に突いたのは任天堂のビジネスモデルのサードパーティにとっての不満点なので、この時代においては任天堂は勝ち目がなかったと思う。
勝ち負けで考えると難しい話だが、64で生み出された数多のシリーズが後に長く続いていったのは言うまでもなく、それは引き出すのが難しかったスペックに立ち向かい続けた事で得られた結果でもあり、何より当時の円盤ロード時間の遅さでは実現が現実的でなかったものもあると思われる。
先行投資という意味では間違いなく多大な貢献をしたゲーム機であるのは間違いない。
カービィ64とどうぶつの森は家族で遊びまくったなぁ
ちょくちょく挟まれる画像
今時コピーライトも使わないとは恐れ入る
開発中止タイトルが結構あった気がする。代表的なのはマザー3かな?
まぁ任天堂とソニーの決裂によってソニーのプレステが誕生したんだから結果としては良かったよな
一つのソフトでたくさん遊べる分
他のソフトがあまり必要なかった感
64のソフトと言えば、FPS黎明期の傑作である007ゴールデンアイを忘れていはいけません。
めちゃくちゃ好きでやり込みました。
後続のパーフェクトダークも名作なのを忘れてはいけないw
戦車で踏んだ音と断末魔が懐かしい
@@カリン様っぽい人
「アー!!(グチャ)」
ハード戦争に負けたとはいうけど、マリオカートやスマブラ、ゴールデンアイ、マリオパーティの四人対戦は他にはできない子供が集まってワイワイやる向けとしては最高のハードだったよ!
ファミコンソフト、スーパーファミコンソフト、ゲームボーイソフトが使えるアダプターキットが開発•発売されたらもっと売り上げが伸びていたに違いありませんね。
都市伝説として、かつて当時の社長、山内氏にはお付きの占い師がおり、それが彼にアドバイスをしていたけれど、
その占い師は90年代前半ごろから、占いの腕が鈍り始めた……なんて話もありあますね。
ゼルダ目当てで64を買って、ゼルダをクリアした後、本体ごと売ったw
これを「負けハード」と言ったらゲームキューブの立場は一体wwwww
マリオ64が出たときはインパクト受けたなぁ
あとカートとウェーブレースも流行った
あえて開発難易度を上げることによってソフト乱発による駄作を生みづらくなったけども、本当の本当に少数精鋭になってしまったのが痛かったなぁ…。
我が家の初めての据え置きゲーム機だったな…(遠い目
マリオ64やムジュラの仮面、カスタムロボV2、ドンキーコング64をよくやっていた。
64のCPUに選ばれたのは、当時世界最速を誇っていたクレイ社のMipsアーキテクチャのCPUと聞いています。
クレイ社はスーパーコンピュータメーカーで、スーパーコンピューターで扱うメモリ領域が4GB以上もあったので64ビットである必要がありました。ただし当時の家庭用ゲーム機では過大スペックだったのは歪めません。
ちなみにソニーのPS4及び5は64ビット機になります。AMD社がx86アーキテクチャを64ビットに拡張したものです。扱うメモリ領域が4GBを超えて来たので正統な進化とも言えます。
ゴールデンアイ、パーフェクトダーク、スターウォーズ帝国の影とか、渋い作品もたくさんあって徹夜で遊んでました。
64めちゃ楽しかったけど、そんな裏話があったのか、、、、
懐かしいなあ、007 golden eyeを弟や友達とプレイして楽しかった記憶があるw
コントローラーパックの接触不良やデーター破損が多かった記憶が…
当時プレステのメモリーカードの安心感は凄かった
メモリーカードは画期的でしたね。
気軽にデータの持ち運び、友達同士でのやりとりが出来るのは便利でした。
@@祐一-g5e
メモリーカードは容量も多く、ブロック単位で計算し易かったのも画期的でした。
各メーカーがある程度あの規格に合わせてソフトを作っていたので(一部大容量のソフトを除いて)、メモリーカード買い足しのタイミングが容易に計算できました。
ゼルダの伝説 時のオカリナをやるためだけにバカ売れするくらいのモンスターゲーム機。
今こそミニ64を出そうぜ!!
