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イエローマジックオーケストラは、グルーヴ感を出す為に、リズムを均等割から少しずらして、コンピューターに意図してプログラムしたそうです。当時はまだ電子楽器の技術が不十分で、音の強弱でアクセントを付けることが出来ず、こんな対応になった旨をTV番組で見ました。
車田先生に偶然出会って、何がハマったって、心地よい声とお茶の時間です。『んー安定のうまさ☕️』私も最近このフレーズあえて使ってます😆
「揺らぎ」聞き手にとって、マジックに陥られる技です。プロの演奏家による個々人の揺らぎ、それがハーモニーになる人間臭さが、その時、その空間でしか味わえない唯一無二のハーモニー、そしてその時間と空間をご一緒させていただいた共有感に心が満たされます❤️
ホロヴィッツは、(オーバーな話、)左右の手が別々のテンポに設定されている上にそれぞれが常にルバートしてるように聴こえます。次元の違う演奏です。本人曰く「ベルカント」とのことですが、今回の動画で理解が深まった気がします。
今回も興味深く拝見いたしました。私は作曲科の出身ですが、楽譜がないクラシック曲の音源を聴いて耳コピで楽譜に起こす仕事を頼まれたことがあります。とても魅力的な演奏でしたが良い意味で不正確で、でも楽譜は正確に書かなければいけないので、けっこう大変でした。耳よりも頭を使いました。
ウィンナワルツの3拍子が3等分でないことを知っている人は多いと思いますが、あれもワルツの円運動を考えれば理にかなっているなと思っています。ところが、自分が持っているアメリカのプロ吹奏楽団が「美しき青きドナウ」を演奏したレコード(!)では、「俺達アメリカ人だからそんなもん知ったこっちゃない!」と言わんばかりの完全に3等分の3拍子で演奏されていて余りの潔さに唖然としたものでした。逆に日本の某プロオケがウィーン風のリズム感でウィンナワルツを演奏した時は明らかに不自然でモヤモヤしたものでした。
強引で秩序のみを強調する独裁者のようなかつ高圧的な指揮者は肩が凝ります。不揃いでもいいので人間的な体温の感じられる指揮者の音楽が好きです。
今通っているレッスンの先生に同じことを言われ、驚天動地でした。今まで自分が努力してきたことは何だったんだ?。改めて車田さんも同じ主張をされていて本動画を拝聴。レッスンの先生いわく、3重奏のレッスンでしたが「揃えることに意識を向けるな。各パートそれぞれ独立して旋律・歌ってる楽曲なのだから(ポリフォニーっていうのですか?)、自分のパートを歌いこむことに意識して(歌いこみのポイントが各パートで異なるのです。)」
最近、吉村妃鞠さん(撮影当時8歳)の、ツィゴイネルワイゼンの動画を毎日見ています。寄せられたコメントを読むと、クラシック音楽で初めて涙したという方が多いです。実は、私自身もその一人です。彼女の演奏は恐らく、ルバートと強弱が「絶妙」なのですね。今回の動画でその理由を教えていただき、なるほどとおもいました。ありがとうございました。
ボールの例え、とっても分かりやすかったです!同じ曲でも、指揮者、演奏家によって聴き手が音楽を楽しめるのは、様々な理由の1つとして、この不揃いやルバートのおかげなのだなと改めて実感出来ました。人の数だけそれぞれの、人のその日の気分で違う事もあるでしょうから、演奏する側も、聴く側もその塩梅(?)、フィーリングが合うと、きっとお互いにとって気持ちの良い音楽になるのでしょうね。ショパンのノクターン達は特に、全体をまとめるのが難しく、ルバートをやり過ぎて演歌のようにならないように、無さ過ぎて機械的にならないように…人の演奏を聴けば聴く程、路頭に迷い、過去を振り返れば頂いた指導やアドバイスも人に寄り、私にとってはある意味、暗闇を彷徨う、答えの出ない夜想💦 けれど、聴くのも弾くのも大好きな曲達です♪
