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417系せっかく直流走れるんだったら宇都宮から郡山の直通列車とか運転されてたら面白かったなあ。A417系は廃車前に国鉄色への復活を遂げ、訓練車は最後にEH500の試作機に牽引されて回送されるなど、どっちも本当の最後はすごい注目を浴びましたね。
5編成しか無かったので仙台近郊の運用で手一杯だったのでしょうね。もう少し増備されていれば黒磯跨ぎの運用もあったかもしれませんが。
しかし、鉄建公団を「キングボンビー」と形容するのは本当にぴったりですよね。
417系がちゃんと走っているのは惜しくも見れませんでしたが、阿武急30周年感謝祭に行って復刻塗装を見たり、その販売会でA417系の座席を購入できたり、郡山の車両基地祭で訓練車の解体前最後の展示を見られたりしたことはいい思い出です。今でも実家にA417系の座席が置いてあります笑
私は子どもの頃、仙台車両センターの近くに住んでいました。初めて417系を見た時は嬉しかったです。地味ですがよくできた車両でした。悲運の名車だと思います。
415系、417系共に国鉄カラーに復活した瞬間は感劇と言うか、夢の中でタイムスリップした気分になりますね。
417系登場前の仙台地区普通列車は旧型客車が大半で、手動扉車両なのでラッシュ時はデッキ部分に乗客が溢れかえって転落の危険性もあったとか。当時は組合が強かったので新系列の導入が難しく、近郊型のシートピッチ改善車を別系列とせず新区分番台にしていたくらい。そんな状況なので試作的な意味合いやのちの広域移動も考慮して413系は3電源対応で抑速ブレーキを装備し、雪切り室や空気バネ台車のフル装備になったのだと思います。全国的に配備する際はキハ40系列のように装備を変えたら番台区分するつもりだったのかな。システム的には国鉄標準を引き継いでるわけだから、急行型455系や車体更新された717系と連結して共通運用出来そうに思いますが、ギア比や制御器が異なるのでそれも難しかったのでしょう。
古いコメに返信失礼します。わたしはその旧型客車列車で通学してました。混雑する時間帯は、扉は閉めてはいけない、閉まってる扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。内開きの開戸だから、閉めちゃうと開けられなくなるので。ハコノリ状態で何度落ちそうになったことか。座席に座ってる人が途中駅で降りる場合はデッキまで行けなくて窓から降りたりってことも。
これが阿武急に行ったというのが本当に信じられませんね…しかも割と最近まで走っていたのか…見てみたかった
学生の頃は鉄道にもあまり興味もなく仙台周辺におりましたが、電車通学で朝はデッキ付きの2ドアの車両だったことを記憶しています。帰りの午後の電車は、だいたいがデッキ無し2ドアでシート構成が今考えても少し変則的な車両も多かったですね。懐かしくもあり、当時あまり興味がなかったことも少し悔しい感じです。興味深く動画を拝見させていただきました。
黒磯のデッドセクションが早くに現在の状況になっていたら417の独壇場だったかも知れませんね。
元々は仙台・盛岡・秋田・青森・北陸ブロックの旧型客車の総取り換え用の近郊型として設計されましたよね。583系や471系は早期廃車にして、改造車というものを作らないつもりでこの車両一本でいくつもりだったみたいです。確かに見て見たいという気持ちはありますが、採算度外視をした417系は一両作るだけでも201系と同じぐらいの予算が必要なので、これらすべての客車を置き換えると考えると、ざっと100両ほどは必要となってくるでしょう.......。
こんにちは、この車両ありました。阿武急沿線沿いの住民です。この様な物語があったのですね。3両編成で走ってました。眠っていた記憶が蘇りました。ありがとうございました。
動画の構成上手ですね