64にドラクエ7.FF7が出てたらめっちゃ売れてそう
13:34 「ディスクの時代がくるとわかっていた」「だからSonyに従属させられることを恐れて、ソニーをきって、独自のロムカートリッジ方式にした」
8:34 「6時間食べ放題のような」64の異常なハイスペック ソフト開発の仕事が爆発的にふえてしまった⇒ソフト会社が逃げたww
64の性能はプレステよりも高かった
変態レベルのスペックを求めすぎてハードが爆死する傾向は プレステ3やvitaでSonyも落とし穴にはまった
15:08 独自規格を追求しすぎた PSPの独自規格もあったな・・・
変態レベルのスペックはもうどこも追求しなくなったよな
まぁ結局値段の問題なんだろうけど、ゲーム自体の要求スペックが上がりすぎて、快適に遊ぶためにはRTX4070Ti以上が必須とかWindows PC以外無理だろみたいな
プレステは久夛良木さんの復讐の産物ですからねその後は徹底的にイジメられたからな
光ディスクが主流となりつつある中でも、伝統のカセット方式を貫く姿勢に任天堂のこだわりが感じ取れる
………拘りの裏言葉は、独り善がりでも有る、其れを体現してしまったハード、其れがNintendo64とも言えますな。
当時メジャーだったCDではなくダサいカセットに拘ったのは世界で割れが流行っていたので任天堂は「お金を払ってゲームを遊んで欲しい」と思っていたから
ディスクメディアとカードリッジの読み込み速度に差があって任天堂側は
ロード時間なしにしたかったのでカードリッジにしたって所です。
例で言うとこんな感じです。
ネオジオCD CD1倍速 毎秒150KB/s
プレステ、セガサターン CD2倍速 毎秒300KB/s
64 カードリッジ 毎秒 5.3MB/s (CD36倍速 相当)
これが、カードリッジが安価できちんとした開発キットがあったら結構違っていたかもしれません。
特に容量が許せれば、当時ロード時間が多かったプレステやセガサターンのタイトルではロード時間無しで
ゲームが出来たと思いますね。
当時にプレステの格ゲーだと1試合始まるまで読み込みで10秒~20秒程度待つ必要がありましたので
(64は独自プログラムで開発する必要があり、開発敷居が高く、ソフトを作りづらい環境でもありました。)
ぶっちゃけあの頃のカセット方式以外のゲームはロードが長過ぎて子どもでは耐えられない(毎回10秒以上のロード)から子どもに売りたかった64をカセットにしたのは正解だと思う。
3Dゲームの触り心地はPS、セガサタより圧倒的に良かった
3Dスティック! 従来の十字キーと違いスティックを傾けて操作できる!!
……それ2Dでは……?
ソニーと任天堂のこの辺の話はめちゃくちゃ面白い
ソニーの開発担当が社長を焚き付けてプレステの開発を独自に続行する話とかめちゃくちゃ熱い
いらない子として捨てられた周辺機器が力をつけ最悪の敵として報復してきた
こうして見るとまるで俺の大大大嫌いななろう系のような話だなマジで
発売が遅れたのも大きいけど販売層が別れてた感覚がある
64:子供向け
PS:青年向け
SS:コア層と成人向け
とにかくPSはオシャレっていう空気感と圧倒的ソフトの数
謎のゲーム会社がいっぱいあって玉石混交のカオスゲームが多かったからその辺も楽しかったな
この時期任天堂は子供向け、ファミリー向けを宣伝してイメージ戦略やってましたからね、
そのおかげで子供層には根強い人気はありましたが20年近くキッズ向けと言う呪いみたいな
イメージが付いてしまったという負の面と当時子供だった層が大人になっても買ってくれるという正の
面があったと思います。
>とにかくPSはオシャレっていう空気感と圧倒的ソフトの数
>謎のゲーム会社がいっぱいあって玉石混交のカオスゲームが多かったからその辺も楽しかったな
PSの94年~98年後半は特にソフト数が半端なかったですね、ゲーム出さないメーカーまでも
参入してかなりカオスでした。
開発キットが安価で出しやすかったのが大きかったですが、その反面当時のSCEのバグチェックの基準が甘く
バグだらけで発売したソフトや低クオリティのタイトルも結構多かったです。
しかし99年頃からバグチェックに関してはかなり厳しくなり、バグだらけのソフトは減る傾向にあります。
(一部メーカーが「SCEはバグチェックに甘いから、バグがあったままで出しちゃえ」って言っていて
