『田中正造選集4』第一章のまとめ2

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  • Опубліковано 6 жов 2024
  • <宗教折衷主義>
    ・キリスト教という言葉より「宗教」という言葉を良く使う。キリスト教に限らず「宗教」は大事、という態度か
    ・「神」「教え」という言葉がよく使われるようになる。「あどけなきおのがこころをたどりつつ 神の教のままをそのまま」
    ・だが「天」も依然として使われる。天は親で、神は主と分けている。新宗教研究の用語では、親神思想と生き神思想(上記)が田中のなかに見られる。
    ・仏教寺院に名僧を呼ぼうとも考えている。
    ・また、国学者の本居宣長に言及した。賄賂を取らないような清らかで潔い「日本魂」にも言及している。それまでは儒教と啓蒙思想のミックスだった。ここでキリスト教、仏教、国学に精神的改善の鍵を求めている。
    ・しかし、地元での精神的改善の前に、東京で鉱毒調査有志会ができる。そこに有力なキリスト教徒、仏教徒、国粋主義者が参集した。田中は、東京での国会議員としての活動に見切りを付け、地域社会の精神的改善を図ろうとしていた。だが、むしろ東京で宗教を超えた連携が生まれた。
    <脳病と議員辞職の決意>
    ・心身の衰えと病気、特に脳病から議員辞職を決意し、少数の支援者に伝える。
    ・国会での最後の演説は怒号の中で終わった。ほとんどの人は辞職の決意など知らず、「狂人」という印象を持っただろう。
    ・年をとって肉体が弱くなっても、精神を清らかにせよ。肉体は死ぬだけである。精神を清らかにしておけば、霊魂も肉体も命は長くなるという。これはプラトンに近い?
    <いのちの環境倫理への含意>
    ・子どもに徳を伝えることで、肉体の死を超えたいのちが引き継がれる。造化の神(創造神)は親で、人間は子ども。親から受けた身体を損なわないことが孝のはじめだとする。孝は先祖祭祀には向かうが、未来世代への倫理に向かわないのではないかという見方がある。それに反して、田中は孝の思想から未来世代への倫理を引き出している。
    ・造化に反することが文明の進歩なのかと批判。
    ・山と川を守れば、かなりの金が浮いて、財源が確保されると説く。これは自然資本の考えではないかと指摘した。
    ・以上二つから、文明への疑問と真の文明への希求が胚胎していると見られる。
    <被害民に対する不満の緩和>
    ・脳病が深まると、被害民への不満にも変化が見られる。愚であると言ったかと思うと、被害民の中でもリーダーに対しては「沿岸の神」と呼ぶ。また、古河市兵衛のように強くなろうとして不正をおこなうくらいなら、弱いままで、弱い人々を救う方が良いと言う。(大勇との関係は?)
    ・田中の宗教に対する見方は、神が人間を支配し、逆らうと罰するという権威主義ではない。人間が神になることを助長するのが宗教だという見方。フロムの言う人間主義的宗教に近い。
    ・民衆が愚だと言うことは確かに多い。他方、本来は誰もが神や聖人になれるのに愚にさせられているという怒りや嘆きがある。これは、単に民衆への怒りや蔑みなどではない。

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