弦楽器の話で真っ先に思い浮かんだのはチャイコフスキーの弦楽セレナーデの、あの胸が締め付けられるような、出だしの音です。いつ聴いても何とも言えない気持ちになるのですが、これも『不揃いの美学』の為せるワザ……良いお話、ありがとうございました😊
不揃いの魅力。温かみを感じますね。
なるほどですね。不正確さも、美しさ、ですね。モーツァルトの場合は、あまり、このことが当てはまりませんね。ショパン節、確かに、当てはまりますね。若い頃のポゴレリッチの演奏は、まさしく、当てはまりますね。なんとも、スリリングな演奏ですが、面白くて、聞き入りました。
昔、私の先生が、某所で演奏を楽譜化するコンピューターソフトを開発していて、その実験に行って演奏してみたらまったく駄目だったが、はたと気がついて音符の長さ通り機械的に正確に弾いてみたらコンピューターが譜面を作成してくれたということで、音楽として演奏した場合に使うにはまだまだとおっしゃってました。
最近ロシアピアニスムというこがあるのを知り目から鱗です。倍音豊かな奏法は抱けんの瞬間から減速していかずかえって膨らんでいくという、、、私はポゴレリッチのピアノにえもいわれずひかれるのですが、遅すぎ、ルバートが激しすぎ、音楽の流れがきれるという批判をよくききます。でも、もしかして楽譜に書いてある基音だけでなく倍音も聞けるみみがあったなら、音楽がきれている、という風には聞こえないのかな?と思ったり。。。分かりませんが。
合わせることは大切ですが、過度に統率されて合っている演奏には失われているものがあることを認識すべきですね。統率されすぎた演奏からは自由が消え去っているのが最もわかりやすいでしょうか?それどころか、作曲者が伝えたかった感情や、表現したかった思いが消え去ってしまうのは非常にまずいと考えています。縦や音程を揃えることは確かに必要なことですが、揃えることもあくまで表現のひとつと捉えるべきですね。
不揃いの魅力は、揃えることが出来る技量があるのが前提かな、と思いました。自分は、速弾きを綺麗に拍に揃えることが出来なくて苦しんでるアマです。
ドイツでは、楽譜が黒くなるほど「速く(軽く)」なるというのが、印象的でした。個人的に、"高い音"ほど「軽い」というイメージだったので😮ショパンとヴェルディを聴いてみます。オススメのクラシック鑑賞法はありますか?音が減衰する、という特性を逆にしたのが、電子音楽の凄さなんですかね?当たり前を、当たり前じゃなくした時に生まれてくる、その先を見据えた音楽、的な
アメリカでコーラスを14年ほどやっていますが、今回のお話、不揃いの魅力、面白かったです。ご指摘にあったように、隣の人の音程に合わせて自分の音程がずれないような練習を中心にやっていますが、確かに色々な声で多少ズレがあった方が人間味があって面白いですよね。大変参考になりました。ありがとうございます。
正確さが一番なら人間が演奏する意味がなくなっちゃうでしょうね。既にDTMでも揺れが設定できるレベルだし音色もレベルが高くなってる。それでも生演奏の意味があるのは、人間ならでは息遣いがあるからなんでしょうね。