それがSCEの耳に入り、バグチェックの工数を増やされたって言うのもあります。)
@@manabugoto7900 勝つためになりふり構ってられませんからバカにされてもピカチュウとかに頼ってでも
確かに当時のPSはおしゃれってイメージがありましたね!自分は子供の頃、N64しか持っていなかったのですが、ゲーム屋さんで見る64の分厚いカセットと比べると、PSのCDROMがスタイリッシュでかっこよく見えて憧れでした。
今でこそswitchでギャルゲー出てるけど当時はカセットで容量不足だからpiaキャロットの様なOPアニメ入りでフルボイスのは無理だった。GBCやGBAでボイスやアニメなしのnaturalやときメモが出てたけどね。
ゲームの面白さは必ずしもハードの性能とは比例しない。
プレイステーションがスーパーファミコンの周辺機器としてリリースされていたら、扱いとしてはPCエンジンCD-ROM2やメガCDみたいに一世代前のハードの付属品として世代交代の波の向こう側に行ってたかもしれないんだなぁ…
任天堂最大の誤算はカセットを過信しすぎた事と、周辺機器等なくてもスーファミだけでもやっていけると自惚れた事だな
@@113g8
当時のCDの倍速に限界があったからカードリッジにしたって経歴をお忘れなく
ちなみにPS2のDVD-ROMですら64の読み込み速度には達していません。
ソフト高過ぎるんだよな
スーファミなんか後半1万越え当たり前だったろ?
@@阿部フラミンゴ
>スーファミなんか後半1万越え当たり前だったろ?
1995年くらいまでは11400円がザラでしたね(24M ROM、32M ROMがそう)
その中でコーエータイトルは14800円、任天堂タイトルが9800円
1996年~1998年からはようやくROMの価格が下がったって所です。
ただショップ側からするとスーファミは粗利が高い商品だったらしく
本体は粗利なしですが、ソフトで大きく儲ける事が出来たそうです。
これが1番の青春
最高に楽しかったし、今でもやるよ!
64のゼルダはムジュラの仮面が凄かったと思うな。タイムループするたびに、あれだけ多くのNPCが毎回きちんと同期して動いてるってのが。それに、それぞれの人物のエピソードも好きだった。
ソフトが高い、そしてソフトが売れないから小売店がワゴンセールで投げ売りする
だったら投げ売りまで待てばいいじゃないかという構造
あとバブル崩壊というのを任天堂は考慮していなかった
ソニーは不況だからソフトを5,800円程度の定価で抑えていた
発売後1年たったら定価を2,980円まで下げたからな、だからゲームに興味が無い10代後半~OL層まで普及した
任天堂の宮本茂さんが64でFF7が作れないのと同様にマリオはプレステで作れないとコメントしてた。
64はハイスペックなゲーム開発の困難さを可視化させた痕跡は大きいと思う
10年後日本のサードパーティーは苦戦したからな
とはいえPSをそのまま周辺機器にしていたら軒を貸して庇を取られる可能性もあったしここで蓄積した自社ソフト開発のノウハウがのちに行かされてるからこれで良かったのかもしれない
中学生の友達ん家に4人で集まって24時間ぶっ通しでゴールデンアイしたのはいい思い出
64はマジにすごいハード。今だにエミュでもスペック必要だし、ハイスペックでもちゃんと動かないソフトがあるくらい。実機は今もあるけど実機じゃないと100%楽しめないし、壊れにくいからずっと遊べる。たぶん、20年くらいしたらプレミアつくと思う。
スペックが高い=開発しにくいは昔の話で今はむしろ低スペックが開発しにくいってわかってない人多すぎるんだよなぁ
だから組長の発言を現代では通じないと思う
それはそう
高性能を使い切らなくてもよくて、
むしろ無駄が多くてもハードスペックでカバーして開発期間が短く出来る方向で開発できたらよかったのかも。
アイディアの鮮度はあると思うし。
ガラケーからスマホへ移行した時は、そこら辺があったので制約のために工夫を考える必要があったけどそれを排除してやれたのは違いました。
64も未発売の展示会だけでみれた楽しかったソフトはあったので、とても残念に感じますね
私は当時某IT企業に勤めていたけど、64がカセットになったことを「任天堂の失策」と会社の同僚と話していた。
一方で誰もがPCを扱う黎明期でもあったので、会社外の友達からは「なんでゲームはもう64ビットなのにPCはまだ32ビットなの?」なんて質問されてもいたなあ。