719が他社譲渡されないのは、サイリスタ位相制御を用いていることで保守部品の調達が困難な点にあります。飯坂線もそのあたりの問題で新車置換えを検討したが予算が合わず東急のお下がりで置き換えたのです。現存の719は廃車部品で延命していると思われますが、いずれE721の5000番台が標準軌線区に投入される日も遠くないでしょう。701は京浜東北用209の交流50hz短編成版なので、設計耐用年数が短く作られているのでこちらも理屈的には廃車が発生してもおかしくない時期に来ています。しかしながら、E721が701との併結による総括制御が出来ていることを加味するとしばらくは701のロング王国は続くでしょう。e721の0番台はワンマン準備工事でとどまっていますが、現行701がワンマン運行している線区への置換えとなると、新番台で新造し、房総地区の新型車と同等程度に乗降監視カメラなど安全装置や運行支援装置などを装備することでしょう。ただ、小牛田区のキハ110の置換えもそろそろ検討時期な感じもしますので、そちらが優先されるかもしれません。
解体はなぜか鹿島臨海の神栖で行われたので最期の最後に自力走行ではないにしろ直流電化区間を走ったという。仙台での最終運用は自分しかお別れ乗車してる人がいなくて寂しかったな。
当時郡山の解体場所付近の住民からクレームがあり、しばらくの間解体作業ができませんでしたからね。仙台の455系や417系・717系だけではなく勝田の415系も廃車時期が重なったので現場は大変だった事でしょう。
お別れ乗車なんて迷惑鉄のやる事だしむしろ良かったと思うべきでは?
仙台発の最終列車の郡山・矢吹行きがこの417系でしたね。翌朝郡山始発の小牛田行きでした。
郡山6:10発の小牛田行きですよね!仙台ハイランドに行く時に乗りました。懐かしいです。
うぽつです!国鉄末期に導入された車両は全部迷、はっきりわかんだねあと、こっちで413系の解説をするとき内容が結構被るかもしれぬ...申し訳ない...
455系列の普通列車転用や715系投入は昭和60年3月改正から始められたはずですが・・・それまでは客車列車が多数走っていました。昭和57年のダイヤ改正では急行列車は多少削減された(or快速格下げ)程度でした。
417系は登場直後に仙台駅で見ました。当時、仙台−利府間の限定運用で乗りたかったのですが、乗り継ぎ時間の関係で車内を見学するに留まりました
417系は国鉄末期に、普通電車代用で使われていた457系近郊形改造車を置き換えるために大々的に導入する目論見だったんだよね。だから457系と同じ交直流で作ったんだけど、お金がないのと直ぐにステンレス車体とVVVFの波が押し寄せてきて、出番がなくなったんですね。
417系はむしろ客車列車やディーゼル列車の電車化が主目的でしたよ。
@@古家武史-f5d それが行われていたら、副作用で475系の普通列車運用はなかったものと思われます。475系は国鉄時代で全車廃車もあり得たでしょうね417系で全ての客車を置き換えた場合は。
電車版のEF81になれなかった車両ということか。あれはマジで電化区間ならどこでも走れるわけだし。
11:18カビた食パンは草
417は製造元から直流区間を走って仙台に向かったことがありましたよね?これがこの車両にとって最初で最後の直流区間の自走だったそうですが。
当時の寒冷地仕様車の区分は栃木福島間で分れていた。黒磯以北はすべて寒冷地仕様車となり2ドアとなることになっていた(電車区間であった仙石線を除く。)。417系もその例外ではない。混雑緩和のためデッキなしになった出入り口には透明のガラス防風板も取り付けてあった。北陸地方にも投入予定だったため3電源方式となった。しかしその後予算が尽きて急行形や583系などの改造車で賄うこととなった。民営化後は、さらに効率化を進めたので3ドア車などが登場した。417系(3連✕5本)、九州の713系(2連✕4本)は少数派だったが、本来、東北、九州地方等の標準形になる予定の車両だった。
標準化されていた場合、475系や583系の大半は特急や急行が大減便or削減と同時に多くが廃車になっていたでしょうね。あの世代の国鉄鋼鉄車は鋼板がまだしっかりしてない物が多いから、417系と比べるとくたびれ感が半端なかったように思えます。
417系K-4編成の訓練車の廃車回送の牽引はEH500形901号機でした。かなりレアな編成でした。