ソロや小編成のアンサンブルならともかく、オケの場合はなかなかムズカシイですね^^;; 例えば・・・弦楽器奏者のヴィヴラートまで完璧に揃ってしまったら恐ろしく「機械的で冷たい」音になると思いますが、かといって明らかに縦の線が合ってない、和声がきちんと機能していないような音楽は高いチケットを買って聴きたいとは思いませんし(『プロの仕事としてきちんとリハやったんだろうなあ?』って言いたくなる時がたまにあるので・・・)。その辺りのさじ加減において物を言うのが指揮者のセンスなんだろうとも思います(H.v.カラヤンがベルリンフィルとのハイドン「時計」第2楽章のリハで、合わなさすぎると『それじゃ砂時計だ』と言ってやり直させ、合い過ぎると『それじゃクオーツだ』と言ってまたやり直させた、という話も何かで読んだことがあります)。
お菓子だけではなくお野菜も食べられるんですね(^^) 私は、卵の入ったサラダ🥗が好きです。
あいまいさの魅力というのはすごく共感します。リズムと音程が合っているだけならこころに響く音楽にはならない。せいぜいBGM。よく、歌や弦楽器の方は伴奏ピアノよりほんのちょっと遅れて音だしてますよね。素人がそれをあからさまにやりすぎると演歌っぽくなるけれど。歌の伴奏をよくやるピアニストの方は、日本歌曲を伴奏するときは逆に歌手より一瞬遅れて弾く、とおっしゃってました。それによって歌手のことばの子音が聴衆に届きやすいとのこと。使う楽器によって同じメロディーでもぜんぜん違う印象になる。弦楽器の良さは、もやっと音が出て、ヴィブラートで音程を揺らして、しかも各人がちょっとづつ違うヴィブラートする、・・・・そんなあいまいさが魅力なのかな、と思います。だから何とも言えない柔らかい雰囲気のサウンドになる。吹奏楽ではそれがない。だから、吹奏楽向きの音楽、弦楽器向きの音楽というのはあるような気がします。ピアノ向きの音楽もあると思います。ピアノ曲をオーケストラ用に編曲することはよく行われていますが、ピアノ独奏とは微妙に違う音楽になってる気がします。聴き手のイマジネーションを広げる、というのはピアノ独奏の方がやりやすい。ピアノ曲をオケで演奏すると、下手すると水墨画に色を塗ったような感じになりかねない。いろいろ書きましたが、機械では音楽は作れない、ということだと思っています。
車田さんのお話は、楽曲の話だけではなく、今回の様なお話があるので、いつも楽しく見ています。不揃い、不正確な演奏が魅力的になるのは、やはり基本がしっかり出来ている上で意図的な不揃い、不正確が、私の感性と一致した時に魅力を感じます。ストラビンスキーの春の祭典は変拍子の極みで、演奏が乱れることを期待して作曲されているそうですが、バーンスタイン指揮、NYフィルの演奏は、そんなことは百も承知で、変拍子を利用しているような、聴いててワクワクしますし、とてもセクシーで、エロい、聴いてて上質の魅力を感じます。 さすがバーンスタインと思わせる 不揃い、不正確な演奏が楽しめます。
揚げ玉ねぎ、日本のスーパーにも売ってました。そのまま、食べても美味しいですよね♪それにしても、ドイツのは大容量ですね!
いつも勉強になります❗️
おまけのティータイムが、いつもとても癒されます。あ、もちろんきちんと全篇視聴しております~!また次の動画を楽しみにしてます。
揚げた玉ねぎをサラダのトッピング、、、目から鱗ですね。早速作ってみたいと思います。アーキュレーションが今一つわからなかったのですが、今日のお話で少し理解できたような気がします。ありがとうございました。
大変興味深かったです。ピアノの右手のメロディーを遅らせるのはジャズみたいですね。
演歌の ため こぶし に似てますね、強すぎると嫌味だし、絶妙な加減で引き立たせ、味になったり、心に響いたりするのですね、演歌はあまり好みではありませんが。
🎉有り難いお話🎉
民族音楽(いわゆるクラシックではない非西洋音楽など)やると、ほぼ一定のテンポの演奏ってのは無いことに気付けますね。音楽全体に命を吹き込むのは、ズレとかタメという、不揃いさこそが要素になってるな、と。