32ビットのCPUと64ビットのCPU、どれをどう使えばいいのかみんなが模索していた時代かも知れない。
CDROMを採用していたら売れていただろうという意見もありますが、そうもいかないと思います。ディスクは小さなこどもには扱いづらく傷つけてしまうおそれがあるのと、マリオ64やバンジョーのような、つねに大量のフィールドデータをメモリに読む必要があるゲームには向きません。
任天堂初の敗北という歴史的な時代だった
64は ROMの容量低さとROMのコストが高く
Saturnは 本体コストの高さと3D性能低さ
PlayStationは メモリ容量低さ
各種欠点だらけ
アダルトゲームの移植で抜けたしチョロQもやったし文句なし
個人的には64は「風来のシレン2 鬼襲来!シレン城」が好きでした。
不思議のダンジョンシリーズ最高傑作だと思っています。
金の建材が集まらずやり続けました
グラフィックが何気に64最高峰クラス
ハイスペックが裏目に出たという点だけは、ゲームギアにも言える事ですね
あれもハイスペックすぎて、絶望的な燃費の悪さという諸刃の剣でしたから
ニンテンドー64ハイスペックなのはあるんだろうけど64DDの迷走のせいだろFFだって64DDのソフト予定だったし64DD失敗でかすぎ
大人になってから
売れてなかった、負けハードだって知った。
それくらい子供の自分には人気ハードだった
あまりにもソフト数を絞りすぎたため、欲しいという気がしなかった。
64 のマリオやゼルダには確かに驚いたけど、サターンの「ナイツ」の正常進化形と思ったから、
食指が動きませんでした。
スパロボ64で「ゴッドマーズ参戦!」に、少し揺れたけど(笑)
64というと当時のテレビ番組「64マリオスタジアム」がおもしろかったな。
ゲームだと有名なの外すとバーチャルプロレス2が結構お気に入りだった。
ゲームが変わる!64が変える!!大人になった今でもまさにそう思う。
頑張ったなNINTENDO64、俺の中ではお前がナンバー1だ。
セガサターンはバーチャファイター、PlayStationはリッジレーサーをプレイしたくて買ったけど、その後のファイナルファンタジー、ドラゴンクエストの両シリーズが大きかったな〜。64はやりたいソフトが無かったら結局買わなかったな。
64は当時任天堂が求める本格的3Dゲーム機で、実験と研究がされ後世に繋がる名作が生まれたと思います。また64で積み重ねた苦労があるから世界で唯一戦えるソフトメーカーでもあると思います。
当時はプレステ サターンも値下げされてたから価格は64が出た頃はすでに高かったよ。
ロクヨンは赤字では無かったらしいけど
カセットと、CDの差も大きかった、カセットはロードが短いが容量が無いしコストも高い。
もしNINTENDO64でFF7が出ててもカートリッジだから高額になってたと思う。
マリオテニスはバーチャルボーイが初登場だった気がする。
忍耐動画配信御願い致します😢
ハード戦争には確かに敗れたハードではありますが、ソフトに関しては粒ぞろいといったところでしょう
なんだかんだで100万本以上売れたソフトがそこそこ有り(任天堂タイトルばかりだけど)で競争には
負けたけど、ソフト面ではそうでもなかったって所です。
(とは言いながら、今後のゲーム業界に大きな影響を与えるタイトルが出るハードでもありました。
「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説 時のオカリナ」が伝説級のタイトルとして君臨する)
しかし、ソフト開発がかなり難しかったと聞いており、スペックは高いけどハードを扱い切れる
ソフトメーカーが少なく、カードリッジの制約もあり、大容量のCDと違いこの部分でも相当苦労した感じです。
ただ任天堂側も2000年に入る頃には、子供向け以外にも視野を広げたい節があり
販売タイトルにも一部変更が出ています。
(バイオハザード2、罪と罰 〜地球の継承者〜あたりかな、岩田聡氏が任天堂に大きく絡む様に
なってかららしいですが、この部分の真相は諸説が色々とあり不明ですね・・・)
ビジネスと見れば日本とヨーロッパではソフト面を除けば駄目でアメリカでは
スーファミ並みの大成功を納める形ですかね、64に関しては並行輸入のゲームソフトが
日本に結構入ってきていて、買う方も多かった模様です。
ヾ(゚Д゚ )ォィォィ 64DDが全く出てないじゃんか!!