旧国鉄時代、とりわけ1982年の東北新幹線、上越新幹線の開業に伴うダイヤ改正の前後の東北地方の各線と運用車両は迷要素の宝庫ですね。
交直流近郊色の話が最後に出てきたので、417系とは少し話がそれますが、平成初期くらいまでは常磐線上野口利用者には中距離電車を未だ「赤電」と呼んでいる人は結構いたようです。
「赤電色」ですね。僕は乗ったかどうか分かりませんが、常磐線で見た様な見ていない様な…(記憶が曖昧でスミマセン!「JR発足直後」の頃なので…。)。東北本線乗った時は、「グリーンライナー色」は乗った記憶あります(確か701系が多かった様な…(701系ではずっと立ってました。「昭和51年生まれ」です…。)。)。
417系と同車体の413系、あいの風とやま鉄道で最後の活躍です。来年のダイヤ改正で定期運用から撤退(多分)
えちごときめき鉄道でも急行色に塗られて大活躍。
471系の部品流用しててよくあそこまで長生きできましたよね。同じ流用車の119系はとっくに廃車されてますよ。
16年ごろに阿武急の社員さんに聞いた話によればスペース不足で保存できなかったとのことです
表向きにはそう言ってますけど、税金がかかるので解体せざるを得なかったのでしょうね。
JR東日本の仙台支社に所属の417系K-1=阿武隈急行へ譲渡されている(2016年に運行終了。2018年に廃車)K-2=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体K-3=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体K-4=仙台支社訓練センターに転用(無車籍。2019年9月に解体された)K-5=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体
417系が北陸地区に投入されていたら、今でも大事に使われていただろう、と考えるのは私だけでしょうか?
民営化してから西日本が魔改造しておいて今も走り続けていたかもしれませんね10年前とか国鉄北陸とか呼ばれたりして
青く塗られて頑張ってたでしょう。
413系は車体以外は471系のお下がりだったので、早死にしたものが多かったですが417系は完全新製車なので、流用品は一切なくむしろ413系よりも長生きだったと思われます。これ105系にも言えることですが、流用車っていつ老朽化してもおかしくないから、早期撤退してもおかしくないんですよね。極力流用車は作らない方がいいのでしょう.......。
東北本線主体の417系・常磐線主体の717系は黒磯・水戸以南には入らなかったんよね…
417系が登場したときは、子供ながらに仙台も都会扱いされるようになったと思いましたよ。今は還暦間近のおじさんですが・・・
茨城県に住んでます鉄道マニアです以前仙台に行った時その当時仙台地区には711系455系719系その後に721系など走っていましたが古い719系廃車されで今は721系に統一されてます
711系と721系はJR北海道の車両ですよ?711系試作車は北海道へ導入される前に常磐線で455系等と併結して試運転を実施したことはありますが、本州内での旅客運用には就いたことは無いと思います。なお、貴方が仰っている721系はE721の間違えかと思われます。721系とE721は別物なので。
製造費の問題で気になるところがあるのですが、417系は201系電機子チョッパ制御車よりも製造コストはかかっていたのでしょうか?同時期に国鉄も中央線向けに201系電車を開発していたと思いますが、あちらも製造コストがかなりかかっていたと聞いております。電機子チョッパ制御の製造コストは普通は抵抗制御車より高いですが、201系は1000両近く作られていますよね?これどうなんでしょうか?
@@saikawae721 417系がもし配備されることになり、秋田と金沢に配備されることになると仮定されると、0番台と分けて番台分けされていたでしょうかね?100番台とか言う具合に。あと東北北部や北陸は3両は過剰ですから、521系みたいに2両1編成だったらワンマン対応されて今でも走ってたでしょうかね?
