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419系の運転経験があります。魔改造の食パン顔は乗務員室が広く、475系等と比べて居住性はよかったです。加減速もそう悪くなく割と運転しやすいと感じました。しかし狭い扉による乗降遅れと回復余裕がない足の遅さは如何ともし難く、またヒーターの利きが悪いため冬季は出区時予熱時間が追加され、ただでさえ短い仮眠時間が更に削られるのが大変でした。末期は故障ばかりでしたが、何だかんだ愛着がありました。懐かしいです。
運転ご苦労様でした、がって北陸周遊券での北陸旅行でお世話になりました、ボックス席はゆったりでしたがロングシート部分はシートの境に当たると座り心地がアンバランスでした、比較的がらがらの親不知付近での日本海は良かったですそして頸城隧道内の筒石駅の長い階段登り降りの思い出、余談ですが夜間は種車の583系急行きたぐにの自由席を宿代わりに利用した思い出も有ります。
すごいですね・・・高校生の頃、まさにその419系によく乗っていました。客的には静粛性と乗り心地が良くて好きでした。デッドセクション通過時に照明が消える「アトラクション」も好きでした。
運転ありがとうございます。419系で通勤したことある元鉄道職員です。金沢から富山の夕方下り快速と十数年後の富山から入善の朝ラッシュ上り普通と深夜最終下りの快速を使ってました。 どれも419系らしい使われ方でした。入善への朝ラッシュは富山から直江津へ行くという逆方向で使われ、混むんで乗り降りが遅くなっても問題ないダイヤだったなと、入善で高校生と通勤が多くおりるから長い時間停車して泊で後続の特急に追い越されるといういかにも419系らしかったです。金沢富山夕方快速も前後に特急か貨物列車があったので、無理矢理速く走らせるため快速で通過で跳ばしたのでしょうね。深夜最終快速もなんかもう混んでるのを避けた結果、乗り降り少ない駅を通過して戻ってきてる感ありありでした。結果便利でしたが。客室の暖房は冬でも良く効いておりドアが小さいのである程度の保温性がありましたが、そんな苦労があったのは驚きでした。たしかに特急の冷暖房は近郊型にくらべて弱いからなぁ。末期は敦賀に転属になったが、北陸トンネルで電車が立ち応じした時の救援のためというのも納得しました。車体が重くギア比が通勤車という電気機関車みたいなスペックなので、25キロの速度で牽引推進が可能だなと。EF81がモーター四つで1200トンを起動させる事が可能だったので、サンダーバード九両も可能でなかったのではと思います。
@@suezoact2419系って快速でも使われていたんですか?😅
元々次世代車導入までの繋ぎとして短期間だけ走らせたつもりだったから結果的に2011年まで走ってたと考えると想定以上に長生きしてる事になるんだよな……
451系や471系ではなく、これを413系や717系の種車にすべきでしたね。
583系よりも419系としての道程のほうが長かったのか...
やはれアレで強制運用終了になったんでしょうか。日付を見るとやはりビクッとしてしまいます・・。
@@ehatovcat7037 違いますよ。その日はダイヤ改正の前日で、当初からその日で営業運用を終了する予定でした。
583系は北陸地区じゃ原型時よりも改造後のほうが運用期間が長かったんだよな。
初めて食パン列車を見た時は旅客列車離れした姿に衝撃を受けましたが、後で583系の成れの果てと知った時はさらに衝撃でした。
信越線’(直江津ー柏崎だったと思う)で乗ったことがある。寝台列車なので乗降口がとても狭いんだ。乗り降りが頻繁にある近距離旅客輸送には適さない。
8:49 これやっぱり食パンですよね
北陸線の米原から敦賀まで乗ったがバリアフリーのカケラも無い折戸、薄暗く狭い車内に驚いた。敦賀まで新快速が行くようになり、驚く程快適になった。
@@ohoyamato 民営化前は直江津より新潟寄りでも走ってたんですか?
@@N--jv3go うろ覚えなのではっきりしないから、信越線’(直江津ー柏崎だったと思う)と書いていますよ。多分私の思い違いかと思う。
懐かしいです。乗り心地が良かったので、食パンに当たるとラッキーと思っていました。更に先頭車両の改造車に当たると、レアものを引いた感じがして嬉しかったのを覚えています。
北陸本線で乗りました。窓は小さいけど、ボックス席はとても広く、背もたれも角度がついていて、旅行客として乗る分には、なかなか快適な電車でした☺️
投稿主は多分平成生まれだと思う。常磐線には「みちのく」と言う青森行き昼行特急で使われていた。食堂車も付いてた。東北では昼間は「はつかり」「みちのく」夜は「はくつる」「ゆうづる」で一日中大活躍。JR民営化では夜行急行「津軽」で活躍。「はくつる」は90年代まで583系で走ってた。
昔、青春18(28?38?48?)切符で九州、東北、北陸を乗り歩いたが、419系、715系に乗り合わすと嬉しかった。静かな車内、ゆったりした車内と座席、重厚感ある乗り心地。あんな幸せな日々は二度と訪れないだろう。
仙台で暮らしてたとき、この車両はよく見てました。この車両の最後が東日本大震災の日...。沁みるものがありますね。
伝説の食パンだ!でも最後の1両が解体されちゃったんだよな
元々国鉄の財政事情から417系と713系を大量投入ができず、分割民営化後の新会社で701系や813系などを投入するまでの中継ぎにする形で客車列車の電車化をはかっていました。結果的に419系だけが長命だったのが救いでしたが、113系の改造投入をせずに521系投入まで続いたのは幸いでした。
七尾線で直流車からの改造が走っていましてが、思いの外、改造費がかかり以後やらなくなったみたいですね。本当は117系に交流機器を取り付けて北陸線に投入される話もあったような?話も聞いたことがあります。
福井にあっては、419系との関りは長かったです。それでも鈍行客車からすれば快適でした。583系のみどり、雷鳥に乗車経験があり、憧れの583に特急料金なしで乗れることの方が嬉しかった。芦原温泉発長浜行きとか、結構ロングランしてくれたから便利でしたよ。ただクーラーから水漏れとか相当傷んではいました。家にいても、北陸線を力走する419系の独特の加速音が聞こえていたので、あ~元気に走っているんだなって分かりました。九州に行く機会があったら、また逢ってみたいです。
北陸です。419には高校通学時代にお世話になりました。朝の混みはともかく、帰りはボックス席にゆっくり腰掛け、大きな窓の眺めと、元特急ならではのモーター唸り音を聴くのが、一つのささやかな楽しみでした。駅間がやや長めの区間なので、加速力の低さのデメリットはあまり感じませんでしたね。冬は例によって扉が手動に→たまに折り扉の前で“あれっ?”となっている方が居たり。
419系懐かしいです。北陸本線沿線住民なのでよく乗ってました。広くてゆったりとしたボックス席が快適でしたが混雑時は乗降に時間がかかり遅延もしていました。
419系の車齢が若い車輌は、近郊形として活躍した期間の方が長かったそうです。
そうですね、北陸線の471系も413系の方が長いものもいますね、例トキ鉄に行ったクルマ。
毎回毎回、素晴らしい動画を作る仙鉄さんと、写真や映像も提供してくれる人に感謝‼️
715系はたしかに2M2Tだったから鈍足だったけど、419系は最高速度が100km/hなだけで、加速は悪くなかったどころか、113系等より全然良かった。
そりゃ2M1Tやしな715系も3両編成ならプロ1で苦労しなかったのに
@@22322397494835793 あれは813の代走っぽいスジなのに1秒遅れただけで減点してくるから…
ギア比は101系と同じですからね、それに都市部のE電区間でも無いから遅くても詰まることも無いでしょう。最高速になると何処かの8500系みたいに爆音でした。
@@rsogo.7544 イージーモードでもゲームオーバーになりそうでしたよ。
鬼なゲームだなちなみ813のスジに419を走らせて、走行性能のせいで遅れた場合は、運転士にお咎めはないです。
583,419系はリクライニングしないボックス席が不評って言われるが、シートピッチが広いので、私は好きでした。485系の方が前の席に足がつっかえるし、初期のボンネットなんて冬など座席のヒータが熱すぎて座っていられなかった。しらさぎ、雷鳥などは583(581)の方が当たりだと思って乗っていました。でも寝台車として乗りたかった夢はかなわずじまいでした。
国鉄時代の485系は固定直角シートまたはリクライニングした位置で止まらないバッタンシートで背面テーブル無しが多数でした。
客車寝台列車は、衝撃が激しく(後ろに行くほど、、、)とても安眠できませんでした。ところが、電車寝台は、動力が分散されているので、衝撃など全くなく、モーター音の高周波のおかげで、とても熟睡できました。電車寝台は、最高です!!!