不遇のハード64DD!!!
スターフォックス2!!!
確かに64bitCPUだけど、殆どのゲームが32bitモードで動いてたみたいですね(wiki参照)
マリオがやりたくて買ったけど十字キーじゃなかったので指が痛くなった。
操作が選べたら良かったのに。
PC-FX「……………」
今思えば3Dスティックって大発明
カセットだったからこそ、袋に入れて自転車のかごに入れて友人の家に行って遊んだりするの楽でしたね。
今は同化解りませんが、当時の子供からするとCDって結構傷をつけてしまう人多かったんですよね。
カスタムロボやボンバーマン懐かしい。
CDはケースに入ってるからそこまで困らんよ。傷つく事はあるけど相当やらんと読み込めないとこまでは行かないし。
@@健久保田-x4k 友人が結構傷をつけちゃって「音が飛んでいたり流れなかったりした状態」のゲームを持っていたので……。
@@松下憲一-k3p 結局DVDにしたし アレは何だったのって思うし
今はフラッシュメモリーだけど
当時の任天堂のソフトは持ち上げられすぎ。
シリーズ物とキャラ物だらけ。
「ピカチュウの元気でチュウ」みたいな子供騙しの
ソフトも有ったし(←ちゃっかり持ってた)
新しい物を殆ど生み出せなかった上に
サードパーティーにとっても開発が難しすぎた。
その後「どうぶつの森」がシリーズ化されるとは思わなかったけど。
FC、SFCとずっと任天堂に親しんで来た身としてはそれ以外のハードは考えられない!と買ったものの、一向にソフトが出ない、ようやく出始めたと思ったらアクションばっかりでRPGが全くでないで、そうこうしてるうちにドラクエがPSに移籍して勝負ありになっちゃいましたね。当時の任天堂推しのゲーム誌には64DDが出てはじめて完全体になる!見たいに言われてましたが結局それも立ち消えになりました。
64DDは発売されていますよ。
性能が高い代わりにソフト開発困難てPS3みたいやな。
開発用にゲームエンジンも用意してやれなかったのか。
コレがCD-ROMドライブを積んでいたらシェア争いはどうなっていたか…。
たぶんCD-ROM積んでてもSFC時代に殿様商売し過ぎて色んなサードパーティーに苦行を強いてたのもあってサードパーティーに逃げられてるし結果は変わらなかったと思うなぁ
そもそも64と任天堂に苦汁を舐めさせる事になるPSも任天堂がソニーを怒らせてSFCパワーアップパーツの話が破談にならなければ産まれなかった産物だしハードがどうのではなく当時の任天堂の傲慢が原因と思われる
任天堂は、ニンテンドウ64と同じ時期にCD-ROMマシン開発していたが、そちらをご破算にしていたとか。
もともとCD-ROMの読み込み速度に不満があったってのも大きいらしい。ゲームの途中で待ち時間は不要って。
CD-ROM自体まだまだ、発展途上でしたし、CDとカードリッジでは読み込み速度に差がありすぎたのもあります。
これって結局今のHDDとSSDに似てますね。
HDDは容量面では勝てるけど読み込み速度は遅い、SSDは速度面では早いけど、容量はそこまで大きくないって感じですかね