常磐線沿線ですが417系は来なかったな717系位か福島の常磐線エリアは
交流電化で十分だ…と思っていた地方都市にて、交流専用の通勤電車が等間隔で走る、仙台や福岡の様に地下鉄も走る都市もある事から、直流に変える地区も出てくるだろうか?
仙山線で走ってたのは何系です
新潟にもっていけば信越本線~北陸本線直通で活躍できたのでは?
トキ鉄で使えますね。
417系、国鉄の財政事情に翻弄された不運な部分が大きいと思う車輛形式です。
客車に旧客35系、43系ないからやり直し
413系あい鉄撤退しましたね、、、もう九州とトキ鉄にしか残ってませんね。国鉄近郊型の終焉は近いのかも知れません、、、
広島中古車センター「呼んだ?」
東北本線は黒磯〜一ノ関。仙山線は仙台〜作並しか走らない。
417系が登場した頃に常磐線の401系を仙台に移動させて使う噂が出てたのは根も葉も無い噂だったんですかね。
当時の常磐線は土浦あたりまでの乗客増加も著しいにも関わらず、国鉄の予算から充分に新車導入もできず、老朽化した401系を置き換えるだけで精一杯。それでも何とか415系500番台のロングシート車を導入出来た位で、417系はおろか401系転属も厳しかった。
更に言えば地方自治体への見返りや忖度もあったり、残存する旧型国電や10系気動車を置き換える地域が優先されていた。東北ではローカル線のキハ40系投入は積極的だったが、普通列車の電車化は後回しだった。
70年代は客車で長距離普通があったから、北陸・羽越直行普通も想定に入っていたのでは?まぁ製造数は457系にも言える事ではあるよな^^;
🍞自分が電車だったら生まれ変わっても食パンにはなりたくない
金沢の字間違えていますよ
そうなんですね。ありがとうございました。
またBANされたんですか?
@@saikawae721 そうなんですね774レとか紹介してたな
普通客車か天国じゃん
凄く興味深い話題なんですけど、ナレーションが・・・
417系せっかく直流走れるんだったら宇都宮から郡山の直通列車とか運転されてたら面白かったなあ。
A417系は廃車前に国鉄色への復活を遂げ、訓練車は最後にEH500の試作機に牽引されて回送されるなど、どっちも本当の最後はすごい注目を浴びましたね。
5編成しか無かったので仙台近郊の運用で手一杯だったのでしょうね。
もう少し増備されていれば黒磯跨ぎの運用もあったかもしれませんが。
しかし、鉄建公団を「キングボンビー」と形容するのは本当にぴったりですよね。
417系がちゃんと走っているのは惜しくも見れませんでしたが、阿武急30周年感謝祭に行って復刻塗装を見たり、その販売会でA417系の座席を購入できたり、郡山の車両基地祭で訓練車の解体前最後の展示を見られたりしたことはいい思い出です。
今でも実家にA417系の座席が置いてあります笑
私は子どもの頃、仙台車両センターの近くに住んでいました。初めて417系を見た時は嬉しかったです。地味ですがよくできた車両でした。悲運の名車だと思います。
415系、417系共に国鉄カラーに復活した瞬間は感劇と言うか、夢の中でタイムスリップした気分になりますね。
417系登場前の仙台地区普通列車は旧型客車が大半で、手動扉車両なのでラッシュ時はデッキ部分に乗客が溢れかえって転落の危険性もあったとか。当時は組合が強かったので新系列の導入が難しく、近郊型のシートピッチ改善車を別系列とせず新区分番台にしていたくらい。そんな状況なので試作的な意味合いやのちの広域移動も考慮して413系は3電源対応で抑速ブレーキを装備し、雪切り室や空気バネ台車のフル装備になったのだと思います。全国的に配備する際はキハ40系列のように装備を変えたら番台区分するつもりだったのかな。
システム的には国鉄標準を引き継いでるわけだから、急行型455系や車体更新された717系と連結して共通運用出来そうに思いますが、ギア比や制御器が異なるのでそれも難しかったのでしょう。