すごくわかりやすい最高の解説です!
やっぱ国鉄はこういった魔改造は名物だよねー
西な。
581の座席に座ったことがありますが想像の何倍も座り心地が良くて驚きました。
@@すももさん-x8g 現役は乗れてないんですよね。きたぐにもあったのに...。
普通列車では座り心地がよかったです。ボックス座席。特急料金を払うとなると、、、不満は残ります。
@@DM-wu9cp いくら早くて快適でもも8時間ボックスに座ることには代わりないですからね…急行用として計画されたので急行なら文句ないですけど特急となると…
懐かしい~♪ 北陸旅行した際にナニコレ?っと思った列車。あれは苦肉の策だったんですね。現役で寝台車として活躍していたときに乗車してみたかった。素晴らしい動画をありがとうございました。
419系は加速が悪いことよりも、最高速度が100km/hなのが問題で、他の普通用車両は急行形で最高速度110km/hなので足並みが揃わず、共通運用が組めなかったことですね。扉は狭いし照明は暗いし、閉鎖された寝台からはすえた匂いが漂ってましたが(笑)、ボックスシートに座れば座り心地は良かったです。
車椅子、ベビーカーの人にとって乗り降りする時はドアが狭いので難儀したはず。駅員などに手伝って貰わないと一人では無理。
国鉄当時は急行型使用列車を含め普通列車は110km運転をしていなかったはずです。JR後も東北本線では701系投入後にようやく110km運転となった。機関車牽引の短編成50系客車が普通列車として活躍していた時代に最高時速や加速度が決定的要因とは思われません。むしろ長寿を全うしたと見るべきです。
@@hideakimatsumoto3338 当時は車椅子やベビーカーなどに対する配慮など全くありませんでした。列車区間は低ホーム、車両はステップ付きが当然、客車などは開閉自在の手動ドアで今の常識とは違うのです。
何しろ当時の国鉄サイドはこれを生み出すにあたり、「改造コストを極力抑えたかった」という思惑もあったため扉の構造を変更しないで、別の581/583系から客用扉を調達し、片側1枚増設の2枚扉にしたことなどが特筆されます。それにしても現行の521系、北陸トンネル(加えて2006年11月川重製の1次車E編成10両はさらに湖西線も)での高速度運転に備えて、130㎞/hで走らせることができるように改造することはできないのだろうか(こうなれば敦賀~福井間は各駅に停まっても3分短縮の47分運転が実現できるに違いない)?
遅いと言ってもキハ40系や電関+客車より早かったと思います。
北陸路では大変にお世話になった419系。座席が良かったので、富山までの通し運転でも疲れは少なかったな。加速はそんなに悪くは無かったように思う。だが、581/583系の時代よりも、419系の時代の方がはるかに長いと言う、なかなかの経歴の持ち主だったなぁ。
715系はあの魔改造がなかなか好きなんよね。時代を感じるある意味での名車。
空いていれば701系あたりより良かったですね。
東日本大震災の裏でこんな魔改造形式がひっそりと引退していたとは…。
せいぜい10年くらいで廃車にする予定(実際にJR東日本は大体そのくらいで廃車した)がJR西日本の場合が特殊だったが故2011年まで残ってしまったのはある意味面白いですね。
北陸線は異なる電化区間が3つ存在するので対応した車両を考えるとどうしても製造コストが跳ね上がる。赤字区間を抱える西日本にとって後回しにせざるを得なかったと思います。
@@hideakimatsumoto3338 では湖西線・北陸本線をはじめとする「日本海縦貫線」における異なる電化区間の正体とは、いったい何なのか?まず敦賀(正確には駅構内ではなく、2006年10月の同駅までの直流化が叶った際に「小牧かまぼこ」の本社工場が建っているあたりに集約)を境に以南が直流、以北が交流60Hz、糸魚川~梶屋敷間の中間地点で再び直流区間に入り、これが羽越本線に入ること村上まで続きます。そして村上を過ぎますと交流50Hzに入ることから、交流区間における周波数の違いにも対応する必要があり、そこで登場したのが3電源対応のEF81形電気機関車と457系交直両用電車です。
福岡での混雑に対応できなかったのか九州のが最初に廃車になり、仙台での混雑に対応できなかったのか次が東北、北陸のが一番長生きでした。
@@N--jv3go さん、福井、金沢、富山のあたりの混雑を気にする余裕もなかったのが西の実態やろなぁ。直流区間の113-3800といい。
近郊型として無理があるのは当時の国鉄の置かれた状況から当然。むしろコストをかけない改造内容は素晴らしい。座り心地のいいシート、静かな車内など利用者にはファンも多かった。その後投入されたオールロングシートの701系の不評と比べたい。
715系って、あれでも583時代よりは加速力はマシになってたんですね。電車でGO!やってたら、813系と比べて全然加速しないのにw
そうですね。 ダイヤに余裕なくてゲームオーバーになりそうなのが何度もありました。
@@峻-k5k さん、実際にあんなダイヤで走る715系の列車があったら、福知山線のような事故になってしまいそうですね😅
電車でGO!の(;^ω^)あの博多小倉間の食パン電車はTASさんでもパーフェクトクリア不可能と言うクソゲーでっせ(笑)
@@峻-k5k 実際に何度もゲームオーバーになりコンティニューしまくった。こんなの出来るか!!ってどれだけ思ったことか。
@@藤直和-c7t イージーモードでも待ち時間減らしまくってゲームオーバーになりそうでしたよ。
この列車を通勤列車として使おうとしたJRはすごい。折り畳みドアで乗客の乗り降りが大変.更に乗客を捌けない問題だらけなのにずっと使い続けていた。ディーゼル列車の方がマシだと思えた
懐かしいなぁ学生の時の通学でよくのってました食パン型の普通列車都市圏みたく駅が近いわけでもないから、ボックス席が重宝しててよかった今の近郊型のロングシートになってから、違和感しか感じない
583系特急型電車懐かしいですね。僕が高校生時まだ東北新幹線が盛岡止まりでした。修学旅行で京都に行く時函館から青森まで快速海峡2号に乗り青森から盛岡まで特急はつかり号「583系」特急型電車に乗り京都まで新幹線を乗り継いで行きました。その時同級生がシートを引いてベッドにして利用していたところに車掌に見つかり注意されていました。今となっては修学旅行のいい思い出になりました。
個人的には結構好きでした。東北地方や北陸方面に行った際はよくお世話になりました。確かに色々問題は有りましたが、繋ぎとしての役割は果たしたと思います。その頃は今と異なり比較的長距離を走る列車も多かったですから広いボックスシートは重宝しました。
東京から仙台に帰るときに、黒磯から乗りました。ボックス席がすごく快適で元特急車両の気配も色濃くあり、旅情も感じられたので、私も結構好きでした。
初コメです。419系懐かしい。高校の通学に乗っていましたね。定期ならそのまま乗れましたがそれ以外だと最後尾車両に乗務している車掌から切符を買わなければならず乗務員室の扉をノックしてました。たまに気づかない車掌もいました。それで乗る前に車掌に切符を申し出て買う様にしてました
通学でよく乗ってましたモーター音がめちゃくちゃ大きくて壊れるんじゃないかとヒヤヒヤして乗ってました。あと暖房がめっちゃ効く。懐かしい…
583系の普通列車化改造って、動画にするほど遠い昔になっちゃったんだなあ(遠い目。419系で糸魚川〜長浜まで乗ったのが23年前・・・。
近郊型改造で電動車のギア比を3.5から5.6に変更したのは、201系を量産投入して101系を置き換えてた時期だったのでコストダウンのために廃車発生品を流用したからですね。近郊型か急行型のギア比にして性能を合わせ併結できるようにしても良かったと思うけど、乗降扉の狭さや定員の少なさと715系は4両編成だったこともあって、運用を分けた方が得策だったのでしょう。
急行型のギア比にして性能を合わせれば、併結しなくてもおなじスジ(列車)に入れられるのでダイヤ上の制約を減らせれたのです。速度性能が違うため北陸線の普通のスジの割り振りは苦労してたそうです各駅停車のほうが便利なのに、419系が夕方ラッシュ時に金沢富山間の快速を走ってたのが良い例です。ちなみに所要時間は快速なのに追い越されない他の各駅停車と同じでした。
特急型の頃には乗ったことありませんが、北陸線の419系には乗ったことあります。BOX座席の窓側に座れればとてもお得な感じでした。これはあくまでも普通電車の話です。しらさぎ号で使われたと言うのは聞いたことありますが、あの座席で特急はありえないと思います。あと、小松かどこかで結構駅にお客がいたのですが北電車が419系3両編成でした。乗車にかなり手間取りました。211系3両だったら簡単に捌けたような人数でした。ただ面白い車両ではありました。空いているときに乗るのは最高な車両でした。
大企業花形部署のエリートサラリーマンが経営不振でリストラ、畑違いの田舎の子会社に左遷されるも定年まで立派に勤め上げました。