ソニーと任天堂の対立に関しては諸説ありますね、この動画だとソニーが契約違反をした、となっていますが
任天堂がいきなりCDに関してソニーと一緒に特許を持っていたオランダのフィリップスと共同開発のゲーム機を発売する、という
発表をしたことでソニーが激怒し、その後開発中止→久夛良木さんが大賀さんをたきつけて「Do it !」という有名な言質を引き出し
SCEが発足した…という話もあります。
転校する前の学校で仲良かった友達と毎日のようにスマブラしたり、家族でマリオカートしたりと64はたくさん思い出の詰まったハード
自分と友達との数が4人だったから
マリオカート スマッシュブラザーズ マリオパーティー 等をしてた
低スペックハードのSwitchがロングセラーになり、恐竜的進化を遂げたはずのPS5は高スペックが祟ってソフトが供給されず苦戦。
かつての64の反省を生かした見事な雪辱戦だったな。
発売予定のソフト見れば今後ps5が主流になっていくのわかるはずなんだけど
パーフェクトダークを睡眠時間を削ってやり込んで最後は一緒にやってくれる人がいなくなるくらい上手くなったのはいい思い出www
バトルモードは闇タイプばっか相手にしてたw
対戦でトランキライザ使うとお友達無くすぞ
二人で共同ミッションの搭載は嬉しい所だ
画面が暗いからお年寄りは007かのぉ><
@@相沢愛子-z1t 確かにw
トランキライザって慣れるといくら食らっても自分は操作にほ影響なくプレーできるけど、慣れない人はわけ分からなくなりますもんねw
Nボム、ファーサイトも友達無くしますよね😅
サーチモードにしてレーダーで敵方に向いて照準合わせると効率的に相手を狩れるから無双できますしw
個人的にはKNAvengerかAR使った中近距離戦が好きですけどね。
@@ぺいぺい-n3b ふふふ、コメントからかなりやり混んでるのがよくわかる、
敵さんの行動タイプ如何によっては相手もファーサイト使うから怖い。
わたしは寺院で拳銃を配置した設定が好きー あと対戦中落下死するマップはご法度デス、まだまだ言いたいことある、クラクラ状態が死んでも継続するのは困る。
@@相沢愛子-z1t 寺院でピストルは逆に苦手な組合せですねw
ピストルは弾幕が弱いし寺院は広くて命中率下がるので仕留めにくくて…😅
落下死するステージはシカゴマンションかデータダイン地下ですね。
データダイン地下は苦手でしたが、シカゴマンションでサブマシンガン・スパイクローク設定にして乱戦を楽しんでましたねw
死角がいっぱいで奇襲すればお互い秒殺のスリリングさが癖になります😁
まあ、スパイクロークもノーダメージになるわけではないし、よく見るとぼんやり相手が見えるから弾幕張って撃ち抜けるんですけどねw
Nボムやトランキライザのぼんやり継続使用はきつかったですね…😅
@@ぺいぺい-n3b スパイクロークは消費が速いので使うのはアイテム貯めてから使うわけですが貯めてる間に召し取られる。威力の弱い武器の対戦のときは全員の体力設定をかなり下げると良い感じです。
2,3発で死ぬくらい割と緊張感アリマスヨ
64の(本体)ピカチュウバージョンはかなり驚いた。大丈夫なのか…?これって思った。本体奇抜過ぎ!
