昭和30年代半ば 151系特急型電車 実走と食堂車内のようす②

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  • Опубліковано 16 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 17

  • @toriri-service
    @toriri-service 2 місяці тому +4

    おや。前回思い出して述べた映画を取り上げていただき ありがとうございます🙇
    食堂車は 当時大阪までも6時間半掛かっていた長い旅路だからこそですが この頃は利用出来るお客さんも限られていたかもですね。
    何しろ特急に乗れる事自体がステータスでしたから。テーブルも車内も当時の洒落たレストラン🍴風で お客さんも正装👔の方ばかり。
    鉄道と関係ありませんが この映画のラストで裕次郎・三枝夫妻が数十年後に年老いた👴👵姿になるシーンがありますが 三枝夫人が実際に60代になられた頃の姿とほぼ同じな事に驚き
    裕次郎さんも生きていたら 90年代後半はこういう感じになられていたのかな?と思いました。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +2

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      「151はもっと無いのか」とか「こだまを出せ」などと他からもリクエストがありまして、
      もともとこの動画は、
      わたしどものチャンネルのウラで限定公開していたのですが、こちらへ持ってきました。
      裏では実走シーンだけの正尺で、ほんの5秒で終わらせていましたが、
      鉄分の方のお目当てが往時の車内にもあるとゆうので、
      気が進まなかった(有名さん出てくると顔処理に注文が付く)んですけど、
      続くシーンを繋げました。だけど案の定、声がⒸ引っかかりまして、ピッチをいじっています。
      当時の映画は、日活に限らず、広い年齢帯を一人の役者さんが演じ切ることが多く、
      日活のメイクさんはこれで修行してロマンポルノで花咲かせたと
      キネマ旬報の記事にあります。

  • @あいうえお-o6s1f
    @あいうえお-o6s1f 2 місяці тому +2

    食堂車で食事をする。
    なんと心躍る時間だろうか。

    • @qsht
      @qsht  Місяць тому

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      そこなんですね。
      汽車旅の食堂車の価値は、お腹を満たすよりも、旅の楽しみを増すところなんですね。
      旅行の目的の一部になっていた食堂車で摂る食事をまた味わいたいものです。

    • @あいうえお-o6s1f
      @あいうえお-o6s1f Місяць тому

      @@qsht 様、
      返信ありがとうございます。
      汽車旅の食堂車の価値は、お腹を満たすよりも、旅の楽しみを増すところ
      まさにおっしゃる通りだと思います。流れ行く景色を眺めながらの食堂車での食事は、どんな調味料よりも味わいを増してくれる至福の時間でした。

  • @酒向美由起
    @酒向美由起 2 місяці тому +4

    食堂車はかつて旅の醍醐味と呼ばれていました。ビールを呑むシーンも見られましたが未成年者及びドライバーへのアルコールの提供はお断り当然でまた食事の途中で降りる駅が近づき、食べ残してしまうこともあっただろう。また自由席代わりに食堂車を占領してしまうこともあったかもしれませんでしたね。by酒向正也

    • @宏田栗
      @宏田栗 2 місяці тому +2

      すみません…
      私、新幹線の食堂車で、ソレやってました…
      ただし、まず定食を注文し、それからビールとツマミ…
      ちゃんと食堂車で着席中は、飲食を続けてました。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      現代の物差しで1960年当時の映画作品を鑑賞してしまうと、
      パラダイムシフトが全く上がってしまっているので、
      非常識に映る場面に見えることが多くあります。
      感覚としては、江戸時代の映画のお侍さんを見て、「刀を持ち歩いてる!」と驚くのと、
      「江戸時代なんだからしょうがない」と思うのと同じです。
      平成の初めごろまでは過渡的ではありますがドライバーと分かっていながら
      アルコール提供することがそれほどの害悪と感覚されない時代がずっと続いていました。
      食堂車ならなおさらです。
      禁煙と書かれている車内で紫煙を燻らすことも然り。
      映画では「当然」というセンスの変遷を見て取ることができるのが興味深いですね。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      「まず定食を注文し、それからビールとツマミ」これは食堂車利用の王道ですね。
      自由席代わりに食堂車を使うのも、飲食を伴っているオマケとゆう感覚ですけど、
      程度問題ですが、私どももコーヒーとサンドイッチ注文して、
      そのあとコーヒーだけテーブルに置いてチビチビ居座った思い出があります。
      待ってた方、迷惑だったと思います。
      いまなお、ドイツ鉄道のSpeisewagenでは同じようなお客さんが見られますが、
      利用そのものが低迷しているので、空気よりはマシかと思いますが。