特急時代の座席/グリーン/寝台/食堂車も、きたぐにのA寝台も、勿論419系/715系もすべて体験しました。しかも用途は帰省だったり受験だったり通学/通勤/出張だったりと、いわゆる「乗り鉄」目的では一切ないという...座席は日本人特有の浅い座り方だと不評が出ましたが、本来の深い座り方をすれば最高の座り心地を得ることができました。253系N'EXと並んで、鉄道車両用では最高ランクの出来です。おそらく多数の人が書かれていると思いますが、特急時代そのままのクロスシート部分と足回りは普通電車用としては奢った物でしたので、私にとってはこの電車で通勤するのは「当たり」でした。富山駅のホームで立山そばをしょっぴいて、暖房がよく効いて音が遮断された車内でゆったり座って通勤、なんて贅沢をもう一度してみたいです。
昔鳥栖に住んでた時に715系はよく見かけました。確かに長崎本線での運用が多かった気がします。一度か二度乗った事がありますが、中は確かに不思議空間という印象でしたね。
乗りましたね~青森→盛岡の「特急はつかり2号」と、米原→大見塩津(普通・福井行き北陸色)に。あれから35年近くの月日が経ちましたが、何と言っても元特急車両。普通に使われていた時のシートの座り心地、最高でした。
最後、引退一週間前に北陸へ乗りに行きました。加速時のモーター音は感動しましたね。糸魚川で買った弁当の天ぷらにソースが付いてたのに驚いた関東人です。フォッサマグナの糸魚川は西日本なのですね。
すいてる時にボックスを1人で独占できた時の半個室感が好きでした。特に雪の積もってる夜間に走ってる時は、他の列車にはない独特の雰囲気でした。1つ大きな欠点だなと思ったのは、扉が半自動のとき、車内から折り戸を手で開ける時に相当力が必要だったことです。
九州の715系は多客時は博多熊本間の臨時急行ひのくにでの運用も有りました、因みに指定席車も有りました。
まだデッドセクションが湖西線内にあった頃、大回りで乗車しました無理矢理改造したせいか、デッドスペースが多いんですよねぇ1つだけ残した洗面台とかだから3両編成だったけど、乗車定員は2両編成並みいつも混んでました元特急車という事もあり、ボックスシートの乗り心地は良かったのですがだからいつも争奪戦でした
懐かしいですね。富山では、583系寝台車両は、よく引込線に留置していました。改造した車両は、タウントレイン という方向板をつけて、武生〜直江津間を走っていましたが、改造車ということもあり、高速走行時のモーター音がすごかったです。ちなみに、私は、1992年 富山地方鉄道に入社し、鉄道運転士をしております。当時は、国鉄からJRに民営化される時期で、JRの求人がなく、高校2年生のときに、地元の鉄道会社の社長に、将来は、立派な鉄道運転士になりたいと願い出て、普通科高校には求人がなかったものを、学校の推薦書で1名枠、私を学校長から鉄道会社に推薦書を書いて出してもらい、晴れて鉄道会社に入社することができ、鉄道運転士になりました。富山地方鉄道は、レイルウェイズ2作目が、ロケ地になり、現在、ブルーレイ、DVD化されて感動作になっています。中川家礼二も出演されています。
JR西日本の東端で、高校3年間毎日片道40分乗ってました。私に言わせれば贅沢な車両でしたよ。ボックス席でも広かったし、通勤通学の時間帯は遅延とは無縁でしたし。
581・583系電車は近郊型に改造せず、交流機器と、中の寝台設備を取り払い、普通の座席にして、特急「踊り子」号に使用。外した交流機器と119系的な車体を組み合わせ、交流・交直流近郊型電車を作れなかったのかな、と、考えております。
113+485=415+183の実績では整流器の載せ換えと絶縁などだけでも金がかかりすぎたとか。
@@tabibito6330 さんなるほど。コスト削減して、交流・交直流電車を配備したかったから、史実通りの583系→交流・交直流近郊型の改造が一番良かった、て事ですね。
そのままで急行や快速、団体列車に使えばよかった。
急行や快速だと、一車両→一扉、てのがマズイのでは・・・😅。
1992年の夏、長崎旅行に行った時にこの改造電車419系・715系電車に乗りました。当時は確か「長崎・佐世保周遊券」という割引切符で長崎本線と佐世保線を普通列車での移動時に乗りまくりました。てっきりJRになってから廃車にするのが勿体ないから改造されたのかと思ってましたが、既に国鉄時代から改造されてたんですね?個人的にはこの改造電車好きでした、もう1度乗れるものなら乗ってみたいです。
仕事の出張時富山地区で北陸新幹線開業前に乗りました。異様な感じの車両に、鉄ちゃんの同行者が寝台特急を改造したと教えてくれました。貴重な経験でした。
当時通学通勤に利用していました。最初は小豆色に白帯でしたが数年後白に青帯に変わりました。乗降口が折戸で幅が狭いため混雑時の乗降がしにくくシートピッチが広くて座席数が少なくなかなか座れなかったので 混雑時に走らせるなよ、といつも思っていました。もっとも当時の475系や455系の一部ロングシート改造車は通路が狭く混雑時の乗降が大変で415系800番代や413系が羨ましく思って見ていました。シート自体は広くて座りやすかったので空いているときは確かに楽でしたね。
高校3年間を419系でかよいました。ラッシュ時は数分遅れるのが当たり前。日曜日に乗ると、逆にダイヤに余裕がありすぎでした。ロングシートに座るとそこにモーターがあるのかすごくうるさかったですね。頭上の寝台を収納した部分が、古くなってかちゃついてうるさくもありました。編成によって、また急行型改造車もあって、ドア位置がばらばらでどこに並んでいればいいかわからないため、ホーム進入時の先頭車両を見てこの車両ならドア位置はここと判断して移動するという謎スキルが身に付きました。
719系?なんか混じっているようなちなみに、581系と583系改造の車両は、九州地区に配備された715系と、北陸地区に配備された419系に、東北地区に配備された715系1000番台の3種類があります
419系、583系両方に乗った事があります。減速比の関係か419系のモーター音がやたらうるさかった記憶があります。
乗ったなあ。419系。シートピッチが広かったし、座面も柔らかかったので、座り心地はよかったですよ。でももうこんな車両は登場しないだろうなあ・・・
583系寝台特急列車、ゆうづる、はくつる、金星、あかつき、彗星、なは、などに使用されました。
4:59 そこのTOKYOインテリアって割と長い歴史があるんだなぁまだ残ってるぞ
国鉄時代にデビューした北陸本線用の419系電車には、JR西日本になってから乗車しました。田舎が京都府舞鶴市なので 神奈川県内の自宅へ帰る際に小浜線で敦賀へ出た後に敦賀~金沢間で利用したり 金沢~糸魚川間で利用したりもしました。元々が寝台特急で活躍していた事もあり 走行中の車内は、静粛性が非常に高く 非常に静かで乗り心地も良かったですね❗ボックスシートもピッチが広かった事もあり快適でしたが 寝台設備を残した状態だったので 車内は、天井の高さとも相まって トンネル内は、やや薄暗い感じでした。
子供の頃の憧れの583系。いつでもよく見れた485系などの赤い特急とは違う青い特急列車。大人になったら乗るんだ!と思っていたのに、大人になったら絶滅危惧種となっていて、たとえ乗れても寝台特急としては乗れなかった。過去に戻れるなら、あの頃のゆうづるやはくつるに乗りたい。急行きたぐにでもいい。
419は米原駅でよく見たなぁ…実際に乗ったこともありますが車内がすごかったw
画像を拝見すると、上段・中段用の小窓が残されていたものもあるようですね。車両重量が重いため、乗り心地は良かったという話を聞いたことがあります。
九州向けの715系は小窓を残していたようですが後に錆が出て埋め込みしたようです。東北向けは上段寝台を撤去した車両もあり天井に開放感がありました。
新製車体に載せ替えられて413系や713系と同じ2扉両開きにしていれば、使い勝手も良かったかも知れません。
湖西線関西地区に行くときに乗ったことが…これが当たり前と思っていた若き頃…あっ歳バレるw
419系に乗っていましたが、冬季、折戸が凍り手動で開け閉めどころか、半開きのまま走っていました。475系の、デッキというものがいかに車内保温に役立つか、身をもって感じていました。車内は、2階寝台が圧迫感満載、圧倒的な車内騒音でしたが、個人的には好きでした。昇降での遅延はほぼ見かけませんでしたが、475系と比べても、圧倒的に加速力不足で遅延していました。それゆえにか、晩年は昼の閑散時間帯のみの運用でした。
寝台電車としては、一応夜行急行「きたぐに」で583系の寝台は何回か利用しましたね。いわゆる食パン電車は北陸で何度も乗りましたねー。
食パン電車・・湖西線の永原セクションが楽しみで乗ったのが最初でした。
その為その区間のみやたら運転本数少なかったんですよね(´Д`)
今や直流は敦賀まで延長。米原方面はかつては長浜までだった。
@@playboy4649japan その昔は坂田-田村がセクションでした。彦根~敦賀だたかな ディーゼルが走っていた。
今は北陸トンネルの手前にデッドセクションがあります。福井や金沢行きの場合登り坂の途中で越える事になります。最も北陸新幹線が敦賀まで開通するとこの区間はJR西日本から経営が分離され第三セクターになるんですが?