藝大卆の先生が【楽譜はメモです】と言ってました
最近ストリートや楽器店でよく見かけるカラオケ伴奏のソロ楽器実演に全く魅力を感じません。まだジャズ喫茶でなんとかのアンプとかんとかのスピーカーでコルトレーンを聴こうの方がライブ感が楽しめるのです。今回の先生の趣旨とはやや違いますが、誰かが目の前の楽器を手に取ってウォームアップも兼ねながら実演するというだけで得られる高揚感は何者にも代え難いです。
聴き手に意識させない "絶妙な" ルバート・・・ほんの一握りの名ピアニスト。これ見よがしで自己満足の大袈裟なルバート・・・多数の凡庸なピアニスト。後者は音楽の流れが不自然すぎて興ざめ。
イエローマジックオーケストラは、グルーヴ感を出す為に、リズムを均等割から少しずらして、コンピューターに意図してプログラムしたそうです。当時はまだ電子楽器の技術が不十分で、音の強弱でアクセントを付けることが出来ず、こんな対応になった旨をTV番組で見ました。
車田先生に偶然出会って、何がハマったって、心地よい声とお茶の時間です。『んー安定のうまさ☕️』私も最近このフレーズあえて使ってます😆
「揺らぎ」聞き手にとって、マジックに陥られる技です。プロの演奏家による個々人の揺らぎ、それがハーモニーになる人間臭さが、その時、その空間でしか味わえない唯一無二のハーモニー、そしてその時間と空間をご一緒させていただいた共有感に心が満たされます❤️
ホロヴィッツは、(オーバーな話、)左右の手が別々のテンポに設定されている上にそれぞれが常にルバートしてるように聴こえます。次元の違う演奏です。
本人曰く「ベルカント」とのことですが、今回の動画で理解が深まった気がします。
今回も興味深く拝見いたしました。私は作曲科の出身ですが、楽譜がないクラシック曲の音源を聴いて耳コピで楽譜に起こす仕事を頼まれたことがあります。とても魅力的な演奏でしたが良い意味で不正確で、でも楽譜は正確に書かなければいけないので、けっこう大変でした。耳よりも頭を使いました。
ウィンナワルツの3拍子が3等分でないことを知っている人は多いと思いますが、あれもワルツの円運動を考えれば理にかなっているなと思っています。ところが、自分が持っているアメリカのプロ吹奏楽団が「美しき青きドナウ」を演奏したレコード(!)では、「俺達アメリカ人だからそんなもん知ったこっちゃない!」と言わんばかりの完全に3等分の3拍子で演奏されていて余りの潔さに唖然としたものでした。逆に日本の某プロオケがウィーン風のリズム感でウィンナワルツを演奏した時は明らかに不自然でモヤモヤしたものでした。
強引で秩序のみを強調する独裁者のようなかつ高圧的な指揮者は肩が凝ります。不揃いでもいいので人間的な体温の感じられる指揮者の音楽が好きです。
今通っているレッスンの先生に同じことを言われ、驚天動地でした。今まで自分が努力してきたことは何だったんだ?。改めて車田さんも同じ主張をされていて本動画を拝聴。レッスンの先生いわく、3重奏のレッスンでしたが「揃えることに意識を向けるな。各パートそれぞれ独立して旋律・歌ってる楽曲なのだから(ポリフォニーっていうのですか?)、自分のパートを歌いこむことに意識して(歌いこみのポイントが各パートで異なるのです。)」
最近、吉村妃鞠さん(撮影当時8歳)の、ツィゴイネルワイゼンの動画を毎日見ています。
寄せられたコメントを読むと、クラシック音楽で初めて涙したという方が多いです。
実は、私自身もその一人です。
彼女の演奏は恐らく、ルバートと強弱が「絶妙」なのですね。
今回の動画でその理由を教えていただき、なるほどとおもいました。
ありがとうございました。
ボールの例え、とっても分かりやすかったです!