  • @AKI-xf5dz
    @AKI-xf5dz 2 місяці тому +3

    151系、結構映画の舞台になってますね。
    当時のフラグシップですから当然と言ってしまえばそれまでですが。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      後年、ポルノ映画で馴らす日活が銀幕出演用に設えた高価なカラーフィルムで残してくれたお蔭で、
      この時代としてはきれいなフォルムの車体色を伝えることができる希少な一本です。が、
      冒頭シーンだけで他は鉄分無し。
      大映でも151系映り込ませた作品があったのですが、未だにメディア化されてません。

  • @onikohankacho
    @onikohankacho 2 місяці тому +2

    エキストラが顔出しで主演級が肖像権の関係か顔面モザイクなのが草。
    今のバラエティと真逆じゃないかw

    • @すりお-n2t
      @すりお-n2t 2 місяці тому +2

      裕次郎さんと長門さんはプライベートでも仲良くしてましたね。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      もともとこの動画は、
      わたしどものチャンネルの裏で限定公開していたのですが、
      そのときはモザイクも速度も調節していませんでした。
      こちらへ持ってきたときに、"つべ"から物言いがつきまして、
      修整(修正ではない)しろと。
      で、トップ銀幕を処理したら、「向かいの席の俳優も」となり、
      そこも処理したら「女優さんも」となって、こんな画面に。
      速度は声紋がⒸに激しく反応するんですね。で、そこもピッチを変える。
      そうゆう経緯でございます。

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +1

      いつもご視聴ありがとうございます。
      とくに日活は、他の作品を観ても、裕裕コンビなんて言って、
      このお二人をパッケージで演じさせるのがお好みだったようです。

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR 2 місяці тому +4

    あれ?151系にAW-2形付いてたっけ?当時(今でも)は得てして音源は後付けで画面の列車と走行音が一致してないものが一杯あったから制作陣もその辺り気にしてなかった(てゆーかそんな違いも判らない?[鉄]ものなら瞬時に解るレベルの音の違いを映画制作会社のスタッフともあろうお歴々が解らない?或いは政策スケジュールの都合で構っていられない?)のかしら?まあ今から思えば何事もまだまだ大らかな時代なればこそのなせる業?(^^);と[鉄]ものは当時の銀幕の大スター出演など全く気にもならずに唯々そんなとこばかりが気になってしまいました(^^);

    • @qsht
      @qsht  2 місяці тому +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      581系特急型電車(月光型といわれているもの)は、
      公式試運転時にブレーキ引き通し管から分岐させて
      床下に逆さまにホイッスルを装着していた時期がありました。
      後年の特急型電車で警笛を吹鳴する時、
      タイホーンとェァホイッスルの同時吹鳴が定着した時期ですが、
      151系電車(大阪方)で1960年~2年ほど、
      これの前哨となる吹鳴実験を高速走行する営業車で行っています。
      往時の「電気車の科学(鉄道図書刊行会刊)」の記事では、さらにその前にも
      クモヤ93型とゆう架線試験車が、ほんの数日間、田町電車区内でおこなっています。
      この映画作品は抽出したこの部分しか鉄分が無いのですが、
      エフェクトは35mmfilmラッシュであるものの、
      時期的に重なりますので、
      新鋭の警笛音を意図的に進取したか、アフレコで被せたのか、
      謎の多いところです。
      国鉄はこの作品の撮影に全面協力しており、
      撮影場所も上下本線の犬走内という、
      いまでは到底信じられない場所で収録しているほどですから。