@@濵本竜司 つくばエクスプレスは守谷から先は交流。石岡市の地磁気研究所の都合で。関東鉄道は非電化複線。北陸新幹線が敦賀まで延伸したら福井県の第三セクターは交流電車だけ。JRには乗り入れない。
食パンきた!これで勝つる!
90年代の長崎・佐世保線の普通列車といえば715系でしたもし今も残っていたら水戸岡デザインに魔改造されたんだろうなぁっと考えてしまう。
419系の後継である521系も面白い製造時期によって顔が違うのに同じ形式だしダイヤが乱れた時に新快速やってたりする
419系が最後まで活躍した。(北陸地区が後回しにされた😭)
小学生の頃に乗ったな🚃特急車両に乗れると思って楽しかったんだけどなぁ〜
昔、583のひばりに乗った〜 いつも田舎に帰る赤とクリーム色の特急が青とクリーム色だったのが新鮮だった少年時代(笑)
1978年10月のダイヤ改正でひばり運用がなくなっているけど、それに乗った事があるとは・・・。
@@tomohikoo8949 急行仙山に乗って山寺から帰った年の出来事だったと思います(笑)455のね
北陸本線で通学時によく乗る電車でした。朝の通勤ラッシュ時以外は混まなかったので、遅延は気にしたことがなかったですね。富山~高岡を利用していました。
嘗て419系の運用に敦賀発福井行きに見せかけて実は敦賀発直江津行という運用がありまして…
あれがあればもっと面白かったはず。まずは現在521系1次車E編成2両で全区間ワンマン運転している近江今津発福井行きに見せかけて現在と同じダイヤで(朝8時台)いつも通り近江今津を発車(このため同駅と敦賀駅の電光掲示板では混乱防止のため「福井」と表記)し、終点・福井到着の際下り待避線の3番線に到着後一度すべての乗客を降ろしてからしばしの時間を置き、改めて金沢・富山・糸魚川・直江津のいずれか1駅まで行く普通列車として発車。
419系は何度か乗車した。特急らしい安定した走りが良かったなぁ。ラッシュ時の3+3の運用はユニークで見物だった。
こんな凄い改造を誰が思いついたのでしょう?断面は確かに食パンです。
日本を代表する魔改造車両、一度乗りたかったです。
そんな君は国鉄知らない平成生まれ?
583系「有明(確か「金星」の間合い運用)」にも、のちの715系長崎本線普通列車にも乗ったことがあります。確かに485系のリクライニングシートに比べればボックス席の居心地は良いとはいえませんでしたが、普通列車のシートとして考えれば極上の柔らかさでした。「みどり」や「ハウステンボス」の単独運用の車両を見ると(前と後ろで顔が全く違う)、時々思い出してしまいますね。
車体の色も教えてくれるなんて嬉しい。
九州地方では元特急用電車だったので715系使用の全席指定席の臨時急行で運転実績があります、ロングシートも指定席として販売されてましたね!。
583系、C62をはじめ蒸気機関車の次に好きな車輛でした。国鉄仕様で、引き取りたかったです。
この電車好きだったなああ18切符で東北本線を北上するとよくでくわした寝台部分をどう改造してんだろとかまじまじと観察してました(笑)
分割民営前後の嵐が吹き荒れた頃、10代後半でした。某鉄道雑誌が715系や419系のことを「ひょうきん国電」なんて言ってました。お笑い番組「俺たちひょうきん族」が流行っていてそれに引っかけたんでしょうけど、子供心に「大の大人どもが馬鹿げたこと言いやがって」と思いましたね。後年、東北旅行をした際に715系に乗りました。ゆったりしたボックスにベネシャンブラインド、モハでも静かな車内、乗り得な車両でした。
10:53>直流関連機器を撤去し>交流専用車としています。主に交流直流の転換器ですね。制御装置と、抵抗器、断流器は電動カム軸制御器である以上直流用機器が避けられません。
8年どころか2倍、3倍使えたんですね
九州旅客鉄道では、発足当初では数少ない行き先方向幕でした。今では収入を食い潰す車両になってしまいましたけどね。
1991年9月14日の長浜直流化で近江今津~近江塩津・敦賀間の普通列車も満を持して交直両用電車化されると、419系方向幕には「近江今津」表示が付け足されていなかったため、単に「普通」表示で代用していましたが(しかしながら413系方向幕には既に「近江今津」表示が付け足されていた)、1993年3月18日改正で419系方向幕にも満を持して「近江今津」表示が付け足されました。
この車両改造後に短編成化での中間車両の先頭化改造そして交直流急行型の部品流用で417系と同様の新製車体の717系も作られ仙台に配属されましたね、余談ですが国鉄最後に当時大分から仙台にクハ455-40が転属しました。
当時、特急料金でクロスシートは不満でした。同区間の急行列車のグリーン車の方が快適に移動出来ましたね。583系のはつかりより急行くりこまのグリーン席でした。
グリーン車もそのまま乗れたのでよく狙って乗ってましたよ。 しかし583のひばりは懐かしいですね。自分は1回しか乗った事ありません。大概は485の貫通型でした。
もったいない使われかたなんだよなぁ…
雷鳥が走ってたころによく見ました。関西で走るような代物じゃなっかたけど、地方路線にふさわしいやつでした
1:46 「ひっ策」はもしかして「逼迫(ひっぱく)」か「輻輳(ふくそう)」のことでしょうか。後者は時々「ひっそう」と読まれてしまうときもありますので、混ざったのかと推測します。
419系は、もともと特急用の運転席なので見た目はカッコ良かったのですが乗るとねぇ…クロスシートはリクライニングしないのに無駄にシートピッチが大きいし加速が悪いし、客用ドアは寝台列車用の折り畳みドアで乗り降りしにくい、加速悪い…で、全線良い所が無かったですね
国鉄時代の485系は半数がリクライニングしない直角シート、残りの半分の内の半分は寄り掛かってないと戻ってくるような簡易リクライニングシートだったのでそれほど見劣りはしなかったですね。
毎度電GO!(プロ1)生放送でお馴染みの715系食パン電車であり、なおかつ“迷列車”でもあるんですけれどもね。
金沢運転所(松任、乙丸共に)でよくみた事あるけど、車体の老朽化は酷かったようです。(車体下側はサビでボロボロ、劣化酷いなぁと)ブーンと唸るようなモーター駆動音は遠くからでもすぐに判りましたよ。懐かしいです。
実に勿体ない使われ方
東日本と西日本で改造されて使われて最近まで現役でしたね
JR東日本は一部車両の上段中段寝台を撤去したので車内が広く見えました。
419系は普通列車としては広々としたボックス席が快適でよかったですが、九州の719系は何故か急行列車に充当されロングシートでも別料金が発生するという迷(?)な列車でもありましたね(*´-`)
719系ではなく715系
博多熊本間の臨時急行ひのくにでの運用が有りました、因みに指定席車両も有りました。
419系の運転経験があります。魔改造の食パン顔は乗務員室が広く、475系等と比べて居住性はよかったです。加減速もそう悪くなく割と運転しやすいと感じました。しかし狭い扉による乗降遅れと回復余裕がない足の遅さは如何ともし難く、またヒーターの利きが悪いため冬季は出区時予熱時間が追加され、ただでさえ短い仮眠時間が更に削られるのが大変でした。
末期は故障ばかりでしたが、何だかんだ愛着がありました。懐かしいです。
運転ご苦労様でした、がって北陸周遊券での北陸旅行でお世話になりました、ボックス席はゆったりでしたがロングシート部分はシートの境に当たると座り心地がアンバランスでした、比較的がらがらの親不知付近での日本海は良かったですそして頸城隧道内の筒石駅の長い階段登り降りの思い出、余談ですが夜間は種車の583系急行きたぐにの自由席を宿代わりに利用した思い出も有ります。
すごいですね・・・高校生の頃、まさにその419系によく乗っていました。