古いコメに返信失礼します。わたしはその旧型客車列車で通学してました。混雑する時間帯は、扉は閉めてはいけない、閉まってる扉を見つけたら開けておく、という暗黙のルールがありました。内開きの開戸だから、閉めちゃうと開けられなくなるので。ハコノリ状態で何度落ちそうになったことか。座席に座ってる人が途中駅で降りる場合はデッキまで行けなくて窓から降りたりってことも。
これが阿武急に行ったというのが本当に信じられませんね…
しかも割と最近まで走っていたのか…見てみたかった
学生の頃は鉄道にもあまり興味もなく仙台周辺におりましたが、電車通学で朝はデッキ付きの2ドアの車両だったことを記憶しています。
帰りの午後の電車は、だいたいがデッキ無し2ドアでシート構成が今考えても少し変則的な車両も多かったですね。
懐かしくもあり、当時あまり興味がなかったことも少し悔しい感じです。興味深く動画を拝見させていただきました。
黒磯のデッドセクションが早くに現在の状況になっていたら417の独壇場だったかも知れませんね。
元々は仙台・盛岡・秋田・青森・北陸ブロックの旧型客車の総取り換え用の近郊型として設計されましたよね。583系や471系は早期廃車にして、改造車というものを作らないつもりでこの車両一本でいくつもりだったみたいです。確かに見て見たいという気持ちはありますが、採算度外視をした417系は一両作るだけでも201系と同じぐらいの予算が必要なので、これらすべての客車を置き換えると考えると、ざっと100両ほどは必要となってくるでしょう.......。
こんにちは、この車両ありました。阿武急沿線沿いの住民です。この様な物語があったのですね。3両編成で走ってました。眠っていた記憶が蘇りました。ありがとうございました。
動画の構成上手ですね
719が他社譲渡されないのは、サイリスタ位相制御を用いていることで保守部品の調達が困難な点にあります。
飯坂線もそのあたりの問題で新車置換えを検討したが予算が合わず東急のお下がりで置き換えたのです。
現存の719は廃車部品で延命していると思われますが、いずれE721の5000番台が標準軌線区に投入される日も遠くないでしょう。
701は京浜東北用209の交流50hz短編成版なので、設計耐用年数が短く作られているのでこちらも理屈的には廃車が発生してもおかしくない時期に来ています。
しかしながら、E721が701との併結による総括制御が出来ていることを加味するとしばらくは701のロング王国は続くでしょう。
e721の0番台はワンマン準備工事でとどまっていますが、現行701がワンマン運行している線区への置換えとなると、新番台で新造し、房総地区の新型車と同等程度に乗降監視カメラなど安全装置や運行支援装置などを装備することでしょう。
ただ、小牛田区のキハ110の置換えもそろそろ検討時期な感じもしますので、そちらが優先されるかもしれません。
解体はなぜか鹿島臨海の神栖で行われたので最期の最後に自力走行ではないにしろ直流電化区間を走ったという。
仙台での最終運用は自分しかお別れ乗車してる人がいなくて寂しかったな。
当時郡山の解体場所付近の住民からクレームがあり、しばらくの間解体作業ができませんでしたからね。
仙台の455系や417系・717系だけではなく勝田の415系も廃車時期が重なったので現場は大変だった事でしょう。
お別れ乗車なんて迷惑鉄のやる事だしむしろ良かったと思うべきでは?
仙台発の最終列車の郡山・矢吹行きがこの417系でしたね。
翌朝郡山始発の小牛田行きでした。
郡山6:10発の小牛田行きですよね!仙台ハイランドに行く時に乗りました。懐かしいです。
うぽつです!国鉄末期に導入された車両は全部迷、はっきりわかんだね
あと、こっちで413系の解説をするとき内容が結構被るかもしれぬ...申し訳ない...