同じ曲でも、指揮者、演奏家によって聴き手が音楽を楽しめるのは、様々な理由の1つとして、この不揃いやルバートのおかげなのだなと改めて実感出来ました。
人の数だけそれぞれの、人のその日の気分で違う事もあるでしょうから、演奏する側も、聴く側もその塩梅(?)、フィーリングが合うと、きっとお互いにとって気持ちの良い音楽になるのでしょうね。
ショパンのノクターン達は特に、全体をまとめるのが難しく、ルバートをやり過ぎて演歌のようにならないように、無さ過ぎて機械的にならないように…人の演奏を聴けば聴く程、路頭に迷い、過去を振り返れば頂いた指導やアドバイスも人に寄り、私にとってはある意味、暗闇を彷徨う、答えの出ない夜想💦
けれど、聴くのも弾くのも大好きな曲達です♪
弦楽器の話で真っ先に思い浮かんだのは
チャイコフスキーの弦楽セレナーデの、あの胸が締め付けられるような、出だしの音です。いつ聴いても何とも言えない気持ちになるのですが、これも『不揃いの美学』の為せるワザ……良いお話、ありがとうございました😊
不揃いの魅力。温かみを感じますね。
なるほどですね。不正確さも、美しさ、ですね。モーツァルトの場合は、あまり、このことが当てはまりませんね。ショパン節、確かに、当てはまりますね。若い頃のポゴレリッチの演奏は、まさしく、当てはまりますね。なんとも、スリリングな演奏ですが、面白くて、聞き入りました。
昔、私の先生が、某所で演奏を楽譜化するコンピューターソフトを開発していて、その実験に行って演奏してみたらまったく駄目だったが、はたと気がついて音符の長さ通り機械的に正確に弾いてみたらコンピューターが譜面を作成してくれたということで、音楽として演奏した場合に使うにはまだまだとおっしゃってました。
最近ロシアピアニスムというこがあるのを知り目から鱗です。倍音豊かな奏法は抱けんの瞬間から減速していかずかえって膨らんでいくという、、、私はポゴレリッチのピアノにえもいわれずひかれるのですが、遅すぎ、ルバートが激しすぎ、音楽の流れがきれるという批判をよくききます。でも、もしかして楽譜に書いてある基音だけでなく倍音も聞けるみみがあったなら、音楽がきれている、という風には聞こえないのかな?と思ったり。。。分かりませんが。
合わせることは大切ですが、過度に統率されて合っている演奏には失われているものがあることを認識すべきですね。
統率されすぎた演奏からは自由が消え去っているのが最もわかりやすいでしょうか?
それどころか、作曲者が伝えたかった感情や、表現したかった思いが消え去ってしまうのは非常にまずいと考えています。
縦や音程を揃えることは確かに必要なことですが、揃えることもあくまで表現のひとつと捉えるべきですね。
不揃いの魅力は、揃えることが出来る技量があるのが前提かな、と思いました。自分は、速弾きを綺麗に拍に揃えることが出来なくて苦しんでるアマです。
ドイツでは、楽譜が黒くなるほど「速く(軽く)」なるというのが、印象的でした。
個人的に、"高い音"ほど「軽い」というイメージだったので😮
ショパンとヴェルディを聴いてみます。
オススメのクラシック鑑賞法はありますか?
音が減衰する、という特性を逆にしたのが、電子音楽の凄さなんですかね?
当たり前を、当たり前じゃなくした時に生まれてくる、その先を見据えた音楽、的な
アメリカでコーラスを14年ほどやっていますが、今回のお話、不揃いの魅力、面白かったです。ご指摘にあったように、隣の人の音程に合わせて自分の音程がずれないような練習を中心にやっていますが、確かに色々な声で多少ズレがあった方が人間味があって面白いですよね。大変参考になりました。ありがとうございます。
正確さが一番なら人間が演奏する意味がなくなっちゃうでしょうね。
既にDTMでも揺れが設定できるレベルだし音色もレベルが高くなってる。
それでも生演奏の意味があるのは、人間ならでは息遣いがあるからなんでしょうね。
ソロや小編成のアンサンブルならともかく、オケの場合はなかなかムズカシイですね^^;; 例えば・・・弦楽器奏者のヴィヴラートまで完璧に揃ってしまったら恐ろしく「機械的で冷たい」音になると思いますが、かといって明らかに縦の線が合ってない、和声がきちんと機能していないような音楽は高いチケットを買って聴きたいとは思いませんし(『プロの仕事としてきちんとリハやったんだろうなあ?』って言いたくなる時がたまにあるので・・・)。その辺りのさじ加減において物を言うのが指揮者のセンスなんだろうとも思います(H.v.カラヤンがベルリンフィルとのハイドン「時計」第2楽章のリハで、合わなさすぎると『それじゃ砂時計だ』と言ってやり直させ、合い過ぎると『それじゃクオーツだ』と言ってまたやり直させた、という話も何かで読んだことがあります)。