客的には静粛性と乗り心地が良くて好きでした。デッドセクション通過時に照明が消える「アトラクション」も好きでした。
運転ありがとうございます。419系で通勤したことある元鉄道職員です。
金沢から富山の夕方下り快速と十数年後の富山から入善の朝ラッシュ上り普通と深夜最終下りの快速を使ってました。 どれも419系らしい使われ方でした。
入善への朝ラッシュは富山から直江津へ行くという逆方向で使われ、混むんで乗り降りが遅くなっても問題ないダイヤだったなと、入善で高校生と通勤が多くおりるから長い時間停車して泊で後続の特急に追い越されるといういかにも419系らしかったです。金沢富山夕方快速も前後に特急か貨物列車があったので、無理矢理速く走らせるため快速で通過で跳ばしたのでしょうね。
深夜最終快速もなんかもう混んでるのを避けた結果、乗り降り少ない駅を通過して戻ってきてる感ありありでした。結果便利でしたが。
客室の暖房は冬でも良く効いておりドアが小さいのである程度の保温性がありましたが、そんな苦労があったのは驚きでした。
たしかに特急の冷暖房は近郊型にくらべて弱いからなぁ。
末期は敦賀に転属になったが、北陸トンネルで電車が立ち応じした時の救援のためというのも納得しました。車体が重くギア比が通勤車という電気機関車みたいなスペックなので、25キロの速度で牽引推進が可能だなと。EF81がモーター四つで1200トンを起動させる事が可能だったので、サンダーバード九両も可能でなかったのではと思います。
@@suezoact2419系って快速でも使われていたんですか?😅
元々次世代車導入までの繋ぎとして短期間だけ走らせたつもりだったから結果的に2011年まで走ってたと考えると想定以上に長生きしてる事になるんだよな……
451系や471系ではなく、これを413系や717系の種車にすべきでしたね。
583系よりも419系としての道程のほうが長かったのか...
やはれアレで強制運用終了になったんでしょうか。
日付を見るとやはりビクッとしてしまいます・・。
@@ehatovcat7037
違いますよ。
その日はダイヤ改正の前日で、当初からその日で営業運用を終了する予定でした。
583系は北陸地区じゃ原型時よりも改造後のほうが運用期間が長かったんだよな。
初めて食パン列車を見た時は旅客列車離れした姿に衝撃を受けましたが、後で583系の成れの果てと知った時はさらに衝撃でした。
信越線’(直江津ー柏崎だったと思う)で乗ったことがある。寝台列車なので乗降口がとても狭いんだ。乗り降りが頻繁にある近距離旅客輸送には適さない。
8:49 これやっぱり食パンですよね
北陸線の米原から敦賀まで乗ったがバリアフリーのカケラも無い折戸、薄暗く狭い車内に驚いた。
敦賀まで新快速が行くようになり、驚く程快適になった。
@@ohoyamato 民営化前は直江津より新潟寄りでも走ってたんですか?
@@N--jv3go うろ覚えなのではっきりしないから、信越線’(直江津ー柏崎だったと思う)と書いていますよ。多分私の思い違いかと思う。
懐かしいです。乗り心地が良かったので、食パンに当たるとラッキーと思っていました。更に先頭車両の改造車に当たると、レアものを引いた感じがして嬉しかったのを覚えています。
北陸本線で乗りました。窓は小さいけど、ボックス席はとても広く、背もたれも角度がついていて、旅行客として乗る分には、なかなか快適な電車でした☺️
投稿主は多分平成生まれだと思う。常磐線には「みちのく」と言う青森行き昼行特急で使われていた。食堂車も付いてた。東北では昼間は「はつかり」「みちのく」夜は「はくつる」「ゆうづる」で一日中大活躍。JR民営化では夜行急行「津軽」で活躍。「はくつる」は90年代まで583系で走ってた。
昔、青春18(28?38?48?)切符で九州、東北、北陸を乗り歩いたが、419系、715系に乗り合わすと嬉しかった。
静かな車内、ゆったりした車内と座席、重厚感ある乗り心地。
あんな幸せな日々は二度と訪れないだろう。
仙台で暮らしてたとき、この車両はよく見てました。この車両の最後が東日本大震災の日...。沁みるものがありますね。
伝説の食パンだ!
でも最後の1両が解体されちゃったんだよな
元々国鉄の財政事情から417系と713系を大量投入ができず、分割民営化後の新会社で701系や813系などを投入するまでの中継ぎにする形で客車列車の電車化をはかっていました。
結果的に419系だけが長命だったのが救いでしたが、113系の改造投入をせずに521系投入まで続いたのは幸いでした。
七尾線で直流車からの改造が走っていましてが、思いの外、改造費がかかり以後やらなくなったみたいですね。
本当は117系に交流機器を取り付けて北陸線に投入される話もあったような?話も聞いたことがあります。
福井にあっては、419系との関りは長かったです。それでも鈍行客車からすれば快適でした。583系のみどり、雷鳥に乗車経験があり、憧れの583に特急料金なしで乗れることの方が嬉しかった。芦原温泉発長浜行きとか、結構ロングランしてくれたから便利でしたよ。ただクーラーから水漏れとか相当傷んではいました。家にいても、北陸線を力走する419系の独特の加速音が聞こえていたので、あ~元気に走っているんだなって分かりました。九州に行く機会があったら、また逢ってみたいです。
北陸です。419には高校通学時代にお世話になりました。
朝の混みはともかく、帰りはボックス席にゆっくり腰掛け、大きな窓の眺めと、元特急ならではのモーター唸り音を聴くのが、一つのささやかな楽しみでした。
駅間がやや長めの区間なので、加速力の低さのデメリットはあまり感じませんでしたね。
冬は例によって扉が手動に→たまに折り扉の前で“あれっ?”となっている方が居たり。
419系懐かしいです。
北陸本線沿線住民なのでよく乗ってました。
広くてゆったりとしたボックス席が快適でしたが混雑時は乗降に時間がかかり遅延もしていました。
419系の車齢が若い車輌は、近郊形として活躍した期間の方が長かったそうです。
そうですね、北陸線の471系も413系の方が長いものもいますね、例トキ鉄に行ったクルマ。
毎回毎回、素晴らしい動画を作る仙鉄さんと、写真や映像も提供してくれる人に感謝‼️
715系はたしかに2M2Tだったから鈍足だったけど、419系は最高速度が100km/hなだけで、加速は悪くなかったどころか、113系等より全然良かった。
そりゃ2M1Tやしな
715系も3両編成ならプロ1で苦労しなかったのに
@@22322397494835793 あれは813の代走っぽいスジなのに1秒遅れただけで減点してくるから…
ギア比は101系と同じですからね、それに都市部のE電区間でも無いから遅くても詰まることも無いでしょう。最高速になると何処かの8500系みたいに爆音でした。
@@rsogo.7544
イージーモードでもゲームオーバーになりそうでしたよ。
鬼なゲームだな
ちなみ813のスジに419を走らせて、走行性能のせいで遅れた場合は、運転士にお咎めはないです。
583,419系はリクライニングしないボックス席が不評って言われるが、シートピッチが広いので、私は好きでした。
485系の方が前の席に足がつっかえるし、初期のボンネットなんて冬など座席のヒータが熱すぎて座っていられなかった。しらさぎ、雷鳥などは583(581)の方が当たりだと思って乗っていました。でも寝台車として乗りたかった夢はかなわずじまいでした。
国鉄時代の485系は固定直角シートまたはリクライニングした位置で止まらないバッタンシートで背面テーブル無しが多数でした。
客車寝台列車は、衝撃が激しく(後ろに行くほど、、、)とても安眠できませんでした。ところが、電車寝台は、動力が分散されているので、衝撃など全くなく、モーター音の高周波のおかげで、とても熟睡できました。電車寝台は、最高です!!!