455系列の普通列車転用や715系投入は昭和60年3月改正から始められたはずですが・・・
それまでは客車列車が多数走っていました。昭和57年のダイヤ改正では急行列車は多少削減された(or快速格下げ)程度でした。
417系は登場直後に仙台駅で見ました。当時、仙台−利府間の限定運用で乗りたかったのですが、乗り継ぎ時間の関係で車内を見学するに留まりました
417系は国鉄末期に、普通電車代用で使われていた457系近郊形改造車を置き換えるために大々的に導入する目論見だったんだよね。だから457系と同じ交直流で作ったんだけど、お金がないのと直ぐにステンレス車体とVVVFの波が押し寄せてきて、出番がなくなったんですね。
417系はむしろ客車列車やディーゼル列車の電車化が主目的でしたよ。
@@古家武史-f5d それが行われていたら、副作用で475系の普通列車運用はなかったものと思われます。475系は国鉄時代で全車廃車もあり得たでしょうね417系で全ての客車を置き換えた場合は。
電車版のEF81になれなかった車両ということか。あれはマジで電化区間ならどこでも走れるわけだし。
11:18
カビた食パンは草
417は製造元から直流区間を走って仙台に向かったことがありましたよね?
これがこの車両にとって最初で最後の直流区間の自走だったそうですが。
当時の寒冷地仕様車の区分は栃木福島間で分れていた。黒磯以北はすべて寒冷地仕様車となり2ドアとなることになっていた(電車区間であった仙石線を除く。)。417系もその例外ではない。混雑緩和のためデッキなしになった出入り口には透明のガラス防風板も取り付けてあった。北陸地方にも投入予定だったため3電源方式となった。しかしその後予算が尽きて急行形や583系などの改造車で賄うこととなった。民営化後は、さらに効率化を進めたので3ドア車などが登場した。
417系(3連✕5本)、九州の713系(2連✕4本)は少数派だったが、本来、東北、九州地方等の標準形になる予定の車両だった。
標準化されていた場合、475系や583系の大半は特急や急行が大減便or削減と同時に多くが廃車になっていたでしょうね。あの世代の国鉄鋼鉄車は鋼板がまだしっかりしてない物が多いから、417系と比べるとくたびれ感が半端なかったように思えます。
417系K-4編成の訓練車の廃車回送の牽引はEH500形901号機でした。かなりレアな編成でした。
旧国鉄時代、とりわけ1982年の東北新幹線、上越新幹線の開業に伴うダイヤ改正の前後の東北地方の各線と運用車両は迷要素の宝庫ですね。
交直流近郊色の話が最後に出てきたので、417系とは少し話がそれますが、平成初期くらいまでは常磐線上野口利用者には中距離電車を未だ「赤電」と呼んでいる人は結構いたようです。
「赤電色」ですね。僕は乗ったかどうか分かりませんが、常磐線で見た様な見ていない様な…(記憶が曖昧でスミマセン!「JR発足直後」の頃なので…。)。東北本線乗った時は、「グリーンライナー色」は乗った記憶あります(確か701系が多かった様な…(701系ではずっと立ってました。「昭和51年生まれ」です…。)。)。
417系と同車体の413系、あいの風とやま鉄道で最後の活躍です。来年のダイヤ改正で定期運用から撤退(多分)
えちごときめき鉄道でも急行色に塗られて大活躍。
471系の部品流用しててよくあそこまで長生きできましたよね。同じ流用車の119系はとっくに廃車されてますよ。
16年ごろに阿武急の社員さんに聞いた話によればスペース不足で保存できなかったとのことです
表向きにはそう言ってますけど、税金がかかるので解体せざるを得なかったのでしょうね。
JR東日本の仙台支社に所属の417系
K-1=阿武隈急行へ譲渡されている
(2016年に運行終了。2018年に廃車)
K-2=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体
K-3=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体
K-4=仙台支社訓練センターに転用
(無車籍。2019年9月に解体された)
K-5=鹿島臨海鉄道神栖駅にて解体
417系が北陸地区に投入されていたら、今でも大事に使われていただろう、と考えるのは私だけでしょうか?
