『田中正造選集4』76頁後ろから4行〜77頁3行

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  • Опубліковано 6 жов 2024
  • (足尾鉱毒事件略年表より)
    07/10★『風俗画報』234号が「足尾銅山圖會」を特集した臨時増刊号を刊行。
    復刻版?
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    「今は硫酸の臭いも塵埃も汚水も一つも見当たらない。すなわち、予防工事によってこれらが蕩尽したことがわかる」
    足尾銅山側に立った足尾銅山を紹介する本。
    栃木県松木村の煙害についての記述もあり

    「足尾銅山名所絵葉書」20枚1組を発売。
    07/13★足尾銅山鉱業停止請願同盟事務所(東京鉱業停止事務所)が、芝区3丁目の信濃屋、宮下金次郎方から、芝区芝口2丁目の越中屋に移転する。
    左部彦次郎宛書簡 明治34年7月24日
    左部彦次郎の編集した『歳費辞退田中正造翁』の意見(田中の演説など)は用いられない。よって歳出は悪化している。党員たちがみな辞退していれば、歳出は半減しただろう。
    歳費値上げに至らなければ、星亨の増長もあれほどにならず、殺されなかった。そう田中は言う。星は6月21日に殺された。剣術家に「天下のため!」と公衆の面前で刺殺された。
    2年前に出口王仁三郎から死を予言されたという逸話も。
    前の蓼沼宛書簡で急に歳費辞退に言及したのも、星暗殺が念頭にあったか。
    古くからの歌を引用。千両の車を出すような大国を治めるものは何事も軽く見てはいけない。
    悪事を極度におこなうものもあれば、善事を極度におこなうものもある。星亨と自分との対比。星が悪事を極めて死んだ。自分は善事を極めて、死ぬということか。

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