すごくわかりやすい最高の解説です!
やっぱ国鉄はこういった魔改造は名物だよねー
西な。
581の座席に座ったことがありますが想像の何倍も座り心地が良くて驚きました。
@@すももさん-x8g 現役は乗れてないんですよね。きたぐにもあったのに...。
普通列車では座り心地がよかったです。ボックス座席。
特急料金を払うとなると、、、
不満は残ります。
@@DM-wu9cp いくら早くて快適でもも8時間ボックスに座ることには代わりないですからね…
急行用として計画されたので急行なら文句ないですけど特急となると…
懐かしい~♪ 北陸旅行した際にナニコレ?っと思った列車。あれは苦肉の策だったんですね。現役で寝台車として活躍していたときに乗車してみたかった。
素晴らしい動画をありがとうございました。
419系は加速が悪いことよりも、最高速度が100km/hなのが問題で、他の普通用車両は急行形で最高速度110km/hなので足並みが揃わず、共通運用が組めなかったことですね。扉は狭いし照明は暗いし、閉鎖された寝台からはすえた匂いが漂ってましたが(笑)、ボックスシートに座れば座り心地は良かったです。
車椅子、ベビーカーの人にとって乗り降りする時はドアが狭いので難儀したはず。駅員などに手伝って貰わないと一人では無理。
国鉄当時は急行型使用列車を含め普通列車は110km運転をしていなかったはずです。JR後も東北本線では701系投入後にようやく110km運転となった。機関車牽引の短編成50系客車が普通列車として活躍していた時代に最高時速や加速度が決定的要因とは思われません。むしろ長寿を全うしたと見るべきです。
@@hideakimatsumoto3338 当時は車椅子やベビーカーなどに対する配慮など全くありませんでした。列車区間は低ホーム、車両はステップ付きが当然、客車などは開閉自在の手動ドアで今の常識とは違うのです。
何しろ当時の国鉄サイドはこれを生み出すにあたり、「改造コストを極力抑えたかった」という思惑もあったため扉の構造を変更しないで、別の581/583系から客用扉を調達し、片側1枚増設の2枚扉にしたことなどが特筆されます。
それにしても現行の521系、北陸トンネル(加えて2006年11月川重製の1次車E編成10両はさらに湖西線も)での高速度運転に備えて、130㎞/hで走らせることができるように改造することはできないのだろうか(こうなれば敦賀~福井間は各駅に停まっても3分短縮の47分運転が実現できるに違いない)?
遅いと言ってもキハ40系や電関+客車より早かったと思います。
北陸路では大変にお世話になった419系。
座席が良かったので、富山までの通し運転でも疲れは少なかったな。
加速はそんなに悪くは無かったように思う。
だが、581/583系の時代よりも、419系の時代の方がはるかに長いと言う、なかなかの経歴の持ち主だったなぁ。
715系はあの魔改造がなかなか好きなんよね。時代を感じるある意味での名車。
空いていれば701系あたりより良かったですね。
東日本大震災の裏でこんな魔改造形式がひっそりと引退していたとは…。
せいぜい10年くらいで廃車にする予定(実際にJR東日本は大体そのくらいで廃車した)がJR西日本の場合が特殊だったが故2011年まで残ってしまったのはある意味面白いですね。
北陸線は異なる電化区間が3つ存在するので対応した車両を考えるとどうしても製造コストが跳ね上がる。赤字区間を抱える西日本にとって後回しにせざるを得なかったと思います。
@@hideakimatsumoto3338
では湖西線・北陸本線をはじめとする「日本海縦貫線」における異なる電化区間の正体とは、いったい何なのか?
まず敦賀(正確には駅構内ではなく、2006年10月の同駅までの直流化が叶った際に「小牧かまぼこ」の本社工場が建っているあたりに集約)を境に以南が直流、以北が交流60Hz、糸魚川~梶屋敷間の中間地点で再び直流区間に入り、これが羽越本線に入ること村上まで続きます。
そして村上を過ぎますと交流50Hzに入ることから、交流区間における周波数の違いにも対応する必要があり、そこで登場したのが3電源対応のEF81形電気機関車と457系交直両用電車です。
福岡での混雑に対応できなかったのか九州のが最初に廃車になり、仙台での混雑に対応できなかったのか次が東北、北陸のが一番長生きでした。
@@N--jv3go さん、福井、金沢、富山のあたりの混雑を気にする余裕もなかったのが西の実態やろなぁ。
直流区間の113-3800といい。
近郊型として無理があるのは当時の国鉄の置かれた状況から当然。むしろコストをかけない改造内容は素晴らしい。座り心地のいいシート、静かな車内など利用者にはファンも多かった。その後投入されたオールロングシートの701系の不評と比べたい。
715系って、あれでも583時代よりは加速力はマシになってたんですね。電車でGO!やってたら、813系と比べて全然加速しないのにw
そうですね。 ダイヤに余裕なくてゲームオーバーになりそうなのが何度もありました。
@@峻-k5k さん、実際にあんなダイヤで走る715系の列車があったら、福知山線のような事故になってしまいそうですね😅
電車でGO!の(;^ω^)あの博多小倉間の
食パン電車はTASさんでもパーフェクトクリア不可能と言うクソゲーでっせ(笑)
@@峻-k5k
実際に何度もゲームオーバーになりコンティニューしまくった。
こんなの出来るか!!ってどれだけ思ったことか。
@@藤直和-c7t
イージーモードでも待ち時間減らしまくってゲームオーバーになりそうでしたよ。
この列車を通勤列車として使おうとしたJRはすごい。折り畳みドアで乗客の乗り降りが大変.更に乗客を捌けない問題だらけなのにずっと使い続けていた。ディーゼル列車の方がマシだと思えた
懐かしいなぁ
学生の時の通学でよくのってました
食パン型の普通列車
都市圏みたく駅が近いわけでもないから、ボックス席が重宝しててよかった
今の近郊型のロングシートになってから、違和感しか感じない
583系特急型電車懐かしいですね。僕が高校生時まだ東北新幹線が盛岡止まりでした。修学旅行で京都に行く時函館から青森まで快速海峡2号に乗り青森から盛岡まで特急はつかり号「583系」特急型電車に乗り京都まで新幹線を乗り継いで行きました。その時同級生がシートを引いてベッドにして利用していたところに車掌に見つかり注意されていました。今となっては修学旅行のいい思い出になりました。
個人的には結構好きでした。東北地方や北陸方面に行った際はよくお世話になりました。確かに色々問題は有りましたが、繋ぎとしての役割は果たしたと思います。その頃は今と異なり比較的長距離を走る列車も多かったですから広いボックスシートは重宝しました。
東京から仙台に帰るときに、黒磯から乗りました。ボックス席がすごく快適で元特急車両の気配も色濃くあり、旅情も感じられたので、私も結構好きでした。
初コメです。
419系懐かしい。
高校の通学に乗っていましたね。
定期ならそのまま乗れましたが
それ以外だと最後尾車両に乗務している車掌から切符を買わなければならず
乗務員室の扉をノックしてました。
たまに気づかない車掌もいました。
それで乗る前に車掌に切符を申し出て買う様にしてました
通学でよく乗ってました
モーター音がめちゃくちゃ大きくて壊れるんじゃないかとヒヤヒヤして乗ってました。
あと暖房がめっちゃ効く。懐かしい…
583系の普通列車化改造って、動画にするほど遠い昔になっちゃったんだなあ(遠い目。419系で糸魚川〜長浜まで乗ったのが23年前・・・。
近郊型改造で電動車のギア比を3.5から5.6に変更したのは、201系を量産投入して101系を置き換えてた時期だったのでコストダウンのために廃車発生品を流用したからですね。近郊型か急行型のギア比にして性能を合わせ併結できるようにしても良かったと思うけど、乗降扉の狭さや定員の少なさと715系は4両編成だったこともあって、運用を分けた方が得策だったのでしょう。
急行型のギア比にして性能を合わせれば、併結しなくてもおなじスジ(列車)に入れられるのでダイヤ上の制約を減らせれたのです。
速度性能が違うため北陸線の普通のスジの割り振りは苦労してたそうです
各駅停車のほうが便利なのに、419系が夕方ラッシュ時に金沢富山間の快速を走ってたのが良い例です。ちなみに所要時間は快速なのに追い越されない他の各駅停車と同じでした。
特急型の頃には乗ったことありませんが、北陸線の419系には乗ったことあります。BOX座席の窓側に座れればとてもお得な感じでした。これはあくまでも普通電車の話です。しらさぎ号で使われたと言うのは聞いたことありますが、あの座席で特急はありえないと思います。
あと、小松かどこかで結構駅にお客がいたのですが北電車が419系3両編成でした。乗車にかなり手間取りました。211系3両だったら簡単に捌けたような人数でした。
ただ面白い車両ではありました。空いているときに乗るのは最高な車両でした。
大企業花形部署のエリートサラリーマンが経営不振でリストラ、畑違いの田舎の子会社に左遷されるも定年まで立派に勤め上げました。
特急時代の座席/グリーン/寝台/食堂車も、きたぐにのA寝台も、勿論419系/715系もすべて体験しました。
しかも用途は帰省だったり受験だったり通学/通勤/出張だったりと、いわゆる「乗り鉄」目的では一切ないという...