これビザの懸賞で当たったなぁ
マリオ64のスターをコンプしてたな
スーパーファミコンが売れすぎたために投入時期を見誤ったってのはありましたね、
PSとSSで盛り上がってた時期にハードが無いから蚊帳の外でしたからね、
この時期のハード投入時期のズレってのは実はWiiが出るまで位引きずってるんですよね、
WiiUが早期撤退して想定外にswitchに移行した事が逆に投入時期の調整になって
良いサイクルに変化したんじゃないかとも思いますしその後の半導体不足なんかの影響も
薄かったですから何事もタイミングと運が一番大事なんですかね。
今の所マイナーチェンジで乗り越えてるが Switchの後継機がどうなるかも注目だ
64と同じ運命は避けたい所だ。
かわいい女の子を取り合う構図すこ。
ファイアーエムブレム64が出なくて、当てが外れました😿
ロクヨンは確かに世間的に言えば負けハードかもしれませんがソフトは名作揃いだと思います。
マリオ64やマリオストーリーやマリオパーティーシリーズ、星のカービィ64、スマブラ、時オカ等
今遊んでも面白い名作揃い😆
昔64の開発ツールを使ってたことがあるんだけど、これが使い勝手あまり良くなかった記憶しかない。ぶっちゃけVR開発ツールだったんだが、それ使うのに今は亡きシリコングラフィックスというワークステーション(※1番安くて性能の悪い物でも100万円)で開発するって言われて、こんなの買えるかい!って。
まあwinNT版もあったけど、R10000(N64がR4000系列でそれの高性能版と思ってもらって良い)とPentium2の差はデカくて話にならんかった。
プレビュー用にだけindy使ってました。N-WORLD使い物にならなくて初期はつらかったですわ
グラフィックスのライブラリがopen-GLライクなのも地味にハンデでしたね、
当時のプログラマさんがちょいと3D触って勉強するかとなると大抵MSのDirect-Xからとなるんでtipsてきなノウハウを1から積みなおしでした…辛い
ROMカセットって時点で負けてた( ・´ー・`)
恐らく未だに遊ばれてるゲームは64が多いと思う
RTAやってるの64かなり多いし
時間の例えの部分はあまり上手くない例えだったので蛇足な感じがしました
所々出てくるアウトレイジ やヤクザシーンが草😂
「ピカチュウげんきでちゅう」がやりたいためだけに64買ったなあ。
CMの綿引勝彦さんみたいに「自分用です」って言って。
負けハードとはいえ
その後の礎となるゲーム達
を排出したからきちんと役目は果たしたと思います。
確かに当時もっていた身としてはもっとソフトでないかなぁ。。とは思いますが。。
それでもゲームが変わる
ヨクヨンが変える
をきちんと果たした立派なゲーム機ですよ。
64にはポケモンスタジアムがある、ドードリオで育成捗りまくった。
やはりドラクエとFFがソニー陣営に加わったのは大きかった。
企業間の契約の話は外野がアレコレ言ってもねぇ。ソニーに乗っ取られるってのは、PS2以降はソニーグループの手駒として活用されてたのを見れば当たってた訳だし。むしろ手を切れて良かったんじゃ、と思ってしまう。
何故あのタイミングでテイルブルーを…?
当時はRPGブームだったからカセットROMは日本で三番手になるのは当たり前だね
アーマードコアがやりたくてずっとPS派でした。
あとソフトが高経ったのも有りましたねぇ(ΦωΦ;)
プレステサターンは高くても6000円代、64は1万近くになってた気がします(;''∀'')
当時、子供時分にはそこも分かれ目に感じました。
64はスペック的にはカートリッジなのにps1やサターンにも劣らないのが強みで、移植できるはずなんだけど、あんまり無かったですね。
任天堂ファーストは名作扱いで強いハードだったけど、サードがいまいちで数が少なく、64のスペックを活かしきれていなかったのが残念でした
64はそもそも、開発キットを利用するのではなく、ソフト毎に独自プログラムを作る必要があるので
64に合わせて独自プログラムを組まないと行けないのがあり、3Dになって工数や人材が大きく必要になり
開発方法にあったやり方が出来ないって問題がありました。
カセットの方が容量が小さいからプレステからの移植は厳しい状況だよ。
それを補う為に64DDを開発してたんだから
そもそもアーケード移植に全く期待出来ないのは大きな痛手でした
3D時代の本格始動と同時に、アーケードゲームが最も盛況した時代でもありましたから
@@aletf1192 アナログスティックつけたのはアーケードからの移植を想定してだと思うが
実際はほとんど移植され無かったなぁ