民営化してから西日本が魔改造しておいて今も走り続けていたかもしれませんね
10年前とか国鉄北陸とか呼ばれたりして
青く塗られて頑張ってたでしょう。
413系は車体以外は471系のお下がりだったので、早死にしたものが多かったですが417系は完全新製車なので、流用品は一切なくむしろ413系よりも長生きだったと思われます。これ105系にも言えることですが、流用車っていつ老朽化してもおかしくないから、早期撤退してもおかしくないんですよね。極力流用車は作らない方がいいのでしょう.......。
東北本線主体の417系・常磐線主体の717系は黒磯・水戸以南には入らなかったんよね…
417系が登場したときは、子供ながらに仙台も都会扱いされるようになったと思いましたよ。今は還暦間近のおじさんですが・・・
茨城県に住んでます鉄道マニアです以前仙台に行った時その当時仙台地区には711系455系719系その後に721系など走っていましたが古い719系廃車されで今は721系に統一されてます
711系と721系はJR北海道の車両ですよ?
711系試作車は北海道へ導入される前に常磐線で455系等と併結して試運転を実施したことはありますが、本州内での旅客運用には就いたことは無いと思います。
なお、貴方が仰っている721系はE721の間違えかと思われます。
721系とE721は別物なので。
製造費の問題で気になるところがあるのですが、417系は201系電機子チョッパ制御車よりも製造コストはかかっていたのでしょうか?同時期に国鉄も中央線向けに201系電車を開発していたと思いますが、あちらも製造コストがかなりかかっていたと聞いております。電機子チョッパ制御の製造コストは普通は抵抗制御車より高いですが、201系は1000両近く作られていますよね?これどうなんでしょうか?
@@saikawae721 417系がもし配備されることになり、秋田と金沢に配備されることになると仮定されると、0番台と分けて番台分けされていたでしょうかね?100番台とか言う具合に。あと東北北部や北陸は3両は過剰ですから、521系みたいに2両1編成だったらワンマン対応されて今でも走ってたでしょうかね?
常磐線沿線ですが417系は来なかったな
717系位か福島の常磐線エリアは
交流電化で十分だ…と思っていた地方都市にて、交流専用の通勤電車が等間隔で走る、仙台や福岡の様に地下鉄も走る都市もある事から、直流に変える地区も出てくるだろうか?
仙山線で走ってたのは何系です
新潟にもっていけば信越本線~北陸本線直通で活躍できたのでは?
トキ鉄で使えますね。
417系、国鉄の財政事情に翻弄された不運な部分が大きいと思う車輛形式です。
客車に旧客35系、43系ないからやり直し
413系あい鉄撤退しましたね、、、
もう九州とトキ鉄にしか残ってませんね。
国鉄近郊型の終焉は近いのかも知れません、、、
広島中古車センター「呼んだ?」
東北本線は黒磯〜一ノ関。仙山線は仙台〜作並しか走らない。
417系が登場した頃に常磐線の401系を仙台に移動させて使う噂が出てたのは根も葉も無い噂だったんですかね。
当時の常磐線は土浦あたりまでの乗客増加も著しいにも関わらず、国鉄の予算から充分に新車導入もできず、老朽化した401系を置き換えるだけで精一杯。それでも何とか415系500番台のロングシート車を導入出来た位で、417系はおろか401系転属も厳しかった。
更に言えば地方自治体への見返りや忖度もあったり、残存する旧型国電や10系気動車を置き換える地域が優先されていた。
東北ではローカル線のキハ40系投入は積極的だったが、普通列車の電車化は後回しだった。
70年代は客車で長距離普通があったから、北陸・羽越直行普通も想定に入っていたのでは?
まぁ製造数は457系にも言える事ではあるよな^^;
🍞自分が電車だったら生まれ変わっても食パンにはなりたくない
金沢の字間違えていますよ
そうなんですね。ありがとうございました。
またBANされたんですか?
@@saikawae721
そうなんですね774レとか紹介してたな
普通客車か天国じゃん
凄く興味深い話題なんですけど、ナレーションが・・・