座席は日本人特有の浅い座り方だと不評が出ましたが、本来の深い座り方をすれば最高の座り心地を得ることができました。
253系N'EXと並んで、鉄道車両用では最高ランクの出来です。
おそらく多数の人が書かれていると思いますが、特急時代そのままのクロスシート部分と足回りは普通電車用としては奢った物でしたので、私にとってはこの電車で通勤するのは「当たり」でした。
富山駅のホームで立山そばをしょっぴいて、暖房がよく効いて音が遮断された車内でゆったり座って通勤、なんて贅沢をもう一度してみたいです。
昔鳥栖に住んでた時に715系はよく見かけました。
確かに長崎本線での運用が多かった気がします。
一度か二度乗った事がありますが、中は確かに不思議空間という印象でしたね。
乗りましたね~青森→盛岡の「特急はつかり2号」と、米原→大見塩津(普通・福井行き北陸色)に。
あれから35年近くの月日が経ちましたが、何と言っても元特急車両。普通に使われていた時のシートの座り心地、最高でした。
最後、引退一週間前に北陸へ乗りに行きました。加速時のモーター音は感動しましたね。
糸魚川で買った弁当の天ぷらにソースが付いてたのに驚いた関東人です。
フォッサマグナの糸魚川は西日本なのですね。
すいてる時にボックスを1人で独占できた時の半個室感が好きでした。特に雪の積もってる夜間に走ってる時は、他の列車にはない独特の雰囲気でした。
1つ大きな欠点だなと思ったのは、扉が半自動のとき、車内から折り戸を手で開ける時に相当力が必要だったことです。
九州の715系は多客時は博多熊本間の臨時急行ひのくにでの運用も有りました、因みに指定席車も有りました。
まだデッドセクションが湖西線内にあった頃、大回りで乗車しました
無理矢理改造したせいか、デッドスペースが多いんですよねぇ
1つだけ残した洗面台とか
だから3両編成だったけど、乗車定員は2両編成並み
いつも混んでました
元特急車という事もあり、ボックスシートの乗り心地は良かったのですが
だからいつも争奪戦でした
懐かしいですね。
富山では、583系寝台車両は、よく引込線に留置していました。
改造した車両は、タウントレイン という方向板をつけて、武生〜直江津間を走っていましたが、改造車ということもあり、高速走行時のモーター音がすごかったです。
ちなみに、私は、1992年 富山地方鉄道に入社し、鉄道運転士をしております。当時は、国鉄からJRに民営化される時期で、JRの求人がなく、高校2年生のときに、地元の鉄道会社の社長に、将来は、立派な鉄道運転士になりたいと願い出て、普通科高校には求人がなかったものを、学校の推薦書で1名枠、私を学校長から鉄道会社に推薦書を書いて出してもらい、晴れて鉄道会社に入社することができ、鉄道運転士になりました。富山地方鉄道は、レイルウェイズ2作目が、ロケ地になり、現在、ブルーレイ、DVD化されて感動作になっています。中川家礼二も出演されています。
JR西日本の東端で、高校3年間毎日片道40分乗ってました。
私に言わせれば贅沢な車両でしたよ。
ボックス席でも広かったし、通勤通学の時間帯は遅延とは無縁でしたし。
581・583系電車は近郊型に改造せず、
交流機器と、中の寝台設備を取り払い、普通の座席にして、特急「踊り子」号に使用。
外した交流機器と119系的な車体を組み合わせ、
交流・交直流近郊型電車を作れなかったのかな、と、考えております。
113+485=415+183の実績では整流器の載せ換えと絶縁などだけでも金がかかりすぎたとか。
@@tabibito6330 さん
なるほど。コスト削減して、交流・交直流電車を配備したかったから、
史実通りの
583系→交流・交直流近郊型の改造が一番良かった、て事ですね。
そのままで急行や快速、団体列車に使えばよかった。
急行や快速だと、一車両→一扉、てのがマズイのでは・・・😅。
1992年の夏、長崎旅行に行った時にこの改造電車419系・715系電車に乗りました。
当時は確か「長崎・佐世保周遊券」という割引切符で長崎本線と佐世保線を普通列車での
移動時に乗りまくりました。
てっきりJRになってから廃車にするのが勿体ないから改造されたのかと思ってましたが、
既に国鉄時代から改造されてたんですね?
個人的にはこの改造電車好きでした、もう1度乗れるものなら乗ってみたいです。
仕事の出張時富山地区で北陸新幹線開業前に乗りました。異様な感じの車両に、鉄ちゃんの同行者が寝台特急を改造したと教えてくれました。貴重な経験でした。
当時通学通勤に利用していました。最初は小豆色に白帯でしたが数年後白に青帯に変わりました。
乗降口が折戸で幅が狭いため混雑時の乗降がしにくくシートピッチが広くて座席数が少なくなかなか座れなかったので 混雑時に走らせるなよ、といつも思っていました。もっとも当時の475系や455系の一部ロングシート改造車は通路が狭く混雑時の乗降が大変で415系800番代や413系が羨ましく思って見ていました。
シート自体は広くて座りやすかったので空いているときは確かに楽でしたね。
高校3年間を419系でかよいました。ラッシュ時は数分遅れるのが当たり前。日曜日に乗ると、逆にダイヤに余裕がありすぎでした。ロングシートに座るとそこにモーターがあるのかすごくうるさかったですね。頭上の寝台を収納した部分が、古くなってかちゃついてうるさくもありました。編成によって、また急行型改造車もあって、ドア位置がばらばらでどこに並んでいればいいかわからないため、ホーム進入時の先頭車両を見てこの車両ならドア位置はここと判断して移動するという謎スキルが身に付きました。
719系?
なんか混じっているような
ちなみに、581系と583系改造の車両は、九州地区に配備された715系と、北陸地区に配備された419系に、東北地区に配備された715系1000番台の3種類があります
419系、583系両方に乗った事があります。
減速比の関係か419系のモーター音がやたらうるさかった記憶があります。
乗ったなあ。419系。シートピッチが広かったし、座面も柔らかかったので、座り心地はよかったですよ。でももうこんな車両は登場しないだろうなあ・・・
583系寝台特急列車、ゆうづる、はくつる、金星、あかつき、彗星、なは、などに使用されました。
4:59 そこのTOKYOインテリアって割と長い歴史があるんだなぁ
まだ残ってるぞ
国鉄時代にデビューした北陸本線用の419系電車には、JR西日本になってから乗車しました。
田舎が京都府舞鶴市なので 神奈川県内の自宅へ帰る際に小浜線で敦賀へ出た後に敦賀~金沢間で利用したり 金沢~糸魚川間で利用したりもしました。
元々が寝台特急で活躍していた事もあり 走行中の車内は、静粛性が非常に高く 非常に静かで乗り心地も良かったですね❗
ボックスシートもピッチが広かった事もあり快適でしたが 寝台設備を残した状態だったので 車内は、天井の高さとも相まって トンネル内は、やや薄暗い感じでした。
子供の頃の憧れの583系。
いつでもよく見れた485系などの赤い特急とは違う青い特急列車。
大人になったら乗るんだ!と思っていたのに、大人になったら絶滅危惧種となっていて、たとえ乗れても寝台特急としては乗れなかった。
過去に戻れるなら、あの頃のゆうづるやはくつるに乗りたい。
急行きたぐにでもいい。
419は米原駅でよく見たなぁ…実際に乗ったこともありますが車内がすごかったw
画像を拝見すると、上段・中段用の小窓が残されていたものもあるようですね。
車両重量が重いため、乗り心地は良かったという話を聞いたことがあります。
九州向けの715系は小窓を残していたようですが後に錆が出て埋め込みしたようです。東北向けは上段寝台を撤去した車両もあり天井に開放感がありました。
新製車体に載せ替えられて413系や713系と同じ2扉両開きにしていれば、使い勝手も良かったかも知れません。
湖西線関西地区に行くときに乗ったことが…これが当たり前と思っていた若き頃…あっ歳バレるw
419系に乗っていましたが、冬季、折戸が凍り手動で開け閉めどころか、半開きのまま走っていました。
475系の、デッキというものがいかに車内保温に役立つか、身をもって感じていました。
車内は、2階寝台が圧迫感満載、圧倒的な車内騒音でしたが、個人的には好きでした。
昇降での遅延はほぼ見かけませんでしたが、475系と比べても、圧倒的に加速力不足で遅延していました。
それゆえにか、晩年は昼の閑散時間帯のみの運用でした。
寝台電車としては、一応夜行急行「きたぐに」で583系の寝台は何回か利用しましたね。いわゆる食パン電車は北陸で何度も乗りましたねー。
食パン電車・・湖西線の永原セクションが楽しみで乗ったのが最初でした。
その為その区間のみやたら運転本数少なかったんですよね(´Д`)
今や直流は敦賀まで延長。米原方面はかつては長浜までだった。
@@playboy4649japan
その昔は坂田-田村がセクションでした。
彦根~敦賀だたかな ディーゼルが走っていた。
今は北陸トンネルの手前にデッドセクションがあります。福井や金沢行きの場合登り坂の途中で越える事になります。最も北陸新幹線が敦賀まで開通するとこの区間はJR西日本から経営が分離され第三セクターになるんですが?