お菓子だけではなくお野菜も食べられるんですね(^^) 私は、卵の入ったサラダ🥗が好きです。
あいまいさの魅力というのはすごく共感します。
リズムと音程が合っているだけならこころに響く音楽にはならない。せいぜいBGM。
よく、歌や弦楽器の方は伴奏ピアノよりほんのちょっと遅れて音だしてますよね。素人がそれをあからさまにやりすぎると演歌っぽくなるけれど。
歌の伴奏をよくやるピアニストの方は、日本歌曲を伴奏するときは逆に歌手より一瞬遅れて弾く、とおっしゃってました。それによって歌手のことばの子音が聴衆に届きやすいとのこと。
使う楽器によって同じメロディーでもぜんぜん違う印象になる。
弦楽器の良さは、もやっと音が出て、ヴィブラートで音程を揺らして、しかも各人がちょっとづつ違うヴィブラートする、・・・・そんなあいまいさが魅力なのかな、と思います。だから何とも言えない柔らかい雰囲気のサウンドになる。吹奏楽ではそれがない。だから、吹奏楽向きの音楽、弦楽器向きの音楽というのはあるような気がします。
ピアノ向きの音楽もあると思います。ピアノ曲をオーケストラ用に編曲することはよく行われていますが、ピアノ独奏とは微妙に違う音楽になってる気がします。聴き手のイマジネーションを広げる、というのはピアノ独奏の方がやりやすい。ピアノ曲をオケで演奏すると、下手すると水墨画に色を塗ったような感じになりかねない。
いろいろ書きましたが、機械では音楽は作れない、ということだと思っています。
車田さんのお話は、楽曲の話だけではなく、今回の様なお話があるので、いつも楽しく見ています。不揃い、不正確な演奏が魅力的になるのは、やはり基本がしっかり出来ている上で意図的な不揃い、不正確が、私の感性と一致した時に魅力を感じます。ストラビンスキーの春の祭典は変拍子の極みで、演奏が乱れることを期待して作曲されているそうですが、バーンスタイン指揮、NYフィルの演奏は、そんなことは百も承知で、変拍子を利用しているような、聴いててワクワクしますし、とてもセクシーで、エロい、聴いてて上質の魅力を感じます。 さすがバーンスタインと思わせる 不揃い、不正確な演奏が楽しめます。
揚げ玉ねぎ、日本のスーパーにも売ってました。そのまま、食べても美味しいですよね♪それにしても、ドイツのは大容量ですね!
いつも勉強になります❗️
おまけのティータイムが、いつもとても癒されます。
あ、もちろんきちんと全篇視聴しております~!
また次の動画を楽しみにしてます。
揚げた玉ねぎをサラダのトッピング、、、目から鱗ですね。早速作ってみたいと思います。
アーキュレーションが今一つわからなかったのですが、今日のお話で少し理解できたような気がします。
ありがとうございました。
大変興味深かったです。ピアノの右手のメロディーを遅らせるのはジャズみたいですね。
演歌の ため こぶし に似てますね、強すぎると嫌味だし、絶妙な加減で引き立たせ、味になったり、心に響いたりするのですね、演歌はあまり好みではありませんが。
🎉有り難いお話🎉
民族音楽(いわゆるクラシックではない非西洋音楽など)やると、ほぼ一定のテンポの演奏ってのは無いことに気付けますね。音楽全体に命を吹き込むのは、ズレとかタメという、不揃いさこそが要素になってるな、と。
藝大卆の先生が【楽譜はメモです】と言ってました
最近ストリートや楽器店でよく見かけるカラオケ伴奏のソロ楽器実演に全く魅力を感じません。まだジャズ喫茶でなんとかのアンプとかんとかのスピーカーでコルトレーンを聴こうの方がライブ感が楽しめるのです。今回の先生の趣旨とはやや違いますが、誰かが目の前の楽器を手に取ってウォームアップも兼ねながら実演するというだけで得られる高揚感は何者にも代え難いです。
聴き手に意識させない "絶妙な" ルバート・・・ほんの一握りの名ピアニスト。
これ見よがしで自己満足の大袈裟なルバート・・・多数の凡庸なピアニスト。
後者は音楽の流れが不自然すぎて興ざめ。