@@濵本竜司 つくばエクスプレスは守谷から先は交流。石岡市の地磁気研究所の都合で。関東鉄道は非電化複線。北陸新幹線が敦賀まで延伸したら福井県の第三セクターは交流電車だけ。JRには乗り入れない。
食パンきた!これで勝つる!
90年代の長崎・佐世保線の普通列車といえば715系でした
もし今も残っていたら水戸岡デザインに魔改造されたんだろうなぁっと考えてしまう。
419系の後継である521系も面白い
製造時期によって顔が違うのに同じ形式だし
ダイヤが乱れた時に新快速やってたりする
419系が最後まで活躍した。(北陸地区が後回しにされた😭)
小学生の頃に乗ったな🚃
特急車両に乗れると思って楽しかったんだけどなぁ〜
昔、583のひばりに乗った〜 いつも田舎に帰る赤とクリーム色の特急が青とクリーム色だったのが新鮮だった少年時代(笑)
1978年10月のダイヤ改正でひばり運用がなくなっているけど、それに乗った事があるとは・・・。
@@tomohikoo8949
急行仙山に乗って山寺から帰った年の出来事だったと思います(笑)455のね
北陸本線で通学時によく乗る電車でした。朝の通勤ラッシュ時以外は混まなかったので、遅延は気にしたことがなかったですね。富山~高岡を利用していました。
嘗て419系の運用に敦賀発福井行きに見せかけて実は敦賀発直江津行という運用がありまして…
あれがあればもっと面白かったはず。
まずは現在521系1次車E編成2両で全区間ワンマン運転している近江今津発福井行きに見せかけて現在と同じダイヤで(朝8時台)いつも通り近江今津を発車(このため同駅と敦賀駅の電光掲示板では混乱防止のため「福井」と表記)し、終点・福井到着の際下り待避線の3番線に到着後一度すべての乗客を降ろしてからしばしの時間を置き、改めて金沢・富山・糸魚川・直江津のいずれか1駅まで行く普通列車として発車。
419系は何度か乗車した。特急らしい安定した走りが良かったなぁ。
ラッシュ時の3+3の運用はユニークで見物だった。
こんな凄い改造を誰が思いついたのでしょう?
断面は確かに食パンです。
日本を代表する魔改造車両、一度乗りたかったです。
そんな君は国鉄知らない平成生まれ?
583系「有明(確か「金星」の間合い運用)」にも、のちの715系長崎本線普通列車にも乗ったことがあります。
確かに485系のリクライニングシートに比べればボックス席の居心地は良いとはいえませんでしたが、
普通列車のシートとして考えれば極上の柔らかさでした。
「みどり」や「ハウステンボス」の単独運用の車両を見ると(前と後ろで顔が全く違う)、時々思い出してしまいますね。
車体の色も教えてくれるなんて嬉しい。
九州地方では元特急用電車だったので715系使用の全席指定席の臨時急行で運転実績があります、ロングシートも指定席として販売されてましたね!。
583系、C62をはじめ蒸気機関車の次に好きな車輛でした。国鉄仕様で、引き取りたかったです。
この電車好きだったなああ
18切符で東北本線を北上するとよくでくわした
寝台部分をどう改造してんだろとかまじまじと観察してました(笑)
分割民営前後の嵐が吹き荒れた頃、10代後半でした。某鉄道雑誌が715系や419系のことを「ひょうきん国電」なんて言ってました。お笑い番組「俺たちひょうきん族」が流行っていてそれに引っかけたんでしょうけど、子供心に「大の大人どもが馬鹿げたこと言いやがって」と思いましたね。
後年、東北旅行をした際に715系に乗りました。ゆったりしたボックスにベネシャンブラインド、モハでも静かな車内、乗り得な車両でした。
10:53
>直流関連機器を撤去し
>交流専用車としています。
主に交流直流の転換器ですね。
制御装置と、抵抗器、断流器は
電動カム軸制御器である以上
直流用機器が避けられません。
8年どころか2倍、3倍使えたんですね
九州旅客鉄道では、発足当初では数少ない行き先方向幕でした。今では収入を食い潰す車両になってしまいましたけどね。
1991年9月14日の長浜直流化で近江今津~近江塩津・敦賀間の普通列車も満を持して交直両用電車化されると、419系方向幕には「近江今津」表示が付け足されていなかったため、単に「普通」表示で代用していましたが(しかしながら413系方向幕には既に「近江今津」表示が付け足されていた)、1993年3月18日改正で419系方向幕にも満を持して「近江今津」表示が付け足されました。
この車両改造後に短編成化での中間車両の先頭化改造そして交直流急行型の部品流用で417系と同様の新製車体の717系も作られ仙台に配属されましたね、余談ですが国鉄最後に当時大分から仙台にクハ455-40が転属しました。
当時、特急料金でクロスシートは不満でした。同区間の急行列車のグリーン車の方が快適に移動出来ましたね。
583系のはつかりより急行くりこまのグリーン席でした。
グリーン車もそのまま乗れたのでよく狙って乗ってましたよ。
しかし583のひばりは懐かしいですね。自分は1回しか乗った事ありません。大概は485の貫通型でした。
もったいない使われかたなんだよなぁ…
雷鳥が走ってたころによく見ました。関西で走るような代物じゃ
なっかたけど、地方路線にふさわしいやつでした
1:46 「ひっ策」はもしかして「逼迫(ひっぱく)」か「輻輳(ふくそう)」のことでしょうか。
後者は時々「ひっそう」と読まれてしまうときもありますので、混ざったのかと推測します。
419系は、もともと特急用の運転席なので見た目はカッコ良かったのですが
乗るとねぇ…クロスシートはリクライニングしないのに無駄にシートピッチが大きいし
加速が悪いし、客用ドアは寝台列車用の折り畳みドアで乗り降りしにくい、加速悪い…で、全線良い所が無かったですね
国鉄時代の485系は半数がリクライニングしない直角シート、残りの半分の内の半分は寄り掛かってないと戻ってくるような簡易リクライニングシートだったのでそれほど見劣りはしなかったですね。
毎度電GO!(プロ1)生放送でお馴染みの715系食パン電車であり、なおかつ“迷列車”でもあるんですけれどもね。
金沢運転所(松任、乙丸共に)でよくみた事あるけど、車体の老朽化は酷かったようです。(車体下側はサビでボロボロ、劣化酷いなぁと)
ブーンと唸るようなモーター駆動音は遠くからでもすぐに判りましたよ。
懐かしいです。
実に勿体ない使われ方
東日本と西日本で改造されて使われて最近まで現役でしたね
JR東日本は一部車両の上段中段寝台を撤去したので車内が広く見えました。
419系は普通列車としては広々としたボックス席が快適でよかったですが、九州の719系は何故か急行列車に充当されロングシートでも別料金が発生するという迷(?)な列車でもありましたね(*´-`)
719系ではなく715系
博多熊本間の臨時急行ひのくにでの運用が有りました、因みに指定席車両も有りました。